『第一話』おじさん、いつもの日常が終わる。
のそのそと道を歩く少々みすぼらしい男がいる。
年のころは30半ばだろうか。腰には短刀を二本佩き、猫背がちな姿勢のせいで少々手癖の悪い破落戸にも見える。
しかし、昔は奇麗だったと思わせる重ための灰の髪は顔に影を落とし、眠たげにみえる、目じりの下がった眼は半ば伏せられている。長袖の服は生成りの薄い布で、首元からのぞく肉体には煤けた布が巻かれている。
その上から肘丈の薄手の皮の上着を着込み、腰には重たそうなベルトを2重に巻き、腹のところに丈夫そうな革のポシェット。ズボンはピタリと張り付くような濃茶の皮の物を履き、脛を覆う厚手のブーツが武骨に見える。
見る者が見れば、それは迷宮に潜ることを生業とする傭兵の装備だとわかるだろうくらいに傭兵然としており、しかし、だからこそその程度の装備でいいのかと首をかしげたくなるような出で立ちだった。
左手に長めのロープで口を縛った小ぶりなズタ袋を肩にかけるようにして持っている。中身は見えないが、あまり多くものが入っているようには見えない。
まだ人の少ない早朝を、のそのそと歩く男は、くぁ、と短くあくびをすれば、一軒の酒場の前で足を止める。
他の店がまだ開けてない中、その酒場だけはしっかりと営業中の札を掲げてあり、建付けの悪いスイング式のドアを押し開けて入っていく。
中にいた何人かがちらりと視線を向けるも、興味を持つこともなく視線をそらし、仲間との駄弁りを再開し、あるいは壁に所狭しと張られた紙を眺める作業を再開する。
数拍の間をおいて、恰幅のいい女性の座るカウンターに向けて進んでいく。
ぱちりと硬貨をカウンターに置き、女性に向けて一言
「果実酒くれ」
「あいよ」
なれた調子で木のカップにとろりとした酒を注ぐ女性。「あんがとうよ」と一言断り、ちびちびと飲み始める男。
「まぁた今日も朝っぱらから酒かいね?」
「酒精がほとんどない酒は果汁みたいなもんだろうに」
「ふん、一番安いやつを時間かけて飲むアンタに上等な酒出す方がもったいないじゃないか」
「違いないねえ、ま、おじさん、お酒強くないし、これくらいがちょうどいいよお」
たっぷりと時間をかけて果汁と変わらない果実酒を空にし、カップを返す男。
「はぁ、ようやっと目が覚めてきたよ」
「あいかわらずだねぇ、で、今日は深いところに潜っていくかい?」
「そんなおっかないことはおじさんしないよ、うん、できっこないよお、浅いところでぼちぼちやっとくよ」
「意気地がないねぇ、んじゃ、ほれ、これなんてどうだい?あんたでもここくらいは潜れるだろ?」
「んー?あぁ、ムカデ、増えちゃったの?しょうがないね、お上りさんが足でも滑らせたのかい?かわいそうだねえ」
「戻らない連中がちょいと増えたのは事実だね。ムカデとアリンコはすぐに増えやがるからね。とりあえず、あんた以外にも何人か潜っちゃいるけど、人手はあるに越したことはないからね。頼めるかい?」
「良いよお、行くとも、よいせ、っと」
ズタ袋を肩に担ぎ直し、のそのそといつもの調子で迷宮の入口に足を運ぶ。
「ヨーキナム!」
「んー?どしたい、どしたい?」
ヨーキナムと呼ばれ振り返る男。
カウンター越しの女が一言いう。
「ちゃんと帰ってくるんだよ!」
「あははは、いつも通りさ、大丈夫だよお」
ヘラリ、と笑い、ひらひらと空いた手を振り、酒場を後にする。
「さあて、今日も、ほどほどに頑張りますかあ」
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『カボレア迷宮』とは
全12階層からなる、石造りの迷宮。大型の蟲系魔物が蔓延る中規模迷宮で等級は4等級。しかし、低階層は6等級の傭兵でも侵入許可が出る弱小迷宮。
1層はほとんど魔物が出ず、あふれたムカデやアリと通称される魔物が稀に姿を見せる。
2層、3層はオオムカデと呼ばれる、人の子供ほどの大きさのムカデが大量に出てくる。ムカデの死骸を漁りにヒトクイオオアリや死体漁りと呼ばれる毛に覆われた蟲がよく出る。最も死亡率が多く、ここで人が死ぬせいでよくムカデが繁殖し、定期的に間引きの依頼が出る。5,6等級の傭兵が小遣い稼ぎによく使う。
4~7層はヒトクイオオアリの生息域であり、上位種の羽アリや作業兵と呼ばれるアリが現れる。もともとの石造りの壁や石畳のほかに、作業兵アリが掘り進んだとされる通路が無数に存在する。5,6等級の傭兵でも腕が立つものが腕試しに使う。稀に取れる蜜玉を回収できればちょっとした小金持ちになれる。
8,9層は巨大なクモが徘徊する。巣を張らないタイプの蜘蛛だが、動きが静かであり、隠密性の高いクモたちによく初見殺しされる傭兵が後を絶たない。獲物をまとめて保管する習性があり、巣を漁ると傭兵の遺品などで一攫千金が狙えるので割と人気。
10~12層。クモ、アリ、ムカデすべてが混在し、常に互いに縄張り争いをしており、巻き込まれると骨も残らない。各蟲の上位個体に加え、まれにダンゴムシなどの他種類の蟲系魔物が生まれており、不意を打たれる場合もある。
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「いいのかい?いや、わるいねえ、お兄さんはいい人だねえ」
ほくほく顔で討伐部位を受け取っていく。
このカボレア迷宮では珍しいレブナントを討伐しただけで、割と腕の良さげなお兄さんからムカデの討伐証明を渡される。いいことはするもんだなあ、などと思いながら、そそくさと酒場に入っていく。
きっちりとは数えていないが、道中つぶしたのと合わせればだいたい40ほどになっただろうか?
これだけ狩っておけば、明日明後日くらいはちょっと贅沢をしてもいいかもしれない。
半日ほどの狩りの成果としては上々だろうと気分よくカウンターの女のところに行き、勘定をしてもらう。
「ひのふの……珍しく結構狩ってきてくれてるじゃないかい、50もあるよ」
「おや、おや、そんなにかい?まあ、ちょいとばっかし、鈍り気味だったからねえ、すこし慣らしに長く潜ったからね」
思ったよりも多かった討伐にそんなもんかねと小首をかしげつつ、報酬を受け取る。
一匹当たり銅貨2枚と半銅貨4枚。半銅貨は16枚で銅貨1枚、銅貨16枚で半銀貨1枚、半銀貨16枚で銀貨1枚と上がっていく。
最終的に抉り取ってきた討伐部位は52体分。しめて半銀貨7枚と銅貨5枚の稼ぎである。銅貨3枚あれば一食分の食事にありつけるこの時世に大きな稼ぎとなったとヘラヘラ笑いながら腹のポシェットに硬貨をしまい込む。
改めていいことはするもんだなあ、と上機嫌になり、久々にうまいもんでも食って帰ろうと、家路とは違う方向に歩きだす。
――この時のことを、数時間後のヨーキナムは後悔する。ああ、いいことしたなあで満足しておけばよかったんだ、と――
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「はぁ、満足、満足」
最近はろくに食べもしなかった兎の焼いたやつを食べ、イモとカブを煮た汁で焼しめてある黒パンをふやかして腹に納める。
季節ではないがそれでも十分な食いでのある兎を堪能し、重たくなった腹を抱えて帰路に就く。
銅貨9枚も払っただけあって、味もよく、簡単な汁モノですら上等なものに感じてしまう。
「さて、さてと、帰るかあ」
のそのそとしばらく歩いていく。上等な夕飯をとる為に普段よりだいぶ遠いところに赴いたせいで、歩いて半刻ほどかかるが、少し食べすぎた感もある、ちょうどいい腹ごなしだと思えば、むしろより気分が良くなる。
―――じ…ん―――
ふと、かすかに聞こえた物音。
「あん?」
思わず足を止めてしまう。
普段なら気にも留めないだろうかすかな声。
ただ、今日に限っては足を止めてしまった。
気分がいいから。
少し遅い時間で人通りが少ないから。
偶然が重なった結果だが、しかし、一度気になってしまったのはしょうがない。
―――おじ…ん―――
声のする方に向かう。
―――おじ、さ、ん―――
「うーん?おじさん?はーい、おじさんはここだあよお」
細い路地に入る。ごみ置き場なのか、食べかすの放り込まれた樽の影に、ボロを羽織り、うずくまるように丸くなっている女の子。
「あちゃあ、大丈夫かい、お嬢ちゃん?おい、おーい?」
そっと肩をゆすってやるが、深く眠っているらしく、起きる気配もない。
家主の折檻か、家出か孤児か、とりあえずは聞いてみないことにはわからない。
「もし、もーし」
ごみ置き場の家の戸を叩く。少し待ってみるが、出てくる気配もない。
試しに戸を押してみれば、ぎいと音を立てて開いてしまう。
「不用心だなあ……おーい、誰かいないかあ?」
しん、と静まっている家。どうも空き家のようであった。
「まいった、
深くため息をつく。
親がいない子供くらい珍しいことでもない。
しかし場所が良くない。
町人の多いこのあたりにいる浮浪児は、貧民街にいる連中とは少し事情が違う。
貧民連中はたいてい自分に理由があることが多いが、こういった普通の場所にいるのは、他の要因が絡む場合が多い。
例えばかどわかしや、行き過ぎた教育だったり。
この子はどうだろうか?
とっくりと観察すれば、多少汚れてはいるが、髪のつやが失われてもいない。ぼろの下の服は上等とはいえないまでも、粗末とは程遠いものである。
年のころは5,6くらいだろうか。
「うーん、しょうがない、一晩くらい置いてやるかあ」
ボロに包まれたままそっと抱きかかえてやる。
とっとと帰って、寒くないように毛皮でも出してやろうか。
そんなことを考えつつ、歩き出そうとする。その足元に
だんっ
と音を立てて矢が突き立つ。
「おやあ……こいつは、かどわかしが正解だったかねえ……」
難儀なものを拾っちまったなあ、とため息を吐き、矢の撃ち込まれた方を見つめる。
ひょう、と風切音が一つ、二つ。
しゃらりと、手元でなる涼やかな音。
からんと音を立てて地面に転がる矢に目を向けることなく片腕で女児をしっかりと抱え、素早く路地に隠れる。
「いきなりご挨拶だあね、一体何者なんだい?この子が欲しいのかなあ?」
大声で呼びかけるも返事はない。
当然だよなあ、と頭をポリポリと掻き、女の子を背負い、ズタ袋の口を解き、ロープで女の子をしっかりと括り付ける。
「寝心地悪いけどごめんねえ、捨ておきたいけど、子供に罪はあないからねえ」
誰何に返事のないまま、とと、っと微かな足音を耳がひらう。
その音だけでいやになる。よく訓練された暗殺者や間諜のそれである。
さてどうするか。
しょうがない。
きつめの猫背をさらに深くする。腰を落とし、右手にはいつの間にか握りこまれている短刀。
足音が消える。
塀の木板を一枚挟んですぐそこに互いがあるのはわかっているだろう。相手が一人ならばそれでいいが、弓手とのペアならば途端に不利だ。
久々のごちそうで浮ついた気分が台無しだ、とうなだれつつ、かと思えば塀などないかの如く、そして音を置き去りにし、影にへと一気に肉薄する。
「……っ!」
息をのむ声にならない声を耳がひらう。しかし、それでもやはり、相手は手練れである。
すぐさま得物を振りぬいてくる。
しかし
「そいつあ、ちょっと、悪手じゃあないかい?」
勢いの乗ったこちらの攻撃は、短刀という突く動作に向いた得物も相まって最短距離、対する影の刃物は取り回しはいい小剣だが、とっさの振り下ろしのために一度腕を振り上げている。
ぞぶと沈むいやな手ごたえ、そのまま逃がさないと踏み込み、最中に手首を返しねじることを忘れない。
うめき声をあげることもなく跳び下がる影をそのままに短刀を握る腕を振るう。
ビシャリと血のりを払い影の動きを待つ。
矢は来ない。弓手はこいつ自身か。
刺された腹を剣を持たない手で強く抑えている影は、しかしぐふと咳き込んでいる。
おもむろに小剣を投げてきたと思えば、そのままどこかへと走り抜けてゆく。
思わず追うか、と踵を持ち上げ、しかし、はあと息をつく。
たっぷりと時間をかけ、警戒は解かずに短刀を鞘に納めていく。
「……ふう、やるねえ、うん、ほんと、やるねえ。いやだねえ、おじさん、年取っちゃったよ、もうね、疲れちゃったよお……」
致命に届かなかった事実に苦笑し、べとりと朱に染まる右手を見てため息を吐き、女の子を見やる。
「はあ、いいことはするもんだね、ほんとうに」
「すぴー」
よだれを垂らして眠る女の子を見て、へんにゃりと、疲れた笑みを浮かべて、その場を後にするのであった。
「あ~あ、年は取りたくないもんだねえ……」
『おじさん』がほどほどに頑張る英雄譚 紫陽花 @9364huhuhu
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