第2話ー5 やがてこがねに輝くまで
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俺が見えているこれは、ずっと見続けたり、正体が何なのか考えたりしてはいけない。
俺にこれをどうにかする能力はない。
なので、いないがごとく無視するしかない。
例えどんなに小さかろうが、眼に余るほどに大きかろうが。
それが、俺が呑み込まれないための唯一の方法。
なんでこんなものが見えるのか。
すべて母さんのせいだ。
いわゆる余計なことをしたというやつで、旦那は無傷なくせに、息子の俺に影響が出てる。
せめてこいつをなんとかしてから死んでほしかった。
「最近どうかな? 元気でやってる?」
俺の父親てことになってる男が、俺のこの眼に関してじーさんから根掘り葉掘り聞いて対策を立てようと必死こいてるらしいけど、たぶん無意味。
父親ヅラもいい加減にしてほしい。
もともと滅多に家に帰って来ないのに、帰って来るなり俺に話しかけないでほしい。
「いま忙しいから」
「あ、ごめん。急に。でもさ、何かあったら」
「別になんもないから」
母親の都合で、父親に振り回されてるところは、従弟のサネとまったく同じ。
だから俺らは似た者同士で、俺がわかりあえるとすればあいつくらいしかいない。
あいつも見えたり見えなかったりしてるらしい。
困ったことがあったらいつでも俺に頼ってくれていいよ。
というわけで、じーさんには悪いけど、この会社は俺らの代で終わり。
残念、さいなら。
あーあ。
このまま世界が滅べばいいのに。
第5章 やがてこがねに輝くまで
1
3月の掃除は2週目にずれ込んだ。いつもは最初の週に入ることにしている。言い訳をしたくはないが、支部の仕事が立て込んでしまって、個人的な用事の掃除を後ろ倒しにせざるを得なかった。
みふぎさんの家。
毎月掃除をしているので、そこまで埃も溜まっていないし、大がかりな清掃用具も必要ない。
ますはすべての窓と戸と襖と障子を開け放つ。はたきで障子や壁を一通り撫でてから、箒で床を掃き、板の間に雑巾をかける。使っていない台所や浴室やトイレも念のため軽く清掃して、不具合がないか確認する。
電気と水道は止めていないが、掃除機をここに持ってくるのが(重くて)億劫なので昔ながらの方法でやっている。庭のほうまで手が回らないが、というか荒れ放題伸び放題の庭木をどうすればよいのかは皆目見当がつかないので、そこは追々。
地元では知らない人はいないほどの幽霊屋敷で通っている有名な空き家なので、懇意にしている業者に依頼するにも、悪い噂をある程度払拭したうえで、会長である
急がなくてもこの家を他人に貸す予定はそもそもないので、単に俺の自己満足でしかないのはいまに始まったことではない。
掃除がひと段落したので縁側に腰掛ける。持参した水を飲んで休憩する。3月に入ったところなのでまだまだ寒々しいが、動いて熱くなった身体を冷却するには問題ない。
今後どれだけ仕事が忙しくなったとしても、こうやって月一みふぎさんの家で、ゆっくり自分のペースでルーティンの掃除を黙々とこなすだけで、精神衛生上だいぶよろしいかもしれない。むしろこれのおかげで精神の平穏が保たれている感は否めない。
掃除自体はすっかり最適化されたので、半日程度で終わる。日の入り時刻にもよるが、暗くなる前には戻ることにしている。それまで何も考えずにぼんやりと過ごすことが多い。
幽霊屋敷というのは、正式には正しくない。
正しくは、呪い溜まり屋敷。
町中の呪いをここに集めて、みふぎさんが祓う。
祓うのに最長1年ほどかかる。
前回は8月の中頃。
もうすぐ7ヶ月経過する。
俺はまた黒が見えなくなっている。
見えたところで、祓う当人がいなければ何の意味もないので現状がよいのか悪いのはわからない。
電話が鳴った。俺のじゃない。俺のは音を切っている。
とすると、
幽霊か?
いやいや、もっと現実的に考えろ。
音が鳴っている場所を探す。
みふぎさんが寝室として使っていた部屋の隅に、ケータイが転がっていた。
おかしい。さっき掃除したときはなかったはず。だろうか。本当に?
「みふぎさん? 出たほうがいいですか?」
返答はない。
ディスプレイには、マミと表示されている。
マミ?
留守電に切り替わらないので、延々と鳴っている。相手ものっぴきならない用件があるのだろうか。
「代わりに出ますので、駄目だったらなんか合図ください」
特に何も起こらない。
まあいいか。
「出ますからね?」ケータイを耳に当てた。「もしもし?」
「やっほー、みふぎちゃーん! 元気~?」
マミとあったのでてっきり女性だと思ったのだが、軽い口調の男が電話口でケラケラと笑っている。
「えっと、マミ?さん?」
「あん? 確かにあんたそう呼んでたけどさ。あれ?でも声違うな。誰?」
「あ、えっと、その、みふぎさんのお知り合いですか?」
「ん? ああ、うんバディ」
どうしよう。明らかに素性が怪しい。怪しさ極まりないのに、みふぎさんをまさかのちゃん付けで呼ぶ男がこの世に存在した事実が受け入れ難い。
「まあ、誰でもいっか。みふぎちゃんいる?」
「いませんけど」
「えー、じゃあなんで君はそのケータイ持ってるの?」
どうしよう。言っていいものか、どうしたものか。
「ねえ、聞いてる? あんたなんか隠してる?」文末にかけて語気が強くなった。
息を呑んでいるのを気取られないようにしたがたぶん見抜かれている。
「あの、バディってのは」
「ん? そのまんまの意味だけど。仕事仲間?」
ますますおかしい。仕事仲間はシャオレーさんしかいないはず。
「みふぎさんの仕事をご存じなんですか?」
「ああ、もちろん。黒祓いってやつだろ? あ、これって言っちゃダメなやつだっけ? まあ、少なくとも君は知ってそうだし、いっか」
知ってるのか。
ということは、信じてもいいのか。
「うちの会社の方ですか?」
「うちの会社もなにも、君が誰なのかわからんしなぁ。てなわけで、誰?」
「みふぎさんが雇われていた会社の、えっと、現社長の息子です」
「へー、あのじいさんのとこの血縁ね? てことは、みふぎちゃんの上司か下僕?」
「祖父さんはいまは会長です。それと俺はどっちかというと、下僕のほうです」
「ああ、なるほどね。大変でしょ?人遣い荒いから」電話口の男はゲラゲラと笑い出す。
顔見知りなのは間違いない。
バディなのかどうかは疑わしいが、シャオレーさんも最初は自称だった。シャオレーさんみたいな男が他にもいたってことなんだろうか。
「あの、えっと、聞きづらいんですけど」
「あ、なに?」
「みふぎさんのこと、あの、えっと」
「ん? なによ」
やめよう。その話題は。
「みふぎさんを捜してるんですか?」
「そうそう、最後に話したくてさぁ。それで電話したんだけど、結局いま、どこいんの?」
「見える範囲にはいません」
「ゆうてあの人、行動範囲限られてるし、こっちから捜しに行くわ」
「事務所にもいませんよ」
「ん~、じゃあ実家のほうかねぇ? ヒントありがとね~」
「あの、知らないんですか」
「ん? 何が?」
「2年前に、亡くなったんです」
「あー、そっかぁ」男の声音が急に変わった。ふざけた気配が消滅する。「まぁ、長生きできるやつとは思ってはいなかったけど」
男は本当にみふぎさんの死を悼んでくれているようだった。
少なくとも、赤の他人ではなさそうだった。
「なぁ、あいつの墓とかってあるの?」
「ないです」
「ふーん、そっかぁ。まあ、でも実家に挨拶くらいはしとくかね。ありがとう」
「あ、あの待ってください。俺いま、みふぎさんの家にいるんです。近くにいらっしゃるんでしょうか?」
電話を切られちゃ困る。
「あ、そうなの? これから行くし、そこで話そっか。じゃあね」唐突に電話が切れた。
かけ直すのもおかしいので、電話を元あったところに戻す。
待ってればいいのか?
30分後、急に玄関がガタガタと揺らされる。やけに明るい声音で、ごめんくださーいと聞こえた。
聞き間違いでなければ、さっきまで電話で喋っていた男だ。すりガラスの扉に黒いシルエットがぼんやりと映る。
恐る恐る戸を開けたら、黒尽くめの、見るからにヤバそうな組織にいそうな男が立っていた。
「あー、君さっきの子? お邪魔しますねー」と言うと、勝手に家に上がってしまった。「相変わらず、キレイにしてんのね~」
ずかずかと奥に入り込み、中央にどかりと胡坐をかいて座った。
年齢20代くらい。ヘリウムより軽い笑顔が貼りついてはいるが、そこはかとない怪しさが拭いきれていない。
身長180くらい。細身だけどそれなりに鍛えていそうな体格。グレイの開襟シャツに、丈の長い黒のトレンチコートを適当に羽織っている。
ヤバい組織のヤバい人か、そうでなければ。
「警察の方ですか?」
「ええ? そう見える? それともこんな警察官しか見たことないの?」
「みふぎさんが神奈川県警に貸しがあるってゆってて」
「ああ、それたぶん片山さんかあ」男はヘラヘラと笑う。「あの人、使える人間には簡単に情報流すからなあ。困ったらここに連絡するといいよ。そんなことより、君、昼食べた?」
「まだですけど」
「じゃあこれ食いなよ」と言って、見覚えのあるロゴの入った袋を顔の横で掲げた。
それは、
みふぎさんが好きだった、駅前のオムライスだ。
「どうして、それ」
「いやあ、供え用に買っては来たんだけどさあ。このまま置いとくのも勿体ねえし、いまいる人間が食べたほうがいいっしょ」
不自然にならないように周囲を見た。
特に反応はない。
「一人分ですか?」
「いやぁ、二人分。俺も食うし」と言うと、袋からオムライスを取り出し、床で広げ始めた。「嫌いなら別に食わんでいいけど」
いただきまーすと言って、男はパクパクと口に入れた。
美味しそうな匂いが漂ってくる。
「マミさんと仰るんですか」
男は噎せて咳き込んだ。掃除したばかりの畳の上に米粒が飛び散った。
「そいやぁ、電話のときでも言ってたよね。ねえ、やっぱそのあだ名で登録してたの?あいつ」
「マミってありましたけど」
「はあ、まあそうだよな。そうするよな」男はがっくりと頭を落とし、お手拭きで米粒を拾う。「いやぁね、ほんとの名前はしんぞうで、真が三つて書くんだけどさぁ。マミて読めるんじゃね?てそのまま読み出したんだよ」
「勝手に呼ばれてただけなんですか」
「いやぁ、もう何回言っても直す気なさそうだし、このままでいいかってなっちゃってたけど、久々に呼ばれると衝撃強いね」
みふぎさんのあだ名の被害者がここにもいたのか。
お気の毒に。
「そうゆう君も、下僕っていうなら大変だったでしょ?」
「あの、俺、
「そいやぁ、名乗ってなかったね。こっちは
「食べていいですか?」
「ああ、もちろん。供え用だけど」
有難くオムライスをもらって、岡田さんから少し離れて座る。オムライスは出来立てで、膝に載せるとほかほかと温かかった。
袋の中に名刺が入っていた。神奈川県警の片山とある。さっき話してた人のだろうか。一応もらっておこう。
「いただきます」
岡田さんは黙々とオムライスを口にかき込んでいる。そして絶対に向こうの皿のほうが大きい。大盛りどころか特盛りサイズだ。
みふぎさんの家で、みふぎさんが見てるかもしれないところで、みふぎさんの好物を食べるのはちょっと気が引けたが、食べ物を粗末にしてはいけないので、美味しく食べることにする。
懐かしい味がしてちょっと胸が詰まった。
食べ終わるまで特に会話はなかった。自分が食べ終えた頃、ちょっと遅いかのタイミングで、岡田さんも食べ終えた。
「ふう~、ごちそうさま。やっぱここのオムライスは美味いね」
岡田さんが空容器を袋に入れていたので、自分のも一緒に入れる。あとでまとめて捨てよう。
「食べたことあるんですね」
「そりゃもちろん、毎回足代わりに走らされてたからね」岡田さんは畳の上に肘をついて寝転がった。
「ちなみに、どのくらい前なんですか? バディ?だったのは」
「6年前の、夏?だったかねぇ」
とすると、俺がここでみふぎさんに初めて会った1年後。
ここに戻ってきていなかっただけで、みふぎさんはどこぞで仕事をしていたのか。
「あのずぶ濡れになるの、夏だったからよかったものをねぇ。冬でもやってたの?」
「俺が見たのは、2月でしたね」
「うーわ、マジかよ。後処理とか大変そう」
会話が途切れて沈黙が流れる。
さて、何を話したものか。
言っていいことと、言ってはいけないことの区別が付きづらい。
岡田さんが本当にみふぎさんのバディだったっていうのなら、何かオーケーサインがほしい。
きょろきょろ部屋を見渡すが、特に異変はない。
「そこにいんの?」
なんで、
そんなことを聞くんだ?
この人は何を知っているんだ。
「見えてるんですか?」
「見えてんならわざわざこんなこと聞かないよ」岡田さんはニヤニヤと笑う。
「俺も見えません」
「何が?」
まずい。
この人、ヘラヘラしてるけど結構鋭い人かもしれない。
岡田さんが急に噴き出した。
「もしかして警戒してる? ごめんて、あまりにも反応面白くて、からかっちゃっただけだって」胡坐の姿勢になりひとしきり笑った。「こんなんじゃ、みふぎちゃんにも散々な扱い受けたでしょ」
「まあそれなりには」
「だよねぇ。でさあ、そのときのみふぎちゃんてどうだった?」
「どうって」質問の意図がわかりづらかったので聞き返した。
「楽しそうだった? 笑ってた?」
「あんまり表情が変わらない人なので、楽しかったかどうかは」
「じゃあさ、じゃあさ」岡田さんが距離を詰めてくる。座ったまま、畳の上を滑りながら移動する。「どんなことされたの?」
正直に言いたくない質問が飛んできた。
なんとか誤魔化すしかないが、この人に嘘やハッタリが通じるだろうか。
「毎回仕事のたびに付き合わされて、呪いの溜まってる場所を探せって言われて。結構危ない眼にも遭いました」
とりあえず当たり障りのないことを言おう。
「ああ、そっかぁ。だいぶ信頼されてたんだねぇ」岡田さんの顔は嬉しそうだった。
下僕仲間として同情されたんだろうか。
「そちらも同じ感じでしたか?」
「いやぁ、全然。俺のときなんて、最初いくら言っても現場に入れてくれなかったからね。赤の他人の、それにこんな怪しい見た目のやつですら、巻き込ませようとしなかったのに。そこまでやらせてもらえたのは、よっぽど心を開いてたんじゃないの?」
そうなんだろうか。
みふぎさんの眼を奪う形になった報いとして、ただ単に巻き込まれただけのような。
「それがあの人なりの愛情表現なんだって」
「詳しいですね」
「そりゃ散々ひどい目に遭わしたり、遭わされたりした仲だしねぇ。あと、俺それなりに眼はいいからね」
この人も、みふぎさんの眼を奪ったりしたんだろうか。
でもそのことを尋ねるには、ちょっと聞きづらい。
「さっき、墓がないってゆったんですけど」
死んだというにはあまりに暴論が過ぎる。
「へえ? じゃあ生きてんの?」
「もし見えてたら、たぶん、家の中にいます」
「やっべ、そうなの? けっこういろいろ言っちゃったよ、俺。大丈夫?怒ってない?」
「俺にも姿は見えてないので、怒ってるかどうかまでは」
「えぇ~。そうなの?」岡田さんは困ったような声を出す。「お互いわかってないんなら、大丈夫だ。問題ない。ヨシ!」
「聞かれて困るようなこと言ってましたっけ?」ちょっと面白くて笑ってしまった。
「ん~、そう考えりゃ大丈夫かも? 最後に挨拶だけしていなくなろうと思ってたんだけどさ。こんまま話したら届くかな?」
「ちょっと待ってもらっていいですか」部屋に戻したケータイを拾って戻る。「みふぎさんの連絡先、知ってますよね? これ、みふぎさんのケータイなんですけど、ここにメールとか送ってもらったら、こっちでなんとか出来るかもしれません」
「ああ、これに送りゃいいのね。わかったわ。できれば最後に喋りたくはあったけど、しゃあないわなぁ」
「すみません。俺も次本当に会えるかは確証がなくて」
「ああ、いいのいいの。こっちも気まぐれで来ただけだし、気にしないで~」岡田さんがよいしょ、と言いながら立ち上がる。「じゃあそろそろ行くわー。長話ありがとね、サネアツくん。楽しかったわ」
「こちらこそ、ありがとうございます。みふぎさんの仕事のことを知ってる社外の人がいたのがビックリでした」
歩きながら玄関まで辿り着く。
「あの人、自分のこと喋りたがらないしねぇ」岡田さんが靴を履き終えた。「じゃ、二度と会うことはないけど、元気で生きてなよ」
なに、
その。
今生の別れみたいな。
「どこに行くんですか?」
「どこって言われてもなんて言えばいいんだろうね」岡田さんは頭を掻く。「一般社会とは隔絶されたとこ?」
「戻って来ないってことですか?」
「ああ、そうだよ」岡田さんはヘラヘラした表情のまま。「だから最初に言ったじゃん。最後の挨拶って」
なんで、
みんな、
そうやっていなくなろうとする?
「おいおい、なんでそんな暗い顔してんの? 今日初めて会ったただの他人だろ?」
「俺には他人でも、みふぎさんには他人じゃないので。あの俺、みふぎさんの弟子だったんです。さっきちゃんと言わなくてごめんなさい。だから」
「いいか、サネアツ」岡田さんが打って変わって真剣な眼差しで言う。「お前がみふぎちゃんのことを大切に思ってるのはよくわかった。ただし他人の、ましてやいなくなった人のためにお前が苦しむのは間違ってる。人のつながりってのは、その人だけのものなんだ。つなげるのも、切るのも、その人が選び創っていくものであって、他人がどうこうするもんじゃない。お前はみふぎちゃんの縁を、大切な人がつないだ縁を守ろうとしちゃってる。けどそれは他人の縁であってお前の縁じゃない。人が作ったしがらみにお前が苦しむ必要はないんだよ」
「はい」
「いまのお前の中には、だいじな人ってのがみふぎちゃんくらいしかいないのかもしれない。あいつはもうこの世にはいねえんだ。いない人間に囚われて生きるのは、それこそ死人と同じだよ。あいつはそんなお前を見て喜ぶか?」
「一応遺言で、家の掃除をしてくれって頼まれてるんですけど」
「そこまで奴隷根性染みこませちゃったかぁ。ホント人遣い荒いわなぁ」岡田さんが大げさに溜息をついて、両手を上に向ける。
「奴隷ってわけじゃなくて、ちゃんとした仕事の依頼です。報酬だって前払いで充分もらってるので」
「ああ、すまん、茶化し過ぎたわ。それほどだいじな人だったてのはよくわかったよ」岡田さんが手の平を前に向ける。「じゃあ、最後に余計なお世話を一つだけ。これから長い間生きてく中で、きっといろんな出会いが待っている。中にはどうしようもないような奴とか、関わってはいけないような輩も出てくるだろう。そんな中でも絶対に失いたくない縁てもの出てくる。それのためにがむしゃらに頑張って苦しんで精一杯生きてくれ」
そう言って、岡田さんはゆっくり戸を開けて外に出る。
「過去に囚われようとも、生きてる人間は前を向かないとね」ちょっと振り返ってヘラヘラとした笑顔を見せ、手をひらひらと振りながら門を出て行った。
言ってる意味はよくわからなかったけど、俺のために真剣に言葉を選んでくれたのがわかった。
急いで追いかけると、車に乗り込もうとしている背中を見つけた。
「あの、ありがとうございました。さようなら」
車が発進するのを見送った。
入れ違いで、
「若! いまの、ヤの付く組織の怪しい男は何ですか? 地上げですか? 何かされてませんか? ご無事ですか?」
なんでこの最高にややこしいタイミングで、最高にややこしい奴がいるんだ。
「俺も知らん。みふぎさんの知り合いらしい」話題を変えるに限る。「で?なんだ。何かあったのか」
「危険がないかどうかはあとでこちらで調べておきます。とにかく、お戻りください」
事情を聞きたかったが移動中は諦めた。俺が自転車で、伊舞がスクータだったので、並走しながら会話するなんていう器用な方法を採れなかったというのが事実。
時刻は夕刻を回っている。
17時過ぎ。
支部入口前に丸くて黄色い軽自動車が横付けされていた。
パーテーションで区切られた来客用スペースに、小柄な女性が座っていた。
高く見積もっても20代後半。黒髪は真っ直ぐに垂れ、肩から二の腕を覆うほど。
全身白の、丈の長いレース地のドレス。
ガラスケースに入れて飾られている精巧な人形を思わせた。
伊舞が支部の留守番を放り出してまで、一日オフの俺を連れ戻すだけの価値のある客。
「はじめまして」女性が唇を動かした。「わたくしは、
立ち上がって頭を下げようとするので、両手を前に出して制した。
シャオレーさんに妹がいたのか。
そうか、どこかで見たような気がしたのは、シャオレーさんの女装に面影が近かったからか。
小張の人間が支部に来たとなれば、間違いなく会長の耳にも入っている。
「お兄様の件はご愁傷さまでした。ところで、御用向きは」
「本当によく似ていらっしゃるわ」小張有珠穂は、うっとりとした眼差しをこちらに向けた。「勇ましいところが特にそっくり。それはいいの。今日はお願いがあって参りましたの」
依頼内容は、父・
とんでもない無茶ぶりだろう。
しかも、小張家とは関わるなと会長にも言われている。
伊舞に目配せしようとしたが、どこか様子がおかしい。心ここにあらずのような、平常とはほど遠いような、とにかくいつもの伊舞ではなかった。
「少しお待ちいただけますか」
「ええ、こんな時間にアポなしで訪ねてきたわたくし側に非があります」
奥の給湯室まで伊舞を誘導する。
ようやく我に帰ったようだった。
「どうした? 会長に連絡は取ったんだろ?」客に聞こえないように小声で話す。「正当な理由を付けてお帰りいただく方向で間違ってないよな?」
「実は報告なんですか」
「してないのか?」声を上げそうになったので、自力で口を押さえた。「どうした? あの女は小張の」
「若はどうして
「後で聞く。そんなことより」
断るんじゃないのか?
伊舞が黙って首を振った。依頼を受けるべきという強い決意を滲ませて。
「お前の独断だろ? そんなことが」
許されるわけが。
「責任は私が取ります」
「何言ってるんだ。辞めることになったら赦さない」
「まだ、そのつもりはないです。若が社長になるのを見届けるまでは、私の償いが終わらない」
なんでこんな話になってるんだ。
わけがわからない。
俺にはまだ知らないことが多すぎる。
俺の家と、小張の家の間に一体何があったんだろう。
いや、いまはそんなことより。
「受けたほうがいいメリットを、俺がわかるように端的に説明しろ」
「社長のためです」
「全然わからん」
「小張有珠穂は、社長のご友人です。ただ、とある事情で絶縁状態にありますが」
「それなら尚更断るべきじゃないのか?」
「現段階では悪手にしか見えないことも、長期的、終局的視点からすると最善、最良の一手である可能性があります」
「一般論の話をしてるんじゃない」
「どうか私を信じていただけないでしょうか」伊舞が神妙な顔つきで頭を下げる。「この依頼は、必ずや若の未来を良き方向に変えるきっかけになり得ます」
「だから、その根拠を言えと言っている」
「お願いします」伊舞は頭を上げない。「いずれそのときがきたら、私がくどくどと説明しなくともわかっていただけるはず」
「いま説明することはできないのか」
「どうか、この通りです」
もしこの依頼に関わることで、社長との関係が悪化したとしても、これ以上良くなる見込みはないのだから。俺がこの世に生存している限り、社長は俺を憎み続けるだろうから。
「わかった、言う通りにする。だからせめて、会長にはひとこと言っておくべきじゃないのか」
「中身のない報告書は得意です」伊舞が顔を上げて力ない笑みをこぼす。
「そうゆうことを言ってるんじゃない」
駄目だ。
伊舞の頑固さをどうにかする術は俺にはない。
「知らないからな」
「ありがとうございます」伊舞がもう一度頭を下げた。
小張有珠穂は先ほどとまったく同じ姿勢で座っていた。紅茶が半分ほど空になっている。
「お待たせして申し訳ないです。ご依頼の件ですが」
「受けて頂けるのでしょう? わかっていました。それでこそ、KREの次期社長を任せるに相応しい有望なご子息ですわ」
伊舞はもちろん留守番。支部に横付けされていた車は、小張有珠穂が運転席に乗るまで無人だった。てっきりドライバを連れてきていると思ったのでビックリした。
俺を助手席に乗せると、小張有珠穂は満足そうにハンドルを握った。
「しっかりつかまっていてくださいね」どことなく嬉しそうなのは気のせいだろうか。「わたくし、今日のこの日のために免許を取りましたの」
え、ちょっと。
いますごく、聞き捨てならない不安要素が聞こえた気がしたが。
「大丈夫ですわ。初心者マークもナビもわたくしの力になってくれます」小張有珠穂が白く細い指でホームのマークに触れる。
表示されたのは、山の向こうの神社だった。
俺の記憶に間違いがなければそこは、新興宗教団体・
2
本部に隣接している神社の境内に、彫刻家・小張エイスのアトリエがあるらしい。
すっかり日が暮れて、鳥居がやけに不気味に浮かび上がる。
「長時間お疲れ様でした」
「ええ、なんとか」
小張有珠穂の運転は、上手でもなければ下手でもない、よくわからない部類だった。経験値不足から来る判断の遅さはあるのだが、スピードに関しては遠慮なく出ていたように思う。事故らずに無事に辿り着いてくれたので、多少のむち打ちは眼を瞑ろう。いや、やっぱり下手くそか。
日が落ちたせいなのか標高のせいなのか、少し肌寒い。石段(
「何か見つかりまして?」小張有珠穂が手元の懐中電灯で内部を照らす。
「まだ写真を撮り切れていませんので、もう少々外で待機を」若い男がカメラを片手に振り返った。「ずいぶん遅いお帰りですけど、離れる際には目的地と戻りの予定時刻をしっかり伝えていただかないと。こちらの段取りというのがありますので。ん? そちらは?」
「わたくしがお連れしましたの。このあたりで知らない者はいない、有名な専門家の方ですわ」
「明らかに未成年ですけど」男は神経質そうな眼でこちらをねめつける。「部外者はとっととお帰り願いたい」
「ですから、わたくしがお呼びしたと申していますでしょう。あなた方警察が頼りにならないから、こうやって優秀な専門家を呼ぶしかないのですわ」
「正しくは、専門家の元弟子だっただけの使い走りです」期待値が超過する前に訂正しておこう。「警察の邪魔をするつもりはありません」
警察官だったのか。制服ではなく没個性の上下スーツを着込んでいる。
「それはいい心がけですね。いまの言葉に嘘がないなら、一刻も早く帰宅することを勧めます。もうこんな時間です。明日が日曜とはいえ、保護者なしで活動していい時間ではないのでね」
取りつく島もないというより、そもそも議論をしてくれる余地がない。確かに警察からすれば、俺なんか何の権限もないただの未成年。これなら小張有珠穂の血縁ということにして立ち会ったほうがまだ。あ、いや、警察の前でそんなことをすれば罪に問われるのか。ややこしいことこの上ない。
「せ、先輩。あのぅ、この子、たぶん
「あ、はい。ご存じなんですか?」純粋に驚いた。警察関係者に顔と素性が知れている。
「有名ですよぉ。まさに、そ、そう、傍若無人?違うな、完全無欠?なんかこれも違う気がするけど、とにかく大活躍で。ゆ、幽霊とかそっち系もお得意だって」
「素人に毛が生えた程度の、しかも単なる親の七光りじゃないか」男が小屋の外に出て、後輩らしき女性を顎で追い払う。「そもそもお前は建物の外の担当だろう。調査は終わったのか」
「お、終わったので、中のお手伝いを、し、しようと」
「余計なお世話だ」男が一方的に怒鳴りつける。「だいたい、自分の仕事も満足にできないのに、他人の、しかも僕の仕事を手伝うだ? 異常がないか、隈なく、あらゆる可能性を考慮して何もなかったと早合点しただけだろう。僕だったらもう一周、いや、あと三周は外壁をしらみつぶしに探すね」
「ないと思うんだけどなぁ」
「根拠もない憶測で物を言うな。これだからお前はいつまで経っても」
他人のケンカほど醜い見せ物はない。
男のほうはやる気が空回りして周りが見えていないし、女のほうも自分に与えられた仕事を全うせずに興味が余所へ散っている。互いの信頼も決して高いとは言い難い。
もしこれが呪い案件だったら、俺にも警察にもどうこうできるとも思えない。
役に立たない場違いな人間しかいない。
「気にせず奥へどうぞ?」小張有珠穂が上品に微笑む。「まずはその眼でご覧くださいな」
男が金切り声で制止した気がしたけど、無視して小屋内へ入った。
視界に異界が飛び込んできた。
小屋の外観は確かに崩壊秒読みのあばら屋だったが、内部は天井から壁から床まで、丸ごとが人工の機械のような自然の生物のような、有機的でかつ無機的な空間だった。
入り口から動こうとしない小張有珠穂から懐中電灯を借りて、室内を四方八方照らした。
金属だろうか。赤みがかった銅のような鉄の錆びたような色合い。触るのは憚られたが、触れたものを柔らかく包み込むような、それでいて冷たく人を拒むような、とにかく相反する特徴が共存している。
快と不快。
下位と深い。
ココニイタラオカシクナル。
「大丈夫ですか?」女性の警官が、すぐ後ろに立っていた。「顔色が悪いので」
「ほら、言わんこっちゃない」男性の警官が鬼の首でも取ったかのように得意顔をする。「素人はさっさと帰ってくださいよ。救急車を呼ばれる前にね」
小屋の外に出て深呼吸したら少し落ち着いた。女性の警官が傍らについていてくれた。
「少し休憩なさいます?」小張有珠穂が心配そうな顔をする。
「せっかく連れて来ていただいたところ悪いのですが、おそらく僕の出番はなさそうです」
「手に負えないという意味ではなく?」
黒が見えないので完全に違うと言い切れないが、黒を前にしたときのあの独特の嫌な感じとはまったく別の感覚がする。
黒の正体は呪いなので、悪意の塊に他ならない。悪意に晒されたときの圧倒的な不快感。端的に言うと気分を害する。どろりとした膿のようなものが溜まる。
しかし、小屋の内部のアレは、悪意ではなく狂気。自分が正気であることの確信を根こそぎ覆されて、何もない深淵に突き落とされる。外部刺激がゼロなので、内部からの呼び声が活発になり、そこにはいないはずの幻を信じるようになる。
「僕の師匠が祓っていたものと全然別モノです。つまり、あれは僕の師匠の専門外ということになります」
「そう。サネアツさんがそう仰るなら、そうなのでしょうね」小張有珠穂が納得したように頷く。「わかりましたわ。呪いというのとは、関係のないということですのね。ありがとうございました。これで心置きなく手放すことができそうです」
「遺品ではないのですか?」
「遺品には違いないのだけれど、価値のわからない遺族が持っていていたずらに埃を積もらせるより、価値のわかる目利きの方に引き取っていただいて、思う存分愛でていただくのが一番でしょう?」
「差し出がましい口を挟みました。申し訳なかったです」
「いいえ、きっとサネアツさんのほうが正しいのでしょうね」小張有珠穂が懐中電灯の明かりを消す。「このあとのご予定はございますかしら? よろしければ、本部でお夕飯をご一緒にいかがでしょう?」
「いや、さすがに信者の方にご迷惑ですので」
「何を遠慮なさることがあるのかしら。わたくしたちとKREの関係ですよ? それとも御贔屓のレストランでないとお口に合わない?」
「いえ、ほんと、お構いなく。支部にさえ帰していただけたらそれで」
「困ったわ。お帰りは、別の方に頼もうと思っていたの」小張有珠穂が顎に手を当てて小首を傾げる。「この暗さでしょ? だいじなサネアツさんを乗せてお山を下るのはちょっと自信がないですわ」
確かにそれはやめてもらいたいが。
送ってもらうにしても白竜胆会の本部の敷居を跨がないといけなくなりそうなこの究極の選択がもう。
「おう、終わったかぁ?」くたびれたような男の声が脳天に降ってきた。「終わったんならさっさと帰りたいんだがなぁ」
「課長、来たばかりで何を仰っているんですか!?」30代前後の眼鏡をかけた女性が声を張り上げている。
ゆっくり振り返ると、
短髪に口ひげ。左眉から左眼にかけて大きな傷のある、ヤの付く組織の親分のような、凶悪な見た目の男(50代後半)が緊張感の欠片もない大あくびをしていた。
この二人は俺を挟んで会話をしているらしい。
年代からして、あの若い警官二人の上司だろう。
「シオリちゃん、状況はどう?」眼鏡の女性が、小さい女性に尋ねる。「シュウイチ君は、中? まったく、また一人で勝手に先走って」
「そ、外側なんですけど、特になんにもなくて」
「ないならそれでいいじゃねえか」傷のある男がどうでもよさそうに言う。
「課長は黙っていてください」眼鏡の女性が俺と小張有珠穂を見比べて、完璧な角度で警察手帳を提示する。「到着が遅くなり大変申し訳ございません。私共は、
眼鏡の女性が
そして、傷のある男が。
「
「おいおい、なんで俺のことだけ知ってんだ」
片山さんにジロリと睨まれたが、間に桐崎さんが入ってくれた。
「いい加減にしてください課長。相手は未成年です!」
「あのこれ、岡田さんからもらって」腕を伸ばして名刺を見せた。「あなたがみふぎさんの」
神奈川県警の貸し。
「おい、坊ちゃん。ちょいと付き合ってくれるか」片山さんが行き先を顎でしゃくる。「お前ら、あとテキトーにやっとけな」
「私も付き添います」桐崎さんが庇ってくれようとしたけど。
「お前はガキ共のお守だろうがよ。んじゃあ頼むわ」
小張有珠穂がこちらに目配せした。
その目線に、片山さんが気づかないわけがない。
「確かそちらさん、お帰りの運転手がいなくて困ってたんだっけかぁ。こいつは一つ提案なんだが、手すきの俺に任せてくんねえかな。送ってってやるから」
「大丈夫ですの?」小張有珠穂が不安そうな表情を向ける。
心配点は、その運転技術というより。
「どうでしょう。曲りなりもまともな警察官のはずですしね」
岡田さんの知り合いなら信用してもいいのかもしれない。
見た目が岡田さん以上にヤバい組織の中枢にいる迫力なのが否めないが。
桐崎さんが全力で止めようとする傍らで、羽田中さんがアワアワと手と眼を泳がせている。木暮さんは、単独で無意味な調査を続けているのだろう。
今日だけで警察のイメージが一気にあらぬ方向に固まってしまった。
「こんな遅い時間までありがとう」小張有珠穂が優しく微笑む。「久しぶりに楽しい時間を過ごせましたわ。これに懲りず、末永くよろしくお願いね。頼りにしていますのよ」
「こちらこそ、非力な支部でお見苦しいですが、少しでもご満足いただけるよう、精一杯努めて参りますので」
小張有珠穂が見ているのは、俺の後ろにいる社長だ。いや、後ろにはいないか。
社長と仲直りをしたいのなら、俺じゃなくて直接本人に言えばいいのに。
「おーら、置いてっちまうぞ~」
片山さんに膝裏を軽く蹴られて、石段の下に止まっていたパトカーの助手席に押し込められる。
送ってもらえるのは有難いが、パトカーに乗るのはちょっと気が引ける。
「悪いことしてねぇなら堂々としてりゃあいいんだよ」
なんでこの暗さで内心が読めるのか。
「坊ちゃんよ、名前は?」片山さんが車を発進させながら聞く。
これはわざとなのか。
部下の女性警官が知っているのに、その上司が俺のことを知らないとはこれ如何に。
「別に職質してるわけじゃねぇんだがなぁ。俺ぁ、そんなに怖ェかね」
「失礼しました。
「こいつは丁寧にどうも。
納。
「
知らない。
そんなこと、
初めて聞いた。
生き残り?
何の話だ?
「なんも知らなそうなアホ面しやがって。んじゃあ、その生き残りにあやかって襲名?した女の方か。あの嬢ちゃん、元気にやってんのか?」
「岡田さんに聞いてください」
「その
「今日の昼過ぎです」
予期しない沈黙が降りてきた。
パトカーはスムーズに山道を下っている。
往路の初心者と比べるとよくわかる。片山さんは運転が上手い。
むち打ちにもならないし、気分も悪くならない。
「わーった。岡田のバカ野郎ことはいい。こっちでなんとかしとくわ。あの嬢ちゃんも、そうゆうことなんだろ?」
何も言いたくなかったので黙っていた。
沈黙は肯定の合図。
「ったく、どいつもこいつも」片山さんがハンドルを勢いよく叩いた。ビリビリとした衝撃波が車内に反響する。「生き急いでんじゃねぇよ。若い奴あ、暢気なツラしてお気楽にやってりゃいいんだ。それを、なんで。あぁ、腹立って仕方ねぇ」
怒りというよりは、悔しいという感情が圧倒的で。
この人も、他人の命を悼むことができる人だ。
見た目と言動が怖すぎるだけで。
「テメェんとこの、なんだ、社長?じゃねぇな、引退して会長だったか。墓まで持ってくっつって、一ミリも口割りゃしねぇ。とうの昔に期限切れで退いちまったが、辞めるまでひたすら真実を追ってた男を知ってる。支部長の坊ちゃんにちぃっとでも人の心ってのがあんなら、その男に会ってやっちゃくれねえかな」
「俺は何も知りません。それに会長が口を閉ざしているなら尚更」
「ほらよ。声だけでも聞かせてやってくれねえか」そう言って、片山さんは俺の膝にケータイを放った。
まさか、ここまでの会話はぜんぶ筒抜けか。
この人、
やる気になったら凄まじく優秀な人なのではないだろうか。
油断させて侮らせるのが手口なんだろう。
底知れぬ恐ろしさで息が詰まる。
「ほら、くっ
言う通りにするしかないのか。
俺を叩いても目ぼしい埃なんか落ちないのに。
「もしもし?」ケータイを持つ手が汗で滑る。「あの、俺は」
電話は、
どこにもつながっていなかった。
端末が孤立している証の虚しい電子音が耳を通り過ぎる。
「待ってろ、
まんまと罠に嵌まったのは俺か、師匠か、会長か。
運転席の男は、瞳孔を見開いて歓喜の笑みを浮かべた。
それから一週間後、俺は。
ここまで無為に生きてきた本当の意味に巡り合う。
でもそれはまた、
別の話。
彼のいる世界は、キラキラと黄金色に輝いていた。
タウ・デプス ぬばたまのたらちね
登場人物
あっくん
みふぎちゃん
ジャン=シャオレー
3
予感がして、早起きしてみふぎさんの家に向かった。
みふぎさんは、
朝の光の差す縁側にごろりと寝そべっていた。
「久々の太陽は眩しくて敵わんな」億劫そうにこちらを振り返って微妙な表情をした。「思いのほか元気そうだな」
「お久しぶりです」胸が詰まったがやっとそれだけ言えた。
爽やかな風が頬を撫でる。
庭で走り回る小さい姿と、それを見失わない程度に追いかける長身が視界に入った。
「ああ、うるさいだろ? 外に出せとうるさくてな」
「みんなで一緒にいるならそれでいいです」
家族三人で暮らせているのなら、これ以上望むことは何もない。
例えこれが呪いだとしても、幸せの色が他とちょっと違うだけだ。
「なんでお前が感極まってるんだ?」
「うれしいです」
「その嬉しい話を私にも聞かせてくれないか」みふぎさんが室内に目線を向ける。
畳に敷かれた真新しい布団で寝息を立てている。
色素の薄い髪の少年。
覚醒の気配はまったくない。
「家主の私には、この驚天動地の物語を知る権利があると思うんだがな」
「管理は
「言うようになったな。恩人の師匠相手に」みふぎさんが苦笑いして肩を竦める。「地元でも有名な呪い屋敷だぞ? そう易々と他人に貸すんじゃない」
「大丈夫じゃないですか? 霊感とかなさそうなので」
「お前が心底惚れてるってのはよくわかったよ」みふぎさんががっくりと肩を落として溜息をつく。「ああゆうのがタイプなのか?」
「一目惚れってやつですね」
「どうした? お前史上かつてないほど生きる希望に満ちてるじゃないか。調子が狂う」
みふぎちゃんとシャオレーさんが俺に気づいて手を振ってくれる。
両手を挙げて二人分振り返した。
「ヤクザの親分みたいなおっさんに監視されてないか?」みふぎさんが急に神妙な顔になる。
「片山さんのことですか」
「マミなんかよりよっぽどしつこいぞ? うっかり口を滑らさないようにすることだな」
一週間前。
俺が本当になんも知らないことがわかると即解放となった。
さぞ拍子抜けだっただろう。
特大の溜息を吐かれながらパトカーから下ろされたのは、なかなかに微妙な経験だった。
「マミは、そうだな、やることがあったらしいから。ようやく目的に辿り着いたんだろうな」
「あ、お別れのメッセージ、届いてましたか?」
「ああ。世話をかけたな」みふぎさんの手元にケータイがあった。
ピカピカと着信の報せが光る。
「ところでそれ誰が料金払ってるんですか?」
「相変わらず細かいことを気にする奴だな。わたしの口座に決まってるだろ」
「凍結されてないんですね」
「行方不明扱いだろ?」
「あれって、7年すると死んだことになりませんでしたっけ?」
「そうだったか? いま何年目だ?」
「2年ですね」
「まずいな。あと5年しかない。その間にわたしの潤沢な貯蓄を使える口座に移す必要があるな」
「なんか急に裏取引のにおいがしてきましたね」
「何を言うか。純度百パーセントわたしのカネだぞ。ああ、カネは地獄に持っていけない。お前も死ぬ前に全財産溶かせよ?」
「忘れなかったら憶えておきます」
何の話をしてたんだったか。
「お前の楽しそうな顔、初めて見たよ」みふぎさんが言う。「よかったな。生きてたらいいことあったろ?」
上手な返しができなかったので頷いておいた。
これ以上話をすると、気持ちよさそうに寝ている彼を起こしてしまいそうだ。
「また、会えますか?」
「会うも何も、ここはわたしの家だ。勝手に借家にされてるが、わたしの家にわたしがいて何が悪い」
「ありがとうございます」
出て行けと言わないところが、みふぎさんらしい。
「あ、ついでにいま、時寧おばさんが最期にみふぎさん宛てに書いた手紙の」
データが残っていてよかった。
手違いで消してしまっていたらと思うと、悔やんでも悔やみきれない。
「要らん要らん。なんでそうゆう湿っぽい話を捻じ込んでくるんだ」みふぎさんが迷惑そうに首を振る。
「あとでちゃんと見てくださいよ?」
そういえば、
俺の眼は。
また見えている。
「もしあの少年といい感じなったとて、さすがにセックスはお前の家でやれよ? こっちは小学生の娘がいるんだから」
「全然予定ないので大丈夫です!!」
06
みふぎへ
ごめんね
言葉を尽くすと嘘っぽくなるから言いたいのはそれだけ
その代わりにみふぎが知らないことを教えるね
うちの会社と
知りたくなかったらこの下を破いて捨ててね
だいたい30年前
会長――父さんがまだ学生だった頃
歴代最高と謳われた祓い巫女がいた
名を、
それが、私のお母さん
なんで私に遺伝してくれなかったんだろうね
タウ・デプス 伏潮朱遺 @fushiwo41
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