第2話 私、通話を切れないの

「あ、それからこの通話は録音されているからね」


 リーダーの小田さんは彼女にソッと囁いてくれました。別に通話中のオペレーターさんに秘密にしたい訳では無くて、単純に大きな声を出さないようにしている感じです。


 最近、電話による対応はその内容が録音されるのが世間一般の常識になりつつあります。オペレーター側のサービス品質向上のためと、お客様側の度を超えたクレームに対応するための二つの大きな理由からです。


 ヘッドセットを通して、電話のやり取りが聞こえて来ます。


「だーかーらー、ボーッとしてたらATMで降ろしたハズのお金がさー、またATMに飲み込まれちゃんだってー。聞いてるお姉さん?」


 あ! これはクレーム電話ですね。新人オペレーターの岩寺裕子さんは、コンビニの時の嫌な時の事が一瞬頭をぎります。


 うわぁ、トラブってる。こういう時はどうするんだろう? 誰かが助けてくれるのかしら。


 岩寺さんは、オペレーターさんの事が自分のように心配です。


「ご不便をおかけして申し訳ありません。ただ今トラブル専門の担当者に変わりますので、少々お待ち下さい」


 そう言って、オペレーターさんは目の前のボタンをピポパと押します。するとすぐにトラブルの担当者に繋がったようです。


 岩寺さんのヘッドセットにも担当者の声が聞こえて来ます。


「はい、技術員の目黒一郎です」


 男の人の落ち着いた声が聞こえて来ます。背後で、カチャカチャとキーボードをたたいている音も聞こえます。


「あ、オペレーターの佐々木順子です。お金飲み込みのトラブルだそうです。対応をお願いします」


 そう言うと、オペレーターの佐々木さんは自分の手元のスイッチをポンと押します。するとオペレーターさんの前の『通話中』ランプが消えて、『待受中』ランプが点きました。


「すごーい」


 岩寺さんは、感心して思わず声が出てしまいました。トラブルは直ぐに別の担当者に回して、自分は直ぐに別の電話に出られるようにするのです。


 この部屋の奥の方には、トラブル対応のためにATMを遠隔で操作出来るパソコンのような機械を操作する担当者が何人も座っているのが見えます。さっきのトラブルは、向こうに座っている担当者が先ほどのお客様と電話をしながら対応しているようです。


 * * *


 プル、プル、カチャ。


「おはようございます。ニコニコATMセンター受付の佐々木順子と申します。どのようなご用件でしょうか?」


 直ぐに次の電話が掛かって来ました。日本中にあるATM横の電話がここに集中しているので、途切れる事がありません。


「ねーちゃん、ウィック。良い声してるねぇー、ウィック。ゲフ……」


 あ、これは酔っ払いさん?


「お客様、どんなご用件でしょうか? ATMのトラブルですか。それとも操作が分からなくてお困りなのでしょうか?」


 オペレーターの佐々木さんは、マイペースで会話を続けます。


「ウィック、ウィック。おねーちゃん、俺は寂しいんだよ。俺の上司がボケでよう。俺ばっかり仕事を押し付けてやがってよう、ウィック。ゲフ」


 何やら酔っ払いさんの話は続きます。


 * * *


 オペレーターには、皆さん知らない大原則があります。


 それは、『オペレーター側からは、絶対に通話を切らない』ことです。


 どんなに変な人から電話が掛かって来ても、相手が受話器を置いて通話を切らない限り、オペレーターは話を聞き続けるのが大原則なのです。


 * * *


「お客様、ATMをご使用ではないのですか? 他に利用する方がいらっしゃると思いますので、一度受話器を戻して頂けますか」


 オペレーターの佐々木さんは、一生懸命に電話の向こうの酔っ払ったおじちゃん(?)に話しかけています。でも、それがかえって嬉しいのか、おじちゃんの話は止まりません。


「ウィック、おねーちゃんは優しいなあ。ゲフっ。ウィック。俺の周りにはそんなおねーちゃんはいねえもんなぁ。グスッ、涙が出て来ちまう。ウィック」


 酔っ払いさん、涙を流しながら喜んでいるようです。なんか、逆効果でしょうか。


「お客様、お客様……」


 頑張れオペレーターの佐々木順子さん! 新人オペレーターの岩寺さんは思わず両手の拳をグッと握ります。


「どうする、順子ちゃん。私が替わろうか?」


 リーダーの小田さんが佐々木さんに助け舟を出します。佐々木さん、なんか気合が入ったようです。リーダーに向かって親指と人差し指を丸めて『オッケー』マークを出して、リーダの助けをやんわりと断って何とか説得を始めます。


「お客様、私もいつも優しいわけではありませんよ。それより早く帰って暖かい布団に包まれば気持ちよく寝れますよ、お客様」


 頑張れ順子さん! 負けるな順子さん。

 

 リーダーの小田さんは、この通話は長くなると判断したようです。自分のプラグを抜いて、別のオペレーターさんのところへ移動するように岩寺さんに目配せします。岩寺さんは名残惜しそうにしながらも、プラグを抜いてリーダーの小田さんと別のオペレーターさんの場所に移動します。


「ウフフ、でも優しそうなおじちゃんみたいだから、そのうち開放してもらえるでしょうね。岩寺さんも、ああいう手合いの人に当たったら直ぐにリーダーを呼んでね」


 リーダーの小田さんは私に優しく言ってくれます。


「だって、最高通話記録『10時間』ていう猛者もいるのよ。給料日で金曜日の夜は、特に注意してね」


 彼女を見て軽くウインクする、リーダーの小田さんの背後に後光でもさしているように思ったのでしょうか、彼女は目をぱちくりさせてから両手で目をゴシゴシとしていました。

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