一章 春と石守と花

第1話 家出と青年

 男がのんびりと道を歩く

山道で急勾配の道は、舗装もろくろくされていないが、息一つ切らさずにゆったりとした足取りで歩いていく

 男の服装は一般には見られない、白いひらひらとした羽衣のない天女のような服装をしていて、長く手入れのされた膝まである黒髪をそのまま流している

 足は裸足で、白く貴族のような足をしているのに、山道を歩いて傷めたりしている様子も無い

 空は乾燥していて青空の広がる気持ちの良い晴天、山を歩くには良い天気である

 男の顔はやはり傷ひとつない美人...花に例えるなら牡丹のような真っ直ぐとした、それでいて優しそうな顔をしていた

 だが、そんな顔は今晴天とは真逆の曇り空を呈している

「あいつ...絶対怒るよな...」

 天界から抜け出して早3日が過ぎた

 おそらくあの夏の暑さが染みる弟は、置き手紙を見て執務室の机を叩き割らんばかりに怒るだろう

口から火を吹くほどに激怒する弟の姿を思い浮かべて、半べそをかきそうになる

「でも...私が居るのも嫌だろうしな...」

 でも...でも...とぶつぶつ言いながら、もそもそと道を進むと視界は大きな広場に出る

「あーっ!まだ残ってる!」

 広場の中心には大きな石造りの鳥居と古く、小さいながら立派な社

「もう壊されてるかと思った...」

 勝手知ったるとばかりに鳥居の真ん中を歩き、ギシギシと音が鳴る木の扉の取手に手をかける

「んいしょ...っと」

 必死に力を入れ開けた隙間から、埃っぽい空気が漏れでる

 やっと動いたかと一息つき、そのままガタガタと扉を揺らし隙間を広げようとしたその瞬間だった

 アハハハと山の中に響く女性の笑い声が扉の隙間から出ると共に、黒いどろっとした霧のようなものが飛び出す

「うわっ!」

 急に出てきた得体の知れないものに思わず声をあげる

「なんだろこれ...瘴気かな..?」

 自分自身は天界の本の中で読んだことがあるだけだが、弟達に触れぬようにと散々言われていたのでしっかりと覚えている

 瘴気の塊が中からほとんど抜け切ったのを見て、そっと社の中を見てみる

中にはボロボロの黒い小袖を着た男が、社の御神体の前に仰向けに倒れている

 ソロソロと近づいて男の体を見てみると、怪我は無く、瘴気に触れて生気を奪われてしまっているようだった

体温も低く、顔色も悪い

素人が見ても死が近づいている人間だとわかるほどに、体からは生命を感じない


 人間は生気を使い、魂を体に定着させている

その生気が無くなれば、人間は魂を体に固定できなくなり魂が常世に行く

(助けなくては!)

 弾かれるように体が動く

急いで手を握り、手から男の体に生気を分け与える

 生気を与えると言うのは、言わずもがな自分の生命を分け与えていくのと同義で、送る際には激痛を伴い、下手な人間がやれば自分の生気をありったけ送ってしまいそのまま死ぬこともある

自分自身初めて生気を送っているが、触れた先から自分の体が削れていく感覚に吐き気を感じ、あまりの苦痛に顔が歪んでいくのが自分でも分かる程である

 あまりの痛みについ離しそうになる手を、必死に握りながら送り続けていく

 自分の髪が生気に変換されて男の体に染みていき、手から伝わる男の体温がだんだんと暖かくなっていくのがわかる

 生気を送り終え、男の手から自分の手を離す頃には膝まであった自分の髪は、背中の辺りまでになっていた

 だが男の体は血がしっかりと通い、顔色も随分とよくなった

「よか...った...」

 男の魂が体に固定されたことを感じ、安心すると同時に急激に無くなった生気に耐えられず意識を手放した

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