第3章 わたしは悲しいです

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 あの遊園地事件から1ヶ月。

 12月。

 街がキラキラと電飾で彩られ、人もどこかそわそわする楽しくも浮かれる季節。

 俺にはただ、寒いだけ。

 いままでどうやって息をしていたのか思い出せない。

 大学は出席日数を稼いでいるだけ。会社の手伝いもやっているだけ。

 ミツ姉の声もどこか遠くで聞こえる。

 そこまで好きだったんだろうか。

 どんな言葉で告白されたか、どんな状況で付き合い始めたかも思い出せないのに?

 このもやもやとぐちゃぐちゃを誰かに聞いてもらったほうがいいんだろうけど、ミツ姉には言いづらい。あの場にいなかった誰かに聞いてもらえたらいいんだろうけど。

 顔見知り程度の関係性しか築けていない、自分の社交性の浅さに辟易する。

 すべては自業自得の一言で片づけられる。

 とにかく仕事さえできていれば成果さえ出せていれば、じいさんも会社側も何も言ってこないだろう。この状況でじいさんたちに勘繰られるのは痛手以上の何物でもない。

 両膝と両頬を叩いて気合を入れる。

 依頼主の元へと向かう。

 17時。

 小高い丘にある美術館。

 60代くらいの落ち着いた身なりの男が出迎えてくれた。館長と名乗った。

 依頼内容は、ひとことで言うと。

 怪現象の原因究明。

 月が変わって最初の営業日、来客3名が鑑賞中に突然気を失い救急搬送されるも、救急車内で何事もなかったかのように眼を覚ました。念のため一通り検査をするも異常は見当たらずそのまま帰宅となった。悪い噂が立つ前に臨時閉館したはいいものの、次は学芸員が立て続けに謎の体調不良に見舞われ、営業すらままならなくなった。

「本来であれば専門家に依頼すべきことなのでしょうが」館長もどことなく蒼白い顔で足元がふらついている。

 ここいらの専門家と言えば。

 一人しかいない。

「お言葉ですが、依頼すればよろしいのでは?」

「以前は窓口と言いますか、ああ、どうぞ? おかけください」館長は建物に入ろうとせず、石のベンチに案内した。

 座面が氷のように冷たい。寒々しい風が吹き抜ける。

「窓口?」納家に直接連絡する手段がないということなのか。

「伝手のない我々にはどうしようもなく」

「もしや、お取次をご希望ですか?」それならそうと言ってくれれば。

「お願いできますか」館長が縋るような眼で見てくる。

 ちりちりと外灯がちらつく。

 すでに日は落ちた。

 暗がりに不気味な野外彫刻が浮かび上がる。

「明日出直しても?」

「見て行かれないのですか?」館長が困惑したようながっかりしたような表情になる。

「専門家を連れてきますので」

「姉ちゃんならしばらく帰って来ないよ」タテマくんが後ろに座っていた。小さい背中が体重を預けてくる。

 オーバーサイズのミリタリーコートが美少年にはアンバランス。

「グッドタイミングじゃん」

「どうかされましたか?」館長が不思議そうな顔で見てくる。

「気が変わりました。案内してもらえますか」

 館長は入口で立ち止まると、俺に館内マップをくれた。

 2階の展示室を指差して、黙って頷く。一人で行けということだ。

「貸し切りみたいで気分いいね」タテマくんが両手を広げてくるりと回る。「そっちの気分は?」

「いや、別になんとも」

 後々悪くなる可能性もあるが、いまのところ身体の不調はなさそう。シマの京都のアパートに行ったときみたいな背筋の悪寒もないし。

「よかった。ちゃんと洗浄できてたみたい」タテマくんが言う。

「そちらさん姉弟きょうだいはさ、勝手に汚染しといて、勝手に洗浄ってのもするわけね」

 エントランスホールの階段を上がり、無人のカウンタを横目に薄暗く白い空間へ。

 広々とした展示室に、何を象ったのかわからない、彫刻が点々と。

 抽象なんとかっていうアレかもしれない。正直、全然よくわかっていない。

「いる?」

「こっち」タテマくんが足早に順路を進む。

 展示室の一番奥。

 ひときわ大きな彫刻が眼に入った。

「なに、これ」タテマくんが足を止める。ひどく動揺しているようだった。

 分厚い遮光カーテンみたいな、国境を分断する壁みたいな、権力者の後ろにある屏風みたいな。

 高さ2メートル、長さ5メートル目算の波打つ金属の板に。

 顔が。

 顔と、顔と、顔が。

 デスマスクみたいに。

「これじゃん。これって」タテマくんが口に手を当てて後ずさる。

「大丈夫?」

 こちらから向こう側に顔を押し当てて型を取っている。反対側に回ればよりはっきりと人相が判明するだろうけど、わざわざ一つずつ検分する気持ちにはなれなかった。

 異様で異常な光景だった。

「元凶これじゃん」タテマくんが強い視線を向ける。「なんでこんな」

 突然バチと火花が弾けるような音がして。

 照明が落ちた。

 停電。

「ちょ、マジ?」

 怪奇現象におあつらえ向きの演出で。

 非常口の緑のランプが時間差で点いたのでまったくの暗闇ではないが、不気味すぎて帰りたくなってきた。

「どうすんの? 祓えばいいの?」

「姉ちゃんから止められてるんだよね」タテマくんが首を振る。「もうモリくん巻き込むなって」

「そんなこと言ってる場合じゃなくない? そうだ、終わった後洗浄すれば」

「それがそう単純な話でもなくてね」

 気のせいでなければ、

 人の気配。

 その問題のでっかい彫刻の裏。

「誰かいんの?」反射的にタテマくんを後ろに隠した。「出てきてくんない?」

「驚いたな。見える奴が他にもいるんだな」そいつは勿体つけて姿を現した。

 俺と同じくらいの年の男。

 長い前髪が顔の左半分を覆う。

 上から下まで真っ黒だが、足首丈のコートの裾からなぜか裸足がのぞいている。

「臨時休館のはずだけど?」

「お前が話しているそれはよくないモノだ」男がおもむろに指を差す。「出て来い。呪いの権化」

「わかるように言ってくれる?」

「呪いをここに留める」男が手を伸ばす。「待っていた甲斐があった」

「姉ちゃんには敵わないよ」タテマくんが薄ら笑いを浮かべる。

 たぶん、

 俺だけ部外者だ。

「え、知り合い?」

「姉ちゃんの、兄貴」

「は?」顔を見比べたかったけど、暗いし前髪は長いしで。「ウソでしょ?」

「嘘言ってどうするの。でも僕とは何の関係もない」

「そうなの?」

 姉の兄は、自分の兄じゃないのか?

「話はもういいか」男が彫刻に触れて、タテマくんを見つめる。

 距離3メートル。

「見えてるだけじゃなんにもできないよ。遺体回収ならまだしも」タテマくんは余裕そうに微笑む。「目的は何? 仇討ちってわけでもなさそうだけど」

「これを完成させる」男が彫刻の表面をなぞる。

「冗談。呪いと心中する気?」

「結果としてそうなるなら仕方がない。血を怨むだけだ」

 何の話かまったくわからない。

 が、美術館の怪奇現象の原因はこの彫刻で、首謀者はこの男ってことはよくわかった。

「俺に出来ることある?」タテマくんに耳打ちする。

「触媒以外には特にないね」

「これ以上やると死ぬの?」

「姉ちゃんの機嫌次第じゃない?」

 じゃあ状況は変わっていない。

 問題は、この見ず知らずの男の前でタテマくんを抱けるかってことなんだけど。

 どうだろ?やれる?

「やめたほうがいい」男が首を振る。「呪いは毒にしかならない」

「んじゃあ、その渾身の力作を引き上げてもらえる? 汚染源になってるみたいだから」

「汚染源はそっちだ。俺は汚染が広がらないようにここに留めているだけ」

 あれ?

 よくわからなくなってきた。

 どっちが悪いの?

「聞かなくていいよ」タテマくんが俺の前に出る。「呪いは素人には扱えない。姉ちゃんの兄貴が死ぬのは好きにすればいいけど、ここに集めたこれは、この大量の呪いはさ、兄貴が死んだらどうなると思う? 呪いってのは消えたように見えてなくならないんだ。抑止力がなくなればまた広く撒き散らされる。どっちのほうが迷惑なのか、わかんないほどおかしくなってないよね」

「やはり祓ってはいないんだな?」しばしの沈黙ののち、男が口を開く。「祓うことは、その血を持ってしても出来ないと」

「だからそうゆってるじゃん。わかったんなら、おとなしく譲りなよ」タテマくんが彫刻に指の先を付ける。「せっかく集めてくれたんだし、無駄にはしないからさ」

 展示室から屋外スペースに出る。呪いはすでに集まっているため、触媒は不要とのこと。

 17時半。

 相変わらず風は寒々しい。

「なんで見える?」男がブラインドの降りた展示室を見遣る。

 照明は依然落ちたまま、タテマくんや彫刻は見えない。

「なんで、て。え? 見えてんの?」

「本当に何も知らないんだな、お前」男が深く溜息を吐いて、手すりにもたれる。「時間つぶしだ。話をしてやる」

 隣は嫌だったので、少し離れたベンチに座った。座面の冷たさは相変わらず。

「別に知らなくてもいんだけど」

「タテマと呼んでいたか。あの少年」男は無視して語り出した。「お前にはニンゲンの子どもに見えていたのかもしれないが、その正体は呪いの塊。納家現当主、妹が愛を注いで産んだ呪いの人形。外見こそ実在のニンゲンをモデルにしているようだが、内面も在り方も似ても似つかない。あれは妹が自らの責から逃れるため、祓い巫女の能を呪い本体に付与した、自動呪い吸収体と呼べる異形。関われば呪いに呑まれる」

「もうちょい掻い摘んで要点だけ言ってもらえる?」

「納家に関わるな」

「いや、そもそも向こうから関わって来たわけでね」

「目的があったはずだ」

 シマとの仲を取り持つ。

「目的が達されれば、お前に用はない。見たこと聞いたことはすべて忘れたほうがいい」

「ここまで巻き込んでおいて、さすがにそれはないんでない?」

「長生きしたくないのか」

「何がしたいのかよくわかってなくて」

「人生相談なら他の奴にしろ。呪いに関わった者はすべて天寿を全うできていない。俺の両親も呪いに呑まれて死んだ。俺もそう遠くないうちに呪いに」

「関わらなかったら死ななくて済むわけ? 違うだろ? 血筋ってのが物申してる気がすんだけど」

「察しは悪くないな」男が顎を上げて俺をねめつける。「さすがは噂に名高いなんでも屋の御曹司」

「急用、雑用、おまけに野暮用、なんでもござれ。初回無料のなんでも屋。お試しだけでもいかがですってな。俺の評判てそんななの? えっと、そっちは」

小張オワリだ。小張エイス。見ての通りしがない彫刻家だ。あれをここで買ってもらえたら、しばらく食うに困らない算段だったんだが」

「小張? え、お前、あの小張神社の?」

 十年前、小張神社の神主が急死し、一人残された息子がいた。

「え、俺のこと覚えてない?」自分の顔を見てもらいたくて、立ち上がった。「たぶん会ったことあるはず」

 神社の裏のそこそこ広い土地の管理を、俺の会社でやってる。じいさんに連れてってもらったことがある。

 山合いの辺鄙なところにある荒れ果てた土地なので、住宅地にするにも立地が悪く、農地にするにも土が枯れて使い物にならず、買い手も付かないだろうとじいさんが頭を悩ませていた。これが売れれば息子の未来に役立てられるのに、と。

「え、元気でやってたのか? よかった。けっこう心配してたんだぜ」

「通りすがりの赤の他人にまで結構なことだな」小張が顔を背ける。不快でそっぽを向いたというより、すでに知っているので改めて確かめる必要はない、みたいな素振りで。「生憎とこの血のお陰で、妹のとこが親切に面倒を見てくれたよ。住むところも、食うものも、学校も、困った覚えはなかったな」

「確か俺より一つ上だろ? 大学どこ? 美大?芸大?」

「生憎と同胞と切磋琢磨することに興味がなくてな。ただ、行こうが行くまいが、やってることは変わらない。やりたいことも、やれないことも」

「ふうん。センスありそうなのに、もったいねえな。人生悟りすぎだよ」

「言ったろ? 俺はそう長くない。生きているうちにやりたいことがやれる保証がない」小張が俺を真っ直ぐに見た。「お前のとこにも恩がないわけじゃない。一応恩人の孫だから、面倒事に関わってほしくはないんだ。お前に赤の他人の忠告を聞くだけの賢さがあるなら、悪いことは言わない。金輪際、納家には関わらないでくれ」

 関わるな、が、関わらないでくれ、になった。

 命令がお願いになった。

「話を戻すが、この眼」小張が前髪を掻き上げる。左眼が外気に曝される。「俺は運よく片側だけで済んだが、納家の血を引いた男には、呪いが見える眼が遺伝することがある。なんで見える?はそういう意味だ」

 ぱっと見別に普通の眼と変わらない。左右差は俺にはわからない。

「納家の血を引いてない俺に、なんでタテマくんが見えたのか、てことだろ?」

「汚染、が一番しっくりくるが」小張が左眼を見開いて俺を上から下まで検分する。「いや、洗浄は済んでるようだし、眼だけ残した? それも中途半端だが」

「どっちでもいいよ。いまんとこ別に不調とかねえし。あったらミフギさんになんとかしてもらうわ」

 18時。

 タテマくんがなかなか戻らない。呪いの量が多いのだろうか。

「ちょっと見てくる」

「俺も行くよ」

 建物内は温かかった。最低限しか効いていない暖房というより、風が吹き込まないことが一番の防寒となっているらしかった。

「仲がいいみたいだな」小張の投げかけが背中に当たる。

「いいように使われてるだけな感じよ?」振り向かずに答えた。

 館内はまだ暗いまま。くだんの彫刻の前に佇んでいたタテマくんの横顔に手を振った。

「おつかれー」

「二度とこうゆう軽薄な真似は勘弁してほしいよね」タテマくんが後ろに手を組んで、小張に言う。

「妹の負担を軽くする目的だったんだが、出過ぎたようだ。すまなかった」

「姉ちゃんのことを思ってくれてんのは充分わかったけどさ、それならなおさら呪いのことなんか忘れて、まともな作品に打ち込んだほうが姉ちゃん喜ぶと思うよ」

「元気なのか」

「とりあえず出ない? 館長に報告よろしくね」タテマくんが俺を見た。「もう大丈夫だから」

 ぱち、と蛍光灯が明滅した。

 照明も復活。

 彫刻の表面がやけにつるんとしていた。

 デスマスクレリーフがひとつ残らず消滅している。

 出入口付近でうろうろしていた館長に解決済みと伝えて、美術館を離れる。

 万事解決?

「明日、作品を引き上げる」小張が決意したように言う。「もう問題ないとはいえ、けじめはつける」

「お前が決めたんならそれでいんじゃない? てかこのあと暇? 飯とか行かねえ?」

「カネがない」

「奢るって」

 丘を下ったところにある駐車場にバイクが止まっていた。シートにもたれているショートカットの快活そうな女が、勢いよくヘルメットを放り投げた。

 危ない。

 小張が難なくキャッチ。小張にはこの突飛な行動が予想できていたのだろう。

「帰るよ」女が言う。シートに跨りながら。「乗って」

「だれ?」ひそひそ話をする。

「姉貴」

「だれの?」

「俺の」ひそひそ話終了。「悪いけど、このあと飯行く約束したから」

 女――小張姉が勿体つけてバイクから降りると、俺の顔を至近距離で睨みつけた。

「慈善活動御苦労さま」憎しみのこもった言葉が顔面に撒き散らされる。「次は食うに困る売れない彫刻家の弟に食事を御馳走? 冗談じゃない。あんたなんかに施してもらうほど、落ちぶれちゃいないの。なめないで」

「初対面ですよね?」

「あなたに覚えがなくても、私はあなたを知ってるの。それでいいじゃない」

「俺に非があるなら謝りたいので、具体的に指摘してもらえませんか?」

「わからない? あなたの存在そのものが罪なの。詳しく知りたいならお父さんかお母さんにでも聞いたら?」小張姉が小張弟の腕を無理やり引っ張る。「ほら、行くよ。あんたも、こいつの正体わかってるんでしょ? なんで仲良くしてるわけ?」

「落ち着いて、姉貴」小張弟が腕を振り払う。「彼に罪はない。憎むべきは彼じゃない。家ごと怨む必要はないんだから。俺は彼と飯に行く約束を守りたい。いつまでも俺の世話に精を出さなくていいよ」

「なによ。恨んでるの、私だけだって言いたいの?」小張姉が弟に食ってかかる。「いいわよ、仲良くすれば? 素性を知れば化けの皮も剥がれて、私が間違ってなかったってわかるんだから。そうなってからじゃ遅いから、忠告してるってのに」

「完全に余計なお世話だよ。でもいつも心配してくれてありがとう。明日また手伝ってもらいたいことあるから、帰ったら連絡するね」

「わかったわ。好きにして」小張姉がヘルメットを引っ手繰る。「どうせなら高くて美味しいもの、奢ってもらいなさいよね」

 発進前にもう一度睨まれたが、特に何も言われず。バイクは寒空の中を走り去った。

「新婚でイライラしてるだけで、ホントはいい姉貴だから」小張がテールライトを見つめながら言う。

「なんで怨まれてるのか聞いてもいい?」

「焼き肉食いながらなら口も脂で回りそうだ」

「りょーかい。いいとこ連れてくよ」

 行きつけの焼き肉店で二人して腹一杯食べたところまでは憶えている。お陰で持ち合わせでは足りなくなって、馴染みのよしみでツケにしてもらったのも憶えている。

 ただ、なぜか俺のベッドに半裸の小張がすやすや眠っているのが、どうしても思い出せない。

 話が盛り上がりすぎて終電を逃した?

 きっとそうだろう。そうに決まっている。そうでないと困る。

 さて。

 シャワーでも浴びてくるかな。

「身体の具合はどうだ?」小張の掠れ気味の声が俺の後頭部にぶつかる。

 ゆっくり振り返ると、ベッド上で寝転がっている小張と眼があった。頬杖をついている。

「おはようございます」

「おはよう。感想言っていいか?」

「緘口令って敷ける?」

「あれ? 説明してない?」小張が不思議そうな顔をする。

「シャワー行くから服だけ着といてくれる?」

「じゃあ俺も」

「先どうぞ?」

「なんでそんなに申し訳なさそうにしてるんだ?」

「失礼を働いた事後にしか思えなくて」

「案外責任感強いんだな」小張が吃驚したような顔になる。「ここまで行動と態度がちぐはぐなのは逆に勘違いを生みかねない」

「いいから行って来いって。タオル、脱衣場のどれでも使っていいから」

 小張の不健康そうな後ろ姿を見送って、ベッドに腰掛ける。

 やったのか。やってないのか。

 どっちなんだ。










     2


 ノウ深風誼ミフギのお祓いのお陰で、京都の叔父がアパート経営を続けていけることになった。

 この機会にバス・トイレ付きに建て替えるため、俺は最低限の荷物だけ持って近隣のアパートに移動した。叔父と知り合いの大家が管理している物件であり、部屋はすぐに都合してもらえた。叔母は自分の実家に甥の俺を置いてもてなしたいようだったが、家賃や光熱費は自分で稼ぐからと無理を言って一人暮らしさせてもらった。しかし、父親から俺の生活費兼世話代を毎月もらっているからと、お金は気にしなくていいと叔父は笑っていた。

 問題は、その一人暮らしのアパートに。

 なぜか納深風誼が転がり込んでいること。

「ご飯ね、作ってみたんだけど、食べてくれる?」

 だの、

「天気がいいからお洗濯しておいたよ。冬だからお布団は干せなかったけど」

 だの、

「掃除もね、したんだ。浴槽洗ったり、洗面台も磨いといたよ」

 だの、

 頼んでいない家事を次から次へと。

 はっきり言って迷惑だし、生活圏にずかずか入り込んで、私物をべたべた触られるのは我慢がならない。

 はっきり言った。何度も繰り返し言っている。

 しかし、言うといつもこう返ってくる。

「モリくんのことはいいの?」

 この女は、相変わらずモリの命を人質に、私を言いなりにし続けている。

 心が痛まないのか。良心というものはないのか。

 呪い汚染のためミフギの寿命があと十年足らずとはいえ、私の十年を犠牲にしていい道理はない。私だけならまだいい。きっとまだ我慢できた。

 なぜモリの命を天秤にかけさせる。

 私は自分が傷つくよりも、モリがいなくなったほうが耐えがたい。しかも自分の選択のせいで消えてしまうのだ。悔やんでも悔やみきれない。

 これなら叔母の実家に厄介になったほうがよかったのでは。叔母の実家ならミフギも勝手に上がり込んだり。

 しそうだな。

 私は認めていないが、家公認の婚約者だ。何の問題もない。

 退路もない。

 この行きたくもない地獄の道を、ミフギに引きずられながら進むしかない。

 12月。

 モリから特に連絡はない。

「シマくんは、お正月は実家に帰るの?」ミフギが私に覆いかぶさりながら聞く。

「君は?」

「わたしは帰るよ。お姉ちゃんが久しぶりに会おうって」

「君の家族は、姉だけか?」

 私が家のことを尋ねたことがよほど嬉しかったのか、ミフギはキラキラと眼を輝かせる。

「うん。うん、そう。そうだよ。叔父さんがいるけど、他にはいないよ。お父さんもお母さんも呪いに呑み込まれて死んじゃったから」

「先代の母親が死んだから、君が後を継いだのか?」

「うん。わたしが死んだら、納家の血を引く女の子に、この力が受け継がれるの」

「もしいま君が死ねば、誰が後継者になるんだ?」

「うーん、お姉ちゃんかな」

「姉以外には?」

「わたしが女の子を身籠れば、その子」

「男だったら?」

「うーん、誰かいるかな。わかんない。ねえ、なんでそんなこと聞くの? そんなことより、今日こそわたしと」ミフギの冷たい手が私の顔に触れる。

 用意していたものを、

 ミフギの下腹部に突き立てる。

「シ、マくん?」

 赤黒い粘液が伝い落ちる。

「君がやっていることはこうゆうことだ。心配しなくても、君が死んだのを見届けてから、私も」

 ふふふふふ。

 地の底を這うような嗤いが家具を鳴動させる。

「うれしい。シマくんが、初めてわたしに触ってくれた。初めてわたしにくれた。初めて、わたしに」

 不気味すぎて四肢が磔になる。

 いや、駄目だ。

 覆いかぶさる重みを床に払いのける。

「うれしいけど、どうせなら、これじゃなくて、後継者をつくるための」

「痛く、ないのか?」

「いたいよ? すごくいたい。けどうれしいから、だいじょうぶ」

 異様すぎる。

 下腹部に刃物が刺さったまま、ぼたぼたと赤黒い血を垂らしている。

「き、救急車を」受話器に伸ばした手を。

 氷のような冷たい手が掴む。

「だめだよ、いまよんだら、シマくんがうたがわれちゃう。シマくんはにげて? そうしたらわたしがじぶんでよぶから」

「そんなこと言ったって」今更自分がしたことへの罪悪感を感じても遅い。「動かないでくれ。動いたら血が」

 なんでこんなことをしたんだ。

 確かにこの女さえいなくなればと思った。

 でもそんなの浅はかすぎる。

 毎日毎日精神的にも肉体的にも追い詰められて、正常な判断すらできなくなっていた。

「ごめん、悪かった。こんなつもりじゃなかったんだ。だから、早く救急車を」

「シマくんが出て行ったら呼ぶよ。大丈夫。シマくんのお嫁さんになる前に、死ぬわけにいかないんだから」

「本当だな? 本当に呼ぶんだな?」

「うん、心配しないで」

 信じるしかないか。

 貴重品だけ持って部屋を出た。鍵はかけなかった。

 曲がり角からしばらく見守っていたら、ほどなくして救急車がアパートの前に止まった。

 大家さんが血相変えて救急車の周りをうろうろしていた。

 救急車が向かった先は、おそらく近くの市立病院だろう。

 追いかけても迷惑だろうから。

 部屋にはしばらく戻れないし。

 ああ、

 会いたいな。

 こうゆうときにはいつも、あいつの顔が浮かぶ。













     3


 納家の女には、呪いを祓う力が受け継がれる。

 納家の男には、呪いを見る眼が発現することがある。

「俺は左眼にしか発現しなかったせいか、中途半端に祓うほうの力もある」小張が濡れた髪をタオルで拭いながら言う。「いや、祓うというのは正しくないな。妹の人形からも裏は取れた」

 納家の女には、

 呪いをその身に納める力が受け継がれる。

「だからこそ、器の限界を超えたとき、宿主を呑み込むのだろう。妹はその中でも呪いを納める容器がひときわ大きい。その上、納めるべき呪いを固めて人形として使役できる。間違いなく、納家始まって以来の逸材だ」

「その話結構長い?」

 小張は微妙な表情を浮かべると、洗面台でドライヤのスイッチを入れた。

 怒らせたか?

 小張が言うには、昨夜一通り説明をしてくれたらしい。ベッドの中で。

 生憎まったく覚えていないと言ったら、親切に再度解説を始めてくれた。

 だから、

 やったのかやってないのか。俺にはそちらのほうが重要な問題なのだが。

 もし前者だったら。

 謝って、なかったことになるだろうか。

「いまいち話を聞いていないな」小張が戻ってきた。髪がきちんと整っている。「モリは知っておいた方がいい。己が出自に関わることなのだから」

「あ、呼び名」

「皆からそう呼ばれているだろう。それとも御曹司、或いは次期社長のほうがいいか?」

「断然モリで」

「俺のこともエイでいい」

「作品引き上げるんだろ? 時間はいいのか」

「姉貴が午前中に用事があるらしい。だから問題ない」

「飲み物とか要る?」時間かかりそうだし。「牛乳、サイダー、紅茶、コーヒー」

「同じのでいい」

 コーヒーを淹れてテーブルに置く。

「ありがとう」エイが椅子に座る。「どこまで話したか。ああ、出自の話だったな」

 砂糖とミルクを入れてかき混ぜる。

「興味がなさそうだな」エイがつまらなそうな顔で言う。

「親父のことだろ? 結構どうでもいいのが本音」

「なぜ現社長は息子でなく、孫を次期社長に据えたんだろうな」

「答え知ってて言ってんだろ。性格悪いな」

 親父はじいさんに嫌われている。

 ただそれだけだ。

「嫌うと言っても限度があるだろう。自分の遺伝子を直接受け継いだ子だ。しかもたった一人のだいじな息子を」

「推測? そこまで知られてんの?」

「初めて不快な顔をしたな」エイが満足そうに言う。「そうやって、自分は無関係です、みたいな顔をしているのが一番の防御策か。実は気づいているんじゃないのか? 気づかないふりをするために鈍感を装っているだけで」

「人生相談は他を当たれって言ってなかったか」コーヒーを飲み干して、カップをシンクに置いた。「それ飲んだら帰ってくれ。昨日会ったばかりの奴に腹を探られるのは、あんまりいい気しない。今後も仲良くしたい奴となら尚更」

 エイがカップの中身を空にするのを待った。

「ありがとう」エイが立ち上がる。「こんなに不味いインスタントコーヒーは初めてだ」

「お粗末さまで」

「納家とお前の家の関係は、お前が思っているほど浅くない」エイが去り際に言い残した。「お前の親友と妹の婚約も無関係ではない。大切なものを守りたいなら、手遅れになる前に関係者に事情を聞いたほうがいい」

 しまった。

 結局やったのかやらなかったのか聞きそびれた。

 カップを洗って片付ける。シーツとタオルを洗濯機に放り込む。証拠隠滅みたいだなと思った。

 関係者か。

 実家には帰りたくないし、親父は顔を合わせたら殴って来るだろうし、お袋は本社だろうし。

 じいさん?

 いや、もう少し冷静に話ができそうな他人が。

 ちり、と。

 爆ぜる。

 これは、

 桜の散る境内。

 シマが京都に引っ越すその日。

 俺が行かなかった理由。

 前日に呼び出された。

 誰に?

 森羅万象を見通すようなその聡い眼は。

「たったひと月見ない間に、格段といい顔になったね」シマの親父さんはわかっていたのだろう。

 俺がここに来ることも、俺が何をしに来るのかも。

 シマの実家の寺。

 いつも集まる会館。誰にも邪魔されないように、シマの親父さんは鍵をかけた。

「あんたはシマがどうなってもいいのか!」

「まずは座っとくれよ。落ち着いて話をしよう」シマの親父さんは座布団を二つ並べた。「そうカッカされると、かっちゃんを相手にしているように錯覚してしまうよ」

「親父のことはいまはいい! 親父さんは、シマをミフギさんの触媒にした結果、シマが呪いに呑み込まれてもいいんですか? それを知った上で婚約の話を受けたんですか?」

「弱ったな。まさかそこまでシマのことを気にかけてくれているのか、モリくんは」シマの親父さんは丸坊主の頭を何度か撫でる。「親友と言ってくれているのは、あながち嘘ではなかったようだね」

「はぐらかさないで下さい。親父さんは、あの日、シマが京都の高校引っ越す前日言いましたよね? シマが誤った道を進まないように協力してほしいって。何が正しくて間違っているのかは置いておいて、親父さんはシマのことをだいじに思ってるって、俺、そう信じたから」

 なんで俺がシマの見送りに行かなかったのか。

 シマに期待させないため。

 もう終わりと思わせるため。

 すべて、シマのために。

 そう、親父さんに言われたから。

「シマは長男にしては不出来でね。どこに出しても恥ずかしい」シマの親父さんが袖の中から缶コーヒーを二つ出す。「よかったら飲んどくれ。ここまで走ってきて喉が渇いたろう。こっちが冷たくて、こっちが温かい。好きな方を取ってくれ」

「シマが呪いに呑み込まれて消えるのは、狙い通りってことですか?」

「そうは言っとらんよ。どうか、落ち着いとくれ。かっちゃんをこれ以上納家と関わらせるわけにいかんのだ。モリくんだって、金輪際呪いに関わらんほうがいい。誰だって、幸せに長生きしたいだろう?」

「弟に家を継がせるんですか? 使えないシマを、納家に差し出して」

「妻帯しないなんぞ認めて堪るかね。せめてシマが女なら、君のところに嫁がせて、ワシもかっちゃんとも仲直りできたんだろうにね」

「冗談だったらやめてください。シマがどっちだろうと俺は」

「要らんことは言わんでいい」親父さんが語気を強める。「モリくん。そもそも君は大きな勘違いをしとる。それに君は前提条件が足りとらんのだ。この際だ。補ってあげるとしよう」

 なにを。

 知っているのか。

「かっちゃん――君の父親はね、君の母親と結婚する前、納家の前当主とそれはそれは周囲が羨むほどの仲でね。すでに二人の子をもうけとったんだ。それが」

 小張姉。

 小張エイス。

「つまりだね、かっちゃんがこだわっている納家と君を接触させることはできんのだ。決してかっちゃんに嫌がらせをしているわけではないことは、これでわかってくれたと思うがね」

「なんで親父はお袋と結婚したんですか」

「社長の立場になっとくれよ」親父さんが大げさに肩を竦める。「手塩にかけて育てただいじなひとり息子が、わけのわからん呪いを封じるとかいう一族の当主に惚れ込んで、あまつさえ二人も子どもをこさえたとなれば。家も会社も存続が危ぶまれるというものだ」

「じいさんが、親父をお袋と結婚させたんですね」

「そのことで気を病んだ前当主はね、小張神社の最後の神主を巻き込んで」親父さんがふうと息を吐く。「見ていられんかったな、当時のかっちゃんは。いまもそう変わらんかな。ああなってしまったんは、事情があってのことだ。せめて息子の君は、かっちゃんを軽蔑しないでくれると、旧友のワシとしても嬉しいんだがな」

 欠けていたピースがすべて嵌まった感覚。

 親父が俺を殴る理由。

 親父にとって俺は憎悪を催す不要な存在でしかない。

 親父は、

 本気で俺を殺したかった。

 お袋が俺を庇わなかった理由。

 親父が厭きるまで殴って放り出された頃、ようやく拾いに来てくれた。

 傷の手当てや病院に連れて行ってくれたのはいつもミツ姉の両親で。

 お袋はいつも何もせず黙ってそれを見ていただけ。

 お袋も嫌だったんだろう。

 無理矢理親父と結婚させられて、無理矢理俺を産まされて。

 なんだ、

 そんな簡単なことだったのか。

「ミフギさんは? 親父の子なんですか?」

 さっき、子は二人と。

「ワシもすべてを知っとるわけじゃない」親父さんが静かに言う。「シマと婚約しとる納家現当主だが、君が生まれたのとほぼ同時期に、あの娘も生まれていたからね。すでに別れさせられていた後だから、小張の神主との間にもうけたと考えるのが筋だろうね」

 エイとその姉貴とは、母違い。

 ミフギさんとは。

 ただの他人。

「大丈夫かね。今日まで何も知らんかったのは、ひとえに社長の尽力だ。感謝するか怨むか、君には好きな方を選ぶ権利がある」

「他人の家の二十年近い尽力をいますべて無に帰した人がいるんですけど」

「ははは。じゃあ聞かなかったことにするかい?」

「親父さん、シマにそっくりですよね」

「逆だよ。シマがワシに似とるんだ」

 帰ろう。

 疲れた。

「最後に一個だけ聞いていいですか」座布団を片付けながら。「親父さんがシマに似てるっていうんなら、親父さん、昔、親父に気があったりしませんでしたか?」

「もしそうだったとして、君にそれを言ったところで何か変わるのかね」

「いや、だってさっきの話、別に俺とミフギさんがくっついちゃいけない理由、なんもないじゃないすか。つまり、親父さんは、自分が実らなかった想いが叶ってるシマに嫉妬してるんすよ。だからわざと俺と遠ざけて、ミフギさんとくっつけようとする。ただの逆恨みっすよ」

 殴られると思った。怒らせて本音を引き出してやろうと思った。

 でも、

 こんな安い挑発に引っ掛かって易々とボロを出すような人じゃない。

 わかっている。

 勝てないことくらい。

「君に、シマは相応しくないよ」

「それこそ逆じゃないすかね。そんじゃあ、貴重なお話ありがとうございました」頭を下げて退室する。

 特に呼び止められなかった。

 さて、

 次は。

 帰るのは。

 ほんと、十年以上ぶり。













     4


 ミフギは、生きていた。

 下腹部にちょっと穴が空いたくらいでは、命に何の影響もない。

 私が刺した事実は伏せて、自分が刺したことにもせずに、手元が狂って刺さったことになっていた。

 状況からして厳しい言い訳だとは思うが、病院も大家もそのほうがよかったのだろう。

 ミフギは押し掛け同棲生活をやめ、実家に戻ることとなった。これですべての疑惑を丸ごと背負って煙に巻くことができると考えたのだろうか。

 私としては、ミフギが生活圏からいなくなってくれればどうでもよかった。刺した甲斐があった。

 出掛けるついでがあったので、改札前まで見送りに行った。いや、ちゃんと帰るか確かめるために駅まで付いていったというのが本音だ。

「迷惑かけてごめんね」ミフギは妙にしおらしそうに言った。

 ミフギの叔父が迎えに来ていた。ミフギに気を遣って、先にホームで待っているとのこと。

「わたしのこと、嫌いになったでしょ?」ミフギが上目遣いで言う。

「もともと好意はないよ」

「ううう」ミフギの眼線が下がった。「お腹痛いのに」

「そうやって卑怯な手で脅すのが君の性分なんだろう? 死んでも直らないだろうから直せとは言わないけど、二度と私にも、モリにも、おまけにミツ姉にも近づかないでくれればそれでいいよ」

「お友だちでもダメ?」

「仲良くなりたくないな」

 新幹線の発車時刻が迫る。

「乗り遅れるよ」鬱陶しそうに腕時計を見てやった。

「呪いがシマくんを呑みこまないように、ずっと守るから」

「それなら私だけじゃなく、モリもミツ姉も守ってくれるとありがたいけど?」

「うん、わかった。みんなを守るね。じゃあね、シマくん」

「じゃあ」

 ミフギは振り返らなかった。振り返りたそうな背中を見送った。

 ああよかった。

 もうこれで、

 納深風誼と関わらなくて済む。

 外は寒々しかったが、すごく晴れ晴れとした気分だった。

 それから1週間くらい経って、ミツ姉から電話が来た。

 お互いの近況をそれとなく話したあと、ミツ姉が本題を言った。

「クリスマスって空いてる? こっちでパーティしようと思うんだけど、帰って来れる?」

 ミツ姉の狙いはすぐにわかった。

 私と、モリを。

 仲直りさせたいのだ。

 断る理由が思いつかなかったので、気が進まないふりをして承諾した。

 ミツ姉は見抜いている。

 私が内心とても浮かれていることを。

「よかった」ミツ姉は安心するような明るい声音で言った。「プレゼント用意してきてね。ランダム交換会は皆が幸せになれないから、本当に渡したい人に本当に渡したいものを準備することとします。ここだけの情報聞く? モリくんね、最近」

「ありがとう。そこから先は自分で推測するよ。プレゼントはビックリさせた方が勝ちだろう?」

「そだね。ちなみに会場なんだけど」

 浮かれた気分を一瞬で地に叩き落とす最悪の内容が鼓膜に突き刺さった。

 まさか、

 納家の屋敷でクリスマスパーティ?

 あの山自体、男子禁制じゃなかったか?

 とゆうか、あの女。

 舌の根も乾かないうちに約束を反故にしてやがる。

「ミフギちゃんがね、提案してくれたんだよね」

「それを真っ先に言ってほしかったな」

「ごめん、反射的に断られると思って」

「モリで釣ったのは悪手だったな。ミツ姉ともあろう人が」

 悪いのはミツ姉じゃない。

 ミツ姉はきっと、最大公約数を取って賛成したにすぎない。

 私への連絡だって、ミフギに頼まれて憎まれ役を買って出たのが想像に易い。

「わかったよ。行くよ。モリの顔が見たいっていう大義名分になるし、こっちも利用させてもらうよ」

「そう言ってくれると気持ちが軽いかな。ありがとね」

「礼を言うのは私のほうだよ。いつも出来の悪いの面倒を見てくれてありがとう」

 さて、目下最大級の問題は。

 モリへのプレゼントだが。

 強がらないでヒントをもらえばよかったかなとちょっと後悔。













     5


 懐かしさはない。

 懐かしいほどの思い出はここにはない。

 頭をよぎるのは、赤黒い鉄の苦い味と、単調な床の模様だけ。

 冷静に。

 できるだろうか。

 深呼吸を何度かしてから可能な限り音をたてないように中に入る。鍵は有効だった。

 玄関にあった靴は一つだけ。

 どこにいるだろう。

 とりあえずリビングを覗く。

「何、テメェの家でこそこそしてんだ?」

 早速見つかった。

 拳か蹴りが飛んでくると思って身構えたが、身体にかかる衝撃はなかった。

「話があんだろ。ちょうど垂れ込みがあったとこだ」

 シマの親父さんだろう。他にいない。

 単に俺をダシにして親父と話したかっただけなんだろう。

 役に立ったならそれはそれでよかった。

「おら、座れ。なんか飲むか」親父はリビングのソファを顎でしゃくった。「酒以外なら出せる」

「長居するつもりないんで」

「カクのヤロウが」シマの親父さんのことだ。「せっかく出したコーヒーも飲まずに帰ったっつって」

「じゃあコーヒー」

「そりゃいい。テメェでどうぞ?」

 ケンカを売りたいのか、もてなしたいのか、いまいちわからない。

「勝手に使うけど?」コーヒーメーカに埃は積もっていなかった。

 親父は酒よりコーヒー派だ。

 キッチンもダイニングテーブル含め、きちんと片付けられていた。使わないからそもそも汚れないエリアというより、使った上できちんと片付けをしている人間が定期的にここを訪れていることがうかがい知れる。

 一人しかいない。

 お袋だ。

「使い方わかんのか?」親父が横に立っていた。「豆の場所も知らねえくせに」

「やってくれるんなら任せたいんだけど」

「わーった、わーった。使えねえ奴は座っとけ。カクんとこで飲み損ねたのより美味いの淹れてやっからよ」

「あのさ、シマの親父さんがくれたの缶コーヒーなんだけど」

「はあ? 話が違ェじゃねえか。あのクソ狸」

 このコーヒーのあれこれの含めて、シマの親父さんの描いたシナリオ通り進んでいるのがちょっと癪だった。

 大人しく座って待つことにした。

 リビングも定期的に掃除をしていることがわかる。暖房の熱風が顔に当たるので風向を上にした。

 いい匂いがしてきた。

「ほれよ、味わって飲めよ」親父が俺の前にカップを置いた。

 何の変哲もない白くてシンプルなカップ。

「あ、お子様は砂糖とミルクが要るんだったか?」

「いい。美味くないときは使うけど」

「んだよ、それ」親父は満更でもない様子で笑って、自信作を口に含んだ。「ほれ、冷めねえうちに」

 美味しい。

 銘柄はわからないが、俺の口には合った。

「美味いよ」

「だろ? 飲ませる相手がいなくてよ。張り合いがねえ」

 コウユウマトモナヤリ取リガデキルナラ、

 ナンデ最初カラヤッテクレナカッタ。

「ミブ、じゃねえや、納家のことだろ」親父が座り直す。脚を組んだだけだが。「テメェ、あいつんとこの次女とつるんでるらしいじゃねえの」

「一方的に引きずり込まれてるのをつるんでるって言うんなら」

「関わんなって、カクの奴に脅されたろ? あいつから大方は聞いたんだろ?」

 親父が先代と二人の子どもをつくったこと。

 じいさんが家のため二人の仲を割いたこと。

 お袋との間に俺ができたせいで、

 先代が小張神社宮司を道連れに死んだこと。

「エイスの奴じゃあ、会社を任せらんねえからな。あいつ、呪いを封じるんだつって、昔っからわけわかんねえもん創ってたからよ。マヒカも、長女の奴も、将来ミブキを、先代を継ぐんだっつって、昔っから覚悟の決まった大した女だったが、結局よ、後から生まれた次女が全部持ってっちまってな。ショックだっただろうな。嫁のもらい手が早いこと見つかってたのは不幸中の幸いだったが」

 ソンナコトヲ聞キタインジャナイ。

 俺ガ知リタイノハ。

「俺と、ミフギさんは姉弟なの?」

「さあな」親父は一瞬眼を逸らした。

「知ってんだろ? 知ってるなら」

「姉弟じゃなかったらどうすんだ? 逆か?姉弟だったほうがいいのか?」

「頼むよ、教えてくれ」床に座って頭を下げた。「いや、教えてください。この通りです」

 時計の秒針と冷蔵庫の駆動音が遠くで聞こえた。

「今度こそ殴り殺されるかもしれねえってのに、俺んとこのこのこツラ出したのは、それが目的か」

 頭を上げずに答えを待った。

「マコんとこには?」お袋の名だ。「その様子じゃまだ、か」

 親父の深い溜息が、頭上を掠めた。

 俺は、見慣れた床の模様を見つめていた。

「言い訳するにゃ遅えから、そのまんまに取れよ」親父の口調が重い。「俺がテメェを殴ってたのは、殺したかったからでも、況してや憎かったからでもねえ。呪いのことは粗方聞いたろ? テメェに纏わりついてるもんの正体を。そいつをな、どうにかしてやりたかったんだ。何の力もねえ俺が殴ったとこでなくなりゃしねえってのに。あれに呑まれたら消えちまうんだ。ミブキは、十年前のあの日、なんも遺さずに消えた。連れてくなら、俺を連れてけっての」

 頭は凍りつくくらいに冷えていた。

 おかしい。

 先代が消えたのがたった十年前なら。

 先代の死は、

 俺がきっかけじゃない?

「俺が言えんのはここまでだ」親父の顔は切ないような寂しいような複雑な感情が覆っていた。「次に事情聴取すべき相手がいんだろ? そいつんとこ行っちまえ」

「これ」コーヒー。「飲み終わってからでいい?」

「冷めちまったろ? 淹れ直すか」親父が立ち上がろうとするので。

 手を出して制止した。

「これでいい。美味いよ、また、飲みたいくらい」

「たかるんなら豆くらい手土産にしやがれ。どれがいいかわかんねえだろうし、行きつけの店教えっから」

「わかった。ごちそうさま」カップをシンクに運ぶ。

 親父が玄関まで送りに来た。

「久しぶりにツラぁ見たが、次女になんとかしてもらったのか? テメェの周りの禍々しいもん。何もなくなってんだよ。おかげで情けねえツラがよく見えんぜ」

「また来るよ」

 ドアを閉めて鍵を財布に仕舞った。

「ここ、喫茶店じゃないよ」門を出てすぐの塀にお袋が立っていた。「豆差し入れる必要もないしね」

 黒のパンツスーツに、丈の長い茶色のコートを羽織っていた。本社から飛んで帰って来たのだろう。

 自宅にカメラや盗聴器があるのかもしれない。

 お袋の車が、運転手なしで路駐してあった。

「話長くなる?」昼を回っている。お腹が空いた。

「ドライブスルーなら寄ってあげる」お袋が親指で車を差す。「乗って?」

「仕事大丈夫?」

「午後休取った。社長は部長連れて朝から外回り。いい土地でも見つけたんでしょ。ほら早く。買い物行ってる主婦が帰ってきちゃうよ」

 買い物に行っている主婦というのは、向かいの家に住む、ミツ姉のお袋さんのこと。愛用している自転車がないので、留守だとすぐにわかる。

 ちなみに、部長というのは、ミツ姉の親父さん。社長(じいさん)にいいように運転手にさせられているんだろう。気の毒に。

 ドライブスルーでハンバーガーを買った。ポテトとシェイク付き。ミツ姉の手料理は手が込んで手美味しいけど、たまにこうゆうジャンクフードも悪くないと思う。

「納家の当主はさ」お袋がポテトを咥えながら言う。「お寺さんに任せとけばいいんじゃないの?」

「シマが嫌がってる」

「そもそも納家ってのは何やってたか知ってる? 人間に取り憑いた呪いを祓うために、その相手と身体を重ねてたの。初対面だろうと、どんな年齢だろうと、それこそ性別問わず。そうゆういかがわしい仕事だったのを、あの人は、克仲カツナカさんは、事故物件の処理にシフトさせた。納家を売春宿まがいの卑しい醜聞から解放したのは、間違いなく克仲さんの功績だよ」

 車は海沿いを走っている。

 冬の海は暗くて重苦しい。

「社長も喜んでたはずなんだけどね。なにせ事故物件を確かな方法で、しかも親族価格でお祓いできるんだから」お袋がハンバーガーに食らいつく。ハンドルを握りながら。「ここまで好条件だったはずの物件を契約直前で突っ返したのは、なんでかわかる?」

「巫女の愛した人は、呪いに侵食される」

「そう。いろんな人から聞いた? 知っといた方がいいよ。次期社長ならね」お袋が音を立ててコーラを吸う。「Lサイズにすればよかったかな。飲み終わっちゃった。ねえ、そもそも一人息子なのがいけないと思わない? 替えが利かないじゃん」

「じいさんは、親父が正式な跡取りをつくる前に死なれるのは計算外だった。だからお袋とくっつけた」

「知らないと思うけど、私だって、納家の遠縁なんだから。呪い祓いの力が受け継がれなかった、用なしの血族。どこで野垂れ死のうが、呪いとは関係ない世界で幸せになろうが自由。私の血なんか混ぜても、何の意味もない。まあ、誰でもよかったのかもね。納家の力を受け継いでいない人間ならさ」

 食べ終わった容器を袋にまとめる。お袋のも回収した。

「本題の質問いいよ」お袋がガムを口に放り込む。

 車を駐めた。ハザードを焚く。

「俺の母親は誰?」

「戸籍上は私だね」

「俺を産んだのは誰?」

 お袋がエンジンを切った。暖房が止まった。

「私の子は死産だった。知ってるのは克仲さんだけ。病室で泣いてたら、ミブキさんが来たの。生まれたばっかのを抱いて」

 ――わたしはもう一人女の子が欲しかったんです。

 ――申し訳ないけど、マヒカちゃんは巫女に向かない。

 ――この子を半分に割って、次代の巫女をつくります。

 ――余った半分をあなたにあげます。

 ――大丈夫。ちゃんと男の子だから。

 ――ただ、ひとつ約束してほしいんです。

 ――女の子が後継者を出産する前に、男の子が誰かを孕ませたら、その瞬間男の子は消えます。

 ――逆の場合、女の子は消えて、男の子は半身を取り戻します。

 ――私は巫女となる女子を産み、命を、この力を繋いでいかないといけません。

 ――悪い話じゃないはずです。

 ――どうしますか?

「つまりあんたは、納家の血をとても濃く引いてる。呪いってのが見えるでしょ? それは何もおかしいことじゃない。当然のこと。親友を救うために、分かたれた半身を娶るなんておとぎ話、子ども向けじゃないよ」

 本当のことなのだろう。

 なるほど、いままでで一番しっくりきた。

 婚前交渉を禁じたのは、俺を消さないためにお袋がやったと見ていい。

「だいじなミツアちゃん、悲しませたくないでしょ?」お袋がハンドルから手を離して助手席の俺を見る。

「ミフギさんは、子ども産んだら消えるってこと?」

「女子だったらね。男だったら、またやり直しかな。だから、結婚云々はお寺さんに任せてあんたは何もしちゃいけない。わかってくれた?」

 お袋は、じいさんが用意してくれた事務所まで送ってくれた。

「あんたの評判、どこ行っても聞くよ」お袋が別れ際に言った。「いい社長になるよ。もうここら辺の人はあんたのことを信用してくれてるんだから。あとはミツアちゃんを幸せにするだけだよ?」

「お袋は、親父のことどう思ってんの?」

「あんたのこと殴ってる理由、知ってたし。止めなかったのも、手当てしなかったのもごめんね。そうだなぁ、共犯者って感じかな。呪いとか、もう大丈夫なんだってね。本家当主と、前当主に感謝してる」

 車は本社と反対方向に走って行った。

 これで、

 ぜんぶ。だろうか。

 まだ俺が知らないことが何かあるような気がする。

 他の関係者は。

 ひとり。

 いるじゃないか。

 ああでも、シマのところにいるんだっけ?

 そんなこんなで1週間。

 ミツ姉から誘われた。

 クリスマスパーティ。

 参加者は、ミツ姉とシマとミフギさんと俺。

 場所は、ミフギさんの家。

 なんとなくシマとは顔を合わせづらいけど、そこらへんがミツ姉の目的なんだろう。

 いつも心配かけます。

 じゃあそのときでいいか。

 ミフギさんに聞こう。

 ミフギさんからの話を聞きたい。

















     03


 明日はクリスマスイブ。

 わたしの家でパーティして、皆でクリスマスを迎えるの。

 今日中に家の掃除を終わらせないと。

 叔父さんも、タテマも手伝ってくれてる。

 ミツアちゃんのおかげでシマくんも来てくれるってゆってたし。

 きっと、大丈夫。

「ミフギさま」叔父さんが言う。「明日から二日間、私は家を留守にします」

「ありがとう」

「もうすぐですね」

「うまくいくといいけどね」

「うまくいった暁には、私も」

「わかってる。ちゃんと連れてってあげるから」

「よき結果となりますよう」

 シマくんに刺されたところがずきずき痛い。

 座って休んでたら、タテマが心配そうな顔をして近づいてきた。

「顔色悪いよ?」

「やっぱ穴空いたのまずかったかな」

「姉ちゃんが溜め込んでる呪いがどんどん漏れてる。端から僕が食べてるからいいんだけど」

「タテマは? もう限界?」

「姉ちゃんが願いを叶えるまでは見届けるよ。実質無尽蔵なのが、僕の強みじゃん?」

 もうちょっとだけ。

 もうちょっとだけもってほしい。

 後継者をどうにかする前にわたしが消えちゃったら、この大量の呪いがどうなるかわからない。

 お姉ちゃんにこの力はない。

 納家の血を引いた女子でも、適正がなければ呪いを封じられない。

 先代のお母さんが消えちゃった本当の理由。

「わたしが生まれた理由が、たったそれだけなんて、ひどすぎるよね」

 お母さんとシマくんの家が話し合って、シマくんとわたしの婚約が決まった。

 わたしもシマくんも十歳にもなっていない。

 そんな二人を無理矢理くっつけて、後継者をつくらせるなんて気が狂ってる。

 シマくんがいい人だったから何事もなかったけど、もしそうじゃなかったら。

 お母さんに抗議した。

 確かにシマくんのことは好きになっちゃったけど、そうゆうのはシマくんの言う通り、もっとじっくりお互い仲良くなってからで。

「お互いの気持ちも、あなたの都合もどうでもいいの」お母さんが怖い顔で言った。「あなたは一日でも早く後継者を産んでもらわないと困るの。あの片割れが早まったことをしたら、すべて手遅れになるの。これじゃ何のためにあの人と離れてまであなたを分けたのか、わからない」

 そのとき初めて知った。

 わたしが、

 呪いから生まれたってこと。

「違う。違うの」お母さんが首を振って否定する。「たしかにあなたの半分は呪いかもしれないけど、残りの半分は確かにあの人と私の」

 後継者を産んだら私は捨てられる。

「捨てるわけない。ずっと、ずっと私が一緒にいるから、だから」お母さんがわたしを抱き締めようとした。

 嫌だ。

 イメージは、

 暗く重い澱。

 閉じ込めて。

 どろりと溶かしてごくりと呑み込む。

「あなたは幸せになんかなれない」消える直前、お母さんはそう言ってわたしを呪った。

 呪った?

 最初から呪いだったわたしを呪う?

 可笑しすぎて気が狂いそう。

 シマくんを触媒にしてわたしが封じるはずだった呪いを粘土みたいに捏ねて。

 シマくんそっくりの男の子をつくった。

 この子が、

 わたしとシマくんの子。

 それじゃ駄目なの?

「女を産まないとさ。巫女の後継者なわけだから」男の子は皮肉っぽく言った。「たったいま、あなたは巫女の力を受け継いだよ。僕をつくれたのがその証拠。ついでに名前くれない?お母さん」

「お母さんはやめてよ。恥ずかしい。うーん、お姉ちゃんのほうがいいかな」

「姉ちゃんがいいならそれで」

 タテマ。

「いーんじゃない?」タテマが満足げに口元を上げた。「奉納ってゆうんなら僕にぴったりだ」

「気に入ってくれた?」タテマの頭を撫でる。

 吸い込まれるような黒の、硬い髪質までそっくり。

 さよなら、お母さん。

 それともう一人。

 お父さんのフリをするニセモノのお父さん。

 眼の前でお母さんが消えちゃったを見てビックリして腰抜かして尻餅ついて動けない。

 神社に帰る?それとも。

「お母さんのこと好き?」聞いてみた。「答えの内容でどうするか決めるわけじゃないよ。ちょっと知りたかったから」

「なるほど、そうゆうことか」ニセモノのお父さんが、小さい声で呟いた。

「なんのこと?」

「まんまと社長に嵌められたわけか。さしずめ生贄だ」

「だから、なんのこと?」

「消すなら消せばいい」ニセモノのお父さんの顔が引き攣った。「でも神社と土地はエイスのものだ。あの悪徳社長の好きにはさせない」

「質問に答えてないよ?」

「ミブキさんは克仲くんしか見てないよ。わかるだろう? 宛がわれたお邪魔虫は道化を演じて消えるだけだ」

「もう一回だけ聞くよ? お母さんのこと」

「誰が好きなものか!あんな踊り狂ったお姫様」ニセモノのお父さんは大声で怒鳴った。「これで満足か? 呪いの巫女」

 ぱっくん、と。

 タテマが大口を開けて呑み込む。

「ミフギさま」叔父さんが畳に額をこすりつける。「お願いです。私も、どうか私も」

 叔父さんもぜんぶ見てたっぽい。

 隣の部屋にいたの、わかってた。止めないし止められないと思って無視してた。

「わたしに協力してくれたら、願いを叶えてあげる」

「なんでもします。なんでもしますから、ですから、ミフギさま」叔父さんは頭を上げない。

 わたしは、叔父さんの真ん前にしゃがむ。

「ねえ、叔父さん。叔父さんが知ってること、ぜんぶ教えて? この家のこと、お母さんのこと、本当のお父さんのこと、ぜんぶ」

 わたしの半身は、ホンモノのお父さんのところにいるらしい。

 この町で知らない人はいない、有名な不動産会社の次期社長。

 あれ?おかしいな。

 次期社長は順番からしてホンモノのお父さんじゃないの?

 現社長の父親に嫌われてる?

 へえ。

 かわいそう。

 社長補佐っていう肩書で買い殺されてる?

 ふうん。

 わたしの半身と、半身のニセモノのお母さんは知り合いの家に逃げてる?

 ホンモノのお父さんが殴るから?

 なんだ。

 半身もわたしと同じくらい不幸だね。

 そう思ってたのに。

 わたしがシマくんに相応しい女の子になるために、巫女として呪いを封じて封じて封じ続けていた間に。

 半身がシマくんと付き合ってた。

 シマくんが、半身に告白した。

 しかもわたしと初めて会ったその直後に。

 ああ、そっか。

 わたしを見て、半身のことを強く意識しちゃったんだね。

 そんなに似てるのかな。

 会ってみたいな。

 会って、

 シマくんを返してもらおう。

 半身はそもそもわたしなのにね。

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