碧落

「御注進申し上げます!」


 前線から駆けてきた使番つかいばんが、陣幕を潜るなりそう声を張り上げ畏まる。


「うむ」


 諸将が居並ぶ中、本陣の中央に座す総大将・斎藤山城守利政さいとうやましろのかみとしまさは、腕を組んだまま鷹揚にうなずく。


「敵方、大桑城おおがじょうは落城の由。尚、土岐次郎頼純ときじろうよりずみ殿は何処かへ落ち延びたとの事!」


 そう使番が告げると、陣内はざわめきに包まれる。


「兄上、おめでとうございます。

 これで、この美濃において兄上に逆らえる者は居なくなり申した」


 脇に控える長井隼人佐道利ながいはやとのじょうみちとしが、満面笑みを浮かべ語り掛けてくるが、迂闊な事をと利政は顔をひそめる。


「ふんっ! 何を言うかと思えば……それにまだ戦は済んでははおらぬわ」


 利政は不愉快そうに鼻を鳴らし溜め息と共にそう言葉を吐く。


「土岐は身内で争い過ぎた。……この美濃を巻き込んでな。

 お陰で、田畑は荒れ、民草は弱り切っておる。

 もはや美濃は猛獣の前に差し出された生け贄も同然じゃ」


「守護代殿の仰有る通りですなぁ……。あぁ、もう殿とお呼びするべきかな?」


 利政の言葉を受けて、列の最前にいる一人の武将がニヤニヤと笑いながら呟く。


 一見、軽薄にも見える若武者であった。

 だが、その瞳は一切笑ってはいない。その面持ちには、何処か得体の知れない何かを感じさせた。


 この男、西美濃において威勢を誇る稲葉家の若き当主であり、曽根城の主。稲葉右京亮貞通いなばうきょうのすけさだみちといった。


「いやいや、某は元より太守様に仕える家臣の一人に過ぎませぬ故……」


 そう、いかに関係が冷えきっていたとしても、利政は美濃守護・土岐美濃守頼芸ときみののかみよりよしの配下の守護代でしかない。


 彼等、美濃の国人を従わせるには、力はあれど名分が無いのだ。


「ほう? では貴殿は美濃を荒れ果てさせた土岐の家臣だと?」


 そんな返答に対し、貞通の隣に座っていた安藤伊賀守が皮肉を込めて問い返す。

 この男は、自らも土岐家に臣下の礼を取っている事を失念しているらしい。


 この安藤伊賀守守就あんどういがのかみもりなりも貞通と同様、西美濃の実力者である。


 しかしいくら賢しらに装ってはいても、このような迂闊な発言をする辺り利政に取っては幾らかやり易い相手ではあった。


「…………」

(ふん、言ってくれるではないか。儂の野心を煽って土岐を美濃から追い払いたいのだろう? 自ら矢面に立つ度胸も無い臆病者が……)


 心の中でそう毒づくが、口には出さない。


「此度は兵を出して頂き誠にかたじけない。

 ……大守様からも相応の恩賞が期待出来ましょうぞ」


 代わりにそう言って頭を下げる。


「いえいえ、此度の功は全て守護代殿の手柄。我等は手勢を率いて参陣したのみ、恩賞を頂くほどではござらんよ」


 貞通が相変わらずの底知れぬ笑みを浮かべたまま、謙遜するかのようにそう答える。


(よく回る舌だのう。悪名を儂一人に押し付ける腹だろうに……。

 それでいて、肝胆相照らす友の如く親しげに見える。まったく食えん奴じゃ……)


 利政はその言葉を聞いて内心でそう思った。


 実際、彼等の兵は今回の戦において大した働きはしていない。だが、戦場に出たのだ。応分の取り分を要求して然るべきであろう。

 にも関わらず、功を譲るかのような物言いをしている。明らかに意図的にだ。


 恐らくそれは、これから利政が行う事に対して協力するという意思も含まれているのだろう。と、利政は考えた。


「左様ですか……。ところで話は変わりますが今度、頼純殿が逐電した事により太守様に盾突く者は居なくなり申した。

 これを機に、枝広館が洪水で流されて以降、稲葉山に御座おわした太守様には鷺山城さぎやまじょうに御移り頂こうかと存じますが如何でしょうかな?」


 話題を変えるように利政は提案をする。

 つまり、これを機に土岐家を政の中枢から遠ざけてしまおう。と、いう事である。


「ふむ、それは良い考えですな。

 そもそも、鷺山に守護所を置くという事は先例にもありますし」


 すかさず貞通が乗りかかってきた。


「……しかし、そうなると評定は何処いずこで? 言っては何ですが、あそこは今は只の小山。大した屋敷もありませぬぞ」


 そう口にしたのは氏家常陸介直元うじいえひたちのすけなおもとであった。

 いかにも武人然とした男ではあるが、腹芸が不得手で馬鹿正直な性格で通っている。


 西美濃で最大の領地を持ちながらも、威勢が稲葉や安藤に比べ一歩振るわないのは、この気性に依るところが大きいのだろう。


 だが、利政にとってはこのような男はきわめて扱い易い。

 今回の発言も純粋に疑念を口に出しただけなのだと理解出来るからだ。


 なので利政も満面の笑みで答える。


「ご心配召されるな、評定は今まで通り稲葉山で行えば良い。

 太守様には雑事に心を煩わせず、鷹の絵でも描いてゆったりとお過ごし頂きましょうぞ」


 利政のその言葉を聞き、諸将の間にどよめきが広まる。

 それはそうだろう。事実上の当主押し込めをやると言っているのだから。


 がしかし、


「おお、左様ですな。それがよろしい!」


と、すかさず貞通が声を上げて賛同の意を示した事により、ざわめきも尻すぼみになる。


「なるほど、確かに。それならば我らとしても異存はありませぬ」


 安藤伊賀守も続き、同様の発言をした事で場の空気は決まった。


「左様か。皆様方が賛同してくれるとは有り難い限り……」


 それを見て利政は満足げに目を細めた。

 これで今後、利政がこれまで以上に美濃国の実権を握っても反発は少なく済むだろう。


 しかし、利政の腹の中は苦渋に満ちていた。


(この借りは安くは無いな……)

 そう思いながら、利政は貞通を睨めつける。


 ここまでお膳立てされてしまったのだ、今後、利政は稲葉・安藤を始め美濃の国人には強く出る事が出来ないだろう。

 そうなるよう貞通が立ち回ったのだ。


 それが理解出来るだけに、利政は己が貞通に酷く複雑な感情を向ける事を押し留める事が出来なかった。


 だが、貞通は平然とその視線を受け止める。相変わらず、ニヤニヤとした笑みを顔に張り付けたまま。


 ――――斎藤山城守利政。後の斎藤道三が美濃国主・土岐頼芸を追放し、美濃の実質的な国主となるのは、それから暫く後の事であった。

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