第3話 黄色い影は夜

月夜。

あるものについて考えるのさえ難しい頭で考える、無いもののこと。


「相席いいですか?」


容姿、学力、運動神経、交友関係、家族仲、など全ての項目において中の中でしかなかったここまでの私の人生。そんな人生から抜け出せたと思っているわけではないが、どこか今までの私は物語のプロローグのようなもので、最近やっと本編に入ったのでは?なんて考えてしまっている。その原因こそ、視認したのは今夜が二度目のこの男にある。

窓の向こうからこちらを覗く彼はあの夜と同じ目をしていた。

「前回と同じ場所ですよ、待ち伏せですか?」

少ししか開けていなかった車窓を全開にしてそう問いかける。

「そうなんですね〜。それで、いいですか??相席。」

相変わらず意味のわからない返答をしてくる彼に謎の安堵感を抱きつつ、「いいですよ」と助手席に目をやる。慣れたように乗り込んでシートベルトを閉めた彼にクスリと笑いながらあの日と同じ質問をする。

「確認なんですけど、急に刺したりとか毒を盛ったりとかはしないですか?」

目の前の信号が青になったのを確認してアクセルを踏み込む。

「あれですか、思い出のあの時と同じやりとりをしてクスッと笑い合う映画みたいな展開を僕に期待してるんですか?」

「そう思うなら少しは付き合ってくださいよ」

全開にされた助手席の窓から手を出して風を拾うように楽しんでいる彼。

「前に言ったことなんて覚えてないですもん、無理ですよ」

こんなことを言われてからふと思った。私はこの男に再会する日を楽しみにしていたのではないだろうか。何者かもわからない、私のことなんか気にもかけてくれずに一人で喋り倒していただけのこの男に、会いたかったということなんだろうか。

「この前、女の子に会いました」

心の中の騒がしい自分の声なんか聞こえないふりをして、真っ直ぐ道路だけを見ながらそう言った。もしかしたらあのビルの隙間から綺麗な月が見えるのではないかと期待しながら。

「僕と熊が戦ったらどっちが勝つと思いますか?」

「そういえば地球ってまん丸じゃなくて楕円形らしいですよ〜」

「女の子にあったんですか?」

「皆自分の初恋って明確に覚えていてそう言い切れるものなんですかね?」

「何かをコレクションするのっていいですよね、僕にはそういうのないんですけど」

「え、女の子に会ったって言いました?」

「僕の好きな色ってなんでしたっけ」

この喧しい生命体ラジオに懐かしさを覚えながらハンドルを切る。好き勝手に喋り散らかしているのだと思っていた彼も、一応私の言葉を聴覚で拾う行為はしていたらしい。その上で、一つの話題に留まることができないらしく、結局その口から溢れ出る言葉をこちらが拾わなければいけないらしい。仕方がない、世話が焼けるというものだ。

すぅ、と小さく息を吸う。開く口なんか知らないふりをして暖かい指先が心地よい黒の風に触れた。

「私と会うのは、今夜が初めてですか?」

だが、私だって彼の思い通りになってたまるか、という天邪鬼な心を持ち合わせたただの成人女性な訳である。仕掛けられる前に仕掛けたい、そんなゲーム感覚な夜に落とし込まれた私はきっとすごく幸せなのだ。

「そうきますか、面白いですねやっぱり、貴女は特別です」

「急に紳士みたいになるのやめてください似合ってないですよ」

「急に厳しくないですか?」

「急に別人みたいになるからですよ」

「急になる方が良くないですか?徐々に別人になるのホラーじゃないですか?」

「そんなことより、私の質問に答えてください」

突然現れた、彼と正常に会話が成り立つこの空間に少しの怖さと気味の悪さと、大きな面白さを感じた。私と彼の物語はずっと前から狂っていた。今更何を驚くことがあるのか。

「はい、今夜が初対面です」

にこやかにそう答えた彼は、数秒私の横顔を眺めた後で「あ、そこのコンビニの前で止まってください」と少し先の路上を指さした。

言われた通りに停車させ、彼の方を見ると彼はシートベルトを外して助手席のドアを開け、外へと出ていった。バタリという音を聞いて今夜もお別れなのかと腑に落ちない気持ちを勝手に抱え込んだ。はぁ、とついたため息に色がついて見えたのはほんの数秒後。運転席側にぐるりと回り込んできた彼が私の横のドアを開けて私を車から降ろした。

「え、」

そう呟くと「あっち」と彼は助手席を指さした。予想していなかった展開に混乱しながらも言われるままに助手席の方へと歩いて再び車に乗り込んだ。その様子を確認した彼は先ほどまで私が座っていた運転席に腰を下ろして満足そうにドアを閉めた。

「えっと、これは?」

私がそう言いかけた時にはグッとエンジンが踏み込まれて彼は真っ直ぐに前だけを見つめながら言った。

「僕と貴女の月は、今夜だけじゃないですよ」

言葉の意味も彼の真意も何も分からないままだったが、車内に差し込む月明かりに照らされた彼の横顔があまりにも綺麗で、今目の前っで起きている全てを疑うことも、夢なのではないかと頬をつねることも、私はしなかった。

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