第21話

 轟々と嵐渦巻く瀬戸内の海。そこに突き出る様に立地する伊予国は高縄半島の東側、狭い海峡を見遣る波方の地。

 来島水軍の平時の拠点である城館の一角。

 大仰に人払いが掛けられたそこで今、二人の男が対峙していた。


「……右衛門大夫殿。もう良かろう。

 河野家中を半年近くも一人で相手取ったのだ。十分に守護様の面目も立つ。

 お主は、正式に河野一門で奉行人。その上で守護様は隠居。お主に預ける。

 これが手打ちの条件だ」


 そう語る線の細い、それでいて眼光鋭い一人の男。

 名を平岡大和守房実ひらおかふさざねという。


 何処からか流れて来た流れ者でありながら、一代で浮穴郡荏原城城主に成り上がったばかりか、実力で河野氏の重臣を務める傑物である。


「……アンタは、今回の件では中立だと思っていたんだがな」


 そう応えるのは、この城の主であり来島村上氏の棟梁。村上右衛門大夫通康その人だ。


 あの月の無い、漆黒の闇夜、数多の軍勢を手玉にとってから長らく激しい戦いを戦い抜いて来たにも関わらず、その覇気は些かも衰えず、むしろ更に威儀を増している様にすら見える。


「……確かに私は中立だ。

 ただそれは伊予を思えばこそ。お主の為ではない。

 だからこそ私は今こうしてここに居る」


 そう言うと、房実は手にした書状を無造作に投げて寄越す。

 それを見た通康の顔色が一瞬にして変わる。

それは先程までとは打って変わって冷たく凍り付いた様な表情。その顔色のまま、通康は房実へと向き直る。


「……成る程な。ついに大友が思い腰を上げたか。確かにこれは宜しくない」


それは、大友家が河野家中の内乱を仲裁する旨の書状。


「それだけでは無いぞ?

 能島は周防大島との引き換えという条件で大内に色気をだしている。因島は相変わらず竹原小早川と抗争中で動きが取れん。

 くくっ。どうする、お主。同族に攻め滅ぼされるぞ」


 房実の言葉に通康は顔を歪める。


「ふん、笑わせるなよ。

 あんなへなちょこ共なぞ物の数でない。

 ……そもそも大友など当てになるのか?」


 そう言って通康が鼻を鳴らすと、房実はまるで自嘲するかの様に口角を吊り上げる。


「確かにな。大友家は今、筑前や肥前での抗争に忙しい。さりとて大友は強大よ」


淡々と語る房実。


「それにな……」


 房実は声を潜め更に続ける。目は鋭く光り、まるで獲物を狙う蛇の如き眼光であった。


「予州殿……六郎様は長くない」


「なにっ!!」


 通康はその言葉に大きく反応を示す。

 ワナワナと震えながら、その身を乗り出した。

 その視線には最早、先程までの冷徹さは無く、何かの激情が渦巻いている。


「本当だ。良く良く気丈に振る舞ってはおられるが持って半年……」


 訥々と呟く房実の言葉に、通康は愕然とする。

 そのまま、暫く沈黙が続く。

 だがやがて、絞り出す様に通康が言葉を紡ぎ始めた。


「良いだろう。条件を呑もう。

 守護様も此方で納得させる」


 通康の返答を聞き、房実は満足気に微笑む。

 だが、その笑みは直ぐに曇り、陰鬱とした影が浮かぶ。そしてポツリと漏らした。


「まぁ、これでお主の狙いはご破算という訳だ」


 房実が告げた途端、通康の眉間に深いシワが刻まれる。


「……一体、何の事だ」


 苦々しい顔付きで、吐き捨てる様な、それでいて何かを呑み込むような、不思議な物言い。

 それは余りにも不器用な男の精一杯の抵抗。


 その様子を見遣ると、房実は軽くため息をつく。


「皆まで言わせるな。

 言ってもお主にも何の得も無い話であろう」


 その言葉に通康は益々顔をしかめる。

 その様子に房実は呆れ果てたように語りかける。

 その口調は何処までも穏やかだ。


「……それよりは、今後の事だ」


 房実の言葉を受け、通康は僅かに目を開く。

 しかし、すぐに目を閉じ、暫しの間、黙考した後、再びその眼を開く。


「六郎……道政様の後か」


「そうだ」


 房実の即答に通康は渋い顔を見せる。


「……予州家に入った守護様のお子は道政様だけでは無いだろう。他にも居らぬ訳ではない。

 ならば、そのお子を跡継ぎに据えれば良いではないか」


通康の言葉に房実は頭を振った。


「そう簡単な話で無いのだ。

 六郎様の弟君、四郎殿は未だ十かそこら。更にはご気性も、な……」


 その言葉に通康は顔を歪める。


「……では、誰を後釜に座らせる」


 房実はニヤリと笑うと、


「もう一人、居るだろう。守護様のお子は……宗三郎様が」


 通康は思い出す。

 あの夜、優しげな相貌で父を頼むと言って城を下った若武者の姿を。


「身柄を握っているのか……?」


 通康がそう問うと、房実は大きく首を振る。


「いいや。

 実は……あの夜。落武者らしき者が我が領の民と争いになってな。それがどうにも宗三郎様らしいのだよ」


「……頚を取ったのか!」


 もしや、あの若者は既に儚く命を散らしたのかと、通康は慌てるが、房実にしてみれば、その程度の事でわざわざ報告する筈もない。


「それがどうも違うらしい。

 面妖な武器を使う男に助けられたらしいのだ。

 その後の調べで、その武者らは山中を宇都宮領に抜けて行った事が分かっている。


「……八幡浜か板島か、どちらにしろ湊に向かったか」


「あぁ、恐らくはな」


 そう言うと房実は顎を撫でる。

 その仕草を見て通康は察する。


(この男は、初めから宗三郎が狙いだったか)


と。


「大友家に匿われている可能性もあるな」


 房実の言葉に、通康は思わず拳を握る。


「……それは無いな。あのお方は傀儡で収まる玉じゃない」


 通康は楽しげに呟く。

 それを眺め、房実は


「何か……知っているのか?」


と、怪しみながら尋ねるが通康はまともに応えない。


「……いいや、別に。ただ、そう思っただけだ」


 通康の返答に房実は鼻を鳴らす。


「まぁ、どちらでも構わんさ。

 どのみち、六郎様亡き後の事は考えねばならぬ問題だ。

 また守護様に実権を握られてしまえば、今度こそ家中が滅茶苦茶に乱れてしまう」


 だが通康は、猛獣のごとき笑みで嗤うのみ。


「ふん、それならそれで良いさ。

また俺が暴れてやるよ」


 房実は一瞬、驚いた表情を見せたが、直ぐに口元に笑みを浮かべる。


「ふっ、それも良かろう」


 そして二人は互いに見つめ合う。

 それは何処までも不敵な笑み。



 伊予を覆う嵐雲。

 それは未だに、晴れる気配を見せないでいた。

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