タンザは「今、なんて言いました?」とジルに聞き返す。ジルは「聞こえたでしょ」と繰り返しを拒否する。その代わり、発言の意図を説明し始めた。


「『センター』がどんなことをやっていて、それは何のためなのか。タンザちゃんはわかんないでしょ?」

「そりゃあわかんないですけど。でも何か方法があるんですか?うちだって知れるなら知りたいです」


 ジルはタンザの発言を聞き、自身の提案は"方法さえあれば"受け入れられたと判断した。ならばと注意事項から話し始めた。


「なら、タンザちゃんのこれからの目標は『センター』のすべてを暴くことだ。俺もバイオクラスだから、『センター』のことをよく知ってるわけじゃないんだよ。時々、ダイヤから話を聞くことはできるけど。これから、何か使えそうな話が聞けたらタンザちゃんに教えるよ。あと、当然だけど『センター』と繋がっているエイルやハクとかのロボット達にバレたらだめだよ。彼らに知れたら余計動きづらくなるからね。バレたからといってタンザちゃんを追い出すのは中々にリスクがあるから、辞めさせられるとかはないと思うけど」

「そうですか?前に『クビにならんように』って釘差されましたけど...」

「そんなの脅しだよ。タンザちゃんは絶対に追い出されない。ダイヤがわざわざんだよ」

って、どういうことですか?」


 気になる発言に問いただすタンザ。これには訳がある。タンザが研究団ストーンに来た理由、きっとダイヤがスカウトしただろうと思っていた。そのスカウトされた"理由"がわからない。単に知り合いだから?正式な大卒研究者が欲しかった?ジルの"呼んだ"という発言をするということは、自身が此処に呼ばれた理由を知っているということだろうか。タンザは今まで多くの時間ダイヤと物事に取り組んだであろうジルが答えを持っていることを期待したのだ。しかし、ジルの回答は望んだものではなかった。


「残念ながら俺は『呼んだ』としか聞いていないよ。でも、タンザちゃんをわざわざ呼んだのには確実に何か理由わけがあるはず。それが『センター』と何かつながりがあるかもしれない、とも思ってる。『わざわざ呼んだ』という事柄からの推測だよ。あとね、もし仮に追い出されそうになっても大丈夫だよ」


 ジルは事務机まで歩き出し、引き出しから一枚の紙を取り出して再びソファに戻った。そして一枚の紙をタンザに見せる。『重要』と印の押されたその紙は『センター』内にある研究団ストーン人事部からの辞令だった。内容は...。


「来年度から、俺はバイオクラスの統括長だ。今の統括長は『センター』に異動になる」

「...まだ先輩って此処にきて少ししか経ってないですよね!?何故!?」


 理由が見当たらないと感じられてしまう昇進にタンザがたじろぐ。ジルは「確かにねえ」と言いながらへらりと笑うが、ジル本人は理由がわかっていた。


「来年度のうちに、俺が持ってる研究データを諸々奪い取りたいんだ。『センター』は。統括長になれば忙しいからって他の研究員に委託させて...っていう流れを作ってしまいたいのかもしれない。俺以外の人間が研究に着手できるようになれば情報を得るのも容易になると思ってるのかもしれないね」

「先輩は前任者から色々教えてもらって、他の人は同じように教えてもらったりは」

「いや、前任者はずっと一人で研究に没頭していたし、教えたのも俺だけ。教えて貰って以降、俺からここまで話したのはタンザちゃんくらいだよ。もっと言うなら、『センター』からバイオクラス管轄に代わって、本当にちょっとの期間だけ、『先生』に教えてもらってた。すぐに『先生』はいなくなってしまって...。『先生』はいつまでも自分の意思は曲げない人だった」


 悪用は厳禁。『センター』がやってることを公にするまでは絶対に漏らさないよ。そう言うジルは今までの穏やかな表情とは違い、確固たる決意を示していた。


「俺は、ダイヤに誘われたからって此処に来たっていう経緯があるけど、今は大阪で出会ったあの子を探すための一種のツールのように思ってる。あの子が取り組んでいたことは研究団ストーンにも繋がると思って。いずれ見つけられそうな気がするんだ。統括長の権限も最大限利用するつもり。その子にも俺のスタンスは話してるし、『その人は、世界でたった一人。その人だけです』...あの子もそう言ってくれたよ」


 先輩が大阪で出会ったという人が放ったとされるこの一言は、タンザの心にも突き刺さった。『あの子』は、たった一人。あの時灰になり、天に昇った、『あの子』だけ。もしダイヤが偽物を造ろうとしているなら、全力で止めなければ。何より、『あの子』のために!


「うちが、『センター』のやってること、全部調べ上げてやります!ダイヤが何かうちに隠しとるとしたら、なんか腹立つし!」


 タンザは立ち上がり、拳を握りしめた。ジルはその拳を見つめ、ふふ、と微笑んだ。ジルは俯き、目を閉じる。


「ここの研究員が全員『石』の名前なのは、これも推測だけど、ひとつは表面上は誰がいなくなって誰が今何の研究をしているのかをわかりにくくするのが目的かもしれない。名前は確かに自分でも決められるけれど、ほとんどは上から通達された名前を使ってる。以前に『タンザ』という名前を使っていた研究員もいるんだよ」

「え、つまりは使いまわし、ってことですか.まあ確かに...名前の種類にも限界ありますもんね.....先輩は前の『タンザ』を知ってるんですか?」


 立ち上がったままジルを見降ろすタンザと、ジルは座ったまま目を合わせた。ジルは脳裏にかつての『師』を思い浮かべた。


「俺の今の研究の前任者だよ」


 以前に自分の名前を持っていたという人物はジルがよく知る人物。思わぬ繋がりだった。


「『タンザ』ちゃん、はじめて聞いたときはびっくりした。まあ"空き"が出たら割り当てたいよね。そりゃ。宝石の種類にも限度がある。『タンザ先生』はあまり他の研究員と交流がなかったし、名前だけなら『タンザちゃん』と混同してうまいこと『研究員が一人消えた』っていうのが表面化されない...この名前システムは、そういうのが狙いみたいだよ...つまりは、誰が誰でも同じなんだ。『重要人物』以外は」


 ジルは再び立ち上がり、白衣のポケットから宝石が埋め込まれた銀色の鍵を取り出し、タンザに差し出した。


「バイオクラスとメカトロクラスのちょうど境目にある”第4共同研究室”の鍵だよ。元々の『先生』が使ってた場所で、大事な資料はこの部屋に置いてる。この鍵は他の研究室とは違って『スペアキーがないから、なくさないで。鍵を持ってるのは、俺とタンザちゃんだけ。タンザちゃんは暇な時にこの部屋にあるものは読んだりしていいから...あと、この研究室に置いてあるPCはメカトロクラスのデータにもアクセスできるし、『センター』の一部の情報も閲覧できるよ」

「え!先輩のアカウントってことですか?」

「いや...『先生』が残してった独自システムで、『センター』の目を搔い潜ってるだけのものだよ。...ほんとに、ばれないようにね」


『タンザ先生』はもしかしてすごいひとだったのかもしれない。そんな人の名前を継いだタンザは、会ったことのない先人に心の中で敬意を表した。


「あとタンザちゃん、自分の身がやばいかも、と思ったらすぐに相談してね」


 ジルは満面の笑みを浮かべる。優しさがにじみ出るその姿は理想の先輩そのものだ。

 タンザは受け取った鍵を見る。宝石はどうやら、タンザナイトのようだ。


 ジルと話し終わった後は一人で食堂に向かい、専用メニューを受け取り黙々と食べ終えた。部屋に戻って診察を受けるとき、ハクから異質な質問が飛んでくる。


「兄弟はいますか?」

「え、え?....いや、おらんけど...」

「私は"4"人姉妹です」

「は?」

「私の好物は研究団ストーン製のヒューマノイド専用自然充電可能ラージバッテリーです」

「...へ、へえ、そう...」


 ハクは「今日の診察は以上です。それでは、また明日もよろしくお願いいたします」とだけ言い残して通信を終えた。タンザは「...もうそろそろハクのAIも古いっちこと?バグが多い...のか?」と質問の意図が理解できずに頭を抱えた。


 次の日、タンザが出勤するも、ハクは普段通りてきぱきと業務をこなしていた。特段バグを起こしているとか、不調は見られない。本日最初の患者の診察に同伴したが、自身の時のように変な質問は飛ばさなかった。何か意味があるのか?4...そういえば、今日の夕方は”第4共同研究室”に行こう。本日の予定を頭の中で立てるタンザを、ハクはじっと見つめていた。ハクの思考が何となくわかるエイルは、ゆっくりと目を緑色に光らせる。


 夕刻になり、業務終了の合図としてハクが「本日もお疲れさまでした」とタンザに声かける。特に引き留められることなく、タンザは医務室を出た。ハクはぼそりと呟いた。


「さすがに、伝わらないですかね」


 その呟きを聞いたのは、日頃医務室でハクと業務を共にしているエイルだけである。


 タンザは第4共同研究室の扉の前に立ち、鍵を開けた。重たい扉を押して中に入る。電気をつけると、部屋自体は広いが壁一面にびっしりと本棚と物置棚が並んでいるのと、長机が3つほど並んでいるがそのどれもに書類の山が積まれている。事務机には1台のPCが配置されており、これがジルの言っていたPCなのだろうと推測できる。部屋は全体的に埃っぽいが、研究者らしい部屋にタンザの気分は上がっていた。


「うわあ!情報の山やな!これは楽しくなりそうだ...っ!」


 タンザが歩き出した時、床に置いてあった箱に気付かず躓いて倒れかけた。幸い咄嗟に手を突くことで、大ダメージは回避できた。足元においてあるそれは、割と重ためのもののようだった。


「なにこれ...」


 箱の周りを見ると、側面に『トリルノース・ラボ社』という文字が記されている。そんな会社あったか?箱は一度開封済みのようだった。タンザは箱を開いた。


「...『ヒューマノイド専用自然充電可能ラージバッテリー』...あれ?」


 聞いたことがある。そうだ、ハクが突然バグを起こしたように質問していた時に、この製品名を言っていた。4人家族、バッテリー。ハクは第4共同研究室にあるこのバッテリーを欲しがっていたのか?会社名はなんだか違うが、まあこれくらいならハクに持って行ってみてもいいだろう。しかし重いが。中にはバッテリーが2つと充電器が入っている。シロイロ三姉妹はこのバッテリーを命としているのか。


 とりあえずタンザは床に置きっぱなしにするのもあれだな、と長机の上にある書類をまとめてスペースを作り、一旦そこに箱を置くことにした。その後で改めてまとめた書類の中身を見ていった。どこに、何の情報がまとまっているのか。まずはそれを調べなければ今後の見通しがつかない。箱を置いた長机の上にあった書類は、ほとんど納品書だったり、紙面でやり取りしていた申請書だったり、事務系のものだった。手続きがある程度電子化されたのはつい最近らしい。『タンザ先生』がこの部屋を使っていた頃は何の手続きを進めるにも紙面でやりとりしていたのだろうことが容易に想像できる。


 次の長机に向かう。こちらは論文が多いようだ。『センター』が『タンザ先生』を引き入れていた時の論文だ。例の研究の経過報告であったり、全く違う内容になるがメカトロクラス...いわゆる『エンジニア』に対しての生物学講義の手法という内容の論文もある。先代『ドクター・エンジニア』なのでは?とタンザは思うが、『タンザ先生』は機械には一切触れなかったそうだ。論文をさらりと読んでいくと、『メディカルロボット』に実験補佐をしてもらったという記載がある。しっかりとどの機体に手伝ってもらったのか識別番号が載せられており、イヌとネコの身体交換に関する実験は『メディカルロボット 機体番号W-02』と記載されている。"W"は『WHITE』の頭文字だろうか。2番ということは、今は亡き『三姉妹の次女』にあたるものだろう。医療従事用エイルの開発にも手を入れていたようだが、その事がまとめられている書面の最後が、『暴走状態に陥った時に所持している医療器具で人間に危害を加える恐れあり』という旨の文章で締めくくられており、実用化には至らなかったことがわかった。


「医療従事用エイルって、あの医務室のエイルと同じかな、それともまた別?」


 タンザは疑問を零す。答える者はいない。気になる読み物はまとめて持ち出したかったが、外に持ち出してこの部屋に出入りしていることがジル以外の誰かに知れたら面倒な気がした。バッテリーの入った箱だけを持って今日は退散することにした。バッテリーは明日とは言わず、今日のうちにハクに渡そうと再び医務室を訪れた。


「タンザ様、どうされましたか」

「あのー、実はこんなものを見つけたんやけど」


 近くの机にどんと箱が置かれる。ハクは箱に近づき、側面の文字を見る。


「...気づいてくれたんですね!」


 ハクは笑顔でタンザを見る。ハク、笑えるのか...。タンザは驚いて「う、うん」と決まらない返事しかできなかった。


「それは、何のため?」

「私たちのバッテリーです。予備を切らしていて、以前"お父さん"の部屋に予備があると聞いていたので、タンザ様ならわかるかと思いまして。ジル様からお話を伺っていると予想しました。合っていて安心しました」

「お父さん?」

「私たちの開発を監修した、『タンザ博士』です」


 ハクはきらきらとした瞳で答える。このハクの表情はまるで無垢な"人間"のようだ。素晴らしい研究者でありながら、三姉妹の父親であったらしいその人は、余程尊敬されていただろう。しかし、以前聞いた話だと、開発担当は別の人物のはずだ。


「親は、コンゴウという人物ではないん?」

「開発後、完成した私たちはすぐにお父さんに引き渡されました。お父さんから様々なことを教わりました」


 成程。先程の笑顔も、父親と過ごして得た"データ"というわけか。タンザは納得した。


「タンザ様。私たちメディカルロボットは本来であれば『センター』と繋がっており、私たちと会話・行動したすべてが『センター』に通知されます。しかし、私と、一緒にいるこのエイルは、その機能を自主的に切断することが可能なのです」

「それもお父さんのおかげか」


 タンザがそう言うと、ハクは頷いた。エイルがすすっとタンザの近くに寄ってくる。タンザの方向を向いて、目をピンクに点滅させた。


「箱の中のバッテリー充電器は、そのエイルのバッテリーも充電できるんです。今使っている充電器が壊れても、予備があれば安心です」


 ハクはエイルに「おいで」と声をかける。エイルはハクの隣まで移動する。


「私たちはお父さんがいなくなり、メンテナンスをしてくれる人がいなくなってしまいました。タンザ様は今私たちメディカルロボットの観察という名目で医務室にいらっしゃいますが、本当の話をすると私がいなくなった後、新型機がこちらにやってきます。メディカルロボットの新旧引継ぎを人間にやってほしいから、というのが目的です」


 ハクは箱を撫でながら、タンザが此処へ来させられた理由を語る。


「私たちロボット同士が引継ぎをできれば良いのですが、『エモーションシステム』を搭載しているメディカルロボットは、もしかするとAIの計算結果で自己防衛をはじき出す可能性があります。自身に不利になる状況に陥った時、人間に対し何らかの不利益を与える可能性がある、だから私自身はいつお役御免になるかはわかりません。期限がわかればそれまでに何かしでかしてしまうかもしれませんから」

「利便性を突き詰めたつもりが、中途半端に人間の心を持ってしまったゆえに人間を雇うのと同じくらい面倒になってしまったと」


 タンザはハク達シロイロ三姉妹という『ヒューマノイド』の不便さを漏らしてしまった。ハクは自覚があるようで「私は何者にもなれません」と答えた。


「何、医務室を追い出されたら行き場がないん?」

「はい。確実に処分されます。...もしかすると、一部は他のメディカルロボットに再利用されるかもしれません」

「『ハク』という存在は完全に終わるわけね...」


『ハク』という人格が他に移行されることはないだろう。思い入れのある担当者がいれば実現されたかもしれないが、親がいない今、それをわざわざやってやろうとする者は研究団ストーンにはいない。


「お父さんがいない、妹も...」

「妹は、いるよね?三番目が」

「...いるには...います...見ますか?」


 ハクは「こちらへ」とタンザに医務室のとある棚に案内する。この棚は薬を保管しているとのことで、ハクから触るなと初日に言われていた。ハクはしゃがんで最下段のアタッシュケースを引き出した。開くと、そこには何やら精密そうな機械がばらばらになって入っている。研究室から持ってきたバッテリーと同じようなものに繋がれており、ところどころでLEDが光っている。ひと際目立つのが赤いランプが光っている心臓のような形をしたものだった。


「先程三番目と仰られていましたが、こちらは二番目。私の一番目の妹です。お父さんが引き取った時からこの状態です。最終試験中に暴走し、ボディが大破しました。お父さんは『私とシロにもしものことがあったとき』のために、二番目のコアハードウェアを引き取りました。しかし私自身で故障したコアを取り替えることはできませんし、エイルに任せることもできません。正直な話、不要なものと言えばそうなのですが、妹であることには変わりはありません。ですので、一緒に医務室に居るんです」

「センターは、それを三番目からの信号だと思ってるけど」

「それでいいんです。シロのGPSはお父さんが壊したんです」

「壊して、どうしたの」

「シロは好奇心がかなり強くて、たくさん勉強をしていました。だけどなんだか抜けてる子なんです。そんな子なので、お父さんはこっそり研究団ストーンから出したんです」

「え!?それ、大問題じゃ...」

「そうです。だから漏らさないでください。私はタンザ様を信用して話をしています」

「前に余計な詮索はするなって言っておいて?」

「条件分岐です。タンザ様がある程度使えるものと判断しました」

「"使える"って、そんな」


 シロは再びアタッシュケースを閉じて棚に仕舞った。立ち上がってタンザを見る。やはりハクはロボットだ。ところどころの関節部、肌の質感、目を見たらどうしても実感してしまう。しかし、ここまで話していると、中には人間と同じものが存在しているのではないかと錯覚する。今の"使える"という言い回しも、他者を利用しようとする人間が放ちそうな言葉である。


「私はどうせ処分されます。タンザ様に協力いたしましょう。最低でも半年、私は処分されないでしょう。期限はその間です。タンザ様の目標を達成しましょう。『センター』への昇進でしたよね?」

「え」

「え?」


 ハクは初対面の時から推測したのだろう。しかし直近の目標は『センター』について知ることだ。そんなこと、ハクは想定できるわけがない。しかも、此処で言ってもしハクから思わぬ形で音声が筒抜けだったらどうしようか。タンザが説明をしようか否かに困っていると、察したようにハクから提案があった。


「そういうこと、にしておきましょう。ここで聞くと確かに私を通じ『センター』に情報が伝わってしまうかもしれません。それによってタンザ様に不利益が生じるといけません。今後も医務室での勤務は柔軟に所用に対応できるようにいたします。...アタッシュケースの中身の話をしたのは、タンザ様がはじめてです。くれぐれも、よろしくお願いします」


 ハクは深々と頭を下げる。タンザは思わず、ハクの頭を撫でた。


「お父さんのようにはなれんし、ましてやお母さんにもなれんし...ハクからしたらうちは仕事の部下かもしれんけど、その、友達とかさ、そう、友達になろう、うちのことはタンザでいいよ、さっき何者にもなれんっち言っとったけど、ハクはハクやと思うし。どう?」


 沈黙。突然変なことを言ってしまったかとタンザは内心焦る。しかし、ハクは周囲の反応や会話から情報を得て自身の行動や感情のひとつとする。先程の笑顔が日々溢れれば、きっと処分されるその日まで、楽しく過ごすことができるのではないかと思ったのだ。はじめこそハクのことをロボットだと揶揄していたが、父親と慕う存在、妹の存在を重んじるハクは人間と同じに見えた。今までのハクに対する軽視の罪滅ぼしではないが、とにかくハクに自分から何かできないかと考えた結果が、『友達になろう』という提案だった。未だにハクから反応はない。タンザが「いや、ごめん、おかしなことを言った―」と言い始めたとき、ハクから「はい、よろしくお願いします。タンザ」と再びお辞儀をされた。タンザは怯むも、「お辞儀なんか、しなくていいよ」と再び頭を撫でた。


 タンザとハクが『友達』となって1カ月半。とっくに療養のための専用メニュー提供は終わってしまったが、ハクから度々摂取すべきビタミン類やおすすめメニューを紹介され、週に1度は専用メニューを組まれて強制的に食べに行かされた。医務室での業務を行いながらもハクとは良い友人関係を築けていた。ジルから時折共同で作業をしないかと仕事を振られることもあった。その度にハクは勤務時間を調整し、バイオクラスの業務にも従事できるようにしてくれた。実際のところ、『センター』やそれこそメディカルロボット新型機の担当者たちから医務室でのデータ収集結果を求められたことがない。(一応記録をしているし、最もハクが自身の行動や来室者の事まですべてをまとめて『センター』に送っているらしい。やはり引継ぎのためか?)ハクはエイルの修理や患者の看護をしていた。それも仕事として重たいものではない。


 コンゴウという人物にそろそろ会えそうだと楽しみにしていたある日、ハクから衝撃のニュースを耳にした。


「コンゴウ様が、新型機の最終試験で、亡くなられたそうです」

「...え」


 メディカルロボット新型機『B-01/02/03』の最終試験にて、『B-02』の暴走により試験観察中のコンゴウと衝突。病院への搬送等に手間取り失血死だという。実験内容が内容であったからか、事故の詳細が研究団ストーンの外にバレないようにした結果、コンゴウへの対処が遅れてしまったという。研究団ストーンはヒトより研究ロボットなのか。そこまでだとは思わなかった。


「2番機は呪われている、そう『センター』では噂になっているようです。他のエイルから情報が届きました」


 最近知ったことだが、ハクには医務室のエイル以外のエイルとも通信が可能で、そのエイルの周辺情報を見たり、環境音を取得できるそうだ。『センター』に入ると確かに通信は遮断されるが、『センター』から出てきた時に中で何を見たかを知ることができるらしい。タンザは相当欠陥だと苦笑しつつ、これは好都合だと思った。ハクから『センター』の話を聞けるようになったのだから。


「シロイロ三姉妹といい、新型機もねえ、確かに何かあると思ってしまうわ...実験は三体とも同じ条件下でやるん?」

「三体とも別々の日程で、個別に行われます。三体同士のデータ送受信は最終試験で実施されないので、各々がどういった状況のもとで試験を実施しているかがわかりません。ちなみに私の時は、大量の種類が混ざった錠剤を正しく種類別に分類できるか、正しく医療知識をデータベースから取得して実行...説明を行う、または然るべき処置を行うことができるか、という内容でした。後の二人から内容を聞くことはありませんでした...といっても二番目は帰ってきませんでしたが...。二人目の姉がいなくなったもので、シロがとても怯えていました。他の研究員の感情を読み取ってしまったんです。おかげで最終試験はかなり慎重に行われたようです。そういった経緯の中で、余計に周囲の言動や表情から情報を得てしまったからこそ『シロ』というAIが形成されていったと推測しています」

「だから抜けているのね」

「人は死なないために、生きるために学習します。それを『シロ』は理解しているということです」


 姉が帰ってこなかった、自分もそうなるかもしれない。姉のようにはなりたくない、ならないようにと『シロ』というAIは判断して行動していったのだろう。これがロボットではなく人間でも同じような行動をとるだろう。姉を喪ったという事実は、『シロ』をロボットから”ヒト”に変えてしまうには十分すぎるものであった。タンザは会ったこともないハクの妹を『人間』と同じだと認識していた。今はたくさん勉強をして、一人の人間として生きていてほしいと思う。


「私たちは、得られたデータを拒むことが基本的にはできません。管理権限を持つ者から命令が下れば、命令の通りに動くしかないんです。一番目の妹も、今回の新型二番機も...」


 機械ならば当然のことであるが、『エモーションシステム』という大変非合理なシステムを組み込まれているハク達を思うと、なんと非情なのだろうかとタンザは痛感する。人間のエゴを押し付けられたロボットたちは、人間に反抗できる理由がある。しかし反抗しようものなら、意思を制限され、自身が自身ではなくなってしまう。その末路さえもAIには想定できる。膨大なデータベースの中で、自身が存在できる最適解を出力見出している。


「私は怪しまれないように時折自主的に通信を断ったりできるように、シロは完全に監視下から外れるように、お父さんはシステムを改造してくれました。シロがどこで何をしているのか、知ることができないのは悲しいですが...」


 ハクが妹を案じていた時、医務室の扉が開く。入ってきたのはストレッチャーを押す4台のエイル。ストレッチャーにはぴくりとも動かない男が載っている。外傷はないようだった。...この男は、見覚えがある。


「え...マリン...?」

「私がこの方の処置に入ります。タンザはエイルたちから何か情報がないか聞いてください」

「あ...ああ、了解!」


 驚く暇も悲しむ暇も、戸惑う暇もなかった。ストレッチャーを押す仕事が医務室のエイルに引き継がれ、ハクとエイルは集中処置室に入っていった。ハクは4台のエイルに質問する。


「どこから運んできた?」


 震えた声を聞いた1台のエイルからメッセージが届く。エイルに音声を発する機能はないため、医務室の問診用チャットにエイルたちからの返答が届く。


 "Inside the Joint Laboratory 4"


「...第4共同研究室!?」


 "The door was open"

 "One 'ail' found it"

 "The room is still in its original condition"


 ...エイルが見たときには研究室の扉は開いており、すぐにマリンを運んでいったために部屋はそのまま残っている...。つまり、あの部屋は開いたままなのだ。他の誰かに入られ、中の情報や改造PCに気付かれると厄介だ。


「お前らはここで待機!ハクからの命令を待て!」


 タンザは駆け出した。何故他の人間が研究室に侵入できた?マリンはなぜ部屋にいた?そして、何をしていた!?


 タンザは第4共同研究室に着くと、扉は閉まっていた。扉を開いてみる。鍵はかかっていない―。扉は重たく、タンザの全身を使って押さなければならない。扉が完全に開いたとき、タンザは薄暗い部屋にたたずむ一人の男を捉えた。


「タンザ、何しとるん」


 部屋にいた男は、ダイヤだった。ダイヤ自身はタンザを目で捉えた訳でもないのに、タンザだと言い当てた。壁の本棚や物置棚はすべてからっぽで、床にモノが散らばっていた。この部屋だけ、巨大地震が襲ってきたかのようだ。そして重要なPCも、床に落ちてモニターがひび割れている。タンザの方を振り向かないまま、ダイヤは呟く。


「ジル先輩はさあ、俺より弱くて、俺より下のくせに、なことしかしない...。さっさと前任者の研究データを渡せばいいだけなのに..。何がしたいんだ?」

「...それは、うちがお前に思っとるのと一緒ちゃ。お前は、何がしたいん?」


 ダイヤに問いかけると、タンザの方を少しだけ向いて答え始めた。


「俺は『あいつ』に会いたい。ほら、『あいつ』ってさ、いつも意味の分からないことで怒ったり、変に偽善者ぶるだろ?そういう態度や言動を見ると腹立つんだよ...だから言ってやるんだよ、お前はおかしい、お前はダメな奴、役に立たない、必要のない人間だと」


 ダイヤはタンザと向かい合った。二人の間には実際よりもとてつもなく距離が離れているように感じられるほど、薄暗い雰囲気が漂っている。長机の上もまっさらだ。タンザは今のダイヤの言動に心底呆れた。高校時代から何も進歩していない。


「お前が自分に対して思ってること、志乃舞しのぶに言っとんやろ」

「俺はお前よりずっと前から『あいつ』を知ってる。『あいつ』はとんでもなくダメな奴だ」

「あの子が自分の方を向いてくれないからってマリンの親友をわざわざいじめる必要もあったかね」

「人聞きが悪い!あの糞雑魚に関しては無性に気に食わんかっただけちゃ!」


 言葉遣いが乱れてきた。ダイヤは本音で話をしている。今のところ、ダイヤが予想以上に高校時代から進歩しておらず、より感情を拗らせていることがわかった。


「マリンは関係なかったやろ」

「あいつはどうでもいい。この部屋を開けるための生贄になってもらった」

「...どういうこと?」


 ダイヤは白衣のポケットから鍵を取り出しタンザに投げつける。鍵をキャッチしたタンザは、しげしげと鍵を見つめる。タンザは気づいた。この鍵には『タンザナイト』がついていない。


「『センター』にはスペアキーがある。正し、スペアキーは『タンザ博士』が仕組んだトラップをすべて解除できない。厄介だよな。あのクソジジイは俺らに研究を渡したくないが故にこの部屋にトラップを仕掛けたし命まで捨てた」


 ダイヤはつかつかと歩き出し、タンザの至近距離までやってきた。こう見るとダイヤは、高校時代からなんだか、見た目も変わっていないような気がする...。ダイヤはタンザから鍵を取り返し、再びポケットに仕舞う。そして、先程の"トラップ"について話し始めた。


「『タンザナイトの鍵』ではない鍵で開けると、扉を開けようとした奴の意識は一瞬で吹っ飛ぶようになっているみたいだ。その意識はきっとあのクソジジイのことだから、どこかに保管されるようになっているんじゃないか?そうやって『センター』の人間を一人ずつ減らしていく。しかも自分の研究資材に変えてしまう。恐ろしいジジイさ。そのくせ、メディカルロボットの三姉妹...まあ長女と三女しかいなかったが、まるで自分の娘のように可愛がって此処に来たばかりのジル先輩を子弟に選んだ...何考えているのか読めない」

「やけん、それはお前も同じことが言えるんよ。『タンザ先生』が『反センター』なら、人口を減らしにかかるのも至極真っ当だろう。それを下劣と言うなら、マリンをそのトラップの生贄にしたお前の方も同じちゃ」

「俺はまたしても嵌められた。この部屋に俺の求めてるものはなかった」


 ダイヤはタンザを押しのけ、部屋の外へ出る。そしてタンザに賭けを提案する。


「俺の願望が叶うのが先か、お前の目標が達成されるのが先か。勝負でもしよう」

「...高校の時にお前らの部活で流行ってた、『社会の厳しさ』ゲームか」


 ダイヤはにっ、と笑う。


「勝ったら幸せ、負けたら死ぬ。マリンは高校の時に無一文になってたなあ。ははは」

「...今は自販機の缶ジュースを賭けるんじゃない」

「まあ、食べれず飲めない缶みたいなもんだろ。人間って」


 ダイヤは「今無事に解放されることに感謝しろよ。あとマリンはジル先輩に泣きつけばなんとかなるかもなあ?」と言い捨てて去っていった。ダイヤの目は部屋の外であっても暗く、光を伴っていなかった。


 元々『社会の厳しさ』ゲームはじゃんけんで3回勝負して『3回目に負けた者』が勝者の希望を叶えるというものだった。『あの子』がいなくなってからはじゃんけんではなく、テストの成績、体育での持久走の最高記録、体育大会での勝敗、と種類は様々になり、勝者...ほとんどがダイヤだったようだが、ダイヤの求めるものも大きく難しくなっていったらしい。その被害者が主にバリスなのだが。


 今回のゲームルールは要するに「どちらの願いが叶うのが先か」。タンザは『センター』のすべてを外に晒すこと。ダイヤはジルの研究データを得ることが望みだろう。勝負に昇華されてしまえば、タンザもうかうかとしていられない。できることはすぐに実行しなければ。


 再び医務室に戻る。出せる力すべてを使い切りそうな勢いで走ってきたためにタンザは医務室の扉を開けて崩れ落ちた。中にはまだ4体のエイルが待機している。マリンはまだ集中処置室の中のようだった。


 ふらふらと立ち上がり、医務室の椅子に腰かける。ポケットから携帯を取り出し、ジルとの連絡を試みる。通話ボタンを押し。1コール目が鳴り終わらないうちに相手から応答を得た。


「タンザちゃん、大丈夫?ごめん。俺今大阪なんだ。研究室からエラーコールが届いて...何があった?」


 ジルは研究室で何が起こったのかを知らないようだった。詳細を話すと、ジルは「そうなんだ」と沈んだ声で状況を理解したことを伝えた。


「タンザちゃん...いや、硝子しょうこちゃん。『社会の厳しさ』ゲームは志乃舞しのぶから聞いたことがあるよ。マリン...海月みつきの親友が転校したのもそのゲームが発端らしい。その時のルールはじゃんけんじゃなくて、『期限までに志乃舞を階段から突き落とせるか』。当然突き落とせるわけもなくて、転校していった。志乃舞がそれを聞いたのは、転校後にあいつが志乃舞にそう言ったらしい。本当に叶えたいことから遠回りして、似たり寄ったりの願いを叶えることで気持ちを昇華させる。思春期の男子の域を超えていて気持ち悪いよ。志乃舞に素直に言えばよかったのに」

「それができんかったけ、今があるんですよ」


 タンザは呆れた声で笑う。笑い事ではないが、ここまできてしまったのだ。研究団ストーン自体、『あの子』...即ち、志乃舞という少女に縛られた者たちのための城ならば、潰すに限る。


「期限はきっとないんだろうけど、あいつはきっと『もうすぐ願いが叶いそうだから』勝負をしかけてきたんだろうね。"タンザ"ちゃん、"マリン"は俺が何とかしよう。申し訳ないけど研究団ストーンでマリンの処置はできない。大阪まで輸送できるように小細工でもするよ。タンザはハクと、本格的に『センター』を調べていってほしい。ハクには今から連絡するよ」


 それじゃあ、とジルからの通信が途絶える。その直後に集中処置室からハクとエイルが出てきた。マリンはまだ処置室に居てもらうことにしたそうだ。


「私はタンザに協力します。その前に、マリン様の意識がお父さんの部屋にあると思われます。それをまずはジル様にお送りしましょう。部屋の鍵は電子スペアキーで開けられると教わりました」


 お父さんの部屋、というのは現在のジルの研究室である。ジルが独自にセキュリティキーをかけていたようで、それを使えば本人不在でも部屋に入れるという。早速タンザとハク、そして医務室のエイルはジルの研究室に向かうことにした。4台のエイルにはハク達の代わりに医務室の業務をしてもらうことにした。1台のエイルが「まじかよ...」と言いたげに目を赤くちかちかさせていたのは見なかったことにした。


 ハクにジルの研究室を開けてもらう。第4共同研究室のトラップにより飛んだ意識は『タンザ博士』の保管システムに保存されるらしい。そのシステムは意識をデータ化しているそうで、その膨大なデータを一つの『カード』に保存し、そのカードをマリンの身体と一緒に大阪に送るそうだ。身体の受け渡しは大々的に行うとダイヤたちにばれてしまう、ということで、大阪から受取人が来るとのことだった。その受取人が来るのは本日深夜。それまで『カード』は大事に護らなければならない。


 意識を『カード』化するのは容易かった。ハクが事前にジルから伝えられた操作方法で作業を行い、『カード』を出力した。それをハクが身体の一部に取り込み保管した。さあ、後は深夜に、と二人が研究室を立ち去ろうと扉を開けた時、扉の前にはある男が立っていた。


「タンザ。ここはジル先輩の研究室だ。いつ合鍵を貰った?」

「バリス...。不在の間、預けておくよってことで...」

「ハク...いや、『W-01』。お前は何故此処にいる」

「急患の対処のため、ジル様が所持されている医療器具を拝借しに参りました」

「...ジル先輩はバイオエンジニアだぞ。医療器具など無いというのはお前が一番理解しているはずだ。とうとう研究団ストーンのデータベースから正しく情報を得られなくなったか?」


 バリスはハクの首を掴む。ハクは当然『ロボット』だ。首を掴まれても動じることはない。バリスは容赦なく掴んだ腕を横に振る。ハクが勢いよく投げ飛ばされ、床に倒れた。それでもハクの表情は変化することはない。


「ハク!」

「人間のように嘘をつくか...。非合理的なシステムだな。タンザ。正直に吐け。何をしていた」


 バリスはタンザの首を掴むことはしなかったが、タンザの意識下では首を掴まれているような気分だった。ひゅ、とタンザは喉から音を鳴らした。


「...ダイヤのせいで、マリンが倒れた。マリンの意識を戻すために、ジル先輩に助けを求めたんよ」

「...あー、あいつ、遂にやったんか」


 バリスはふ、と息を漏らすように笑う。タンザは今の一言で、バリスが敵であり、タンザは相手に対し情報を漏らしてしまったこと、つまり不利な状況に置かれてしまったということを瞬時に理解した。


「マリンは外に出たがっていたが、そう簡単に研究団ストーンを辞められると思わない方がいい。あいつは十分に此処の情報を持っている。スムーズに願いが叶う出ていけるようにしただけだ。都合がよかった。第4共同研究室を無理やりにでも開けたい『センター《俺たち》』と、研究団ストーンを出ていきたいマリン。取り返さずとも意識は戻るさ。その時、記憶はもうないけどな」

「...!お前...!」


 タンザはバリスから受けた拘束を振りほどくかのように目を鋭くさせ、怒りをあらわにする。バリスは威嚇をものともせず、倒れたまま立ち上がらないハクの元まで歩いていく。ハクの身体を蹴る、踏みつぶす。何度蹴られようが踏まれようが、ハクは怒ることも泣くこともしない。彼女に『痛覚』は無い。バリスはハクを踏みつけながらタンザに向かってハクの『身体』について語り始めた。


「この機体は重量が重すぎて自身で立ち上がることができない。足自体は当然胴体より上を支えるために安定性も計算されているしアクチュエータは未だ世に出回っていないレベルのトルクを誇る。これはマリンの開発したモータだ。新型機にはこれに軽量化を加えた最新版を採用している。こいつはただ動き回ることしかできないが、新型機には研究団うちを守ってほしいんでね。俺が市長になった後に」


 バリスがタンザの真横に目をやる。いつの間にか、タンザのこめかみに銃のようなものを押し当てる少女がいた。髪の毛は青く、おかっぱ頭で、顔立ちはかなり大人びている。スレンダーな体型にぴったり合うようにできた青と白基調のトップスとミニスカート。若干のヒールを伴ったパンプスまで青色である。青い瞳は鋭くタンザを射る。殺意が明らかだ。


「アオイロ三姉妹の長女、『B-01』。新型機はどこからどう見ても人間らしいだろ?こいつと違って、関節部はむき出しじゃないしな。外装のコストを抑えつつも、全体に同じレベルの皮膚を実装できた。人間の皮膚より硬く傷つきにくいが、人間のような触り心地だ。今後ヒト型ロボットに多く使われるだろう。これはバイオクラスの研究成果だ。そして『エモーションシステム』も進化している。この新型機に関しては忠誠心を強く持つように事前に組み込んでいるから、こいつみたいに勝手な真似はしない。ロボットに命はないが、『命を懸けて』研究団ストーンを守ってくれる。その最初の仕事が、お前の始末だ」


 バリスがそう言い切った時、衝撃音と共にタンザの意識が途切れた。










 タンザは正直死んだと思った。故に、再び目を覚ますことができると思わなかったのだ。目を覚ました場所は、自身の研究室の生活スペース。ベッドに横たわり、白い天井が眩しく感じる。部屋の扉が開き、またしても青色基調の少女が入ってきた。タンザは飛び起き、ベッドの隅まで後退る。しかし、先程タンザを撃った(?)少女とは違い、綺麗なロングの青髪に、丸っこい可愛らしい瞳をしている。ゆったりとしつつ短い裾のシャツにショートパンツ。(どちらも青と白を基調としている)靴は歩きやすそうなスニーカー。(こちらもやはり青色!)穏やかそうな顔に、困った表情が映される。


「どうされましたか?どこか具合の悪いところでも...あ、私、さっきスタンガン当てちゃったんですけど、そのーどこにすればいいかわかんなかったので、とりあえずこめかみに当てちゃったんですよ。大丈夫かなーとは思ったんですけど、もしかして記憶なくされてたり...」

「...ええ?さっきの貴女?ええ、どういうこと、ますますわからん。殺し損ねたからもっかい挑戦するっちこと?」

「...ええ?どうされましたか?」

「いや、こっちがどうされた!?」


 謎の押し問答を繰り返すタンザとアオイロ三姉妹の一人。しばらくの応酬ののち、アオイロ三姉妹の一人の方が理解した。


「ああ、私は『B-01』ではありません。私はアオイロ三姉妹『B-03』。"アオ"とお呼びください。先程は『B-01』に変装しておりました。ウィッグと服だけ取り替えれば、あの『センター』の人も見間違えてくれるかなと。つい先日研究団ストーンに来たばかりで、相手が特徴をよく覚えていなくて良かったです。」

「...アオイロ三姉妹の3番目...。なら、うちを始末した振りして助けてるん、バレたらやばいんじゃ?」

「いやぁーそれがそうなんです。新型機にはGPSなどの監視はついていないんですが、今既に探されている可能性はありますね...。ここ数日は呼び出されない限り、研究団ストーンの立地や構造学習のために自由行動をしていますが、たまたま『センター』の人が『B-01お姉ちゃん』に仕事を依頼しようとしているのを聞いて、『B-01お姉ちゃん』になりすまして仕事を受けたんですよ。それが貴女の始末だったと。よかったですねー私のファインプレー!」


 ロボットとは思えないハイテンションと目まぐるしく変化する表情。これが『新型機』か、とタンザは感心する。しかし、ひとつ疑問があった。


「なんで、うちを助けた?貴女はうちを知っとると?」

「ふふーん、よくぞ聞いてくれましたっ!私はなんと、ヒトの善悪を理解できるタイプのロボットなんですよー!ですので、協力しようと思って!ちなみに貴女のお名前はわかりません!」

「わ、わかんないんかい!なのに善悪でうちを『善』と認識したん?」


 タンザの問いにアオは「あー」と顎に指を当てて首を傾げた。あざとい笑顔で答えを返す。


「正確には、コンゴウ先生からそう教わったので!」

「あ...」

「あー、先生は死んでませんよ。とりあえず、今日の深夜に所定の場所まで行きましょう。待ち合わせしてることと、待ち合わせ場所は私把握しているので!」

「ええ?色々急やな、整理させて。なんで知ってるん?あと、うちが待ち合わせ場所に行っても仕方ないと思うんやけど。必要なのは」

「海月さんの身体と『カード』ですよね?安心してください。それはお姉...ハクさんが運んできてくださいます」

「え?今お姉...って...あ!ハクは起き上がれたん?自力じゃ起き上がれんっちバリスが言っとったけど...」

「ああ!そんなわけないじゃないですか。旧型機は自力で欠陥部分をアップデートしたり改良できますよ。初期構成のふりして敵がいなくなった後に起き上がってましたし。一応ここまで貴女を連れてきた後にもう一度戻って確認しましたよ。旧型機は賢いんです!」


 アオが誇らしげに話す。新型機が旧型機を敬っているのか。そういった部分で人間らしさを滲ませているところに親近感を感じる。アオの表情変化はヒトそのものだ。


「今が午後9時。12時半に所定の場所にお迎えが来ます。貴女もここにいるとそこそこまずいので、一旦はハクさんと一緒に他の場所に避難してもらいます。『センター』のこととか、いろいろ知りたいとは思いますが、もいるので安心してください。いいカンジのタイミングで戻ってきましょう」

「いいカンジのタイミングってなんだ!」


 思わずタンザが突っ込みを入れる。「気分を和ませたいAIジョークですよお!」とアオはけらけら笑う。どこまで意識をさせたらこんなに精微な表情変化と会話をさせることができるのだろうか。タンザは既にアオをヒトとして扱っている。


「ま、ちょっと料理してみたんで、良かったら食べてください!お仕事してる机の上に置いてます!」


 アオは満面の笑みで生活スペースを出ていく。タンザは恐る恐る立ち上がり、いつもの仕事部屋に入る。机の上には料理...と言われれば確かに料理なのだが、見るからに食べれそうにない黒い物体が皿の上に盛り付けられていた。何が素材とされているかすらわからない。


「スパゲッティです!」


 アオがにこにこと品名を伝えるも、タンザは「いや、麺要素ゼロ!なんだこれは!」と盛大に突っ込んだ。


 結果的にそれは食べることができず(アオが潤んだ瞳で見つめるものだから、一口くらいは食べたが、すぐに腹部に何らかの異変を感じ、やむなく食べるのを止めた)、ゴミ箱に棄てることになった。アオは「くっそー次はうまく作るぞ!」と意気込んでいたがタンザは「もう作んな、いらん」と一蹴した。結局タンザはアオに自身の名前を伝えていなかったと思い、一応自己紹介をすることにした。


「うちはタンザ。研究団ストーンのバイオクラス...」


 タンザが所属を言いかけたとき、アオが早口で喋りだす。


研究団ストーンのバイオクラス所属の『ドクター・エンジニア』で、出身高校は----工業高校化学科、出身大学は私立---大学バイオテクノロジー科、誕生日は2001年1月7日、血液型はO型。家族構成は金融系企業の幹部職に就く父、製薬会社に勤める母、専業主婦であった父方の祖母。母親譲りのアレルギー気質だったものの母が製薬した対アレルギー薬品により卵アレルギーを克服。しかし未だに動物アレルギーを患っている。研究団ストーンの人間関係としては『センター』所属のダイヤ博士、マリン博士、バリス『センター』統括長とは高校時代の同期、バイオクラス所属のジル博士は高校時代の先輩、医務室担当のメディカルロボット『W-01』が現在の勤務内容における直属の上司にあたる。本名は―」

「ええ、待て待て。名前を知らんのになぜその情報がわかる!?」


 アオは「え?」と首を傾げた。


「今回の件に際して事前に調べましたし。名前だけ忘れちゃったんです。てへ」


 どういうことだ...。タンザは呆気にとられる。人を振り回しそうなアオは、まるで志乃舞を彷彿とさせる。タンザはアオのハイテンションに付き合いながら、約束の時を待った。


 日付が変わる。アオが「今から出発すれば予定の時刻に待ち合わせ場所に着きます。行きましょう」と立ち上がった。移動には研究団ストーンから出てしぱらくしたところに『最初のお迎え』が来るという。研究団ストーンから出るためにはICカードで処理をしなければならないが、今はそんなことをしている場合ではない。アオの力で何とか小細工しつつ研究団ストーンを脱出した。研究団ストーンの周辺は元博物館や本来科学館になるはずだった建物があり、どの建物も今は研究団ストーンと外部企業や学校、または一般人との共同活動の場所になっている。周囲に気を配りながら、整地された道を歩く。10分ほど歩いたところで遠くに1台の車が止まっていることを確認できた。アオは「あれが『最初のお迎え』です」と指さした。車まで歩いていき、アオが運転席のフロントガラスを軽く小突いた。即座にフロントガラスが開き、狐のお面を被った人物が現れた。


「お疲れ様です。乗ってください。警察に見つからないことを祈りながら飛ばしていくんで」

「いや別に安全運転にしてよ!時間も割と余裕あるでしょ」

「僕はすぐ東きょ...まちがえた、大阪に戻らないといけないんです。あ、自己紹介も運転しながらするので、とりあえずは信じてください」


 誘導されるまま、タンザとアオは後部座席に乗った。狐のお面のおかげで気づかなかったが、助手席には既にハクが乗っていた。後部座席に乗り込み扉を閉めたところで、タンザが身を乗り出す。


「ハク!無事やったん!良かった!」

「タンザ、私はロボットです。パーツを変えればいくらでも大丈夫です」


 ハクの腕を見ると、前のようなメカメカしい関節部ではなく、まるでヒトの腕のように変わっていた。柔らかそうな二の腕に細い指。足もまた同様のようだった。


「新型機の予備パーツを使ったんです!ハクさんの各機構接続部をちょこっといじるだけですぐ適合できました!」

「新型機は手先が器用で、ナノ単位の機械メンテナンスを含む各種作業が可能のようです。うらやましくて仕方がありません。ハードウェアは実現可能な域になりましたが、結果的にソフトウェアは追いついていませんから、この身体は宝の持ち腐れです」


 きらきらと目を輝かせるアオと自身の手を広げて眺めてみるハク。これまでの自分の腕より動かしやすいように感じた。何より、動作が速い。


「とりあえず、車を出します。シートベルトつけといてください」


 狐のお面を被った人物がハンドルを握る。足を踏み込んだかと思えば、割と予想より速いスピードで走り始めた。


「だから、ゆっくりでいいですよー!」


 車内だけに聞こえるはずのアオの悲鳴は、何故かこの静かな研究都市まちに響き渡った気がした。


 車を出して5分ほど立ち、狐のお面を被った人物が名乗り始めた。


「僕は新城あらき光誠こうせいといいます。羽鳥はとり志乃舞しのぶ先輩とは部活で出会いました。よくいちごミルクを奢ってもらっていました。今は、ある人の近くであれこれとやっています。そんな中で吉居よしい先輩...そうですね、研究団ストーンではジルと呼ばれている人に目をつけられました。研究団ストーンにいる他の知り合いにバレるとまずいと思い、特に吉居先輩を信用していない訳ではないですがこうしてお面を被って変人を装おうとしているんです。なのでお気になさらず」

「そういえば、仲の良い後輩がおるっち言っとったな、お前の事か」


 タンザがふむ、と納得したように頷く。アオは好奇心の塊。彼について知り得る情報から、さらに見分を深めようと質問攻めにする。


「リューニオン先生っていう、最近有名な心理学の研究者と仲良しなんですもんね!」

「仕方ないんですよ、そういう運命なので...」

「ええ!もしかしてそういうご関係だったんですか!」

「違いますね。悲しいですが...僕は先生を守る役目があるだけです。先生には婚約者に近い方がいます」

「ええ!知らなかった!データベースの海からは探しきれなかった!」

「有名とはいえ、プライベートを粗探しされるほどではないですから。逆にそうなってしまうと困ります」

「あれ、アオは研究団ストーンの外から出ても通信機能とか使えんの?」


 会話の途中で申し訳ないとは思うが、タンザも気になったことはすぐに調べたい性分だ。ハクは自主的に通信を切ったりできるが、アオはどうなのだろうか?


「新型機は研究団ストーンの外でも活動可能ですよ!ただ、『B-01』には外に出たいという意思はないですね!」

「なんでコンゴウは意思や正確に差をつけたんだろう」

「人間の中に居ても溶け込めて、人間と関わっていても違和感がなくて。ふとした時に情報を聞き出し、ふとした時に『始末』できるように。人間に安心させ油断させ。それが彼女ら『アオイロ三姉妹』のコンセプトなのです」


 ハクが淡々とコンゴウの...否、研究団ストーンの思惑を語る。さらに、アオが『コンゴウ』という人物について語り始めた。タンザは明かされる事実に目を見開いて聞き入る。


「『コンゴウ』と『ダイヤ』は同一人物。何かあった時に有耶無耶にできるよう、まるで存在していたかのように活動していました。『アオイロ三姉妹』の完成を機に『コンゴウ』は死にました。その時の遺体は適当に最近不慮の事故で死んだ研究員の遺体とすり替え、本人は引き続き『ダイヤ』として活動していきます。『コンゴウ』が死ぬことで、旧型機および新型機に搭載された独自システムは非公開に終わり、連携企業にも、また研究団ストーンにも明かさずに済むというわけです」

「そこまでして守りたいのか...」

「彼にしかできない所業のままであれば、価値は高いですからね」


 ハクがどこか諦めたような声で呟く。アオが改めてタンザの方を向き、片手を握りながら話す。


研究団ストーンの中だと、『コンゴウ』に関する事柄は『W』型も『B』型も発言することができませんが、離れている今だと制限が解けて話せるようになります。もちろん、『センター』のことも。ですが、この街トリルノースで話をするのはかなり危険です。ですので、これからタンザさんには大阪へ向かってもらいます」

「はあ、大阪へ...ええ!?大阪!?」


 唐突な行先提示に驚くタンザ。この車に乗るあと三名は驚くことはない。タンザ以外は全員話を合わせているのだから。


「ちなみに私は研究団ストーンへ戻ります。離れているとまずいので。その代わり、私の権限で研究団ストーンに関するあらゆるデータは丸ごとコピーしてハクさんに渡しました。ハクさんが処理落ちしないように、先程マリンさんの身体を輸送した時に一緒にエイルも連れてきてます。エイルのCPUとかGPUとか、よくわかんないけどあらゆるスペックでハクさんを補助してもらいます。唯一の懸念点としては、データは膨大。取り出すのはタンザさんです。タンザさんがハクさんに正確な『知りたいこと』を伝えられるかどうかにかかっています。万能なAIも、使う側が能力を伴っていなければそれはただのゴミと同じです。タンザさんの能力を下に見ているなどではなく、どの『人間』にとっても、AIというのは長所短所があるものなのです。タンザさんが知りたいことをすべて知った時、研究団ストーンに戻ってきてください。タンザさんをこのまま逃がして、トリルノースの外に出してもいいのですが、タンザさんは研究団ストーンで頂点目指したいですよね?」


 アオは知ってるんです!と言いたげな顔をしているが、話が飛躍している、とタンザは呆れた。しかし、まあできるんなら頂点も目指したい。それは置いておいて、普通にこの街を逃げるように出ていくのは気にくわない。とっととマリンを治して、再び研究団ストーンに戻らなければ。そしてダイヤとバリスを一発ぶん殴る。


「『社会の厳しさ』ゲーム、途中やしな」


 タンザが眉を吊り上げると、アオは笑って「全力で支えますよ!」と言いながら片手でガッツポーズをして見せた。狐のお面を被った新城あらきも面の下で頬を緩ませた。


 その後も車内では新城あらきの話やハクの父、『タンザ博士』の話で盛り上がる。新城あらきはリューニオンという人物の近くで支援をしているらしい。リューニオンは心理学とロボティクスを掛け合わせたケアロボットの製作を行っており、つい数か月前にテレビで特集を組まれてからちょっとした有名人に昇格したという。現在は東京のとある大学院にいるため、新城あらきは一刻も早く東京に戻りたいのだという。そして、そのリューニオン本人が「ジルの探している人物」だという。


「吉居先輩と会った時、苗字は名乗っていないと言っていました。ですので、東京に行くときはもうこれ以上会うことはないだろうと思い安心していました。しかしテレビが関西と関東で放送された次の日、大学宛に連絡があったそうです。先輩が対応する前にまず僕が吉居先輩と会いました。結果、こうして再び北九州...いや、今は『トリルノース』ですね、この街に戻ってきてしまったというわけです」

「面白い人がいるって、春ごろにダイヤも一緒に探しに行ってたしな」

「その時はちょうど入れ違いで、リューニオンと僕が出て行った後に来たようです。リューニオンがもともと所属していた大学にも問い合わせがあったようですが、しっかり守秘義務を守ってくれました。会わせるわけにはいきません。しかし、海月先輩も僕の先輩ですから、助けはしますよ」


 リューニオンという人物が、ジルの心を動かした。『羽鳥志乃舞あの子』に囚われていた心を動かしたことは事実だ。アオははっとした顔でタンザに声かける。


「もうすぐ待ち合わせ場所に着きます!タンザさん。近々トリルノース市長選が行われるのはご存じですよね!?」

「あ、確かに...来月だったね」

「バリス...土屋伴久つちやともひさ氏も出馬されますが、その時に小細工しときますね!『研究団ストーン』の研究員を殺したとこっそりネットの海に流しておきます!」

「え、そんなことできる?しかもあいつ、人殺したっけ?」

「何言ってんですか、タンザさん、一応『始末』された身ですよ?」


 あ、そうだった、とタンザは再認識する。街の長になる人物が、情報漏洩防止のため(または、組織に不利益を与えかねない故)だとしても、人を殺めて良い理由にはならない。ましてや『命』を復活させる先端技術発祥の地だ。余計に示しがつかない。


「ふふ、この街で出来ることは私がやっておきます。タンザさんとハクさん、どうかお気をつけて」


 到着だ、と言わんばかりに車にブレーキがかかった。一旦全員下車したのち、アオが「車は研究団ストーンの付近に隠しておきますね」と言って運転席に乗り込んだ。この新型機、運転技術も持ち合わせているとは恐れ入った...。タンザは危険物取扱者の資格は持っているが自動車運転免許は持っていない。しかしアクセル全開で出発したかと思えば、近くの壁にぶつかっていた。狐のお面の下から「中古車ではあるけど、僕のお金なんだよ...」というか細い声が聞こえた。


 到着した場所は港のようだ。以前は『門司港』だと言われていたが今は門司港を含むこの区域が『第9地区』と改称されたため、同様にこちらも『トリルノース・ポートターミナル』と称されるようになった。


 新城に案内され、一隻の客船に乗り込んだ。タンザ達が乗り込んだ瞬間、船は汽笛を鳴らして出港した。船の中はロビーから左右に道が分かれており、船の先はスイートルーム、尾はよくある雑魚寝タイプの部屋、または二段ベッドの形式の所謂エコノミータイプの部屋だという。まあまあ綺麗なのに、貸し切りだという。スイートルームをひとり一つずつ就寝用の部屋として良いそうだ。車内で話のあった通り、医務室のエイルが先に乗船して、ロビーで主人ハクの帰りを待っていた。「やっほー」とでも言いたげに目がオレンジ色に点滅する。


「硝子ちゃん、手間かけさせてごめん」


 エイルと一緒に乗船したであろうジルがタンザに声をかける。先に話さないとね、と前置きして注意点を伝える。


「今からは研究団ストーンの外、トリスノースの外。だから硝子ちゃんは硝子ちゃんだし、俺は吉居スギ。新城の名前はもう聞いているよね。いいかい、気を付けてほしいことがある。トリスノースから来たことは、外の人にばれちゃダメだ」

「...何故です?」


 新城が狐の面を外して硝子の質問に答える。彼の顔は綺麗な二重をしており、男性のようだが、顔だけ見ると可愛らしく、女装をしても違和感がないだろう。


「トリスノースは、現在『危険な研究を行っている』として政府から危険視されています。そのため、トリルノースから来たとなれば偏見の目で見られ...るだけなら問題ないのですが、向こうで警察に捕まった場合、政府から尋問を受けかねません」

「まって、研究団ストーンは国からの援助を受けているんじゃないん!?」

研究団ストーンへの援助は2年前に打ち切られました」

「出鱈目言うなっ!」


 硝子が新城に掴みかかる。ハクが止めようと手を伸ばすが、吉居が制して代わりに説明する。


「トリルノースは2年ほど前から情報統制が密かに行われている。研究団ストーンの中だけじゃなく、街全体が。一種の独裁政治。それを加速させようとしているのはバリス、土屋伴久だよ。あいつはダイヤと協力して研究団ストーンを街の最重要機関『技術庁』として、街のすべての権限を集約させようとしている。その目的はもちろん、研究団ストーンで現在行われている仮称『X』の実現」

「そんなわけ...!さすがのうちでも気づくよ!」

研究団ストーンはこの街に、世界に対して『命の復活』を約束している。それはいずれ死を迎える人間の運命を大きく変える。『死』という不幸がひとつ消えた人類はその喜びで持ち切り、その合間にこちら側が有利になるよう細工をする...。その末に、研究団ストーンは自力で組織を回せるようになったし、トリルノースという街の行く末すら握ることができるまでになった。日本国からの援助がなくても、他国は莫大な資金を提供してくれるし、腕がほしい、足が欲しい、臓器が、目が欲しい!そんな人たちがトリルノースにやってきて、手術料を無料にする代わりに完成途中の義手や義足、人工臓器を使用する。普通の人はそれが研究の”成果”だと勝手に解釈して再び生きられる!と満足していく。特に死体が送られれば、失敗したらそれで終わり、成功したらよかったね。そうしてここ数年は発展していった。蘇生の項は、『センター』の管轄。ハク、『ヒトの損傷部分を機械に置換したことで蘇生させる』ことができたのはここ数年で何回?」


 吉居が顔をハクの方を向けた。ハクは少し考えるような素振りを見せ、回答する。


「『センター』で行われた機械置換における蘇生実験の実施回数は2023年12月から2024年12月の期間において述べ280回。成功した回数は224回。成功率は80%です」


 280回。つまり、280体の遺体が1年の間に研究団ストーンにやってきて、生き返れるか否かの実験が繰り広げられていたということか。ハクはアオから託された膨大なデータの中から『センター』の研究を取り出していく。


「蘇生した224名のうち、1か月以上生存しているのは184体。その中でも6か月生存しているのは82体です」

「...今後、研究団ストーンは生存持続率を高めて100%にする。しかし研究団ストーンの恐ろしいところ...政府が恐れているのはこのことじゃないんだ。...いわゆる『クローン』。本当に作ってるんだよ、ダイヤは」


 やはり、『クローン』を造っていたんじゃないか!バリスは嘘をついていた!新城に掴みかかっていた手を放し、硝子はその場に崩れ落ちる。『禁忌』に手を出していることは、研究団ストーンの人間には分からずとも政府には筒抜けなのか。なぜ、自分は知ることができなかったのか?外部の人間政府すら知ることができるのに...?


研究団ストーンの情報統制はすさまじい。硝子ちゃんは外に出る選択肢がなかっただけで、もし仮にトリルノースを出ようと思ったら相当手続きを踏まなければ出られない。今は研究団ストーンの研究者にのみ適応されているが、いずれトリルノースに住む人々すべて、街を出ることができなくなる...否、街を出ようとすら思わなくなる。研究団ストーンは、この街を『永遠の楽園』に変えたうえで、詩乃舞を気だよ」

「狂気の沙汰...普通此処までしないですよ」

「...でも!志乃舞の遺体はもうない!まさか、あの時燃やしたのが別の...」

「いや、身体から用意するのさ。ヒト型メディカルロボットの真髄は、志乃舞となる"身体"と"意思"の開発だ。新型機が完成した今、"身体"を造ることは容易い、あとは"脳"をどうするかだよ」


 吉居がしゃがみ込み、硝子と同じ目線になる。硝子の頭にぽんと手を置き、諭す。


「いいかい。あいつらの研究を止める方法が何かあるはずだ。その方法を実行する手段はハクから得たらいい。海月を起こして、硝子ちゃんがトリルノースに戻ると決めたら、戦いに行こう。俺も方法の一つくらいは持ってる。...だから、とりあえず今日は寝よう。硝子ちゃんが気づかなかったのが悪いんじゃないし気づかないほど馬鹿という事でもないよ。『そういう世界』になったんだ、あの街が」


 硝子は泣きたかったわけではないが、何故か溢れる涙に困惑する。


「うちだって、あの子に会いたいけど...!あの子は、たった一人、代わりなんて、ない!」


 これはきっと、かつて純粋な恋心を抱いてしまった高校時代の『硝子』が流す涙なのだろう、と自分で納得しようとする。あの大切な人を含んだ煙が昇る夏の日、硝子は泣かなかった。泣くより、それ以上に重く暗い何かを背負う少年を煙と共にこの目で捉えているからだ。その少年は今、彼女の『模造品クローン』を造り、救われようとしている。少なくとも、日頃からあの子を傷つけていたあいつは、救われてはならないし、きっとあの子とそっくりそのままのクローンができたなら、まず第一に引っぱたかれるに決まっている。すぐにトリルノースを出て行ってしまうだろう。そして言うんだ。「なんつーキモいことしてんだ!」って。そして高校の時、いつもそうだったように硝子の元で愚痴るのだ。「あいつは素直じゃない!」って。


 そんな妄想に硝子は思わずふふ、と涙で濡れる頬に笑みを浮かべる。吉居は「志乃舞のためにも」と呟く。新城は「...愛されてますね、先輩は」と困ったように笑った。


 彼ら研究員と2台のロボットを乗せた船は、日本海を渡る。


 自分ひとりが旅行するくらいでは絶対に取らないであろうスイートルーム。何故かキングサイズのベッド。硝子は暗い部屋の中でひとり大の字になって天井をぼうっと見つめる。この船に乗船した時点で日付は変わっている。しかし、眠気はこない。これも先程の情報量が重たすぎたからだろうか。タンザははあ、とため息をつく。そんな中、コンコン、と小さくノックの音が部屋の扉から聞こえた。タンザは起き上がり、扉を開ける。そこにはハクが枕を持って立っていた。


「ハク、どうした」

「タンザ、少しいいですか」


 硝子はハクを部屋に入れ、扉を閉める。再び硝子はベッドに飛び込み、ハクはベッドの脇に座る。そういえばハクはロボットだ。寝る、という概念はなさそうだ。そんなことを硝子が思っていると、その答え合わせをしてくれるかのようにハクが口を開いた。


「...私は、寝ることはありません。」

「毎日、夜はどうしてるん」

「私には三つのバッテリーが積まれています。ひとつバッテリーが切れたら、残りの2つが私を生かし、自分でバッテリーを交換するのです。...スリープ状態には自主的に切り替えが可能なので、普段は切り替えていました。しかし...つい最近は自力でスリープ状態になることができなくなりました」


 ハクは自身の手を広げて眺める。その手は『新型機』のために用意されたもの。本来は自分のものではないということはハクも理解していた。しかし、今まで感情のひとつとしても認識してこなかった、不思議な感情に苛まれる。


「私たち旧型機はあくまでプロトタイプ、研究員が形にしたかったものをとりあえず実現させただけに過ぎない、今までボロを出さずにいられたのは、きっとお父さんのおかげです」


 硝子は黙って天井を眺めながらハクの話を聞く。ハクからあまり『ハク自身』のこと...父や妹、この研究団ストーンの話は聞けども、振り返ればハク本人の本音は訊いたことがないように思う。故に、硝子は黙って彼女の話を聞くことにした。


「不思議ですね、いままで思わなかったような気持ちがこみ上げてきます。きっとタンザが医務室に来たからでしょうね。貴女から、患者として来る人たちから得ることはない"感情"を沢山いただいた気がします。基本、医務室に来られる方は皆ネガティブになりますから。体調を崩した、仕事が溜まる、他の研究員に迷惑がかかる。いつもはそれらをすべて一人で受け止めてきましたが、タンザが共に働いてくれるようになってからは、『働きやすい』と思うようになりました。ロボットには処理の問題もありますが、そういった意味でも『楽』と感じましたし、働く人を間近で見たことで自身の中でいろんなものが結びついてきました。私たちの中にある『エモーションシステム』も単なるプロトタイプだと思っていましたが、今までがそれを活用できていなかっただけだと気が付きました」


 ハクは硝子の方に顔を向けた。振り返り美人とでも褒めたくなるほどのその顔は、人間と全く同じだ。硝子は起き上がり、ハクが隣に寝られるようにスペースを空けた。


「はい、寝転んでみる?」


 硝子がハクに問いかけると、ハクは「はい」と返事をしてタンザの横に寝転がる。それを見届けてから硝子自身も再び倒れこんで天井を見る。


「ハクに、触覚はあったっけ。このふかふかな感じとか、わかる?」

「いえ、無いので...わかりません。ですが...隣に人がいるというのに、『安心』します」

「そっか」


 硝子は思う。ハクのお父さんがいなくなった時、ハクはきっと『寂しい』と思ったはずだ。しかし、ハクの周りにその感情をぶつけられる人はいなかった。医務室に来る患者に言っても仕方がない。ジルもきっと代わりにならない。AIはフィードバックを得てより正確な回答を出力していく。医務室での業務は間違えればすぐに気づき学習できるが、人との会話、感情の『評価』は得られない。故に成長しない、することがない。しかしハクの事を思うとそれでよかったのかもしれない。お父さんがいなくなった悲しみを、人間私たちのように背負わずに済んだのだから。誰かのように縋ることもせず、誰かのように苛まれることもなく。ハクはハク自身の時間を進めている。そして、ハクがより成長できる良いタイミングが今。つまり、その『寂しい』の伝え方、表し方、その感情を負うのが正しいのか、間違いなのかを彼女自身が判断できる絶好の時なのだろう。さらに言えば、同じ『メディカルロボット』の存在と再び相まみえることで感じたこともあるかもしれない。


「タンザ」

「...どうした」

「...タンザは、もしまた会えるなら会いたい人は、いますか」

「...そうやね。高校の時の友達に会いたいな。あいつはよく趣味が合うけ、話してて面白いんよ。ハクは?」

「私は、妹に会いたいです」


 ハクの願いは叶いそうで叶わなさそうだ、と硝子は思ってしまった。当然硝子の願いはもう叶うことはない。ハクの妹は既に心臓だけのもので1人、どこにいるかわからないのが1人。そのどこにいるかわからない方を探せばいいだけまだ希望があるが、日本全国に「ヒューマノイドを探しています」とは大々的に報じづらい、というかできない。トリルノースの外で、そういったのに嫌悪を抱く者がいたり政府から目をつけられているというのが本当なら余計である。しかし...それをそのまんま言うのも良くないと思い、硝子は呟いた。


「生きてさえいればきっと会える」


 ハクは目を一瞬見開くも、すぐに安心したような表情をして「そうですね」と返した。


 ハクには分かっていた。今のが人間の『建前』だと。しかし、その『建前』が欲しいと思っていたのだ。AIにしては非合理的な思考であるが、人間としては正常な思考。ハクはその『建前』を硝子タンザから貰うことで、『人間』として認められたような気持ちになった。硝子は、もうとっくにハクをひとりの人間としてみていた。故に、『高校の時の友達』の話はしなかった。ハクはきっと優しいので慰めてくれるだろうが、硝子自身は割り切っている、と自分で思い込んでいる。自分の為にも、話題に出さないのが賢明だと思っている。しかし、硝子はそう思っていてもハクは気になるようだ。


「その方は、きっと先程話題に出た『シノブ』、という方ですよね」

「...ああ...」

「故人について伺うのは避けたいですが、どうしても気になってしまって。タンザは、その人に生き返ってほしいと願いますか?」


 ハクの質問は刃物のように鋭い。硝子はハクの質問に答え始める。


「うちはあの子の身体が燃えるところを見た。生き返りを望んだって、もう灰になったんよ、無理だとわかっとるけ、望むことも、望みたいとすら思わんとこまできてる。でも、『センター』が可能性の片鱗を見せるたびに、揺らぐ自分もいる。でも、『センター』の言うは、あの子そのものやない。今の世の中を生きてるうちらのエゴだと思う。あの子が今のうちらを見たらドン引きやろうね。なんしてんの?って笑ってそうでもある」

「タンザは、とてもその人を理解しているのですね」

「...理解はしてなかったよ。だからあの子はいなくなったんだ...。気づけばよかった。沢山笑うその裏で悲しい思いをしとったんなら、うちがそれを助けてあげたかった」


「「それも、今だから思える」」


 硝子とハクの声が重なった。


「人の営みに答えはありませんから。共に難しいことを考えずにただ傍に居続けることが幸せにもなれば、言い争い別れることが互いの幸せになることもある。身体に鞭打ち働くことが人生だという人もいれば博打に熱中し安定とは程遠い生活をすることを『それも人生』と語る人もいます。しかしそれらはすべて『終わった後』に気付くのです。私たちAIは正解、不正解だと指摘を繰り返し受けて学習します。私たちは読み取ったものすべてを自己で判断できかねるのです。しかし人間はその場ですぐ指摘をされずとも、その頭で考え、『行動』することで答えを示します。私たちの『エモーションシステム』はその『行動』を認識し学習することで成長します。『センター』のことを知りたい、『シノブ』という人の名誉のために動くタンザを見て、私は成長できました」


 ハクは顔を横に向けて硝子を見る。硝子もハクを見た。


「今、そう思えることに誇りを持ちましょう。きっとそれが、人間です」


 硝子は「ありがとう、ハク」と返した。


 それからは硝子は自身が眠るまでハクと他愛のないことを話していた。医務室で起こった面白い話や、自身やジルの高校時代の話など。ハク自身も経験を話し、硝子の話を頷きながら聴いていた。硝子が眠ったのに気付くと、ハクはふと、思い立ち硝子に身を寄せた。魔が差した、とはこのことだろうか。ハクは硝子の身体を抱き寄せる。


「...人は身体での触れ合いもすると...。なるほど、このような気持ちになるのですね」


 ハクに温感センサは搭載されていないが、何となく『行動』してみたことで、人間の心理がわかったような気になった。硝子が「うう」と唸る。どうやらハクの腕が重たかったか冷たかったのか。咄嗟にハクは硝子から離れる。しかし、ハクはどうしても硝子のすぐ近くで横になりたいと思い始めてしまった。


(迷惑を...かけない程度なら...)


 ハクは硝子が不快感を感じない至近距離まで詰めて、そこで硝子の寝顔を眺めることにした。ハクはなんだか人間になった気持ちだと、もやもやしたような、しかし幸せだと心が温かくなるような気持ちになった。ロボットである以上心というものは無いが...。


 目的地、大阪に船が到着する1時間前。ハクは起き上がり、硝子を起こした。


「タンザ、もうすぐ着きます。準備してください」


 ハクは、硝子を起こすということにも幸せを感じていた。父を亡くしてからハクはずっと一人だった。むしろ感情という感情があまりなかった故に悲しみも寂しさも感じなかった。しかし今は、彼女のおかげで『人の心』を持ち始めている。人とは何と難しく、忙しく、面白い感情を沢山持っているのだろう。ハクから起こされた硝子は寝ぼけ眼で「んえ...ああ...」と返事をした。


 大阪南港に到着した硝子達一行。時刻は朝7時手前。ゲートをくぐり抜け、あの街より寒くは感じないものの、潮の匂いがなんだかあの街とは違うような、そんな感じがするなあとぼうっとした頭で思い耽る。そんな硝子が寝付いたのはきっと3時過ぎくらいだったと思うので、未だに眠気が取れない眼を擦る。しかし、その眠気も一気に吹っ飛んだ。


「硝子、昨日寝てないんか」


 硝子はびくりと硬直し、声のする方向を見た。声の主は、医務室に運び込まれた姿が硝子の中の最後の記憶であった、マリン...海月みつきだった。


「いや、急になんもなかったかのように話かけんで」

「悪い、その件についてはマジで迷惑かけた」


 海月はへらへらと「すまんな」と片手を前に出し謝る。硝子は何故、こいつが意識を取り戻しているのかを聞きたいとばかりに吉居の方を見る。硝子の睨み節にははっと笑いながらも困った表情を見せた後、吉居は事の顛末を説明する。


「いや、要は落ち着いて作業ができればよかっただけなんだ。研究団ストーンの中だとさ、邪魔とか入りかねないから。それに先生が残したシステム達だって、向こうにとっちゃ手中に収めておくべきというか、そうならないなら破壊すべき代物だから。船内で手こずるなら、到着後もかと思ったけど、意外と初めて1時間足らずで意識を取り戻してくれたよ」


 ハクと硝子が眠れないと話をしている間に、吉居は海月の蘇生(?)に尽力していたという。それにはエイルも協力していたようで、エイルは誇らしげに目をピンクに点滅させた。褒めてほしいのか?改めて、海月が硝子に謝る。


「すまなかった、硝子。俺、あいつに逆らえなくて、あの研究室が開けられないことは知ってたんやけど、ある種の生贄にされちまった」

「いいんよ、全部あいつが悪いわ。意味の分からんことを」


 硝子は、とにかく海月が意識を取り戻してくれた、それだけで十分だと思った。これで、吉居と自分、そして海月の共同戦線を築くことができる。当然、そこにハクとエイルもいる。


「ハクはともかく、エイルは人によっては驚かれる。場所を移動しよう」

「ここからは知り合いの車に乗ります。もちろんエイルも同乗できます。荷物も別途運んでもらうように手配済みです。大阪に滞在中は今から向かう場所で過ごしてもらいます」


 吉居の提案とともに、狐のお面を被った新城が指示を出す。その指示とほぼ同じタイミングで、一台の大型車がターミナル前の駐車場に停まった。「あの車です」と新城が指差した。


 大型車はよく見てみたら一種のキャンピングカーだった。中は向かい合うように両端にシートベルト付きソファ、中心にテーブル。片方のソファは乗り口付近が畳まれており、そこがエイルの場所なんだろうと理解できた。


 新城は助手席に座り、吉居と硝子とハクとエイルが後部のソファに座ることになった。乗り込んで扉を閉めたあと、運転手の男が話しかける。


「はじめまして。僕は東郷桃瓜とうごうとうがん。大学院に通っています。今彼女は別の場所にいますが、リューニオンの同期で学部時代はよく話してました。新城くんから話を聞いてお手伝いさせていただこうかと思いまして...。もう一人、今から向かう場所で待機しているのでその時に改めてお話しさせてください」


 東郷は言い終わると同時にエンジンをかける。リューニオンという人物は、現状のトリルノース、研究団ストーンを変える一石になるのではないか、と硝子は考えたが、新城はどうやらトリルノースと彼女を結び付けたくないようだ。だから、吉居が会いたがっても新城は避けたがるし、新城自身も彼女に悪い虫がつかぬよう今すぐにでも見守りに戻りたいのだろう。しかし、そこまで大事なリューニオンの元を離れてまで、自分たちの手伝いをするのは何故なのだろうか?車内で訊くのも野暮だと思い、黙って車に揺られることにした。余談だが、この東郷という人物の運転は非常に荒い。何なら赤信号であるのにも関わらず、人通りのない路地だからと無視して直進していた。こいつは危ない。是非とも真似しないでほしいし、早急に運転手を替えて欲しかったが運転できそうなのは吉居くらいか。しかし吉居も深夜に眠れていないので危ないか。内心ひやひやしながら、目的地に到着するまでの自身らの無事を祈った。


 車が停まったのは、市街地から少し離れているだけに関わらず、静かなとある町だった。車はある建物の駐車場にきちんと停められ、硝子たちは潮の匂いから一転して静かな田舎とはまた違う、都会の焦燥を孕んだ微妙な空気を肌で感じる。


「大きな駅から離れてるだけで、ここら辺は人が多く住んでます。昼はのどかですが、夜は此処の近くの商店街がどんちゃん騒ぎ...まあまあ治安は悪いです」


 東郷は苦笑いしつつ、目的地まで案内する。駐車場には『専用駐車場』と明記されており、誰の『専用』なのかというと、『喫茶ユダ』という店の来客用だった。


「ここ、2階が事務スペース、3階が宿泊できるスペースになっているので、聞いた話だとここに4名泊まられると伺ってますが...」

「ああ、俺と新城以外のメンバーだ」


 東郷の問いに吉居が答える。吉居は大阪に何度も訪れるため一応部屋を借りているという。新城は吉居から救援要請がきてしばらくの期間ホテルを取ったという。故に、この4人というのは硝子、海月、ハク、エイルのことだ。しかしは2人である。実質2人と2台という計算だ。


「そうですか。いろいろ聞きたいこともあると思うので、どうぞ中へ」


 東郷が店の扉を開き、全員を誘導する。硝子が店内に入ると、落ち着いたアンティーク調で統一された品々が目に入る。ソファ、テーブル、カウンター。食器棚に並ぶ高級そうなお皿。硝子はあたりを見回しながら感嘆する。まるで物語の世界のようだ。店内の雰囲気に気圧され、店内で待つ人物に気付かなかった。「ようこそ」と声を掛けられ、初めて硝子は人物に目をやる。


「どうぞ、この人数であればカウンター席だとぴったり収まります。エイル君は...そうやね、席じゃなくてカウンターの裏にまわって俺の隣はどうかな、高さが合うように土台を用意してるよ、おいで」


 エイルは恰好の良い男に呼ばれ、すすっと言われたようについていく。男に用意された土台に載せてもらい、エイルはカウンターから目を黄色く点滅させる。多分あいつ、自身をバーテンダーか何かと思って自分達を見てるな...?割と人間みたくお調子者なところもあるのだなあと硝子は呆れた。


 硝子達がカウンター席に座ると、カウンターの裏側には東郷も立った。先程は運転席にいたため相貌がよくわからなかったが、黒色のスーツが映えるほど身長は高く、かつ体型も大柄な男だった。短髪に海月に負けぬ朗らかな顔立ちが似合わないと思ってしまう。一方、店内で待っていたという男は身長自体は硝子より少し高いかなというほどで、黒髪は後ろで結えるほどには長いが、清潔感を感じられるほどにまとまっている。無精髭が中々気にはなるが。じっと髭を見てしまったばかりに、男に気付かれてしまった。


「ああ、髭。すみません、剃ってなくて」

がおらんなってから適当になっとんよな」

「うるさいうるさい」


 男が髭に触れながら謝る横で東郷が茶々を入れる。男は改めて硝子達に名乗り始めた。


「俺は夏目風玄なつめふうげんと言います。東郷と同じ大学院生です。既に聞いてるかもしれませんが、リューニオンの繋がりで新城君と知り合い、今回当面の生活場所としてここを貸し出すつもりです」

「このお店はエンジニアの休憩場所、というコンセプトで、2階より上はものづくりをするために必要なものをある程度揃えています。ですんで、ロボットのメンテナンスなんかもできます」


 メンテナンスの話は特にハクとエイルに影響する。東郷がエイルの頭を撫でると、エイルの目はピンク色に光った。


「宿泊スペースも好きに使ってもらっていいです。今はロボコンもオフシーズンなので、利用者もいないんで。この店は今日こそ臨時休業ですが、毎日朝10時から夜20時まで営業していて、基本は学生でシフト回してやってます。オーナーこそお金持ちなんですけど、店長は一応俺なんで」


 夏目が困った顔で言うと、続けて「飲み物出しますよ。何がいいですか」と全員に声かける。吉居と新城と海月がカフェラテ、硝子がブラックコーヒー、ハクは何も飲めないものの、なんとなく『雰囲気』を感じたいと呟いたことで、一応ホワイトチョコレートミルクを出してもらうことにした。夏目がハクに合いそうだと勧めたからだ。東郷はエイルに向かって「もうすぐで充電器も届くから、はその時に」と声かけた。エイルは返事をするように、目を緑色に光らせた。


 夏目と東郷により、全員分の飲み物が用意された。ご丁寧に菓子もついている。よくあるビスケットだが、コーヒーと合わせて頂くのは滅多な休みの日にしかしない。(普段はコーヒーをがぶ飲みし、早々に仕事に手を付けるからだ)「ありがとうございます」と硝子は夏目達に礼を言う。一口、口に含むと悪くない苦味が口の中に広がった。


「あくまでここは交流の場なんで、飲み物とかにそんなに凝ってるわけじゃないんですよ。でも、店の雰囲気がなんとなく飲み物をいいカンジに引き立たせてるんで普通のお客さんなんかも来られたりして」


 たはーっ、と夏目が片手を頭に当てながら笑う。東郷は硝子達に「何か聞きたいことや、欲しいものがあれば言ってください」と言った。硝子が、ではと質問をしようと口を開くよりも先に、ハクが戸惑うことなく発言した。


「シノブ・リューニオン先生とお二方はどういうご関係ですか」


 この質問に、吉居ははっとした表情になり、新城は困ったように顔に手を当て、海月は動揺の色を見せ、夏目と東郷は顔を見合わせる。硝子は、リューニオンという人物のフルネームを初めて耳にし、そしてその名に聞き覚えがあった。先に回答したのは夏目だった。


「シノブは俺の彼女です。大学は3人とも同じ学部で、彼女だけ別の大学院に行ったんですよ。ただ、最近分かったことなんですけど、あいつは俺たちに伝えている大学とは別の場所に行ってるみたいで。さすがに彼氏の俺に位は言ってくれても良かったんやないかなとは思うんですけどね」


 はあ、と呆れたように夏目がため息をつく。それに続けて東郷が話し出す。


「それがわかったのは、あいつがテレビに出た時、ある大学の院生でこんな研究をしていますという紹介番組だったんですが、そこで紹介された大学名が明らかに違うじゃないかと…」

「それ、どこの大学ですか」


 吉居が口を開く。新城はさらに顔を青くした。そんなに知られたくないのか?


「まって、新城はなぜそんなに顔を青くするん?いずれはバレることやし隠しきれることでもないと思うんやけど。シノブ・リューニオンは、何者?」


 新城は顔を両手で抑えながらも、渋々硝子の質問に応じる。


「シノブというのは...硝子さんや吉居先輩が知るあの『志乃舞』先輩と同じ名前ではありますが...確かに別人です。しかし、トリルノース出身ということは同じです。ただし、記憶はありません。街にトリルノースという名前が付くよりも前に事故に遭い、記憶をなくしたのと同時期に大阪に引っ越しました。僕は高校卒業後に偶然同じ大学でリューニオン先生に出会って、以後はリューニオン先生のお手伝いをしています。今こそ職業としては企業の研究職に就いていますが、リューニオン先生の研究室と共同研究を行っているところです。先生がトリルノース出身だったというのは、自身の住んでいるあたりでちょっとした噂がありまして、その噂は事故に関してでしたが、先生の言う過去と一致していました。それに手持ちにトリルノースにしか売っていないストラップもありましたし。ですが...先生は自身の出身を知りません。覚えているのは事故に遭ったこと。今は母親と東京で二人暮らしをしています。出身のことなど思い出せば、きっとまで引きずり出してしまうと思うんです。だから僕は、傍で手伝いをしながらもどうかトリルノースあの街とだけは接触しないようにと気をつけていました。そんな僕の気配りも空しく、先生が大学4年生のある日、吉居先輩と接触してしまいました。思い出すことはありませんでしたが、僕は先生に『本当の進学先は周囲に伝えないように』とお願いしました。先生はその通りにしてくれましたが、まさかテレビに出るとは思わず...。テレビ出演は夏目さん達が観たものよりも以前からあったので、夏目さんらにバレるのは時間の問題でした。しかし、トリルノースへは、良いのか悪いのか、情報統制によって先生の話は届きにくくなりましたし、4月に吉居先輩らが大阪に来たときは運よく引っ越し後でした。さらに言えば、吉居先輩に名前フルネームを名乗っていなかったことも好都合でした。でもそれでも...トリルノースと先生をなんとか引き離したい...だから、吉居先輩にはいくら聞かれても答えませんでしたし、どこかぼかす言い方をし続けました。もうここまで喋ったのであれなんですけどね。ここまで説明した上で、トリルノース先輩方と先生に関わってほしくない、関わらないでほしいとお願いすることにします」


 新城は狐の面を外してテーブルに置いた。その素顔は、綺麗な二重が印象に残るものだった。


「お面は隠すのによく使えます。隠すだけじゃなく、奇人と思われ近寄られなくなる。先生もそう言ってよく笑います」


 新城はカップを持ち、まだ仄かに温かいカフェラテに口をつける。唖然としたままの硝子は、次に発言できそうにない。次に発言するとするなら、吉居か、話題を最初に出したハクか。自身が新城に振ったものの、他二人に続きを任せるのがなんだか申し訳なかった。しかし、つい先ほどの車内でリューニオンという人物がトリルノースに変化をもたらすのではと発想してしまったことを思い出してしまい、口を噤んでしまう。ありがたいことに、吉居が質問を始めた。


「そうか...あの子は、シノブ・リューニオンという名前なのか。確かにあの子と同じだね。でも、事故で思い出したくないというのも分かる。僕らからは絶対に彼女に近づかないよ。約束する」


 その声を聞いて新城は淡々と「ありがとうございます」と礼を述べた。硝子は関わるも何も、面識がない。故に、無回答であっても新城も同意を求めることはしなかった。ハクは「言いにくいことを言わせてしまい、申し訳ありません」と呟く。新城は「いいんです。確かに硝子さんの言う通り、いつかはバレることです。もしもの時、皆さんにもしかしたら助けていただくことになるかも...その時も結局、わかってしまいますので」と言った。


「僕ら、そういう経緯を知らずにシノブに怒ってしまったなあ、どうしよう」

「いえ、先生も理解しているはずです。どうせ先生のことなので、『また怒られちゃった』としか思っていないでしょう。それに、僕のエゴなので。僕が謝りました。大切な人に嘘をつけと言ったのは僕です」


 真実を聞いて困る東郷に新城は心配しないで、と答える。新城は新城で、リューニオンという人物のために苦労をし続けているのだろう。その苦労も辞さないくらい、彼は彼女を敬愛しているのだ。改めて、夏目が口を開く。


「まあ、リューニオンは今度会った時にシバき倒しとくよ。それにしても新城くんは大学時代もすごくリューニオンの世話を焼いていたし、俺も世話になっちゃったし...ほんと、頭があがりまへんわ」


はは、と笑う夏目に、新城は「いえ、夏目先輩も先生のためにいろいろしていただいて、助かりました」と感謝を述べた。


「リューニオン先生っち言う人は、余程いろんな人に世話焼いてもらっとんやな」


海月がふんふん、と頷きながら言った。硝子はまるで志乃舞みたいな奴だな、新城は関わってほしくないと言っていたが、相手が研究者であるならば一度でいいから『研究者』として出会い、話をしてみたいものだと思った。


夏目が話を替えようと、吉居に話しかけた。


「あなたの話はリューニオンから聞いています。その、『トリルノース』について詳しく教えてもらいたいです。俺らは、その街について『特別監視対象都市』という事しか分からないんです。監視というより変な動きをしないか観察している、という方が政府の動きとしては正しいんですけどね」


特別監視対象都市。そんな風に故郷トリルノースが呼ばれているのか。驚きを隠せない硝子だが、海月や吉居は既に知っているようで、動揺の素振りを見せない。ハクやエイルはきっと、アオから得たデータを共有しあっているからか、『外から見たトリルノース』の知見も得ているのだろう。吉居の代わりに、海月が知っていることを話し始めた。まずは一つ目。


「トリルノースという街には、外国人のも多く来ます。世界各国どこからきてもトリルノースという街に馴染めるように、海外と同じように名前はファーストネームから名乗ることを9月ごろから企業や学校に要請しています。学校も日本では年度始まりが4月やけど、2025年9月に今の幼稚園年長が1年生になる。卒園から6カ月ほど待たせることにはなるけども、研究団ストーンも協力してその間はプリスクールが開校されます。トリルノースには『研究団ストーン』という研究機関があり、義手義足や、『人体蘇生』に関しての研究まで行われてます。そして、プリスクールの開校も含む、街の整備に関しても研究団ストーンは関わっています。土屋伴久という、研究団ストーンの中心人物が近々トリルノース市長選挙に出馬する。トリルノースという街の活性化や、医療技術を工学で発展させ、押し上げる、その中心になるのが現在の研究団ストーンであり、研究団ストーンはこの街で『技術庁』として生まれ変わり、街に住むすべての人々の支えになる、今頃あいつはそう言って選挙活動に着手しとるやろうと思います。今の小学1年生が大学院に最長で通ったとして、今からそうだな...2044年頃には高校生と大学生は留年もあるから全員とは言い難いが、ほぼ全員が9月入学が当たり前の世代になる。長い時間をかけて、トリルノースはどの国にも縛られない街に、ひとつの国のようなものを目指して着実に動き始めているところです」


「すごい街やなあ。リューニオンがこの場に居たら目をきらきらさせてたと思うわあ」


感心する夏目に「いや、蘇生ってなんやねん、疑問に思わんかったか?」と東郷が驚きの声を上げる。硝子は「既に亡くなった人を生き返らせよう...既に灰になった人を『クローン』として蘇らせようとしているのが、ダイヤという人物...ねえ」と呟いた。クローンの言葉に反応した夏目が、「それだ、だから国は危険視しているのか」と納得の声を出した。


「夏目さんの言う通りで...。国が監視するまでになったのは、研究団ストーンがクローン技術の実現に着手し始めたからで、確か成果が少しずつ見えてきた段階で政府の一部に見つかり、即座に資金提供が停まりましたね」


硝子が「うち、何も知らんかったな」と呟く。夏目が「え?」と首を傾げると、吉居が硝子について話し始めた。


研究団ストーンの研究員には、『本当に必要な事』しか伝えられません。そして、研究団ストーンの中では基本本名では呼び合わず、与えられた名前で呼び合う。それは、研究に関する事柄の情報漏洩の為でもあるし、研究団ストーンの重役たちが、『都合の悪い人材』を処分し、その後始末をする時に楽するため。彼女は、研究団ストーンでとある名前を付けられていますが、その名前はかつて俺の上司が使っていた名前で、上司は重役の意向に従わず...処分されました。周囲にそのことが分からぬよう、同時期に同じ名前を持った研究員を受け入れたようです」


かつての『タンザ先生』は、きっとトリルノースがおかしい方向へ歩み始めているのに気づき、単身抵抗し続けていたのだろう。もし、もう少し早くに出会えていたら、互いに協力出来ていたかもしれないと勝手に硝子は考えた。海月が話を続ける。


「来月トリルノースで行われる市長選挙で、土屋伴久という人物が当選すれば、さっきの話に出た研究団ストーンが技術庁という独自の管轄機関に変わり、就学に関しての決まりから、海外のように名前を名乗る際にファミリーネームが最後に来たり、そして臓器提供と同じような流れで『蘇生希望カード』...ではなく『リライフ・アンケート』が毎年決まった時期に住民に対し行われるようになり、『希望』を出した者はその年度で死亡判定となった時、蘇生してもらうことができる。そして、これらの新制度に同意できない者はトリルノースからの支援を貰って外へ移住することができるようになる」

「選挙って、確か来月やんね?」

硝子の問いかけに、海月は「え?」と首を傾げた。


「選挙は、来週からだぞ」

「え?でも、バリス...いや、土屋は1月って、アオもそう言ってた」


硝子の話を聞いて、吉居は納得がいった。


「それ、嘘だよ。硝子ちゃんのことを危険視して、自分に何かしらの不利益が出ないように、わざと嘘をついたんだ。...メディカルロボットには、あらかじめ『嘘』が吹き込まれてるみたいだね。...もしかしたら、アオが硝子ちゃんを庇ったことも、バレているかも」

「私は、選挙に関してよく知っていませんでした。旧型への不必要な情報供給はしていないようで、たしかに新型のメディカルロボットには『センター』における重要イベントとして、1月にトリルノース市長選が登録されています」


ハクが自身のデータベースから『センター』の意図を探る。そして、ある結論を出した。


「タンザを含む、研究団ストーンに反抗しようとする人物を危惧し、選挙に関しての情報すらもごまかされていたようです。タンザ以外にも、ジル様の事も危険損物として置いていたようです。選挙の日程は『フェイクデータ』として、研究団ストーンに所属する研究員全員をカテゴライズした時に、『研究団ストーンに歯向かう可能性のある人物』とされた者に対してこの『フェイクデータ』が先に出てくるようになっているみたいです。ですので、アオが車内で言っていた選挙の話は、タンザの前だったから出てきたものです。きっと相手が別の人物であれば、『今月が選挙』だと話していたでしょう」


新型のメディカルロボットは、完全に『センター』の味方だってことか。海月が呟く。それに対しハクは、「私たちは所詮、機械ロボットですから」と寂し気な声を出した。


「つまり、うちをトリルノースから追い出せるなら死んでても生きててもよかったっちこと?海月の処置がトリルノースじゃできないようにして、うちらを追い出すことがあいつの目的やったんか」


吉居は口を手で覆い、その肘をカウンターに置いた。


「俺らは、うまいことやられたみたいだね」


第4共同研究室を開けるための生贄なら、海月じゃなくても良かった。しかし、伴久バリスにとって海月マリンでなければならなかった理由。それは、吉居ジル硝子タンザを纏めてトリルノースから追い出すためで、その生死は問わない、ただそれだけかもしれない。生かしてくれたのは、もしかしたらかつての知り合いとしてのよしみかもしれない。


「...硝子ちゃん」


吉居は意を決したように硝子を呼ぶ。


「...向こうには、俺が開発していた『味方』がある。もしかしたら、役に立つかもしれない。ダイヤやバリスにも対抗できるかも。...戻るかい」


吉居の提案に、夏目が水を差す。


「家族とか、友達とか、大事な人だけ連れてトリルノースから出たらいいじゃないですか。無理にその人たちを止めることは、しなくてもいいんやないかと思うんですが」


夏目の言うことも最もだった。海月が口を開いた。


「現状、あの街は一般の人からすればただの幸せの街。騒々しい街が好きな人は第一地区に住むし、静けさを好む人たちは自然が広がる第五地区に、きれいな景色を見たければ観光地の第九地区に住む。五体不満足もすぐに五体満足に。その恩恵を受けるのに、実はお金はそうかからない。各国のお偉いさんがトリルノースに莫大な資金提供をしている、施術を受ける人々はトリルノースの技術者たちにとっては被験者。被験者は失敗も覚悟で施術に臨む。技術者は施術を大多数に行うことで自身の技量や今ある技術を高めることができる。成功すれば半永久的に生きられる...トリルノースの研究団ストーンでは、そこまで技術が完成しているし、死んだ人間を蘇らせることもできる。死が存在しない世界は、多くの人にとって望まれている。永遠の命を望まなくても、生まれつき手のない子供でもこの街に来れば手が貰える。足が使い物にならなくなった陸上選手も、この街に来れば現役時代以上の結果を出すまでに復活する。そんな人類の希望みたいな街、きっと俺の家族は引っ越しをしない。...脳さえ健常であれば、60歳の人でも若かりし頃の肉体まで若返らせることのできる技術は実は完成しとるんよ...トリルノースに住んでる50歳以上の人に既にパンフレットは送っとる。謳い文句は『第二の人生を歩みませんか』だ」


つまり、海月の家族も含む、殆どの人々は自身らがいくら願ったってトリルノースを離れる選択をそう簡単にはとらないということだ。若返り、脳さえあれば。自身の家族は、若返ることができますよと言われて、そうですかと喜んで受けるような人たちではない。きっと硝子が言えばトリルノースの外へ引っ越してくれるだろう。しかし、祖母はどうだろうか?もしかしたら若返れると喜んでいる最中かもしれない。そして、吉居や海月の家族も、祖母と同じ考え方かもしれない。そんな人たちを無理やりトリルノースから出すことは難しい。それに...生き返るも若返るも、『その人次第』であることに変わりはない。他者に今提示されている選択肢を、自身のエゴで潰すことになる。加えて吉居が話し始めた。


「トリルノースは、そんなに危険ではない。ただ、今まで人類が禁忌としていたことを実現させてしまった、それだけの街だ...。でも、トリルノースは、数年もすれば外部からの移住を受け入れなくなる。これはダイヤの意向だ。昨年からずっとそこに視野を置いている。そしてトリルノースで暮らす人々は、数十年のうちに『永遠の命を得た人々』と『トリルノースで生まれた子供達』だけで構成されたユートピアになる。それがダイヤの目標だ」

「ちょ、ちょっと、どういうことですか?其れなら余計、家族とかを避難させた方がいいですよ!」


吉居の話を聞いた夏目が声を上げる。しかし、それをたしなめる様に東郷が言う。


「それでも、『故郷』であることに変わりはない...殆どの人は、故郷に残ることを決めるだろうし、『決めたこと』に関して、誰も否定はできない。でも、『おかしい』と声を上げることぐらい、別にいいんじゃないか?リューニオンが仮に硝子さんと同じ立場であれば、きっとそうすると思うで」


そんなものなんか、とあまり夏目は納得していないようだった。吉居は、トリルノースを『ユートピア』に仕立て上げたい人物について話した。


「『失うことの悲しみ』を感じることのない、不変の世界。ダイヤという人間が大切な人を喪った時に感じた悲しみを、自分自身も含め、誰も感じなくていいように。出会う幸福、変わらぬ日常だけが永遠と続く街。それが、あいつ...トリルノースの『研究団ストーン』の中心人物の野望」


成程。硝子は合点がいった。だからこんなに頭のおかしいことをしているのかと。国はあの街を、彼を危険視しているのかを。東郷は硝子の目を見た。


「後悔のないように、動くのが一番やと思いますよ」


硝子はふるふると震えながら立ち上がり、カウンターを叩く。


「別れがあるから、出会うことが尊いんや!あいつ、そんなになるまで大切な奴を、自分の言葉で、行動で殺したんやぞ!今更なんなん!頭おかしい!絶対に止める!これはうちの好きな人のためでもあるんよ!トリルノースはうちの故郷でもある!ハクが生まれた街でもある!海月や吉居先輩と出会った街でもある!絶対に奴を止める!」


しん、と静まり返る店内で、東郷が激励を送った。


「決まりましたね。なら、今日は休むだけです。...それか、大阪観光なんてどうです?いつまでも気張きばっていると、大事な時に力が出ませんからね」


今からすぐトリルノースに戻るのは、向こうに着いたとて何も行動できなくなるのではないか、そう東郷は言う。確かに東郷の言う通りだった。


「もし、何らかの作戦が必要なら、話し合っておいた方がいいかもしれませんね」


夏目は首を傾け、髭を撫でながら呟いた。

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