第二話 Pizza without wasabi
完全に伸び切ってしまった三人組の始末をどうするか、と少し考えてはみたものの使う労力を鑑みてその場に放置する事にした。
シュビヌの夜はそこまで危険ではないし、人肉を好むイカれた
命の危険性はないだろう──適当に三人を通路の壁際に移動だけして、その場から離れた。
『アンダースター』の扉を押し開き、カウンターで作業している狼男に目を向ける。先程までの事を日常の一コマとしてすっかり忘れ去ったのか他の客と談笑している様だった。
オレはそんな呑気なヤローへと向かって足を速めた。精一杯の怒りの表情を浮かべながら。
「おいアリヴェロ、オレ一人に押し付けやがって──」
しかしオレの怒りをものともしない様子でアリヴェロは「やっと戻ってきたかよ」と逆に呆れたと言わんばかりに両手を持ち上げてため息を吐いて別の客の注文を受けに離れていった。
(ブチ切れてオレを追い出したのはてめーだろうが)
言い返すのもアホ臭くなり、元のカウンター席へと腰を降ろしてすっかり緩くなった酒を呷る。
そう言えば、今アリヴェロが談笑していたのは誰だと思いカウンターに座る客達をグラス片手に横目で確認してみる。
オレの席はカウンターの角にあたる直角に曲がった場所でカウンター座る客達全員が見える。とりあえず、ぱっと見ではオレの近くの席には誰も座っておらず、カウンター正面から奥側にかけてはまばらに亜種人種と自然人種が座ってはいるが、どいつも酒だけに集中している様子だ。
一体アリヴェロはどいつと喋ってたんだ?
オレが疑問に思っていると、不意にオレのすぐ
「あなたがピザ・ハンターに間違えられたって言う哀れなピザ屋さん?」
女の声だった。この酒場には到底似つかわしくない清廉さすら感じる静かで力強い自然そのものみたいな、山の雪解け水みたいな冷たくも軟らかい──そんな声だった。
驚きつつもオレは声のした方へと目を向ける。さっき確認した時には誰も座っていなかったはずの、丁度オレの斜向かいの席だ。そちらを見てみると、やはり誰もいない。
そう思った時だった。
ひょこり、と一本の黒い縄の様なものがカウンターの影から現れた。なんだあれ、と凝視していると黒い縄はゆらゆらと左右に動き出し、そこでオレはようやく黒い縄の正体が動物の尻尾だと理解した。
なんで
尻尾の主の正体を確かめるために、カウンターから立ち上がりゆっくりと移動する、その間も尻尾は揺れ続けて、まるでオレが確認しに来るのを待ち構えているんじゃないか? なんて考えが浮かんでくる。
(まさかな────)
変に怯えた考えは一笑に付して、カウンターの角に手を掛ける。尻尾はまだ揺れている。規則的に揺れ続けているだけだが、それが一層存在の不可解さを際立てていた。それにまたもや聞こえてきた『ピザ・ハンター』の単語。
考えるだけ無駄だと分かっていながらオレは思考をとめられずにいた。
なんでかは分からないが、その答えがこの薄汚れた酒場の喧騒の中にある気がしたんだ。意を決してオレはカウンターの下を覗き込んだ。
……なんてことはないじゃないか。
カウンターの下、オレの斜向かいのポールチェアには、一匹の黒猫がちょこんと行儀正し座っているだけだった。
黒猫は黙ってこちらを見つめ返すだけで、声を発したりはしなかった。
恐らくは他の客と紛れて店内に入り込んだのだろう、向こうで喋りくさってるアリヴェロに向かって呼びかけた。
「おーいアリヴェロ、
しかし、アリヴェロはオレの声に気付かないまま喋りに夢中になっている。
まぁ、急いで伝える内容でも無いのだがさっきの出来事も含めてフラストレーションは溜まりっぱなしだ。
舌打ちを一つして酒を呷り、煙草を咥える。ため息と一緒に煙を吐き出して頬杖を付いた。
「ったくよォ、今日はなーんか色々噛み合わねぇんだよなぁ……」
グラスの底のすっかり溶けて小さくなった氷を見つめながら、ぼんやりと呟く。
「それは災難だったわね。まぁピザ・ハンターに間違えられて生きてただけでも幸運だと思いなさい」
どこからともなくさっきと同じ声が聞こえてきて、グラスを見つめたまま返事をした。
「そう、それだよ! ピザ・ハンターってのは一体なんなんだ? 今日一日その変なヤツのせいでオレにはロクでもない事ばかり起きてる! クソッタレ。もしピザ・ハンターとやらが現れたらぶちのめしてやる……!」
自然とグラスを握る手に力がこもる。声は、神妙な感情を含んだ音でオレに尋ねてきた。
「あなた、ピザ・ハンターを倒すって、本気なの?」
「なんだか知らねぇけど、オレはピザ屋だぜ? そんなヤツ野放しにしておけねぇよ」
グラスから視線を持ち上げて、声の方を向く。すると、そこには一匹の黒猫がカウンターの上に座りオレを見つめていた。
(おいおい、猫と喋ってたって? そんなに飲んでねぇのにオレはもう酔ってんのか?)
まさか人獣が喋るわけが無い、グラスの中に残った酒を一気に飲み干してポケットの中の貨幣を適当にカウンターの上に叩きつける。
アリヴェロなら、何も言わずとも分かるだろう。
今日はもう帰ろう。帰った方がいい、そんな直感があった。これ以上ここに留まっているともっと面倒な何かが起こる、気がした。
カウンターに背を向けて、扉へと向かう。
なんだかやけに背中が重く、後ろ髪を引かれる気分だが、それよりも帰って寝たい気分の方が大きかった。
「もう寝よう……オレの頭が狂っちまう前に……」
なんて言っていたのかは分からなかったが、扉を開けて外に出ようとしていると背後からアリヴェロの声がしていた。
「おいダニエル、背中に猫なんて引っ付けてどこ行くんだよ!」
振り返らずに手だけ振って応え、オレは店を後にした。
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