第13話

 鶴崎でも一等、上等な料亭。その中でも更に奥まった座敷。そこで数人の侍が酒を飲んでいた。


「まったく面白くないの」


 盃を傾けながら、一人がそう呟く。

 街中で宗三郎に絡んだ、狐の様な眼をした男だ。顔には苦々しい表情が浮かんでいる。

 それを見て、男の機嫌を損なわぬ様に周りの取り巻きも口々に賛同する意見を述べる。


「全くですな。あの若造、この私に恥を掻かせおって!」


「あの無頼もだ、下賎の身が吉岡殿の威を借りて我らを愚弄しおって!!」


 男は自らの率いる者達の、余りに的外れな思考に怒鳴り散らしたくなる。だが、杯を舐める事でそれを誤魔化し、呟く。


「そちらではないわ。……塩法師様よ」


「あ……」


 それを聞いて、他の侍達は一斉に口をつぐむ。


「お館様もお館様よ。

 政の指南を左衛門大夫に任す!?

 それは傅役である我の役目ではないのか? そんな事だから、アレも我を軽んずるのだ!」


 そう言い放つと、男は乱暴に杯を掴みそのまま酒を飲み干した。

 そして、荒々しく膳の上に叩きつける。けたたましい音と共に酒肴を載せた皿が辺りに飛び散る。


「……まぁ良い。

 我を虚仮にした事が、どれだけ愚かな事であったか。何年掛けてでも思い知らせてやる」


 そう呟く男の顔には、おどろどろしい憎悪に塗れた笑みが張り付いていた。


****


「……はあ」


「どうした宗三郎殿、溜め息なんかついて」


 鶴崎の街を歩く宗三郎の口から大きな溜め息が漏れる。

 この二人、新城が稼いだ金で予備の衣装などを揃えに行った帰りであった。

 お陰で新城の格好も、農民から無頼者を経て、素浪人くらいの格好にはなった。


 新調した着物を纏い、威風堂々と隣を歩く新城が茶化す様に尋ねる。


「いや、何でも」


「嘘をつくな。そんな訳がない」


 そう言うと、新城はニヤリと笑う。


「昨晩の事なら気にする事はないぜ。というより気にしてもどうにもならん。……だがまあ、そうだな。アンタが気にしているなら、一つ俺から言える事がある」


「なんだ?」


 新城は面持ちを改め宗三郎を見つめると、一言だけ言った。


「アンタはもっと強くなるべきだ」


「……」


 宗三郎は何も言わず、ただ拳を強く握りしめた。


「アンタの生い立ちは舟の中でも聞いた。――その上でアンタは何の為に城を抜け出したんだ? それは惚れた女一人に左右される物だったのか?」


「……私は、私が許せないんだ。

お篠殿はいつも私の事を気にかけてくれていた。なのに、その想いに応えられない自分が……」


「……ならば、好きにすると良い。

安宿の主人に収まって一生を終える、というならそれも良いだろうさ。

 だがな、何度も言うがアンタはこの先どう生きる。それを己の内に持つ事が強さって物だろう?

 ……湊屋のお陰で路銀は稼げた。もういつでもこの街を発てる。

 悩む時間はそんなに無いぞ」


そう言って新城は歩き出す。


「……私は、一体……」


その宗三郎の言葉に、新城は何も答えなかった。


****


 その日の夜。

 新城と別れた後、宗三郎は一人で街をただあてどもなく彷徨っていた。


 どうにも宿に戻りたく無かったのだ。


 ふらふらと歩く内に、街を外れ大野川の河原にまで来てしまう。土手に腰掛けると、川の水の流れが月明かりを受けてキラキラ輝いているのが見える。


 今そこには誰もいない。

 ただ寂しげに風が吹き、芦原をそよがせる。


(まるで今の私だ)


 そう思った瞬間、何者かに突然、後ろから声をかけられる。

 ――気配も全く感じさせずにだ。


「黄昏ておりますな」


 ハッと振り向くと、そこに立っていたのは甚五郎であった。


「甚五郎殿……何故こんな所に?」


 驚きながらもそう問う宗三郎に、甚五郎は少しの間、黙っていたがやがて静かに口を開いた。


「後悔なさっているので?」


「突然、何を……」


 戸惑う宗三郎を制し、甚五郎は続ける。その口調にふざけた様子は一切ない。

 淡々と、しかしどこか重みを感じさせる声で彼は語り続ける。


「マサさん……新城殿はああ見えて口が堅い。

 それでも何とか訊き出した話を合わせるに、貴方様は伊予守護・河野様の御一門でしょ? それもかなり血の濃いね」


 宗三郎はビクリと身を震わせる。

「な、何の事だ」

 そう返答する宗三郎の声は震えている。それを見透かすかの様に甚五郎は言う。

 彼の顔には先程までの笑みは無い。

 あるのはただ真剣さのみだ。


「……ここ豊後の大友様と伊予は中々に関係が複雑だ。貴方の身柄を引き渡したら一体幾らになるんでしょうねぇ」


 その言葉を聞いて、宗三郎の全身に冷たい物が走る。

 目の前にいる男が急に恐ろしく思えてきたのだ。

 そう思うと同時に、自然と身体が動き腰に手が延びる。が、そこで宗三郎は動きを止める。

 甚五郎の言葉を聞いたからだ。


「おっと、勘違いしないで下さいよ。あっしに貴方様を売るつもりはありませんよ。ただ、聞きたかっただけなんで」


 宗三郎の手から力が抜ける。


「……何だ」


「いえね、以前にもお訊きした事でさぁ。

 何故、安穏としたお立場を捨ててまでそんな危険な旅をなさる? その道に不安は感じていないので? 一切後悔しないと確信しているので?」


 そう問われ、宗三郎は俯く。そして暫くしてポツリと答えた。


「―――試してみたいのだ」


「……試してみたい」


「ああ、この乱世で私がどれ程の事が出来るのか、その限界を知りたい」


 そう言うと宗三郎は、空に浮かぶ月を見上げる。

 細い、上弦の月だ。


 その上弦の月に負けぬ程、口角を釣り上げ甚五郎は皮肉気に呟く。


「何とも安直な望みですな。

 日の本の男児なら皆、一度はそう思い立つ。だが、大方はその途中で夢から醒めるか、あるいは挫折する」


「……そうなのかもしれないな。だが、それでも私は知りたい。己の限界を」


「……はっ、その結果がこれでも?」


 甚五郎はそう言って、己の無くなった右腕を掲げる。

 着物の袖がだらりと垂れた。


 宗三郎は僅かの間はたと思案する。


 きっと並み半端な答えでは甚五郎を納得させるには至らないだろう。何故なら、甚五郎はかつて宗三郎と同じ望みを懐き、ここまで流れ着いたのだから。


 だからこそ、宗三郎は小手先の言い訳をするのでは無く、今自分が抱えている感情を正直に吐露する事にした。


「……そうだな。

 確かに私の決断は軽率だったのかもしれん。

 城の中で人形の様に生きていれば、その内それなりの領地をもらって、暮らしに困る事も無かったろうよ。

 だが、そんなお仕着せの暮らしなど私には到底耐えられなかった。

 新城殿やお篠殿、そしてお主。そういった者達の様に自分の足でたって生きたいんだ」


 宗三郎はそう言うと、甚五郎に笑い掛けながら続ける。

 その笑みからは先程までの葛藤は感じられない。まるで憑き物が落ちたかの様だ。


「そう思わせる程には、私は今を楽しんでいる。そしてこの先、何か後悔するような事が待っているとしてもその事実は変わらない」


「そうですか……」


 そう答えると、甚五郎は暫し黙り込むが、やがてくつくつと体を震わせ始める。


「どうされた?」


 不思議がる宗三郎に、甚五郎は満面の笑顔で言う。


「いや、失礼。

やはり貴方様は面白いと思いましてね」


「どういう意味だ」


「いえ、大した意味はありませんよ」


 そう言うと、甚五郎は宗三郎にくるりと背を向け歩き出す。


「それではあっしはこれで。……宗三郎さん、また会いましょう」


 そう呟く背中が、酷く愉快げに揺れている。

 そう、宗三郎には見えたのだった。

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