第15話

「――なるほど、その返答が頬の紅葉って訳か。そうかそうか、宗三郎殿は振られ男、と……」


 新城がそう大口を開けて笑う。


 対して宗三郎は恥ずかしさからか、耳まで真っ赤にして俯いたまま黙りこくっていた。


 彼等は既に旅空の下。

 鶴崎の街を発った二人は、大野川に沿う様に街道を西に向かってゆるゆると歩みを進めていた。


 そろそろ収穫を迎える金色の稲穂の群れに見送られながら、一路九州最大の商業都市・博多を目指しているのだ。


「それで、別れの挨拶に張り手を一発。……アンタはそれで良かったのか?」


 からかうかの様な口調の中にも、確かな気遣いを見せる新城。


 そうなのだ。

 今朝宿を発つ際も、お篠・宗三郎両名共に視線も交えず通り一辺の挨拶を交わすに留まっていた。


 だがそれは、よそよそしいというよりは、お互いに何を語らえば良いのか距離を測りかねている。そんな様に新城には見えたのだが。


「……良いんだ。そうお篠殿が決めたのなら。それに……私じゃ駄目だったらしいしな」


 そう言って寂しげに微笑む宗三郎の横顔を見て、新城が何かを言い掛けたその時、二人の背後から声が掛かった。


「……泣いてましたぜ、女将さんは」


 聞き覚えのある野太い声だ。

 二人が振り返ると、そこにいたのは旅装束の隻腕の男。――湊屋甚五郎だ。


「甚五郎さん、アンタ何故こんな所に?」


 驚きの声を上げる新城。

 しかしそれも無理は無いだろう。

 最早、鶴崎からもかなり離れた。ちょいと散歩に、なんて距離でも無いのだから。


「いえね、あっしももう良い歳だ。くたばる前にもう一度、故郷くにの土を踏んでおきたいと思いましてね。

 跡目を手下に譲って旅に出る事にしたんですわ。

 まぁ、ご存知の通りあっしは飛騨の出。お二方が目指す美濃の隣国。

 ならば途中までお供させて頂きたいと慌てて追っかけて来た訳で」


 そう甚五郎は照れ臭そうに頭を掻く。

 だが次の瞬間、真剣な表情に変わりこう言葉を続けた。


「お二方の姿が街角に消えるや、あそこの女将、膝から泣き崩れてましたぜ。何事かと思いやしたが、……そういった事情ですかい。

 いやはや何とも罪作りな事ですな、宗三郎様」


 その言葉で、宗三郎はハッとした。

 自分が、如何に愚かな事をしていたのかを思い知らされる。


 己の想いを一方的に押し付けて、それで満足して、自分は逃げていた。お篠の心情を考えずに。


 お篠の気持ちを慮る事も無く、自分の事ばかり考えていたのだ。


(私はなんて馬鹿なんだ)


 己の愚行を恥じた宗三郎は、思わずその場にしゃがみ込む

 だが、その行動は余計に彼を追い詰めただけだった。


「私は……」


 後悔で胸が一杯になる。それは今にも自分が消えて無くなってしまうのではないかと思った程だ。

 

 だが、そうやって塞ぎ込む宗三郎を見て、新城が突然大きな声で笑い出した。


「ハッ、良かったな色男。

 アンタはしっかりお篠さんの心を捕まえていたみたいじゃないか」


 そう言うと、新城はおもむろに甚五郎に向き直る。

 そして、彼はこう言った。

 まるで、おどけた道化師の様に。

 さも愉快そうな笑みを浮かべ。


「なぁ甚五郎さんよ、アンタも見てみたくないか?   

 惚れた女の為に一人の若造がどんな大それた事をやってのけるのか。俺は興味が湧いて仕方ないんだが」


「……そうですねぇ」


新城の言葉を受けて、思案気に顎を摩る甚五郎。


「……なるほど、マサさん。

 アンタは全部分かってて、敢えて宗三郎様に何も言わなかったって訳ですかい」


「……何だよ、俺が悪者みてぇな言い方するんじゃねえよ。

 それに、人の恋路に口を出すなんざ、野暮中の野暮ってもんだろうが」


「そうかもしれませんがねぇ。

 ……しかし、些か不憫ではある」


 そう言って、チラリと宗三郎の方を見やる甚五郎。


 呆然と地に膝を突く宗三郎。

 そんな宗三郎に歩み寄った新城はゆっくりと語り掛け始めた。


「いいか宗三郎殿。

 お篠さんを迎えに行くんだ。

 だが、それは今じゃ無い。

 アンタが、もっと偉くなってからだ。

 あの人は、きっと今も、辛い過去と必死に戦っている筈だ。だからこそ、アンタは今よりもずっと、強く、大きくなる必要がある。  

 そうだろ?」


 新城は、言葉を一つ一つ噛んで含めるかの如き口調でそう告げた。

 それはある角度から見れば、若者の傷心に付け込んだ洗脳とでも言えるかもしれない。


「宗三郎殿。

 アンタはこの乱世で成り上がるんだ。

 そして盛大な行列を組んでお篠さんを迎えに行けば良い。その為にも今は修行の時だと思え。

 だからよ、今ここで立ち止まっちゃいけないんだ。分かるな?」


 宗三郎にとって、その言葉は救いだった。

 新城の言葉にはそう思わせるだけの不思議な力があった。それがたとえ、ただの言い訳・戯言であったとしても、彼ならそれを真実に変えてくれる様な気がしたのだ。


 宗三郎は膝に力を込め立ち上がる。


 そんな宗三郎の姿を見た新城は、満足そうに口の端を持ち上げる。


「良し、じゃあ行くぞ」


 そう言って、踵を返す新城。

 その後を追う様に歩き出す宗三郎。

 そんな二人の背中を見詰め、甚五郎はふっと息を吐き呟く。


「やれやれ、マサさんも人が悪い。

 あの人は宗三郎様を自らの木偶人形にでもするおつもりなのか……

 ――――だが、そうはさせませんぜ。あっしは宗三郎様が、己の意思で何を為すのか。 

 それを見届けたいんだ」


 そう、独りごちると甚五郎もまた、二人を追って歩き出す。その顔に決意の色を浮かべながら。


****


「……いとまを頂きたいか。

 まぁ、それも良かろう。儂にあの男を止める手だても無し」


 鶴崎城内の一室にて、長増はつまらなそうにそう独りごちる。


「甚五郎……お主が見初めた男。

 その生き様、しかと見極めて来い」


 ――――管領にして細川吉兆家当主・政元が自邸内にて殺害された永正の錯乱。


 これを切っ掛けに長く続いた戦乱の最中、遥か周防から京に上り大きな権力を握った管領代かんれいだい大内左京大夫義興おおうちさきょうたゆうよしおき。その長い影として縦横無尽の活躍をした一人の若者がいた。勿論、その名が世に知られる事は無かったが。


 やがて、義興が死去した後にその若者は姿を消し、もはや名を知る者もわずかとなっている。


 長増はふと目を瞑り、一人の男の姿を脳裏に浮かべる。


 小兵でありながら、その気迫は見る者を怯ませ、その隻腕でもって数多の敵を切り伏せられるだけの技量を持ったその男。


 ――その男の名は甚五郎。左甚五郎ひだりじんごろうといった。

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