最終話 陽のあたる場所で君と小鳥の鳴き声を聞けたなら⑥~僕達の~
立ち上がった兵士達が、一斉に彼女へと斬りかかる。
「なんでだよ」
だが彼女の四枚の翼がその全てを受け止めると、そのまま彼らを薙ぎ払った。さらに兵士達は魔法で追い打ちをかけようとするが、彼女は表情一つ変えずにその魔法を弾き返した。
「なんでお前が……あいつと同じ顔してるんだよ」
その顔を覚えている。感情など何処にもない、虚ろな瞳を覚えている。そこには綾崎ヒナとしての人格も、あいつの人格も見当たらない。
「総員攻撃用意! 奴をここから出すな!」
アインスの号令が響けば、それぞれが武器を構え始める。
「やめ」
俺の声なんて届かずに、振り下ろされた右手と同時に無数の攻撃が彼女を襲った。だが届かない、届くわけなんかないんだ。人間の限界程度じゃ傷一つ付けられないからこそ、勇者が必要だったんじゃないか。
彼女は無言で右手を翳すと、眼前に大きな異空庫を……違う、あれが。
「……門を、自力で」
門。そう呼ぶに相応しい時空の穴は、あの懐かしい空を映し出していた。都会のそれよりも澄みきった、どこまでも続く青い空を。
「待ってくれ、ヒナ」
彼女に向かって手を伸ばす。それでも彼女はそんな言葉に耳を貸してさえくれない。たった一つの目的を果たす為に、感情も無く世界を跨いだ。
瞬間、体から力が抜けていくのを感じた。震える右手を握りしめても、魔力が体を覆う感覚は掴めない。
ああそうか、本当に俺の力は魔王を倒すためだけにあったのか。大切なものを守る為じゃない、争いを終わらせる為じゃない。
ヒナを殺す為だけに――。
「おい!」
呆然としていた俺の胸ぐらをアインスが掴む。
「魔王が世界を渡った。倒せるのは……勇者であるお前だけだ」
アインスは自分の剣を俺に押し付ける。
「勇者の務めを……果たせっ」
震える声が耳に届く。こいつはわかっているんだ、ヒナが俺にとってどれだけ大切な人かという事を。
「ですが陛下、あの子は」
「……わかってるよ、それぐらいは!」
ミカエルの言葉にアインスは悲痛な叫び声を返した。
「だけど、だけどなぁ……オレはもう王様になっちまったからなぁ」
こいつは一人の人間の命の重さを理解している。どこにでもいるような人だからこそ、誰かにとって大切な人だと知っている。
「オレたちの世界とあの子の命じゃ……選択肢なんて無いんだよ」
だからこそ、迷わず選べる。あの世界にいる沢山の『どこにでもいるような人』を守るための決断が出来るんだ。
「頼む、お前が望むのなら何だってしてやる。それで気が済むっていうならオレの命をくれてやる、ここにいる連中を皆殺しにしたっていい」
アインス=エル=グランテリオスの目は本気だった。彼だけじゃない、ユーミリアもミカエルもアリエスも、ここに居る誰もが同じ目をしていた。
魔王を倒すためなら、世界の為ならこの命は必要ないと。そう言い切れる人だけが、今この場所にいた。
「だから、魔王を」
アインスの言葉を遮るように、こんな状況には不釣り合いの電子音が唐突に流れた。それからポケットの中のスマホが震えて、『父』の一文字が目に入る。
切るべきなんだと思った。俺達は今世界の話をしているのだから、父さんには関係ないのだから。
だけどこれが、最期の会話になるかも知れないと。そう考えた瞬間には、自然とスマホを耳に当てていた。
『あ、もしもしユウか? いやー異世界の人が来てくれたおかげで大分進んでさ、もう絶賛大助かりだよ!』
いつもの能天気な声が響いた。生まれてからずっと聞いていたそれが、今はただ心地良くて。
『……どうした、ちゃんと食ってるか?』
『そうよユウくん、お金の事は気にしないでいいからね?』
喋らない俺を心配したのか、そんな事を尋ねて来る両親。スピーカーにでもしているのだろう、外の車や電車の音が響いて。
「あの、さ」
何でもないよとか、ちゃんと食べてるからとか。そういう気の利いた言葉の代わりに、情けない声が漏れる。
「一人を殺して世界を救うのとさ……世界を見捨てて一人を助けるのは……どっちが正しいんだろうなって」
最低だなと自分を責める。何の責任もない両親に、俺がずっと本当の事を隠していた相手に、こんな世界の命運の一端を担わせるなんて。
『ははーん、さてはトロッコ問題だな? 有名だもんなーあれは』
思考実験の名前を出して、父さんは鼻を鳴らす。永遠に答えの出ない、禅問答のような実験。
『父さんなら……そうだな、ユウとか母さんとか……もしも自分の大事な人なら、悩んで悩んで悩んで悩んで、最後にその一人を選ぶだろうな』
『そうねぇ、お母さんも多分そうするわ』
父さんが迷わずに答えれば、母さんもそれに同意する。何もおかしくはない、この世界に生きてきたならごく普通の答えが耳元から聞こえてきた。
「そんなもん、だよな」
だからこそ俺は、ヒナを殺さなくちゃならないんだ。世界よりも一人を選ぶ、世界中の人のために。
それが規格外の力を持った、俺の使命なのだから。
『だけどユウの答えは違うんだろ? だってユウは』
「そうだね、俺は」
ようやく決心がついた。きっと両親は俺の正体にとっくに気付いていたのだろう。人よりも物覚えが良くて、時折不思議な事を言う子供なんて不気味に思って当然だから。
だって俺は、アルスフェリアで最強の。
『僕達の自慢の息子だからな!』
勇、者……なのに。
『ま、ユウはそんな時ならトロッコごと蹴り飛ばしてくれるもんな』
『そうよユウくん、問題が間違ってる時なんて人生には一杯あるんだから』
無責任な事を言う両親だと思った。アルスフェリアがどんな場所なのか、勇者の俺がどんな人生を送って来たのか。
そんな事などお構いなしに、誰よりも俺を信頼して。
『大体なぁユウ、今まで散々アニメ見てきたならわかるだろ?』
「……だね」
父さんの言葉のおかげでようやく自分の正体を思い出す。俺はアルスフェリアを救った勇者で……ただの高校生、皆川ユウでもあるのだと。
どちらか片方だけじゃない、その両方が俺なのだと。
『昔からユウは変な所で遠慮するからな……そう言う時はもっと欲張っていいんだぞ? だいたいそんな事で悩むぐらいなら、悩む暇があるのなら……』
そうだ、俺は何をこんな所で呆けていたんだ? 今あの世界が危機に瀕して、ヒナが誰かを殺そうとして。
俺のやるべき事なんて……とっくに決まっていた筈なのに。
『世界も一人も救って来い』
ああそうだ、世界もヒナも救いに行くんだ。アルスフェリの勇者として、ただの皆川ユウとして。
「そうするよ」
通話を切り、ポケットの奥にスマホを仕舞う。それから自分の頬を両手で叩けば、少しだけ気合が出る。
「……よしっ、行くか!」
だが門の目の前には、頭を垂れる二人がいた。
「私達も……連れて行ってはくれないだろうか」
「両親が果たせなかった役目を……僕達に」
アリエスがそう答えれば、ミカエルが言葉を続ける。だから俺の答えは。
「嫌だね」
そう、嫌なんだよ俺は。どれだけ取り繕って格好つけても、友人に死んで欲しくないだけなんだ。強いとか弱いじゃない、ただ死んで欲しくないだけで……ああ、なんだ。
俺、ちゃんと欲張り方を知っていたんじゃないか。
「僕達も両親みたいに……足手まといだからですか?」
首を横に振る。まだ付き合いは浅いけれど、この二人は俺の友人だから。ヒナも、ミカエルも、アリエスも、ガイアスも、エステルも……誰一人失いたくないんだ。
「なぁミカエル、お前にはもっとゲーム貸してやらないとな」
今度は何を貸してやろうかと思えば、自然と頭の中にはいくつもの作品名が浮かんで。
「アリエスも、いつか俺を倒すんだろ?」
こっちはまぁ……ちょっと面倒臭いけどさ。それでもガイアスの子供の成長を見れるんだ、楽しくない訳がない。
それに。
「ちゃんと帰ってくるって約束……今度は果たさせてくれ」
あの時の約束を俺は今度こそ守りたかったんだ。
「餞別だ、兄弟!」
そんな感傷に浸る俺を目がけて、アインスが何かを投げつけて来た。受け取って手のひらでそれを開けば、そこには鈍い銀色をした簡素な指輪が一つあって。
「これは」
「封魔の指輪の改良型だ……魔王の対策に使えないかと作らせておいたんだ」
成程、高騰してたのはこいつのせいって訳か。
「お前なぁ、こんなものあるなら」
「オレやユーミリアには使えたが……あの子の膨大な魔力を相手に使える保証はどこにもないぞ」
自信がないのかアインスがそんな事を言うが、まぁ大丈夫だろ。だから早く出してくれよな、こういう便利な道具はよ。
「あるだろ、保証……これはお前が作ったんだろ?」
ここ一番で兄弟がくれた物だ、無いのは使えない保証の方だろ。
「じゃあ、ちょっと行ってくるわ」
門の前に立てば、向こうには懐かしい空があって。見上げれば東京の空は、今日も飛行機が飛んでいたから。
「両方救いにさ」
大丈夫だって、思えたんだ。
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