第4章 だからその人や好きな人をどうにかするんじゃなくて

 

    1


 パーティ当日。クリスマス前日。

 じいさんに適当に理由を並べて車を借りて、ミツ姉を乗せて食材を運んだ。

 納家の山は、予想に反してしっかり道が整備されており、車で家まで横付けすることができた。獣道しかなかったら、俺が人力で何往復もかけて運び込む羽目になっていた。本気で助かった。筋肉痛は免れた。

 手前にある平屋は客用なので、そこをスルーして、奥の二階建てが納家の住居とのこと。

 客用なら別に手前の平屋で間違っていない気がするし、俺が最初に呼び出されたときはそっちだった。

 ん?

 客??

「客用っていうけどさ、君たちみたいな同世代の友人を呼ぶとこじゃないんだよ」玄関で出迎えてくれたタテマくんが、俺の疑問を先取りした。顔に書いてあったのだろう。「ヒントは、先代以前の納家の仕事」

「ああ、わかった気がする」

「モリくん? ぶつぶつ言ってないでとっとと運ぶ!」ミツ姉が車の荷台を開けながら声を上げる。

「将来は尻に敷かれるね」タテマくんが息を漏らして肩を竦める。

「もう遅いかな。行ってくる」

「いらっしゃい。楽しいパーティにしようね」ミフギさんは、長い髪を頭の上でまとめて、真新しいピンクのエプロンを付けていた。

「家で作ってきてもよかったんだけど、やっぱり出来立てのほうが美味しいしね」ミツ姉がほころんだように笑う。

 昨日の段階からミツ姉は食材を買い揃えていた。もちろん、俺は荷物持ちを買って出た。

「ケーキ!」ミフギさんが生クリームを指差して言う。

「オーブンあるよね?」ミツ姉が確認する。

「あるある。使ったことないけど」

 ミフギさんに案内されて、古いけど広い台所(キッチンていうよりそっちのほうが雰囲気に合ってる)に移動。

「普段料理って誰がするの?」ミツ姉が一通り調理器具と設備を点検する。

「叔父さん」ミフギさんが答える。「お母さんもあんまり。お姉ちゃんは上手だったかな」

 ミツ姉(とおまけのミフギさん)が料理を作る間、俺は買い出しがてらシマを迎えに行くことになった。

 え、俺?

「じゃあ代わりに作る?」ミツ姉が言う。すでに調理に取りかかっている。

「申し訳ございません。行かせて頂きます」

「いってらっしゃーい」ミフギさんが手を振る。

 てっきり付いていきたいとごねると思ってたのに。

 いいのか?

「代わりに僕が行っていい?」タテマくんが後部座席に乗っていた。

「シマに見えるっけ?」

「見えないようにすることもできるよ」

「じゃあそっちで。あ、シマを乗せてからでいいけど」

 シマが駅に着く時間までに買い出しを終わらせた方が効率がよさそうだ。

 クリスマスツリーと飾り付けを一通り。あとこまごまとしたお遣いを少々。

「ショックじゃなかった?」タテマくんが言う。窓の外を見つめつつ。「まさか自分の正体が半分呪いとか」

「これだけいろんなことに巻き込まれるとね。感情が追いついてない」

「姉ちゃんが消えたらちゃんと元に戻るからさ。それまでは無のままいても問題ないんじゃない?」

「ミフギさんは」

「知らない理由がないよね。僕もいるんだし」

「そりゃそうだ」

 駅で待機。大きな荷物を持ったシマがキョロキョロしながらうろうろしていたので、ウィンドウを下ろして手を挙げた。

「んじゃあまたあとで」タテマくんの気配が薄らいだ。

「車、持ってたんだ。免許も」シマが訝しそうに助手席に乗る。

 鼻の下までぐるぐるとマフラーを巻き付け、重そうな野暮ったいコートを着込んでいる。京都の冬はそんなに寒いのだろうか。

「免許は夏休み。車はじいさん。荷物、後ろ置いていいよ」

「ホントにあの家でやるのか?」

「少なくとも俺以外の女子二人は。いまごろ台所は戦場だろね」

 しばらく無言で走った。

 シマはてきぱきとマフラーとコートを外し、神経質に畳んで後ろのシートの上に置いた。

 濃い色のセーターが、シマの深い色の髪によく似合った。

「ちょっと遠回りできるか?」シマが言いづらそうに言う。

「もうやってるけど?」

「あ、うん。そっか」

 ギスギスした雰囲気のままパーティに来るなというミツ姉の隠しミッションをひしひしと感じる。

 達成したい気概はなくはないのだが。

「俺の呪いをどうにかするために、別れるとか言ったんだろ?」俺から先に話題を振る。「お陰でもうなんともないよ。悪かったな。言いたくもないこと言わせて」

「どうせ別れる予定だろ? ちょっと早まっただけだ」

「俺と別れることと、ミフギさんとお前が結婚しなきゃいけないのは別の問題だと思うがな」

「でもあのときは、そうしないとお前が」シマが悲痛そうな顔で訴える。「勝手なことして悪かった。お前に相談したってどうしようもないって思って」

「確かにどうしようもなかったかもな。俺だってわけのわからんことに巻き込まれて呪い殺されるのは嫌だし」

 じゃあどうすればよかったのか。

 どうすればいいのか。

「俺に考えがあるんだけど、ちょっと任せてくんない?」

「何をするつもりだ」シマが心配そうな顔をする。「お前だけに背負わせられない。私にも」

「いや、お前が出てくるとややこしいことになんだよ。ミフギさんと話すだけだから」

「何を話すんだと聞いてる。自分を犠牲にするのなら許さない」

「それお前が言う?」

 市内の地図なら頭に入っている。どこをどう進めばどこに辿り着くのか。

 人生もそんな感じだと楽なんだが。

「私から婚約を破棄するのは無理だ。家同士が決めたことだから」シマが静かに首を振る。「相手方からケチが付けば一番いいんだが」

「要はミフギさん側から断ってくれればいいわけだろ?」

「だからそれが無理だって」

 横目でシマと眼線を合わせて頷いた。

「任せろって。俺がいままでうまくいかなかったことなんかないだろ?」

「方法を聞かないと信用できない」

「ショック受けないで聞いてほしいんだけど、俺とミフギさんはさ、もともと一人のニンゲンで。ミフギさんのお袋さん――つまり納家の先代が半分に分けて、その片割れ――要するに要らないほうを俺のお袋にあげたらしい。お袋は死産だったって」

 シマの表情は。

 停止。

「だからなんつーか、姉弟っていうより、同一人物ってほうが正しいのかな。あんま似てねえからそうは見えないかもだけど」

「私を謀るにも限度がある。現実的な話をしてほしい」

「え、信じてくれてない?」

「荒唐無稽にも程がある。第一人間を半分に割る?饅頭じゃあるまいし。そんなことをする意味がわからない。それなら双子と言ってくれたほうがまだ信憑性がある」

 なるほど。そう言って誤魔化せばよかったのか。

 時すでに遅し。

 シマが疑り深い眼で睨んでくる。

「あの女と血のつながりがあるんだな?」

「らしいね。俺もけっこうビックリしてる」

「出来れば知りたくなかったな」

「だよな。ごめん」

「謝るくらいなら言うなよ」シマが溜息を吐く。「もういい。向かってくれ」

 それから他愛ない話をした。

 最近あったこと。さほど重要でもないトピック。そんなに盛り上がらない話題。

 どれもこれも次の瞬間には忘れてそうな内容だけど、この時間がとても愛おしかった。

 お陰で再認識できた。

 俺は、

 シマが大切だ。

 この存在は己がすべてをかけて守るに値する。

 納家の山に到着。

 家の外にもいい匂いが漂っている。これはビーフシチューと唐揚げだ。

 玄関にミフギさんがポツンと膝を抱えて座っていた。

「あ、シマくん。いらっしゃい」

「お邪魔します」シマが一瞥だけして靴を脱ぐ。

「あれ? ミツ姉の手伝いは?」

「追い出された」ミフギさんがしょげたように言う。ピンクのエプロンを丸めて握り締めている。「今度基礎からゆっくり教えてくれるって」

「うわー、ミツ姉超スパルタだけど大丈夫?」

「うぅ、がんばる」

 テーブルに豪華な料理が並んでいた。ビーフシチューと唐揚げは大当たり。フライドポテト、ベーコンサラダ。いつもの食事会と違って、若者向けの油の多い料理だった。

「おかえり」ミツ姉が台所からのぞいた。「手が空いてる人は、ツリーと飾り付けお願いね」

「はーい」唐揚げをつまみ食いしようとした手を。

 ぱしんと叩かれる。

「働いてからのほうが美味しいよ」ミツ姉が言う。「ほら、早くする」

「へいへい」

 買ってきたツリーを組み立てて、電飾を巻き付ける。大掛かりな作業は俺とシマで。細かい作業はミフギさんが担当した。

「シマくん。これ、テッペンに」ミフギさんが飾りの星をシマに渡す。

「確かにモリより私のほうが背が高いが」シマが俺を見る。

「なんだよ。嫌味だな。でっかいのはお前んとこの家系だろ?」

 ミツ姉が俺を呼んでる。本日のメインディッシュ、ケーキが焼き上がった。

「ごめん、ちょいっと行ってくる」

「ああ」シマが星を取り付けながら言う。

 台所では、苺と細かく切ったキウイとバナナとチョコチップがケーキに載せられ待ちをしていた。

「そっち順調?」ミツ姉が手際よく生クリームを絞り出す。「ああ、ちゃんと手洗ってね」

「ねえ、なんでいつも俺にやらせてくれんの?」

 ケーキやお菓子を作るときはいつも。

 製作ミツ姉。

 トッピング俺。

「モリくん、こうゆうセンスいいの気づいてない?」ミツ姉が驚いたように顔を上げる。「絵も昔から得意だったし。最近また描いてるでしょ?」

「人のスケッチブック勝手に見るの、よくないと思います」

「ごめんごめん。でも出しっぱなしにするほうがいけないと思いまーす」

 駄目だ。屁理屈大会は女子に勝てない。

「こっち終わった」シマがけだるそうに台所の壁にもたれる。

「わー、美味しそう」ミフギさんがぴょんぴょん跳ねながら近づいてくる。「やっぱりミツアちゃんスゴイね。ケーキ屋さんにもなれるよ。わたし、毎日買いに行っちゃう」

「そう? ありがとう。でも毎日食べてたら太っちゃうよ」

 すべての料理が揃った。

 パーティはぬるっと始まった。

 直前の労働が功を奏したのか、みんな話もそこそこに黙々と食べた。とにかく腹が減っていたし、ミツ姉の料理はいつもながらどれもこれも美味しすぎた。次々皿が空っぽになるのを、ミツ姉がなんとも言えない表情で眺めていたのが印象的だった。

「あーもー食えない。こんな美味いの毎日食ってたら中年の俺の腹周りやばいよー」

「毎回同じ感想しか言えなくて申し訳ないが、美味しかったよ」シマが淡々と言って立ち上がる。「片付けは私たちに任せてあとは休んでいてくれ」

「え、いいの? じゃあお言葉に甘えちゃおっかな」ミツ姉が機嫌よさそうに笑う。

「私たちってのにそこはかとなく俺が入ってる気がする」

「当たり。さ、腹ごなしに運動するぞ」シマが俺の肩をぽんと叩く。

「あの、わたしも手伝うよ?」ミフギさんが空いた皿を重ねる。

「食器を拭いたら呼ぶよ。どこに戻せばいいかわからないから」

「う、うん」シマの鋭い眼線にビビって、ミフギさんはそれ以上動けなかった。

 シマが率先してこうゆうことを率先してやるときはたいてい。

 別の狙いがある。

「プレゼント、買ったんだけど」シマが食器を洗いながら言う。眼線は手元で固定したまま。「絵、また描いてるの、知らなかったから」

「なんだよ。お前が用意してくれたんなら何でももらうよ」俺が食器を拭く係。

「何、描いてるんだ?」

「えー、まだヒミツ」

「完成したら見せてくれる?」

「時間かかるよ」

「待つよ」

「久々だから、勘を取り戻すのが大変でさ」

 シマがくれたのは、レザーのキーケース。

 俺に守るべき場所が多くなって、その分鍵も増えたことを気にしてくれていたらしい。

「ありがと。さっそく使わせてもらうよ」

「モリは、誰に買ったんだ?」シマが言う。

 そうか。これが本題。

「気になる?」

「いじわるするなよ」シマが拗ねたような顔をする。

「ねえ、お皿洗うの時間かかりすぎてない?」ミツ姉が台所をのぞきこんでいた。

 その後ろにミフギさんが隠れているのが見えた。

「ちゃんと段取り守ってほしいなあ」ミツ姉が肩を竦める。「ちゃんと交換会の時間設けてるのに」

「はい、すみません」二人で謝った。

 食器を片付けてからパーティ会場へ戻る。

 やばい。

 超居心地悪い。

 シマは俺からプレゼントもらえるって信じてるし、ミツ姉は俺からはもらえないんじゃないかって諦めてるし、ミフギさんはシマに渡したくてうずうずしてる。

 とりあえず、シマからもらったキーケースを、ズボンのポケットに仕舞った。

「えっと、まず?」誰も口火を切ろうとしないから仕方なく俺が。

「はいはい! わたし!!」ミフギさんが前のめりに立ちあがった。「あのね、シマくん。これ」

「中身何?」シマが興味なさそうに言う。

「え、あ、うん。開けてみて?」

 手のひらサイズのプレゼントボックス。

 シマは一瞬見ただけで手に取ろうとはしない。

「もう一回だけ聞くよ。中身は何?」

「え、あの」

「指輪だったら要らないけど?」

「違うよ」みふぎさんが反射的に首を振る。

「じゃあ、何?」

「開けてみて?」

 無駄な押し問答だとわかったのだろう。

 シマが深い溜息をついてから包みを解く。

「へえ、なるほど」ミツ姉が言う。

 中身は。

 真っ黒い数珠。

 もともと指輪が入っていたとしか思えないサイズの容れ物に、数珠がぎゅうぎゅうに詰まっていた。

「これ持っててくれたら、わたしがいなくなってもシマくんに呪いは取り憑かないから。お守り代わりにしてくれると嬉しいな」そう言って、ミフギさんは寂しそうに笑った。

 お次はミツ姉。相手はミフギさん。

 綺麗な石が散らばった髪留め。

「わあ、かわいい」ミフギさんはいろんな角度から髪留めを眺める。「わたし、あんまり髪まとめないんだけど、これだったらかわいいからやってみようかな」

「デートで使ってくれていいんだよ?」ミツ姉がシマとミフギさんを見ながら言う。

「うん、そうする!」

 全身で喜びを表現するミフギさんを横目に、シマがうんざり顔で眉を寄せた。

 そして、最後は。

 相変わらず優柔不断な俺。

「ごめん、選べなくてさ。みんなに用意した」持ってきた紙袋をテーブルに載せる。「まずは、ミフギさん」

 水晶のチョーカ。

「え、これ、けっこう高い?」ミフギさんが俺と水晶を見比べる。

「得意先にうんと勉強してもらったから大丈夫だよ。いままで迷惑かけた分も込み込みで」

「付けてみてもいい?」

「あたし、つけたげる」ミツ姉がミフギさんの後ろに回った。「はい、よし。鏡見て来ていいよ」

 足取り軽く鏡を探しに行くミフギさんの背中を、四つの眼が一種類の感情で刺していた。のがわかって逃げ出したい気分になった。

 やばい。

 渡す順番を間違えた。

「モリ」シマが言う。睨みながら。

「モリくん」ミツ姉が言う。怖い顔をしながら。

「はい、お待たせしました。お二人のはこちらです」同時に渡した。

 シマには、シンプルなデザインの腕時計。

 ミツ姉には、トップに指輪が付いたネクレス。

「二人にもいつも世話になってるんで」

「モリくん、これって」ミツ姉が顔を紅くして、震える手で鎖に触れる。

「そろそろそうゆう心づもりでって形でも伝えたほうがいいのかな、て」

「そうゆうのは二人っきりのときに渡すべきじゃないのか。いつまで経ってもデリカシーが身につかないな」シマが腕時計を嵌めながら言う。「ありがとう。ところで金額はみんな同じくらいって認識で合ってる? それとも最高額と最低額に相当な格差がある?」

「プレゼントは金額じゃないだろ? いちいち嫌味な奴だな」

 シマの皮肉は照れ隠しだ。満更でもない様子で付け心地を確かめている。

 ミツ姉はそれ以上何も言えなくなるくらい眼を輝かせてくれている。

 とりあえず。

 セーフ?

「見てきた!」ミフギさんが戻ってきた。「モリくんありがとう! 水晶って魔除けになるの。知ってたの?」

「いや、似合いそうだったから」

 たぶん、今日で。

 四人揃って会うのは最後になる。

「あ、そうそう。写真撮らせて」ミツ姉が鞄からカメラを取り出す。「ここ暗いから、縁側に並んで」

 俺もシマも気が進まなかったが、ミツ姉が撮るというのなら撮るしかない。抵抗が一切の意味を成さないことは、俺とシマが一番よくわかっている。

 俺とシマが横並びで座った後ろに、ミフギさんが立った。

「ミツアちゃんは?」ミフギさんが心配する。「一緒に撮らないの?」

「あたしたち三人の写真はそれこそアルバム何冊分もあるからね。ミフギちゃんと一緒に撮りたくて」

 メンバーを入れ換えて交代で撮った。

 全部の写真にミフギさんを映して。

 そんなこんなで夕方近くなったので解散になった。ミツ姉とシマを家まで送って。

 納家の山にもう一度戻った。

「あれ? どうしたの? 忘れ物?」ミフギさんが車の音を聞きつけて外に出てきた。

 二階の窓からのぞいていたタテマくんが、無感情にカーテンを引いたのが見えた。

「だいじな話があるんだけど」

「いいよ」ミフギさんは躊躇いなく頷いた。「夜な夜なシマくんのところに可愛いサンタさんが行くから、それまでなら」

「まだ諦めてないわけね」

「協力してくれるんじゃないの?」

 初めて呼び出されたときから感じていた。感じないようにしていた。

 この山には、

 代々呪いを封じる巫女が住んでいる。

「呪いってさ、祓ってないんならさ、全部ここに溜め込んでるんじゃない?」

「そうだよ」ミフギさんの声音が低くなった。「だから代々それを抑えとくが要るの。わたしが女の子を産まないと、呪いが溢れてどうなっちゃうかわかんない。それが終わればわたしはどうなってもいいの。だってわたしが女の子を産んだら、わたしは消えてなくなって、モリくんが元通りになるの。お母さんはね、わたしの幸せとか考えてなかったの。幸せになる必要なんかなくて、ただ、女の子を産んで消えてなくなるだけのでしかないんだから。そんなわたしにね、幸せになっていいって言ってくれたの、シマくんだけだったんだ。うれしかった。もうこの人しかいないって思った。だからね、お願い。邪魔しないで」

「あのさ、もしや、俺がシマを好きなのって」

「わたしとモリくんは同じなんだよ? 好きな人だって同じになるでしょ?」

 ああそうか。

 じゃあ。

「ごめん、可愛いサンタさん、いってらっしゃい」

 ミフギさんは、にっこりと笑って2階に向かって手を振る。

 瞬きの間にタテマくんが現れて、ミフギさんを追う形で山を降りた。

 駄目だ。

 任せろって言っておいて、何もしてないどころか、送り出してしまった。

 どうすれば。

 どうすればシマを守れる?

 俺が、

 先に、

 子を成せば。

「だからそれは駄目だってゆわれたんじゃない?」タテマくんの声が天から降ってきて。

 視界が暗転した。












     2


 17時。

 クリスマスイブの会合が終わって、実家に帰る。

 のが嫌だったので、モリが任されている支部の前で待つことにした。

 ミツ姉が乗っていたので、大人しく実家の前で降ろされたふりをして、車が見えなくなったのを確認してから移動した。

 我ながら完璧だった。

 まったく同じことを考えている人間がもう一人いたことを想像できていなかったことを除けば。

「シマくん?」ミツ姉がバツの悪そうな顔をして手を引っ込めた。

 その手には。

「鍵、持ってるんだよね? ちょうどよかった。私も待たせてもらいたいんだ。まさか寒空の下に弟分を放り出すなんて非道な真似しないよね?」

「シマくんもう少し遠慮ってものをしてほしいなあ」ミツ姉はぶつぶつと文句を言いつつも開けてくれた。

 そうゆうところが私たちのたる主たる要因なのだが。

「お構いはしないよ」ミツ姉は勝手知ったる手つきでお湯を沸かし始めた。「お客さんじゃないもん」

「ここは具体的に何をする部署なんだ?」

「なんでも屋さんだよ。モリくんから聞いてないの?」

「ここは私と入れ違いで作ってもらったんだろ? わざわざ尋ねなければ聞けないよ」

「聞けばいいじゃん。こないだお持ち帰りされたときとか」

「根に持ってる?」

「そりゃあ、未来のお嫁さんとしてはね」

「弱ったな。身体以外の関係はないよ」

「それが一番困ってる内容なんだけど」ミツ姉がコーヒーを淹れてソファに座った。

 気のせいでなければ、二つ目のコーヒーカップを私の見える所に置いた。

「ありがとう。寒くて凍えそうだった」

「別に。いつものクセで2杯分淹れちゃっただけだし」ミツ姉がそっぽうを向いてコーヒーを啜る。

 相変わらず身体を内側から温めるのが得意だ。

 ミツ姉は、そうゆう人だ。

 事務所の電話が鳴った。

 特段急ぐでもなく慌てるでもなくミツ姉が受話器を取る。いつもこうやってモリのサポートをしているのだろう。想像に易い。

「はい、岐蘇キソ不動産鎌倉支部です。て、あれ?モリくん? どうしたの? うん、別に大丈夫だけど」ミツ姉の視線が私で止まる。「ううん、そうじゃなくて、うん、シマくんが来てる」

 なんであいつは自分の事務所の回線を自分で埋めているんだ? クリスマスイブが臨時休業なら問題ないが。

「え? あたしが? 別にいいけど、用件くらい自分で言ったら?」ミツ姉が受話器を差し出す。「シマくん、モリくんから」

「はいはい」受話器を受け取る。「お前、ミツ姉を伝書鳩に使うなよ」

「なんのために実家まで置いてきたのかわかんねんだけど」

 モリの声は何故か切羽詰まっていた。

 一瞬で、

 異常事態を感じとった。

「あ、いや、実家戻るより、そこにそのまま居てもらったほうが意表を突けるかもだしな。鍵かけて閉じこもってくれ。誰が来ても絶対に」

「上手くいかなかったんだな?」

 だいたいわかった。

 モリが失敗して、

 ミフギが私を襲いに来る。

「ホントごめん。ミツ姉に代わって?」

「失敗した言い訳を聞いてる時間はなさそうだな。わかった」ミツ姉に受話器を返す。「はい」

「もういいの?」ミツ姉が受話器と私を見比べて、恐る恐る受話器を耳に当てる。「あ、うん。わかった。帰ればいい? え、ほんと?いいの? でもちゃんと守ってよ?」

 ミツ姉に席を外させるためにミツ姉の望みそうな内容で釣った。

 予想。

 婚約指輪を買いに行く。

「約束だからね。うん、指がフリーのまま年越したら焼肉も追加させるからね?」

 やばい。

 ミツ姉とだけは焼肉に行ってはいけない。

 店側が悲しい思いをする。そのくらい食べまくる。

 そして、付き添いの財布が空っぽになる。

「あれ、モリ君?」受話器を持ったままミツ姉が私をじっと見つめる。「ミフギちゃん?なんで」

 何を言っているかわからなかった。

 だってまるで、

 そこに。

 私のすぐ後ろに、

 モリもミフギもいるみたいな口調だったから。

 振り返る。

 途中で、口に。

 ぬらりと何かが侵入ってきた。

 舌と唾液が絡まる。

 至近距離で見えた睫毛はモリにしか見えないが、モリはこんなに下手くそじゃない。

 とするなら。

 振り払って肘鉄を食らわせた。

 その存在は、抵抗なく床に尻餅をついた。

 輪郭がぼやけて、モリとミフギの姿が二重に合わさる。

「なに? なにが」ミツ姉が混乱を来たして、あろうことかコーヒーをソファにぶちまけている。

「ミツ姉、ごめん。間に合わなか」そこまでモリの声で聞こえて。「ミツアちゃん、お家に帰れって言われてなかった?」そのあとはミフギの声だった。

 どっちだ。

 どちらが喋っている?

「ミツアちゃんはわたしのお友だちだから邪魔しないよね?」モリの外見からミフギの声がする。

「ミツ姉、頼む。シマを置いて家に戻っててくれ」ミフギの外見からモリの声がする。

 そういえばわけのわからないことを言っていたような気がする。

「同一人物ってのはあながち嘘でもないのか」

 停止するしかできないミツ姉の手を引いて、屋外に出す。

 間もなくしてどんどんとドアを叩く音がした。ミツ姉がここを開けろと叫んでいる。

「大丈夫だから! 任せてほしい」ドアを壊される前に大声を上げた。「モリはちゃんと連れ戻すから、だから」

「うん、家で待ってるって、ゆっといてね」ミツ姉からの返答は案外すんなりで。

 階段を下りて行く靴音が遠ざかった。

 諦めたというより、託したって感じだろうか。願わくば余計な応援を呼んでこないことだが。

 その前に、片を付ければいいのか。

「シマくん、やっと」モリの姿をした女がしなだれかかる。

「シマ、悪い」ミフギの姿をした男が泣きそうな顔をする。

「ミフギさん、確認だけど私と結婚したいというのは、最終目的が達成されれば必ずしも必要がないのかな」

「結婚したいけど、子ども産むとわたし、消えてなくなっちゃうから」ミフギの声が言う。「結婚してもね、全然一緒にいられないし。それならいいかなって。子ども産むほうがだいじだし」

「モリを人質に取ってる君には愛想が尽き果ててるのがわからないのかな」

「全部終わったら返すよ?」

「終わる前に返せって言ってるんだけど」

 この女の首を絞めたら。

「やめたほうがいいよ。モリ君も死んじゃうから」

 知ってるような知らない声がした。

「子どもさえ産めば、姉ちゃんは消えるし、モリ君も元に戻るよ。だったら何をすべきかわかんじゃない?」

 姿は見えない。

 でも声は、気のせいでなければ私の声によく似ていた。

 脳内から聞こえる幻?

「はじめまして?シマくん」

「自己紹介はいい。その子どもは誰が育てるんだ?」疑問をぶつけて時間稼ぎをしようと思った。

「僕」

「君は誰だ?」

「ほら、自己紹介必要じゃん」青年が姿を現す。

 透明な霧が像を結ぶ。

 見た目だけなら、

 私にとてもよく似ている。

ノウ猛天幡タテマ。僕は納家がこれまで祓った、もとい吸収してきた呪いの総体でね。見た目こそ姉ちゃんがシマくんそっくりに捏ね繰り回したけど、中身はさ」

 ぞわりと背筋が凍りつく。

 祟りや厄災の類の禍々しいアレだろう。

 存在から悪意しか読みとれない。

「呪いが集まってそこに生まれた人格なんて、想像するまでもないんじゃない?」

 モリとミフギの輪郭が重なる。

 いまはそうゆう状態なのだろう。

 俯いていて顔が見えない。

「いいよ、姉ちゃん。欲しいもの、手に入れておいでよ」タテマが手を振り上げたのを合図に。

 モリの形をしたミフギが飛びかかってきた。

 避けようとした私の足がソファに引っ掛かり、背中をソファにのめり込ませる結果となった。

 ミツ姉がコーヒーをぶちまけていないほうのソファでよかったとは言え。

 ミフギが私に覆い被さる。

「正気に戻れ。こんなことをして、本当に呪いとやらがどうにかなると思っているのか」

 重さはないのに、力はそこそこ強い。

 まるでモリと取っ組み合いをしているかのような。

「うん、けっこうどうにかなるよ。いままでずっとどうにかなってるんだから」タテマがソファの背もたれに軽く腰掛ける。「呪祓いの巫女の本当のトコを言っちゃうとさ、その辺にいた行きずりのテキトーな男――触媒との性行為によってトランス状態に入って、呪いを胎内に封印するのがもともとのお役目。封印できる呪いは巫女によって個体差があるから、限界を超える前に触媒の精子で子を成して、子に呪いを受け継がせる。つまりさ、巫女は自分の代で新規に封印してる呪いと、代々受け継いでるビンテージものの呪いの二層構えってわけ。ただ、代を重ねるごとに凝縮される年代物のほうだけに気を取られてると、新規の呪いを胎内に迎えられないから、それはそれで勝手が悪いんだよね。常に新しいものを取り入れないとさ、中も外も腐っちゃうしさ」

 とりもちみたいに離れない。勝手に私のアパートに押しかけていたときと段違い。

 ベルトとズボンはすでに剥ぎ取られた。

 あと一枚しかない。

「腐るというのは、比喩表現か?」

「水だと思ってくれたらいいよ」タテマがミフギの長い髪の毛を弄びながら言う。「常に流れてないと汚染されて異臭がしてくる。理想は、溜め池より湖、暗渠より河川や湧き水。究極は海かな。なかなか海の状態になれた巫女は歴代を振り返ってもいなかったけどね」

 ミフギだけが襲ってくるなら実はそんなに怖くないし過ちも起こり得ない。

 でも、モリがいるなら話はまるで違ってくる。

 まずい。

 これでは、用を成せてしまう。

「姉ちゃんには悪いけど、最初からこうすればよかったんだよね」タテマがこちらを見下ろしながら言う。

 床の上に絨毯。

 その上にソファ。

 その上に私。

 その上にモリ。

 ミフギの気配がない。

 タテマがわざと消したのだろう。

 お陰で、本当にまずい状況に陥っている。

「いつもと逆?」タテマが鼻で嗤う。

「いちいち報告しなければいけないことか?」

「ごめんごめん。僕がいると気が散るよね。んじゃ、終わるころにまた」タテマが霧みたいに消えた。

 これでもし内部が女のそれだったら萎えて終わりで済んでいたのだが。

 入っている。

 入ってしまっている。

 やめてほしい。

「お前が本当にモリなら、私の嫌がることをしないでもらいたい」

 動きが止まった。

 表情は相変わらず見えないが、小さくうめき声をあげている。

 もしや、効果があったか。

「モリ? 聞こえているんだろ?」可能な限り冷静に柔らかい声音を心がけた。

 私は怒っていない。

 怒ってはいない。

「呪いなんかに操られてる場合じゃないぞ」手を伸ばしてモリの頬を撫でる。「戻ってきてくれ。そうしないとお前の財布が間違いなく空っぽになる」

「いや、それ、めちゃ、こまる、こんげつは、しゅっぴ、が」途切れ途切れだがちゃんとモリの声だった。

 もう一押し。

「指輪も買いに行くんだろ? たぶんだが、ミツ姉の焼き肉代より指輪買ったほうが安上がりだと思うがな」

「マジみたいなホントの話なんだよな」モリがはあ、と深い溜息を私に吹きかける。「悪い。引き抜くからちょい待ってろ」

 抜くときに妙に中がこすれて。

「あ」

 出た。

「あ、じゃねえよ」モリが眉間にしわを寄せて凄む。「でイってんじゃねえよ、この童貞が」

「私に文句を垂れる前に処理してきたらどうだ? まだ間に合うかもしれない」

「うるせえよ。服着とけよ!」

 モリが上階にシャワーを浴びに行った。

 1階が喫茶店。ここだけ貸し店舗。

 2階が支部の事務所。

 3階がモリの住居(仮)。

 ミツ姉と結婚したら3階は貸店舗にするのだろうか。

「お前、間に合ったと思うか?」モリが下半身にタオルだけ巻いて戻ってきた。

「さあ、間に合ってることを祈ってるが」

 沈黙。

 さっきまでやっていたことを考えないようにしながら。

 気まずい。

「か、帰るわ」こうゆうときに先に口火を切ってくれるのがモリ。「いや、違うじゃん。ここ俺ん支部だからお前が帰れ」

「実家ヤだったから来たんだけど、今日は帰った方がいいかもな」荷物を持って立ち上がる。「あ、でもシャワーだけ浴びさせて」

「好きにしてくれ」モリが項垂れて上の階を指差す。

 あの女もとい呪いの総元締めが侵略して来なければ、今夜ここに泊めてもらえたのに。

 実家は気が重い。

 熱い湯を浴びたら少しすっきりした。

 借りたタオルからモリの匂いがしてちょっとほっこりした。

 明日になったらまたここに来てもいいだろうか。

「ホントに悪かったな」モリは、外付け階段の下まで見送ってくれた。

「私の童貞があの女に取られなかったのは、不幸中の幸いかもな」

「よかった。いつものお前だよ」モリが肩を竦めて口元を上げた。「あーあ、ミツ姉になんて説明したものか」

「説明はいいだろ。それより明日の予定を立てて誤魔化せよ」

「なるほど。天才だな、お前」

「それほどでも。じゃあ、また」

「あのさ、大晦日にお前んとこに除夜の鐘聞きに行ってもいい?」

 立ち去ろうとした背中にそうゆう期待させるような言葉で包まないでほしい。

「鐘ならどこでも聞こえるだろ? ただまあ、ミツ姉連れてきてくれるなら、寺の連中も喜ぶんじゃないか? 年越しそば的な意味でも雑煮的な意味でも」

「わーった」モリが頷く。「エプロン持ってくと美味いもん食えるってそれとなく言っとくよ」

「その美味いもんを作る本人にか?」

「あとで怒られるの、慣れてっし?」

 モリの優しさに甘えては駄目だ。

 適度な距離を保って、何十年か後に腐れ縁だとか言えるような絶妙な関係に昇華させなければ。

 19時。

 けっこう時間が経っていた。外の暗さがあまり変わってなかったのでそんなにわからなかったが。

 気が重い実家は、相変わらずの空気感で。

 境内に踏み込んだときに、背筋に寒気が走った。

 これは、

 さっきの。

「お疲れ様」タテマだ。「そのまま泊まると思ってたけど」

 この寒空の下、防寒具もなしのシャツ1枚。血の気のない真っ白の顔。

「まだ何か?」

「大晦日の予定、姉ちゃんにくれない?」

「口いっぱいに血の味を味わいながらデートを見守るより有意義なことなら」

「呪いの巫女の最期の仕事」タテマが悪意をたっぷり滲ませて言う。「呪いの総代の僕と結婚する。結婚式だよ」

「私に参加を要請する意味は?」

「わかんない? 君の写し身の僕が納家現当主と婚姻するってことは、君と姉ちゃんの結婚式てことになるんだけど」

 だからなぜそうなる?

「その姿はあの女が勝手に」

「姉ちゃんが創ったのは、君の幼いときの、姉ちゃんがフラれたときの姿だ」タテマが言う。「姉ちゃんはその姿のほうを気に入ってた。思い出ってやつなのかな。でも僕は成長させた。なぜか。10歳のままじゃ出来ないことがあった。もうわかってるんじゃない?」

 眩暈がする。

 吐き気がする。

 頭痛がする。

 虫唾が走る。

「でも」

には関係ない?」タテマが見透かしたように言う。「呪いをあまり軽視しないほうがいいよ。割と何でもできるから。他人を陥れることは得意中の得意だし、闇に引きずり込むのなんか愉しくてしょうがない。要はさ、君をこちら側へ堕とせれば、納家の今後とゆうか呪いの未来が安泰になるんだよね」

 来るな。

 寄るな。

「そう身構えなくていいよ」タテマの口が裂ける。闇の中に浮かぶ三日月のように。「単純な話。その身体、僕にちょうだい? ずっと死にたかったんでしょ? ちょうどいいじゃん」

 夜の闇が降りてくる。

 あらゆるものを覆い隠して。

 そう、モリにも言っていない。

 でもモリは気づいてた。

 気づいてるからこそ私が死なないように私と恋人ごっこをしてまで死を遠ざけようとした。

 一番死にたい自分自身に蓋をしてまで、私を生かそうとしてくれた。

 たぶんこれが最初の、

 モリが他人のためにした救済。

 呪いの総代が私を実家におびき寄せてからこれを持ちかけたのはさすがと言わざるを得ない。

 この場所にいると私は、異様なまでに不快感が強まる。

「ねえ、君をレイプするのって、仏教の戒律的なやつには反しないの?」

















     3


 昨日のクリスマスイブは、とにかくとんでもないことになった。

 思い出にしたいことと、思い出したくもないことと。

 デキてないよな?

 大丈夫だよな?

 クリスマス当日。

 シマの助言に従って、ミツ姉を連れて、馴染みの宝飾店に足を運んだ。

 ついこないだ来たばっかだったから、オーナーにはすごく喜ばれた。

 金額的にお手柔らかに。

 してもらえたのでなんとか、俺の財布とミツ姉の笑顔は守られた。

 ミツ姉は眼を輝かせながら上から下から横から指輪を見つめている。

 俺よりも指輪のほうがいいのかって聞いたら、嫉妬してくれてるの?と逆に喜ばれる始末。

 ミツ姉が機嫌いいならいっか。

 心配なのは、シマのこと。

 実家にいるなら電話するわけにいかないし、こっそり見に行くのも気が引けるし。

 さて、どうすべきか。

 焼き肉じゃない店で昼食を摂って(奢って)、ミツ姉を家に送り届けてから、なんとなく。

 こないだ依頼を解決した美術館に行った。

 15時。

 閉館は17時なのでまあぎりぎり。

 館長へそれとなく挨拶して展示室へ。

 こないだ来たときは仕事だったのでしっかり見れていなかったのがちょっと引っかかっていた。

 とゆうか、自分の絵のインスピレーションの手がかりになればとゆうのが本音。

 屋外に彫刻が多かったので彫刻中心の美術館と思いきや、室内には絵画もちらほら。

 絵は、ただの趣味の領域でしかなく。

 技術を磨こうだとか、なんらかの賞を取りたいだとか、誰かに見てほしいだとかもまったくない。

 描きたいから描いてるだけ。

 なのでミツ姉とかシマとかに見られると滅茶苦茶恥ずかしい。

 小学校のとき、図工の時間に描いた絵(何の絵かも忘れた)を学校が勝手にコンクール的なものに応募して、市立美術館に飾られたことがあった。そのときも恥ずかしくて恥ずかしくて、結局見に行けなかったくらい。

 兄――小張エイスが、まだまだ知名度が低いとは言え、彫刻家だと知ったときはビックリした。

 親父もお袋もじいさんもどうかは知らないが、芸術家の血とゆうかセンスみたいなものは皆無だと思っていたから。

 エイのお陰で、自分も絵を描いてもいいのかもと思い直せた。

 肖像画とゆうとおこがましいけど、似顔絵とゆうには似て非なるものだけど、人の顔を描くのが好きらしい。

 モデルを見ながら描くんじゃなくて、その人のことを思い出しながら記憶で描く。

 相手のことをよく知らないと描けない。

 描きたいなと思った人のことしか描けない。

 いま描いてるのは、実は。

「え、ちょっと、なんで」突如エイの姉貴が現れた。

 バイク乗りらしい防寒具に身を包んで、手にバインダーを持っている。

 展示を見終えて外に出て、屋外彫刻を見ながら建物をぐるりと一周していたところに遭遇した。

 薄暗い外灯がちらつく。

 17時前。

 そっちには確か美術館の関係者口があったはずなので、こないだの彫刻のことのいろいろがまだ片付いてないのだろうか。

「ただの客です」正直に言った。

「はいはい、わかった。そうゆうことにしといてあげるわ。じゃあね」

「エイの彫刻って、他にどこに行ったら見れますか?」

 展示してある彫刻を見ながら、ふと思い出した。

 そういえば、呪いのアレしか見ていない。

「は? なに? まだ関わろうとしてるわけ?」姉貴が明らかに顔をしかめた。

「ですから、ただの客です。こないだのはちょっと特殊な感じだったので、そうじゃないやつを見れたらと思って」

「絶対ウソ。何か裏があるんでしょ? あの子を利用しようとか考えてるんじゃ」

「信用してもらえてないのは仕方ないですけど、作品を見るのも駄目なんでしょうか」

「ダメに決まってるでしょ。もう関わらないで。疫病神!」

 全然無理そう。押しても引いても好感度が下がるだけ。

 仕方ない。道を開けてこの場は見送るか。

 気のせいか。

 姉貴の足がふらついている。

「大丈夫ですか?」

「うるさい。あんたに気遣われるような」まで叫んで姉貴がよろけた。

 支えるのが間に合ったので、転ぶのは免れた。

「具合悪いんですか?」

「放して」と言う口調は弱々しい。外灯が心許ないが、顔色が青白い。

「どこかで休んだ方が」

「放して。大丈夫だから」姉貴は俺を振り払おうとするが全然力が入っていない。

「俺のこと気に入らないのはわかりますけど、このまま放ってはおけませんので」

 ベンチに座らせて、温かい飲み物を買ってきた。

 姉貴は大人しく座っていてくれた。

「私に恩でも売るつもり?」缶を引っ手繰ってパッケージを見る。コーンスープ。「ダメ。気持ち悪い」

「誰か呼びましょうか? それとも、薬とか取ってきます?」バイクの駐輪場のほうを見遣った。

「大したことないから。あんたがいなくなってくれるのが一番の特効薬」

「それはわかりますけど」

「本人がいいって言ってるの。さっさと帰って」

「もしかして、妊娠してます?」

 姉貴が、

 ひときわ憎しみのこもった眼で睨みつけてきた。

 その反応から察するに、どうやら当たりらしい。

「グレープフルーツとかのほうがいいんですっけ?」

「うるさい。早くどっか行って。大丈夫だから」

 確か新婚と言っていた。

「家まで送りましょうか?」

「余計なお世話って言ってるでしょ」

「じゃあ旦那さんに連絡とか。あ、寒くないですか? 使いかけでよければ」ポケットのカイロを渡そうとした。

 姉貴は受け取らず、はあ、と項垂れる。

「本当に大丈夫ですか?」

「あんたほんとに世話焼くの好きよね」

「困ってる人を見るとなんとかしたくなるのが性分でして」

「あんたが隣に座ってるのが一番不快なんだけどって言ったら、消えてくれるの?」

「なるほど。それなら先に帰ります」ベンチから腰を浮かせた。

「最初からそうしなさいよ、まったく」

「それじゃあ、身体を冷やさないうちにご自宅へどうぞ」

「エイスの作品だけど」

 背中を見せてしばらくしてから呼び止められた。

「来年の3月にある彫刻展に通ったから、そこで見れるわ」姉貴が缶スープを両手で挟んで暖を取っている。

「どこのですか?」

「宇部」

「え、山口? けっこう遠いな。でもありがとうございます。楽しみです」

 エイの彫刻を認めてくれる世界があることがわかって嬉しくなった。

 寒かった心がちょっと温かくなった。

 エイの連絡先を知ってたらこっそり連絡したのに。姉貴を引き取ってもらうために。

「あ、名前聞いていいですか?」

「調べればわかるわ」

岐蘇キソ盛仁もりひとです」

「いちいち癪に触ることばっかりする男ね。知ってるわよ、そんなこと」姉貴は本当に心から不快だと言わんばかりの様子で教えてくれた。

 茉火佳まひか

 そういえば、親父が言ってたような。まあいいか。

 18時。

 ミツ姉のところで夕食を一緒に食べて、支部に移動した。ミツ姉も付き添いたがってたけど、昼間の指輪効果ですごくそわそわしてるのが傍から見てもわかったので、ミツ姉の親父さん・お袋さんにも協力してもらって自宅待機をお願いした。

 このまま連れて行ったら明らかに一線を超えてしまう。

 俺が消える。

 いや、昨日のがカウントされてるんなら、別に問題ないのか?

 いやいや、婚約しているとはいえさすがに婚前交渉は対外的によくないか??

「ヤりたいならヤってもいんじゃない?」タテマくんが支部の中で待っていた。

 タテマくん?

 だよね?

「あ、ごめんごめん。これ、ビックリしたよね」

 タテマくんだってのはすぐにわかったが、見た目が。

 シマだった。

 シマの小さいときの姿じゃなくて。

 現在のシマ。

「えっと、どういう意図でやってんのか、聞いていい?」

 見た目が本当にシマそっくりだったが、タテマくんだってわかったのは、第六感的なささやき。

 禍々しい呪いの気配がした。

「これ持ってきた」タテマくんが真っ黒い封筒を手渡す。

 結婚式の招待状。


  群慧グンケイ 島縞しまじ

  ノウ 深風誼みふぎ


「なんの冗談?」

 怒りで脳神経が千切れそうだった。


  日時 19××年12月31日(日曜日)

  受付 午前10時30分より

  挙式 午後11時00分開催

  披露宴 未定


  場所 新婦宅

  住所 神奈川県鎌倉市××山(私有地)

  電話 0467-××―××××


「ちなみに呼んでるの、モリくんだけだから。気楽に参列してよ」

 シマにそっくりの存在の喉元を掴んで壁に押し付ける。

「苦しい」

「もう一度だけ聞く。何の冗談だつってんだよ」

「字が読めないなら代読するけど?」

「そうじゃねえ、つってんだろ! なんでシマと」

 勝手に。

 誰の了解を得てこんな。

「モリくんが怒ってるのさ、シマくんを取られるっていう意味?」

「うるせえな」

 駄目だ。

 いま何を言われても相手を再起不能にするまで叩きのめしてしまう自信がある。

 息を吸って。

 吐く。

 3回繰り返した。

「これ言うともっと怒られるから当日まで黙ってようと思ったけど、先に言っちゃうね」シマと同じ形をした口が開く。「シマくんの身体、僕がもらったから。シマくんは年明けからいなくなるよ」

 駄目だ。

 シマの形をしたニセモノを殺してしまえと全脳細胞が賛成している。

「残念だけど僕は殺せない」彼が腕をすりぬけて宙に浮いた。硬そうな髪が天井に付いてる。「僕を殺すってことは、いままで納家が溜め込んできたすべてのをどうにかするってことだから」

「俺の命と引き換えにどうにかできるってんなら、いますぐテメェを消してやる」

「まあまあ落ち着いて」彼は浮遊しながら胡坐をかく。

 俺がソファの背もたれによじ登って手を伸ばそうとしたのを事前に察知したらしい。

 こんなことをされたらどう頑張っても届かない。

「モリ君が消えたら、ミツ姉さんが悲しむんじゃない?」

「シマが消えたら俺もミツ姉も悲しむんだよ! テメェが元凶なんだな? ミフギさんを騙しやがって」

 エイが言っていたじゃないか。

 こいつは、

 呪いの権化だ。

 ミフギさんの想いにつけ込んで、自分を存続させるためにミフギさんやシマを遣い潰そうとしている。

 許せない。

 ぶっ殺してやる。

「僕は本当のことしか言ってないよ」悪魔の口元が笑っている。「シマくんの身体は僕がもらって、僕は姉ちゃんと結婚して、次の世代の巫女をつくる」

「昨日のはノーカンてことか」

「あ、ちょっと落ち着いてきた? よかった。話もまともにできないんじゃって思ってたから」タテマくんが天井から降りてきた。無重力が解けるみたいに向かいのソファに。「座りなよ。出席に丸付けてもらわなきゃ帰れないんだ」

 白いカードの中央に。


  ご出席

  ご欠席


「まだ何もしてないってこと?」

 これから。

 なら、

「止められないよ」タテマくんが言う。「すべては決まってる」

「止めるよ」

 その闇黒の祝詞を。

 二重線と丸を付けて返した。

 大晦日に。

 ぜんぶ取り戻す。

















     A


 子どもができたらしい。

 そりゃやることやってりゃいつかはできんだろう。

 あいつは――茉火佳マヒカは、喜んでくれていた。

 だからそれでいいと思う。

 まだ見た目も変化ないし、茉火佳も平気そうにしてるが、無理だけはしないでくれと言った。

 茉火佳の仕事は、ほぼ自営業みたいなもので、彫刻家の弟くんの、彫刻を創る以外のサポート。

 弟くんは彫刻を創る以外本当に何もしないらしく、材料の発注、作品の運搬手配だけでなく、顧客や美術館との直接のやり取りというマネジメント業務に加え、食事の差し入れ、アトリエの掃除なんかの雑用まで全部茉火佳がやってる。

 他にしたい仕事はなかったのかと聞いたこともあったが、頑張っている人の応援をするのが好きだからと言われたら、そりゃそうかいと返すほかなかった。

 どっかの野郎もその理屈で一生面倒看るとか言われてた覚えがあったりなかったり。

 まあいいやな。どっかの野郎のことは。

 クリスマスは非番だったものの、疲れ果ててあまりそれらしくできなかったこともあり、運よく正月が休みなのでなんとかそこで挽回したいが、どうなるかわからないのがこの交番勤務で。

 頼むから市民よ、何も起こさんでくれ。余計なことをせんでくれ。

 年末年始だけでいいんだ。

 何も難しいことを要求しているわけじゃない。おとなしく自宅で除夜の鐘を聞いてくれるだけでいいんだ。

 ああ、なんて平和な年越し。

 そもそもお前ら市民が何もしなければ、こちらとて躍起になって追及したり捜査したりする必要もないってのに。そこらへんの大自然の摂理をまったくもってわかっていない。

 落とし物は落とさない。見つけても拾わない。

 道に迷っても自力で地図を解読する。どうしてもわからければ親切な市民に聞け。

 お前らはいい加減警察を頼るな。警察だって万能じゃない。

 交通規則に従ってまともに走行するだけで、事故もなくなるし、罰金を払うことも減点されることもない。

 俺らの出番は永遠に訪れない。そうゆう至極単純なことだってのに。

 酒を飲んでも暴れない。酒を飲む機会や量を増やす必要なんか最初からない。

 今年が終わって新しい年が来るだけだ。

 何ら特別なことじゃない。

 今日が終わって明日が来る。日々毎日体験しているありふれた日常に過ぎない。

 それを守るのが、俺たちの役目でもある。

 だから積極的に壊しに行かないでくれ。

 こいつは一回壊すとなかなか修復に難儀する。似たような状態に戻すことはできても、まったく同じ状態には戻らない。

 12月30日(金)7時。

「いってらっしゃい」茉火佳が布団から這い出て送り出してくれた。

「寝てりゃいいのに。だるいんだろ?」

「うん、でも、次会うの年明けかもしれないし」

「身に詰まされんな」

「無理して早く帰って来なくていいよ」茉火佳がタオルケットを身体に巻き付けたまま壁にもたれかかる。「言ってなかったっけ? 大晦日、実家帰るから」

「は? じゃあどっちにしろ、年内には会えねぇじゃねえか」

「私は帰ってくるよ、年内に」

「俺は帰って来ねぇってか? へいへい。年明けになるわな、会うの」

「ごめんごめん。気ィ悪くしないで」茉火佳が肩を竦める。「除夜の鐘は一緒に聞ける?」

「疲れ切ったどっかの馬鹿が先に寝ちまわなけりゃな」

「じゃあ、美味しい年越しそば作って待ってるね」

「おう。ああ、でも無理すんなよ。身体第一にな」

「ありがと」

 朝の見送りルーティン。

 互いの手を握る。

 きょうはちょっと、熱いか。

「熱あんのか? 今日は休んどけよ?」

「だから心配しないでって」茉火佳が苦笑いする。「柄にもないことすると運気がまがるよ?」

「違いねぇ。んじゃ、行ってくるわ」

 そいつが、

 茉火佳を見た最後。

 俺は、

 亡骸にすら逢えていない。

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