第2話 機嫌が良い日のそうめんチャンプルー

「そんなわけで、そうめんいっぱいもらった」


 玄関のドアを開けると、冷たい空気と共に小さな訪問者が飛び込んでくる。どんなわけだ、とつっこむ間もなく、スタスタと部屋に上がり込んで、首に巻いたマフラーと着ていたコートを床に投げた。突然の訪問に慌てる俺を横目に、持っていたビニール袋をテーブルに置くと、勝手知ったる様子でベッドに寝転ぶ。


 彼女はこうしていつも突然部屋に来る。日ごろから片づけておけば良いのだとわかってはいるが結局実行に移せないままの部屋の現状に後悔しながら、畳みかけの洗濯物を適当に端に寄せた。マフラーとコートを拾ってからテーブルに近づき、ビニールの中身を見てみると、夏の間お世話になった白い束が3パックほど行儀よく並んでいる。


「どうしたんだ?この大量の……そうめん?」


「隣のお兄さんがくれた。買いすぎちゃったらしいよ」


「ああ、あのふわふわした……」


 隣のお兄さん、とは、隣の部屋の住民、向井さんのことだろう。ふわふわした髪が印象的で、いつも笑顔で人当たりの良い、俺とは正反対の人間。いや、卑屈に考えるのは良くない。よく知りもしないのにそんな風に考えるのは、相手にも失礼だ。しかし、何故冬にそうめん?


「ねえ、ピーマンある?」


「え、ああ、たぶん買い置きしてたのがあったと思うが……」


「ひき肉は?」


「冷凍の鶏ひき肉なら……」


「めんつゆ」


「ある……な」


 りょ、と短い返事が返ってきたと思うと、ごろりと体勢を変えてスマホをいじり始める。画面を横に持ち替えたので、おそらくゲームでもしているのだろう。後ろから覗き込むと、画面に顔を近づけて熱心に何かを考えているようだった。


 とりあえずそうめんをキッチンに移動させようと、ビニールを鷲掴む。ガサ、という音にも全く反応を示さないベッドの上の訪問者は、明るい栗毛を自らのセーターに張り付けたまま、先ほどより厳めしい顔でスマホを睨んでいた。おそらく、今は呼びかけても反応しないだろう。


 笹原ささはらは、俺の人生で初めてできた恋人だ。大学1年の時に出会い、話が合って付き合い始めた。最初の頃は戸惑うばかりだった彼女の独特な雰囲気も、惚れてしまえば好きなところの1つに変わり、突然の訪問にも、主語のない唐突な会話も、付き合って半年も経てばすっかり慣れてしまった。こうしてお互いのバイトがない日はふらっと気まぐれに部屋に遊びに来てくれることが、なんだかんだ言いつつもやはり嬉しい。


健太郎けんたろう、お腹空いてる?」


「え?まあ、空いているといえば空いているが……」


「じゃ、キッチン借りる」


 珍しく早めに声がしたと思ったら、笹原は布団の上で伸びをしてこちらへ歩いてきた。いつもゲームを始めると30分は黙ったままなのに珍しい。しかもなんだか上機嫌だ。


「SSRマミちゃん引けたから今日の私は機嫌が良いぞ」


 良かったな、と得意げな笹原を見下ろすと、鼻歌を歌いながら慣れた様子で包丁とまな板を用意していた。俺はゲームをしないのでよくわからないが、エスエスなんとかというのは良いものなのだろうか。


 さっと手を洗うと、野菜室からピーマンを取り出す。それらも軽く洗って種を除き、細く切っていくのを眺めていたら、「健太郎はお湯沸かして、早く」とこちらを見ずにしっしっ、と手を動かされた。自炊に慣れている笹原と違って、俺はこういう時どうして良いのか全く分からなくて立ち尽くしてしまう。とりあえず言われた通り、小さめの鍋に水を汲んで火にかけた。


 タオルで濡れた手を拭いているうちに、料理は次の段階に進んでいたらしい。さっきまでのピーマンはすっかり細切りにされてまな板の横に集められ、笹原は冷凍庫をガサガサと漁っていた。


「ねえ、冷食多すぎだよ」


「う……料理は苦手なんだからしょうがないだろう……」


 冷凍の大盛パスタやお好み焼き、から揚げをかきわけて、小さな手に鶏ひき肉のパックが掴まれる。正直に言うと、たまにこうして笹原が来て気まぐれに手料理を振る舞ってくれるのを期待して食材を買っている節があって、元々は完成された冷凍食品を買うことが多かった。こうして週に何度か人が作った料理を食べられるなんて、実家を出てすぐの頃は考えられなかったのだ。俺は、笹原にもらってばかりだと常々思う。


「そうめん入れて再沸騰したらちょっと水入れて」


 いつの間にかひき肉を解凍し終えたらしい笹原の声ではっとして、手に持っていたそうめんの封を切る。2人だから2束で良いか、と思って沸騰する湯にそうめんを放り込むと、すぐにしなりと柔らかくなり鍋の底に沈んでいった。俺がお湯を見つめている間に、隣のフライパンからはピーマンとひき肉を炒めるごま油の美味そうな香りが漂ってくる。


 茹で上がったそうめんをざるにとり、少し湯を切ってから笹原に渡すと、それをそのままフライパンに入れて、上からめんつゆ、塩胡椒をかけた。小さな体で、しかし慣れた手つきでフライパンを振る笹原の表情はいつもと変わらない。出会った頃から表情がそんなに変わる方ではなかったが、この横顔に感じる気持ちはあの時とは違う。


「健太郎、箸。あとお茶」


「了解した」


 笹原が料理の載った大皿をテーブルに運ぶ後ろから、箸とお茶を持って追いかける。そんなに広くない部屋に、めんつゆの美味しそうな香りが広がって、腹が鳴った。時刻は17時。少し早い夕飯ということになるだろうか。


「これは?」


「そうめんチャンプルー。食べてみて」


 いただきます、と手を合わせる笹原に習い合掌してから自分の取り皿にそうめんチャンプルーを取り分ける。ピーマンとそうめんはすんなり掴めたが、ひき肉がポロポロと箸からこぼれ落ちているのを見て、笹原が持っていたスプーンでひき肉を皿によそってくれる。


 ありがたく全ての具材を口に運ぶと、香ばしく炒められたひき肉とシャキシャキの食感が残ったピーマン、柔らかいそうめんが混ざり合って、何とも言えない美味さだった。


「美味い」


 思わずなんの捻りもない感想を口にすると、笹原が笑った。


「今日は機嫌が良いから、もう一品作ってあげる」


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