第10話 病
奴隷を購入してから、一ヵ月が過ぎた。
買った奴隷の少女はカタリナという名前らしい。
ほとんど喋らなかったが、自分の名前だけははっきりと口に出したのが印象的だった。
奴隷はその一生を主人のために費やす。
だが、オレはカタリナをいつまでもここに縛っておくつもりはなかった。
奴隷は、主人がその奴隷を解放することを了承すれば自由の身になれる。
この制度を利用し、カタリナが一人で世の中で生きて行けるだけの力を身につけたら、奴隷契約を破棄するつもりだ。
将来的に一人で生きていけるようにするとして、今のカタリナに必要なものはなんだろうか。
それを考えて、とりあえずは、以下の三つを頑張ってもらおうと決めた。
まず、知識。
カタリナがまだ知らない、この世界の常識を学ぶ必要がある。
それに、四則計算と読み書きぐらいはできないとお話にならない。
次に、純粋な戦闘力。
これは魔術か剣術か、どちらか適性があるほうを学ばせようと思う。
どちらにも適性がなかったら、その時はまた考えるが……どちらかぐらいは人並みにできるようになると信じたい。
最後に、使用人としての基礎的な能力の向上だ。
オレの元にいる間は、主にカタリナには使用人として雑用をしてもらおうと考えている。
さすがにただ飯を食わせて勉強させるだけではダメだからな。
その代わり、働いた分は給料として貯めておき、カタリナがここを出ていくときにまとめて渡してやることに決めた。
無一文で放り出すのもかわいそうだし。
そんなつもりで奴隷を購入したオレだったが、カタリナのことをフレイズに認めさせるまでが少し大変だった。
カタリナを連れて帰ると、フレイズは激怒した。
「ガベルブック家の人間が、奴隷を買うとは何事だ!」と。
なるほど。
言いたいことはわからんでもない。
そこでオレは、自分の主張をフレイズにぶつけてみることにした。
「本当に奴隷のことを何とかしたいのであれば、ガベルブック家が率先して奴隷たちを手厚く保護し、社会復帰できる機会を与えるべきだと思うのですが、父様はどうお考えになりますか?」と言うと、フレイズは押し黙った。
さらにオレが、カタリナを世の中で生きて行ける力を身につけるまでの間だけ奴隷として手元に置いておくつもりだ、という旨を伝えると、渋々ではあるがカタリナを家に置くことを了承してくれた。
少し頭は硬いが、フレイズは理解のある親だ。
とはいえ、カタリナの意志がよくわからないのは問題だ。
あまりいないとは思うが、奴隷として主人に仕えることに自身の存在理由を見出している奴隷というのもいるかもしれない。
そういった奴隷たちにしてみれば、オレがやろうとしていることはとんだお節介になるだろう。
カタリナにはちゃんと、永遠にここに束縛しておくつもりはないと言ったのだが……もしかしたら理解していないのかもしれない。
問題と言えば、カタリナがオレに心を開いてくれないのも問題だ。
まあ、無理もないことだとは思う。
オレが逆の立場なら、相手に警戒心を抱いてしまうことは想像に難くない。
今はカタリナに勉強を教えている。
が、反応はイマイチ鈍い。
なんというか、自分のやっていることを理解していないような感じがするのだ。
とにかく、カタリナのほうは今のところあまり芳しくない。
そんなもやもやしたものを胸の内に抱えていた、とある日のこと。
いつものように庭で魔術の練習をしていると、それをずっと見守っていたヘレナに突然声をかけられた。
「ラルは、学校に興味はある?」
「学校、ですか?」
学校という制度がこの世界にも存在するのは知っている。
前々から興味もあった。
「ありますけど、学校は十二歳から通うものですよね? まだどこの学校に行くとかを決めるのは早くないですか?」
「実は、七歳から通い始める学校もあるのよ。ラルくんは同年代のお友達がクレア様ぐらいしかいないし、この機会にそういうところに行ってみるのもいいんじゃないかと思って」
なるほど。
ヘレナはヘレナで、オレに同年代の友達が少ないのを心配してくれていたわけだな。
いや、外に出してくれなかったのはヘレナ達なんだけど。
ようやく、そういった教育方針はオレには合わないと理解してくれたということなのだろうか。
それなら嬉しい。
なんにせよ、こんな話をオレが逃すはずもない。
「はい! 行ってみたいです、母様!」
「そう。それじゃあ、お勉強も頑張らないとね!」
「えっ」
あ。そうか。
学校ということは、もちろん筆記試験がある。
そのための勉強の時間を取らなければならないということに、今更ながら気付いた。
まあでも、何とかなるか。
カタリナに勉強を教える時間は減ってしまうが……。
そのときは、そこまで深刻には考えていなかった。
その日から、一日がかなりハードになった。
午前中は屋内で勉強の時間だ。
とは言っても、語学や計算は『言霊との調和』の能力と前世の記憶のおかげで全く問題ないし、歴史も幼少時に読んでいた本のおかげで特に苦労することはなかった。
別に学者や教師になる気もないので、勉強はほどほどでいい。
最初の方こそ真面目に勉強していたものの、すぐに空き時間で魔術の訓練をするようになった。
午後は剣術と魔術の訓練だ。
剣術はミーシャの実力にかなり追いついている実感がある。
力に至っては完全にオレのほうが上回っているし、ミーシャの技量の限界が見えていた。
細かい技術はミーシャのほうがまだ上だが、二年もすれば十分に追い抜けると思う。
魔術のほうも順調だ。
そろそろ風属性と土属性は中級に達しそうな感触がある。
最低でも、七歳までに全属性を中級にするところまで持っていきたい。
というのも、ヘレナが使える魔術が火、水、光の中級までで、それ以上となると教えることができないからだ。
おそらく、剣術、魔術ともに自分たちで教えられる限界が来ているのだろう。
七歳からは学校に通わせるべき、というのも至極まっとうな意見だ。
それでも七歳になるまでは目の届くところに置いておくつもりのようだが。
オレが忙しくなるのに伴って、カタリナの勉強時間を変更した。
前までは朝の時間にカタリナに座学を教えていたのだが、今は夜寝る前の時間に教えることにしている。
少し前まで、その時間中ずっとオレを独占していたキアラはかなり不満げだったが、オレがお願いすると渋々了承してくれた。
カタリナは少し怯えたような様子を見せながらも、オレの話は聞いてくれているように見える。
「じゃあカタリナ。十五足す七はいくつ?」
「えーっと……」
一生懸命考えているカタリナを、そっと見守る。
やがてカタリナは泣きそうな顔をしながら、
「……ごめんなさい。わかりません」
「よしよし、これはね……」
わからないことは、はっきりとわからないと言うように伝えてある。
わからなくても絶対に怒らない。
「この程度のこともできないのか」なんて絶対に言わない。
そんなことを言えば、この弱い少女はきっと潰れてしまう。
ペースはゆっくりだが、先に進むより基礎的な内容をしっかりと理解させることのほうがずっと大事だ。
カタリナの場合は、十二歳になるまでに小学校の内容を理解させていればいいので、多分何とかなる。
そんな生活を続けていた、ある日のこと。
その日もオレは、自分の部屋でキアラと遊びながらカタリナがやってくるのを待っていた。
「むむむ……」
キアラが盤面を見て唸っている。
最近は、前世で流行っていた遊びをこちらの世界にも輸出している。
土属性魔術で盤や駒(こま)を作成し、それに色をつけたら大概のボードゲームを再現することができた。
ちなみに今やっているのはオセロだ。
「……負けました」
キアラが口をへの字に曲げて降参の意を示す。
目の前の盤面は、ほとんど黒一色に染まっていた。
つまり、オレの圧勝だ。
「ふっ」
「あー! 今すごい馬鹿にしたような笑い方だったぁ!!」
「ソンナコトナイヨ」
聖母のような微笑みを浮かべながら、オレはキアラの頭を撫でる。
頬を膨らませながらも、黙って撫でられているキアラがかわいい。
そもそも、キアラを馬鹿にしてなどいない。
ただ、あまりにも弱すぎるから笑ってしまうだけなのだ。
これまでに、色々なボードゲームをこちらで作ってキアラと対戦してきたが、今のところキアラに負けたことは一度もない。
ぶっちゃけすげぇ弱い。
「そろそろカタリナが来るはずだから、今日はこれぐらいにしとこう」
「えー。ラルくん、もっとあそぼうよー。おねーさん寂しいなあ。ラルくんともっと遊びたいなぁー。……チラッチラッ」
そんなオレの態度が不満だったようで、キアラは背後からオレに抱き着いてきた。
柔らかくて温かい感触に包まれる。
この感触に包まれていると、本当にキアラが幽霊なのか疑問に思えてくるのは毎度のことだ。
「ほらっ、ぱふぱふとか興味ない? 私ならどんなことでもしてあげるよ?」
「キアラは、ぱふぱふできるほどおっぱいおっきくないだろ」
「ぐさっ!」
キアラはショックを受けたような顔をして、その場にへたり込んだ。
というか、口で『ぐさっ!』とか言う人初めて見たよ。
「ひどいよラルくん……気にしてるのに」
キアラは恨めしげにそう呟いて、オレのほうをジト目で見ている。
本当に気にしているのだろうか。
普段の言動から鑑みるに、全く本気の発言には思えないのだが。
というか、キアラが巨乳になるなんてもったいない。
キアラの魅力は、その少女の未発達な身体の中に、大人と少女の精神を内包しているその危うさにある、とオレは思っている。
控え目な胸も、その魅力の中の一部だ。
「いや、キアラはそのままのほうがいいと思うよ?」
「もう、そんなこと言っても私の機嫌は直らないんだからね。でも、今日はこのぐらいにしとこっか」
機嫌は直らないなんて言いつつも、オレの言葉で明らかに気を良くしているキアラ。
ちょろい。
それから適当に雑談しながら、しばらくカタリナが来るのを二人で待った。
「……カタリナちゃん、今日は来るの遅いねー」
「……そうだな」
しかし今日はいつもよりも来るのが遅い。
何かあったのだろうか。
やがて扉が開き、カタリナが部屋の中へ入ってきた。
「おまたせしました、ラルさま……」
だが、様子がおかしい。
カタリナの姿は、いつもよりも弱々しかった。
風邪の子供が無理をして立っているような、そんな印象を受ける。
「カタリナ?」
目を凝らしてみると、その原因がわかった。
カタリナの顔が汗でびっしょりと濡れており、頬も紅潮している。
それは、風邪の症状によく似ていた。
「おい、カタリナ。どうしたんだそれ」
「なんだかとても、からだがあついです」
言葉ははっきりと喋っているが、意識がぼんやりとしているように見える。
明らかに体調が悪い。
まあでも、大したことはないだろう。
幸いにも、オレは下級の光属性の魔術を扱えるので軽い風邪程度なら治せるし、オレが無理でも光属性の魔術を中級まで扱えるヘレナに頼めばなんとかなる。
「どれどれ……熱っ!?」
カタリナのおでこに触った瞬間、手が火傷したかと思うほどの熱を感じた。
なんだこれは。
ちょっと風邪をこじらせたとかそんなレベルじゃない。
これはヤバい。
そう直感したオレは、慌てて無詠唱で光属性の下級魔術をカタリナにかけるが、効果はなかった。
下級ではダメだ。中級か、それ以上の魔術じゃないと、この病気は治せないらしい。
「カタリナ、今日の勉強は中止だ。お前の部屋までオレが連れて行く」
「え? でも、おべんきょうしないと……」
「今日はいい。カタリナの体調が一番大事だ」
そう言うとやっと大人しくなったので、カタリナを負ぶさり、彼女の部屋に向かう。
きっと、カタリナはオレに捨てられることを恐れている。
役に立たない。
生きる価値がない。
オレに買われる前にかけられていたそういった言葉の数々が、繊細な彼女の心をゆっくりと腐らせていたのだ。
ならば、オレは絶対にそんなことは言わないようにしなければ。
「それじゃあ、もう今日は寝な」
「は、はい」
「おやすみ、カタリナ」
カタリナを彼女の部屋のベッドに寝かせ、オレはヘレナがいる部屋へと向かった。
事情を説明すると、ヘレナはすぐに行動を起こしてくれた。
だが、ヘレナの中級魔術を以ってしても、カタリナの病状はよくならなかった。
……本当に久々に、己の無力感を感じた。
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