第10話
「……そうだな、私は――」
宗三郎が発した言葉、それを聞いた甚五郎は何事か言おうとする。が、そこに部屋の襖が開き一人の男が入って来る。新城だ。
「あれ、宗三郎殿? 何でこんな所に?」
と言いながら新城は甚五郎の方をチラリと見る。
甚五郎も驚いた様な表情を浮かべながら、
「なんと、ではマサさんの連れのお人ってのは宗三郎様の事だったのかい」と呟く。
「マサさん?」
宗三郎の問いに甚五郎は、
「ああ、新城殿の事で。
――マサさんにはあっしらの稼業に手を貸して頂いてるんでさぁ」と答えた。
「……そうか、では新城殿が叩きのめしたというのは甚五郎殿の手勢だったのか」
宗三郎の言葉に、新城は小さく笑い答える。
「いやいや、そんなの過去の些末な行き違いみたいなもんさ。今は仲良くやってるよ」
(まったく、己が喧嘩を売っておいて良く言える)
いけしゃあしゃあと答えた新城にそう思いながらも、宗三郎は「……そうか」と呟き、甚五郎に向き直ると頭を下げる。
「済まない、甚五郎殿。先程言った事は忘れてくれ。そして、改めて礼を。私を助けてくれた事感謝する」
「いえいえ、袖すり合うも多生の縁。お互い様ですよ。あっしも久方振りにの身の上の話を語れて楽しかった。
また、何かあればいつでも言ってくださいや。
湊屋と言えば鶴崎の人間は直ぐに分かりますんで」
そう言った後、甚五郎も深々と一礼をする。
「……ところで甚五郎さん。
ちょいと頼みがあるんだが……」
そこに切り出したのは新城だ。
甚五郎は顔を上げると不思議そうな顔をしながらも答える。
「マサさんの頼み事とは……少々おっかないですな」
「いや、大した事では無いんだ。
変な子供を拾ってな。
――酒場で一杯やっていたら、やたら身なりの良い小僧が、『ここで大立ち回りをした者を出せ!』ってな。
面倒だから知らん顔で通そうと思ったんだが……アンタの手下がな、囃し立てるもんだからばれちまった」
そう言うと新城は肩を竦める。
「それで、その小僧は?」
そう宗三郎が尋ねると新城は、
「帰れって言っても付いて来るから連れてきちまった。でな、ソイツをどうにかして欲しいんだよ。
何か『我は塩法師ぞ』って言ってたが、どっかのお偉いさんの子か?」
それを聞いて甚五郎の顔色が変わった。
慌てて立ち上がると、そのまま部屋を出て行こうとする。それを宗三郎は呼び止めた。
「甚五郎殿、如何した。その様に慌てて」
くるりと振り返った甚五郎はボソリと呟く。
「塩法師様といえば、ここ豊後の太守、大友様のご嫡男様でさぁ」
――――と。
****
「塩法師におかれましてはお初に御意を得ます。
某、湊屋甚五郎と申しまする。
此度は手前の配下共がご無礼を致しました」
そう言いながら甚五郎は平伏する。
――ここは湊屋の一室。
先程、宗三郎等がいた部屋より更に上等だ。
そこには頭を下げる甚五郎、宗三郎の他に二人の男がいた。
一人は新城。宗三郎に頭を押さえつけられ、嫌々ながら平伏している。
もう一人はまだ年端も行かぬ一人の少年であった。
だが、上座に据えられ、大の大人たちに平伏されても動じないその風体は、確かに名門の出と思わせる物がある。
「うむ、面を上げよ」
塩法師丸の言葉に従い、甚五郎たちも頭を上げる。
「それで塩法師様、此度はどの様な御用件でしょうか」
そう問う甚五郎に、 塩法師丸は目を細めて語りかける。
「左衛門大夫から面白い話を聞いてな。確かめに来た」
甚五郎は首を傾げる。
だが、それに構う事もなく塩法師丸は新城を見て問う。
「そこの者が数多の無頼を無手にて叩き伏せたというのは本当か?」
「へぇ、その通りでございます。……しかし、それが何か?」
恐る恐るといった様子で答える甚五郎に、 塩法師丸は視線を移し更に続ける。
「お主はここの頭であろう? 何故、自らの手勢を倒した相手に報復せん。叶わぬからと謙っておるのか?」
「いえ、その様な事は……」
否定しようとする甚五郎に、塩法師丸は畳み掛ける様に話す。まるで試しているかの様に。
「そうなのか? 力では叶わぬから大人しくしているだけでは無いのか? この者が隙を見せれば首を掻き切る腹積もりでは無いのか?」
そう言うと塩法師丸はジロリと新城を見る。
対する新城は、 ニィっと口元に笑みを浮かべた。
「坊っちゃん。アンタはこう言いたい訳だ。――この世は力が全てだと。強者が弱者を上から押し付けて、弱者は虎視眈々と強者の隙を窺っているのだと。
それを甚五郎さんの口から聞きたいんだろ?」
塩法師丸は黙って新城を見つめる。
そして、静かに口を開いた。
「それも含んでいる。
だか、尋ねたいのはもっと別の部分だ」
すると、新城はニヤリと笑い答える。
まるで塩法師丸の心の内が分かっていたとでもいう様に。
その態度が気に入らなかったのだろう。
塩法師丸の顔は見る間に険しくなっていく。それでも何とか冷静さを保とうとしているのが見て取れた。
そこで宗三郎はふと思う。
(そう言えば……先程もこの様なやり取りがあったな)
それは甚五郎との会話の中でだ。
「……道か」
――宗三郎がポツリと呟いた一言に、部屋にいた全員が意識を向ける。
「塩法師殿は何を基に生きるのか。何の為に生きて何を為すのか。それを問うているのだな。
そして何かを為した時、あるいはその前に力尽きた時の事を恐れているのだ」と。
それを聞いた塩法師丸は目を大きく見開いた。
宗三郎は更に言葉を紡ぐ。
「成る程それは難しい問いですな。
答えは人それぞれでしょうし、その者にしか出せないものでしょう」
そう言うと宗三郎は新城の方を見る。
すると新城もまた、宗三郎の目線に気が付き、小さく呟く。
「それは酷く儚い。例え己の道を見つける事が出来たとしても、それを貫けるかはまた別の問題だ」と。
それを聞き塩法師丸は、 大きく息を吐き出すと宗三郎に向かって話し出す。
だがその口調からは先程の刺々しい雰囲気は無くなっていた。むしろ、何処か親近感を感じさせる様な声音で話す。
「……そうだ。我はその事を尋ねにきた。
人は誰もが違う道を歩く。そして異なる考えを持つものだ。
だからこそ我には分からぬ。何故人は寄り集まろうとするのか。例え争うと分かっていても、他者に自らを押し付け、従えようとするのか」
そう言いながら塩法師丸は、じっと宗三郎を見据える。宗三郎もそんな塩法師丸を真っ直ぐに見返す。
そこにいるのは一国の跡取りではない。
ただ、人の心を知りたいと願う一人の子供だ。
だから宗三郎は思ったままを口にする。
「私は思うのです。人と言うのは例え自ら選んだ道を進んだとしても、必ず何処かで後悔するのではないかと。
しかしその時、隣に誰かがいてくれれば、自分が歩んできた道に間違いは無かったのだと。
そう、思えるのでは無いかとね」
「…………」
その言葉に塩法師丸は僅かに目線を虚空に逸らす。
だが、直ぐに向き直ると今度は甚五郎に話しかけた。
「湊屋、お主はどうだ。
共に道を歩む者、その様な者がいるのか?」
そう問われた甚五郎は一瞬だけ目を閉じ、そしてゆっくりと目を開けた。
「へぇ、あっしは浅学非才の卑しい身の上、そこまで考えて生きてはいませんで。
……しかし、そうですな。人は己の進む道を欲しているのでは無く、誰かと共に進む道こそを欲しているのかもしれやせん。
であれば、その先に待つ物が如何なる物であろうとも、きっと悔いる事は無いんでございましょうなぁ」
そう言って甚五郎はフッと笑う。
「そうか……」
塩法師丸はそう呟くと、暫くじっと黙り込んでいた。が、突如スッと立ち上がると
「……邪魔をした」
と言い残して部屋を出て行く。
甚五郎が慌ててそれを追いかけ見送りに出て行く。
部屋に残されたのは宗三郎と新城の二人のみだ。
二人は何も喋らない。沈黙だけが両者を繋ぐ。
そして、どれくらい経った頃だろうか。
不意に新城が口を開く。
「宗三郎殿。アンタの道は俺の道と交わっているのかな?」
その問いに宗三郎は少し考える素振りを見せると、口元を緩め答える。
「さぁな、だがそうであって欲しいとは思うよ」
それを聞いた新城は小さく肩を竦める。何かを口に出す事も無く。
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