第六話 名前③~君の優しさに触れたくて~
「そこまでしないと、勇者って生まれないんだね」
話を聞き終えたヒナが、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「どうなんだろうな。ただあの時は……それしか方法が無かったんだ」
別の道はあったかもしれない、もっと良い方法を誰かが知っていたのかもしれない。それでも俺達は、人はあの方法しか選べなかったんだ。
ただ、生き残るためだけに。
「……ごめん、ユウ」
ヒナはどういう訳か、俺に泣きそうな声で謝罪をした。
「あの時、『悪い事してないよね』なんて聞いてさ……何も知らなかったくせに」
「黙ってたのは俺の方だぞ?」
「それでも、ごめん」
小さく震えるヒナの手を、ゆっくりと握りしめる。
「ヒナ、もう終わったんだ……終わったんだよ、全部」
「そっか、どこかの勇者が終わらせてくれたんだね」
「ああ」
ここではない遠い世界で、ここでは考えられないぐらい酷い話があった。だけどそれは過去の事だ、彼女が気に病む必要なんてどこにもない。
「さて……続き聞くか? まぁ勇者の冒険も、別に面白くはないけどな」
「それも良いけど、まずはお風呂入ろっかな」
ヒナが部屋の掛け時計を見れば、時間は午後九時二十分。長すぎた一日の疲れを落とすには丁度いい時間だろう。
「任せろ、風呂洗ってお湯張ってくるから」
「あのさ」
立ち上がって風呂場へと向かおうとする俺の手を、ヒナが強く握りしめた。
「一人で入れないって言ったら……一緒に入ってくれる?」
「あっ、いや、それは」
――いきなり何を言うんだヒナは。
ほら言ってる自分だって顔真っ赤じゃないか。いや確かに小さい頃はそんな事が何度もあったさ。けどまぁ俺達は十六歳な訳で、法律的には子供だとしても身体的には大人の部分も多々あるわけで。
いやでも、イエスかノーかの二択であるなら。
「ヒ、ヒナがいいなら」
……やぶさかではない、かな。
「スケベ」
ヒナはそんな一言だけ言い残すと、毛布で自分の顔まで覆った。思わず文句を言いたくなって、それを剥がそうと手を伸ばす。
「そ、そっちが変な事言うからだろ!?」
が、運悪く体勢が崩れてヒナに覆いかぶさってしまう。
「悪い」
目を開ければ、ヒナの顔が目の前にあった。その茶色い瞳と、艶の乗った唇からどうしても目が離せない。
「ねぇ、ユウ」
彼女の頬が赤く染まるのがわかる。だけど俺の心臓は、驚くほど静かに動いていて。
「私にもさ、ユウと分け合えないかな」
「何を」
ヒナの細く柔らかい指が、そっと俺の頬を撫でた。人差し指が照明に反射してようやく気づいた。
「ああ、そっか」
自分が涙を流していたと。
「俺、辛かったんだな」
言葉にした瞬間、両の目から涙が零れ落ちる。
嫌だったんだ、俺は。兄弟同士の殺し合いが、勇者の使命なんてふざけたものが。今になって思い出す。俺が望んだものは、たった一つしかなかったと。
剣も魔法も必要ない、遠い遠いどこかの世界で。
陽のあたる場所で、君と――。
「ユウって、自分の気持ちには鈍感だよね」
心の中を見透かされて、つい笑みが溢れてしまう。
「やっぱりさ、私は異世界の事ってよくわからないんだ。ここまで話を聞いて、大変な所だとは思ったけれど……それでもゲームとかアニメのイメージしか沸かなくって」
伏し目がちに彼女が笑う。だけどすぐに俺の目を真っすぐと見つめてくれて。
「けど、ユウの事ならわかるよ」
彼女の指が、乾いた涙の痕を撫でてくれた。
「だからさ、分けてよ。抱えてる辛い思いとか、悲しかった過去とか、全部」
「兄弟じゃないだろ、俺達」
気恥ずかしくて目を背ければ、照れ臭そうな声が聞こえる。
「でも、別の関係だってあるじゃん? こ、恋人とか……家族とか」
ヒナが何を言いたいのか、わからないほど鈍くはない。いつかそんな日が来るんだろうと思っていたけれど、それが今日だとは思っていなくて。
彼女の部屋の隅にある、色褪せたキャラクター物の置き時計の刻む針の音だけが響く。何て答えれば良いのかわからなくて、情けなく迷っていると。
「……お母さん、今日も夜勤だって」
彼女の甘い声が耳を通して脳を揺さぶる。彼女は一瞬だけ目を伏せて、また俺の瞳を覗き込んで。
「だから、その」
震えていた俺の右手にヒナの左手添えられる。彼女はためらいがちに指先を遊ばせてから、そのまま二人の指を絡み合わせて。
せめて、こんな時ぐらいは。
「朝まで、二人っきりだね……とか言ってみたり」
彼女の優しさに、俺は、唇を……。
――ピンポーン。
はい、触れられませんでした。
……俺のヘタレ。
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