第三話 CCC(チーズ・チーズ・チーズ)①
酒場から戻ったオレは熱いシャワーを浴びて、溜まった鬱憤を晴らす為に冷蔵庫の酒瓶を取り出して一気に飲み干した。
大した度数があるわけじゃないが、それでも一気に飲めばアルコールが頭に回る強烈な感覚で無理やり思考をリセット出来る。これは滅多にやらない事なんだけど、今日がその日だったわけだ。
「あークソ、今日はなんか噛み合わなかったな……変な幻聴も聞こえてたし、一体どうしちまったんだオレは……」
いい気分で帰ってくるつもりだったのが、意味分からん奴らに絡まれたせいで台無しだぜ、まったく。アッカージェイル殺戮街とか言ってたが、物騒な名前の割に連中は殺し屋とは思えないマヌケさだったな。
空いた酒瓶を流し台に放り込んで、もう一本の酒瓶を冷蔵庫から取り出して、飲み干す。
「あー、ダメだ。酔えねぇ」
なまじ酒に強いせいで簡単に酔えないのが
「あ。そうだ」
続け様に酒瓶を取り出し、瓶の蓋を開けながらある事を思いついたオレは、お気に入りのヴィンテージの机へと向かう。目的は、そこに置かれている電話機だ。
「明日は臨時休業にしちまおう」
電話機のケーブルを乱暴に引っこ抜き、明日も注文してくるであろうババァがピザ難民になる姿を思い浮かべると笑みが溢れる。
これで明日はあのクソうるせぇババァの声を聞かなくて済むし、昼まで寝られるってモンよ。
三本目の酒瓶を呷り、『ざまーみろ』と電話機に中指を立ててどかん、とパイプ椅子に腰を下ろす。そこまでやって、オレは虚しくなってため息を吐いた。
「はぁ、なにやってんだか、オレは」
オレが休もうが働こうが、辛くなるのも楽になるのもオレにしか関係のない話だ。
この街はぶっ飛んでるが、変わらない。
どれだけ街にイかれた奴がいようと、結局そいつらも街の一部に過ぎない。
街も、街の連中も、そしてオレ自身もただ在るだけなんだから。
「馬鹿ばっかだ、この街は」
「同意するわ。ピザ屋さん?」
声は、唐突に、オレの座るパイプ椅子の下の方から聞こえてきた。
「!?」
うおっ、ヤベ────!
不意に聞こえた声と同時に、バランスを崩したオレは椅子ごとひっくり返る事となり、更に頭から酒を被った。
「うぅわッ……最悪だ」
最早、苛立ちすら感じるのも面倒になるくらい今日はツイてねぇと思う。元々運は悪い方だけど、今日は輪をかけて変な事が起こってる。それに──
「あらあら」
幻聴がまだ聞こえてやがる。
自分で思ってるよりオレは酔ってんのか?
それともアリヴェロの野郎が酒になんか入れやがったのか?
アイツなら『最近流行ってるらしい』とか言ってやりかねない。
いや、今はそんなことどうでもいい。仮にアリヴェロの仕業だったとして、命に関わる様な事はしない筈だ、多分。
地べたに横たわったまま、声のした方へと顔を向けるとそこには何故か、一匹の黒猫が澄ました顔でちょん、と座ってオレの顔をじっと見つめていた。しばらくオレと黒猫は無言で見つめ合った。
最悪と不運と苛立ちの混じった思考が落ち着いた頃、オレは冷静に黒猫に話しかけた。
「……なんだオマエ、どこから入ってきやがったんだ?」
ここはビルの三階に当たる。猫の身体能力がどんなもんかは詳しく知らないが、一階から登ってきたなんて事はあるのだろうか。それか、オレがドアを開けたタイミングを見計らって一緒に入って来たのか?
あれこれ考えていると、再度幻聴が聞こえ始めた。
「あら。今更何を言ってるのかしら」
「…………………?」
声は黒猫の方からした。どうやらオレは、本当に、やっぱりおかしいみたいだ。
どうしてか、今オレの頭はこの猫が喋ったと思ってしまってる。
例え、シビュヌが多様性の街と言えど、
と、すると盛られたのは人獣の言葉が分かるようになる薬か? まさかとは思うが自然人種を人獣に変えるみたいなヤバいヤツじゃないだろうな……。去来する不安に冷や汗を浮かべながらオレは黒猫に意識を戻す。
そこでオレはやはりどうかしてるのだと確信した。
「もう。酒場に居た時は会話出来たのに、お酒飲み過ぎじゃないの?」
猫に感情表現が出来るのか知らないが、この黒猫は『呆れた』様子でオレを見下ろしていた。
「あー……喋るネコってのは初めてなんだけど、これってオレの幻聴なんだよな?」
「バカ言わないで。それでもピザ・ハンターを倒すって言い放った男なの?」
「は?」
誰がなんて言ったって?
このネコは何を言ってんだ?
ていうかオレ幻聴と会話してる?
いよいよヤバくないか?
疑問は止まないが、混乱すら頭を覚ます為にオレは一度顔を洗って戻ってきてみたが、黒猫は一歩も動かずにパイプ椅子の側でちょこんと座っていた。
「……こうなってくると幻覚じゃない方がまだマシなんだけど?」
「いい加減現実だって理解しなさい!」
怒りを露わにした黒猫にやけに通る声で怒鳴られ、オレは観念した。
「どういうこったコレは」
「あなたって非現実主義者なの? この多様性世界じゃそう珍しい事でもないでしょ」
黒猫はまたしても呆れた表情で言った。
「オマエみたいのはオレの日常にゃ無かったモンだから。それに多様性世界なんて、言葉が一人歩きしてハイウェイを逆走しちまったみたいなもんじゃねーか。政府の崩壊まで至るなんて大事故なんてレベルじゃ済まねーから」
「だとしても現実から目を逸らすのは愚かな事よ。在るものは在るままなんだから」
「黒猫に説教食らってんのかオレは」
我ながらこの状況が理解出来ない。いや、今日一日ずっと理解出来ることなんて一つもありゃしなかったな。
「で。オマエはなんでオレの事務所に侵入して来たわけ?」
「あなた、ピザ・ハンターを倒すんでしょ。そのサポートをする為よ」
「あのなぁ、ソレなんの説明にもなってないから。ていうかいい加減誰か教えてくれよ、ピザ・ハンターがなんなのか」
「いいわよ」
思いの外、簡単に答えが返ってきてオレは目を見開いて黒猫を見た。オレの日常をぶっ壊したピザ・ハンターが何者なのか、知ることが出来る。
そう思ったオレは姿勢を正して、黒猫の前に座った。
「ピザ・ハンターについて説明する前に、自己紹介をさせて。私の名前は【ジィーナ・シシリア】、中央宇宙管制局のエージェントよ。あなたは?」
「は?」
「だから、あなたの名前は?」
「いやいやいや、中央宇宙管制局? なんだよそれ意味ワカンねぇから。ていうかオマエ今ジィーナ・シシリアって言ったか?」
「……一から説明が必要みたいね。これだから発展の遅れた文明は面倒だわ」
ジィーナ・シシリアと名乗る黒猫は三度呆れ顔をして、オレの疑問を無視して宇宙文明とそれを巡るピザ・ハンターの戦いの歴史を語り始めるのであった。
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