結果的に、来た日を含めて大阪には3日間滞在することになった。明後日の夜には出発し、翌日の朝に第9地区のポートターミナルへ到着するというスケジュールである。その間、硝子達は大阪を観光する事になった。


しかし、観光と言っても気になるのは『トリルノース』の事ばかり。ポートターミナルまで護送してくれたアオは、すべて『フェイク』を自身に向けて話し続けていた。


『私はなんと、ヒトの善悪を理解できるタイプのロボットなんですよー!ですので、協力しようと思って!』


『この街で出来ることは私がやっておきます。タンザさんとハクさん、どうかお気をつけて』


アオ。あの日の会話の中でも、彼女はとにかく『邪魔者自分たち』をトリルノースから追い出すことに必死だったのだろうか。あくまで自身の味方をしたのは、怪しんで逆にトリルノースに残られることを危惧したからだろうか?


「...わからない」


ここは道頓堀。大阪に来て2日目で、明日の夜には船に乗る。グリコの看板がよく見える橋の上で、硝子はたこ焼きを片手に呟いた。隣に立つハクは、昨日の店での会話が終わった後、すぐさま「行ってみたい!」と意思表示されたので行った『アメリカ村』で購入した古着のパーカーとジーンズを着ている。どうやらアオのデータベースにこういった『おしゃれ系』の知識も入っていたようで、ハクはつい気になってしまったようだった。まあ、確かに白いワンピースに白髪だと目立つかと思い、せめて服だけはと硝子のポケットマネーから購入した。一方硝子も着替えは持っていなかったので、アメリカ村では買わなかったが、梅田で適当に服一式を揃えた。黒いカッターに白いズボンを選んでしまった。おかげでつい先ほどまで男と勘違いされ逆ナンを受けたが、隣のハクが「ダーリン、早くいこ」なんて小声でふざけるものだから女が舌打ちをして去っていってしまった。まあありがたいのだが、もうちょっと他に言うことあるだろ、と思って仕方がない。そんなハクは隣で川を流れる小さな船を見ていた。


「ハク、あの船乗りたいん?」

「ちょっと気になってます。ところで、分からないとは何ですか?」


聞いていたのか。硝子は説明した。


「アオはさ、結局『センター』を守るためにうちらに嘘ついてたんかなと思って」


ハクは首だけ硝子の方に向けた。


「多分、それはないです。もしそうなら、わざわざデータベースは渡しませんし、実際これだけのデータを私に転送した地点で、どれが『フェイク』なのかはっきりとは書かずとも『目印』がついているのでわかるはずなのです」

「選挙に関してのデータって、見れると?」

「はい。見れます。確かに1月になってます。でも、『フェイク』ではないみたいなんですよね」

「...というと?」

「新型機が情報統制されている中で、アオが持っているすべてのデータはまさしく『正しい』ようなのです。そして、『アオ』という人格は持っているデータを正しいと確信している。データベースの中に、『センター』によって手を加えられたであろう要素がないのです」

「...選挙に関しては、手動で入れられたりとかしてるんじゃないん」

「本来であれば『センター』から情報を得るところを、『B-01』から受信していますね」

「...ってことは、1号機か」


アオが化けていたとされる1号機。『センター』ではなく、自身の姉から情報を貰っていたのはなぜか?


「『センター』からスケジュールを組み込まれるより以前に、この情報を得ているので『センター』は追って情報を入れなかったようです。...要するに、アオは『B-01』が発した『フェイクデータ』を取り込んでいる可能性が高いです」

「AIの典型的欠陥やん」

「そうですね。想定される事柄過ぎて、逆に見落とされたようです」


ぷっ、ははは。硝子が吹き出したのちに笑いだすと、つられてハクもふふ、と笑った。片手のたこ焼きはとうに冷めているが、構わず硝子はひとつ、口の中に放り込んだ。


たこ焼きを食べきった後は、ずっとハクが眺めていた船に乗ってみることにした。船ならでっけーのに乗ってきただろうと思った硝子だが、小舟は大船とは違うゆったりとした風情があった。ハクはずっときょろきょろと周りを見渡し、落ち着きがない様子だった。


「どうかしたん?」

「いえ、こんな景色見るなんて、お父さんが生きていた時には思ってなかったなと思いまして。シロも、この街に来たことあるのかなって」


わかんないですけどね、と苦笑いするハクに、硝子は「来たかもしれないよ。大阪には何でもあるからね。勉強のし甲斐があると思うわ」と同意した。


「硝子」

「...おお、どうした」


ハクに急に『本名なまえ』を呼ばれた硝子が驚くと、ハクは笑った。


「思わぬイベントではありますが、大阪でこの舟に乗ったこと、忘れないでくださいね」


硝子は「当たり前っちゃ」と照れながら答えた。


夜になり、硝子とハクがお店に帰ってくると、エイルがまるで「元気がない」とでもいうようにゆっくりと歩み寄ってきた。目は青く点滅している。


「なんか元気ないやん」

「そうなんよ、何で元気がないんかわからん...。こいつ、確かプロトタイプやろ。この時の対処法が俺わかんなくて」


焦る海月を余所に、硝子はしゃがみ込んでエイルと同じ視線になる。


「エイル、後ろ向いて」


エイルが言われた通りゆっくり後ろを向いた。硝子の目の前にはとある突起がある。その突起を下に押し込むと、ぱかりと蓋が開き、中のコントロールパネルが現れた。コントロールパネルから、硝子は思い当たる『コマンド』を入力する。すると、エイルの正面にある排出口が開き、中からは『堅パン』が出てきた。


「...は?堅パン?」

「へえ、初めて見た。なんですかこれ」


きょとんとする海月と、見慣れないものに目を丸くする夏目。大阪で堅パンはあまり見ないものだからだろうか。


「...もしかして、非常時だからと慌てて医務室の避難リュックから取り出したのですか?」


異物を取り除かれ、調子が戻ったのか、エイルはくるりと回転してハクの方を向き、目を赤く光らせた。


「...リュックごと、持ってくればよかったのでは?」


エイルは目の光をなくし、しばらく動きを止めた後、目をオレンジ色に何度か点滅させた。もしかして、『...』という意味だろうか?


「...きっと、荷物になると思ってリュックは持ってこなかったのですね。で、体内に堅パンを入れて保管していたと...。きっと暴れまわっているうちに堅パンがどこかの機構にひっかかっていたんでしょう」

「...の割には、中身割れてないねんな」

「堅パンはちょっとやそっとじゃ噛み切れんけんね」


エイルは、ぽっとピンク色の光を目に灯した。恥ずかしがってるのか...。


「エイル、蓋閉めるけもっかい後ろ向いて」


エイルに硝子の指示に従い、くるりと後ろを向いた。海月は「さすがドクター・エンジニア。エイルの不調の原因もすぐにお見通しか」と笑った。


翌日。ハクとエイルが出発に向けての準備をするので、硝子と海月と吉居はもう少し観光したらどうかと提案された。夏目と東郷もハク達の手伝いをするというので、お言葉に甘えて硝子達は京都の方まで出向くことにした。京都の三年坂を歩く中、海月が吉居に気になったことを投げかけた。


「吉居先輩って、なんでダイヤの言うこと聞いとったんですか?」

「聞いてたわけじゃないよ。あいつが勝手についてきてただけ」

「ダイヤはずっと吉居先輩のこと気にかけてたんで」

「それは『志乃舞と最期に会った人物』だからだよ。俺に何か原因があるんじゃないかとか、俺が何か知ってるんじゃないかとか...そういうのでしょう」

「あいつ、この期に及んで自分のせいじゃない理由を探しとるん?」


吉居が苦い顔をする中、硝子は今の話を聞いて余計にダイヤに対し腹が立った。海月は「誰かのせいにしたい気持ちもわからんでもないがな」と言った。


「羽鳥はさ、今ダイヤがあんなことになってるって知ったら笑うやろうと思うんやけど」

「うん。笑うどころかドン引きやと思うけど」

「そうだね、志乃舞はきっとそうだ」


全員、志乃舞と面識がある。それどころか、全員が何かしらの形で彼女に負い目を感じていた。しかし、その負い目を今まで話すことも、そもそも『あの子』について語ることもいままでしてこなかった。否、避けていたのだ。彼女を思い出すと同時に、自身らの犯した罪まで思い出してしまうからだ。


「あの子の話、もっと聞いてあげたらよかったな。俺が高校にいるうちに、何か出来たらよかったとも思うよ」

「でもあいつ、なんも言わないですよ。うちにすら話してくれんかった」

「羽鳥は色々と強かったからな...。でも、強いと思い込んでいただけかもしれんな」


この場にいる3人全員は、あの子に対し負い目を感じている。だからこそ、彼女の死を冒涜するような行動は、絶対に犯してはならないし、それをもう一人の友人が実行しようというのなら、止めなければならない。何より、彼女のために。


研究団ストーンの『センター』には、行ったことないんですけど、うち、ダイヤに会えるかねえ」


硝子が首を傾げると、海月が「大丈夫」と肩を叩いた。


「俺が案内する。俺がやばかったら、ハクだな。新型機からデータをもらっとんならきっと、『センター』内部のマップも持っとるやろ。きっと話したいとお願いしてはいわかりましたじゃ、今は済まないだろうからな、話さざるを得ない状況にもっていかんといけんなあ」


自信満々に肩を叩きながらも、やはり不安要素はあるのか、海月は腕を組み、目を閉じた。吉居は「あ」と声を上げ、ひとつの店を指さした。


「八ツ橋。食べて帰ろう」


能天気な先輩だ、と硝子はため息をついた


八ツ橋を食べ、そこから清水寺を見て、二年坂を下るうち、夕刻となった。硝子達は大阪の『喫茶ユダ』に戻ってきた。硝子達が店に着いた頃に、一台の大型車が出発した。


「機材とか諸々を載せて先に行ってもらいました」


ハクが言うに、東郷と新城が先に荷物を持って行ってくれたようだった。船に積んだ後、もう一度戻ってくるようで、戻ってきた時に夕食をこの店でとって、硝子達も大阪南港へ向かう、と言う流れだと説明された。夏目は夕食の材料を買いに出かけているという。硝子達は了承したのち、2階でしばらく休憩しようと階段を登った。2階は工作室のようになっているが、椅子と机もあり、オフィスワークもできそうな部屋だ。部屋の扉を開くと、そこには先客がパソコンを開いて作業をしていた。


「…どうも」


先客は新城がしていたような狐のお面を被り、顔は見えない。長い黒髪を後ろで結っているが、女性かどうかは判定できない。先客が立ち上がって初めて、ロングスカートを履いているのがわかり、ほぼ女性ではないかと確信づけることができた。


「…作業中で、ごめんなさい」


そう言って、硝子が開けた扉を先客は再び閉めようとした、が。完全に閉まり切る直前、先客はぼそりと硝子に呟いた。


「ゲームに勝つ方法は、自分らしくいる事」


そう言い切ると、ぱたりと扉は閉じられた。海月と吉居はよくわかっていなかったし、硝子もなんのことだかと思ったが、『社会の厳しさ』ゲームを思い返した。


『俺の願望が叶うのが先か、お前の目標が達成されるのが先か。勝負でもしよう』


『勝ったら幸せ、負けたら死ぬ』


かつてのゲームは、3回勝負。もしかして、今回も3回勝負か?


「いつの間に、うちは負けとったんか」


邪魔者を外に出し、傀儡を上に立たせる。それがダイヤの第1の目標。次はかつての『彼女』を蘇らせること。そして3つ目が『永遠』を冠するユートピアを創ること。今、第1の目標が叶えられつつあるのだ。


「…社会の厳しさ?」


海月が硝子に問いかけると、硝子は「…ああ、お前ら、わけわからんゲーム作んなよ」と言った。その表情はおどけた笑いではあるものの、真剣な眼差しをしていた。海月は「ガキの遊びやけ」と頭を掻いた。


「3回勝負で、3回目に勝ったやつが勝ちや。たとえ1回目、2回目で上手くいっても、最後の最後で勝たなければ意味がない」

「それが『社会の厳しさ』やとか、どうせ言っとったんやろ」


そう。海月が頷く。1階から「すいませーん!2階には人がいるんで、1階でゆっくりしてってください!」と夏目の声が聞こえてきた。3人は言う通りに1階に下りて行った。それにしても、さっきの先客は、なんだか『あの子』に似てたような。まあ似ている人くらい世の中にわんさかいるだろうと、硝子は特に気にしないことにした。


夏目は買い出しから戻ってきており、今からエイルと共に夕食の用意をするという。その間、3人に加えてハクも、店のテーブル席でゆっくり話をすることにした。吉居がトリルノースで現在行われているという選挙について話し始めた。


「選挙は、明日の19時に投票が締め切られ、そこから15分後に発表だ。投票はメカトロが用意した『vote system投票自動集計システム』が使われる。トリルノース市民は投票所に行かずとも自宅から選挙に参加することができる。『センター』の見立てでは、かつての市長選挙の投票率が50%台だったのに対し、今回の選挙では投票率90%に到達できるのではないかとされている。俺が聞いた話では、投票率が70%を下回ると、今回の市長選挙は無効、再度来月に再選が行われる。『vote system』の利便性を訴えるために、そして技術庁の基礎となる『研究団ストーン』が、トリルノースの発展に貢献できるということを証明する材料のひとつにしているんだ」

「そしたら、そのシステムいじくれば土屋は絶対市長になれるやん」


硝子の発言に、ハクは「そうですね」と返す。海月は「そうか、お前それもしらんのか」と深刻な表情をする。「何が」と聞き返す硝子に、吉居が再度口を開く。


「...今回の選挙で出馬しているのは、土屋ひとりだけだよ。この投票はいわば信任投票。それもあって、投票率が70%を下回ると再選になる。あと、『vote system』は悪用できないようにしているはず。『センター』は姑息な真似はせず、純粋な『市民の意向』を数字に投影できるようにしているよ。逆に、それだけ自信があるんだ」

「俺らができるのは、『おかしな方向に街が進んでいかないよう、土屋に嘆願すること』か、『土屋をダイヤごと表舞台から引きずり下ろすか』だな」

「...話が通じる人間なら間違いなく前者やったんやけどな」


海月の提示した2択に、硝子が頭を抱える。ハクが「では」と提案する。


「今回の投票を何とか、無効にしたらいかがでしょう」

「...先延ばしに、か」


吉居は確かにな、と頷いた。昨日の今日ではできることも少ない。今回の投票さえなかったことにできたなら、次の再選時に土屋でない誰かを探して立てて、最悪の方向にトリルノースが向かうことはないかもしれない。


「『vote system』を止めれば、エラーで今回の選挙は無効になるのではないでしょうか?ただ、選挙を止めるということは...私たちはトリルノースにとってテロリスト同然となるわけですが...その覚悟があるのであれば、私がシステムにうまく潜り込んでみます」

「...テロリスト、ね」


ハクの言う通り、選挙をもし無効にできたとて、システムを止めた硝子たちは公平に行われるはずの行事を自身のエゴのためだけに取り潰した『テロリスト』になる。吉居が付け加える。


「俺が向こうに置いてあるやつも、起動すれば『センター』のいくつかの設備は使えなくなるし研究データもちゃんと吹っ飛ぶくらいの威力がある。それで研究団ストーンの人たちが気をとられているうちにハクにシステムを無効化してもらえば、目的は達成できそうだな」

「置いてあるやつ、って、どんなのなんですか?」


海月が質問するも、吉居は「向こうに着いてからのお楽しみだな」と口に指を置いた。


「戻りましたー、ああ、皆さんお揃いですね」


店の扉が開き、東郷と新城が戻ってきた。新城は「ああ、僕もトリルノースに行きますよ。もしもの時に、何かできるように...」と話し始めた。


「でも、先生のところに戻るんじゃなかったん?」


硝子がそう聞くと、新城は「いえ、都合が変わりまして、僕の代わりに世話してくれる人に任せました」と夏目を見た。夏目はエイルと共に夕食づくりに精を出している。エイルは研究団ストーンでは絶対にやらない仕事にわくわくしているのか、元気そうにカウンター裏を往復している。調味料や皿など、夏目がとってきてと指示する前に希望のものを揃えてくるからか、夏目も手際よく調理できているようだった。


「リューニオンが大阪に来るんです。俺らも久々に会うんで...」


東郷がへらりと笑う。リューニオンはこの2人に黙ってまったく話と違う場所に行ってしまったと言っていた。きっとリューニオンはまず夏目に叱られ、その後に久々の再会を祝うのだろう。再会できるというのは、命あってこそだ。この3人は大変恵まれていると硝子は思ってしまった。彼らには彼らなりの理由があって別れることになったのに。もう『あの子』に会えない自分は、彼らの事が羨ましいと思ってしまうのだ。だが、もう会えなくなってしまったのも、自分自身が『あの子』と向き合わなかったことによる結果で、自業自得でしかない。


新城が明日の予定について話す。


「明日は朝7時ちょうどにトリルノースのポートターミナルに到着します。ですが、きっと正攻法では研究団ストーンに入れないので、研究団ストーンの近くでハクさんからアオに対してシグナルを送ってください。『W-arrival』と送れば、アオが迎えに来てくれるはずです。そこから、各自の向かう場所に行っていただけたらと」

「タンザは私が『センター』のダイヤ様のもとまで案内します」

「ありがとう、ハク」

「俺も着いていくわ。ダイヤのいる部屋がわかる」

「海月も?」

「では、マリン様もご一緒ということで」


ハクがにこやかに承諾する。マリンは「旧型機は、こんな風に笑えるんか」と硝子に耳打ちする。「学習の成果やん」と返した。


「俺はすぐに自分の研究室に向かうよ」

「吉居先輩、一人で大丈夫なんですか」

「一人の方が都合がいいよ。海月が人の心配をするなんて、ずっと前から思っていたけど、性格変わった?」

「この優しい性格は元からですよ!」


海月がぷんすかと怒り出す。硝子はそれが面白くてつい笑ってしまった。


「はい!明日の為にも、たくさんご飯を食べてください!ハクちゃんは、予備バッテリーを充電しておいたから、差し替えておいて」


夏目が沢山の料理をエイルと共に運んできた。東郷と新城は「俺たちはカウンター席で」と言ってカウンター席に着席した。


「ありがとうございます。...夏目さん達は、どうしてここまでしてくれるんですか?」

「そうやなあ、新城くんには色々助けてもらってるし、リューニオンの故郷でもあるってなったら、俺たちにできることぐらいはやらなあかんかなと...思っただけですよ!だから、自分の故郷、守り抜いてください」


夏目は「よろしくお願いしますよ」と硝子に念を押した。


食事を済ませると、新城は「もう、出発しますよ」と立ち上がった。ハク達が既に硝子達の荷物まで纏めて、先に送り出したために硝子達はそのまま車に乗り込んだ。


「では、ご武運を」


東郷がそう言うと、新城は「また連絡します」と返事をして窓を閉めた。新城はエンジンをかけ、車を出した。夏目と東郷は、車が見えなくなるまで見送った。そこに、狐のお面を被った先客がひょこりと顔を出す。


「光誠とお客さん、もう行っちゃった?」

「もう行ったで、話してみたかった?というか、吉居っていう人は会ったことあるんよね?」

「うん。話してみたかったけど、多分...ちかいうちにもっかい会いそうな気がする」

「ちょっと不穏な感じ出すなよ」


東郷が呆れるも、先客はお面を外し、「だって、そんな気がするもん」と笑った。

夜の暗闇でも、先客の赤く光る片目がよく目立つ。


しばらく車を走らせると、あっという間に大阪南港に到着し、硝子達は用意された船に乗り込む。行きとは違い分相応の小さな船だった。


「なるべく目につきやすい行動は、研究団ストーンに着くまで避けないとですからね」


新城は波打つ海を眺めて説明する。どうやら停船先もポートターミナルの隅っこに、目立たないように到着するそうだ。


「タンザ、ちょっといいですか」


ハクに呼ばれ、硝子は「どうした」と返す。ハクはひとつの紙袋を硝子に手渡した。


「あの、アメリカ村で買ってもらったやつ、です。お返しします」

「え?いいよ、持っとき」

「でも、私は向こうで基本このワンピースしか着ないので」

「休みの時に...って、ハクに休みはないのか...いや!休みをつくる!うちが頑張ればハクも1日くらい遊びに行ける!第9地区、観光目的で行くと面白いし!第2地区の鍾乳洞もうち行ったことないけど、綺麗らしい!滝もある!だからそん時に着ていったらいいし、他にも服、買っちゃるよ。うちの着なくなった服もあげる。ハクも、たくさん遊んだらいいと思う。妹がそうしたようにさ」

「...ありがとうございます。では、ありがたく貰いますね...」


ハクは嬉しそうに紙袋を抱きしめた。それから、時間が来て硝子達は小さなベッドで眠ることになった。目を覚ませば、自分たちは『硝子』ではなく『タンザ』に戻る。


朝の7時でも、冬場はあまり明るくない。第9地区のポートターミナルに到着するも、硝子はハクにたたき起こされてやっと到着に気が付いた。慌てて硝子が下船すると、既に吉居はいなくなっていた。


「吉居...ジル先輩、用事を先に済ませるって。俺たちだけで、先に研究団ストーンに行こう」

「でも、先輩のやりたいこと、何時にするって聞いてないけど」

「...多分、規模はでかいから、嫌でも合図がわかると思う」

「...何を根拠に?」

「タンザ、マリン様。行きましょう」

「僕が引き続き運転しますよ。僕の車は研究団ストーンの近くに置かれているので、レンタカーで行きましょう」


ここで待っててください、と指示すると、新城はどこかへ歩いて行った。しばらくすると、一台の車がタンザ達を迎えに来た。運転席の窓が開き、タンザ達に「乗ってください」と声をかける。タンザ達は指示に従った。車内に乗り込むと、新城の携帯が鳴る。「すみません」と一度タンザ達に頭を下げ、電話に出た。


「もしもし。吉居先輩。...ああ、そうですか...。はい、どうか、気を付けて。もしもの時は...はい。わかっています。では」


新城が電話を切ると、助手席に座ったタンザが電話について尋ねた。


「今のは?」

「...吉居先輩です」

「もしもの時、って、何?」

「...いずれわかります」

「待って、いずれとかじゃない。今、何らかの可能性が既に想定されているなら、教えて」

「本当に、『いずれ』の時の方がいいです。それが、吉居先輩の望みです。飛ばしますよ」


だから、と言いかけるタンザを余所に、新城は思い切りアクセルを踏んだ。警察に見つかれば速攻で捕まる違法スピードで、海の街、第9地区を駆け抜け、第4地区の研究団ストーンまで向かう。


研究団ストーン付近に到着すると、ハクは以前の指示通り『W-arrival』とアオに向けてシグナルを送った。研究団ストーン付近だと、メディカルロボット同士で通信できるようだった。ハクは特に、アオの手によって新型機のパーツの一部を取り付けている。アオはこの時のために、ボディに手を加えたのだろうか。であれば、やはりアオは味方なのか?タンザは頭を抱えた。


「僕は研究団ストーンの付近で待機しています。もしも命がヤバいと思ったら、すぐに脱出してください。大阪に亡命するなりなんなりできるので。命さえあれば」


タンザ、マリン、ハク、エイルを降ろした後、新城はそう言って運転席の窓を閉じ、何処かへ走っていった。マリンは気を引き締めたように「行くか」と声を上げた。


「...アオからシグナルが」


ハクが真剣な表情でシグナルを受信する。


「『B-03-ok-go-if-ds-s000-ifelse-system-s031』...。アオは迎えに来れないみたいで、もし『vote system』に用があるなら『センター』地下4階の部屋へ、ダイヤ様は今地下1階にいらっしゃるそうです。...アオは、多分手分けしろと言っているように感じられます」

「...ふむ、本来ならハクと俺とタンザで行く予定だったが...。タンザをどちらかが連れていく方がいいな」

「でしたら、私が地下4階に行きます。システムにアクセスできる可能性があるのは、間違いなく私のはずですので。ダイヤ様と会って話ができるのは、マリン様と、タンザしかいませんから...ちなみに、今調べたのですがバリス様は最後の選挙活動として、トリルノース各地を巡り、1日かけて遊説をしていくようです。そのため、研究団ストーン内にはいらっしゃいません。各地域に何時に来るかもインターネットで市民向けに公開されているので、間違いはないでしょう」


ハクはタンザの方を向き、忠告する。


「いいですか、タンザ。何があっても、【ダイヤ様と話す】以外のことに気を取られてはいけません。一度気を取られたら、集中できなくなります。取り乱してしまうと思います。けれど、タンザがダイヤ様と話ができるのは、今日しかないのです。アオからのデータ、トリルノースの外から見た人々の反応。トリルノースが、タンザの故郷が、大きく変わり始めています。絶対に、余所見をしてはだめです。いいですか」


真剣に話すハクに気圧され、タンザは「わかった」と、ただ一言。声を振り絞った。


「エイル、タンザ達に着いていってください。私はひとりで行けます」


エイルは「え!」と言わんばかりに目を赤と青の交互に点滅させる。余程びっくりしたのだろう、エイルはハクの周りをうろうろし始めた。ハクはしゃがみ込み、エイルの頭を撫でた。


「タンザ達を守れるのはあなただけです。エイルの中で最も特別なあなたしか、できないので...後で、合流しましょう」


エイルはしん、と大人しくなり、数秒もしないうちに「わかった!」と言うように目を赤く光らせた。


「『R-01-mt04』...メカトロエリアの4番非常口が開いているそうです。公用ゲートの近くではありますが、現在であれば誰もいないようです。そこから入りましょう」


ハクに誘導され、指定された4番非常口へタンザ達は向かう。目的地に到着し、扉の前に立つと、何の操作もしていないのにも関わらず、勝手に扉が開かれた。普段は非常口を使うためには指定のコードを用いて備え付けのキーボードから入力しなければならない(しっかり英数字コード故に、PCのキーボードのようなものが壁の窪みに埋め込まれている)。どうやら、アオが解放してくれていたようだった。タンザ達が研究団ストーン内に入ると、非常口は閉じ、自動的にがちゃりと鍵が掛けられた。


「そういえば...タンザは自室に荷物などありますか?もしあれば、どうにかして運び出しておきますが...」


ハクからの問いに対し、タンザは自室に置いているものを思い出してみる。しかし、研究や仕事しかしていないため、強いて言うなら趣味の絵を描くための道具がちらほらあるくらいだった。それなら、またいつか新しく買えばいい。タンザはハクに「うちは、無いよ」と答えた。「マリンはどうなん?」とタンザがマリンを見ると、マリンは「...多分俺の部屋、無いと思うわ」と苦笑いした。ハクは「...そうですね。研究団ストーンのマップ上では空室扱いになっています」と言った。既に研究団ストーンの中では、マリンは死んだ者扱いなのか。そして、自身の部屋は...。


「タンザの部屋は、まだあります。バイオクラスでそこそこ名前が挙がっているので、不審死されたとか、辞めたとかの話でさらに名前と『顔』が広がるのを防ぐためでしょう。ほとぼりが冷めたら、また新しい『タンザ』を呼ぶのではないでしょうか」


どこまでも周到で、かつ回りくどいことをし続けているもんだと、タンザは思った。


実は今日は、選挙日ということもあり、研究団ストーンは休日として扱われているそうだ。そのため、自室に籠もり、昼まで眠る者や、前日から研究団ストーンの外へ出ている者も多い。朝の8時頃と言うのに、タンザ達は『センター』の入り口まで誰にも見つかることなく来ることができた。


『センター』への入場もアオのおかげで簡単にできた。今回の『センター』へ入るためのゲートは、タンザがまだ研究団ストーンに来て間もない頃にバリスに案内された入り口ではなく、『センター』の人間のみが知っている入り口の一つを使った。4番非常口からは少し歩くことにはなったが、バイオクラスの共用エリアにある出入口であった。


『センター』内部は、以前バリスに案内してもらった時よりもひどく薄暗い。以前のは外部の重要人物なども利用する入り口だったから、バリスの部屋があったが今回の入り口はただまっすぐに伸びる廊下があるのみだった。その廊下をひたすらに突き進むと。大きな広間に辿り着いた。中心にはエレベーターがある。全員がエレベーターに乗り込むと、ハクは『1』と『4』のボタンを押し、扉を閉じた。エレベーターは何の音も立てず、地下へ下降する。


「タンザ達は地下1階に降りてください。私はそのまま地下4階へ行きます」

「本当に、大丈夫なん?」

「タンザ、私は確かに旧型ではありますが、高性能AIを搭載したメディカルロボットです。アオのサポートも貰えますし、すぐにタンザのところへ行きますよ」


ハクは「システムの事は、任せてください」と言う。しかし、ハクは正面を向いていた。地下1階はすぐだ。音もなく、扉は開く。エイルとマリンが降りるが、タンザは躊躇していた。しかし、ハクによって背中を押され、図らずもエレベーターから降りる形となった。


「ハク!」

「すぐに戻ります!」


ハクの笑顔は、一瞬にして扉に遮られ見えなくなった。タンザは、先に進む他なく、「行こう」と言うマリンに促され、足を動かした。


「...そういえば、地下1階のどこにいる、とは聞いてなかったな。まあ...だろうな」

「思い当たるところがあるん?」

「ああ、見たらびっくりすると思うわ」


マリンに案内されたのは、『center01_plant01』というプレートのついた部屋の前。扉を開く術を持っていないのにどうするのかとタンザが思ったが、予想にしない方法でマリンが扉を開ける。


「エイル、扉を壊せ」


エイルは「わかった!」と言わんばかりに武器を展開する。エイルは確かに戦闘もできるということは聞いていたし、初対面でピコピコハンマーを喰らっているので分かってはいたが、今回エイルから展開されたのはチェーンソーだった。エイルはマジックハンドのような手を伸ばし、扉に刃を当てる。上から大きな音を立ててジグザグに斬っていき、地面まで刃が届くと、エイルは扉に向かって勢いよくぶつかっていった。扉は人が通れるレベルにぽっかりと穴が開くことになった。圧巻されるタンザに、「おい」とマリンが声かける。我に返ったタンザは、室内に入っていった。


広い室内は桜の木、紅葉、モミの木、菜の花、ひまわり、コスモス、春夏秋冬を代表する草木が生い茂っていた。部屋の中心が広場のようになっており、草木は部屋をドーム状にするように天井まで行き渡っていた。色とりどりのそのすべてが、綺麗ではありながら、異様にも感じられた。何せ、桜とひまわりが同じ場所で咲いているのだ。この部屋の草木はすべて、最盛期のように満開であった。


部屋の奥にはまだ扉があり、タンザ達が広場まで歩いていくと、奥の扉が開いた。そこには、今回のターゲットが立っている。


「ダイヤ!」


タンザが呼びかけるも、ダイヤは再び奥の部屋へ引っ込んでしまう。タンザとマリンは走って後を追いかけようとする。しかし、マリンは何者かに足を引っ張られ、転んでしまう。


「おわ、大丈夫か」

「いい、先に置くに行っとって。エイル、こいつ引きはがせそうか?」


マリンの足をよく見ると、いつどこから出てきたのかわからない、大きな蛇が

右足に巻き付いていた。大蛇はマリンを鋭く睨み、舌を揺らしていた。エイルは蛇を引きはがす準備をする。


「...先に行くわ!」

「そうしてくれ!」


タンザは再び、奥の部屋を目指した。タンザが扉の前に立つと、扉は自動的に開き、タンザを歓迎した。奥の部屋も先程と同様に広く、花が一面に咲き誇っているが、唯一違うのは、花はある一種類のもので統一されていること、そしてその花ならではの『水色』で部屋が覆いつくされているというところだった。


「...よう」


部屋の中心に立つダイヤ。その後ろには、花で覆われた大きな箱がある。上からのぞけば中身は見れそうだが、この距離では見られそうもない。


「...色々話したいことがある」

「だろうな。そう思ってお前だけこの部屋に入れた」


ダイヤは自分のすぐ近くまで来るようにタンザに指で指示する。タンザは恐る恐るダイヤに近づいていく。歩むその間にも、タンザはダイヤに質問をなげかけた。


「お前は何故、研究団ストーンに入った?」

「願いが叶うと思ったから」

「志乃舞と仲直りやろ?もう無理なんよ。お前がなんしようと、あいつは戻ってこんのよ」

「わかってるさ」

「じゃあ願いは叶わんやん。お前、海月を嵌めて、吉居先輩も利用しようとして、うちにゲームを吹っ掛けて。お前の願いはなんなん?」


タンザはダイヤの正面に立つ。ダイヤの後ろにある箱の中身が見えそうで見えない。しかし、箱が『棺桶』の形に似ていると認識した。


「俺はな、誰にも俺みたいな過ちを犯して欲しくない。取り返しのつかない過ちをさ。人間は間違える。だから...どんなに間違えても、やり直せる世界を創ろうと思ってる」

「...へえ、その、ダイヤ様の世界には、メディカルロボットのような『ヒトに極限まで似せたAI』や、『技術庁』?とかいう組織と...『人を生き返らせる技術』と『クローン』が必要なわけ?」


ダイヤは後ろを振り向き、箱に手を入れた。すると、箱の中から一人の少女が起き上がり、ダイヤの手は少女の頬に触れていた。


「....は?それって」


白い布に身体を覆ったその人は、『志乃舞』そのものだった。虚ろな表情をした彼女は、ダイヤとも、タンザとも焦点は合わない。ダイヤは少女の目を見ていた。


「...悲しみはいらない。あるのは変わらない日常とほんの少しの幸福、それだけでいいと俺は思う」

「なんキモいこと言っとるんよ、悲しみはいらないって...お前、そんなに気が狂うほど何かに悲しんだんかちゃ!」


タンザはダイヤの目前まで歩き出し、少女に触れるダイヤに無理やり正面を向かせ、胸倉を掴む。少女と引き離された衝動で、ダイヤはタンザの首を掴み、力を入れる。


「ぐ、ぁ」


あまりの力の強さに、タンザは意識を飛ばしそうになるも、ダイヤはすぐさまタンザを持ち上げて振り飛ばし、床に叩きつける。タンザは床に叩きつけられた衝撃にまた苦痛の声を漏らす。


「...わかってもらおうなんて、初めから思っとらん。誰もが俺を責めたけ。そうやな、お前にとっては俺が悲しいとか思うのはお門違いなんやろうな」


冷たい表情で言い放つダイヤ。少女は目の前の状況も理解していなさそうに、ずっと一点を見つめている。タンザは、何かがおかしいと感じた。


「なあ、『志乃舞』」


タンザが少女に向かって呼びかけると、先にダイヤによって胸倉を掴まれる。ダイヤはタンザが身動きをとれぬよう、馬乗りになる。


「気安く呼びかけるな。それに、あいつはお前の知ってるそれではない」

「...『クローン』なんや」


タンザの発言に対し、ダイヤは肯定も否定もしない。灰になった彼女の身体は、世界中のどこを探しても、既に存在していない。そんな彼女を蘇らせる方法は、かつての彼女を自身らの記憶から掘り起こし、身体ボディを造って中身人格を創る、というものしかない。それらはすべて、『第三者の偏見』によって構築されるものであり、完全に『彼女と言う人間』を模倣できたわけでもない。『クローン』技術は、生者のものを造れば人権侵害で、死者のものを造れば死者への冒涜である。故に、クローン技術は『禁忌』であったのだ。ダイヤは、それを躊躇なくやってのけてしまった訳である。


「偽物に縋る人生、悲しいな」

「...黙れ」

「いつまでも成長しない。バリス...土屋もなんだかんだで自分のために生きていこうとしていると思う。海月もやっと立ち直っていけそうだ。それなのに、お前だけが延々とこうして縋りついとるわけ。しかも、志乃舞だけじゃなくて、海月を殺そうとしてまで。お前は間違いを繰り返し続けているだけだと気付いてほしい。次は志乃舞が生きていた故郷まで、お前は壊そうとしていることに気付け」

「...はは、怖そうだなんて、してないさ。ただ俺は、この街を『永遠に変わらぬ街』にしたいだけなんだ。この部屋に咲いてる花、さっきの部屋に咲いてた木々や花。全部な、バイオクラスの研究で『永遠花トワカ』というものだ。名前の通り、永遠の花。いつだって綺麗に咲いているし、この先も、永遠に咲き続ける。多少は人間が手入れするといいかもしれないけれど、それがなくともこいつらは元気だ」

「...桜とひまわりは、別々で見たいんやけど。...視界にすべての季節のものがそろったら、季節の移り目が楽しめない」

「いいんだそれで。不変かつで普遍的な世界がいい。いつも変わらず、同じ友人が横に居て、同じ日常が流れ、同じ景色を見る。それでいい。狂いそうになるかもしれないが、いずれ慣れる。大丈夫さ。『トリルノースは永遠の街』。たとえ何かを間違えたとしても、やり直せばいい。永遠の中には、何千回だって『やり直すチャンス』がある。唯一、永遠でないのは、『悲しみ』だ。永遠は悲しみすらも搔き消してくれる。悲しみに必ず終わりをもたらす、俺はそう考える」

「...お前なあ...」


タンザは言い返そうとするものの、良い返しが思いつかずに口ごもる。ダイヤの言うことはぶっ飛んでいる。しかし妙にわからんでもない、とも感じる。長い長い時を経て、悲しみが『後悔』に変わった時、それは確かに人として前進しているとも考えられる。その『後悔』を以て、当人が何をするかはその人次第で。ダイヤはダイヤなりに抱いた『後悔』の末が、これクローンだったのだ。


「...わかってくれとは言わない。でも、止めないでほしい。先に謝る。俺はお前の命よりも、俺のすべてであるあいつの方が大切だ」


ダイヤがそこに至った元凶、トリルノースの技術の結晶。タンザは嫌な汗をかく。この汗は、嫌な予感と共にあった。その予感は的中し、タンザの首が強く締め付けられる。


「お前...!自分が...!」

「『何をしてるかわかってるのか』、って?今更殺した数が『2』も増えようが、今更だ」

「...『2』?」

「...ああ、そうだ。...せめて同時に始末したい」


タンザは、微かな花の匂いを嗅ぎ取った。その瞬間、タンザは意識を手放してしまった。その時も、『あの子』を模したそれクローンは、宙を見ていた。


タンザが次に目を覚ましたのは、鉄の壁で囲まれた部屋。タンザはいつまで気を失っていたのか、理解していなかった。しかし、隣で倒れている男の時計を見ると、今が昼の12時過ぎであることがわかる。タンザは男を叩き起こす。


「海月!海月!起きろ!!」

「...っ...!?どこだ、ここは」

「知らんよ!『センター』のどっかやないん?」

「...『センター』...ああ、わかった」

「どこ?」

「ここ、ガス室だわ」


マリンがそう言った瞬間、壁から何かが噴き出した。大量の動物、または大量の人間を一度に殺すにはうってつけの方法。しかし、今の状況は2人に対してこの鉄の部屋で毒ガスを巻き散らしている。あまりに非効率でありながら、それほど、タンザ達に殺意を持っていることが伺える。


「...この部屋は中からは開けられない...どうするか」

「...ハクは気づかないよね」

「...そうやな...」


タンザはまだ地下4階にいる、もしくは作業を終えて合流しようとしているかもしれないハクを思い出した。ハクを思い出したところで、タンザはもう一台の事を思い出した。


「...エイル!!!」


タンザが呼ぶと。鉄の壁のひとつからゴンゴンと鈍い音が鳴る。何度か鈍い音が鳴ったのちに、その壁は崩壊し、エイルが大きなハンマーを持って現れた。毒ガスは、部屋に籠もることなく外に流れていく。少量であればこれらは無害だった。


「危ない。エイルが来なかったらじわじわ殺されてたわ。助かる。ありがとう」


マリンがエイルの頭を撫でると、エイルは嬉しそうに目をピンク色に光らせた。


「...ハクはどうしてるかな」

「地下4階に行くか」


タンザの心配を汲み取ったマリンが提案する。タンザとエイルはその提案に乗り、地下4階のハクの元まで向かうことを決める...が、そうは上手くいかないようで。歩き始めようと正面を向くと、ここから先は通さないと言わんばかりに、おかっぱの青髪少女が仁王立ちで銃を構えていた。


「謀反 テロリスト 始末」


無機質なその声は、確実にタンザを射ようとしていた。しかし、タンザの前にハンマーを携えたエイルが立ちはだかる。エイルは目を赤く光らせ、臨戦態勢と言わんばかりにハンマーを構える。


「剣戟はしない 一発で仕留める」


青髪の少女...アオの姉となる『B-01』はそう言い放ち、引き金を引く。そして、躊躇なく銃弾はタンザに向かう。が、タンザを貫くはずの銃弾はエイルのハンマーによって跳ね除けられ、その銃弾は方角を変えて『B-01』の胸を貫いた。エイルは暇を与えることなく、『B-01』に向け突進する。マリンは「今のうちに!」とタンザの腕を掴んで走り出す。「エイルが!」と叫ぶタンザに振り返ることなく、マリンはひたすらに『その場から離れる』選択肢を優先する。エイルは、『B-01』をひたすら足止めすることに徹する。『B-01』は邪魔者エイルを先に排除しようと躍起になる。エモーションシステムがまだ成熟していない『B-01』は、先に『敵意』を学習してしまった。まだ『自制』『優先』を知らぬ青髪の少女は、『任務の邪魔をしたもの』を排除することしか頭になくなった。エイルは、自分自身がロボット故に、それを予測して彼女に歯向かった。彼女が自身に照準を合わせると確信して。それは、研究団ストーンのデータベースがあったからこそ、エイルはAIとして予測を立てることができた。


「...裏切り者!」


金切り声を上げる少女に、エイルは再びハンマーを振り下ろす。


一方、マリンはタンザの腕を離さぬまま、とにかく遠くへと走っていた。自身らが閉じ込められていた場所はどうやら『センター』の地下のようで、しかし今いる階層が何階なのかは、走り続ける最中に辺りを見回しても、分かりそうになかった。朝は誰も見ていないと思って気にしなかった監視カメラも、今はきっとダイヤが見ているだろうと、マリンは焦る。いつ、自身らが再び命を狙われても仕方がなかった。ここで取るべき判断は、『研究団ストーンの外へ出ること』。タンザは息を切らし、「ねえ、ちょっと、とまって」と懇願する。マリンははっと我に返り、走るのを止める、と、マリン自身もどっと疲れが来たように、その場に崩れ落ちた。走るのを止めた直後、そしてこの状況下であるが故に、足が震えるのが止まらない。タンザも同様にその場にへたり込み、顔を地にうずめた。しかし、マリンの手は未だにタンザの腕を掴んでいる。


「...うう...うち、ダイヤの前に立てたのに、ダイヤと話ができたのに、何も解決しなかった」

「...まあ、そう簡単にはいかんと思っとった。...もう、とりあえず外に出るしかない」

「ハクとエイルはどうするん」

「もとは研究団ストーンのロボットだ。大丈夫さ」

「いや、絶対になんかされるやろ。うちそれは嫌やわ、残して逃げるのも嫌。せめて、もう成功もしなくていいから、逃げるなら4人で」

「それは無理だ」

「え?」


タンザの腕に、するりと何かが纏わりつく。タンザが顔を上げると、タンザの腕にはあの花と草木だらけの部屋で見た大蛇が巻き付いていた。その先には、溶けたようなマリンの姿があった。服は身体が溶けていくにつれ、だんだんとぶかぶかになっていく。


「タンザ...諦めれば...すべて解決する...お前はお前だけの人生を、この街の外で歩むことができる...」


大蛇から放たれたと思しきその誘惑は、タンザの心を大きく揺さぶった。本心ではハクとエイルの元へ行き、バリスが市長になるのを止め、そしてダイヤの野望を打ち砕き、あの偽物の少女を何とかしたい。しかし、大蛇の前だと、その決意もなぜか揺らぎ、「そうだ、此処にいるからだめなのだ」と思い始めてしまう。


「...いや、それでも、この街はうちの故郷でもある。そう簡単には引けん」

「そうか...残念だ...」


大蛇はそう言うと、するするとタンザの腕から首元まで巻き付き、そして首筋に歯を立てようと、口を大きく開いた。


「この街の外と言うのは、決して現実のみを指しているわけではない」


そう言う大蛇に構わず、タンザは重い大蛇ごと立ち上がり、自分ごと身体にぶつかった。蛇が纏わりついている腕が壁にぶつかるように体の向きを置いて。何とかして纏わりついた蛇を取り除きたい一心だった。


「無駄だ...無駄だ...」


大蛇はマリンに化けていた。マリンの少しの意思を借り、タンザ自身に隙を作らせた。たしか、聖書では蛇がエヴァを唆し、林檎を頬張らせたと。つまり、この大蛇はマリンがいないうちに、タンザを唆し、とにかく研究団ストーンから排除しようとしているのだ。若しくは、先にマリンが林檎を食べさせられたのかもしれない。となると、本物は林檎によって大蛇の手の内なのだろうか。


「....この蛇も、クローンみたいなもん?」


タンザは壁にぶつかりながら大蛇に問いかける。しかし、大蛇は小声で「しゃあ」と鳴くだけ鳴いて、締め付けを強くする。


「ぐぅ...!離せ!」

「諦めればいい。ただ、諦めるだけ」


大蛇は態勢を整え、再びタンザに嚙みつこうとする。それを阻止するために、タンザは壁にぶつかり、大蛇の気を散らす。しかし、それ以上にタンザの心を惑わす一言を、大蛇は放つ。


「お前の仲間はとっくに諦めたぞ」


甘い大蛇の言葉は林檎と同じくらい魅力的だ。しかし、タンザはここであきらめるわけにはいかなかった。タンザは立ち止まり、大蛇に片手を上げる。


「...わかった。諦める。諦めるわ。確かに、ダイヤが何をしようがうちには関係ない。ただ、もしお前がうちを気絶させるなりなんなりして、もう一度ガス室に放り込んでじわじわと殺すくらいなら、いっそ舌を噛んでくれん?舌を嚙みちぎられるっちことはまあ死ぬわけやけど、うちはその方がいいんよね。うちを志乃舞のとこに連れてって」


タンザはそう言うと、大蛇に向けて舌を出した。大蛇はしゅるると舌を鳴らしたのち、口を開けてタンザの舌に向かって牙を立てようとした。牙が舌に当たりかけたその時、勢いよくタンザが大蛇の頭を口に含み、思い切り嚙み砕いた。大蛇は口の中でガリガリ、ビリリと音を立てていく。金属音と金属の味が口内に広がり、いくつかの部品が喉奥まで転がりそうなのを止めるために、タンザはすぐに大蛇を口から離した。その際に、いくつかの部品がぽろぽろと地面に落ちていった。タンザは思い切り大蛇の頭部を踏みつける。


「...やっぱしロボットか。牙に毒があるわけでもなさそう。...マリンはどっかにいるな。地上に一度上がる方がいいかもしれん」


タンザはそう言うと、目的地へ行くためのゲートを探すために走り始めた。まずは此処が何階であるのかを知る必要がある。付近の部屋には番号が振られておらず、番号での判断ができなかった。しかし、思わぬ形で自身の居場所を把握することができた。「タンザさん!」と快活な声と共に、タンザの前に、長髪・青髪の少女が現れた。


「..タンザさん、ここは地下2階です。私が目的地まで案内します」

「...アオ....なら、地上に行こうとおもっとったけど、ハクのところに連れて行ってほしい。アオなら、分かるやろ?」

「地上に行くことをおすすめします。...ハクさんの元へ、タンザさんは、私は向かうことができない」

「...どういうこと?」

「そのままの意味です」

「そのままってどういうことかっち聞いとるんよ!目的地まで案内するんやろ!?」


タンザがアオに掴みかかる。しかし、アオはそれに動じず、冷静にタンザを諭した。


「タンザさん。何があっても、【ダイヤ様と話す】以外のことに気を取られてはいけません」


ハクが研究団ストーンに入る直前にタンザに向けて話したことだった。


「もう一度、ダイヤ様と話してください。次でダメなら、私が責任を持ってタンザさんを"脱出"させます」

「...ハク、エイル、マリン...ジル先輩は?」

「...『間に合えば』助けます」

「間に合えばって、今誰かが危険な状況にあるなら、助けに行きたい!」

「ハクさんとの約束が最優先です!ダイヤ様は地上の1階、第4共同研究室に向かわれています。もう一度、ダイヤ様に会ってください」

「他の奴らは!」

「...ええい!面倒!はやく上がれ!!!!!」


アオはタンザの身体を抱え込み、壁に向かってタンザを振り投げた。壁はするりと開き、隠しエレベータのようだった。エレベータ内に投げられたタンザは、痛みに耐えながら、アオの方を見る。エレベータが閉まる間際に見えたアオの表情は、どこか悲し気であった。


アオが制御運転をしているからか、エレベータは自動的に地上階へと進み、すぐに到着した。エレベータが開くと、そこには先程までの研究団ストーンの状況とは程遠い、まるで地震が起きたかのような惨状が広がっていた。


「...は?」


目まぐるしい展開に、タンザは理解が追い付かなかった。草木まみれの部屋、『あの子』のクローン、襲い掛かるメディカルロボット、友人に化けて誘惑する大蛇。そして、目の前の事実。研究団ストーンという施設そのものの崩壊であった。がらがらがら、と鼓膜が破れるほどの大きな瓦礫同士が擦れる音。音の方向を振り返ると、そこには蛇状に大きな瓦礫が固められたような、謎の巨大ロボットがあった。タンザのすぐ近くに、瓦礫の一部が隕石のように勢いよく落ちてくる。タンザは吃驚してそこから離れるも、タンザが避けた場所にも何かが降り落ちてきそうだった。慌ててタンザは、とにかく目的地に行こうという判断をした。第4共同研究室は、エレベータが到着した場所からそう遠くはなかった。第4共同研究室のあるエリアは、まだそう荒れておらず、扉は堅く閉じられていた。確か開ければ意識をとられるのではなかったか?否、もし中にダイヤがいるとするなら、そのシステムはとっくに無効化されているだろう。タンザは勇気を出して、ドアノブに手をかけた。すると、意識こそとられなかったが、誰かの声が脳裏に流れ込んできた。


「...いつか、またあえる」


タンザはその声を気にすることなく、扉を開けた。


重たい扉を頑張って押し開ける。中は電気がついており、以前此処でダイヤと会ったように、そこにダイヤは居た。


「...ゲームの話だが」


ダイヤはタンザに振り向き、口を開く。


「まず、お前が一度トリルノースを出たことで、俺の希望が叶って1勝。次に、お前が再びトリルノースに戻り、『W-01』によって『Vote System』を止めたことで1勝」


ダイヤから明かされたハクの成果に、思わずタンザは目を見開いた。しかし、即座にタンザは絶望の底へ突き落とされる。


「俺が、即座にシステムを復活させ、テロリストを排除したことで1勝。よって、俺の勝ちだ。もっと言うなら、現在午後15時地点で投票率は80%を超えている。期日前投票でそもそも50%だったからな。土屋伴久はトリルノース市長となり、研究団ストーンは『技術庁』として、この街の核機関となる」


ダイヤは片手に隠していた『メディカルロボットの頭部』を地面に叩きつける。頭部はゆっくり転がっていき、タンザの足元に当たる。タンザはそれを、ただ見つめるしかできなかった。瞳孔がぴくぴくと動き、それ以外の身体は動きたくても動かすことができない。


「『Vote System』を止められたのは失態だった。だが、テロリストがお前のところに向かおうとしたその隙に、始末することができた。これはトリルノース全域に大々的に告知し、メディカルロボットの安全性について自ら問い立てることで、今後のトリルノースでは、より安全にヒトと共存できる『メディカルロボットの開発』を行うと言えば、現在世論に漂っている『完璧であるゆえに不気味』という印象を払しょくさせることができる。話題を提供してくれてありがとう。そして、研究団ストーンを取り壊してくれているおかげで、土地整備が進む」


ダイヤはタンザに近づき、ぽん、と肩を叩く。


「あの巨大ロボットは、人間の意識を組み込んで初めて作動するロボットだ。人間の肉体から意識を抜き取り、新しい身体に移すという実験の末に完成する。ただ、前任のタンザ博士は完成の直前で最終実験の実行を拒んだ。そして後任のジル先輩も同様だった。だが、ジル先輩は俺を止めるために、その実験を遂行してしまったようだな」


俯いていたタンザが顔を上げる。酷く憔悴しきっているタンザの表情に比べ、ダイヤの表情は酷く朗らかで、幸福に満ちた表情だった。


「過去に巨大ロボットのアニメがあったりしただろ?あれみたいなもんだ。ヒトの肉体は、意識が抜けた瞬間に替えの意識がないとすぐに腐ってしまう。ロボットに人間の意識を組み入れると、ロボットに意識はないから、肉体はすぐに朽ちる。元に戻すことはできない。ジル先輩は、しばらく暴れてもらった後、うちで飼うことにするよ」


つまり、ジルは『ヒト』としては死に、『あの子』とはまた違う意味で、『永遠』を生きることになった、ということか。タンザは膝から崩れ落ちることもできずに、茫然としていた。その中でも、ダイヤがタンザにある提案を持ちかけた。


「もう一回ゲームをしよう。俺はこの『永遠の街』を守り続ける。お前は俺を、この街を、『永遠』を殺しに来い。3回勝負だ」


ダイヤは言い終わると、タンザから目線を反らした。目線の先には、鋭く、大きい刃を持った『B-01』が立っていた。『B-01』は所々に傷...パーツ破損が生じており、エイルとの戦闘によってできたものだった。『B-01』は躊躇なく、タンザの左腕を方から切り落とした。タンザは転がる自身の左腕を、またしても眺めることしかできなかった。


「俺の勝ちだからな。貰っていく」


ダイヤはその左腕を踏みつぶし、鮮血を周囲に飛ばす。ごりごりとした骨と床が擦れる音も、普通であれば気持ち悪いと感じるが、タンザはそれどころではなかった。それくらい、自身がガス室に閉じ込められたりとひと悶着している間に、知らないところで仲間が命を棄てていたのだ。なのに、タンザは何の成果も成すことなく、こうして片腕を喪っているだけに過ぎなかった。本当に死ぬべきは自分自身だというのに。そういえば、マリンはどうしているのだろうか。まさか、マリンは大蛇にとっくにかみ殺されているのか。そう思ったところで、何処かからマリンの声が聞こえてきた。


「硝子!」


その声を聞いた瞬間に、緊張の糸が途切れたように、意識を失ってしまった。


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