第49話 月に吠える
ナインへの純粋な友情を、ヴァスはついに認めた。胸が一杯になったユスティーナは声を震わせたが、ナインの声が震えたのは理由が違った。
「うるさい! 気色の悪いことを言うな獣返りめが、恩義はとにかく友情だと!? 友情というのは、対等な人間同士のみが使う言葉だ!!」
ナインにとってのヴァスは、どこまでも最強の戦力でしかないのだ。時には酒を酌み交わし、夢を語り合って楽しく過ごした思い出も、彼の中には残っていない。
「ば……馬鹿! ばか! ナインのばか!!」
「うるさい馬鹿! 馬鹿と言うやつが馬鹿だ馬鹿!!」
口汚くヴァスを突き放したナインは、頭に血が上りすぎて語彙を失っているユスティーナにも叫び返すと二人に背を向けた。風の術に乗り、全軍に絶叫じみた彼の命令が飛んでいく。
「やれ! ラージャ宮殿もアルウィンのやつも、僕を邪魔する何も彼もを灰にしてしまえ!!」
「ナイン!」
ユスティーナが止めようとしたが、すでに開戦の準備は整えてあったのだ。ナインの号令一下、最前線に集められていた兵士たちが一斉に火矢を放ち始めた。
弓術に長けた者はもちろん、火や破の術に秀でた者たちの加護を乗せた矢は、ラージャ宮殿に張り巡らされた防御術をも突破した。美しい宮殿のあちこちが火を噴き、夜闇に鮮やかな赤が広がっていく。
「ほら見ろ、簡単に燃え始めたじゃないか! 何がイシュカだ!!」
「逆だ馬鹿! ある程度の被害を出してから、偉そうに出て来る気なんだあいつは!!」
勝ち誇るナインに、それこそが罠だとヴァスは説得する。何年もラージャ宮殿に住んでおり、特に内乱の最中は国の象徴である建物を他ならぬナインに傷付けられないよう、ユスティーナは神経を使っていた。そんな彼女から見ても、ヴァスの言葉が理にかなっているように思われた。ナイン軍が放った攻撃の威力に対して、宮殿の防御力があまりにも低すぎる。
イシュカがこの件に絡んでいることも含めて、ヴァスの言うことが正しいと認めざるを得ない。
一時は役目を果たし、とっくに姿を消したかとさえ思っていた運命の恋人。彼の求めに応えられなかったユスティーナを捨て、身軽になったイシュカが女性たちの間を遊び歩いている以上のことを知りたくなくて、何も教えないでほしいとさえ頼んでいた。
しかしヴァスは、イシュカの気配を感じると言っていた。その点についても、同意するしかない。
月下に燃え上がるラージャ宮殿。予想されていたこととはいえ、アルウィンはさぞかし慌てているだろうが、ここまで近付いたのだ。何にも動じない、圧倒的な存在の波動が肌を打つ事実から眼を背けることは許されない。
イシュカがすぐ近くにいる。
さよなら、ユスティーナ。もう要らないよ、君なんか。
冷め切った声で言い捨て、去っていったはずの彼が、自分とヴァスを待ち構えている。
「……くっ、ヴァス! どうしますか!?」
冷たい予感を振り払い、弓を構えながらユスティーナは尋ねたが、ヴァスも咄嗟の判断に迷っている様子だ。
「いくら兵の数が少ないといえども、さすがに人数差があるな……! ちまちま倒している間に、ナインの反乱の話はあっという間に広がってしまう……!!」
ナイン軍の規模は大幅に縮小しており、こちらには獣返りと銀月の君がいるとはいえ、兵力はその二人のみだ。すでにある程度火が回ってしまっていることもあり、噂もまとめて消し止めるためには大胆な一手が必要になるだろう。
「──やむを得ん、か」
決意の表情でうなずいたヴァスに、ユスティーナも唇を引き結んだ。交渉も決裂した今、ナインをこの場で処刑する以外に場を収める手はないかと思ったからだ。
だがヴァスは、なぜか自分の鎧の留め具を外し始めた。月明かりの下、青白く猫背気味だが貧相ではない、以前見た時よりも逞しさを増した上半身があっという間に露わになった。
「えっ、えっ? ヴァス、何をしているの!?」
「喜べユスティーナ、お前の好きなものを拝ませてやる!!」
言うが早いか、ヴァスは帯まで解き始めた。仰天して思わず顔を覆ったユスティーナを照らす、月明かりが翳った。
何かが光を遮ったのだ。
「うわ、わっ、下がれ! 下がれ!!」
「総員退避! なんだあれは、赤い、でかい、魔獣……!?」
元より烏合の衆に等しいナイン軍が、悲鳴を上げながら崩れていく。負荷に耐えかねた地面が揺れる。ただでさえ恐慌状態に陥っていた兵士たちが地響きに足を取られ、あちこちで倒れるのが見えた。
弓を引くためには腕の力はもちろん、強靱な足腰が必要だ。ユスティーナは踏ん張って耐えたが、兵士たちを脅かしているナニかを確認した瞬間、彼女も一杯に眼を見開いた。
地上の騒ぎなど知らぬげに、月光に鮮やかに輝く巨大な獣。鋭い牙がぞろりと生えた大きな口が開き、月に向かって吠えた途端、見えない衝撃がさらに大勢の兵士たちをなぎ倒した。
「や……山より大きい、ふかふかの猫さん……!」
おさげ髪がちぎれてしまいそうな突風の最中、ユスティーナは呆然とつぶやいた。
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