上の空
新城が町に出てから数刻。
既に日もとっぷりと暮れ、辺りが闇に包まれた頃だ。
宗三郎は単身、灯火も用いず月光のみを頼りに酒を飲んでいた。
その面持ちは、どこか虚ろで生気が無い。
「あぁ……」
酒の酔いに身をゆだねながら、宗三郎は静かに溜め息を吐く。
今しがたまで聞こえていた町の喧騒はすでに無い。皆、酔い潰れるか寝床へと戻って行ったのだろう。
だが、新城は未だに戻らない。
宗三郎には、野獣のごとき精悍さを漂わせていながらも何処か飄々としたあの男が、何処で何をしているのかさっぱり検討も付かない。
「……」
宗三郎は空を見上げる。そこには煌々ときらめく満月があった。
雲一つ無く晴れ渡った夜空にぽっかりと浮かぶ大きな月。それはまるで己をせせら笑っているかのようだった。
何かを考えるのを拒むかのように、宗三郎はまた酒を呷った。
****
それから暫くした頃、ドンドンと何者かが宿の戸を大きくぶつ。
「お~い、俺だ! 女将、開けてくれ!」
そう声が聞こえてきた事で、新城が戻って来たのだと宗三郎は気付く。
(ようやく戻ったか……)
と、ほっとした心持ちで宗三郎が階下に降りると丁度、夜着を纏った女将がつっかい棒を外し新城を内に招き入れるところであった。
「やれやれ、やっと帰ったかえ
余りに遅いと中に入れないところだ」
新城にそう伝える女将を見て宗三郎は、自らの心臓が早鐘を打つのを覚えたが必死にそれを抑え込み、新城に苛立ちを向ける事でそれを誤魔化した。
「遅かったではないか」
思わずそんな言葉が出てしまう。
「すまんな、遅くなってしまって。
色々あったんだ」
申し訳なさそうな顔でわびる新城。
「それじゃあ、私はもう寝ますよ」
そう女将が声を掛ける。
「ああ、ありがとうよ」
そう言って新城が礼を述べ、二人は部屋へと戻る。
部屋に帰るなり、色々と尋ねようと思った宗三郎だったが、新城に先を越されてしまった。
「おっ、酒があるな
これ、どうしたんだ」
「……女将からの差し入れだ」
宗三郎は黙っていても仕方ないと、そう答える。すると、囃し立てるような返答が返って来た。
「おお! じゃあ、女将とは宜しくヤれたって訳か」
何とも下卑た物言いをする男である。だが、その軽薄さが今は救いにも思えた。
そんな事を考えている内に、自ずとと口元に笑みを浮かべている己に気が付き、慌ててそれを消す。
「そんな事は一切無い!」
強く否定する宗三郎に対し、新城は微笑みながら言う。
「まあまあ、怒んなって。冗談だよ、冗談。それにしても大分飲んだみたいじゃ無いか。
さっきからお前さんの顔が赤いのはそのせいか?」
確かに、些か飲み過ぎたかもしれない。
先程から、心情が顔に出過ぎている気がしてならない。いや、己のしでかした事を酒のせいにしたいのかもしれないと宗三郎はボンヤリと考えた。
話題を変えようと、宗三郎は新城に酒を勧めつつ話し掛ける。
「――それでお主の方の収穫は?」
「おう、バッチリだぜ。
ちょいとややこしいから順に話して行くぞ」
そう前置きした新城は、酒で喉を潤すと朗々と自らの行動を語り出す。
「まず、町を出た俺は一軒の酒場に入った。 こういう場合は酒場で情報を仕入れるのが鉄則だ。
それも、なるべく荒くれ者が集まっていそうな店でな」
「フム」
宗三郎は己が世間知らずなのは充分に自覚していた。なので己より余程年上の新城が言うならそうなのだろうと、大人しく続きを聞く。
「そして、俺は酒を一杯頼んだ」
「……ほう」
一人だけで酒かとも思わなくは無いが、結果的に自らも同様の事をしていた宗三郎は何も言わない。
「そして俺は、その酒を酒場で一等威勢の良かった男の頭にぶっかけた」
「ほうほ……って、待て!
何故そうなる!?」
つい話の途中で突っ込んでしまう宗三郎。
「まぁ聞け。
当然、こんな事をすれば盛大に揉める。だが、それが狙いよ」
余裕たっぷりにそうしゃべる新城に、宗三郎は理解が追い付かない。
「……一体どういう事だ?」
「そうやって騒ぎを大きくしていけばそのうち誰か、大概は土地の地回りが仲裁に入る。『おい、誰のシマで暴れてやがる!』とな。
あとは、ソイツ等もしばき倒せば土地で頭を張っている奴に話が通るって寸法さ」
「…………」
宗三郎は頭が痛くなった。
出来れば聞かなかった事にしたい。全て酒に酔った上での悪い夢だと思いたかった。
だが、そう思い込むには宗三郎は理知的過ぎた。
彼は全てを諦めたかのように溜め息を吐き、新城に向かい呟く。
「……おかしなところだらけだが、中でも幾つかおかしな事がある。
聞いて良いか?」
「ああ、お天道様が東から昇るより明確な道理だと思うが、ひと通り聞いてやる」
「……そこまでの修羅場に身を置いて、なぜお主は無事なんだ?
そして、そこまでして顔を繋いでも敵愾心しか懐かれないと思うが。
お主の行為は一切理解出来ん」
「まあ、落ち着けよ」
新城はそう言って、宗三郎を宥める。
「まず一つ目だが、俺が単純に喧嘩に強いからだ」
「だからおかしいだろう。
お主は一騎当千の武神か何かなのか!?」
宗三郎の言葉に新城はどことなく切なげな表情を浮かべ囁く。
「……俺は、東京五輪の拳闘競技代表だった。
もし、無事に開催されていたら、……きっと上位を狙えたと自負している。
そして生まれも育ちも浅草、どぶ板育ちで鉄火場にはなれてんのさ」
「…………」
宗三郎にとっては知らない言葉だらけだったがどうにか、新城は喧嘩に滅法強いという事で己を納得させようと努力する
一方、新城は気を取り直したように二つ目の理由を語る。
「もう一点だが……、これは賭けだった」
宗三郎はそれを黙って聞く事にした。
「こんな時に連中が取る行動は九分九厘、二つに分けられるんだ。
一つは、自分たちの面子が潰されたと徹底的に報復を行う。まぁ、ほぼこっちだ。
二つ目は、相手に寛大な態度を示す事で、自らの器の大きさを周囲に見せ付ける。
この二つ目の行動を相手がした時、徹底して相手を立ててやりゃあ、あっという間に懐に入り込める。
……勿論、油断すれば背中からブスリだが」
そう話す新城を宗三郎はジッと見詰めていたが、やがてポツリと呟く。
「私は、新城殿……お主と初めて出会った時、獣のような風体だと思った。
だが、それは誤りだったようだ
お主は風体だけでなく心胆が、獣より獣らしい。その豪胆さだけで天下が取れるかもしれんな」
「へっ、褒めてるのか貶されてるのか分からんね」
「勿論、褒めている」
そう、褒めている。己には断じて真似出来ない行為だ。一種の憧憬を覚えると言っても良い。
「そう言う訳で俺は、暫くその無頼共の用心棒だ。
おっと、固い事は言わんでくれよ? 別に押し込みをしようって訳じゃ無い。ただ、湊の荒くれ男たちの喧嘩の仲裁をするだけだ」
「そうか……」
さも当然のように語られた新城の武勇伝を聞き、宗三郎はすっかり気疲れしてしまった。もう言い返す余力も無い。
だが新城は、まだそこに追い討ちを掛けるような事を尋ねてくる。
「それで、宗三郎殿の方はどうなんだ? 女将から何か働き口について聞けたか?」
何とも答え難い問いである。しかし、嘘を言う訳にもいかない。
仕方なく、宗三郎は正直に答える事にした。
「……ここで下働きをすれば、お主と私、二人分の宿賃をタダにして、朝晩二食の飯も付けてくれるそうだ」
新城は一瞬眼を丸くすると、ねっとりとした笑みを浮かべ囁く。
「おいおい、本当に女将をたらし込んだのか! まさに今業平だな!」
その言葉に、宗三郎は苦虫を噛み潰したような顔で反駁する。
「勝手な事を言うな! さっきから人の事をまるで女たらしの如く言いおって!!」
そんな宗三郎の様子を見て、新城は更に調子に乗り囃し立てる。――何処か優しげな面持ちを浮かべながら。
それから暫く、新城の茶化す声と宗三郎がムキになる声が止む事は無かった。
――月だけがそんな二人を眺めていた。
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