第10話 日輪

「——はぁ…はぁ…はぁ…ッ‼︎ この野郎……ッ‼︎」

 園内の高閣屋上で呼吸を整え、標的を睨みつける晴葵。

 忌々し気に瞳孔を曇らせ、敵の防壁を掻い潜る手段を探る。

「気色悪い蛇を飼いならしやがって——‼︎」

 今にも地を踏み込まんとした直後、その足を、地上を透った甘美な声音が停止させる。

「はるき‼︎」

 ——明依だ。

 鎖を引いた杭が遠慮なく放たれ、晴葵の身体を抑えつけるかのように巻き付く。

「おわッ——‼︎」

 鎖は勢いよく巻き戻り、化身の体が風圧に圧される。

 瞬きした直後の視界には、月の仮象が聳えていた。

「ゔアァ——ッ‼︎」

 体を強く打ち付け、あまりの乱雑な扱いにはらわたが煮えくり返る。

「何すんだよ‼︎」

 衝動的に溢れ出た怒号。

 しかし、それは虚しく鎮静される。

「晴葵、あなたは日音達と作戦を考えなさい! その間、コイツの相手は私が受け持つわ!」

「はぁ⁈ 無茶言うな‼︎ 作戦なんて——」

「口答えしない‼︎ これは命令よ‼︎」

「な——ッ⁈」

「この中で一番攻撃力のある晴葵が先陣を切らないと、アイツは倒せないのよ! だからみんなと考えて‼︎ ——協力して‼︎」

「——————‼︎」

 舞い上がっていた頭が、瞬時にして冷却される。

 叩き付けられた衝撃が未だに身体を駆け巡るが、むしろ今は、その痛みが心地いい。

 明依の言葉、大海の如く澄み切った瞳に、炎上していた火の粉は消し止められる。

 あれだけの凶荒を果たしながらもなお、彼女には何かを託せるだけの信用があるらしい。

「……わるい」

 口から自然とこぼれ出た謝礼。

 半ば彼女たちを見限っていた自分が罪深く思える。

 しかし、悲嘆している暇などあるはずもなく——。

「謝罪ならあとでいくらでも聞いてあげるし、いくらでも叱ってあげる‼︎ だから今は、私達に協力して!」

「……わかった!」

 明依の果断な眼には、晴葵も凛然な瞳を返礼とした。



 緩慢と進行を続ける禍津。

 浮遊しているだけで、速度はそれほどでもない。

 毎秒四、五メートルといったところだ。

 人間の歩行速度と大差ない。

 その脳天に突如、紺青の霹靂が一閃する。

 雷鳴にも等しい音響を轟かせて、碧色の稲妻が鮮やかに霧散する。

「————ッ‼︎ やっぱりダメみたいね!」

 直前で大蛇に阻まれ阻害されたが、それでもその一尾を落とした。

 宙を返り、軽やかな着地を見せる明依。

 敵の様子をしばらく窺うも、瞬きする間に、落としたはずの蛇は再生を始めた。

「厄介な……‼︎」

 敵の意識がこちらを向き——刹那、大蛇の牙が明依を捉える。

「————ッ⁈」

 放射される蛇身のあぎと。——うねり、まわり、蛇行する。

 隔てられる文明の障壁などものともせず、さしずめそれは、狩猟弾頭にも等しい。

 されど、疾走する獅子は風の如し——。

 狂犬改め、狂蛇きょうじゃごときの愚直が届くはずもない。

 疾り去る疾風の虚像をり抜け、顎の弾丸は地表を貫く。

 巻き上がる岩石の波。

 無風の天地を埋め尽くし、急造のとばりが黄昏を覆う。

 虎と蛇——刹那の折衝せっしょう

 最中、霧中の快晴を待たずして、白虎は騰蛇とうだふところを捉えた。

 まさに千載一遇せんざいちぐう——。

 しかし、同じ獣同士——蛇の勘も鈍くはなかった。

 気配を悟られ、間髪入れずに分身を放たれる。

 開口する騰蛇の大顎に、白亜の虎は姿勢を落とす。

 深く、強く、——重心の中枢に渾身を重ねる。

 ——瞬間、渦巻く疾風。

 浮かび上がる残像。

 淡くかそけく神獣の写身うつしみ

 目まぐるしく旋転する白き脚線。毎秒八——十歩という歩数を、呼吸するように踏む。

 凄まじい速力。

 もはや流星に等しい。

 瞬き一度でもすれば、もう二度と捉えることは出来ないだろう。——否、もはや標的にその姿は視えていない。

 僅かに軌跡をはしる残影だけ。

 それでも、その微かな残り香から、次の動きを予測し先手を目論む。

 絶え間なく、矢継ぎ早に穿たれる邪鬼の弾道。

 だが、それら全てが、明依を真面に捉える日は訪れない。

 ただただ地殻を貫通し、黒煙を噴出させるばかり。

 貫く物全てが粉末となり、舞い上がるのは無数の瓦礫。

 明依は虚空を飛来する岩盤すら土台とし、縦横無尽、四方八方に星の如く駆け抜ける。

 一つ、二つ、三つ——。

 まさに落下の最中ともあろう岩石を意図も容易く踏み越える。

「八艘跳び——ッ‼︎」

 何処からともなく響いた声明。

 言葉通り、彼女は宙を舞う岩片を八つ——、地上に降り立つ刹那に跳躍してみせた。

 無論その姿が視認されることはない。されどの偉業は、不可視と化したことごとくが物語る。

 虚無から伸びる一閃——。

 寸前で蛇のくちばしがこれを防ぐ。

 しかし杭は弾かれる事なく、刀身の全てを蛇の胴体に突き立てた。

 一振りの武器が帰らぬ物となったが、明依はその一切を顧みずに、疾走を続ける。

 ——瓦礫と躍動。

 沈み掛けていた太陽が、再び地平を照らす。

「——日音! オレに、考えがある——」


 —————————————————————。


 ——どれだけ走り回っただろうか。

 急制動の繰り返しに、肉体の節々がきしみ始める。

「はぁ…はぁ…っ‼︎ まだ……まだ‼︎」

 なまりのように重くなる両足。

 呼吸は詰まり始め、意識は霞みゆく。

 たちまち体は自由を失う。

 鈍り始めた肉体を鼓舞こぶをしようとしたその時、雄弁な歌声が何処からともなく透き通る。


『 積もり雪 冷える憂き暮夜 重ね衣 君ぞ思へど 月に叢雲—— 』


「これって……日音ちゃんの……?」

 歌に耳を傾ける。

 視線の先には、真っ白な寒波をおびただしく集束させる日音の姿があった。


『 月詠神歌二番 麗月氷輪之自在れいげつひょうりんのじざい——‼︎ 』


 勇ましい美声と共に、舞い上げられる寒波。

 やがてそれは巨大な流氷へと変化し、黄昏に向けて冷酷な矛先を突き立てた。

 ——一瞬だった。

 突然全身を吹き抜けた寒波に瞳を瞬いたその刹那、まぶたを開けば、目の前に広がる情景はファンタジーなどではなかった。

 氷河だ——。

 高々と聳え立ち、幾重にも連なる氷山。

 大気は凍てつき、白い肌に、突き刺すような痛みが絶えず走る極寒。

 この瞬き一度にも満たないほどの間で、三十度以上もあった炎天下が一呼吸にして絶対零度へと低下。

 見渡すもの全てが青く輝き、真っ白な光を反射させる。

 東洋の国とは思えない。

 一度は現実かどうかすら疑ったほどだ——。

 だがそれは確かに現実だ。

 痺れるような寒気が何よりの証明材料であり、むしろそれ以外に証拠など必要なかった。

 敵の姿は視えない。

 まさか氷河に呑まれたのか——。

 否、あれだけ手強かった相手——。それほど容易く仕留められるはずがないと、自身を責める。

 疑念に凝視を続けていた突如、氷河の中心部にひびが走る——。

 だがこれは〝想定内〟だ。

 ——そう、月岡日音にとっては、氷河が容易く砕かれる事など初めから想定の範疇はんちゅう

 いや、むしろそうでなくては困る。



『——オレに考えがある!』

 突然、柄にもなく真剣な相貌で訴えかけてきた晴葵。初めて見る彼女の本気な様子に、日音の耳は無意識の内に傾いた。

『今の明依の戦闘を見て思ったんだ。おそらくアイツに近づくなら目晦ましでもない限り不可能だ。けどかと言って、瓦礫を巻き上げすぎると被害が拡大する。最小限の被害で、更には確実に敵を仕留める唯一の方法——‼︎』



 神子がこの大地を一瞬で氷河に変え得るのなら、——当然敵にも、その氷河を瞬く間に砕く手段があるだろう。

 だからこそ日音は、やがて訪れるであろう災いに備えていた。


『 ひさかたの 風ぞ猛りて 雨荒ぶ 恋また淀み 君を留めむ 』


 刹那、粉砕される氷山。

 八尾の大蛇を扇風のように回転させて、纏いつく氷河全てを薙ぎ払った。

 四方八方、無差別に散乱する氷の瓦礫。

 もはや一つの災害だ。

 軽く四十トンは越えるであろう氷片が竜巻の如く巻き上がり、いずれ地上に降り注ぐ。

 鳴り響く悲鳴——。断末魔——。

 雑音に空気がけたたましい振動を見せる中、それを遥かに上回るほどの轟音が、天地を鳴動する。


『 月詠神歌八番 壮月風魔そうげつふうま叢雨むらさめ‼︎ 』


 災害が降り注ぐならば、こちらも災害で対応する。

 渦を巻き顕現したのは、——嵐。

 岩すら砕き、切断してしまうほどの旋風が降り注ぐ流氷の悉くを返礼する。

 禍津の巨躯へ目掛け砲弾する氷河の土砂。

 だが、あくまでこれは〝にえ〟であり〝いしずえ〟に過ぎない。

 何せこの土砂降りの中でさえ、されど奴は、放たれる氷弾のほぼ全てを咀嚼そしゃくしている。

 無作為とはいえ、散弾銃の如く打ち付ける竜巻をものともしていない。

 そもそも装甲が硬すぎる。

 奴自身でも防ぎきれなかった流氷がいつしか直撃しているというのに、掠り傷の一つも負っていない。

 明依自身、正直これは愚策だと蔑視していた。

 この土砂の荒波に紛れて、敵の間合いへと接近し急所を突くつもりだろうが——杜撰ずさんだ。

 晴葵の剣戟とて、この大波を潜り抜けながらでは加速が出ない。

 今まさに、その悉くを粉砕されている氷河と同じ結末を迎えるだけだろう。

 慣性に支配され降り注ぐ弾丸など、理不尽禍津にとっては赤子も同然。

 脆弱なガラス細工に過ぎない。

 ——轟音する破壊音。

 一際巨大な氷弾がまた一つと砕かれる。

 敵も理解している。

 この氷河の津波に紛れて迫り来るであろう天敵を——。

 獣の目を光らせて虎視眈々とそれを探り続ける姿勢が、否応にも伝わる。

 禍津は懐に二匹の大蛇を備え、六尾の牙を以って流氷と相対しているのだから——。

 外側から傍観する明依にはそれが視える。

 晴葵が氷壁と言う名の扉をこじ開けて強襲してくるその時を、奴はうかがっている。

 もはや待ち望んでいるかのように、忍ばせている蛇は牙を研ぐ。

「——ダメよ晴葵‼︎ 奴に近づいては——‼︎」

 明依の慟哭どうこく

 いざとなれば、明依自身も備えを行使する他ない。

 だがそれは最後の手段だ。使えば明依は本当に戦う術を失い、身動きが取れなくなる。

 その時が来るとすれば、それは明依を除いた他の誰かが、奴の絶命を約束した時だけ——。

 しかし、この状況では約束が成就せずとも使わざる負えなくなってしまう。

 ならば必然、彼女達の敗北が運命づけられる。

 この場の全員が蛇の餌と化すだろう。

 だが次の瞬間、明依は自身の瞳孔を再び疑う事になる。

 ——無い。

 晴葵の姿が——。

 氷の波を盾に這いよっているであろう彼女の姿が、視認出来ない。

「………………え?」

 土砂の陰に阻まれ直視出来ないのか——。

 いや、こちらは土砂の外側だ。内側に居る奴と違ってそれは考えられない。

 けれど、それでも一向に見当たらない。氷河に身を隠す赤き鳥の姿が——。

「……盾じゃない?」

 明依の思考が反転する。

 ——そうだ。

 奴の強靭な鱗を打ち破るには、晴葵の剣戟を最大限に生かす〝何か〟が必要だ。

 先刻、明依が悟ったように、隠密での〝奇襲〟——〝守護〟を用いた攻撃では足りない。

 晴葵の全力を——渾身の限りを注ぎ込まなければおそらくは——。

 だがよく考えろ。

 明依は自身の胸に強く言い聞かせる。

 今まで晴葵と共に過ごしてきた時間を——。

 彼女の戦術を——。

 彼女なら——朝陽あさひ 晴葵はるきなら、この場で弱腰になり、盾など用いるだろうか——。

 否だ——。

 今思えば、彼女に限ってそれはありえない。

 晴葵は常に、正面から挑む。

 どんな分野においても、彼女が小細工を要した事などない。

 いつだって相手が——、そして自分が納得出来る結末を創り出す。

 ——それ即ち、この氷河は盾などではない。

 くどいようだが、朝陽 晴葵にとってそんな物は無用の長物だ。

 では、盾でないとするならば——。

 ——黄昏を仰ぐ。

 地上約五十メートル上空に、それは凛然と輝いていた。

 氷壁に身を置き、遥か高く——。

「——道なんだ‼︎」

 逢魔の日の下、あかく煌めく二つ目の太陽がそこにはあった——。

 ——晴葵の考案した作戦だが、日音にはどうしても、避けられない懸念があった。

『——でもそれじゃあ、ハルちゃんが途中で食べられちゃうんじゃ——‼︎』

 この作戦が成功しようがしなかろうが、晴葵は重症を負うことになるだろう。

 更に失敗したならば——。

『——ああ、運が悪けりゃ、オレは蛇の糞になるだろうな。けどそれは失敗すればの話だ。こればかりは、アイツを信頼するしかない。オレ達の作戦を悟り、動いてくれるアイツを信じるしか——』

 遠く離れた——けれど確かに、今もそばで戦ってくれている親友家族


 いつだってそばにいる——。


 ——明依を、信じるんだ‼︎


 晴葵の命が、魂が、心が、どうしようもないほど熱烈にたぎる。——燃え上がる。

 赤く瞬く星の瞳が、遥か真下にそびえる巨体を俯瞰ふかんする。

 邪神と太陽神——互いに最後の空白。

「明依‼︎ あと全部任せたゾ‼︎」

 晴葵の雄叫びが熱線となって駆け抜ける。

 巻き上がる氷河全てが、ゆっくりと融解を始めた。

 悟る——。

 最小限の被害で済む、より合理的な戦術——。

「もうっ! なんて無茶考えるのよっ‼︎」

 あまりの強攻策に、もはや呆れ果て、不平を叫びながらも、明依は虚空へ最後の刀身を走らせた。

 中心に直立する禍津を包囲するように、長蛇の鎖が園内に連なる。

 やがて包囲網は縦横無尽に巻き散る全ての氷壁を持ち上げて——積み上がり、組み合い、重なり合う——。

 瞬く間に出来上がる急造の滑走路。

 付け焼き刃もここまで来るといっそ清々しい。

 不細工にも程がある。

 だが今はこれでいい。

 どうせ後には破片一つ残らない。

 直後、ついに晴葵の身体が滑走落下を始めた。

 炎熱する彼女のひずめが真っ逆さまに氷河を下り、その悉くが、後には熔融ようゆうして失くなる。

 摩擦係数ゼロの、ほんのわずか一呼吸分の滑走。

 自由落下の運動エネルギーが融合し、晴葵の体は更なる加速を見せる。

 より抵抗力を減らすため——。そして最大限の刃を振るうため、姿勢を縮めて加速度を上げて行く。

 凄まじい猛進に絶叫する禍津。流石に焦ったか——。酷く激昂した様子を見せる。

 耳をつんざくような鋭い奇声がけたたましく反響し、八尾全ての大蛇が晴葵ただ一人に向けられる。

 背後はお粗末。

 だが、多大なまでの空気の振動に接近は不可能。

 叫び出したのはその為か——。

 けれど、準備ならとうの昔に終えている。

「——ッ——ッ——黙りなさい‼︎」

 左手を渾身の力で引き下げる明依。

 直後、手首に飾られた腕輪から、白銀の鎖が可視化した。

 延展する先は、奴の邪鬼——。

 あまりの準備の良さに、晴葵のくちばしが予期せずつり上がる。

 落下の最中だというのに呑気なお嬢様だ。

 張り巡らされた鎖はやがて収縮し、展開された八尾全てを圧縮——。

「やあぁ————ッッ‼︎」

 その巨体諸共、地面に叩き伏せた。

 捲れ上がる地殻。

 地の底から膨大なまでの粉塵が噴出し、瓦礫共々、地上に舞い上がる。

 あの巨躯を地面に落とし込んだのだ。無理もない。

 明依は力を失くしたかのように膝をつき、残る全てを、赤い光へと託した。

「行って——ッッ——ハルちゃん——ッ‼︎」

 しかし——。

「————ッ⁈」

 競り上がる景色に紛れて、二匹の大蛇が懐から牙を剥き出した。

「——ッ‼︎ そんな——ッ‼︎」

 ダメだ。

 このままでは晴葵のはらわたが喰い千切られる。

「ハルちゃん——ッ‼︎」

 落下途中の晴葵では危うい。

 しかし——。

「ゔおおおおおおおおおおあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ————ッッ‼︎」

 吠える——。

 半透明に煌めく炎刀が力強く唸り、迫り来るくちばしを真っ二つに両断。

 きっさきが、十字を切って閃光する。

 間髪入れずに再び刀を振りかぶる。

 しかし——。

「————ッ‼︎」

 滑走落下の重圧で動きが鈍った。

 されど真横を通過する蛇口——。

 呼応するように噴出する血潮。

「ゔあぁ——ッッ‼︎」

 脇腹を持っていかれた。

「「ハルちゃん——ッ‼︎」」

 ほとんど悲鳴に近い叫喚が、二人の口から鳴ったが、構う余裕はない。

 痛覚も恐怖も、人としての理性さえ、もう遥か上空へ置いてきた。

 今やるべきは刀を握ること——。刀を振るうこと——。

 全霊を以って、一度限りの渾身を叩き込む——。

「根性オオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォ————ッッ‼︎」

 鋒先が天頂を向く。

 夥しく噴流する真紅の陽炎。

 やがて煉獄にほとばしり、太陽の奔流が敵の急所を捉えた。

「真昼の空に狂い咲け——ッ‼︎」


『 日向暁天 』 


 刹那、刀身が鮮やかな弧を切り、——閃光する。


『 ——日輪にちりん‼︎ 』


 それはさながら、南の空に悠然とそびえる大輪。

 熱狂する刃は、禍津のくびはもちろん、——氷河や嵐、大気すらも裂断れつだん

 幾束にも重なる炎天の波紋が、衝撃波となって天地を駆け抜ける。

 風は塵埃ちりぼこりに同じ。

 氷は水と化し雨となる。

 禍津の巨体は地の底へと沈み込み、砂利や土砂が衝撃波と共に巻き上がった。

 役目を終えた晴葵の体は、抜け殻のように宙を舞い、放物線を描いて投げ出される。

 幾ばくか地面を跳ねた後、彼女の炎熱は冷却された。

「——晴葵‼︎」

 敵の屍など目も暮れず、明依と日音は一目散に彼女のもとへと駆け寄った。

 しかし、現状を見て絶句する。

 赤く濁った水溜まり。

 晴葵の右脇腹から溢れ出たものだ。

「ハル——ッ‼︎」

 再び名を呼び、彼女の傍らで屈む。

 傷口を俯瞰し、止血を始めようとしたその時——。

「——め——い——」

 ようやく呼応した。

 ゆっくりと呼吸しながら、掠れた声が微かに鳴る。

「……明依が——オレを信じてくれたから、オレも明依を——信じたいと思ったんだ……。少しでも、あんな勝手な事をした……贖罪しょくざいになればと思って——」

 途切れ途切れに綴られる言葉。

 苦しいだろうに、それでも彼女は微笑んで見せた。

「いいから——‼︎ もう喋らないで——‼︎」

 傷口を塞ぐ。

 幸い、出血は止まっていた。

 運良く致命傷にならずに済んだようだ。

 不恰好な応急処置を施していると、再び晴葵の口は開いた。

「……なぁ、明依——。説教は、控えめに頼むな。傷に響く……」

「…………。もういいわよ……。——もう、怒ってないから——」

 正確には違う。

 怒ってはいた。

 晴葵の身勝手な行動には心底憤った。

 けれど今は、これだけの無茶を犯した彼女が何よりも心配で——、生きてくれた事が、心から嬉しかった。

 素直に伝えられるかどうか分からないけど——。

 いつものように、直前で照れてしまうかもしれないけど——。

 それでも今は——。

「——死なないで生きていてくれて、ありがとう——」

 横になる晴葵の頬に、静かに零れるしずく。

 自分は今、どれほど酷く醜い顔をしているのだろうか。

 けれどそれは、晴葵の一言で澄み渡る。

「——泣くなって……せっかくの可愛い顔が台無しだぞ?」

 爽やかな微笑を見せる晴葵。その美貌に、不思議と明依の頬も緩む。

 滴り落ちるみぞれは止み、二人の元へ射し込む茜色の斜陽。

 雨上がりに咲いた虹は、勇敢なる神子を讃えるように、黄昏の空を駆けて行った。

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