第9話

「おい、そこの。……お主だ!」

 宗三郎が路頭でそう声を掛けられたのは、お篠に頼まれた買い物から戻ろうとしていた時であった。

 見ると、小綺麗な装いをした侍が数人、通行人を威圧するかのように辺りを睥睨していた。先頭に立つのはいかにも悪巧みを好みそうな痩せた中年の男である。

「……何の用だろうか」

 宗三郎は警戒しながらもそう尋ねる。

「お主、ここらで子供を見なかったか? 十ほどの武士の子供だ」

「さて……」

 と、宗三郎は首を傾げる。

 すると男は舌打ちし、

「そうか。ならもう行って良いぞ」

とそっけなく言う。

 しかし、宗三郎が男たちの前から立ち去ろうとするとと言い放つ。

「お主、そんなナリだが腰の物をみるに元は侍だな?」

 その言葉には何処か嘲りめいた物を覚えた。

 ちなみに今、宗三郎は商家の奉公人のように袴を付けず、着流しに羽織だけを羽織っている。――お篠が亡夫の物を用立ててくれたのだ。

 刀を差しているものの、侍とは見えない格好だが何かしらから勘づいたのだろう。

「それがどうしたと言うのか」

 宗三郎の言葉に男はニヤリと笑う。嫌な笑みだ、狐のようだと宗三郎は思う。

「いや、なに。その刀の拵えに、整った所作。元はそれなりの出だろうに、今や商家の使いっ走りなどをしているとは勿体無いと思ってなぁ」

 男の言葉に周りの取り巻きたちが下卑た笑い声を挙げる。

 宗三郎はその嘲笑を意に介さず、男たちに背を向け呟いた。

「なに、他人を貶めて喜ぶ者らに囲まれて悦に入る身分などより、余程遣り甲斐があると言うものだ」

 それを聞き男たちが一斉に気色ばむ。

「貴様! 我らが誰か理解してそのような口を聞いているのか!?」

「この無礼者が!」

 侍たちは激昂し、腰の刀に手を掛ける。

 それまでこわごわと様子を窺っていた周囲の人も、巻き込まれては堪らないとばかりに一斉に逃げ出す。

 しかし宗三郎は全く動じない。

「さあ知らん。誰なのか教えてくれんかね」

 あくまで惚けた態度を取る宗三郎に業を煮やしたのか、一人が遂に抜刀する。

 それを合図として他の者たちも次々と剣を抜き放った。

 一触即発の状況であったが、そこに一人の男が割って入る。

「――お武家様方、天下の往来で何をしておられるのですかな?」

 小兵ではある。だが、どう見ても並みの男では無い。

派手な柄の着流しに半纏、まさに傾奇者といった体である。

 そして何より、右腕が無い。着流しの右肘の辺りから先がバタバタと風にひらめいている。

 ふと、宗三郎が辺りを見渡せばいつの間にか宗三郎と侍たちは、傾奇者然とした男の手下であろう者たちに周囲を取り囲まれていた。

「な、何だお前らは?」

 突如現れ、口を挟んできた隻腕の男に対し、侍たちは警戒心を顕にする。

「これは失敬。あっしはお殿様より鶴崎の人夫の取り纏めを任せられております、湊屋甚五郎と申しやす。町中で揉め事が起きたという報せを受けましてね。駆け付けて来た次第でございやすよ」

 甚五郎と名乗る男は頭を下げながら言う。

 その丁重な姿勢からは悪意は感じられないが、何処と無く油断のならない空気を感じさせる。

「人足ごときが口を挟むな!

 これは無礼討ちぞ!」

 侍の一人がそう叫ぶ。しかし、甚五郎はその怒声を柳のように受け流し、涼しげに微笑みながら言った。

「困りましたな、あっしらで事を納められぬとなると、お殿様、吉岡左衛門大夫様にお出まし願わなければなりませんな。

 ――それは、お武家様方もご本位では無いのでは?」

 それを聞いた彼等はスッと顔を青ざめさせる。もはや先ほどまでの威勢の良さは微塵も無い。

 侍たちも流石に分が悪いと判断したのだろう。

 舌打ちし、宗三郎に向かって

「命拾いしたな!」

と吐き捨て、その場から立ち去って行く。

 侍たちの姿が見えなくなった後、宗三郎は甚五郎に向き直り、深々と頭を下げ礼を言う。

「お助け頂き感謝します。お陰で、荒事にならずに済んだ」

「いや、大した事ありませんや。むしろスカッとしたってもんですぜ。

 中々どうして、大した胆力だ」

 そう言って甚五郎はカラカラと笑う。

 その屈託の無い笑顔を見て、宗三郎はホッと息を吐く。少しだけ胸のつかえが取れた気がした。

 いくら新城の真似事をしてみても、生来の気性は早々には変わらないらしい。


****


 その後、宗三郎は甚五郎に連れられ彼の根城である湊近辺の口入れ屋へと足を運んだ。

 使いの途中だと告げたのだが、随分と甚五郎に気に入られたらしく、半ば強引に連れて行かれたのである。

 湊屋の暖簾をくぐると、中には数人の男が座っている。皆、一様にこちらに視線を向け、甚五郎の姿を見るやいなや、

「お帰りなさいませ親分!!」

 と叫んで立ち上がる。次いで宗三郎の姿を目にすると、途端にいぶかるような面持ちに変わる。

 そんな彼らに構わず、甚五郎は上機嫌に話し始める。

「お客人だ、すぐに茶……、いや酒と何か旨いもんでも持って来い」

と、甚五郎は配下に指示を出し、宗三郎を店の奥にある部屋へと通す。

 そこは座敷になっており、宗三郎は部屋の中へ入り、勧めに従い上手に座る、甚五郎も向かい合うように腰を下ろした。

 そこに酒を持った甚五郎の配下が入って来て、二人の前に大きな徳利と枡、酒肴を並べて退出して行った。

 それを見送ると甚五郎は、

「まあ、まずは一献」

と言って宗三郎の枡に酒を注ぐ。

 宗三郎はそれを一息に飲み干した。

「おお、良い呑みっぷりですな!」

「いや。お恥ずかしながら、私はさほど呑めない質でな、もういっぱいいっぱいだよ」

 そう言って遠慮しようとする宗三郎だったが、甚五郎はお代わりを注ぎ、

「何、気にする事はありやせんよ。さあ、ぐんぐん行きましょうや」

と、言いながら、自らの物にも酒を注いで行く。

「そちらさんは、そんな格好をしていらっしゃるがお武家様でしょ?

 良ければ名を教えて頂けませんかい?」

 甚五郎がそう問うたのは、宗三郎が二杯目も空にした頃だった。

「ああ、名乗りが遅れました。

 私は宗三郎道房といいます。家名は……出奔した身ゆえ、どうかご容赦を」

 そう話した宗三郎に対し、甚五郎も身を正すと

「――では、あっしも改めて。

 この湊屋の主、甚五郎と申しやす。

 元は飛騨の産ではございますが、鶴崎城主・吉岡様より鶴崎湊の人足共の差配を任されております」

と、自己紹介をした。

 それから暫く、二人は他愛の無い話を続けたが、どうしても宗三郎の視線は甚五郎の右腕に向かう。

「……あぁ、これでございますか」

 それに勘づいたのか、甚五郎は己の右腕を僅かに掲げた。

「いや、済まない。少々、不躾だった」

 宗三郎の言葉に対し、甚五郎は首を横に振りながら答える。

「いえいえ、構いませんぜ。

これも自業自得と言う奴で」

 その顔には自嘲するような笑みを浮かべている。

「…………」

 そんな甚五郎に宗三郎は何も言う事が出来なかった。

 暫く沈黙が辺りを支配する。だがそのうち甚五郎は、ポツリポツリと自身の身の上を語り始めた。


****


  ――――あっしが飛騨の産まれというのはお話ししましたでしょ?

 なんて事は無い、しがない小作の三男坊ですよ。

 深い山峡の、僅かばかしの田畑を毎日毎日耕して、それだけではとても食べていけないもんで、山の木々を切り出しては、こまごまとした物に細工をする日々でした。

 まぁ、これでも細工の腕は中々の物だったんですよ。こればかりは村の衆からも誉められた。

 ――それが良く無かったのかも知れませんな。やがてあっしは、己の境遇に我慢がならなくなった。

 そりゃ、あっしだって分かってはいたんです。小作は所詮、小作。どれだけ張り切ったところで、どうしようも無いって事はね。

 それでも、どうしても諦められなかった。だから家を飛び出した。

 幸い、あっしは小作の倅にしては腕が立った。それに読み書きや算術の素養も多少はあったんでね。それらを生かすために京へ上ったんです。

 えぇ、そうですとも。

 初めは武士になろうと思ったんです。

 丁度その頃、畿内は荒れに荒れていた。――もっとも、それは今も余り相違はありやせんが――

 そこに雑兵として身を投じた訳です。そこそこの手柄も挙げたんですぜ。手勢も少しは従えてね。

 この腕? いえいえ、戦で落とした訳じゃ無いんですや。……結局、あっしは小作の出。

 いくら剣を振ろうと、いくら勉学に励もうと、身分の壁は越えられやしない。それを思い知った代償、とでも言いますかね。

 それでも、情のあるお方ってのはいるもんで、そのお方に従って西国まで下って来たんです。

 でもね、そのお方がお亡くなりになって代が変わると、どうにも居ずらくなりましてね。お暇を頂戴してここに店を構えた――


****


「――後は商売に精を出して、お殿様にも認めて頂き湊を仕切らせて貰っている訳で。

 ……いや、長々とつまらぬ話を」

 そこまで語ると甚五郎は、はっはっと笑いながら頭を掻く。

 宗三郎はそんな彼に何も言わずにただ黙って聞いていた。だがやがて、静かに口を開ける。

「甚五郎殿、貴殿は悔いを懐いているのか? 己の志は実らなかったと」

「……そうかも知れやせん。ですが、それも今頃な話で。

 それに、この渡世も悪くありやせん。このご時世で恵まれた事に」

 そう答えた後、甚五郎はふぅーっと息を吐いてから話を続ける。

「でもね? 思うんですよ。

 あのまま飛騨の山奥で、彫師に弟子入りでもしていたらどうなっていたかとか。頑張って棚田の一つでも切り拓いて、嫁さんも貰って暮らす道もあったかも知れないなんて」

 そこで一旦言葉を区切り、宗三郎の瞳を見据える。

「宗三郎様、貴方は後悔していませんかい? 家を飛び出て、こうして異国の土地まで来た事を」

 そう尋ねられた宗三郎は、暫し考え込んだ後、ゆっくりと口を開く。

「そうだな、私は――――」

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