Keeper:02
君って、本当につまらないね。最高だよ。
充満する鉄の薫風、茶染みが頬を撫ぜるように震えてゆく。肉袋が蠢動し乾いた音を立てて浮遊する。閉め切った部屋で、異常が生者へと笑顔を向けていた。
「ネフ、だったか。此処ではな、そう徒に生を扱うものじゃあない」
罅割れ黒塵を吐き出しながら歪んでゆく影を横目に男が言葉を重ねる。影の発する殺気は刻一刻と膨れ上がり酷いノイズと共に産声を上げているが、それを冷めた目で見つめる二名の観客には何の感慨も与えられてはいなかった。
「良かったらあれが何かをご教授頂けると助かるのですが」
自身も歪な映像に変わりつつある青年が半ば折れかかった剃刀を手に淡々と言葉を投げるが、その刃に付いた血液も影に似た黒塵となり舞い上がっている。
ヒトの形を取り戻し、震える殺気。その手に緩慢な速度で形成される武器。
「いいか、決してヤツらに――」
瞬間、黒が弾け飛んだ。部屋が、否、視界が歪んで曲がってゆく。
影が飛び掛かる映像が繰り返される。影が飛び掛かる映像が繰り返される。影が飛び掛かる映像が繰り返される。影が飛び掛かる映像が繰り返される。影が飛び掛かる映像が繰り返される。影が飛び掛かる映像が繰り返される。
何処か遠い場所から声が響き、間延びした囁きが鼓膜を震わせて突き抜けてゆく。大きく振られた曲刀で青年の頭が切断され転がっては笑顔になる。
「おっと、修正す
充満する鉄の薫風、茶染みが頬を撫ぜるように震えてゆく。肉袋が蠢動し乾いた音を立てて浮遊する。閉め切った部屋で、異常が生者へと笑顔を向けていた。
「ネフ、だったか。此処ではな、そう徒に生を扱うものじゃあない」
罅割れ黒塵を吐き出しながら歪んでゆく影を横目に男が言葉を重ねる。影の発する殺気は刻一刻と膨れ上がり酷いノイズと共に産声を上げているが、それを冷めた目で見つめる二名の観客には何の感慨も与えられてはいなかった。
「良かったらあれが何かをご教授頂けると助かるのですが」
自身も歪な映像に変わりつつある青年が半ば折れかかった剃刀を手に淡々と言葉を投げるが、その刃に付いた血液も影に似た黒塵となり舞い上がっている。
ヒトの形を取り戻し、震える殺気。その手に緩慢な速度で形成される武器。
「いいか、決してヤツらに掴まれるな」
瞬間、黒が弾け飛んだ。部屋が、否、視界が歪んで曲がってゆく。
影が飛び掛かる映像。青年に向かった二つの殺気が、その腕ほどもある曲刀を振り空を薙いだ。斬られていない筈の理容椅子がバターの如く分断され腹を晒した所で、軽やかに地を蹴った痩身が剃刀を滑らせて影を弾き肉薄する。手で触れる距離、その刀身が影に食い込み――そして呑まれた。
身を震わせる影、四本の曲刀、分裂し黒塵を撒き散らして生者へと牙を剝く。
生温い肉袋を斬り刻もうと頭の位置へ寸分違わず飛来した刀身は、重く響く金属音と共に弾かれ消えた。修正。宙を舞い退いた青年の眼に映えるは白銀の剣。
「所詮は玩具だが、何事も扱いを変えれば脅威にもなる。よく覚えておけ」
鮮やかな剣捌きが触手を斬り飛ばすと同時に白銀が頭頂から影を二分する。怨嗟の唸り声を発しながら崩れる影、消滅と共に気付けば男の手からも剣が消えていた。
静寂が降り、相反してノイズを吐きながら壁へと呑まれてゆく理髪店。開閉不能の扉を蹴り飛ばし転がり出た青年はそっと自身の頬を拭う。まるで雪に似た黒い煤。
「で、一体何が起こっているんです?」
息の吐く間も無い展開、決して自身の理解が足りぬのではなく情報が足りてない。振り返って尋ねたその相手は、飄々とした態度で外套の衣嚢を探っていた。
「説明が出来てなかったな。あれは『名剥ぎ』という醜い連中だよ。此処では人であったものも、名を喪う事がある。名を求める場が故の成れ果て、それが奴らだ」
「つまり、あれに捕まったら自我を奪われて似たものになっていたと?」
全てを喪って尚『何か』に成ろうとする者共、他者から奪う事でしか存在できない存在もある。だが、あれはまるで訳が違っていた。
「いや、そんな単純な話ではないな。名を求める場であるが故、即ちこの空間こそが名を求める特性があるからだ。因って存在を喪い場に従う奴隷もそれに倣う」
曰く、此の地で囁かれる『刻銘の板』が在るとされる部屋。”
与えよ、汝奪われん。探査とは無限の猜疑に他ならない。
「しかし、そうは言っても全ての存在が連中に変わる訳ではない。此処は比較的安定している筈だからな。となれば、外的要因がある。お前のような、な」
胸やら腰の隠しに手を突っ込みながら向けられる視線には不信を覚えなかったが、確かに青年には思う節は幾つもあった。そも、自身の存在も出鱈目なのだ。
「未だに貴方の名前も聞いていませんね。それに貴方、隠し事してますよね?」
問い掛けられても男は特に気にする様子もなく外套をゴソゴソ弄っている。先程の戦闘で取り出した白銀の剣も、ある程度の剣身にも関わらず今は全く姿が見えない。
「誰しも隠し事の幾つかはある。それは今のお前も一緒だろう?」
青年が反論に口を開こうとしたその瞬間、世界が剥がれ落ちた。
時計は止まるのを止め、奇妙な晩餐は静かに終わる。
温かな手。優しい声。自分に向けられた笑顔。言葉に出来ないその記憶も、今は。
これもきっと間違い。記憶違い。人違い。何故なら、わたしは――。
「
古電話から流れ出る雑音混じりの音声。背後に騒音、声にも緊張が走っている。
一方それを耳にする男は落ち着き払った態度で思考を重ねていた。
「老衰した世界だからな。それで、対象は?」
「現在追跡中。区画自体は特定しましたが、深度と人員の関係上、維持が限界かと」
かち、かち、かち。時計の針のような、金属が擦れるような音。
「
「不明。場所が場所ですので、既に終わっていても不思議ではありません」
抑制され濾過された筈の音声にすら現れる不穏が彼らの状況を端的に示していた。
「行動を継続しろ」
「了解しました、”α”」
受話器が鳴き止むと同時に古電話が消滅。三つ揃えの男はゆっくりと顔を上げる。そこには何も無く、ただ真白の円柱だけが建てられており、彼は一人であった。
静寂に声が響く。何処か優しく、恐ろしく、悲しく、虚しげの声が。
「それで、今はどちらであったかな。”α”よ」
聴く者の胸奥を震わせ、何処か苦悶をすら想起させる慈愛の音。
それに応えんとする彼の面には、我々が決して窺い知れぬ表情を浮かべている。
「どちらでもお好きなように。最早此処では変わらぬのですから」
「ふむ。それで、『目覚めた』との事だが」
気付けば男の手にはファイルが収まっている。それには数十枚の紙片が袋に入れて綴じられており、どの頁も黄色く褪せているのに歳月など知らぬ艶を放っていた。
「ええ、しかし一体どの事象が該当事案なのか精査する時間が必要です」
頁に並ぶはどれも珍妙な図形ばかりであり、我々に理解する事は能わない。
「既に
少しの沈黙、しかしその意味は我々には余りある。
「そちらで今、必要な物はあるかな?」
「有効な分析が可能な人員と設備、それに加え而空連続体の調整も必要です」
僅かに、或いは聞く者の過ちだろうか。天から降る低まった声。確執か、憐憫か。
「――やはり、それはそちらでは手に余るか?」
「いえ...決して。『
既に男の手元からファイルは消え、円柱の発する鈍い白光だけが残っている。
「そうか。では協定の通り頼むぞ、”α”よ」
「ええ。ではまた、”K”」
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