暁光

 分厚く雲が掛かり月の光すら届かぬ闇夜。


 暗闇が支配する山中、麓の揺らめく松明の火に追いたてられるように山肌を上へ上へと登る一人の若侍の姿があった。

 宗三郎である。


 宗三郎は通康と別れたあと、身支度を整えると家財を纏め――家臣もいない身の上のため多少の銭と銀粒、小物程度だが――厨に忍び入り握り飯を拵えると、いつ事が起こっても良いよう搦め手付近の物陰に身を潜めていた。

 暫くすると、何をしたのか一向に検討も付かないが、轟音が響き渡り敵陣が大混乱に陥った。


 そこで、それに乗じて馬に乗り城を抜け出したあと、宗三郎は四国山地を目掛け一目散に南に向かい駆けたのだった。


(三津みつ堀江ほりえ等の道後の湊は、まず敵方に押さえられている。かといって陸路で道前や府中に逃れようとしても、そちらは右衛門大夫殿の本拠地。追手も当然そちらに向かうだろう。ならば意表を突いて南下し、山中を西に抜けて八幡浜やわたはまから舟に乗り伊予を脱する!)


 という、宗三郎の目論見は当初は追手も掛からず上手くいっていた。


 ところが伊予川を越えた辺りで、槍で武装した一団と遭遇する。その場はどうにか逃げ出したものの、宗三郎は馬も失い這々の体で山に逃げ込む羽目になったのだ。


「こっちに足跡があるぞな!」

「良し、このまま追い込むんじゃ!」


(……不味いな、段々と囲まれている)


 近郷の惣村の者らが落武者狩りにでも繰り出して来たものか、その動きからは土地勘と、戦なれした様子がひしひしと感じられる。


 初陣すらこなした事の無い宗三郎など、このまま狩り出されて首にされるのがヲチだろう。

 そう思いながらも宗三郎は死に物狂いになって足を動かす。


 しかし焦りと疲れから足を滑らせてしまい、その場に尻餅を突いた拍子に傍らの木の枝を折ってしまう。

 『ベキリ』と高い音が周囲に響き渡った。


 その数瞬後、男たちの声が一斉に聞こえてくる。


「あっこー誰かおるぞな!」

「捕まえろぉ!」


 そう声が聞こえたと思うと松明を持った男らが藪を掻き分け、姿を表す。

 その辺りだけがボォっとオレンジ色に照らし出される。


「くそ! もう追い付かれたのか!!」


 宗三郎はこうなったら僅かでも反抗してやると腰の得物を引き抜く。


 宗三郎は刀の腕はそこそこあるものの、所詮はただの若武者に過ぎず、そもそもが実戦経験も無い。

 そんな彼が地の利を持った幾人もの敵に取り囲まれてどうなるか、それは火を見るより明らかだろう。


 宗三郎は幾らもしない内に敵に槍先を揃え詰め寄られてしまう。

 背後は高さ三メートルほどの崖が壁のように続き、前方には槍衾。もはやこれまでかと覚悟を決めた時だ。


 ――突如、パンッと乾いた音が連続して鳴り響くと敵が次々と倒れ伏していく。


 宗三郎は何が起きたのか全く分からず当惑していたが、そのうち敵の一人が鋭く叫んだ。


「何かが飛んで来よる。

 新手じゃ、一旦退け!」


 という声を合図に、倒れた仲間を担ぎ逃げていく。

 松明の灯火が無くなると、辺りはまた暗闇に支配される。


 何が何だか分からぬ内に窮地を救われた宗三郎は、命の恩人を探して周囲を見回す。

 だが、松明に馴れてしまった眼球は物の役に立たない。


「無事、だったか?」


 その時、崖の上の少し離れた茂みから呼び掛けられた。

 声からして、相手はまだ若い男のようだが暗過ぎて良く見えない。


 宗三郎は咄嵯に、

「助けてくれてありがとうございます」

と礼を言いつつも身構える。


「さっきの奴等は現地民か……」


 それには返答せずそう言う相手の言葉遣いに、どことなく違和感を覚えながらも宗三郎は、

「ええ、近郷の者が落武者狩りをしているようでして」と話す。


 すると相手の男は自虐的に呟く。

「落武者狩りか……そうに違いない。我々の現状はまさに落武者そのものだ。フッ、フフフ……」


 男は暫く引きつった笑い声を上げていたが、やがてピタリとそれを止めると宗三郎に尋ねた。


「ところでお前、お前等の部隊は何処にいる? というかここは何処だ、ウェワク辺りとは大分、様子が異なるが、真っ暗で良く分からん」


 宗三郎は、この男が何を言っているのか理解できなかった。ウェワク、それが何処なのか皆目検討も付かない。


「あの、その上枠? とは何処の事で?」

 と訊き返すと、男の方も困り果てた様子で、


「何を言っているんだお前は。

 さては、この地獄のようなニューギニアに放り込まれてイカれてしまったのか?」

と呆れたような声を出す。


 その言葉を聞いて宗三郎は更に混乱する。

 この男は一体、何の話をしているのだろうか、と。


「……もう良い。じゃあ所属と階級を言え。それぐらいは言えるだろう?

 ああ、俺は陸軍船舶砲兵第一連隊あかつきぶたいの新城中尉。もっとも、乗り組んだ船が沈められてからは、良く分からんが。取り敢えず歩卒の真似事をしている」


 宗三郎は混乱を通り越して段々と恐ろしくなっていた。己は一体、何と会話をしているのだろうか。得体の知れない物の怪か何かに謀られているのではないかと。


「おいっ! 貴様、聞いているのか!? 所属と階級を答えよ!」


 そんな宗三郎の様子を見て、苛立った声で詰問する男。


(正体不明の相手に本名を名乗る間抜けはいない)

 宗三郎はそう考えるととっさに偽の出自を口にした。


「私は大三島おおみしま大山祇おおやまつみ神社の神官の家に連なる者。ただ、野に下ったうえに無位無官の身の上なれば。

 その……所属と階級とやらは無いかと思う」


「何を言っているんだお前は!

 軍の所属と階級を言えと言っとるんだ、俺は!!」


 そう怒声を上げる男に対して宗三郎も混乱の極致に達し、激するように大声を上げる。


「貴方こそ先程から何を訳の分からない事を言っているんだ!! さては物の怪の類いだな!?」


と、二人が怒鳴り合いを始めたその時だった。


 夜空に厚く掛かっていた雲が途切れた。月明かりが差し込み、辺りが淡く照らされる。


 崖の上にいる男の姿が露わになる。


 その姿を見た瞬間、宗三郎は息を飲み思わず後ずさる。

 髑髏どくろのように痩せこけながらもそこだけは張り出した腹部。落ち窪んでなおギラつく眼光を放つ双眼。

 腰に一本の太刀を吊り、襤褸ボロを纏ったその者は、やたらと短い槍のような物を懐に抱えている。


 それは、さながら――。


「……餓鬼!!」


 恐怖のあまり、宗三郎は後退り尻餅を突く。

 対して崖上の男も宗三郎を見下ろしポカンと口を開け呆けている。


 やがて双方は同時に口を開く。

「何だその獣じみた姿は……」

「何だその時代掛った格好は……」

と――――

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