第3話 ソードウエポン『剣麗華』(2)
城守さんに切られた携帯電話を持ったまま呆然としている俺の耳に、ノックの音が聞こえてきた。
「悠斗様、起きていますか?」
こんな状況で寝られる人間がいたら、ぜひ教えてほしい。一生近付かないから。
「ご承知の通り、今、この部屋に向かって麗華様が近付いてきています」
やっぱり、麗華って人か。
「我々は、これから麗華様をおとめしなければなりません」
声の主はおそらく、さきほど上条博士の研究所で見た黒服達だろう。
いかにもプロフェッショナルという体つきをしていたが、このホテル全体を圧迫するような気配の持ち主と比べると、紙切れよりも頼りない。
「いや、やめといた方がいいんじゃないかな?」
この気配の持ち主は、絶対に人間じゃない。というか、人間であってほしくない。
「そういうわけにもまいりません」
やたらと悲壮感の漂う黒服。
「悠斗様、今までお世話になりました」
いや、4時間前に会ったばかりだよね?
と、その時、チーン、と乾いた音がフロア全体に鳴り響いた。ような気がした。
それと同時に、今まで下から感じていたプレッシャーが、真横から吹き付けてくるように感じる。
「正直に申し上げて、5秒と持たないと思います」
城守さんの見立てより、短くなってるじゃないですか。
「これほど嬉しそうな麗華様を見るのは、初めてです。万が一、あなたにもしものことがあったら、怒り狂った麗華様によって、このホテルの歴史は今日で終わります」
「いや、なんかそれ、おかしくないですか?」
いまいち話の筋が分からないのは、俺の頭が悪いからか? 麗華様とやらは、俺に死んでほしいのか、死んでほしくないのか、どっちだ?
と。
「……………………」
い、いきなり恐ろしいほどの沈黙が訪れた。
な、なんなんでしょうか?
「お待ちください、麗華様! 悠斗様は、まだ……!」
「ひ、そ、それは……!」
「止めろ! なんとしても、麗華様をおとめしろ!」
飛び交う怒号。
ついには、銃撃の音まで聞こえてきた。
「……………………」
「……………………」
沈黙が続く。
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
そして。
コンコン。
『さっき世界は滅んだ』と言われても信じそうなほどの静けさの中、俺の神経をこそげ落とすような無気味なノックの音が聞こえてきた。
「………よー」
動転して『澄空悠斗なんて人間はここにはいませんよー!』とベタな返事をしようとしたが、口の中が完全に乾いていて声が出なかった。
さっきのミネラルウォーター飲んどきゃ良かった。
と、
いきなりドアが目の前を通り過ぎた。
「……な!」
そのまま、後方の窓ガラスに激突する。
豪勢に街の灯りを映し出す大きなガラスは、防弾らしく傷一つついていなかったが、高級そうなドアと俺の心は、真っ二つに折られてしまった。
「しまった……。力加減、間違えた」
心の折れた俺に聞こえてくるのは、『ちょっと反省』みたいな軽い声。
ちょっと待て!
これが『力加減、間違えた』なんてレベルか!
怒りで折れかけた心を再武装し、マウンテンゴリラのようなその女を睨みつけて、
呆然とした。
『細い』というのが、第一印象だった。
だが、それは、二足歩行するクロコダイルのような女性を想像していたためで、少し風変りな制服に身を包んだその女性は、奇跡のような比率を誇るプロポーションをしていた。
水でできているんじゃないかと思えるほど滑らかな黒髪が目を引く。
冗談のように整った小さな顔がその身体に乗っている。
透き通るような瞳は、どこまでも捉えどころがなく、
白磁のような美しい手には、壮麗な諸刃の剣が握られていた。
?
ちょっと待て?
剣?
「『断層剣』カラドボルグ」
『鈴が鳴るような』という形容詞がぴったりの声音で言う女性。
んーと、今のは、その剣の説明をしてくれたのでしょうか?
そんなことより聞きたいことが、3ダースほどあるのですが。
次々と襲い来る摩訶不思議な事態に声が出せなくなった俺の前で、
美しい女性は、『カラドボルグ』を振り上げた。
…………。
邪神以外の神様の存在を信じてもいい。
俺が今日初めてそう思ったのも無理はないだろう。
少し変わった制服に身を包んだ女性が放った一撃の後も、俺の首はつながっていた。
ただし、あと数十センチずれていれば、その限りではなかった。
「………」
俺の表情はほとんど変わっていなかったと思う。心理的には泡を吹きまくりなのだが、もう外部に情報発信するだけの気力も残っていないのだ。
ふかふかの豪華なベッドが真っ二つに切断されたばかりか、床に巨大な亀裂が走り、階下の部屋が見えている。
重厚なドアの直撃にも耐えた防弾ガラスにも大きな三日月型の亀裂が入っており、そこから美しい星達が直接見えるようになってしまっていた。
一瞬でスイートルームを戦場に変えた美しい女性は、『カラドボルグ』を肩に担いだまま少し考え込むような仕草をして、
「ごめん。まだ、BMP能力が覚醒してないこと、気づかなかった」
と言った。
ああ、
誰か、誰でもいいからその一言を彼女に伝えることができていれば、俺が生まれて初めてのホテルで、名指しで、しかも全館放送で罵られることはなかったんだ。
ついでに、この部屋も、明日以降も存分にブルジョワジー達の虚栄心を満たし続けられたんだ。
とりあえず、第一級戦犯は城守さんだな。あと、黒服。次点で、俺くらいにしておこう。
女性が軽く右手を振ると、『カラドボルグ』は煙のように消え去った。
これが、BMP能力か。
そのまま女性が、ツカツカと近づいてくる。
「あれ?」
よく見ると、あの制服、高校生の制服っぽく見える。
常人離れした容姿と、浮世離れした言動のせいで気付かなかったが、女性自身もかなり若い。
ひょっとして、俺と変わらないくらいなんじゃないか?
「ソードウェポン『剣麗華』」
と、女性は、ピアニストのように優雅な右手を差し出してくる。
単なる自己紹介なのだろうが、その響きは、天上の音楽のように美しい。
俺も負けてはいられない。
右手を差し出し、
「『澄空悠斗』。大衆飯店『よーい丼亭』皿洗い……は、今日首になったから無職。琴峰高校一年生……だったけど学費が払えなくてやめたから、学生でもない!」
………。
別に、困らせようと思って言ったわけじゃない。
正直に自己申告しただけだ。
目の前の女性も、さぞ呆れているだろうと思って見てみると、
捉えどころのない瞳に少しだけ真剣な色を載せた彼女は
「うん。よろしく」
と、その容姿に似合わない幼い口調で、俺の手を強く握りしめていた。
……変な人だな。
今日一日、さんざん気を張っていたからだろうか?
不意を突かれて緊張の糸がぷっつりと切れた俺は、
そのまま眠りの世界に誘われた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます