第三話 黒魔術研究部へようこそ!⑥~非課税~

「ほぁーっ、これが異世界の本……」


 父さんは食卓テーブルの上に置かれた『クライオニール英雄譚』を、どこから用意したのかタクシー運転手のような真っ白い手袋をして丁寧にページを捲っていた。


「ああ、留学生のミカエルから貰ったんだ。呼び出したお詫びの印って事で」


 あまりに丁寧な扱いに、学生鞄に突っ込んで持って来た事を申し訳なく感じてしまう。


「もしかしなくても、めちゃくちゃ貴重な物じゃない?」

「向こうの感覚で三十万ぐらい……だったかな?」


 大の男が必死に一月働いて稼げるくらいの金額なので、日本円にするとそれぐらいだろう。但し異世界は身分制度がガチガチなので、その金を持ってしても購入する権利を持つのは一部の人間だけなのだが。


「そうじゃなくてさ、この地球になら何百何千万を積んでもこれを手に入れたい人がいるんじゃないのかなって」


 言われてみればその通りである。異世界からの来訪者の知らせは瞬く間に広がり、今や世界中から注目の的なのだから。早いところでは便乗して異世界まんじゅうなんて出してる店もあるようだが……アルスフェリアにまんじゅうはないぞ。


「まぁアレと引き換えって事で」

「成程ね。やっぱり恋愛シミュレーションゲームは人生の役に立つなぁ」


 素直に『はい』と言いたくないな。


「それにしても立派な装丁だね。技術はあるけど量産はできない、って感じかな。大体十六世紀ぐらいの……って下手に地球の常識を当て嵌めるのは危険かもね」

「読めそう?」

「僕一人じゃ流石に無理だよ。だけど異世界からやって来た本というだけで、これの価値は計り知れないよ」


 そんなものなのね、俺にはわからん世界だ。


「クソつまらないらしいけど」

「それはそれこれはこれ。ま、価値なんて概念は流動的だからね。時と場所が違えば幾らでも変わるものさ」


 そっちは理解できる、魔物に襲われた直後の街では干し肉一切れが金貨に勝る価値があったなんてよくある話だったのだから。


「あとこれ、ヒナの部活の先輩からサインくれって」


 預かり物の本を紙袋から取り出して食卓テーブルの上に置けば、父さんが穏やかな苦笑いを浮かべた。


「うわまた懐かしい物を……学生時代の恩師に関連資料ごと丸投げされて頭抱えた奴だよこれ。もう最後の方とか自分でも何書いてるのかわかんなくなってさ」


 今明かされる執筆当時の事実。ヒナの言う通り父さんに会うのはまだ早いかもしれないな。


「ジャンルの割に結構売れてさ、それで何冊か続けたんだよね……って何の部活? 文芸部?」

「黒魔術研究部」

「なにっ」


 いやまぁ驚くよな、そんな部活が存在しているなんてさ。


「理事長の孫が」

「『理事長の孫』って実在してたの!?」

「そりゃ孫ぐらいいるでしょ」


 そこは驚く所じゃないと思うんだけど。


「いや、そうだけどそうじゃなくてな……」


 天を仰ぎながら、何かを言いたいが何と言って良いのかわからない、とでも言いたげな苦悶の表情を浮かべる父さん。


 そう言えば母さん今日は仕事だっけ、なんて思っていると俺と父さんのスマホが同時に鳴った。


『ごめんなさい、撮影押してて遅くなりそうです。お母さんは適当に済ませるからわ二人で何か食べてて!』

「だ、そうです」


 二人同時に内容を確認すれば、残されたのは家事能力が低めの男共。家電という文明の利器のおかげで洗濯や食器洗いは出来るものの、料理なんて殆どできない。


 ああでも、コーヒーは淹れられるぞ。ガン●ムXの名台詞に感銘を受けた俺は必死になって淹れ方を覚えたのだから。大概の問題はコーヒー一杯飲んでいる間に心の中で解決するものだ、あとはそれを実行できるかどうかだ……物語の締めに相応しい素晴らしい言葉だ。


「ピザでも取る?」

「んー昨日食べたんだよなピザ……お、冷凍のパスタあるじゃん」


 父さんの提案を却下しながら冷凍庫の中身を漁る。


「あーすまん、父さん昼飯それだったんだ」


 まぁ二食連続は飽きるよな。


「冷凍チャーハン、は一人分しかないか」

「それは僕の明日の昼飯……ラーメンでも行く? あの角のとこの」

「今日木曜日だからやってないかも」

「そうだ、なんでラーメン屋って行きたい日に限って定休日なんだろうな……」


 で、今コーヒーの無い俺と父さんは今日の晩飯どうするか問題を解決出来るはずもなく時間を浪費してしまう。


 俺たちに残された選択肢は諦めて買い置きのカップ麺で済ませるか、向かいのコンビニで適当な弁当を買ってくるか、はたまたはコーヒーを沸かして心の中で問題が解決するのを待つかの三択だ……ったのだが。


 今度はスマホの代わりにインターホンが鳴る番だった。扉を開ければそこには、香辛料の香りが漂う少しお高いホーローの両手鍋を持ったヒナの姿があって。


「お母さんが夜勤前に作ったんだけど、いつものお礼に持って来なさいって」


 この問題を解決してくれたヒナに、最早拝み倒す事しか出来なかった。





 というわけで晩飯はカレーである。米は無洗米と早炊き機能のおかげで一時間もせずに炊き上がった。ちなみにヒナの家のカレーは少し甘めなので、辛いものが苦手な俺としてはとても有難かったりする。


「そういえばヒナちゃん、黒魔術研究部に入ったんだって?」


 カレーを口に運びながら、父さんが先程仕入れたばかりの新情報をヒナに尋ねた。


「実質手品同好会ですけどね。昔の……オカルトブーム? の時は賑わってたみたいですけど、今は私とミノリ先輩しかいない小さな部活ですよ」

「へぇ、どんな先輩なんだい?」

「そうですね……小学生ぐらいにしか見えない、日本人形みたいな先輩って感じです」


 外見的な特徴だけ伝えるヒナ。性格は、まぁ言わなくていいもんな、うん。


「合法ロリで理事長の孫で黒魔術研究部か……」


 父さんは神妙な顔つきでそんな事を言い出した。だからなんでこの人の中だと『理事長の孫』がそんなに比重高いんだよ、あと先輩は未成年なので合法じゃないから。まだ違法ロリだから。


「……ユウの学校、もしかしてギャルゲーの主人公が通ってるんじゃないか?」


 なんでそんな突飛な発想になるんだよ、やっぱり人生の役に立たないだろ恋愛シュミレーションゲームは。


「通ってない」

「いいか、中肉中背で前髪が長くて目元が隠れてる奴が要注意人物だぞ。親が海外出張してたら可能性が高いな……そして大体二年生だ」


 居ないだろそんなピンポイントで特殊な人間。


「なんで二年生なんですか?」

「それは先輩と後輩どっちとも付き合えるからさ」


 ギャルゲーあるある……だと思う情報を得意げな顔をして話す父さん。先輩と合わせるのは当分先で良さそうだな。


「そういえばユウは部活どうするの?」

「あー……すっかり忘れてたな。なんかそれどころじゃないっていうか」


 そういえば事の発端は部活探しだったなと思い出す。というかまだあれから数日しか経っていない事に驚きを禁じ得ない。


「この際なんでも良いかなって……」


 高校生になれば色々な事が起きるだろうとは思っていたが……流石に起きすぎだ。


「なぁユウ」


 父さんはスプーンを運ぶ手を止めて、真っ直ぐと俺を見据える。


「限られた高校生活を、何に費やそうとも構わない。だけどそれは……ユウが心の底から楽しいって思える物であって欲しいな。けれどもし、ユウが何かを楽しめない状況にあるっていうなら……父さんじゃなくてもいい、周りの誰かに相談するんだよ」


 父さんから学生の頃の話は聞いた事はある……だけどそれは、決まって大学時代の話だった。


「以上、高校三年間何もしなかった男の戯言でしたっと」


 自分の息子がその限られた三年間をどう使うか……きっと不安なのだろう。


 


 ――もういいか。




 もうあれこれ考えるのはやめよう。ここには俺を心配してくれる父さんがいて、母さんは……まぁ今日は仕事だけど。それから長い時間を一緒に過ごしたヒナがいるんだ。


 俺が前世で勇者だったからって、何だ? この人達が変わらずに俺の側にいてくれるなんて分かりきっているじゃないか。


 だから。


「実は俺、さ」

『速報です。グランテリオン王国より来訪中のアリエス=クライオニール特務全権大使補佐官より緊急の記者会見が行われました』


 ……テレビ消しとけば良かったな。


「アリエスさんだ」

「くっ殺せ! とか言うのかな」


 映像が切り替われば、アリエスの不遜な姿が全国のお茶の間に流れる。今頃ネットで叩かれてるかネットのおもちゃにされてるかの二択だろう、インターネットはまだ見ない方が良いだろうな。


『我々はあの憎き勇者を探している……だがどうだ、我々に電話してくるのは恥知らずの報道屋か、頭のネジが外れた作家崩ればかりだ』

「……電話しなくて良かった」


 胸を撫で下ろす父さん。そりゃあオタクなら誰だって聞きたいだろうけどさ。


『我々に必要な物はただ一つ……あの勇者の身柄だけだ。だが貴様達日本人とて、いきなり異世界人の頼みなど聞きたくもないだろう』


 アリエスが腕を組み直せば、画面がカメラのフラッシュで点滅する。


『今日、私個人が持ち込んだ一部の私財が……かねてより連絡を取っていた好事家の手に渡り、滞りなく代金が支払われた。これで私は、貴様らに金を払う準備が出来た、という訳だ』


 金。その一言を聞いた瞬間、報道陣が静まり返り、アリエスとの距離を詰めた。父さんとヒナもそうだ、さっきより画面に近づいている。


『只今より、このアリエス=クライオニールの眼前にかの勇者を引き連れて来た者に対して報奨金を支払う事を約束しよう』


 またフラッシュの点滅が始まる。アリエスは自分が注目されている事が嬉しいのか、満足気に頷いてから。


『日本円にして……三億』

「「三億!?」」


 ヒナと父さんが同時に驚きの声を上げる。また絶妙な金額をついて来たな。


『"ヒカゼイ"……のな』

「「非課税!?」」


 それは俺も驚くわ。


「それで、ユウは何だって?」


 さて、これで晴れて勇者の首に懸賞金がかけられた訳だが、ここで俺が思うことといえば。




 ――え? 三億、俺の首が? いやいやこんなもん言われて俺実は勇者なんです〜とか言えるわけないじゃんほら見てみろよヒナの目を完全に瞳が円マークになってるじゃん下手なこと言ったら売るぞって顔に書いてるじゃんそういえばガン●ムXの値段も三億だったじゃんG●ン付きで次回『勇者、売るよ!』じゃんどう考えても誰かアリエスにサテライ●キャノン撃ってくれねぇかなぁ。




「……なんでもないですっ!」

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