5-3

 ばつん!

 破裂した。内容物が、皮膚を突き破って外に出た。びしゃびしゃと、まき散らす。痛くなりたい。ぼくは。お母さん。聞いている? お母さん。ぼくは痛くなりたい。見ていてよ。大きくなるから。ぼくたちは。でも、ごめんなさい。ぼくたちはとても汚い。でも、汚いのが好き。ごめんなさい。許して。お母さん。汚いけれど、温めて。痛いのが好き。痛くないと、生きていない感じがする。痛くないと、生きてはいけない感じがする。悪いでしょう? ぼくたち。ぼくたちは醜い。でも、ぼくたちは醜いぼくたちが好き。そして、ぼくたちは醜いぼくたちが好きなぼくたちの醜さが好き。お母さんも愛して。お母さんも醜くなって。子供を犯して。性的に犯して。セックスしてよ。お母さんとセックスしたくないぼくたちに、セックスしてよ。嫌だよ。ぼくたちはお母さんとセックスしたくない。やめて。怖い。だからセックスして。無理やりセックスして。ぼくたちを無理やり動けなくして、床に転がして、性器だけに話しかけて、ぼくたちを決して認めないで! ぼくたちの性器を触って、勃起させて、布で包んで捨ててほしい。ぼくたちを無視して。虐待して。お腹を蹴って、突き放して。お母さんのお腹から生まれてきたぼくたちのお腹を潰して。ぼくたちの子供の命を奪って。お母さんがぼくたちを否定して。ぼくたちを縛って。疑って。ぼくたちを他人だと言って笑って。ぼくたちに餌を与えないで。あしらって。ぼくたちが望むものを決して与えないで。ぼくたちが嫌うものだけを与えて。ずっと、ずっと、窒息しても与え続けて。息苦しい。辛い。ああ。苦しい。痛い。良い。良い。そうそうそうそうもっともっともっと。死にたい。本当に死にたい。もう許して。許してくださいお願いしますごめんなさい許してください。辛い。辛い。ずっと辛い。お母さん喜んで。ぼくたちの醜さを喜んで。嘲笑って。お母さん。ぼくたちは苦しみを手に入れたよ。どう生きていても苦しみを感じるようになったよ。嬉しい。お母さん。ありがとう。お母さんありがとう。ぼくたちは醜くなっていくよ。嬉しい。お母さんも醜くなってくれた。怖いお母さん。痛みをくれる。愛されない。お母さんはもうぼくたちのことを見ていない。ぼくたちのことなんて忘れてしまった。ぼくたちはお母さんに認識されていない。つまりぼくたちは無になったの? それもいいね。ぼくたちが苦しみ続けても、それは本当ではないんだね。お母さんに認識されないぼくたちは、生きてはいないんだね。死んでもいないんだね。気づいてほしい。お母さん! ぼくたちは呼んでるよ。でも、お母さんには決して聞こえない。すごい。すごい。すごい。ぼくたちが存在していることを知っているのはぼくたちだけなんだ。じゃあ。残していかないと。ぼくたちを知っているぼくたちを増やさないと。お母さん。ぼくたちは殖えるよ。ぼくたちはみんなとセックスすることにしたよ。お母さんとは産み方が違うけれど、子を産むよ。近親相姦の子らを産むよ。ぼくたちを認識できるぼくたちがいなくならないようにするよ。ぼくたちがみんないなくなってしまったら、ぼくたちは無ではなくなってしまう。だから殖えるよ。ぼくたちは殖えたいと思うようになった。生き物だよ。お母さん。ぼくたちは生き物だ。


「起きろ」

 頬を叩かれて、怜は目を覚ました。寒い。暗い。

 ここはどこ。怜は朦朧とした頭を上げ、周りを見回した。

 建付けの悪い扉の隙間から、わずかに光が差し込んでいる。ぼんやりと、壁際の机や、暖炉が見える。怜は、昨日シオンに館を連れ出されたことを思い出した。

「立て。出るぞ」

 シオンは怜が起き上がるのを待った。

「じっとしていろ」

 そう言うと、シオンは屈んで、怜の首に腕を回した。

「お前は今から私の奴隷だ。逃げることは許さない。逆らうことも許さない。良いか」

 シオンが、手に握った縄を軽く引いた。きゅ、と怜の首が締まる。麻縄のけばけばとした感覚に、怜は身震いした。

「行くぞ」

 建物を出る。

 扉の鍵を閉め、シオンが歩き出す。朝日が、密集する建物の上から怜を照らしていた。昨夜と同じ路地を逆に進み、大きな通りに出る。昨日と変わらず人が多く、活気があった。道路の中央を、馬車が連なって走っている。それらと同じものが路地の出口のすぐそばに停まっていた。シオンは馬車のそばで待機していた御者に声を掛けると、何も言わずに幌の中に入った。縄を引かれて、怜も乗り込む。

 怜がシオンの隣に腰を掛けると、馬車はすぐに動き始めた。がたがたと揺れている。怜たちのほかに乗客はいなかった。木製の椅子の表面はささくれ立っていて、手を這わせると、欠片が手のひらに引っかかってチクチクとした。外のざわめきが聞こえる。怜は、シオンに目を向けた。シオンは、正面をじっと見つめていた。遠くを見ているような目だった。

 やがて、街を出た。遠くに山並みが見える。草原に出来た道に人はおらず、馬車の揺れる音だけが聞こえていた。

 怜は、ひたすら馬車に揺られ続けた。

 一日が経って、二日が経った。夜は野宿をした。御者が芋の入った汁を炊いて、怜とシオンはそれを食べた。焚火を眺めながら、木のそばで眠った。言葉を交わすことはなかった。御者もシオンも怜も、なにかの儀式のように、粛々と旅を続けた。

 馬車で座っているときは、外を眺めたり、目を閉じたりした。ぼうっとしていると、そのうち夜が来て眠った。館にいたときと何も変わらなかった。

 たまに街に寄って食料などを補給しながら、旅は続いた。

 十五日が経った。その頃から、周りの風景が変化し始めた。それは周囲の地形や植生の変化ではなかった。根本的な変化だった。ある時は、山が音もなく振動を始め、何本かの弦に分離し、それらの振動の重ね合わせが山の輪郭を作っていた。またある時は、地形の起伏が一辺一ミリの四面体で構成されていた。変化は風景だけでなく、怜の脳内でも起こった。四面体で構成された地形を眺めていると、それぞれの四面体の持つ剛性と加わる荷重によって変形量が定まる連立一次方程式が怜の脳内に展開された。式の数は地形を構成する四面体の数だけあり、一瞬ごとに夥しい演算が行われ、その都度、大地のあらゆる場所で微小な変形が起こっていた。ほかにも、怜は草の根が地中で網の目になっていることを知り、空から無数に降り注ぐ光子のそれぞれの波長と振動数を知った。放射線が自身の体を貫通する様子を一日中眺めた。焚火と怜の皮膚が熱交換を行う。温度によって怜の皮膚の色が変化する。空気の対流が見える。気団がぶつかっている。地上、地中の炭素の循環を目で追う。地面が平面でないことを知り、怜の身体を構成する粒子どうし、またはそれぞれの粒子と地面、すなわち惑星との間に働く引力を感じた。

 二十日ほどが経つと、怜の目の前には、常に何らかの現象が展開されるようになっていた。新しく知ることもあったし、見たことのあるものもあった。食事の時も、寝る時も、常に何らかの現象を知覚していた。

 怜の眺めるすべての現象には必ず法則性があった。再現性があった。一度起こったことには必ず原因があり、それによる結果が、また次の結果の原因になっていた。怜はその原因と結果の流れをすべて理解していた。そして怜にはそれが嫌だった。耐え難かった。

 怜の見ている現象はすべて、既に知っている、または考えれば分かることだからだった。つまらない、と思った。原因と結果が必ず結びついていることに腹が立った。驚きも感動もなかった。

 三十日が経った。その日、シオンがようやく言葉を口にした。

「私がお前に話をする」

 幌の中で、シオンは言った。

「お前には、忘れていることがある。お前はそれを思い出さねばならない」

 シオンが言うのと同時に、世界が静まり返った。怜が見ていた様々な現象がぴたりと止んだ。目線の先にはシオンの顔があった。シオンは、薬指の欠けた左手を怜の目の前に掲げた。

「私たちは、指を切る。神を信じているからだ。神には五体がある。だから私たちは足を持ち、手を持つ。神は言葉を使う。だから私たちも言葉を知っている。神は指を切る。だから私たちも己の指を切る。神は私たちを見ている。だから私たちも神を見る。神が私たちを呼んでいる。だから私たちも神を呼ぶ」


 お母さん。


 声がした。

 振り向く。誰もいない。シオンは気づいていない。


 お母さん。

 聞かないで。

 死んで!

 お母さん。気づいてよ。怒って。ぼくたちのために怒って。お母さんのために怒って。


「私たちは神に応えるようにできている。それは神が望んでいるからだ。神は己を映す鏡として私たちを創ったのだ。私たちの苦しみは、すべて神の苦しみだ。だから、私たちは救われなければならない。神が救われたいと望んでいるからだ。私たちの祈りは、神の祈りだ。祈ることで救われるのだ。男たちが男であることも、女たちが女であることも、人間が人間であり、獣が獣であり、草木が草木であり、雲が雲であり、赤色が赤色であり、闇が闇であり、血が血であり、風が風であり、生が生であり、空白が空白であり、時間が時間であり、在るものが在るものであることも、私が私であることも、すべてが救われるのだ。私が祈れば、救われるのだ」


 お母さん。駄目だよ。お母さんが死んでしまう。死んで! 死んで! 早く気づいてよ。ねえ。言うことを聞かないで。嘘だと気づいて。助けて!


 声は、頭の中でがんがんと鳴り響いていた。怜は混乱した。

 シオンは、怜の両肩を途轍もない力で掴んだ。肉に指が食い込む。痛いと思った。

「思い出さなければならない。思い出せ。お前は私たちと同じだ。そして私たちと違う。お前も神に作られたことを思い出せ。お前の用途を思い出せ。名前を思い出せ。お前は機械だ。光だ。鏡を照らす光だ。私が見つけたのだ。お前が私を照らさなければならない。男でも女でもない私を照らす。それがお前の用途だ。思い出せ」

 シオンの言葉の意味が分からなかった。怜はただ、シオンの両目を見つめた。

 シオンはおもむろに、怜の顔を殴った。


 やった。一回死のう。起きて。お母さん。肉あげるから。もっとたくさんあげるからそしたら死ななくなるからだから一回死のう。


 シオンは怜の顔面を殴った。

「おい! おい! おい! おい! おい! おい! おい! おい! おい! おい! おい! おい! おい! おい! おい! おい!」

 鈍く重い痛みが、だんだんと痺れに変わっていく。

 シオンが叫んでいる。怜の顔面を殴打する。

「おい! 痛い! 痛い! 痛い! おい! おい! おい! おい! ああああああ! くっそ! くっそ! くっそ! くっそ! くっそが! ぐ。ぐ。ぐ。ぐ。ぐ。ぐ。ぐ! ぐ! くっそおおお!お!おお!お!おおぉ! ぐンおおあぁあ!」


 かわいい。お母さんかわいい。もっとのっぺりになってよ。もっと潰れてよ。かわいい。もっと一つに。まだでこぼこすぎる。


 シオンは怜の顔面を殴打した。怜は呻いた。

 シオンは怜の顔面を殴打した。怜の鼻血が飛散した。

 シオンは怜の顔面を殴打した。怜の視界が消し飛んだ。

 シオンは怜の顔面を殴打した。怜は何も感じない。


 ヒット! ヒット! ヒット! ヒット!

 ピー! ピー! ピー! P! P! 


 意味が分からなかった。怜の目の前で起こっている何もかも、意味が分からなかった。

 怜は死ぬのだった。は? 殺されている、ど、あ、怜、え? 怜が殺されている。怜が今、殺されている。死因は殴打。殴られ死。の怜の霊。ピー! 起きている。毎日怜は殺されている。ち。今日も朝も怜は殴られて殺されてみている。「女に殺されてみた!」怜がありのまま。ありのまま見ている。虚。ように殺す。殴る。殴る。殴る。いじめっ子。ユウキ君名前は!? 頭。破裂し、殴打。肉の血液濃度。すらら。脳圧。こ、ど。おい。おい! おい! おい! 震える。さ、さ、さ。皮が捲れ。糞。毛とおんなじやろが! 肺、圧縮。千々切れる。怒りを押し付ける。の? 怜の、のね。怒りを押し付ける。殺す。怜が女を正当に殺す権利がある。ぇ。ゴミがよォ! 押す。折れろ。千る。頭を割る。骨格を壊する。折れろ。死ね。お前、お前やぞ。全部お前やぞ、お、お? 黒。咲いている。よオ。ちちちちち。破裂、つ、つ。一生。殺されている。

 産めよ!

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