永遠という縛り

るた

 この街は、つい4年前に新しく発足した街だ。『特別工学研究区域』として国に指定され、世界に名を覚えてもらうために街の名前も新たなものになった。『トリルノース』。これがこの街の名前だ。由来は誰にも分からない。街が一新したと同時に大きな研究施設ができた。いつの間にか新興宗教が立ち上がっていた。この街にたくさんの外国人が住むようになり、るでこの『トリルノース』は世界の縮図であると表すかのように、街のあちこちに特徴的な場所が出来始めた。広々とした高原のあるエリアにはユニークな衣装を身に纏った陽気な人々が住み始め、日々ダンスや歌のイベントを催すようになり、また大きなビルが立ち並ぶエリアでは街のあちこちに点在していた企業がひとつに纏められ、ビジネス街として成り立った。海の近くは相変わらずの観光名所であり、新しい名前が付く前と変わらず美味しい海鮮料理が振舞われている。


 そして、あるひとつのエリアは世界が期待する最先端の研究所が建っている。人々はみな、この研究所で行われている研究に期待を寄せている。故に、街の振興資金提供は止まることを知らず、研究施設は立派な建物となった。


 2024年の4月。タンザは「ドクター・エンジニア」として『先端技術研究団』のメンバーに加わる。『先端技術研究団』とは通称『ストーン』と呼ばれる、名前からもわかる通りの研究者の集団である。多少は医療系の知識に長けた者は在籍しているらしい。確かその中でも10人程度は現職の医者である。しかし200人あまりが在籍しているこの団体は、殆どは機械系、電気系、はたまた化学系をホームグラウンドとしているエンジニアで構成されている。タンザもその一人であり、専攻は化学である。特に生物学に興味を持って大学で学んでいたところを、この研究団ストーンに見つかりスカウトを受けたのだ。タンザは此処で研究に従事できるなら、と大いに喜び快諾した。


 研究団ストーンはつい数年前から活発に名前を聞くようになった団体でもあり、最近の研究発表である『触感を正しく伝達することのできる義手・義足』は大変世間を賑わせた。『触感がなんたら』という点については世界的に各所の研究所がこぞって研究と実証に注力しており、それが成功したとてほかにも成功しているところはあるのだから何ら話題性はない。しかしこの課題の問題点は『精密機械を身体に取り付ける』ところにある。あくまでこの問題はわかりやすく思いつく問題点を出しただけであるが、これだけでも想像に難くない。自身が利き手を欠損した身体的にハンディを抱える人だったとして、「この義手で今まで通り何を触っても感覚が伝わりますよ」と言われて取り付けるのが頭部にパッチ、何枚も張られたパッチのコードの先は大型機械と自身の義手みぎうで。とてもではないが、感覚が正しく伝わってきたとしても『自身の手』だとは言い難いだろう。逆に、もともと広まっていた義手は感覚こそ伝わらないが軽く、微細な動きができるものも存在していた。前者が高額かつ大型に対し、こちらは持ち運びや装着したままの移動も可能である。


 数年前の研究団ストーンの発表は、その両方を兼ね備えた『義手』と『義足』である。皮膚は特殊構造でありながら触感と質量は人間の平均的な皮膚と全く同じ、特殊構造というのは、皮膚の下が筋肉ではなくその代替とされる『機械』であるため、それらを守り覆うために強靭になっている。基本的に人間がよくやる擦り傷・切り傷はつくることができない。それが"本物"との違いだ。この研究が研究団ストーン目標ゴールではなかった。研究団ストーンは仮称『X』と呼ばれる研究を成功させるため、この義手義足はあくまで『X』成功のための資金作りだった。『X』といっても他の研究員はそんなこと意識せずに活動している。なので今のところ不要な情報だろう。


 タンザはどちらかというとメカニズム系統ではなく、ヒトの構造についてメカ系のエンジニア達に教示したり、アドバイザーとしてデザイン設計に関わる仕事を多く受け持つことになる。故に、『ドクター・エンジニア』なのである。研究団ストーンに入ったその時、タンザは生物学に関する博士称号を貰った。あくまでこれは研究団ストーン内でしか発揮されない称号ではあるが、先程ほかの研究員の雑談を小耳にはさみ、どうやら数年のうちに日本国内どこでも『博士』と名乗れるようになるのだとか。本当か?


 タンザはここで「ドクター・エンジニア」になるための修行と、大学学部時代からの研究の延長線をこの場所で行う。『ドクター・エンジニア』らしい仕事はこの1年は確実に来ないだろう。時が来るまではタンザは勉強に励むしかない。


 実のところ、この場所には沢山の知り合いがいる。早速そのうちの一人に声をかけられた。


「お前もここに来るとはな」


 タンザはある男に声をかけられた。背は普通くらいで若い男がよくやる格好の良い銀色の短髪、黒いTシャツとスラックスに白衣を着用している。彼はこの研究団ストーンで『ダイヤ』と呼ばれている青年だ。タンザより数年前に...彼は高校を卒業してすぐ、研究団ストーンに入った。タンザと彼は同じ高校の同期だった。高校在学中に異例のスカウトが来て、断る理由もないからと承諾したと進学コースの授業中に話していたのを今でも覚えている。タンザは、自身のスカウトは彼が絡んでいるのではないかと考えていた。


「もしかして招待してくれたん?っち思っとったんやけど」

「んーまあ、お前の話をしたような、してないような」


 ダイヤは首をかしげる。どうやら予想通り研究団ストーンに見つかったのではなく、この男のおかげで大学卒業というタイミングでここへお呼ばれしたということらしいとタンザは察する。まあそれでも、予想以上の素晴らしい就職先を提供してくれた彼には感謝しなければならない。高校時代、ダイヤとはよく話す機会があった。特に『あの子』がいなくなった後から。


「あっはっは!お前らしいやん、こういう研究に取り組んでんの」

「そうか?俺はもともとこういうのに興味あるぞ」

「中学時代からロボット作っとるけんそりゃそうかもやけど、"ここまで"やってるとねえ」


 タンザは『あれ』を脳裏に浮かべながら言葉を発する。それに気づいてか、ダイヤは表情を曇らせた。どうやらこれも図星のようだ。


「お前、俺に何が言いたい?」

「いいや、別に何も」

「ふーん、そうか。いろいろ落ち着いたら俺の研究室に来ていいぞ」


 タンザは見事"研究団の先輩ダイヤ"の研究室にお呼ばれされた。こういった先輩研究者やエンジニアとのコネクションはこの研究団ストーンの中では最も重要なものになる。自身の研究を実現させたりというのは一人の力では不可能だからだ。困ったときは助けてもらえる。または、誰かが困っていれば自身の知識を総動員して助ける。研究団ストーンの処世術。これができねばこのアカデミアより研究成果と質が重要視される世界で生きていくことができない。それに、ダイヤも同じ仮称『X』に取り組むうちの一人、なんなら重要人物だと聞いている。実のところ、仮称『X』のプロジェクト構成というのがなかなか難解で、全員が全員"最大目標"を知っているわけではないのだ。


 仮称『X』は大きく分けて3つのチームに分けて取り組まれている。ひとつがタンザが参加する『バイオクラス』。このチームでは人間や動物の生態系、構造を理解する研究者たちがその知恵を絞って機械に置換できるようにするという取り組みを行い、それをチームの"最終目標"としている。タンザ達生きている人間と全く同じ、ただその命が『半永久的か否か』であるという違いのみを持つ、ヒト型のロボットが完成した時にこのチームは解散となるらしい。次に『メカトロニクスクラス』。長いので『メカトロ』と呼ばれることが多い。このチームではエンジニアリングに長けた人間が多く集まっており、バイオクラスが成功させた物質を機械構造と掛け合わせてみたり、または使用する材料の研究を行っていたりするらしい。らしい、というのは所属チーム以外の取り組み内容は人づてでないと知ることができず、その"人づて"も口外してもよい範囲でしか伝わらないために、あいまいな表現となっている。バイオクラスの研究者たちが時折このメカトロに対して講義を行ったりする。それはバイオクラスで完成させたロボットを総仕上げ、強化、保守点検を行うのがこのチームの人間だからである。バイオクラスはかなり工学に足りない医学分野を補うためにあるものといって過言ではなく、メカトロが不足知識を完全に補えた時、本当にバイオクラスは必要なくなるのだ。

 そして、最後がダイヤが所属している『センター』だ。仮称『X』のが詰まったチーム。この取り組み内容はまったく知ることができない。情報統制がしっかりなされている。バイオクラスやメカトロの人間もこのセンターについて知りたいらしいが、どうしても知ることができない。これに追求しすぎて自身の仕事が手につかなくなり、"クビになった"研究者も多いのだという。


 タンザは自分になら『センター』について何か知ることができるのではないかと考えていた。そして、知るための手段はいくつか用意している。あのダイヤですら入れているのだ。あわよくば自身もメンバーの一員にしてもらいたい。タンザは今後の研究活動に期待を膨らませた。


 初日は自身の研究室(実は兼寝床ともなっており、1人2部屋あるうちの1つの部屋には生活に必要なものを置いておくのだ)を整理したり所属チームへの挨拶回り、研究団ストーン内の規則等を教えてもらうので時間を使った。明日は自身の研究内容から今後のスケジュールを考えるので丸々潰れてしまうだろう。となるとダイヤの研究室を訪問できるのは明後日か。本当なら今すぐにでも行って自身をセンターに入れてもらえないかお願いしたのに。タンザにとって、組織の中で自身の立場を上へ押し上げていくのは嫌いではなく、むしろそれに関して貪欲だと自身で認識している。権力が大きければ大きいほど、研究も、なんでも自由度は上がるのだ。もっとも、バイオクラスは『いつか解散される』とはっきりわかっている。故に、研究団ストーンに残るための行動は今のうちから起こしておかなければならない。タンザは明日のうちに今後についてよくまとめようと、生活スペースとした部屋のベッドに飛び込み、この日の活動は終わりにした。時間は既に22時を回っていた。


 研究団ストーン勤務3日目。今日こそダイヤの研究室にお邪魔できる。そう思い研究団ストーン内を歩きながらダイヤの研究室を探しているとこれまた見慣れた顔とすれ違った。


「おお、久しぶりやんしょう...いや、『タンザ』だっけ?」


 男は慌てて名前を言い直す。この男もタンザ、ダイヤと同じ高校の同期。実は研究団ストーンには、高校の同期がこの男を含めてあと3人いる。体つきが良く、黒髪短髪で朗らかな表情をしているこの男は研究団ストーンで何と呼ばれていたっけ、タンザは少し悩んだ。


「俺は『マリン』だ」

「ふはっ、そのまんまやん」


 その名前の由来になったであろう本名を思い、タンザは吹き出す。マリンは「まあ名前なんかどうでもいいしなあ」とつられて笑った。


「お前も『センター』におるん?」

「そう。ダイヤの手伝いさ。あいつも人使いが荒い」


 マリンはあきれ顔で両手を上げた。どうやら相当やられているらしい。


「うちさ、『センター』で働きたいんよ、お前からなんか言っちゃらん?今からうちはダイヤの研究室に行くけど」


 タンザが勢いよく前のめりになりながらマリンに捲し立てる。マリンの朗らかな表情は一転して困り顔になり、タンザに質問する。


「お前はさ」

「何?うちは高校の時から変わりなく常に上を目指すけん!」

「そうじゃない」


 マリンはタンザと距離を置き、改めて聞き直す。


「お前は、人間を生き返らせることができると思うか」


 タンザは目を見開き、マリンを見た。困り顔は少し、勇気を孕んだように見えた。彼ら『センター』の研究者はひとつの言動が情報流出につながりかねない。今のマリンの一言は、今『センター』が何に取り組んでいるのかを理解するには十分だった。そして、ダイヤが熱中して取り組む理由をなんとなく理解した。


「…まあ、今の研究団ストーンならできそうやない?」

「生き返らせた人間は、本当にその人間本人か?」

「…はあ」


 タンザは「そりゃあそうだろう」と心の中で答えた、つもりだ。確かに、人間が一度死んで、再び生き返る。周りは大喜び。しかしその本人が『一度死んだ』という事実に変わりがなく、生還者本人が生前に本人と同一人物であると判断するための材料としては生前の記憶の有無くらいしかないだろう。そうだ、人が生き返ることが前提の法律や倫理は今のところ確立どころか考えられてすらいない。故に今のマリンの質問はあくまで哲学的な質問かつそういった回答はできるが、医学科学や倫理で回答できることはない。証明しようもなければ、証明できるような事象は現代医学では起こり得ないのだ。


「うちは哲学者やないから、知らん」


 タンザにはそうとしか言えなかった。マリンは「そうだよな」と呟き、話を進める。


「『センター』にはいずれ呼ばれると思う。ただ、その時タンザがそのままチームに入るとは俺は思ってない」

「えっ!マジで!?やったあ!!!…って、どういう意味?」


 冒頭の嬉しい一言に喜んだのに、最後の一言で一気にタンザの脳内は「?」で埋め尽くされてしまった。自分が?断る?そんなわけがない!


「今日はダイヤはおらん。ダイヤは研究団ストーンの外で仕事をするのが多い。次に研究団ストーンに戻るのは来月じゃないか?」

「ええ!長い!いつもそんなんなん!?」

「いや…今回のは異例だな。俺にも要件を言ってくれなかった」


 マリンは首を傾げて答える。ダイヤが今研究団ストーンにいないということは、ダイヤから情報を聞き出したり、『センター』に今すぐ入れてくれ!という直談判もできないということだ。


「まあ、お前も”クビ”にならんようにだけ、頑張れ」


 マリンはそう言うと片腕を上げ、「気を付けて」と呟いて歩いていった。タンザは今の会話から重要な情報を整理する。『センター』にはいずれ呼ばれるらしいということ、『センター』は「人を生き返らせる」研究を行っている?そして、重要人物であるダイヤは来月にならないと会えない。

 ダイヤには「人を生き返らせる」という件に関してもうひとつ聞きたいことがあった。それは「あの子を生き返らせたいのか」ということだ。


『あの子』は高校3年生の夏に死んだ。ダイヤとロボットを作る部活に居た。『あの子』とタンザも仲が良く、『あの子』自身は進学コースを履修してはいなかったものの、大学に行きたいと言っていた。だからあの夏休みも、毎日一緒に2人で勉強していた。2人一緒だと楽しかった。『あの子』は人を笑わせることができて、自分の好きなことや信念にすべてを賭けるような子だった。だから、死んでしまったのかもしれない。


 暑い夏の日に自殺した『あの子』は骨だけになった。タンザ自身、彼女を乗せた煙を見ていた。タンザも相当な悲しみを抱いたが、誰よりも、絶望していたのがダイヤだったのではと思う。

 ダイヤは『あの子』が死ぬ数か月前に大喧嘩をして『あの子』と仲が悪かったらしい。とは言っても、ダイヤと『あの子』は元から仲が悪く、同じ中学から同じ高校、しかも同じ部活なんてもしかして、という噂も少しあったが二人のあまりの中の悪さにそういった噂は一気に消えた。仲が悪いから、ダイヤも別に『あの子』の死に対しそう思うところはないのではと思っていたがそれは間違いだったようで、死んでからダイヤは『あの子』の重要性に気付いたようだった。彼が研究団ストーン行きを決めたのは彼女の死から数日後の夏休み明けだ。


「人を生き返らせる」ための研究であればダイヤもそりゃあ取り組むだろうなとタンザは納得した。しかしその「生き返らせる」というのは肉体が存在していることが前提なのでは?とタンザは疑問に思った。タンザもダイヤも、『あの子』の肉片が煙となるのをこの目で見ている。『あの子』の骨が綺麗に壷に収まってゆくのも見届けた。マリンの先程の質問を考えると。タンザは「あの子の身体でないならば、それはあの子ではないのでは」と考える。それに、『あの子』を構成するは、もうこの世にはない。仮に記憶の有無を本人であるか否かを判断する材料とするならば、明らかには『あの子』にはなり得ないのだ。言うならば、それは生き返りではない。禁忌クローンだ。


 禁忌クローンの製造は倫理的に禁止されている。もし、自身と全く同じ見た目で、自身だと名乗るモノが悪さをしたら?其れは果たして、『ヒト』なのか?『ヒトのコピー』なのか?前者と後者では意味合いが違う。『ヒト』であれば当人には相応の名前と個性が伴う。つまり見た目が同じ名だけの、全く別人ということだ。しかし後者では其れ自身もとなる。この世界に同一人物が2人いることになる。リアルドッペルゲンガーである。これは見たら死ぬだとかいう迷信があるが、こちらの場合は生きていくうえで相当な苦難がある。最も、禁忌クローンの製造はダメだというのは暗黙の了解でもある。これに合わせた法律もない。そして、『ヒト』には彼らクローンを同じ『ヒト』だと認識できるほどの判断知識と余裕を持ち合わせていない。どうしても禁忌クローン禁忌クローン。本人ではないと感情論にはなるが親しい人間ほど拒絶したくなる。或いは逆に執着したくなる。それは『本人オリジナル』への冒涜であることを『ヒト』は自覚できる。それでも、本人オリジナルへできないことを犯したくなるのが性であるのかもしれない。


『あの子』が死んで今は4年か5年かは経っている。まだダイヤの中で『あの子』の死は受け入れられないのだろう。『あの子』を生き返らせたいのはわかるが、タンザにはどうしても引っかかることがあった。『あの子』は確かに煙となり、今は小さな壷の中だ。親族に守られながらどこかで安らかに眠っているだろう。骨から『ヒト』を生き返らせるのか?しかしバイオクラスの研究テーマにそんなものがあっただろうか。


 タンザは走って自室に戻り、ここ三日間で先輩研究員達から貰ったデータから現在進行中の研究目録を探す。望みのファイルを見つけクリックして展開する。するとPCが通常のOSオペレーションシステムから一変し研究団ストーン専用OSに切り替わる。(初めから専用OSでいいんじゃないかと初日にタンザが呟いたが、重要データをこうやって隠すのにロマンがあるんじゃないかと言われた。通常OSの中に入っているいくつかのファイルが専用OSへと繋がるようになっている。めんどくさいロマンだ)


 専用OSには別途IDとパスを入力しなければならない。タンザは自身のIDとパスを入力し手元の指紋認証に人差し指を当てる。PCの画面に『Please Look at me』と表示される。PCに付属しているカメラに目線を1秒ほど合わせると、『Thanks!』と表示が変化し、タンザの研究員としての情報類と共に各種コマンドが表示される。こちらから再度研究目録を選択し、『進行中』をクリックする。タンザはバイオクラスの目録のみ閲覧できるため、表示された通りにバイオクラスを選択し、一覧を表示させる。大きくテーマわけがなされており、思いつく限り関係がありそうなテーマを開いていく。どれもいまいち繋がらなさそうだ、と思っていたところにひとつの研究シーズを発見した。


『生物の身体を置換し、『ヒト』の形を変化させる』


 タンザはこれかも、と詳細を閲覧する。この研究は生物同士の身体を入れ替える、または死体を用いて生きている生物の身体とする、というようなこの地点ですでに何かに引っかかっていそうな内容だった。これはちょうど『あの子』がいなくなってしまった数か月ほど前から始まっている研究のようで、これまでにネズミとシカの身体交換、ネコとイヌの身体交換、早くに亡くなった子イヌの死体を老衰を迎えかけているイヌの新しい身体として置換するという実験が行われており、これらはすべて成功したと記載されている。しかし失敗例も多く、安定こそしていないものの、見込みはあるものとして現在も着手されているようだった。担当者は、『あの子』とダイヤとマリン、そしてタンザ自身の高校時代の先輩であった。


 マリンと話をしてから2週間が経った。先輩の研究シーズを見て話が聞きたいとも思ったが、どうやら先輩も『センター』に近い人物であるようで、滅多に共用エリアはもと研究団ストーン内で見かけることがない。大人しくタンザは自身の研究を進めていた。バイオクラス共通エリアに配置されている自身のデスクに向かいながら、タンザは今着手している研究を客観的に見て、「これは多分ダイヤが必要としない研究モノだな」と実感し始めていた。タンザの研究は所謂『資金集め』用の研究で、成功したら世に出て行って発表して注目を集めて、貰ったお金はこの研究の発展ではなく『センター』で行われている本命クローンに注がれるのだろうか、と考え始めていた。沈潜し手が止まるタンザに声がかかる。


「どう、うまくいっとん?」


 タンザが後ろを振り返ると、これまた高校時代の同期と相まみえることになった。短髪でなお平均的な男の伸長をしていながら、すこしふくよかな体系の男で、マリンも同様な体型であるが彼の方が身長も平均を上回っていれば、少しは引き締まった身体をしている。


「うおお!なつかしい!久しぶりやん委員長!!!」

「それは高校ん時や...」


 呆れる男は、今は何と呼べばよかっただろうか。タンザは名前を訊こうと再度口を開くが、その前に男の方から名乗りがあった。


「バリスだ。『センター』の運営業務が今はメインだな」

「運営業務?」


 タンザは首を傾げるが、少しして「あ」と声を上げた。タンザは何となく察しがついた。


「つまりダイヤの尻ぬぐいっちこと」

「...っあー、そういうことちゃ」


 バリスは『センター』における情報統制や資金管理、各研究の進捗確認といった業務を担当しており、自身は各々の研究サポートが行うため研究テーマを持たないそうだ。タンザはこいつも『センター』の人間か、と辟易すると同時に自身が即『センター』入りでないことに疎外感を感じた。


「俺は『センター』の研究がうまくいくように資金を管理したり進捗見たり、あと他のメンバーの手伝いをするのがメイン。ただ、最近は『センター』の動きが止まったけ、今みたいにバイオクラスとかメカトロに顔出しとんよ」

「へえ、皆高卒なのにデカイ仕事しとんやな」


 タンザの言葉には棘がある。わざとだ。高卒とはいえ彼らは早々に引き抜かれた立派な研究員達だ。大学の学部を卒業しただけのタンザとやっている事が違うのは当然だというのは自身も理解していた。しかし、『センター』の実態が掴めないこの立場と、自身の旧友が多くそこで勤めているということに敬遠した気持ちを覚える。


「...そういいもんでもないぞ」

「楽しいやろ、世界が震撼する研究?やろ?」

「どうだかな」


 意味深な返事をするバリスに腹が立ち、タンザは「クローンが完成するのに何年かかる?」と質問した。その瞬間、バリスは恐怖を抱くほどの形相でタンザの両肩を掴み、身体を揺らす。


「誰から聞いた!」


 タンザのデスク周りに人はいないため、タンザの今の発言が聞かれることはなかったが、バリスの怒声はエリア内に響いてしまったため、エリア内の研究者達がざわつき始める。バリスは先程の怒声は嘘かのような、冷静さを取り戻した声音で開口する。


「お前が今、何を知っていて何を望んでるんか、聞いてみたい」


 タンザは一瞬怯えこそしたが、これは好機だと思い直す。ここで話を聞いて、彼らが何をしようとしているのかを知ることこそ、自身の地位向上に繋がるというものだ。


「お前らがあの子を蘇らせようとしてるのか、知りたい」

「知ってどうする」


 バリスの表情は依然として苛立ちを含んだ物騒なものである。高校時代にこのような表情をしたのは『あの子』がいなくなった日以降に、ダイヤが学校で大暴れした日くらいだ。


「だめな気がする。そもそも禁忌タブーやん。この研究団ばしょ禁忌タブーを犯すためにあるっちこと?」


 その通りさ。バリスはそう呟くとタンザの肩を離し、その手を腰に当てる。バリスの表情は一転して寂しさとあきらめを示した。


「元々人を生き返らせるっち願望研究は存在している。世界各地でな。」


 バリスは親指を出入り口の方向に向け、タンザに場所の変更を望んだ。タンザは椅子から立ち上がることで了承の返事に代えた。


 バイオクラス共通エリアから出て、バリスがタンザを連れて向かったのはバリスの研究室だった。研究団ストーンにおいて、『センター』に関係する人間の研究室は特殊な場所に存在しているという。以前タンザがダイヤの研究室を探して歩き回っていたが、それは無意味な行為だとバリスから教わった。広大な研究団ストーンについての話や、『センター』の核心には内容を、歩いている間にタンザはバリスに訊ねた。


 研究団ストーンは1つの巨大なドーム状になっているラボで、単純にそれを3分割したものと思われがちであるが、実はドーナツ状になっており、それを2分割してメカトロとバイオクラスと分けられている。ドーナツの穴にあたる中心部が『センター』に所属するメンバーの研究室及び共通エリアとされているらしい。中心部に行くには各所にある特殊ゲートを通り、『センター』の人間であると証明した上で入ることが許される。一つだけ、クライアントなどの重要なお客を招くための入り口があり、今回はその場所を教えられた上で、『センター』へ招き入れられた。


 こんな厳重にしているのに、自分が入っていいのか、とタンザがバリスに訊ねると、バリスは先述の通り事務関連が主な仕事のため、このクライアント用の『オープンゲート』のすぐ近くに研究室を割り当てられているらしい。そのため、バリスが許せば其処までは許容できる、ということだった。逆に、またバリスの研究室を通り過ぎれば自動的にカメラが当人を捉え、勝手に認証作業を行ってくれるらしい。認証認証って、面倒で難しいシステムだ、と勝手にタンザは辟易した。バリスはそれだけ重要な情報がここにあるっちことたい、とぶっきらぼうに返した。


 次に訊いたのは『名前』についてだ。タンザもバリスも、またダイヤもマリンも当然本名ではない。研究団ストーンに入る際に与えられた、もしくは自身で考えた名前を使用する。タンザの場合はお任せを選択したため、前者にあたる。しかし、研究目録などの公的資料を見ると本名で記載がある。その隣にニックネームなるものがあるわけだが。なぜ本名を使わないのか?質問に対しバリスは「俺もよくわからない。俺らが入った時からこのルールはあった」と返した。ちなみにバリス達も任意でつけられたものらしい。これらの名前を考えたのは誰か?という疑問に対してはバリスはあっさりと『ミスターストーン』と答えた。なんだその名前は、と一瞬吹き出しかけたが、ここにバリスが「原石、元凶」と呟いたことで笑いは一瞬にして消えた。どういうこと、とタンザが顔を上げると、バリスは「ここだ」と目的地の到着を伝えた。


『オープンゲート』はメカトロが主に使用するエリアに配置されていた。2人分の認証を通すと、バリスはタンザに入るよう指示する。タンザはバリスについていくも、ゲートを通過してたった数分で研究室に到着した。ここまでに、『センター』のことがわかる情報は得られなかった。


「そこまで、考えられとるんよ」


 バリスはタンザが期待していたことを察した。


 バリスの研究室に迎えられたタンザは指定された椅子に座り、デスクを挟んで向かい側にバリスが座る。バリスの研究室はひどく殺風景で、大量の本が綺麗に整列して棚に収まっていることすらなんだか不気味に思える。タンザの研究室より扉がいくつか多いことに気づき、タンザが訊ねるとバリスの研究室には研究員から外部の関係者まであらゆる人が訪れるため、今タンザが迎え入れられているこの部屋は所謂接待室、他の扉はバリス自身の研究室、生活スペースに続いているらしい。ほかの研究員よりも、部屋が多いという事だった。さらにバリスは付け足して言う。『センター』の人間の研究室はバイオクラスやメカトロよりも大きく用意されているらしい。そして個人に割り当てられている研究費も多い。タンザは余計に、『センター』で働きたくなった。魅力的じゃないか。


 バリスはデスク上のコーヒーメーカーを使ってタンザ用のコーヒーを用意する。コーヒーメーカーに目を向けながら、次はバリスの方からタンザに問いかける。


「クローンっち単語が出たけど、それは何故だ?」

「マリンがヒトを生き返らせられると思うか、っち聞いてきて、うちは哲学は知らんっち答えたけど、それをセンターがひたすら隠している研究の最終目標とするんやったら、ダイヤがメインに動いてるんやったら、やったら…」

「『あいつ』に繋がると思ったっちことか」


 バリスは察する。タンザは少し悩み、話を続ける。


「『あの子』は確か火葬されたよな?うちはそれを見てる、ダイヤもそう。身体がなければ、これまた哲学の部類に入るんかもしれんけど、生き返らせるじゃなくて、それは『あの子のコピー』をダイヤは作ろうとしとんやないかなって」

「なるほど」


 バリスは少し微笑んだ。タンザに湯気の立つコーヒーを差し出しながら、考察に赤ペンを入れる。


「ダイヤの研究は不慮の事故や思いがけない要因で若くして亡くなってしまった人を助けるためのものやけ、コピーとか、そういうのじゃない」

「つまり、単に『生き返らせる』が正しいってことか」


 バリスは「それも違う」と訂正する。


「亡くなった、という基準を変えるんだ。亡くなって生き返らせるということではない、命を『つづかせる』んだ」


 タンザは目を見開いた。ああ、そういうことか。タンザは合点した。例えばある人が交通事故で命を落としたとする。今の世の中であれば死亡と判断されたらすべての医療活動は止まり、あとは親愛なる友人らとの別れを経て、灰となり煙になるのを待つだけであるが、この死亡判断をする前に、何らかの形で蘇生を行うということだ。今の世の中ではそれを「生き返り」と呼ぶが、その概念を変え、その「生き返りの行為」自体を生きている人間に行っているような医療活動のひとつにすることが、ダイヤの求めていることなのか。今はもう骨しか残っていない『あの子』だが、身体さえあれば、命を『つづけられる』医療があれば...ん?


「医療の話なら、ダイヤはなんも知識ないやんけ、具体的にはどうすると?」


 医療系の分野も含むのがバイオクラス。きっとバイオクラスで進められているいくつかの研究は、このダイヤの目的の一部のために行われているのだろう。しかし、あまりにも工学分野と関係がなさ過ぎて、研究団ストーンに所属している人間のバックグラウンドを考慮しても、割に合わない。それならば、メカトロに所属する人間はそう多く必要はないし、バイオクラスに多く人員を置くことが正しい。それに、z年大敵にエンジニアが多いこの集団は、目的達成できるとは思えない。


「ヒトの身体を機械に置き換える。義手や義足ってレベルやない、目も、声帯も、臓器...心臓も」


 バリスはデスクの引き出しからいくつかのパンフレットを出した。


「このパンフレットは、『センター』の研究に賛同している、かつ利用したいと願い出ている人に提供しとるやつ。『センター』うちも人を選んどるけ、これを見せてるのはまじで此処に大量の資金提供をしてくれるようなとこだけ」


 パンフレットにはバリスの話より明確に研究内容が示されていた。ヒトを構成するあらゆるものを『機械』に置き換え、生命活動を途絶えさせない。それが『センター』の目標という事らしい。しかし、ヒトの中であるものだけは唯一機械に置き換えられないと記載されている。ヒトの脳だ。


「脳にはその人のすべてが詰まっとる。性格、口調、記憶、その人を形作る内面的なもの。『センター』におけるヒトの死は、この『脳』が損傷し、当人が自身を認識できない状況、あるいは当人である証明を記憶を以って証明できないとき、その人が『死んだ』と判断する。この脳を補助するための機械は開発中や。ただ、その脳みそ自体を機械に置き換える、まあ要は人工知能みたいな、そういう単なるデータベースに置き換えるのは、それこそ『禁忌クローン』を犯しかねない」

「前に発表された義手や義足もその一部っちこと」


 タンザは今の説明を『禁忌クローン』には手を出していない、そして『センター』は世の中のために命を救う活動をしているのだ、という証明として解釈し、飲み込んだ。バリスもその心象を察し、話を続ける。


「お前はきっと先輩の研究シーズを見たやろうから教えとくわ。先輩は今バイオクラスにいるけど、あの研究シーズも本来は『センター』管轄やった。けど、先輩あの人は此処と外を行き来してるから...。ダイヤも、今は先輩と一緒や」

「外って、研究団ストーンの?」


 ダイヤは頷き、低い声でその理由を話す。


「先輩の研究シーズは、本当は別の人間が担当しとった。先輩はつい1年前にこの研究団ストーンに入ってきた。その1年前に、気持ち悪ぃくらい丁度いいタイミングで先輩が後任として決まった。しかも研究内容自体、『センター』管轄から『バイオクラス』に落とされて」

「何でなん?」


 タンザが訊くも、バリスは困り果てた顔で首を振り、「俺にもわからない」と答えた。


「先輩はさ、じゃあ今何してんの?先輩が成功させた実験は今までにあると?」


 この問いに関しては、バリスははっきりと答えた。


「いや、実験は一切行われていない。先輩は来てからも『外』で働くことが多い。お前も知っとるやろ、先輩が卒業したあと何処に行ったか」

「...大阪」


 日本の副都心とも最近は言われている大阪。『あの子』も先輩がいるから行きたいと笑って話していたっけ。つまり先輩は、大阪と研究団ストーンを行き来しているということか、よく研究成果も挙げないのに、研究団ストーンに居ることができるものだ。いや、嫌みなどではなく、単純な疑問だ。タンザの目の前のコーヒーは一口も減ることなくすでに冷め切っていた。


「ダイヤも大阪に?」

「ああ、なんか見つけたらしい、新しい研究団ストーンのメンバー候補」

「もう来年の探しに行っとん?」

「いや、余程面白い経歴を持つ人物やつらしい。どうしても来てほしいと」

「『あの子』以上に執着することあったんやね。良かった」

「それはどうやろうか」


 バリスは机の上に広がったパンフレットを纏める。バリスの最後の一言には何か含みがあるような気がするが、タンザは気に留めなかった。


「まあ、クローン?とかは作ってないっちことよ。他にも色々やっとることはあるけど、俺から話せることはこんくらいやわ。高校時代の友人のよしみ。他の奴に言うなよ」


 バリスの忠告に対し、タンザがへへ、と苦笑いでわかった、と答える。


「実は他の同期とあんま仲良くできてないんよ...」


 タンザの了承に続いて、研究団ストーンでの現状を聞かされたバリスは、高校時代を思い出し「...変わらんな」と呆れた。


 バリスに再びバイオエリアまで送ってもらい、そこで別れた。バリスはこれからメカトロの方に向かうらしい。どうやらメカトロクラスにも、『あの子』とダイヤ、マリン、バリスの先輩がいるらしい。彼らの部活の先輩で、かつ"学科"は『あの子』と同じなため、タンザは面識がない。タンザと『あの子』は、高校時代は違う"学科クラス"だった。タンザバリスから話を聞いて、より『センター』への興味、そしてこの研究団ストーン内における昇進への意欲が高まった。いずれ用無し宣告されるより、『センター』に入ってより高度な研究に着手するに限る。そのためには、直接的に関わりはないだろうと踏んでいた自身の研究を進め、成果を出すことが重要だ。まだまだ研究団此処に来てから1か月も経っていない。自身の仕事をこなすことに注力しよう。タンザは来月に(勝手に)予定していたダイヤの研究室訪問とダイヤへの連絡、そしてバイオクラスの先輩とのアポ取りは自分のことが落ち着いてからにしようと取り決めた。


 タンザが研究団ストーンに来て半年が経った。既に夏は過ぎ、外に出れば紅葉が見られるが、今のタンザはそれを見る暇もない。外に出る暇もない。日々、研究団ストーンのバイオクラス共通エリアの自身のデスクからひっつき虫の如く離れない。いや、離れられない。タンザは最近、ある仕事を任された。「メカトロクラスへの生物学講義」である。全部で7回に分け、メカトロが必要としている生物学知識をじっくり説くという仕事である。しかしタンザも単なる学部卒の人間であり、メカトロが求める知識はさらに上をいくものであった。故に、タンザ自身も基礎から学びなおし、学部時代でやってきたことから深く追及しなかった事柄まですべて毎日目が覚めてから夜目を閉じるまで調べ上げ、まとめ上げ、頭の中に叩き込んでいた。タンザの目の下にはとっくに立派な隈ができており、バイオクラスの同期や先輩らから時折お菓子などの差し入れが来るようになった。タンザから彼ら彼女らに話しかけたことはないが、皆タンザのことを気にかけていた。何となく、タンザはそれがうれしいと感じる反面、何か返さなければいけないのか、しかし返し方がわからない、この時人は何を求めるんだろうか、とわからなかったため、「ありがとう」の一言しか返すことができなかった。それだけでいいのかとタンザはたまに思うが、自身の持つ仕事で手いっぱいのため、その考えはすぐに頭の片隅に追いやられた。


 ある日、ついにタンザは限界を迎え、自身の研究室を出る直前に意識を手放してしまった。講義は今から4回目を行うところだった。その日の講義は先生であるタンザが講義に現れなかったため中止、それを聞いたバリスは「ああ、そういうところも変わっていないのか」と頭を抱えた。


 タンザが意識を取り戻したとき、白い天井と白いカーテンが視界に飛び込んだ。そして、ひょっこりと左側から白い肌白い髪の毛のおかっぱ頭の少女がタンザの顔を覗き込んだ。タンザは目を見開き「うわぁ!」と吃驚しながら飛び起きた。少女は驚いて後ろに倒れ掛かりそうになるのを足で踏ん張り、姿勢を取り戻した。そしてタンザに「気分はどうですか」と問いかけた。タンザはふっと冷静さを取り戻し、状況を把握した。自身は倒れた、ここは初めて訪れたが医務室だろう。そしてこの少女はこの医務室を取り仕切る『メディカルロボット』だ。


「シロイロ三姉妹、ハクが担当いたします。タンザ様、これまでの勤務歴のみで判断しましたところ、過労という診断を下しました。これから診断を確定させるために、いくつか質問をさせていただきます」


『メディカルロボット』はヒトの形をしているが、首や腕、足の関節を見るとアクチュエータ部分は丸見えであり、顔こそヒトのようになっているが動くのは口のみで表情が変化することはない。瞬きすらしないのだ。白いナース服を模したワンピースを着用しており、背中に首から裾まで一直線に繋がる長いファスナーが通っている。本人のためではなく、メンテナンスを行う人間が衣服を着脱しやすくするためだろう。『メディカルロボット』は三姉妹と名乗った通り、3体いたのが、1台は故障、もう1台は行方不明(『メディカルロボット』自体が結構な技術とお金を費やされている上にまだ実践例は外部に発表していないため、『センター』の人間が割と本気で探しているらしい。外部の研究所などに見つかれば技術を盗まれかねない。)、もう一台が今タンザの診察を行っているこの『ハク』であった。前にマリンから医務室の話は聞いていた。マリンも行方不明になった方を探しているらしい。


 3台いたはずの『メディカルロボット』が1台のみになったせいで、研究団ストーン所属の医療団も診察に入ることが多くなったらしい。その中でもハクに診てもらえたのはある意味運がよかったのかもしれない。『ロボット』に診察されるのは人生初だ。タンザはここ3日間の食事内容と睡眠時間をハクに話した。ハクはタンザの発言を記録するために、挙動を止め、目のハイライトをちかちかさせる。タンザの診療カルテに回答を保存している時のモーションらしい。最後の質問に対する回答を記録し終えると、ハクはベッドから少し離れ、深々とお辞儀をする。


「回答、ありがとうございました。診断の結果、当初の予測通り、過労と診断いたしました。お薬の支給は特にいたしませんが、食堂にて本日夕食より7食分ほど、タンザ様専用のメニューを提供するように手配いたしました。明後日まではお食事を食堂でお取りください。業務内容についても見直しを上層部に依頼いたしました。これからの予定ですが、本日の業務はすべて停止、研究室で安静にすること、とバイオクラス統括長から伝言をいただいております」


 なんということだ。やらかした。タンザは「くっ...」と唸りながら頭を抱える。大事な業務を一つでも疎かにすれば昇進に響く。それなのに、タンザは体調を崩し、残っている仕事すらすべて取り上げられてしまった。これは大分問題を起こしてしまったと考えてもいいかもしれない。頭を抱えるタンザを、ハクはロボットらしく


「業務内容は変化しますが、これにより研究団ストーンから解雇される、または左遷されるような事態は起きません。ご安心ください」

「...なぜ、『ロボット』がそのような事を?」


 タンザの一言は、今の状況からそのような声掛けがなぜできるのか?という疑問のために放たれたものだった。しかし第三者から聞けばロボットのくせにそんな判断をお前がするな、と聞こえても仕方がない。ハクは今までに何人とも同じようなやりとりを繰り返したのか、エビデンスをタンザに述べる。


「過労により倒れてしまうという状況は、バイオクラスに限らずどこの管轄でも起こってしまうものです。決して個人の責任ではありません。各々の能力を上層部に責任がございます」

「...結局うちの能力不足っちことか」

「そうではありません。ヒトには向き不向き、適正と適応力の差異がございますので。組織というのは差異がある者同士を嚙み合わせて構築されています。個人に対し能力以上のことを任せるにはリスクが伴います。そして事柄ごとに、適正を持つ人間が必ず組織内にいます。適性を持つ者を見定め、任せ、達成まで管理するのが上層部の仕事である、という話です」


 フォローされたと思ったら自身の能力不足を突き付けられたタンザに、全くフォローにならない説明を行うハク。ロボットはやはりロボット。ヒトの心はわからないのか。タンザは諦め、ベッドから降りる。


「悪い、うちは研究室に戻るよ」

「承知いたしました。申し訳ありませんが、たった今連絡が入りました。『食事を持ってそちらに向かう』と『センター』バリス統括長から伝言です。よって、本日は食堂ではなく研究室までお食事を配膳いたします。ちなみに、説明していませんでしたが専用メニューには鉄分を多く摂取できるように工夫をしております。しかし、お気に召しませんでしたら次の配膳時には要望に沿うようにメニューを構成いたします。お食事毎にこちらからご連絡いたしますので、対応をよろしくお願いいたします」


 ハクはまた深々とお辞儀をする。タンザはそのヒトのようでヒトでない動作に何かの気味悪さを感じ、速足で医務室を出た。ハクはタンザが出ていった扉を横目に、ベッドメイキングにとりかかった。


 タンザが研究室に戻ると、PCには一通のメールが届いていた。内容を確認すると、今担当していた講義の引継ぎ依頼だった。さらに言うと、その依頼者は驚きの人物だった。


『もし資料等を用意していたら送ってほしい。体調に気を付けて。 ジル』


 ジル、とはつい半年前に話したかった、気になる研究に着手しているタンザの先輩が研究団ストーンで名乗っている名前である。図らずも、ここで先輩とのつながりを持つことが出来た。最悪な再会ではあるが。タンザはすぐに、講義で使用しようとしていた書類一式をメールに添付する。メールを送り終えたとき、コンコンと扉をたたく音が響いた。バリスが来たのだろう。すでに時刻は夕刻だった。


 扉を開けると、マリンと一台のロボットが入ってきた。配膳ロボット『エイル』だ。バイオクラスで実際に成功例としてひとつの研究に有終の美を飾ったロボットだ。配膳だけでなく、ハクとの連絡も請け負っている。いわばハクの分身と言っても差支えはないが、このロボットの最も優れた点は、ヒトの普段の生活における動作を記録し、体調を推察することができる点だ。つまりは、このロボット内に複数のカメラが搭載され、そのカメラは各々の角度から対象者を観察する。特にヒトの表情、目の動き、表面温度に注視し、ハクが登録した診察カルテのデータとも照らし合わせて現在の体調を判断する。その上でハクが行ったように軽い診察を行うのだ。この『エイル』は外部にも既に公開しており、多くの病院で活用されているらしい。


「食事を食べながらでいい、色々話そう」

「バリスが来るんやなかったん」

「ああ、その予定やったけど俺が引き受けた。あいつだと小言やばそうだしな」


 たしかに。タンザはエイルから食事を受け取り、仕事用のデスクに置いた。マリンはその向かいに座り、エイルに「悪い、水貰えるか?」と問いかけ、エイルは手際よく紙コップをマリンに差し出した。既に水が入っている。「水と塩分補給液ならこいつは出せる。清涼飲料水コーラとかはこっぴどく叱られるから頼まない方がいい」とマリンが言う。タンザは炭酸系のものや甘い飲み物は好まないので、怒られることはあんまりないかな、と考える。


 出された食事は意外にも白米にハンバーグとサラダ、コンソメスープというお子様が大変喜びそうなものだった。「まずはたらふく食えっちことか」とタンザは納得した。タンザがハンバーグを一口サイズに切り分け、口に含んで「味付け、いいな」と綻んだところでマリンが質問する。


「うまくやっていけそう?研究団此処で」

「心配なん?」


 タンザはもごもごしながら質問返しをする。マリンは「ああ」と苦笑いをしながら水を飲み干し、空いた紙コップをエイルに渡す。エイルは紙コップを受け取り機体内に収納すると、カランと何かが落ちる音がした。機械の中はゴミ箱のようになっているのか。


「前にさ、人は生き返れるか、みたいな質問してきたやん、それこそどういう意味やったん?」

「本当にただの質問や。お前、前にバリスに言ったやろ。おかげで俺『変な事吹き込むな』ってめちゃくちゃ怒られたわ...」

「お疲れ様」


 タンザはコンソメスープに口をつける。あっさりしていてタンザはとても好きだった。専用メニューでなくとも、日頃から飲みたい。


「俺、自分の仕事が終わったら自分で研究所を建てようっち思っとる」


 マリンは頬杖をつき、エイルに目線をやる。エイルの開発にはマリンも少し関わっていることを、だいぶ前に見たバイオクラスの研究実践報告書を見たときに知った。『センター』の人間はメカトロやバイオクラスの研究にサポートとして入ったり、または共同研究を行うことが多いが、マリンとしては初めての共同開発だったようだ。(以前マリンとたまたま鉢合わせた時にエイルの話になり、聞いた)

 マリンは正直、高校時代は親友だった人物と以外は話をしないような、タンザとまた別のタイプではあるものの『コミュニケーションを自ら取ろうとしない』点では同じだった。そんなマリンが誰かと何かをする、というのは苦手なのではないか。高校時代の部活では、副部長としてうまくやっていたようだった。代わりにその因果か、それとも『あの子』が絡んでいるのか、マリンと『その親友』は疎遠となり、親友は転校してしまった。タンザには彼らに何があったのかは知る由もなく、親友の行方はタンザにもマリンにも、多分『あの子』にも分からない。今の将来展望は、マリンも誰かと何かをしなければならない、という窮屈な環境から離れたいという願望故なのかもしれない。


「いいんやないん。うちは応援するよ。空いたポストにうちが就くわ」

「多分お前も出ていきたくなると思う」

「だから、うちはたとえどんな仕事でもやって権力を掴みたいんよ」


 タンザが否定するも、マリンは恐ろしいほど悲痛な声を上げる。本当に低く、小さな声で。


「ずっと、高校ん時のことを引きずって生きていたくは、ないんよ」


 どういうことか、タンザは訊く。マリンは手で顔を覆った。


「ダイヤが此処にいる理由は、『あいつ』のためや。あの時、あの場所高校で何があったのかを知っとる人間の中で、ダイヤが一番『あいつ』に縛り付けられとる...いや、縋ってるんだ、あいつともう一度会いたい一心で。でも、あいつは確かに死んだ。そうやろ?タンザは、わかっとるやろ」


 タンザは「そうやな」と食事の手を止めて応えた。やはり、『センター』で行われていることはマリンの言う『あいつ』...つまり、高校の時に散った『あの子』を何とかして生き返らせるためのものなのだろうか。しかし、それらの方法はすべて『あの子ではない何か』を生み出すだけに過ぎないことを、一番ダイヤを近くで見ているであろうマリンは理解していて、バリスはきっと責任感が強いから、マリンの感じる其れも理解した上で、ダイヤの苦しみと熱意を共有しているのだろうか。彼らの友情と関係性は、『あの子』を土台として構築されている。『あの子』が死んだ本当の理由、彼らに何があったのか、タンザは同じ部活ではないため知ることができない。もっと言うならば『あの子』が亡くなる前日に笑顔で会話を交わしている。『あの子』が死ぬまで、何もわからなかった。彼らに『何か』があったことすら。ダイヤと『あの子』が喧嘩しているのは知っていて、それは単なる日常の一コマだと勝手に解釈していた。ダイヤ自身にはそれが彼女の死を以って足枷となり、『あの子』という存在から離れられなくなってしまったのだろう。


「俺の親友は、『あいつ』を庇ったんだ。高校2年の時、ダイヤが嫌がらせをして、それを止めたのが親友やった。ダイヤはそれが気に入らんくて、『あいつ』ではなく親友に嫌がらせをはじめた。結果、親友は耐えられんかった。親友が転校したと知らされたその日、『あいつ』がダイヤをぶん殴ったんよ」

「割と、意思がはっきりしてる子やもんね。ダイヤの嫌がらせも余裕で無視してたし。お前の親友が、ちょっとしゃしゃり出ちゃった感じはあるけどね」


 いじめは良くない。ダイヤと『あの子』の関係性は一歩間違えればいじめと捉えられかねない。小学校、中学校は仲が良かったのに、高校ではこんな感じなんだと『あの子』が苦笑いしていた。部活でちょっとしたいたずらから怒った時は割ととんでもない嫌がらせをしたり、教員側が仲裁したときもあった。ダイヤと出会ってから腐れ縁な『あの子』は耐えられるだけの根性を持っていたが、『あの子』に好意を寄せていたマリンの親友は見ていられなかったようだ。マリンの親友は、タンザと『あの子』を引き合わせてくれた恩人でもある。おかげで、同じ学科クラスに居る同性のクラスメイトと馴染めなかったタンザであったが、『あの子』とは学科クラスこそ違えど気の合う友人として交流を持ち、『あの子』がいなくなるまで楽しい学校生活を送ることができた。『あの子』は人間関係における好き嫌いもはっきりしていて、タンザ自身に「大好き!」と言ってくれたこともある。尊敬する先輩がいる土地に行きたいと、大学進学をする上で「大阪に行きたい!」とも言っていた。高校3年生の夏休み。彼女はダイヤとの険悪な仲故に部活に行くよりは、タンザと二人だけの教室で大学受験に向けた数学の勉強をしている時間が多かった。彼女が死んだ日は、たまたま彼女が「ごめん、用事ある!」と言って先に帰ってしまった日だった。引き留めていれば死ななかったのか、は思っていないことはない。しかし、彼女は『自殺』した。彼女が死を選んだ理由ははっきりとは分からないが、彼女の選択を否定したりはしない。


 しかし、「死ぬ前に一緒に笑いたかった」とは思う。不謹慎だが、死ぬなら自分もついていきたかったと思うくらいには、『あの子』が好きだったのかもしれない。しかし、それからもう数年も経つ。今更『あの子』を追いかけるつもりはない。天寿を全うして、『あの子』に笑い話を沢山すること、自身の武勇伝を語ることが目標だ。こうして『あの子』の死を受け止め、前に進むことができている人間と、ダイヤのように前に進むことなく、ひたすら何かに縋りつく人間が、この研究団ストーンに存在している。


「ダイヤはぶん殴られて、めちゃくちゃ怒ってた。けど、『あいつ』は意に返さんかったんよな。ダイヤをぶん殴ったことが教員にばれて、『あいつ』は生徒会役員から外された」


 マリンの親友が転校したのは高校2年生の秋頃だった。『あの子』とタンザは同じ生徒会役員で、『あの子』はその意志の強さから生徒会長に立候補しようとしていた。しかし、立候補の締め切り日前日、タンザは『あの子』から「ごめん、問題起こしちゃって、生徒会やめる」と言われたのだ。タンザは何を今更!と理由を問いただすも、『あの子』は「ごめん」としか言わなかった。数年越しに、彼女が生徒会を辞めた理由を知ることができた。タンザにとっては晴天の霹靂であったが、理解はできた。


「ひどいな、先生たちも。あの大人たち、いなくなった後で『彼女だったらすぐに動いてくれる』とかひたすら愚痴ってたのに」

「あの年の生徒会選、割と大人の事情が絡んでたやろ。『あいつ』をなんとかして落とせないか粗探ししてた時にダイヤとの一件だったからな」


 思い返してみれば、あの年の生徒会選挙では、続投したのはタンザのみで、後のメンバーは全員新任となった。おかげで何をするにも経験がない人達の集まりになってしまい、教員の指示に従うだけのお飾り集団となってしまった。タンザに降りかかった責任や仕事も非常に重たくなり、気苦労が絶えなかった。『あの子』が生徒会を離れて以降も愚痴を聞いてもらっていたが、もしかしたらその行為が彼女を傷つけていたのかもしれないとも思う。


「しばらくしてダイヤと『あいつ』は普段通りになった、けど、『あいつ』はダイヤと絶対に必要以上に関わらんくなった。ダイヤが不満に思って『あいつ』にちょっかいかけ始めるんもそう時間はかからんかった」

「ダイヤはさ、結局『あの子』が好きやったんよね」


 はあ、とタンザは呆れる。好きな子にちょっかいをかける男子小学生。高校時代のダイヤは明らかにその類だった。そんな彼は研究団ストーンでの研究を通し、いずれ彼女に再び会えるかもしれないという希望を持って生きているのだ。なんとも痛い話である。


研究団ストーンに先に入るのを決めたのはダイヤで、俺とバリスはそれについていく事にした。俺たちも『あいつ』に対して負い目があったというか...」

「単純にダイヤが悪いやん。何でお前らが負い目を感じるん?いじめの傍観者だったから?」

「ダイヤに正しい言葉をかけてやれなかったと思う。『あいつ』と喧嘩してる最中も気に留めなかったし、を俺とバリスに吐いていったからな...」

「...?」

「『一生忘れないで』...と」


 マリンは恐ろしいあの日を回顧する。タンザには、彼女が言ったらしいその言葉の本意がわからなかった。いや、正しくは候補は2つほど脳内に挙がっており、どちらが『あの子が言いたかったこと』なのかがわからない。片方はマリンとバリスを救済する意味にもなるが、もう片方は今『あの子』に縛られている者全員がさらに深い沼に突き落とされそうな意味だ。前者であることを勝手に祈る。しかし、どちらが真意なのかは彼女亡き今、知る術はない。


「ダイヤが『あいつ』に対して正直になれなかったのは好意だけじゃなかった。『あいつ』の意思を貫く姿勢に対して尊敬しとったのも事実。その姿勢を崩さなかったから死を選んでしまったのも事実。『あいつ』に死を選ばせるような状況を作ったのは俺たち。でももう、解放されたいっち思ってしまう...」

「『あの子』がをお前らに渡したのはわかった。うちが言うのもおかしいけど、。そしてお前がここを出ていこうと『あの子』は何とも思わんよ。お前がダイヤを見捨てても。忘れないで、っち言うのはお前らが犯した罪に対してであって、どれほど善行と贖罪を積もうとお前が生きている限り忘れていい時なんて訪れんわけ。だからお前が何をしようと勝手やけど、また。『あの子』もきっとそれが言いたかったんよ。縛り付けたいわけではないはず」


 タンザは再び残りの料理に手を付ける。マリンはどこかほっとしたような表情をしつつも、覆った手は動かさぬまま、当時を振り返る。マリンの話は、『彼ら』と『あの子』しか知らない何かを含んでいる。タンザにとってそれは、彼女が何を抱え死を選んだのかを知るための良い材料だ。


「バリスは此処での仕事が普通に合っとったみたいで、きっと『あいつ』から吹っ切れとると思う。俺は、『センター』でやってる仕事のすべてが『あいつ』に繋がると思うと怖くて仕方ない、いつか本当に『あいつ』が蘇るんじゃないかっち思うんよ」


 悲痛な叫びを前に、タンザは今まで知ることのできなかった『彼ら』と『あの子』の間に起こった出来事を知ろうと決意した。そもそもダイヤと『あの子』がなぜ喧嘩をしたのか?彼らはその時二人にどう接していたのか?タンザが「あのさ」と口を開いた瞬間、タンザの業務用携帯に着信が入る。業務用携帯には連絡先登録を自身で行わずとも研究団ストーンの関係者は全員名前と所属が表示されるようになっている。タンザの携帯にも、発信者と証明写真のような人物アイコンが表示されている。


『バイオクラス ジル』


 マリンに「すまん」と一声かけて着信に応じる。通話越しに聞こえる声は高校振りの懐かしい声だった。


「久しぶり、そしてお疲れさま。講義が無事に終わったから、その連絡を」

「...お久しぶりです。そうですか。迷惑かけて申し訳ないです」

「いいよ、大丈夫。とりあえずゆっくり休んで。また声をかけるよ」


 ありがとうございます。とタンザが礼を言うと、通話はぷつりと途絶えた。ただの仕事終わりの連絡だったらしい。本当はタンザの仕事だったのに、急にやってもらって申し訳ない。しかも思いもよらない展開で、話を聞いてみたかった先輩に自分の尻ぬぐいをしてもらってしまった。通話の相手がわかるのか、マリンはタンザの目を見て口を開いた。


「ジル先輩も、『あいつ』に縛られとるよ」


 タンザは先輩と『あの子』の因果関係がうまく想像できない。先輩は誰かに対して突出した感情を持つことがない、どちらかというと誰とでも分け隔てなく接し、執着はしなさそうな人だ。そんなところに『あの子』は惹かれていたが。


「ジル先輩は『あいつ』が死んだ1週間前に『あいつ』と大阪で会ったらしい。その時に色々話も聞いたんだと。『あいつ』は最終的に納得したような顔でこっちに帰ってったらしいが、その1週間後に訃報を聞いて驚いたと」

「...ああ、そういえば」


 そういえばそうだ。『あの子』はあの夏に2日間だけ大阪に滞在していた。大学のオープンキャンパスがあるとかで、学校も休んでいた。(学校の特性上、県外の大学に行く人間が滅多にいないのでちょっと校内がざわついていたと思う)

 帰ってきて早々、「いいことあった!」と嬉しそうに言っていた。先輩と会ったとも聞いていたな。串カツを一緒に食べたって、写真は撮らせてもらえなかったが楽しかったと言っていた。タンザ自身は先輩の卒業後は特段連絡もしていなかったので逆に『あの子』が先輩の卒業後も連絡を取っていることに驚いた。


「先輩がお前より1年前に此処に来たって話は知っとるやろ」

「ああ」

「ダイヤが誘ったらしい。一緒に仕事しませんかって」

「あの二人って、あまり上下関係なさそうよね」

「"大会"でダイヤに負けとるけ。何も言えんのやろう」


 彼らの部活メンバーが出場する大会で、先輩チームはダイヤのチームに負けてしまったらしい。どちらも上位入賞はしたが、ダイヤの方が成績上位だった。


「ジル先輩の研究内容は正直に言って常軌を逸しとる。お前、自分の身体が蛇になったり、蝙蝠になったり、想像できるか?」

「なんでそんな爬虫類ばっかり」

「何となく、俺の頭にすぐ思いついたやつ」


 マリンはエイルに「もう一杯、水が欲しい」と頼むとエイルは即座に紙コップを提供する。マリンがコップを手にとったところで、再び口を開く。


「先輩のは『身体』という抜け殻に命を吹き込むことを100%成功させることが最終目標やけん。その命は、今ここに存在している俺とお前みたいなのもそうだし、『存在しない命』も含まれる」

「...はあ?『存在しない命』?」

「ああ、本来は同じヒトから生まれるはずの命を、科学の力で創ろうね、という研究も並行して行われてる。その研究を受け持っとんのが、俺。俺が創った『命』を、先輩は先輩の創った『身体』に吹き込んでる。母親の胎内で起こるべき事象を神秘的でも何でもない科学の世界でやっとる。外にバレたら一定数の機体はあるだろうが批判の方が大きいだろうな」

「...そんなに喋って、大丈夫なん。外に漏れたらだめだったんじゃ」

「その点は大丈夫やわ。エイルには盗聴機能もついてて、盗聴できるんはダイヤとバリス。エイルの機能に情報を漏らした人間を即座に通知するシステムも入っとって、それが作動してればすぐに『始末屋』が来て俺もお前もサヨナラバイバイっち訳。それがまだ来んっちことは、ダイヤもバリスも許容してる」


 マリンがそう言うと、エイルの目と言える部分が赤くちかちかと光った。「どうやらばっちり聞かれとるな」マリンはエイルの裏側にある操作盤を開け、一時的にエイルの通信を遮断する。エイルは脱力した姿勢になる。


「これだけは言わせてほしい。お前には色々と知る権利があるっち思う。今俺が話をできたのも、ダイヤとバリスがいずれ自分の口からお前に話をしようと思っとったからやと思うわ。お前は熱中しすぎるとすぐ限界超えて倒れるし、権力に固執する性格も分かっとる。高校から変わってないんかっちバリスが呆れてた。俺は『今を生きるお前』しか見えてない。何が言いたいんかっち言うと、お前が将来どんな姿を望んでるのかがわからない限り、『センター』にも誘いづらいし、俺もお前にここを出た方がいいと強く言えない。ダイヤは『あいつ』にもう一度会うために、バリスはわからないが罪悪感もあるかもしれないし、何より自身の能力を活かせる場所として此処に留まってる。俺は償いの場所として研究団ストーンを選んだ。センターに行きたいだけなら...もし仮に俺らが此処にいて、疎外感を感じるから一緒に仕事をしたいだとか、そういう考えや気持ちなら、『センター』には呼ばない」

「…研究とは何かを研ぎ澄まし、極めること...ある意味お前らはこれに沿ってるってわけ」

「お前が単に人を救いたいだけなら他所の方がいい。博士の称号が欲しいなら大学に行った方がいい。ここは、『あいつ』を主軸にした狂った集団なんよ。ダイヤとミスター・ストーン、俺とバリス、ジル先輩という『あいつ』に何か思うところがあるやつらが、関係のない研究者たちを巻き込んで世界を変えようとしてる。『あいつがもういない世界』を、だ。俺はもうその計画からは外れたい。自分のやってることが恐ろしいんよ」


 タンザは『ミスター・ストーン』の名前が出たことが引っかかった。彼と『あの子』にこれまた何の関係性があるのだろう。タンザの疑問を察したマリンが答える。


「ミスター・ストーンはこの研究団の立ち上げ人の一人で、『あいつ』の父親や」


 マリンが言い終わった直後、突然エイルが再起動する。目が赤、青、緑と点滅し、音声が流れた。


「強制起動を行いました。現状報告を行います。現在位置情報、周囲の状況確認、前回の最終データ送信ポイントからエラーを推測、”メインバッテリーの充電切れによる動作停止”と判断しました。指令通り、引き続き業務を遂行します。業務遂行後、メインバッテリーの供給を行うため補給ユニットまで移動します。この後予定していた業務データを他機体に依頼します」


 マリンはタンザの座る椅子の横に移動し、タンザに耳打ちする。


「俺は開発に関わってた。だからある程度エイルは”使える”んだ」


 どうやら小細工を施し、聞かれたくないことはようだ。マリンはタンザから身を離すと、「今日は戻る。明日の朝に今後の業務内容が届くはずやわ。それまで安静に。エイルを通して医務室の診察を受けてくれ」と先程までの深刻な表情が嘘かのようににこやかに声をかける。それじゃ、とマリンが部屋を出て言った直後、エイルから先程の音声とは別の声が流れ出す。


「こちら、医務室。医務室担当のハクです。タンザ様、本日夕刻の診察を行います。現在の体調はいかがですか」


 タンザはハクに聞かれる質問に淡々と答えていった。しばらくすると診察が終わり、ハクの「ありがとうございました。安静に」という音声とともにエイルは動き出し、自身で扉を開けて部屋を出ていった。かなり濃い話を聞かされた。ジルの研究は特に興味深い。彼はその研究と『あの子』をどう結び付けているのだろうか。タンザは明日の業務内容次第では、ジルと何とか接触する時間を作ろうと目論んだ。


 しかし翌日、言い渡された業務内容は半年間の医務室業務だった。バイオクラス管轄の研究「メディカルロボットの開発」のサポートに回れ、ということだった。受け持っていた講義はすべてジルに委託され、余計にジルは多忙になり、向こうからこちらに連絡してくる可能性はほぼ無いに等しくなった。では、タンザから赴こうとしても、忙しいというよりは医務室に『拘束』される時間が多く、抜け出せそうにない。業務内容はメディカルロボットと共に医務室に来る者たちの体調管理とそのデータ収集である。収集されたデータはエイルやハク達の行動パターンを精微なものにするための材料となるらしい。このデータによって、彼ら『ロボット』がより多くの状況下で自身で判断して活動できるようになる。


 タンザは大人しく業務に従事することにした。医務室ということは、あの三姉妹の一人と関わることになる。以前タンザの癪に障る一言を放ったあのロボットに、タンザはあまりいい印象を抱いていなかった。


 業務開始初日。ハクから医務室のあれこれを教わった。外傷の手当なら道具類はこの棚に、内服薬はハクが用意するため触らない、エイルのメンテナンス用道具はこの箱の中。ハクは淡々と説明していく。タンザはこの医務室を普段は彼女のみで切り盛りしている事実を目の当たりにし(と言ってもタンザ自身も介抱してもらったのだが)、『ハク』という発明はかなり世界を震撼させるのではないかと思った。彼女ら『シロイロ三姉妹』は3人いたはずがうち2人を喪ったために、発表どころではないらしいというが、果たして2人がいなくなったことが、外部に『ハク』を出さない理由になりえるのだろうか?


「タンザ様。最後に申し伝えたいことがございます」


 ハクはエイルのメンテナンス道具から目を離してタンザの目を見る。ハクの目は以前のタンザの診察のように、ハイライトが点滅している。


「余計な詮索はされませんよう、お願いいたします。そして、まだタンザ様は病み上がりで経過観察と専用メニューの提供も引き続き行います。お食事の時間になりましたら必ず業務を離れていただきます。朝の診察は業務開始時に、昼の診察はお食事から戻られた際に、夕刻は研究室宛に入力フォームをお送りしますので、そちらに回答をお願いします」


 タンザは面倒だ、という顔をする。ハクはそれに気づき、付け加える。


「ヒトの身体は刻一刻と変化します、良い方にも、悪い方にも。研究団ストーンで働く皆様は大切な"家族"です。私はタンザ様も含む、"家族"を守る義務があるのです」

「すごいな、プログラムされてんの」

「私は私の意思で話をしております。初めから誰かに構築された会話パターンなどはありません」

「うーん、そういうところも人間らしさを表しとるん?誰が人格プログラムを組んだ?」

「ですから。私は私の意思で話をしています。それ以上言うと...」


 刹那、タンザの首に冷たいものが当たる。いつの間にタンザの後ろに回り込んでいたエイルが長い刀のようなものをタンザの首にしている。当たっているのはまさかの先端だ。まだ刺さってはいないがあともう少しエイルが刀を突けば皮膚がぷつりと破れてくるだろう。恐ろしいことをしやがるものだ。タンザは「はいはい」と呆れると、エイルは刀を仕舞い(このエイルには戦闘機能がついているのか!?)、代わりにピコピコハンマーを取り出してタンザの頭めがけてぶん投げた。


「いってえ!!!!?!?!?」

「そのエイルは他のエイルよりも特別で、自身を守れる能力を備え付けられています。しかしそういった機能は必要ないとのことで、エイルに対する能力付与...『拡張オプション』の開発は止まりました。彼はプロトタイプ。今研究団ストーンに残る最後の戦闘にも対応できるエイルです」

「なに、戦地もそうだし、介護施設や病院内のちょっと狂った患者を押さえつける用?」

「間違ってはいません」

「介護する人間も助かりそうやね」


 エイルはすーっとハクの隣まで移動する。よく見たらこのエイルは胴部に灰色のラインが入っている。他のエイルにはない。識別用だろうか。


「タンザ様、これからよろしくお願いします」


 ハクが深々と綺麗なお辞儀をする。エイルは目を赤色に光らせる。なんだ。威嚇のつもりだろうか。さしずめ、このエイルはハクの番犬といったところか。


「こちらこそ、いろいろと教えて下さい」


 タンザは頭をかきながらはにかんだ。


 その日の業務を終え、タンザは夕食を食べに食堂を訪れた。実のところ、タンザの業務時間終了前に1台の故障したエイルがやってきて、タンザがメンテナンスを施していた。そのエイルは内部のいくつかの配線が切られており、それはマリンが前にやっていた『聞かれたくないこと』を話すために弄った個所でもあった。しかしマリンは配線など切ることなく、単純な操作(手元が見えなかったので詳細は分からないが)で通信を切っていた。しかしこのエイルは配線が切られた直後に通信機能の復旧ができなくなったようだ。エイルの最終データ送信ポイントは不明になっている。これはハクによると「『センター』の業務エリア内であった場合、エイルの通信システムは一部を除きほとんどがオフになります」ということらしい。『センター』の中で何者かに線を切られ、緊急動作パターンの一つ、医務室に直行というのが働いたらしい。タンザはメカニック専門ではないが、まあこのくらいのハードウェアの修理ならできる、とメンテナンスを請け負ったのだ。修復後、エイルの目がピンクに点滅した。初めて見る色だが、ハクに「ありがとう、という意味です」と教えてもらった。こうやってお礼も言えるのか。タンザは感心し、エイルの頭を撫でた。エイルは通常通りに戻ったのか、「最短ユニットまで帰還します」と言って医務室から出ていった。


 先述のようないきさつがあり、タンザは夕食の時間が遅くなってしまった。おかげで食堂はがら空きだった。しかし、一人だけ食事を摂っている人物がいた。


「あ、バリス...」

「...体調は戻ったんか?」


 バリスはカトラリーをトレイの上に置き、口を拭いてタンザを見る。タンザはもしかして怒っているかもと焦りながら「ああ、な、なんとか」と答える。冷汗が止まらない。


「そんな焦らんでも怒らんし、お前のミスやから俺はなんも困らん。それより、ほら」


 バリスが指した先にはエイルがタンザの食事を持って待っていた。タンザがバリスの向かいに座ると、エイルが机の上に食事を置く。


「タンザ様、お待ちしておりました。ごゆっくり」


 エイルが厨房に戻ってゆくのを見送り、タンザは改めてバリスを見る。タンザの繭は下がっており、バリスに対しやはり申し訳なさがぬぐい切れない。確実に何か迷惑をかけている。タンザはそう確信していた。


「お前はここに来てまだ1年も経ってない。それを加味すると仕事の量は適切ではなかった。バイオクラスの統括長も過信しすぎたと反省している。要領もいい方ではない」

「...はは、言うやん」

「事実だろ」


 バリスはため息をついた。

 タンザは今日の食事のメインディッシュであるグラタンを掬い上げながらバリスに話しかける。


「なんでうち、医務室勤務?」

「ドクター・エンジニアだろ。やっとそれらしい仕事が来て良かったやんか」


 まあ、それはそうかもしれないとタンザは呟く。今日勤務してみて思ったが、意外と仕事自体は面白い。体調が悪いとやってくる研究員と話ができるのももしかしたら今後役立つかもしれない。そして特異型のエイルにも出会うことができた。不満はないが、なぜ割には好待遇だったのだろう。


「部下が倒れたというのは上司の責任だ」

「ハクと同じこと言ってる」

「そうか」


 再び厨房のエイルが席にやってくる。バリスの食器を片付けに来たようだ。バリスはトレイを手渡し、エイルは再び厨房に入っていった。


「すごいなあ、ハイテク」

「当たり前だろ。ここは先端技術研究団だ」

「わかってるけども」

「ところで、マリンと話をしただろう」


 話が急に変わるものだから、タンザは「え」と硬直してしまった。声も裏返った。


「いやなに、問いただすわけではないんやけど、あいつに何か言われたか?」

「い、いや、なにも」

「…そうか」

「バリスとマリンっちもしかしてあんまり話さんの?」

研究団ストーンに来てからは、話をする機会はあまりないな。お前が倒れた後の始末は自分がやると言ってきたのは珍しい」

「高校の時はそんなでもなかったやん」

「あのなあ、たかが4年とはいえ、人は変わるんよ」

「外部の人との交渉のし過ぎで方言が薄くなったり?」

「...そうやな....それは否定できない」


 バリスは思わぬ指摘に面喰い、戸惑いを見せた。


「マリンはもともと仲のいい親友がいたし、高校の時だって部活以外でマリンと話をする回数は割と少なめ」

「あれ、そうやったっけ...」

「マリンは知ってる通りコミュニケーションとるような奴じゃなかったやん。今お前を気にかけてるのがまじで理解できないくらい」

「親切に色々教えてくれてありがたいわあ」


 タンザはあっはっは!と特徴的な笑い方をするが、逆にバリスはこの笑い声を聞いて安心したような表情になる。


「お前って、変わっとらんよね。それでいいと思う」

「お前らが変わりすぎなだけでは?」


 タンザがそういうと、はあ、とバリスがため息をついた。その表情は依然として安堵に包まれている。


「俺は罪悪感でこの場所にいるわけじゃない。ダイヤはマリンも思ってる通りの執着、マリンは本人が言った通り。俺はマリンも言ってたように自分に此処での仕事が向いてた。けど...最近はステップアップも考えとるよ」

「ステップアップ?」


 タンザが首を傾げると、バリスが机に肘をつき、顔を半分手で覆う。そして、タンザの目を見た。タンザは顔を訝しげな表情に変えながらコップを手に持つ。


「トリルノース市長選に出ようかと」


 タンザはちょうど水を口に含んでしまっており、予想にしない宣言をされて吹き出してしまう。あたりに水しぶきが散り、バリスも思わす身体を反らした。


「...急に!?」

「マリンも此処を出たいって言ってたやん。俺も同じ」

「みんな出たがっとるやん...」

「それぞれやりたいことや思うことがあるっちことよ。お前やジル先輩のように研究団ストーンに入ってくる人もいれば俺やマリンのように出ていこうとする人だっている。全員自分の意思で判断してる。あともう半年すればお前もきっと『センター』に呼んでもらえるだろ。俺はもしかしたらその時には市長選で忙しくていないも同然かもしれんが」

「選挙はいつから?」

「来年の1月末に候補者が公開される。その前に手続きがあるな。選挙日は2月。その前に選挙活動もある。忘れずに選挙に行けよ」


 タンザは「ふーん」と感心する。バリスは割と真面目に市長選に臨むつもりだ。誰か選挙活動を手伝ってくれるのかと聞くと「1日だけ応援演説をダイヤがやってくれるらしい。選挙カーとか、ビラ配布とかのボランティアも結構やりたいって言ってくれてる人がいる」とバリスは答えた。意外と順調らしい。


「選挙活動に使うもんとかも、もうそろそろ用意しなくちゃいけんから、研究団ストーンでの仕事もセーブしてる。もしもの時のためにも用意しなくちゃだしな」


 バリスが仮に市長になったとなると、当然研究団ストーンを離れることになるため後任が必要だ。バリスは既に候補を見つけているような口ぶりにも感じられた。


「俺の仕事はエンジニアやドクターでもない、雑用係だからな。残念ながら優秀な奴ほど腐っていきそうな役職ではあると自分で言うのも何だが、そう思ってる」


 はは、と笑いながらバリスは話を続ける。


「ジル先輩はやっと自分のやってみたかったことが大成しそうだと言っていたし、お前は会ったことないと思う、ラリマー先輩っていうのがメカトロにおるんやけど、先輩もいつかは此処を抜けて教員になりたいっち言ってたな。元々教員志望やったけど大学卒業して奨学金も割と大変だからって言って就職先に此処を選んだらしい」


 研究団ストーンであれば食住は保証される。(「衣」に関しても研究団ストーンに居れば同じような服しか着まわさないのである意味保証されているとも言える?)さらに給料もそこそこ高い。それは新卒にも同じことが言える。もっと言うならここで働いているとお金を使うようなことをする時間がない為に自然とお金が貯まる。その先輩は奨学金も余裕で返せているだろう。タンザ自身は大学在学中は実家暮らしであったし、両親に学費も含む諸経費はすべて支払ってもらった。遊びに行くとかの遊興費だけは自分のアルバイトで賄っていた。(これがまた実に高く、タンザはよく絵や漫画を描くのだがそれに必要な道具類を揃えるのにお金を大量に使っている。今思い返せば、最近絵を描いていないな、落ち着いたらまた研究室に道具を揃えるか...とタンザは改めて思う)そのおかげでタンザの口座には4月からの給料がいまだにほぼ手付かずで残っている。親に送ろうとも思ったが親からは「また落ち着いたらご飯に連れて行ってね」と断られてしまった。バリスの言う先輩は、自分と同じように4年制大学を卒業してから研究団ストーンに来たそうだ。


「まあなあ、もし希望があれば、このポストをお前に譲ることもできるしなあ」


 バリスがにやりとタンザを見る。タンザは「雑用っち言っても、うちが業務改善すれば好きなことし放題な気もするなあ!」と期待した。バリスは「ま、頑張れ」と言いながら席を立つ。


「あ、そうだ」

「...どうした、タンザ」

「ハク、あの子ってどうやって生まれたん?誰が造った?」

「『シロイロ三姉妹』はあの超有名な産業ロボットメーカーとの共同開発だ。今は新型機も開発中。どっちも研究団うちの担当者はコンゴウという人物だ」

「それはどこに在籍しとる?」

「メカトロ在籍だ。お前が請け負っていた講義にいなかったか?」


 残念ながら、タンザは講義に出席してくれていた人間の名前を把握していない。名簿こそ電子データで渡されていたが、業務を外れた途端データへのアクセスが拒絶されてしまった(当然と言えば当然である)ため、今から確認することはできない。


「ごめん、覚えてない」

「そうか、まあそいつとはもしかしたら話ができるかもな。見つけられたらの話だが...ハクは確かにロボットで、中身は高性能AIだが、うちの『ドクター・エンジニア』の一人だ。エイルの修理も難なくこなすし自身の負傷も何とかできる。あとの2体がなぜ"ダメ"だったのか理解できないレベルで優秀だ。原因は調査済みだがプログラム上に欠陥があったとか、ハードウェアとのアクセスにエラーが生じたとか、そんなありがちな理由しか報告されんかったよ」

「1体は行方不明なんじゃ?」

「とは言ってるが、研究団ストーンのどっかにいる。『シロイロ三姉妹』にはGPSが搭載されて研究団ストーン内での位置情報が『センター』で把握できる。医務室からは『2台』のメディカルロボットからの位置情報を受信してる」

「...つまり、医務室に?」

「ハクが片方を匿ってる」

「なぜ?」


 ひどいことをされているとか、そういう事情であれば『センター』が解決する、もしくは『センター』かメカトロがひどいことをしているなら意地でも逃亡するとかしないものなのか?いやしかし、どちらにせよ位置情報は確実に検知されている。逃げ場もない。しかし『センター』側がそれを理解しておいて何もしないのもおかしい。メディカルロボットの管轄は先程のコンゴウという人物がいるメカトロクラスなのだろう。だから『センター』は関与しないのか?そしてハクが匿っているとしてもそれは無駄な行為ではないか…?高性能AIがやることではない気がする。


「残念ながらミスで3体それぞれに識別番号を振り分けていない。GPSに2体分の反応はあるが、3体のうちどれなのかはわからない。やけど、故障した1体はすでに処分済みだから、その1体は三姉妹の三女、『シロ』だろうな」


 タンザは意外と面白いバックグラウンドをあのロボットが持っているということを知り、好奇心が掻き立てられた。


「そのシロ、はなんで隠れたりしてんやろうな?」

「...コンゴウという人物と何か関係があるかもしれないな。特段コンゴウにも所在を知るハクも目立った行動はしていないし、なにか危機が迫ることが起こりかけているわけでもないと見て『センター』は様子見をしてる。行方不明だから必死で探しているように見せかけてるが、実際は所在も分かっとるから」


 コンゴウという人物とは話をすることができるかもしれない、と先程バリスは言っていた。メカトロクラスということは会うのに相応の手続き(いきなり行くと仕事中かもしれない)が必要だ。自身と相手方の都合のいい時間に話を聞きに行こう。バリスは、じゃあまた、と会釈をして食堂から出ていった。食堂を出た後のバリスはどこか愁いを含むような、何か思惑のある表情を浮かべていた。


 バリスと話をして食事を済ませ、遠隔の診察も済ませた後、コンゴウという人物の研究目録を探し出す。当然バイオクラスのタンザはメカトロの目録を閲覧することができない。しかし、連絡先だけは表示させることができる。コンゴウの連絡先をクリックすると、自動的にメール編集画面になった。自身の署名も勝手に打ち込まれている。今日の勤務中にハクから「他の研究者と話をする時間が欲しければ言っていただければ柔軟に対応します。沢山の方から知見を得るというのは重要な事ですし、何より今のタンザ様には必要な事です」と何やら意味深なことを言われた。タンザはこの一言により、予定していたジルのもとへ行くのもそうだが、このコンゴウという人物に会うことも可能になった。問題は相手に時間があるかどうかだ。現にジルは講義が終わるまでは少なくとも依頼しない方がいいだろうと勝手に踏んでいた。講義は11月末に終わる予定だ。とりあえずは、とコンゴウに送信するメールに要件を打ち込む。送信した後、タンザは次の日の業務のために早めに眠りについた。タンザが深い眠りに入った時、PCに1通のメールが届いた。


 コンゴウは企業と共同で『シロイロ三姉妹の新型機』の実証実験中とのことで研究団ストーンにこそ数日に一度帰っているものの寝に帰っているだけのようで、落ち着いて話ができるのは12月の半ばだと言われた。今日はちょうど11月1日だ。1か月半後。やはり誰と話をするにも時間がかかるのか...。物思いに耽っていたら、いつの間にか今日の業務は終わってしまった。(当然食事は取っている)


「お疲れ様です、タンザ様。本日ですがジル様が医務室にお見えになるそうです」

「...は?」

「今来たよ」


 扉が開き、ジルがタンザを見る。タンザがジルと会うのは5年半振りだ。高校の時の爽やか青年は変わらず、綺麗な黒髪とすらりとした体型をしている。身長も高く、白衣もよく似合う。世間一般的に言うイケメンの類に入るだろう。


「うお....おお...先輩...お久しぶりです...」

「はは、硝子しょうこちゃん、久しぶり」

「ちょっと!本名!」

「あ....いっけね、今は...」

「タンザです!」


 突如本名で呼ばれ、怒りと焦りでいっぱいになりながら研究団ストーンでの呼び名を名乗る。


「あ...ああ...”タンザナイト”だよね。いい名前を貰ったね」

「そういう先輩は?」

「内緒だよ」


 "ジル"が含まれる宝石はジルコンだろうか。穏やかな先輩にはよく合っている。そんな先輩は何の用で医務室に来たのだろうか。いや、タンザにとってはいろいろ好都合なのだが。


「体調大丈夫かなって、心配だったよ」

「その件は本当にすいません、ご迷惑おかけしました...」



 委縮するタンザに「いいんだよ」と笑いかけてから、ジルは本題に入る。


「俺がやってる研究とか、良かったら話ができたらいいな」


 タンザは願ってもない誘いに「はい!」と即答する。ハクは「いってらっしゃいませ。タンザ様、ゆっくりお休みください。また明日」と深々とお辞儀をした。エイルがすすっとハクの隣までやってきて、目で「またね」とモールス信号を示した。


 案内されたのはバイオクラスのジル研究室。ジルも他の研究員と違い、合計3部屋が与えられている。1つは生活スペース、1つは事務スペース、もう1つが実験スペースとのことだった。


研究団ストーンって本当に施設も充実してるし、自分の研究室だけで1週間は軽く閉じこもれちゃうからよね」

「最高の場所ですよ」


 ジルは「タンザちゃんにとっては、そうだろうねえ」と微笑む。その表情、『あの子』が見たら”尊死”でもするんじゃないか。それくらい整った顔立ちと朗らかな性格をしていると思う。タンザにとっては、その『分け隔てない、何を考えているかわからない、整いすぎた顔』に何となく嫌悪とまでは言わないが、どこか疑わしさのような、畏怖するような、不思議な感情を抱えてしまう。高校時代もそうだった。


 事務机にはいくつかの研究資料と論文が出されており、タンザが来てくれると見越して用意をしていたようだった。


「座って」


 ジルは接待用らしきソファにタンザを座らせる。ジルは事務机の資料をひとまとめにしてからソファ同士の間にある低めの机に置く。ジルはタンザと向かい合うように座った。


「俺はつい今から1年前に今やってる研究に着手したんだ。前任者はものすごく頭のいい人で、引継ぎ資料もとてもわかりやすかった」

「辞めた理由は聞かなかったんですか?」

「俺は辞めるって知らなかったから。その人と一緒にやるもんだと思ってた。バイオクラスの統括長も知らなかったことで、『センター』から直々に連絡がきたんだ」

「...そうなんですか」


 そんなことがあるのか、とタンザは理解した。その前任者は気でも狂ったのかもしれない。そう言いながらジルはまとめた資料を机の上に広げた。


「まずはひとつめの研究、ヒトの心臓を含む臓器、骨、皮膚、血液、それらすべてが引き起こす現象をすべて人工的に再現させたのが俺の研究。ただ、前任者も俺も、『脳』だけは機械にしないというスタンスを取っている」

「先輩が?誰かに脳も機械にしろー、って言われとるんですか?」

「ダイヤが、どうしてもって。だから、"気でも狂ったのかもしれない"」

「...それ、辞めただけじゃ済まされないですよね?研究団ストーンでこんなことやってますって外にバレたら」

「間違いなく、ヤバいだろうね」


 ふふ、と笑うジルは俯いている。その姿を見るに、何となく前任者の末路が見えた気がした。


「催促はすごいし、やっていることもなかなか恐ろしいことに近いからね。精神も病んじゃうよ」

「何が恐ろしいんですか?"クローン"を造ってるわけじゃ...」

「造ろうとしてるから、恐ろしい」


 タンザが言い終わらないうちにジルは答える。ジルは冷めた目でタンザの目を射た。ひゅっ、と背筋が凍ったような感覚をタンザは覚える。


「あのさ、クローンの製造は禁忌だって言うじゃん。その個体の人権はどうなるとか、オリジナルはどうなるとかさ。死んだ人間を蘇らせるっていうのも、その人の脳をそのまま使えば蘇生だけど、脳すら機械に変えたらそれはクローンだと、俺は考えてる。倫理の問題なんだけどね」


 ジルが資料を指差した。事故に遭った10代の男性。損傷は右足、右腕、腹部。出血多量と臓器がぐっちゃぐちゃになって死亡判定。ここで損傷個所を機械に置き換え、脳とアクセスを図る。この実験は『成功』し、男性は見事復活を果たす。現在は経過観察として半年に1度、メンテナンスを行っている、というような内容が図や身体の観測データと共に記載されている。


「『ドクター・エンジニア』はこういった一部を機械に置き換えた人間のためのもの。タンザちゃんはのドクター・エンジニア」

「今まではシロイロ三姉妹しかいなかったってことですね。この研究にある程度目途がついて、初めて人間を起用しようと」

「タンザちゃんは怖いくらいものわかりがいいね」

「まあ、頭良いんで」


 誇らしげな顔をするタンザに、ジルは「変わらないなあ」と微笑んだ。ジルは話を続ける。


「タンザちゃんが医務室に居るのはいい機会だよ。ハクは良い友人ともだちになる」

「ロボットがですか?」

「シロイロ三姉妹やその新型機は、『エモーションシステム』を取り入れて、常に周囲の人物から行動、表情、言動から学びを得て、自身の『感情』として習得、さらに学んだものをアウトプットすることまで自身で行える。ヒトが当たり前に表現できる『感情』というものを、ヒトと限りなく近い形で使いこなすことができる。ハクがロボットだから感情がない、仕方がないというのは間違いで、正しくはハクの周りにいる人間に『感情』の起伏がない。だから学習パターンが掴めない。今医務室にいるタンザちゃんがモデルになれば、きっとハクは君の大切な友人ともだちに成長すると思うんだ」


 ジルの口ぶりから、タンザを心配しているように取れた。タンザが今も同期と仲良くできていないことも、同じバイオクラスであればジルでもわかるのかもしれない。タンザは情けなさも感じながら、先輩という存在に敬意を表したくなった。この人は確かに誰に対しても分け隔てないが、よく言えば誰に対しても同じくらい心配して、同じくらい好意的なのだ。


「ふたつめの研究が、俺はもうやってないことで、簡単に言えばヒトの意識を交換するって内容。損傷が激しい身体から脳だけを取り出して他の身体...まあ、遺体に移す。これは機械ではなくて、本当に医療科学の分野だよ。前任者はどちらかというとから。特に身体的損傷のないヒト同士の脳を取り替えたり、ヒトの脳をイヌの遺体に移すなんてこともあったみたい。目が覚めたら犬になってました、なんて嫌だよね。イヌの脳って人間よりも小さいからさ、うまくイヌに適合するように試行錯誤したみたいだよ」


 無邪気に笑うジルをよそに、タンザは顔が引きつってしまう。目が覚めたら人間じゃなくなるなんてとんでもない。そんなタンザに、ジルは質問を投げかける。


「タンザちゃん、他の人からも言われていると思うけど、タンザちゃんはこの研究団ストーンで、何を目標にしてる?」

「とりあえずは、上に行きたいんで『センター』を目指してますね」

「『センター』で何するの?」

「今ある研究を引き継いでか、それかヒトの身体を自然治癒できるレベルまでにする薬の開発か...」

「後者なら製薬会社の方がいいよ。前者は良いと思うけど、『センター』の研究は好みに合うかな?」

「好みも何も、何やってるかがわからないのでなんとも」

「そうだよね。『センター』に一度入れば辞めるのは難しいよ。前任者もそう。自分のスタンスを守るために命を懸けた人だからね。俺も、いざというときは命こそ捨てないけど、対処法は考えてるよ。倫理に反することができるかどうか、『センター』でやっていけるかどうかは、この一つで十分判断できる」

「先輩は、反対なんですか?クローンについて」

「そうだね。『あの子』のクローンなんて、きっと俺の周りをうろちょろして鬱陶しいと思うかもだから」

「...先輩は『あの子』が嫌いなんですか」

「いいや、『あの子』はいい子だよ。その偽物が、嫌なだけ」


 先輩は『あの子』に対して鬱陶しさを感じているのかと思ったら、まさかの不意打ちだった。”本物”にはかなり好意がある。それは親愛か、それとも...。


「その人は、たった一人しかいないよね、俺はそう思うからクローンの製造には反対だ。だけど、ダイヤには逆らえないね…」

「先輩はダイヤに呼ばれたんですよね。元々大阪の企業に就職したのに。なんで研究団ストーンで働こうと思ったんですか?」


 ジルはうーん、と首を傾げる。数秒の間を置いて、タンザが答えた。


「実は大阪で面白い子と会ってね。その子はヒトの表情や動きを解析する...『モーションキャプチャ』をやっている大学の研究室に居てね。研究団ストーンに入る前、産学連携の共同研究の時、ある大学に勉強に行ったんだ。そしたらその子に会った。共同研究先の研究室で、一人だけ全然違う研究してるの」

「何してたんですか?」

「感情とロボティクスの関係性とどこまで融合できるのかを研究してるんだと。その研究室が、唯一その子を受け入れてくれたみたいで。共同研究にその子は入ってこなかったけど、俺はかなり気になった。その子は外から測ることのできない内面に興味を示していた。さっきのハクの話を、オブラートに包んでその子に話したら、面白いって言ってもらえたよ。ただ、『そんなにうまくいくなんて、なんだか気持ち悪いですね』ってはっきり言われちゃった」

「なんか、『あの子』みたいですね」

「ああ...本当にあの子だったよ」

「先輩、他の子に『あの子』を当て嵌めたらだめですよ」

「当て嵌めたりなんてしないよ」


 ジルの微笑はやはり綺麗だった。しかし『あの子』の話題であると思うと、マリンの『ジルも縛られている』という以前の言葉が脳裏に浮かぶ。大阪で出会ったその子も、きっと『あの子』のように意思をはっきりと示す子なのだろう。


「実は今年の4月に大阪に行ったらその子はいなくてさ。他の大学院に進学したらしい。まあ、確かに周りとやってることは違ったし、研究場所を変えるのは当然だよね。その子の行先は分からなかった」


 残念そうに言うジルだが、一転して明るい表情で次の発言をする。


「最後にその子と会った時、『どんな姿になっても見つけてみせます』って言ってくれたんだよ」

「急展開過ぎません?どういうことですか?」


 ジルは大事なとこを飛ばしちゃった、と困り顔になる。補足の説明を続けた。


「実はとは言ってないけど、『もし人の姿が多様に変化できたとして、"その人"を見た目で判断できなくなった時、君はすがた・かたちが全く違う大切な人を見つけ出せる自信がある?』って聞いてみたんだ。これってさ、すがたかたちが自分の記憶上にある人物と全く違うを自分の知り合いだ!とか恋人だ!とか判断するのって、『感情論』じゃん。ちなみに、声は違うけど、性格とかの中身は変わってないよっていう仮定もつけてる。この質問に答えたその子が言ったんだ。『人間の中には変わらないものがあると思うから、それを目印にどんな姿になっても見つけてみせます、もちろん、あなたも』って」

「何ですかそのイケメン...」

「男勝りな女の子だったよ。仲良くなれて良かったと思う」

「そこまで言ってくれたのに、行先は教えてもらえなかったんですね...」

「...実は割と気にしてるんだよ」


 ジルは本当にその子がいなくなると思っていなかったようで(というか、大学卒業するのは分かっていたはずなのだから進路くらい聞けばよかったのに、とタンザは思う)、ひどく落ち込んでいた。そんなに落ち込むほど、その子と楽しく話ができたようだった。『あの子』がこの光景を見たら、嫉妬しそうだなとついにやけてしまう。ジルはタンザのにやけ笑いに勘違いしてしまい、「そんなに俺が面白い?」と睨みつけた。


「今年の大阪って、ダイヤと行きましたよね。ダイヤは何してたんですか?」

「ダイヤもその子に会いたがったんだ。だけど会えなかったからダイヤはなぜかひたすらに調べ上げてるよ。大学側に問い合わせても当然教えてくれなかったからね。当時の研究内容を取り扱えそうな研究室を片っ端から調べてる」

「偏見な気もしますけど、大学院って割とインターネットでこれをテーマにしています!って公示してない内容でも、ちょっと自分のやりたい内容のどこかが研究室のモノとかすってればその研究室に置いてもらえるし、研究テーマとして設定できますよ。ただ、担当の教授、かすり具合、テーマの広さに限度があるんで、一概に表向き調べて出てくるとこにその子がいるとは思えないですけど」

研究団ストーンの中だったら、すぐに見つけられたのに、と思っちゃうね。此処は『宝石箱』。此処に呼びたいと思ってたけど、なんだかその子の話を聞いてたら、此処に呼ぶべきじゃない、とも思ってしまう。矛盾だよ」

「先輩がそんなにご執心なんて、珍しいですね」

「自分でもそう思うよ...話を戻すけど、時系列的には研究団ストーンにこの子も来ないかな、と願ってた時には俺は研究団ストーンに所属していたよ。その子と初めて会ってから一か月足らずでダイヤが本社に来て、俺をヘッドハンティングしたんだ。それからも俺は大阪と研究団ストーンを行き来してて、その度にその子と会って話をしてた。研究内容で相談に乗ったこともある。3月には1度会ってるのにな...その時に進路を聞けばよかった。同じ大学の大学院に行くものだと思ってたから。ダイヤの誘いに乗ったのは、いつかこの子が研究団ストーンに来るかもしれないっていう不確定な未来に期待したからなんだ。でも今は、あの子と会えなくなったとかは関係なしに、やりたいことができた。だから此処にいる」

「みんな、研究団ストーンでやりたいことがあるんですね」

「当然だよ。でないと研究職はやっていけないだろ?」


 ジルの言う通りだ。研究職は余程の意思がないとやっていけない。その中でタンザはどちらかというと「偉くなりたい」「上に行きたい」の気持ちで研究団ストーンに居る。学位が欲しいから大学院博士課程に行きたいと言うようなものだ。しかしタンザは、それらしい研究ができれば後は特に望まなかった。


「もし、ぱっと研究団ストーンに居る意味を見出せないなら」


 ジルはタンザの目を見て、提案を述べる。


「『センター』が隠していることすべて、研究団ストーンの研究員全員にばらしてしまうって言うのは、どうかな?」

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