第2章 でもその人はわたしのことが好きじゃなくて

     1


 朝。

 床で寝たので背中が痛い。

 ソファで気持ちよさそうに寝息を立てている顔をのぞく。

 その瞬間に、ぱちりと眼が開いてビックリした。

「おはよう」シマがのそりと上半身を起こす。

「お、おはよ」

「人の寝顔見て何やってたわけ?」

「いや、特になんつーわけでも」

「ならいいけど」シマはぶるりと肩を震わせて、床に散らばった服を集め始めた。

 背中がやけに白くて眼を逸らす。

「あー、俺、シャワー行ってくるわ」眼のやり場がなくて逃げる。

「じゃあ私も」

「お前先いいよ」

「なんか避けてないか?」

「いや、別にそうゆうわけじゃ」

「3年分の償いのこと?」

「あ、まあ、うん」言葉が出てこない。「その、悪かったよ。お前は真剣だってのに」

「気にするなとは言えないが、君にそうゆう態度を取られていたほうが苦痛だな」

「ごめん」

「先に行ってくるから、いつものいい加減な君に戻っておけよ?」

「わかった」

 どう考えても最低だろう。

 3年も放置した恋人に。

 女を宛がった挙句。

 その恋人が泣きついてきたら。

 慰めるフリして朝までコース。

 アレ俺こんなにゲス野郎だったっけ?

 そしてこの最低なタイミングで玄関のドアノブがかちゃかちゃいっている。

 シマに急いで浴室に隠れるようにジェスチャーした。

「別に急がなくていいよ」ミツ姉が全部お見通しです的な声で言う。まだドア開けてないってのに。「別に今更何とも思わないしどうでもいいよ。服着たらでいいから開けてくれる?」

 シマの服を脱衣場に放り込んで、窓を開ける。換気をしながら、床に散らばったいろいろをゴミ袋に詰め込む。

「お、お待たせしました」

「シマくん?」ミツ姉が心底どうでもよさそうに言う。

「さすがー」全部バレてる。

「どうせヤり足りなくてお持ち帰りしたんでしょ? ちょうど連休だしね」

「え、人聞き悪すぎない?」

「今日の予定憶えてる?」

「あ」

 朝から召集だった。

 時刻は。

「急いで寝ぐせ直せばギリギリかな」

「さいですか」

 ごめん、シマ。と心の中で手を合わせて。

 いざ向かうは、シマの実家。

 もしやそれもあってシマは帰ってきてたのか?

 違うか。なんもかんも嫌になって逃げてきたってゆってたし。

 んじゃあシマの欠席裁判だろな。

 嫌だな。

「昨日の今日じゃ気ィ重い?」ミツ姉が振り返る。背中越しでも俺の心情が手に取るようにわかってる。

「うーん、なんつうか、まあ。よくはない、かな」

「歯切れ悪いなぁ」ミツ姉が肩を竦める。「次期社長サマは堂々としてないと」

 と言って、すれ違いざまに俺の背中をばしんと叩いた。

 痛かった。

 けど気合は入った。

「あんがと」

「どういたしまして」ミツ姉は手を振って足を止める。「いっといで」

「いってきまーす」

 ミツ姉はここまで。

 ここから先は、

 女人禁制会議。

 なんだそれ、て思ってそのままだいぶ経った。言ったところで誰も疑問に思ってない。

 内部は、冷房つけてるんじゃないかってくらい、外よりぐんと冷えた。

 いつものただっ広いなんたら会館。

 壁にかかった事務的なカレンダーが眼に入る。

 11月。

 そうか、もうそんな時季か。

「おうおう、こっちだこっち」入り口から一番近い場所に陣取っていた親父が手招きする。「つうかお前、いつから俺よりお偉くなったんだ?」

 無視して座布団を引っ手繰った。下手に返答すると面倒なことになる。会話が長くなるという意味で。

「まあまあ、かっちゃん。若いうちはなんぼでも眠れるもんだよ」シマの親父さんが向かいから身を乗り出して仲裁に入ってくれる。「おはよう、モリくん。こないだはどうも」

「おはよう、ざいます」親父と眼を合わせないために、眼を合わせて挨拶を返した。

 畳上にコの字型に長テーブルが設置されており、俺の家は一番下手しもての席。

 向かいがシマの家。シマの親父さんとシマの弟が並んで座っている。

 そして、俺の家とシマの家を繋ぐテーブルにいるのが、ノウ家。

 着物姿の髪の長い女が座っていた。

 日本人形みたいな不気味さがあった。

 ん?

 女??

「当主が所用により」男の声だった。「欠席のため、代理を務めます。現当主の叔父のノウ長覚おさめと申します」

 叔父?

 え?どうゆうこと?

 誰も不思議そうな顔をしてないからきっと俺だけがおかしいんだろう。

「今日集まってもらったのは」シマの親父さんが口火を切る。「うちのシマとそちらさんのご当主、ええと、ミフギさんとの縁談の件だ」

「はあ? お前それ10年も前に熨斗付けて返したとか言ってただろうがよ」すかさず親父が食ってかかる。

 親父のこうゆうところがひたすらに恥ずかしくて醜い。絶対に本人には言わないが。

「納家の代理の方」シマの親父さんが身体の正面を向けて畳に額を付ける。「返事を有耶無耶にして放置した罪はワシが購う。その上でもしまだあの話が活きているのなら、是非うちのシマジに受けさせてもらえないだろうか」

「だ、か、ら、よ、お前らは自分てめぇで破談にしといたろ?」親父は膝立ちになって唾を飛ばす。「んで今更ひっくり返すとか、できるわけねぇだろうが。どんだけ面の皮分厚いんだよ」

「かっちゃんは黙っとくれ」

「はあ? うっせえよ、だいたいテメェは昔っから」

「ご両人、どうか静粛に」納家の代理人が落ち着いた声で左右を射る。「当主の希望は最初からシマジ様です。シマジ様のお父上が望まれるなら、これ以上ないほどの良縁でしょう」

「有難きお許しで」シマの親父さんが上げたばかりの頭をまた下げる。

 シマの弟も前倣えで頭を下げた。笑えるくらいまったくおんなじ角度で。

「俺は認めねェぞ。なんでよりにもよってお前らんとこに取られなきゃいけねぇんだよ」親父はまだ吼える。

「君のとこのだいじな一人息子には、それこそ生まれる前から婚約者がいると聞いているが? ねえ?」シマの親父が俺に視線を投げる。

 頼むから巻き込まないでくれ。

 ぬるくなったお茶を啜って適当にいなす。

「あ? 俺の家のことに首突っ込んでんじゃねェよ」

「そっくりそのまま返すよ」シマの親父さんが呆れたように無毛の頭を撫でる。「ワシらの家のことに首を突っ込まんでくれるか、かっちゃん」

 シマの親父さんは目線で俺の親父を牽制しながら、シマの弟に台所を見てくるように囁いた。

 席を外させた。

「いい機会だから言わせてもらうが」シマの親父さんは足音が聞こえなくなってから口を開いた。「いつまで引きずってるんだね。いい加減にしたらどうだね」

「何の話してんだよ」親父の反応が明らかに鈍くなった。「おい、テメェも便所でも行ってこいや」

 手加減の一切ない肘鉄が飛んできたので、これ幸い、退室できる。

 この二人は、口を開けば犬と猿みたいに一生キーキーきゃんきゃんやってる。

 トイレに行くと、まさかの姿があった。

「行くなら声くらいかけてくれればいいのに」シマがこちらを見ずに言う。やけに熱心に手を洗っている。「予想は付いたから追いかけてきたけどね」

「悪い」

「君はさ、謝るくらいなら次からやらないとかないわけ?」

「ごめん」

 洗ったばっかりの冷たい手が俺の頬に触れた。

「つめた」

「また殴られてない?」シマが心配そうに俺の首から下を検分する。冷たい手でぺたぺた触り始めた。

「昨日散々見たろ?」

「暗くてよく見えなかったな」シマの手が俺の胸を撫で、腹部へと下りてくる。

「午前なんですけど?」

「怪我がないか見るだけだよ」

「心配性」

「イチャイチャしてるとこ悪いけど」ミツ姉が廊下からのぞいていた。「そろそろ戻ってね。お食事会の準備できたら点呼とられるよ」

 シマが耳を真っ赤にして俺から離れた。

「こっち男子トイレ」シマを後ろに隠してミツ姉を睨む。

「はいはい」ミツ姉は相変わらずどうでもよさそうに踵を返す。「シマくんもおいで。今日の唐揚げ、上手く揚がったから」

 なんたら会館に戻ると、長テーブルにミツ姉たち渾身の料理が並んでいた。寒々しい空間に温かさといい匂いが立ちこめる。

 親父とシマの親父さんは膝を突き合わせて酒を飲んでいたので、本日のキーキーきゃんきゃん大会は中断になったらしい。いや、この二人を黙らせる最短最速の方法が実行されただけだろう。

 俺のお袋と、シマのお袋さんが日本酒とビールの瓶を抱えて後ろに控えている。背筋が凍りそうな笑みを湛えて。

 だから女ってのは怖すぎる。

「兄貴、帰ってきてたの?」シマの弟が目敏く見つけて駆け寄って来る。「こっち座りなよ」

「終わったら帰るよ」シマは首を振って俺の隣に座った。

「じゃあ俺ここにしよっと」シマの弟はその隣に座った。

 ミツ姉は手際よく料理を全種類盛合わせて、俺とシマと、ついでにシマの弟の前に置いた。

「男の子はいっぱい食べなきゃね」

「いただきまーす」3人同時に手を合わせた。

 納家の代理人とやらはいなくなっていた。

 ミツ姉の両親も合流して、三家族合同の恒例月一食事会が始まった。

 食事会に並ぶ豪勢な料理を作ってもらっている間、何もできない使えない男共がぎゃあぎゃあ言い争いをする醜い会に強制参加になっているのが苦痛で仕方ない。女人禁制なんかじゃなくて、いても邪魔な男が追い出されているだけだとさっさと気づけ。

「味薄かった?」全員の手元に料理を盛り合わせて戻ってきたミツ姉が俺の隣に座る。

「いんや、最高」

「じゃあもっと美味しそうに食べてよ。作ったシェフがここにいるんだから」

「さすが俺の嫁。毎日味噌汁作ってください」

「もうちょっと心込めて言ってくれれば言うことないのに」ミツ姉があきれて溜息を吐く。

「相変わらずいい食べっぷりね。花嫁修業の甲斐があるわね」ミツ姉のお袋さんが熱いお茶を継ぎ足してくれた。

「ありがとっす」

「ああ、そうだ。これ、よかったら、みんなで行ってきたら?」そう言って、某遊園地のチケットを4枚、俺とミツ姉の前に置いた。「シマくんも、よかったら。婚約者も決まったことだし」

「え」シマの表情が凍りついた。「何の話ですか」

 そうか、さっきの無駄会議。シマは不在だった。

「あら? ごめんなさい。てっきり」しまったとばかりにミツ姉のお袋さんは口に手を当てる。

 シマは無言で立ち上がって、酔っ払い二人の前まで移動した。

「おお、よかったな~、シマ。縁談まとまったぞ」そして空気の読めないシマの親父さんがシマの肩に手をかけようとしたところを。

 振り払った。

 シマが、

 泣きそうな顔をしているのに耐えられなくて。

「すんません、親父さん。ちょっと説明してきますんで!」シマの腕を引っ張って外に出た。

 ミツ姉辺りがついてきているのは百も承知で、できるだけ境内の外れまで走った。

 樹木が生い茂る木陰。

 シマの手は氷のように冷たかった。

 黙って抱き締めた。

「いたい」シマの声が震えている。「痛いって、モリ」

 なんて声をかけていいのかわからなくて、更に腕に力を込めた。

「君が気にすることじゃないよ」

 でも。

「それとも、私を選んでくれるのか?」

 腕の力を弱めて、見えたシマの顔は。

 すごく、

 綺麗に見えた。

「私たちの関係は、大学卒業と同時に終わる。いや、その前に自然消滅してたんだっけ?」

「そっちはごめん」

「縁談は受けないよ。妻帯しないのが、私がここを継ぐ条件だから」

「え、断んの?」

 すでにまとまった縁談って断れたっけ?

 というか、森羅万象ごとどうにかできそうなシマの親父さんの決定を覆せるビジョンがない。

「言ってもいい?」シマが言う。

「付き合ってること?」さすがにそれは。「俺のとこにも知られるしな」

「ごめん、そこまで想像してなかった」

 ミツ姉は絶対にそこらへんで聞いてると思うけど、いないことにして。

 シマの手を握った。

 さっきよりちょっぴりあったかくなってるような気がした。

「あんまりそうゆうことすると、別れるときツラいな」シマが苦笑いする。

「先のことあんま考えてない」

「だから、私のも断らなかったのか?」

「わかんない。ちょっとごちゃごちゃしてきた」

「そろそろ戻らないと」

「そっちが大丈夫ならいつでも」

 再びなんたら会館に戻ると、一瞬得も言われぬ敵意の視線が刺さったような気がしたが、誰のかはわからなかった。ここにいる全員の総意かもしれない。

 そりゃそうか。

 俺さえいなければ、シマもシマの家も俺の家もミツ姉の家も。

 やばい。結構頭がぐちゃぐちゃしてきた。

「大丈夫?」ミツ姉が淹れたてのカフェオレを持ってきてくれた。「あったかいの飲んで落ち着こう?」

 やっぱり俺たちを追いかけてきてたんだとわかる。だってそっちは台所だから。

 俺は、

 どうすればいいんだろう。

「これ、私も行ってもいいかな」シマが某遊園地のチケットを指さす。「みんなで行こうよ。ほら、モリとミツ姉と私と、もう一人は、そうだな、納さんとか」

 シマが言った名前にひっくり返りそうになった。

 いいの、それ?

「いいわね、ダブルデート」と、ミツ姉のお袋さんがうっとりしたような顔と声で両手を合わせたのが視界の隅で見えた。

 いや、よくないだろ、なんだよそれ。

 ダブルデートなんかじゃなくて、

 ダブル、いや、トリプル修羅場では??










     2


 翌日、3連休の最終日。

 シマが京都に戻る前にそれは決行された。

 見事な秋晴れで、清々しい風が顔を撫でる。絶好の行楽日和。

 某遊園地のメインゲートをくぐった広間のベンチにいる。

 普段着の俺と、

 ちょっとおめかししたミツ姉と、

 昨日買ったばっかの服で揃えたシマと、

 そして。

 京都行ったときより更に気合の入りまくった衣裳と化粧のミフギさん。

 なんでこうなった?

「じゃあ、2ページ目開いて?」ミツ姉がもたつく俺ら(もたついてるの俺だけか)に指示をくれる。

 ミツ姉お手製の冊子(昨日の午後から半日で仕上げたにしては完成度が半端ない)には、本日のタイムスケジュールが記されている。

「4人まとめてだと動きづらいので、1時間ごと2-2に分かれます。分かれるペアはあたしの独断と偏見で順番も決めています。まずは、モリくん・ミフギちゃんペア、あたし・シマくんペアね」

 シマとミフギさんの表情がまったく同じタイミングで濁った。

 濁りはしないが俺だって似たような気持ちだ。

 初っ端からこの荒れに荒れたペアなのはなんで?

「はい、そこ。言いたいことありそうだけど却下ね」ミツ姉がすかさず口答えを封じる。「1時間後に、次のページのマップの左上の、そう、赤い丸したレストランに集合ね。そこでちょっと早めのお昼食べつつ次のペアを発表します。ここまでで質問ある人?」

「はい」シマが我先に手を上げる。

 手を上げようとしたミフギさんが思わず譲ったほどに鬼気迫っていた。

「はい、シマくん」

「ペアはくじ引きでは駄目だったのですか?」

 本当に訊きたいことは他にあったんだろうけど、相手がミツ姉じゃ無意味だと重々理解しているからこその切れの悪い質問だった。

「いい意見だね」ミツ姉が慈愛たっぷりに笑う。俺の愚かな推測ごとばっちり見抜いた上のこの笑みだろう。「でもシマくん、そんなに強運じゃないでしょ? もし3回とも望まぬペアだったら、シマくん帰っちゃうんじゃない?」

「確かに帰らない保証はないですね」シマが顎に手を当てて肯く。

「はーい。ミツアちゃん」ミフギさんが手を上げる。

「はい、ミフギちゃん。どうぞ?」

 移動の電車内でミツ姉の愛ある質問攻めに遭い、すっかり打ち解けた女子二人。いつの間にやら「ちゃん」付けで呼び合うようになっていた。

 女子はすぐに仲良くなるから怖い。

「盛り上がりすぎて時間に間に合わなかった場合、ペナルティとかはあるの?」

 取らぬ狸の皮算用的な虚しい質問だと思ったが、たぶんこれは違う。

 俺とシマがペアになる回への牽制だ。

「そうねえ」ミツ姉もちゃんと質問の意図を理解している。そうゆう顔で首を捻った。「そのときは、意地でも捜そうか。迷子放送とかも使っちゃおう」

「罰ゲームはないの?」

「ううん、そのとき考える、でいい? まだそうなってないわけだしね」

「はーい、わかったー」ミフギさんは、自分の質問の意図を隅々まで汲んでくれたのが嬉しかったらしく、それ以上の追及はしなかった。

「他には? モリくん?なんかある?」ミツ姉が言う。何の発言もしていない俺を気遣った声掛けというよりは。

 文句ある?言わせないよ?的な意味合いが強い口ぶりだったので。

「いえ、なにも。完璧な采配です」と答えるほかなかった。

 10時半。

「よろしい。じゃあ、第1回ペア、行ってみよう!」ミツ姉はシマの細腕をぐいぐい引っ張り、人混みに紛れて見えなくなった。

 シマは人生に諦めたような微妙な表情を浮かべて、俺にだけわかるように小さく手を振っていた。

 ああ、やっとわかった。

 ミツ姉の狙いは、ミツ姉以外のペアは余りものという意味合いでしかなくその実、

 ミツ姉と組まされた相手のカウンセリングだ。

 そもそもシマがこんな暴挙に出たのは、このデートでミフギさんに嫌われるような行動をして、ミフギさんのほうから婚約を破談にしてもらう狙いがあった。シマに聞いたのでこれは確かだ。

 シマの企みが完全に乗っ取られている。

「シマくんがどんなひどいことしたって、わたしは嫌いにならないよ?」ミフギさんが歩きながら言う。

「え、なんだって?」

「とぼけなくてもいいよ。言ってなかったけど、わたし、シマくんが考えてることがわかるの」

「え?」

 ミフギさんは笑っていない眼でにっこり笑う。

 冗談やブラフの類ではなさそうだった。

「今日はタテマくん付いてきてる?」きょろきょろと周囲を探ってみる。

「必要があればね。わたしの予想だと、お昼ご飯のあと、わたしとシマくんのペアになりそうだし、シマくんと乗りたいアトラクションの下調べしよっと。付き合ってくれるよね?」

「りょーかいで」

 俺に拒否権はないし、別にミフギさんと二人っきりで行きたい場所もないし。

 そもそもどんな乗り物があるのかもよく知らない。調べていない。

 遊園地自体、あんまり来ないし。いや、来たことあったかな。

「これ」ミフギさんがこの遊園地のガイドブックを俺に突きつける。見開きの園内地図のページに色取り取りの書き込みがあった。「候補は5つ。1時間しかないなら、並ぶ時間も含めて2つ乗れたらいいほうかな。モリくん的にシマくんが好きそうなのとか嫌いそうなのとか教えて?」

 人の流れに巻き込まれないように花壇の脇によける。

 ミフギさんのピックアップは以下の通り。

 ジェットコースター。

 ティーカップ。

 メリーゴーラウンド。

 お化け屋敷。

 観覧車。

「すごく順当だね」

「それ褒めてる?」ミフギさんがぷうと口を膨らませる。「ねえ、どれがいいと思う?」

「そーですねー」ぶっちゃけどれも嫌がりそうだな。「お化け屋敷とか?」

「シマくん怖いの苦手? 好き?」

「聞いてみれば? あ、でもシマの考えることわかるんだろ?」

「見える範囲にいないとさすがにね」

 一応距離判定があるのか。

「移動中に探っとけばよかったろ?」

「ミツアちゃんがぴったり張り付いてたし、でもミツアちゃんいい子だったし、ミツアちゃんとも仲良くなりたかったし、それにシマくん、わたしのことなんか全然見てなかったし、外の景色見てるふりして、ずっとモリくんのこと見てたんだもん」

「へ、へえ」よく見てるね。俺ほとんど寝てたから知らないや。

「お化け屋敷だとカップルみたいだけど、シマくんが怖いの得意だったらわたしを置いて行っちゃうでしょ?」

「あー、シマ割と怖がりだぞ? 霊感あるくせにな。逆にあるから怖いのかな」

「ホント??」ミフギさんの眼がキラキラと輝く。「シマくん怖いの駄目なの? じゃあわたしが守ってあげないと。お化け屋敷にしよっかなぁ」

「ちなみにミフギさんは?」

「全然。だってもっと怖いの知ってるもん」

 確かに。

 とてつもなく説得力があった。

 ミフギさんに引っ張られて、お化け屋敷の下見に来た。待ち時間は現在なんと1時間。

「ダメじゃん」

「あ、いいこと考えた」ミフギさんが指を一本立てる。「いまのうちに並んでおいて、次のペアのときにすぐに乗れるようにすれば」

「次の予定昼メシ」

「あ」

 目算で10組くらいしかいないのにおかしいなと思ったら、所要時間が約40分らしいので、中で他の客と鉢合わせないようにするための時間配慮が加味されているのだろう。

「どうしよう」

「どうしても行きたいんだったら、俺が並んどくから、時間になったらミツ姉に事情話してスケジュール変えてもらうのは? ついでにシマも連れてこいよ」

「え、いいの?」

「俺は別に。特に乗りたいもんもないし、楽しみにしてた奴が楽しめばいんじゃない?」

「ありがとう、モリくん」ミフギさんは本当に嬉しそうな顔で笑った。「シマくん来てくれるかなぁ。モリくんが待ってるって言えば来るかなあ」

「それだと騙し討ちになるだろ? ちゃんと説明してわかってもらって連れて来るように。俺がアドバイスできんのはそれだけ。んじゃ、とりあえず並んどくわ。好きなとこ回ってきなよ」

「わたしも待ってていい?」

「なんで? 1時間退屈じゃん」

「じゃ、じゃあ飲み物とか買ってくる」

「いや、トイレ行きたくなるし」

「でも待っててもらうの悪いし」

「一緒に待ちたいなら好きにすればいいけど、他のとこ下見しなくていいのか? お化け屋敷終ったあと、時間あるかもしれないだろ?」

「あ、そっか」ミフギさんが両手をぽんと叩いた。「モリくん、頭いいね。そうする」

「そうしてくれ。んじゃあ」

 ミフギさんが足取り軽く駆け出したのを見送った。

 正直、一緒にいてもなに話していいのかわからなかったから、どこぞへ行ってくれて助かった。

 前のカップルがひたすらどうでもいい非建設的な話をしているのをBGMにぼんやりと待機。

「姉ちゃんのこと気遣ってくれて悪いね」急にタテマくんが現れた。

 サイズの大きいパーカーに着られて、首周りからのぞく蒼白く不健康そうな肌が秋晴れの空に曝されている。

「気遣わないと呪われるんでね。こちとら必死ですよ。てか、やっぱ付いてきてんじゃん。重度シスコンくん、ちゃんとチケット買えましたか?」

「バカにしてる?」

「ガキじゃん」

「そのガキに2回も手ェ出しといてよく言う」

「滅茶苦茶痛いな、それ」思わず顔を覆った。「なんで真昼間にそうゆうの思い出させるの」

「すけべー」

「男はだいたいこんな感じ」

「僕はそうでもないけど?」

「ガキだからね」

「もっかい言ったほうがいい? ミセーネンインコー」

「最悪だ」

「どっちが」

 後ろにいる男子二人はわいわいと話に夢中で、俺たちの下世話な会話の内容には気づいていなさそうだった。よかった。ヘンタイだと思われたら困る。

「本当に俺の呪いなんとかしてくれるよね?」

「姉ちゃんの機嫌次第かな」タテマくんが小首を傾げる。

「ほら、一生奴隷コース真っ逆さま」

「姉ちゃんが近くにいる限り、悪化はしないからそこは安心していいよ」

「一生一緒にいろってことか?」

「用済みになったら呪いどうにかしてお別れじゃない?」

「身も蓋もない」

 タテマくんのお陰で1時間待機もそこまで苦ではなかった。他愛ない話をしているうちに順番が来そうだった。

 11時半。

 集合時間だ。後ろの男子二人を先にしてあげればちょうどいい頃合いに合流できるだろうか。

 男子二人に声をかけようとしたタイミングで、ミフギさんがシマを連れて、というかミツ姉も一緒にこっちに来るのが見えた。

「順番取っててくれてありがとう、モリくん」ミフギさんが申し訳なさそうに上目遣いする。「あのね、4人で行くことになったの。いい?」

「そっちがいいなら」ミフギさんの後ろの二人を交互に見た。

「むしろそれじゃないと行きたくない」当然とばかりにシマが言う。

「一組4人までいいみたいね」ミツ姉が注意書きの立て看板を確認する。「そうゆうことになったから、スケジュールは変更受理したの。楽しいほうがいいしね」

 順番になった。タテマくんは入れ違いでポップコーンを買いに行った。キャラメル味が好きなんだとか。

 お化け屋敷は、廃病院を模している。薄気味悪さがやばすぎる。

 あれ、結構ガチなやつ?

 ミフギさんは平気な顔してすたすた先頭を歩く。その後ろに俺とシマ。しんがりがミツ姉。

 暗い。不気味。足元見えない。なんか変な声が聞こえる。悲鳴? 赤ん坊??

 こわ。

「シマくん、こうゆうの大丈夫?」ミフギさんが半歩緩めて、シマの横に並ぶ。

「面白い?」シマが尋ねる。

「シマくん楽しくない?」

「来るの初めてだし。様子見してる感じかな」

「そうなんだ」

 思いのほか会話が続きそうだったので、俺は一歩下がってミツ姉に並んだ。

「なに? 怖くなった?」ミツ姉がにやにやと笑う。

「え、怖くない?」

「うーん、怖いは怖いけど、お腹空いててね。気が散ってる」

「ごめん。ここ抜けたらなんか食べよう」

「レストラン、混んじゃってるよ」

「段取り狂ってるのもごめん」

「謝ってばっかじゃん」ミツ姉に頬をつつかれる。「もうちょいテンション上げてこう」

「りょーかいで」

 頭の中身を取り出した形跡のある手術室。血痕が飛び散る診察室。人骨とミイラが横たわる病室。

 内装はベタだけどちゃんと怖い。脅かし役もちらちら気配を感じるけど敢えて姿を見せない。誰かいるんじゃないかってゆう息遣いと衣擦れの音が、静かなせいで増幅して聞こえるのが逆に怖い。

「いる?」病室の廊下に出てから、シマに耳打ちして聞いた。

 シマは俺の顔を見ると、意味深に笑って首を傾げた。

 わざとやってるな?

 建物を出るときに、聞こえるか聞こえないかのすれすれのヴォリュームで、おだいじに、と聞こえたのが一番ぞくりと来た。

 なんか、寒いし。

 12時15分。

 明るい所に出たから気づいたけど、

 三人とも表情筋死んでない? 全然怖くなかった?

「まあまあだったね」ミフギさんが言う。

「あれなら実家の蔵のほうが怖いな」シマが言う。

「どうでもいいからお腹空いたー」ミツ姉が言う。

 俺だけビビってるのに感づかれるのが嫌なので黙っていた。

 12時20分。

 ミツ姉の引率でレストランに移動。ちょうどお昼にどっかぶりしたせいでテーブルが空くまでだいぶかかりそうだった。仕方ないので移動販売車でパンとかポテトとか買ってベンチで食べた。ミツ姉は物足りなさそうだったので、次のペアの俺がなんとかしようと思う。

「他にレストランてないの?」ミツ姉の用意してくれた冊子を開く。園内マップがある。

 ミフギさんに急かされたシマが懇願するような眼で振り返ったから、無言で手を振った。

 頼むから1時間耐えてくれろ。

「ないことはないけど、ご飯は大勢で食べたいでしょ?」

「じゃああれは?」ちょうど真ん前で売っていた。「奢るよ?」

 遊園地のマスコットの人形焼き。

「ご飯の前に食べちゃ駄目だけど、ううん、糖分はあったほうが頭働くよね」

「かしこまりました。しばしお待ちを」

 販売車の陰にタテマくんがいた。ポップコーンは半分ほど減っていた。

「小遣いあげるの忘れてたな」

「姉ちゃんからもらってるから」タテマくんは不要とばかりに首を振った。

 袋に入れてもらった人形焼きを受け取る。代金と引き換えに。

「ほい」内一つをタテマくんに渡した。

「あんこはちょっと」

「そう言うと思って、チョコにしてやった。ほれ、もらっとけ」

「そうやって誰かれ構わず愛想振りまいてるとあとで痛い目見るよ?」タテマくんは満更でもない様子で包みを受け取る。「ありがと」

「どういたしまして」

 ミツ姉とベンチに横並びで座る。ミツ姉が人形焼きを次々口に放り込むのを見ていた。

 長閑だ。

 人がわらわらいるのと、お化け屋敷を出てから背中がうすら寒いのを除けば。

「少しましになったかな。ありがとう」ミツ姉が袋を丸めながら言う。「ゆっくりしちゃったからあんまり時間ないかも」

「短時間で周れて面白そうなとこない?」

 ゲーセンがあった。各コーナにスタッフが配置されていたので、雰囲気は祭りの屋台に近かった。猟銃でやる射的(景品は遊園地のマスコットグッズ)とか、遊園地のマスコットが印字されたカラーボールを掬う水槽とか、遊園地のマスコットぬいぐるみのクレーンゲームとか。

「やりたいのある?」

「定番はあれだけど」ミツ姉がクレーンゲームを指さす。「あのキャラクターあんまり可愛くないよね。そもそも何の動物を元にしてデザインされたのかがまったく見当つかないキメラっぷりが」

「しー」スタッフがこっちを見た気がしたので、口に一本指を立てた。

 ミツ姉は相変わらず手厳しい。でも、こうゆう歯に衣着せぬ言い方が結構好ましかったりする。

 俺があんまりはっきり物事を表明しないせいか。

 結局冷やかして周っただけで特にプレイはしなかった。そこそこ客がいたのでコソコソ紛れて屋外に出る。

「なんだかんだ集合時間かな」ミツ姉が腕時計を見る。「あたしらのやったこと、いつもとあんまり変わらなかったね」

「このあと昼メシだっけ?」

 13時15分。

 レストランは1時間前よりはマシだったが、まだまだ待機列が続いている。もう一時間後ならさすがにお昼時間から外れるので席の確保は問題なさそうだけど。

「どうする?」

「このあとミフギちゃんとだから、一緒にソフトとか食べようかな」

「食欲すごいね」

「食欲の秋でしょ? 美味しいものいっぱい食べなきゃ」

「ミツ姉、お弁当作るってセンはなかったの?」

「昨日あれだけフルコースしたからね」ミツ姉が苦笑いする。「二日連続であたしの料理じゃ厭きちゃうでしょ?」

「毎日食べる予定の人がここにいるのに?」

「それもそうだった。そういえばそうだね」ミツ姉がくすぐったそうに笑って、片腕をパンパンと叩く。「ではでは、次にどこか行くときはシェフの腕を振るいましょう」

「期待してる」

 ちょっといい雰囲気になったところで、ミフギさんとシマが合流。

 13時20分。時間通り。

「まだ混んでるから、最後のペア回していい?」ミツ姉がお腹をさすりながら言う。

 一番空腹の限界に達しているミツ姉からの提案なので、俺ら3人が異を唱える理由はない。

「んじゃあ、また1時間後にね」ミツ姉が解散宣言しながらレストランを背にする。

「ミツアちゃん、カフェならいてるかも」ミフギさんがマップを見せながら追いかける。

 取り残された、俺とシマ。

「どこ行く?」

「目立たないのは観覧車かな」シマが遠くに見えるそれを指さす。

「おーけー」

 10分くらい並んで、黄色いゴンドラに乗った。虹みたいにゴンドラの色がグラデーションになっている。

「一周15分か。あっという間だね」乗り込んでからシマが言う。

「お前大丈夫だったの?」さっきのペアの話をしている。「よく耐えたな」

「ジェットコースターだったから、顔見なくてよかったし、話もする必要なかった」

「なるほど。お前のリクエスト?」

「消去法だよ。5択、君も見たろ?」

 確かに。ティーカップとメリーゴーラウンドと観覧車のどれもカップル専用だ。

 だんだん地面が遠ざかる。

「高いとこ平気?」

「一緒にいる人による」シマがリラックスして座っているのがわかる。

「なんだよそれ」

「余計な邪魔がいたけど、いまのこの時間は悪くないな」

「そりゃよかった」

 前と後ろのゴンドラの中身をちらりと確認して、シマの隣に移動する。

 天辺に差し掛かったときに、やりたいことがあった。

「何?」と言いつつ、シマは嫌がってはいなさそうだった。

「ミフギさんにひどいことして嫌われる作戦、ミツ姉に止められたろ?」シマの耳の傍で言う。

「ミツ姉ってなんであんなに強いんだろう」かかる息がくすぐったいのか、シマが身をよじる。

「食べる量じゃね?」

「たしかに」

 シマはいい匂いがする。

「昼メシ食べたら京都帰んの?」シマの細い指をなぞる。

「明日は朝から必修だからね」

「帰るフリしてどっか寄れない?」

「言ってなかったけど、割と身体バキバキなんだよ。どっかの誰かのせいで」

「へえ、誰だろ」

 シマがこっちを見た。

「眼玉に映ってない?」

「よく見えないな」

「近づいていいよ」

 天辺になったタイミングでやりたかったことがやれた。

 さっきシマが飲んでいたコーヒーの味がした。

「別れたくないな」思わず口に出てしまった。口を押さえても遅い。「あ、悪い」

「聞かなかったことにするよ」と言いつつ、シマの目元が緩んでいる。

 あとは下降するだけ。

 俺とシマの関係も、あとは下るだけ。

 下りて、

 落ちて。

「なんで高校のとき忘れてたかなんだけど」

「私が傷つく答えなら言わなくていいよ」俺の肩にもたれていたシマが座り直す。

 地上が近い。

「引っ越しの見送りした憶えがないんだよな」

 シマは黙って正面を見つめている。窓の外の景色かもしれない。

「なあ、俺ら、ケンカした?」

「かもしれないし、もうどうでもいいよ。忘れてるならその程度ってことだから」

 地面に到着。

 シマが先に立ち上がる。

「終わろう。もう、限界だよ」

 シマの背中が遠くてゴンドラから降りるのが遅れた。

 14時30分。

 その日、昼メシに何食べたかどんな味がしたか全然思い出せない。





















     2-1 ミツ姉とシマくん


 ミツ姉に引っ張られてティーカップに乗せられる。タイミングがよくて並ばずに乗れてしまった。

 白地にショッキングピンクの水玉の、そこそこどぎつい柄のカップ。

「シマくん酔ったりとかあったっけ?」ミツ姉が中央のハンドルを回してやらんと構える。

「お好きにどうぞ」止めても無理そうだったので任せた。

「んじゃあ、遠慮なく」

 本当は電車移動だけで結構気持ち悪くなっていた。

 隣に座らせたモリはほぼ船漕いでいた。

「ミフギちゃんを誘ってくれてありがとうね」ミツ姉が言う。

「1枚余ってたじゃないですか。勿体ないでしょう」

「あの子、本当にシマくんのこと好きみたい」

「ええ、らしいですね。物好きな」

 ぐるぐると回転数が上がる。

 ミツ姉に張り合ったのか、あっちの青いカップの子どもが頑張り出した。

 なんとゆう無駄な。

「告白したけど駄目だったってね」ミツ姉が言う。

「さすがご存じですね」全部言ったのか、あの女は。

 そう言えば電車の中でこの二人はずっと話をしていた。

 情報共有は済んでいると見ていい。

「期限までまだ3年以上あるとはいえ」ミツ姉がハンドルに両腕を乗せてその上に顔を置く。「やっぱりあんまりいい心地はしないよね」

 私とモリのことだろう。

 いや、それ以外にない。

「シマくんが京都の高校行くって聞いたとき、ああこれでようやく、て思ったのに。そこはミフギちゃんにちょっと責任感じてほしいけど」

「結論を聞きます」

 なぜミツ姉がハンドルを回すのをやめたのか。

 これ以上回転数が上がらないからだ。

「本当に卒業と同時に別れてくれる気はある?」

「私がその気でも、あっちはどうでしょうね」

「返してくれないと困るんだけどなあ」

「返って来るといいですね」

 ミツ姉はついにハンドルから手を放した。

「最終的に結婚さえできれば、別に道中で浮気相手が一人二人いても大丈夫かなって高を括ってたんだけど、そんな器用なことできる神経ないしね」前半の主語はミツ姉、後半はモリだ。「シマくんがミフギちゃんとくっついてくれるだけで少なくとも二人、あ、違うな、ええっと、あたしの両親と、シマくんの両親と、ミフギちゃんの家と。とにかく沢山の人が幸せになるの。わかる?」

「要は期限まで大人しく静観できないくらい追い詰められていると?」こっちの主語もミツ姉。「アレでしたっけ? 婚前交渉したら破談になるんでしたっけ? どっちの責任というよりケンカ両成敗扱いで、お互いに自然消滅。この条件付けたのってどっちの家ですか? モリの下半身事情をまったくわかっていない、自業自得の首絞め墓穴ですよ」

 ティーカップの速度が緩まって。

 徐々に停止。

 白熱しすぎたのでちょうど良い頃合いだった。

「ちょっと熱入りすぎちゃったね。何か飲まない?」ミツ姉が伸びをしながら言う。

 移動販売車でアイスコーヒーとアイスティーを買った。支払いは別々。

 ベンチに腰掛ける。

 集合時間までまだ30分以上ある。

 さっきの勝手に競っていたガキが悔しそうにミツ姉を見つめながら走り去った。敗者の逃走。

「ちょっと言いすぎちゃったかな」ミツ姉がカップを振りながら言う。もう氷しか残っていない。「ごめんね、久しぶりに会ったのに。元気だった? そっちはどんな感じ?」

「今更母親みたいなこと聞いてこないで下さいよ」

 釘を刺してきたと思えば、ふわふわの毛布で受け止める。このアンバランス感がミツ姉の真骨頂なのだが。

「なに? なんか変なこと言った?」

「いいえ、お変わりなくで安心したんです」

「そう? 褒め言葉ってことにしとくね」

 これ以上追加でアトラクションに挑む気力もなかったので時間まで座ってゆっくりすることになった。

 飲み物のお陰でちょっと冷却できた。

「ミツ姉ってまだ処女ですか?」

 ミツ姉が素っ頓狂な悲鳴を上げて氷のカップを握り潰した。手が水浸しになる。

 真っ赤な顔をして眼をぱちくりさせている。

「あ、いいです。いまの反応でわかったんで」

「なんでそうゆうデリカシーのないこと聞くかなぁ?」

「ちなみに俺もまだ童貞ですよ?」

「聞いてないし、知りたくもないよ!」ミツ姉が立ち上がってきょろきょろとする。「手、洗ってくる」

「いってらっしゃーい」

 ささやかな仕返しのつもりだったが、ちょっと刺激が強すぎたか。それとも真昼間にこんな開放的な場所でするべき話ではなかったか。

 いまの攻撃は、あの女にも効くだろうか。

 ミツ姉が戻ってきたので、少し早いが、集合場所のレストランに向かった。









     2-2 ミフギさんとミツ姉とモリくんとシマくん


 ノウ深風誼みふぎがメニューの看板の前であたふたしていた。

 遠くからでも見えていた。モリの姿がない。

「なんで一人なのか聞きたいんだけど?」まさかはぐれた?置き去り?

 この女何らやりかねない。

「あ、シマくん。ミツアちゃん。よかった、あのね、お願いがあるんだけど」

 このあとの昼食の予定を先送りにして、一緒にお化け屋敷に来てほしい、ということらしい。

 しかも、私と二人で。

「順番的には確かに次のペアではあるけど」ミツ姉がお腹に手を当てて空腹を訴える。「ここがちょっと限界に近いよね」

「君は最初の質問に答えていない。モリは? 君との最初のペアだったろ?」

 11時半。

 いま、集合時間になった。

「あのね、お化け屋敷がね、1時間待ちで、それで」

「つまり、あいつ一人に並ばせてお前は一人でのうのうと遊び歩いてたのか?」

 ここまで醜い女だとは。

 呆れて二の句が継げない。

「まあまあ、事情を聞こうよ?」ミツ姉が仲裁に入る。「ミフギちゃんは、モリくんに並んでもらって、次の昼食をすっ飛ばして、次のペアのシマくんとお化け屋敷に行きたい。合ってる?」

「うん。ミツアちゃん、お腹空いてるのわかってるんだけど、どうしてもシマくんとお化け屋敷に行きたくて」

 自分の都合しか考えてない。

 この女は本当にニンゲンとして終わっている。

「私が承諾すると思っているのか?」

「え、ダメなの?」

 怒りでどうにかなりそうだった。

 モリもお人好しが過ぎる。そこがモリのいいところではあるんだが。

 お人好しにつけ込んで、好き勝手やっている女がいるのが許せない。

「絶対に行かない。君たちは先に並んでいてくれ。私がモリを連れてくる」

「え、シマくん」ミフギが泣きそうな顔をする。

「シマくん、ちょい待ち」ミツ姉が呼び止める。

「なんですか? 何か間違ってますか?」

「間違ってはないけど」ミツ姉が眉を寄せて首を傾げる。「ううん、計画の変更は已むなしかな」

「どういうことですか。ミツ姉だって」お腹空いてるって言っていたのに。

「それはそうなんだけど。せっかくモリくんが順番取っててくれてるんなら、それに乗ってもいいんじゃないかなって。だってそうしないと、ここまで1時間並んでくれてたモリくんの努力が水の泡になっちゃうでしょ?」

 それもそうだが。

 でも、それでも私は。

 この我が儘女の言いなりになるのが本当に心底心から。

「嫌です」

「シマくん、モリくんになんて言って呼び戻す気だった?」ミツ姉が聞く。

「時間だから迎えに来た」

「モリくんなんて返すと思う?」

 あれ?ミフギさんから聞いてない?お前と一緒にお化け屋敷行きたいってゆっててさ。悪いけど一緒に行ってやってくんない?そのために俺、ここで待ってたんだ。なあ、頼むよ。

「シマくん」ミフギが余計なところで名を呼ぶので。

 現実に引き戻された。

「そうだ、いっそみんなで行かない?」ミツ姉が名案とばかりに手をぽんと鳴らす。「ね? これならどう?」

「空腹に耐えかねてミツ姉がお化けにならないんなら」

「ひどいなあ。我慢するの、あたしだけじゃないしね。大丈夫」

 お化け屋敷の待機列。

 モリが隣にいるに笑いかけているのは何なんだ?

 お化け屋敷だからやっぱりそれなりのがいるのだろうか。

 私たちが近づくと、は煙のように消えた。

 これがミフギのせいなのだとするなら、いや絶対そうに決まっている。だって、ミフギが現れてからだ。

 モリの周囲にが見え始めたのは。

 他の二人がいなければ、ビビり倒している(のを周囲に必死に隠している)モリの手を引っ張ってあげたかったが、お化け屋敷が拍子抜け過ぎて気が削がれた。

 モリが私に懇願するみたいに「いる?」とか聞くので誤魔化してやったらかわいい反応が見れた。

「いないから大丈夫だよ」私の隣を陣取って得意そうにしているミフギが、私にしか聞こえない声量で囁いた。

 この女は、

 私に何かが見えていることを知っている。

「いてもシマくんのこと守るから安心して」ミフギが距離を詰めてきたので。

 横によけた。

「嘘ウソ。全員のこと、ちゃんとわたしが守るよ」

「信用ならないな」

 せめてモリの後ろを歩けたら、モリの反応をつぶさに見れたのに。結局、次に予定しているペア同士で2-2になって出口まで来てしまった。

 いまの苦痛極まりなかった40分を、第2回分と合算してくれたら有難かったが。

 そんなわけはないか。

 12時20分。

 レストランの混雑具合がまったく解消されていなかった。ミツ姉には悪いが軽食で乗り切るしかない。

 モリはミツ姉の空腹をなんとかしてあげようと躍起になっている。

 良くも悪くも、眼の前に悲しい顔やつらい思いをしている人を放っておけないところがある。

 もっと悪いのは、身内他人問わずという、のべつ幕なしの無差別なところ。

 私もそのうちの一人だった。たったそれだけのこと。

 私はモリにとって、困っていたから手を差し伸べただけの通りすがりにすぎない。

 そこを勘違いしてはいけない。

 私はモリにとって、

 最終的に選んでもらえる存在ではないのだから。











     2-3 ミフギさんとシマくん


「え、あ、シマくんがそうゆうこと聞いてくるってことは、うーん、あ、そっかぁ、そうだよね。うーんとね、わたし? タテマがいるから、そうゆうのはまだ。まだだよ。シマくんも取っておいてくれてるんだよね? うれしいなぁ」

 12時55分。

 言っている意味がまったくわからない。

「シマくん、わたしと話さなくていいし顔見なくていいからジェットコースター選んだんだろうけど、わたしはシマくんとお話ししたいから、今後のモリくんの命に関わるだいじな話するね。一回しか言わないし、返答が曖昧でも的外れでもわたしが言いたいことを言っちゃうね」

 間違いなく安全バーを下ろしながらする会話ではないし、それに。

「モリの? え?なんだって?」

 聞き捨てならないし、絶対に聴き逃せない内容なのに。

 カートが上昇する緊張感と轟々と耳を騒がせる風の音で気が散ってまともに意味が取れない。

 正気か?この女は。

「メリーゴーラウンドにしてくれたらゆっくりお話しできたのにね」

 嫌がらせしかできないのか。

 冗談じゃない。

「わかった。これが終わったら乗ってやるから、だから」

「だから?」

「そうゆうだいじな話は」

 無慈悲な下降。

 楽しげな悲鳴が前からも後ろからも聞こえるが、隣に座る女は一切動じていない。

 お気に入りのカフェの席に座るみたいにリラックスしている。

「そうだなあ、シマくんがお願いしてくれたら考えてあげる」

「お願いします」

「プライドとかないの?」ミフギが薄っすらと笑みを浮かべたような気配があった。「モリくんにもそうやってお願いしてるの? 挿れてください、て」

 地獄か。

 なまじ周囲に聞こえていないからいいものの、いや、聞こえていなくたって言っていいことと悪いことが。

「ミツアちゃんいじめたでしょ? その仕返し」

 やっぱ筒抜けか。

「言ったでしょ? わたしはシマくんのことならなんでも知ってるって」

 知ってるのレベルを超えた監視にすぎない。

「ミツアちゃん困ってたね。ああゆうのダメだよ? ミツアちゃんああ見えてけっこうウブだから」

 上がって、下がって。

 またゆっくり上がる。

「もうしないって言って?」

「すみません、もうしません」

 駄目だ。アップダウンの激しさに負けて反抗する気が起きていない。

「あとでちゃんと謝ること。約束」

 この状況でこの女は、

 小指を出してくる。

 状況が読めないのか。

 いまこの最高になった位置エネルギーがこのあとどうなるのか。

「約束して?」

 観念して出した手がぎゅうと握られた。

 急降下した衝撃で手の感触に気を取られずに済んだ。

 ジェットコースターは無事にスタート位置に戻ってきた。

 ふらつくのは上がったり下がったりした衝撃に揺られていたせいだけではないだろう。

 13時。

 まさかの5分しか経っていない。

「悪い。トイレ」手を洗いたくて仕方がない。

「近くまで一緒に行くよ」

 面倒なので好きにさせた。

 手を念入りに三回洗って戻ると、ミフギはガイドブックのメリーゴーラウンドのページを私に見せつけるように開いて待っていた。

「わかってる。乗ると言ったからな」

「やったー!」ミフギは嬉しそうに飛び跳ねる。「行こう!行こう!!」

 傍から見たらそうゆう風に見えるのかもしれないと思って吐き気がした。

 13時05分。

 待機列が長ければ集合時間まで時間がないからという正当な理由で断れたのだが、そううまくことは運ばない。時間帯が悪かった。昼食時なのでアトラクションは空いている。

 待ち時間ゼロの絶望。

「シマくんは王子様だから白馬ね。あ、二人乗り用のもあるんだ」ミフギが私をじいと見つめる。

「わかったわかった。乗ればいいんだろ?」

「やったー」

 私が前で、ミフギが後ろ。バイクに二人乗りしているみたいな構図になった。

「あんまりべたべたするなよ」

「シマくん以外につかむところないよ?」

 動き出す合図のブザーが耳をつんざいた。

「いい。好きにしてくれ」

 所要時間2分。

 この2分さえ乗り切れば。

「シマくんいい匂い」ミフギが腰に手を回してぎゅうと前面を押しつけてきた。

「好きにしていいから、さっき言っていたあれ、モリの命に関わる話ってのを」

「このまま話すね」ミフギの声音が変わった。

 つくづくいろんな顔を持つ女だ。

「モリくんはわたしが呪いを祓うのを、あ、厳密には祓ってないけどまあいいよね。手伝ってくれてるんだけど、呪いに耐性がない人がこの儀式に関わると、だんだん呪いに汚染されるの。わたしが近くに入れば汚染を食い止められるんだけど、わたしにも限界があってね。それを超えちゃうと」

「どうなるんだ?」

 メルヘンなメロディーに合わせて馬が上下する。

 少なくともこの状況にそぐった話ではなかった。

「教えろ。どうなる? モリは」

「わかるでしょ? わたしに言わせてわたしのせいにしたいんだよね、シマくんは。死ぬに決まってるじゃん」

 わかってはいたが、

 どうしてこんな。

「なんで」

 なんでモリを。

「これもわかってるよね? シマくんのお嫁さんになるには、これが一番確実でしょ?」

「婚約を破棄したらどうなる?」

「モリくんはバイバイかな。ホントはね、もう少し猶予があるんだけど。汚染を食い止められるってことは、汚染を拡げることだってできるの」

「させない」

「じゃあ結婚して?」ミフギが顔を上げた。

 お姫様に化けた魔女に見えた。

「わたしと結婚して? わたしをシマくんのお嫁さんにして?」

 ぐるぐる回る景色が止まっていた。

 終わり。

「とりあえず、降りよう」

 13時10分。

 集合時間まで、

 いや、

 最終結論まで。

 あと10分。

「さっき言っていた猶予ってのは」

「モリくんね、すでに2回付き合ってくれてるの」ミフギが魔女みたいに薄気味悪く微笑んで言う。「そうだなぁ、あと3回かな。5回もやっちゃったら、さすがのわたしでもどうにもできないかも」

 私が承諾しなければ、確実に呪い祓いとやらにモリを巻き込み続ける。

「何を迷うの?」ミフギが眼を見開いたまま小首を傾げる。「だいじなモリくんが死んでもいいの?」

「そんなことしたらお前を殺してやる」

「殺せないよ。シマくん、お坊さんになるんでしょ? 殺生はダメだよ」

 できるかできないかで言ったらやれるのだが。

 どうして私の脆い足場を的確に抉ってくるんだ。

「言ってるじゃん。わたしは、シマくんのこと、なーんでも知ってるって」

 あと8分。

「好きなんでしょ? モリくんのこと。あ、前にも言ったけど、呪いに呑み込まれると遺体なんか残らないよ? モリくんだったものはなんにも残らない。お葬式もできないし、お墓も作れない。そんなの悲しすぎるでしょ?」

「私に怨みがあるのなら、私を呪い殺せばいい。君に期待させるようなことを言っておいて、君の期待に応えられない」

「あ、もしかして思い出しちゃった?」ミフギは意外そうな、それでいて冷めたような表情を見せた。「ハジメテは好きな人とってやつだっけ? わたしね、わかってたよ? テイのいい、耳障りの良い言葉で断っただけでしょ? 本当の本音は、家の都合とはいえこんなわけのわからない女なんかさっさとかわして、本命で大好きなモリくんに告白しようって。受け容れてもらえてよかったね。モリくん、なんにも考えてないよ?」

 あと7分。

「君のお陰で本当の想いに気づけた、とか言ってくれるの? 要らない。そんなお礼の言葉なんか要らない。わたしが欲しいのは、十年前からたった一つなの。要らない。シマくん以外、なんにも要らない。この力も、眼も、家も、名前も、なんにも要らない」

 白く細い指が。

 私の輪郭をなぞる。

 ぞわぞわとした感覚が。

 此岸に呼び戻してくれる。

「こんな卑怯な方法を使って私を言いなりにしたところで」手を振り払った。「君は幸せになれるのか?」

「これはね、二人だけの秘密」ミフギは、払われた手をもう片方の手でさする。私を真っ直ぐに見つめながら。「呪いはあるよ? あるから私はフツーに人を好きになんてなれない。その好きになった人とフツーに生きてくなんてこともできない。幸せになる権利も、私にはない。だから、思い出させてあげる。あのとき、十年前のあのとき」

 5分前。

 4分前。

「シマくんのせいで祓えなかった呪いを、わたしがどうしたのか。ううん、ちょっと違うかな。あのときの呪いの一部はね、シマくんの眼に残ってるの。シマくん、透明なモヤが見えるようになったの、何年前? 十年前のあの日のすぐあとじゃない? 違う?」

 3分前。

「シマくんの眼、呪いで汚染されてるの。だから、モヤが見えるの。あ、心配しなくても大丈夫。シマくんの全身に拡がらないようにずっと、ずっとずっと見てたから」

 意味が。

 像を結ばない。

「いま、わたしの隣に何が見える?」

 モヤが。

 像を結んで。

「これはね、あのときの呪いを一旦わたしが取り込んでね、シマくんを遣ってニンゲンの形にしたんだ。そう、言っちゃえば、わたしとシマくんの子どもってことになるのかな?」

 はっきり見えたそれは、

 ひどく見覚えのある顔でこちらを一瞥した。

 この少年は。

 2分前。

「ね?わかってくれた? シマくん、わたしに子ども産ませておいて、知らん顔するの?」

 1分前。

「このあとのペア、モリくんとでしょ? お別れの挨拶してくれるって、信じてるし、ちゃんと見てるから。モリくんとの関係はここでおしまいにして、わたしと一緒に」

 時間だ。

 集合場所へ行こう。

 これが、

 最後のデートになる。










     2-4 ミフギさんとミツ姉


 カフェのテラス席。メニューが軽食のみなので客の入れ替えがスムーズなのか、10分程度の待機で中に入ることができた。大きなパラソルのお陰で日には焼けないが、小さい虫が顔の周りを飛んでいるのが気に障る。

 追い払っても追い払っても、虫は顔の周りを離れてくれない。

「大丈夫? テイクアウトに変えてベンチで食べる?」ミフギちゃんが心配してくれる。

「これ狙ってくるなら戦うだけだよ」

 3種類のドーナツ。

 オーソドックスに砂糖をまぶしてあるのと、チョコがけの上にナッツをまぶしているのと、カスタードクリームが入っているのと。選べなかったので全部買ってしまった。とゆうか、とにかくお腹が空いていた。

「わたしね、同い年くらいのお友だちっていなくて」ミフギちゃんが前髪をいじりながら言う。「だから嬉しいんだ。あ、勝手にお友だちとか思ってるのてわたしだけだよね? ごめんね、図々しくて」

「奇遇だね。あたしも女の子の友だちってあんまりいないんだ。見ててわかったと思うけど、ずっとモリくんやシマくんのお姉さん代わりだったでしょ? お世話したり面倒見たりするの、あたしは結構好きなんだけど、モリくんとシマくんてあの辺じゃ有名な家のそれぞれ跡取りでね。あわよくば、て思ってる女の子、というか家の人がいないわけじゃなくてね。だからあんまり女の子が仲良くしてくれなくてさ」

「え~、そっかぁ」ミフギちゃんは吃驚したような表情(ちょっとわざとらしかったけど気にしないことにした)を作って、同情のような共感のような相槌をくれた。

 あったかい紅茶で一つ目のドーナツを食べる。

 糖分が美味しい。

「婚約てゆってもさ、親同士が決めた口約束だから、もしモリくんに本当に心から好きな人ができたら、あたしはお役御免になるんだろうなって」

「そうゆう約束なの? お互いに好きな人ができたら解消って。そんなのおかしくない?」

 二種類のアイス盛り合わせ。ミフギちゃんの注文していたものが運ばれてきた。

 チョコとストロベリー。

「だって、ミツアちゃんたち両想いじゃないの?」

「そう見えてる?」苦笑いが漏れる。「嘘だとしても嬉しいな」

「嘘じゃないよ。お似合いだと思うなぁ」ミフギちゃんがふと、遠くを見るような視線で顔を上げる。しばらくして満足げな、それでいて妖艶な笑みを浮かべて頬杖をついた。「よかったね、ミツアちゃん。いまシマくんがモリくんにお別れを言ったよ」

「なんでそんなことがわかったのかは置いといて」掴みかけた最後のドーナツから一旦手を離す。「もしかしなくても、さっきのペアのとき、ミフギちゃんが何か言ったんでしょ?」

「わたしたちって、目的は同じでしょ? 違う?」

 違わない。

 違わないけど。

「シマくんたちが納得して別れたならそれでいいよ? でも誰かに言われて別れさせられるのは」

「どうせ3年後には別れるんでしょ? それならいまでも変わらないと思うけどなあ」

 14時20分。

 待ち合わせのレストランに向かう。

 モリくんたちはまだ来ていなかった。

「モリくんショック受けてるから、慰めてあげたらいいんじゃない?」ミフギちゃんが悪戯っぽく笑う。

 なんで。

 好きな人を不幸にしておいてそんな風に笑えるのか。

「ミフギちゃん、ホントにシマくんのこと好き?」

「うん。好き。大好き。世界で一番好き。ミツアちゃんもそうでしょ? モリくんのこと」

「相手が嫌がってるのに、無理矢理従わせるのは違うと思うよ」

「嫌がってないよ? シマくんは自主的に別れてくれたんだよ?」ミフギちゃんの眼に動揺はなかった。

 それが。

 すごく不快で。

「戻ってきた二人が悲しそうな顔をしてたら理由聞くからね?」

 13時30分。

 10分遅刻。

 こちらを心配させまいと無表情を装うシマくんと、距離を取って歩くモリくんの顔が凍りついていた。

 ミフギちゃんが「ほらね」と言わんばかりに目線を寄越すが、答えてあげる余裕はなかった。

 なんとかしないと、

 あたしが。













     02


 悲劇のヒロインに憧れた。可哀相なお姫様が羨ましかった。

 だって。

 王子様はいつだって、

 そうゆう女の子を真っ先に助けてくれるから。

 不幸なシマくんから物理的に離れたモリくんの救済欲を満たすには、助けるべき対象を次から次へと絶やさないこと。

 あたしのお父さん(役員)伝手で、モリくんのおじいさん(社長)に相談した。

 会社の仕事の末端を手伝えるような支部を、後継者のモリくんに任せてはどうかと。

 多くを説明せずともわかってくれたのは、おじいさんがモリくんをちゃんと見ていた証拠。

 おじいさんはあたしに一つだけ条件を付けた。

 モリくんを心身共に支えるように、と。

 そんなのずっとずっとやっている。

 まだ足りないの?

 もっと頑張れってこと?

 おじいさんは自分が発案して指示したことにして、駅からのメインロード沿いのビルの2階と3階を宛がってくれた。ちなみに1階は喫茶店なのでコーヒーのいい匂いが常に漂ってくる。

 2階に事務所を構えて、3階にモリくんは引っ越した。一人暮らしを始めた。

 モリくんは長いこと自宅に帰っていない。帰るとお父さんが暴力を奮うので、モリくんのお母さんと一緒にお向かいのあたしの家に住んでいる。

 あたしもモリくんに付いて引っ越したかったけど、さすがに言い出せなかった。

 婚前交渉であたしたちの婚約は破棄される。

 これって決めたの誰?

 おじいさんとあたしの狙い通り、モリくんはひっきりなしに助けを求めるお客さんの望みを叶えることに注力して、シマくんのことなんかすっかり忘れてしまった。思い出す暇もないくらい、大きな依頼から細かいお手伝いまでなんでもどんなことでも、乞われれば望まれればどこへでも駆けつけた。

 お陰でこの町で、市内で、モリくんのことを知らない人はいなくなった。頼り甲斐のある責任感の強い後継者として広く深く受け入れられることとなった。

 モリくんは、みんなの物になってしまった。

 こんなはずじゃなかった。

 あたしはただ、

 シマくんのことを、

 シマくんが引っ越したときのことから一刻も早く立ち直ってほしくて。

 なんで?

 なんでうまくいかないの?

 そうやってモリくんが内外共に満たされて認められたころ、

 ミフギちゃんが現れた。

 納家の人間に失礼を働いてしまった。モリくんはそう濁していたけど、モリくんのいつもの、特にシマくんと別れたあとの一部不義理な行動を考えるとこれは真実を伝えていない。

 10歳の少年?

 たしか納家の住まうあの山には女性しか住んでいないと聞いたことがあるが。

 とにかくその罪滅ぼしに、納家の当主のお嬢さんとシマくんの間を取り持つことになった。そうモリくんは面倒くさそうに頭を掻いた。

 言っている意味がわからなかった。

 何かの間違いだと言って否定してほしかった。

 でもわたしはいつも通り修復可能な程度にモリくんをなじって送り出すしかできない。

 モリくんは、

 どんな顔でどんな心づもりでシマくんに会うのだろう。

 見たくなかった。

 せっかく忘れていたのに。

 案の定、二人は関係をすっかり修復してしまった。

 しかも京都からちゃっかり連れ帰ってくる始末。

 これでは元の木阿弥。

 あたしの3年間の努力は立った一夜にして崩れ去った。

「大丈夫」ミフギちゃんはあたしにしか聞こえない声で囁いた。「これ以上モリくんは汚染されないよ。さっきタテマにぜんぶキレイにしてもらったから」

 帰りの電車。

 シマくんは新幹線の乗り換え駅で先に降りた。モリくんと離れて座っていた。二人はレストランから一言も話していないし目線も合わせていない。

 代わりにミフギちゃんだけは元気だった。二人のエネルギィを吸い尽くして輝く宝石みたいだった。

「タテマって?」

「あれ? 言ってなかったっけ」ミフギちゃんが自分の顎の下あたりに手をかざす。あたかも自分の膝に座る小さな子どもの頭を撫でるみたいに。「タテマはわたしの弟。ミツアちゃんには見えてないと思うけど、ここにいるよ」

「亡くなってるってこと?」

 霊?死者?

 それとも。

「タテマはね、わたしが創ったの。わたしが初めて祓った呪いを固めて、シマくんの小さい頃そっくりにしたの。だからわたしとシマくんの子どもでもあるのかな?」ミフギちゃんは愛おしそうに膝の上の存在を抱き締めた。「ミツアちゃんにも見せてあげたいけど、眼が汚染されちゃうから我慢してね。でもホントにシマくんそっくりなんだ」

「その子を利用して、二人を陥れたの?」声を上げそうになってボリュームを押さえた。自分で口を押さえることによって。

 まだ、電車の中だから。

 モリくんは気づいてないみたいだった。車両の一番後ろのドアにもたれて立っている。

 表情はまだ晴れない。

 どこを見るともなく窓の外をぼんやりと眺めている。

「ミツアちゃん、モリくんと結婚したくないの?」ミフギちゃんが不思議そうに首を傾げる。「わたしはね、シマくんと結婚するためなら何だってやるよ。そのために誰かが不幸になったって知らない。だって、わたし、あと十年も生きられないから」

 チリ、と脳が放電した。

「病気なの?」唇が痙攣したけどなんとか声が出た。

 震える手首を反対の手で押さえる。どっちの手も震えている。

「大丈夫?」ミフギちゃんがあたしの手を握ってくれた。

 冷たい。

 真冬の氷のような手で。

「なんで十年も生きられないか聞いてもいい?」

「心配してくれるの? ありがとう、ミツアちゃん。やっぱりミツアちゃんはわたしのお友だちだね」ミフギちゃんは両手であたしの手を挟んで自分の顔の前まで持ち上げる。「わたしは呪祓いの巫女だから、自分で自分の呪いをどうにかできなくなると呪いに呑み込まれて死んじゃうの。役目を継いで生を全うできた人っていなくて。みんな早くに亡くなってるから」

 頭が真っ白になる。

 なんで。

 どうして。

 いつもあたしは上手くいかない。

「お願い、それ、モリくんには言わないで」

 王子様がお姫様を救うのは、

 物語でも現実でも変わらない。

 だけど、

 王子様に運命のお姫様が現れるのは、

 物語の中だけでいい。

「ミフギちゃんのこと、応援するから、だから、お願い」

「言わないよ? なんで? もうわたし、モリくんとは関わらないよ?」

 本当は自分が幸せになりたいのに。

 本当は自分だけを救ってほしいのに。

 あたしじゃあ、

 お姫様になれない。

 だってあたしは。

「ミツアちゃんは優しいね」

「二人のお姉ちゃんだからね」

 二人が幸せになるためなら何だってするよ。

 ミフギちゃんがぎゅうと握ってくれた手を、同じくらいの力で握り返した。

 ああこれでもう、

 戻れない。

 あたしは呪いの魔女と契約した。

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