第11話 カタリナ


 翌日。

 オレは王都へと赴き、カタリナのために薬を買ってきた。


 この世界の医薬品は前世の世界のような副作用などがあるものではない、いわゆるポーションというやつだ。

 より良い素材を使っていれば使っているほど、その効能も優れたものになる。


 とりあえず金貨二十枚をはたいて、王都で売られている最高級のポーションを買ってきた。

 これでダメだったら、またほかの手を考えなければならない。


 とはいえ、このポーションは光属性の皇級魔術程度の回復効果は期待できるらしいので、多分大丈夫だ。


 それからガベルブックの屋敷に戻り、カタリナにポーションを飲ませようと思ったら、別の問題が浮上した。

 カタリナの体調がさらに悪化し、食べ物や飲み物を受け付けなくなっていたのだ。


 何かを食べさせたり飲ませようとしても、身体が拒絶反応を起こして全て吐き出してしまう。

 思ったより病気の進行が早い。

 これ以上弱らせてしまうと、死んでしまう可能性すらある。


 そんなことを考えていると、奴隷商人の言葉を思い出した。

 彼はもしかしたら、カタリナが何か重い病気に罹っていたのを知っていたのかもしれない。


 ……それは今はいいか。

 というか言い出しても仕方ないことだ。

 どうせあの奴隷商は、行方をくらませているだろうし。


 問題は、目の前にいるカタリナだ。

 どうやって食べ物と飲み物を体内に摂取させるか、考えなければならない。


 実際にやってみてわかったことだが、他人に物を食べさせるというのは思いのほか難しい。

 スプーンで口のところまで持って行っても口を開いてくれないし、無理やりねじ込もうものなら、窒息の危険すらある。


 そこで、口移しで食べさせることを思いついた。

 口移しで食べさせれば、カタリナでも無理なく食事をとれるのではないか、と推測したからだ。


 手始めに、まずはポーションから飲ませることにする。


「それじゃあカタリナ。いくぞ?」


 オレが尋ねても、カタリナの返事はない。

 ただ、苦しげな呼吸音だけがオレの鼓膜を叩いている。


 いや、反応はあった。

 カタリナの手が、オレの服を掴んでいた。


「大丈夫だからな。オレが絶対なんとかしてやるから」


 オレが耳元で語りかけると、カタリナの手から力が抜けた。

 それを了承の意とみなし、ポーションを口に含む。


 ちなみに常温での最高級ポーションは無味無臭なので、そこらの水と大差ない。

 そのままカタリナの唇を目の前にして、ふと思った。




 あれ? これ普通にキスじゃね?




 思わず辺りを見回すが、キアラの気配はない。

 まあ見られていても別にいいか。

 その分、夜に相手してやれば気も収まるだろう。


 それに、これは医療行為だ。

 何もやましいことはない。

 そう思い、意を決してカタリナの唇に触れた。


「――っ」


 カタリナの熱と、柔らかくてみずみずしい感触が、オレの唇に伝わってくる。


 一気にやってはいけない。

 焦らずにゆっくりと、カタリナが飲めるように少量ずつ与えていく。


 自分の顔が赤くなっているのを自覚しながらも、オレはなんとかカタリナにポーションを飲ませることに成功した。


 カタリナがポーションを吐き出す様子はないので、次はおかゆを少し食べさせる。

 あまり食べさせすぎると、むせて吐き出してしまう恐れがあるため、こちらも与える量は少しでいい。


 ポーションと同じ要領でおかゆを口に含み、舌を使ってカタリナの口内に押し込んだ。


「ん……っ」


 カタリナが悩ましげな声を上げるのを努めて無視し、おかゆを彼女の口の中へ入れていく。


 その最中、ざらざらとしたものがオレの舌に当たる。

 それがカタリナの舌だと理解するのに、そう時間はかからなかった。


 ……どうしよう。すごく気持ちいい。


 言うまでもなく、カタリナは可愛い。

 キツネのようなケモミミに、明るい茶髪。

 奴隷商から買ったときはやせ細っていた顔も、今では少し痩せている程度で愛嬌がある。


 前世でディープキスをした経験があるのかはわからないが、こんな美幼女をぺろぺろする機会があったとは思えない。

 その感触を心ゆくまで堪能した後、オレは唇を離した。


 唇と唇の間に銀色の橋が架かる。

 それを見て、オレの興奮はいっそう掻き立てられた。


 目の前には、高温のせいで顔を赤く染めて、瞳を閉じて苦しげな呼吸を繰り返しているカタリナの姿がある。

 そんなカタリナの様子を眺めていると、何かを求めるような声色で、彼女がぽつりと呟いた。




「……ママぁ」




「――――っ!!」


 その言葉を耳にした瞬間、頭に冷水をかけられたような衝撃がオレを襲った。


 馬鹿か。なにをしてるんだオレは。

 この子を助けるんだろうが。

 治療中に患者に欲情してどうする。


 ……落ち着いて、カタリナを看病しよう。


 幸いなことに、カタリナの呼吸は少し楽になっているように見える。

 ポーションは効いているようだ。

 このままちゃんと看病すれば、カタリナは回復するだろう。


 それからは、こまめに下級の光属性魔術をかけてカタリナの体調を確認して、口移しでポーションを飲ませることに徹した。

 そうして、オレはカタリナのことを夜通し看病し続けた。






 そして翌朝。


「……ん」


 ベッドの上で目が覚めた。

 窓際のカーテン越しに、柔らかな日差しが降り注いでいる。


 そこで、昨日のことを思い出した。

 どうやらオレは、カタリナの部屋のベッドでそのまま眠ってしまったらしい。


 カタリナの姿を探すと……いた。


 彼女は姿見の鏡の前で、自分の格好――メイド服を確認している。

 メイド服は、この屋敷で働くときにいつも身に付けさせている服だ。


 つまりそれは、カタリナが仕事モードに入っているということに他ならない。


「カタリナ!」


「あ、ラルさま。おはようございます!」


 オレが彼女の名前を呼ぶと、カタリナは満面の笑みを浮かべて挨拶してくれた。

 昨日まで死にそうになっていた人間とは思えないほど回復している。


「もう体調は大丈夫なのか?」


「はい。おかげさまですっかりよくなりました!」


「そうか。それはなによりだ」


 カタリナが無理をしているようには見えない。本当に大丈夫なのだろう。


「あ、あの。ラルさま」


「ん?」


 ベッドから出て朝食でも摂ろうかと思っていると、カタリナが恥ずかしそうに声をかけてきた。

 緊張しているせいか、耳がピコピコ動いているのが愛らしい。


「手を、にぎってもらえませんか?」


「うん? ああ。いいぞ」


 カタリナがおずおずと差し出してきた手を、両手でしっかりと握る。


 ちっちゃくてあたたかい。

 それにやわらかい。

 幼女の手とは、かくも素晴らしいものなのだな。


 しばらくその感触を堪能した後、オレは手を離した。


「あっ……」


「ん?」


「い、いえっ! なんでもないですっ! それではカタリナは先にしつれいしますっ」


 まくし立てるようにそう言うと、カタリナは顔を真っ赤に染めて部屋から出て行ってしまった。


「……なんなんだ?」


 部屋にポツンと残されたオレは、ただただカタリナが出て行ったドアを眺めることしかできなかった。






 それ以降、カタリナの態度が軟化した。


 何と言うか……オレに対して妙にくっついてくるようになったのだ。

 よくしゃべるようになったし、前までのように意思疎通が難しいなどということはなくなった。


 理由はイマイチわからないが、オレが自ら看病したのがよかったのだろうか?


 あと、カタリナに尻尾が生えていることが判明した。

 ……なぜかはわからないが、ずっとオレたちの目には映らないように服の中に隠していたらしい。


 服と服の間からはみ出る、お狐さまの黄金色のふさふさしっぽ。

 ものすごくモフモフしたい。


「狐人族には、尻尾を親しい人にしか見せちゃダメ、っていう風習があるんだよ。ラルくんがカタリナちゃんに親しい人として認められた証拠だね」


「なるほど……そんな風習が」


 キアラの言葉を信じるなら、オレはある程度カタリナに心を許されたのだろうか。

 もっと親密になれば、あのふさふさのしっぽを思いっきりべたべたと触りまくれる日が来るのだろうか。

 夢が広がる。


 カタリナの問題が解決に向かっているので、オレ自身のことにも集中することができるようになった。


 午前中はフレイズの書斎に篭ってまだ見ぬ知識の習得に勤しみ、午後には怠ることなく、毎日魔術と剣術の鍛錬に打ち込んだ。

 夜にはカタリナに勉強や魔術の訓練をさせ、たまの休みにはガベルブック領内の街や王都、クレアに会うために王城へ遊びに行ったりもした。




 こうして、ガベルブック領での日々は穏やかに過ぎていった。

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