第2話 少年は女性を騙した

 少年が雑踏に目を覚ますと宿の前の通りがすでに賑わいを見せていた。疲れ果てた体と満腹感で眠りこけてしまっていたようだ。


 手早く干し肉を水で流し込み部屋を出る。いつもより遅い時間に現れた僕に受付の女性が尋ねる。


「あれ?今日は遅いんだね?」


「うん。ちょっと遅くまで考え事してたから」


 手短に返答すると女性は察したのか深くは聞いてこなかった。僕は小走りに宿を出た。


 昨日と同じ場所に着くとテーブルの上に被った土埃を払って薬瓶を置いていく。最後に値下げする前の値札を手前に置いて顔を上げる。


 行き交う人たちはこちらに目を向けることもなく通りすぎていく。結局今日も店の前で足を止める人はほとんどいなかった。


 太陽が西の山の尾根に差し掛かるころに薬瓶を片付けて宿へと帰る。しかし、すでに手持ちの金は帰りの運賃を除くと底をついて宿に泊まることはできない。

 テーブルを受付の女性に礼を言って返したあとは、酒場から出てくるであろう人たちを目標に近くの路地裏で待機する。道中で酒瓶が入っていたであろう箱を拾ったので腰をおろした。

 うつらうつらと舟をこいでいると酒目当ての冒険者たちの往来が多くなっていく。しかしそのほとんどがパーティなので声をかけられない。

 そして、中々呼び止めることができずに夜が深まっていく。


 やがて一人の女性が酒場から出てくるのが見えた。鎧などは身に着けておらず、ふらふらとこちらに向かってくる。酔っているであろうこの人しかいないとローブについたフードを目深に被って路地裏の影から声をかける。


「そこのお姉さん、良い薬がありますよ」


 女性は立ち止まってきょろきょろとあたりを見まわすと少しして僕に気づいた。


「誰だ?あんた」


「怪しいものではありません。ただの薬師です」


「薬師?それにしては随分と怪しい風体じゃないか?」


 今のところ子供とは疑われていない。やはり酔っ払いを相手に決めたのが功を奏したようだ。


「色々と事情がありまして」


「ふぅん、それで何を売ってくれるんだい?」


「ではこちらへどうぞ」


 街灯がわずかに差し込む路地裏へと誘うと女性はふらふらと僕のあとに続く。地面に置いてある鞄から三本の薬瓶を取り出して女性の目の前に広げた。


「手製の魔力回復薬になります」


「魔力回復薬ぅ?そんなのそこらで買えるじゃないか」


「いえいえ、自信作なんですよ。村のみんなにも好評で」


 言いかけたところでしまったと口を閉ざす。ちらりと頭を上げて様子を伺うが逆光で女性の顔色はよく見えない。少しの時間が経つと女性が僕に尋ねた。


「いくら?」


 その言葉に僕は思わず上がりそうになった口角をきゅっと締めて低い声色で返す。


「一本、小銀貨三枚です」


「こんなところで商売するわりに値段はまともなんだね。じゃあもらおうか」


「ありがとうございます」


 湧き上がる喜びをぐっと押しとどめ手のひらの薬瓶を女性に差し出す。心なしか手が震えているように感じた。


 女性は指の間に薬瓶を受け取ると逆の手で腰に着いたポーチをまさぐって銀貨を僕の掌に置いた。僕はそれを間違いがないように目を凝らして一枚ずつ確かめる。


「じゃあね。次からはもっとまともなところで商売しなよ」


 僕が銀貨を確かめ終わらないうちに女性はそう言うと街灯が照らす通りへと歩き出した。僕は礼を言おうと口を開きかけるが子供とバレてしまいそうですんでのところで口をつぐんだ。代わりに深々と頭を下げた。


 手の上に残った銀貨はなぜか11枚あった。僕は初めての売り上げをこぼさない様に初めて使う巾着袋に入れて口を縛った。


 僕は目深に被ったフードを外して女性とは反対方向に歩き出した。


 さっきの女性に鉢合わせないように路地を逆に抜けてぐるりと回ってからいつもの宿に向かう。勢いよく扉を開ける。手元に目を落としていた受付の女性が気づいてこちらに目を向けた。


「あら?忘れ物でもあった?」


 僕はぶんぶんと首を横に振って巾着から銀貨を三枚取り出してカウンターに置く。


「一泊お願いします!」


「これはもしかして初めて売れたのかな?」


「はい!」


「おおー、おめでとう」


 女性はそう言って銀貨をカウンターの下にしまうといつも通りの所作で鍵を置いた。


「部屋は同じところね」


 僕は女性が言い終わるや否や、鍵を握りしめて階段をばたばたと上がって見慣れた傷のついた扉を開ける。ローブも脱がずにベッドに飛び込むと鞄からガチャンと薬瓶のぶつかる音がした。


 僕はハッとして鞄の中に手を差し込んで確認すると運よく瓶は割れていないようだった。

 薬瓶の入った鞄を床に置いてベッドに仰向けに転がる。時折巾着を振って銀貨のぶつかる音を楽しんだ。


 女性を騙してしまった罪悪感など忘れて初めて薬が売れたことを喜んだ。

 その夜、僕は巾着を胸に抱いて都に来て初めて幸せな気持ちで眠りに落ちた。

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