第六話 名前①~蒼の十一番~
握りしめていた彼女の手が、ゆっくりと握り返される。
「ヒナ……気がついたか?」
ベッドに横たわる彼女に声をかければ、弱々しくも瞼が開かれた。
「ここは……私の部屋?」
あの後ヒナは、ユーミリアに気圧されたのか、それとも俺を無理矢理止めたせいなのか……その場に倒れ込んでしまった。
「そっか、私寝ちゃって」
すぐに彼女を近くのベンチに寝かせて、ヒナの母親であり、看護師でもある明里さんへと連絡をした。
「明里さんに電話したら、軽い貧血だろうってさ。それだけ絶叫マシンに乗ったらさぞ気持ちよかっただろうねって」
事情を伝えると、救急車を呼ぶ程でもないというのが彼女の見立てだった。一度気が付いたヒナだったのか、そのまま眠りについてしまった。結局俺は彼女を背負い、タクシーを呼んで帰宅してそのまま彼女のベッドに寝かせつけた。
「勘違いさせちゃったな……けど、混乱させるよりはいいかなって、思って」
嘘だ。俺は明里さんを混乱させたくなかった訳じゃない。本当の事を言って気味悪がられて……ヒナと離れるのが嫌だったんだ。
「ミカエル君とアリエスさん、無事かな……」
「……予想もつかないな、あのお姫様が相手じゃ」
王族という生き物を体現したユーミリアが、あの二人をどうするか想像出来なかった。いや違う、最悪の想像をしたくないんだ。
「けどっ」
ヒナが起き上がろうとすれば、苦しそうに顔を歪める。
「大事な部下だ、命を奪うまではしないさ。それよりもまずはヒナの体調が先だな……何か食うか?」
希望的観測を口にしながら、コンビニで買い込んだ品々を彼女に見せびらかす。これだって俺の浅ましさの裏返しなのだろう。消化の良さそうな、なんて普段は気にしない事を必死に調べて選んで。
「ゼリー」
「よし来た」
オレンジのゼリーを指差すヒナに、プラスプーンの袋を剥いて手渡した。それをじっと見つめてから、ヒナがからかうように笑った。
「自分で食べられないって言ったら、食べさせてくれる?」
「……流石に恥ずかしすぎる」
頭を掻きむしりながら素直に答えた。あーんって、うちの両親じゃあるまいし。
「というかそんな事言えるなら、自分で食えるだろ……」
「良かった」
至極真っ当な答えを返せば、ヒナは笑顔を穏やかな物へと変える。
「何がだよ」
「いつものユウだなって」
……心の内を見透かされたように感じた。ユーミリアとの事や今のような甲斐甲斐しさは『皆川ユウ』には不釣り合いだと、指摘されてしまったのだから。
「俺はいつでも『皆川ユウ』だよ」
軽くなった肩をほぐしながら、ため息交じりにそう答える。だけど。
「そのつもり、だったんだけどな……」
あの時の俺は間違いなくアルスフェリアの『勇者』だった。勇者にある選択肢は殺すか殺さないかじゃない……どうやって殺すか、だけだ。
「ねぇ、ユウはさ……何で自分がユウって名前か知ってる?」
「小学校の頃そんな宿題あったな」
唐突にヒナがそんな事を言い出すから、つい思考が記憶を辿った。作文でそんな事を書かされた思い出が今になって蘇った。内容は……まぁ忘れたけれどさ。
「聡志さんとマリカさんはさ……勇ましいの『勇』と優しいの『優』で最後まで悩んだって」
「ああ、確かそんな話だったな」
嘘だ、本当は覚えている。気恥ずかしいから格好つけて忘れたふりをしたかっただけだ。
「けど、産まれたらさ……どっちでもあって欲しいんだって気付いたんだって」
相反する二つの生き方は、まさしく俺に相応しい名前だった。
「だから……どっちでも『ユウ』でいいんだよ。勇ましくても、優しくてもさ」
彼女が自分を肯定してくれるのがわかる。どうやら俺は本当にこの幼馴染には敵わないらしい。頭が上がる日なんて……生まれ変わっても来ないだろうな。
「ちなみ私の名前の由来は覚えてる?」
「ああ、覚えてるよ」
ヒナという名前の由来を、俺は生涯忘れる事は無いだろう。
「じゃあせーので言おっか」
二人で頷けば、ヒナが小さな掛け声をくれる。
「「顔見たら思いついた」」
たった三行で終わった作文は、クラスメイト達を爆笑の渦に包んだ。母親の灯里さんらしい言葉だなと今でも思う。
「ちなみに、さ……異世界で勇者やってた時は何て名前だったの? 今のままだと区別つけづらいかなって」
ヒナが少しだけ緊張した面持ちで、そんな事を尋ねて来た。
勇者はなんという名前だったのか――懸賞金もかけられて、処刑されてもなお明かされなかった、勇者個人の名前は。
「無いんだ、名前」
そんなものは始めから存在しないんだ。
「本当なんだ……勇者ってのはさ、世界を救うための装置だから。ただの『勇者』で十分なんだよ」
戸惑うヒナに追い打ちをかけるような言葉を続ける。例えば台風には番号が割り振られるが、あくまで台風という現象は台風でしかない。勇者もまた世界にとって、勇者という現象でしかないのだから。
個人である事など許されなかったんだ。
「……じゃあ、勇者になる前は? 生まれたときから?」
「一応の呼び名はあったかな」
少しだけ自分の拳に力が入る。勇者になる前の事は、まだ俺をそうさせるだけの出来事だったのだから。
「じゃあ、それを教え」
「『蒼の十一番』」
そう呟けば、ヒナの肩が小さく震える。
「蒼ってのは六つもある後宮の渾名で、そこで産まれたユリウス=エル=グランテリオス王の十一番目の子供だからさ……わかりやすいだろ?」
名前は無い。俺の目は自然と右手の甲へと移っていた。そこには唯一自分を示す、Ⅺの記号はない。
「本当、何人子供がいたんだろうな」
先王であるユリウス=エル=グランテリオスの血を継いだ人間がどれだけいたのだろうか。六つの後宮には何人もの女が居て、ただひたすらに子供を産んで。
生き残ったのは、たったの二人だ。
「そんなの、人の名前じゃないよ」
「人じゃ……無かったんだろうな。実験動物とか、そういう類だよ」
実験。それに漫画やアニメのような格好良い名前があったかなんて知らない。だがやっていた事だけはわかる……王の子による殺し合いだ。
継承魔術……魔力量を相手に移す、禁じられた唯一の方法。兄弟であれば平均二割……だがその兄弟の数が膨大なら?
より強い相手に魔力を移せば、最強へと到達出来る。どちらが優れているかを確かめる方法は簡単だ、殺し合えば良いのだから。
魔王を倒すために、王が作り出した蠱毒。その果てに完成したのが……他でもない『勇者』だ。
だけどそんな生き地獄の中にも。
「ああけど、あいつは俺の事を」
信頼出来る兄弟がいた。
「イレヴンって呼んでくれたな」
それからそいつは、番号じゃない名前をくれた。数字の読み方を変えただけのそれでも、俺には……俺達には必要だったんだ。
「聞いてもいいかな、その話」
「クソつまんないぞ」
愉快な話でもなければ、心躍るエンターテインメントでもない。ただ血生臭いだけの地獄の底の中の話だ。
「『クライオニール英雄譚』より?」
何だよその話覚えていたのかよ。さて、長話でもするとしますか。
「そうだな、あれは」
「あ、ちょっと待って」
と、いきなり出鼻を挫かれる。それからヒナはスマホを取り出し、手早く何かを操作してから電源をしっかりと落とした。
「上映前には電源を切らないとね」
「ポップコーン買っておけばよかったな」
得意げに真っ黒な画面を見せびらかすヒナに、思わず笑みが溢れてしまう。二時間も語り続ける舌を俺は持ち合わせていなかったが。
「あれは……」
勇者の過去を語り始める。
英雄譚には唄われ得ない、とある勇者の身の上話を。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます