第9話

 歩いてすぐそばまで近づいてきた道弥は、腰を屈めて顔を覗き込んできた。

 笑顔の道弥と涙でぐしゃぐしゃなオレ。なんともシュールな状況だ。


 オレは腕でごしごしと涙と鼻水を拭って、なんとか自分を立て直した。


「そんなに嬉しいんだな。歩けるって素晴らしいだろう。僕も歩けなくなった事があるからわかるよ。ねぇ、たつみ君、今なら思い出せるかな?」


 じっと見つめられしっかりと目が合う。


 そうだ、道弥はオレのせいで歩けなくなったんだ。どうにもならなくなったから飛んだ。目の前で。

 脅して、追い込んで、苦しめて、絶望させて、学校という小さな社会の中では、それを選択する事も不自然ではない状況に追い詰めた。


 全て思い出した。


 道弥のその後も、オレのその後も。


 オレは、オレ達は、世界は道弥を覚えていなかったんだ。


 飛んだあと、恐る恐る下を覗いてみたんだ。脚がそれぞれ別な方向を向いて骨が突き出て、口から血を流してた。ひと目で立てないとわかった。

 そんな道弥を見つけた誰かが救急車を呼んだんだろう。それからすぐに運ばれて、入院したって話を聞いたことまでは覚えている。

でもそれからだ。それからの記憶がない。


 道弥は消えたんだ。学校からも、皆の記憶からも。跡形もなく…。だから、オレ達はアレから何事もなく日常を過ごせていたんだ。


「な…んで?」


 絞り出した声はかろうじて届いた。


「何で覚えていないかってことかい?それはね、神様が、僕をこちらの世界に引き戻したからだよ。ここに戻ると世界は俺を忘れてしまう。そういう仕組みになってるんだ」


 道弥はゆっくりと、楽しげに話している。


「神様がね、僕を心配しちゃったんだよ。だからこの世界に連れ帰った。向こうにいるときは自分が何者かなんて知らない、ただの人間だったけど戻ると全部思い出したよ。だから身体も心も今は元通りさ」


 そう言ってムキムキと元気アピールをしてくる。ひとしきりアピールを終えたら、コホンとひとつ咳払いをしてまた話し始めた。


「僕は、僕達はね、親神様の分体から生まれた精神生命体とでも言うのかな?時々、人の輪廻に乗って肉体をもらって此の世で社会勉強してるんだ。そして、伝えるんだ」


「伝える?」


「そう、伝えるのさ。世界の事、人間の事を。そして、神様が未来を決めるんだ。僕達はそのお手伝いをしている」


 それを聞いた瞬間、オレはとんでもない事をしてしまったのではないかと身震いした。神様に等しい道弥を、死を考えるほど追い詰めてしまった。それは世界の今後を左右するかもしれない。


「あ、心配しないで、君がやったことは道弥にとっては酷い事だけど、あの世界にとっては取るに足らない事だから」


 ほっとしたような、如何に自分が小さいものか思い知らされたような気がした。


「じゃあ、何で取るに足らないオレが報いを受けさせられたんだ?」


 ああ、それはね…と道弥が言いかけたとき、ふよふよと光の玉が寄ってきた。そしてぶるりと震えてたかと思うと、あの教会の立像そっくりな女神へと姿を変えた。


「私が説明するよ」


 そう言って、オレの隣にきて肩に手をかけて挑戦的な目で見上げてきた。


「ふふ、君ホントは背が高いんだね!今まで脚が無かったから知らなかったよ」


 皮肉なのか、ただの感想なのかわからないが、少しイラついてしまった。

 お前のセイだろうと。でも、せっかく取り戻した脚は大切だから黙っておく。


「あのね、この子を含め今までたくさんの子供達を輪廻に乗せて勉強させてきたけど、何百年も何千年もね。だけど、平和な世の中になればなるほど子供達の心は不幸になってゆくんだよ」


 オレの頭の中はハテナだらけだ。普通は平和な方が幸せなんじゃないのか?


「私の子供たちは何度も生まれ変わって記憶は無くとも魂は老成してるんだよ。だから人間に生まれると年齢関係なく賢くて、比較的大人なんだ」


 女神は道弥の側へ行き、頭をヨシヨシと撫でる。


「するとね、幸せに慣れすぎた周りの人間達は控えめで達観した、少し変わった私の子供達を攻撃するようになるんだ。なんでだろうね。大きな不幸を知らないと、小さな幸せじゃ満足できないのかな?」


 女神は真剣な顔をしてこちらを見つめている。


「平和な世の中になるほど、大きな明確な敵がいなくなるほどに私の大切な子供達が、個人が攻撃されるんだ!そこで考えたんだよ。やっぱり平和はいらないんじゃないか、大きな敵を作って集団対集団で敵を作った方が子供達の為になるんじゃないかって」


 女神は、厳しい口調とは違い、表情は悲しげだった。


「でもね、子供達は言うんだ。大丈夫だよって。どの子も自分より世界の平和を願うんだ」


 女神の言うことはスケールが大きくていまいちピントこなかったが、個人を攻撃しているヤツの一人がオレだということは理解できた。


「子供達は何度も生を受けて酷い戦いを経験するとね、ここに戻ってきたときに、どれだけ個人が攻撃されようと皆平和を願うんだ。だからあの世界の方向性を変えることはしない」


 女神の言葉は真剣で重い。


「だけどね、何も知らない子供達が攻撃されているのにそれをただ見ているだけなんて、私も辛いんだよ。だから、今回は特別に道弥を回収して、攻撃したやつの因果を少し早回廻しして、比較的若い別世界に送って私の溜飲を下げてみたんだ。でも君、あまりにも思い出さないし、ぬるく一生を終えそうだったから、地味ぃに辛いギフトをあげたんだよ」


 そう言ってにこりと笑いかけてきた。


 やっぱり、あの悪意を呼ぶギフトは更にオレを追い込むためのものか。でも、地味過ぎて効いてるのかどうかよく分からなかったんだよな。あのときは本当に女神を恨んたよ。



「ということだったんだけど、どうだったかな?報いを受けた感想は?」


 女神は鬼畜にも感想を求めてきた。


「…もう、こんなことは二度とゴメンだ」


 オレは心底そう思う。


「そっか。それは良かった。君が心から反省を感じてくれていたら今回の報いは成功だね!」


 女神はニコニコと笑顔で道弥とハイタッチしている。



 今回の……?


 オレは不安が押し寄せ、鼓動が早くなった。

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