第9話 神の祝福

 暗がりの洞窟を抜け、再び日の元へと踏み出た時、既に日が暮れ掛かっていた。

「ゔぅ——っ! い、胃が……胃袋が痛い……っ!」

 真っ青な形相でお腹を抑える明依。

 胸部全体に得体の知れない圧迫感が掛かり、上半身を伸ばすとわずかに痛む。

「は、ハル達は何ともないの?」

「……いやまぁ、多少違和感はあるけど、そんな大袈裟になるほどでもねぇよ。なぁ?」

「うん……」

 晴葵の言葉に、日音も首を縦に振った。

 他のゲストの様子を見てみても、胸を痛めている様子はなく、違和感すら感じていないようだった。

 やはり明依だけなのだろうか——。

「他の人達も何ともなさそうね」

「慣れの問題じゃないか? オレらこういうとこに遊びに来るの初めてだし……」

「でも……楽しかったよね!」

「日音〜、何で過去形なんだよ。まさか門限でも気にしてるのか? 閉園は夜の十時だし、まだまだこれからっしょ! 夜のパレードは何がなんでも見るからなっ!」

「ぱれーど?」

 眉根を寄せる明依に、晴葵は珍しく瞳を輝かせた。

「そう! この遊園地のマスコットキャラクター、猫股ねこまたが人間に化けて、園内の至る所を周りながらライブをするんだって!」

「猫が……化けるっ⁈ でも、それって着ぐるみなのよね? いったいどうやって……」

 明依が顎に指を立てたその時、噂をすれば視線の先には、その猫股が居た。

 二振りの尻尾を広げて、陽気にも小さな子供達に風船を配っている。

「わぁ〜っ! 猫股さんだぁ〜‼︎」

「猫ちゃん! 写真撮って〜‼︎」

「ねぇ〜ねぇ〜! 猫ちゃん! 肩車して〜‼︎」

 次々と子供が群がり、挙げ句の果てには猫股に掴みかかる。

「ちょっ! あれは流石にご迷惑なんじゃっ!」

 止めに入ろうとした明依だが、逆にそれを晴葵が止めた。

「シッ! 見とけ」

「え……?」

 次の瞬間、頭に掴みかかった子供が、猫股の被り物を振り払ってしまう。

「ぎゃあああぁぁぁッッ! た、大変よ晴葵! こ、子供の夢が——‼︎」

 だが、刹那にして一瞬の動き。

 被り物を取られた瞬間、取られたことを自覚した猫股が大きく体を旋回させた。

 連動して振り払われる胴体。

 すると、中から現れたのは、猫の耳に、二つの尾を持った——娘である。

「ネコ娘——ッ⁈」

 思わずそんな言葉が明依の口からこぼれる。

 猫股は俊敏な動きで、その場を立ち去り、瞬く間に姿を消してしまった。

「………………。なんだったの?」

「あれが化け猫。ハプニングを利用したサプライズアクション。あえて子供を誘導して、人間に化ける。パレードは基本的に人の姿で行われるらしい」

「……ざ、斬新な設定ね……」

 それにしても先の少女、人並外れた動きをしていた。

「…………」

 まるで、先刻晴葵がやって見せたような動き。

 明依は怪訝そうに少女の軌跡をなぞり、姿が見えなくなった後も彼女を目で追った。

 ——刹那、黄昏が歪んだ。

「————ッッ⁈」

 一瞬、全身が硬直するも、その見慣れた光景に、後に続くはずだった動揺は不要だった。

「マジかよ……。明依が縁起でもねぇこと言うからマジで来たじゃねぇかよ……」

 隣で不平をのたまう晴葵だが、その相貌は発言とは対照的に、限りなく活気に満ちている。

「日音ちゃんはみんなの避難誘導——任せたよ! 私達が戦っている間、みんなの不安に寄り添ってあげられるのは、日音ちゃんだけだから!」

 強く真っ直ぐな純潔の瞳。

 そこに宿るのは信頼か、期待か——。あるいはその両方か——。

 何せ明依は笑っている。

 澄み切った眼孔を強硬きょうこうに携えて、それでもなお柔らかく微笑んでいる。

 微かな余裕を見せるその姿勢はきっと、それだけ日音を信用している証だ。

 予感した——けれど明確な事実に、日音は半ば嬉しそうに、笑って頷く。

「うん!」

 透き通った声。

 翳ることのない、満月の如く鮮明な光は、きっと本当に、暗闇でひしめく花束を照らしてくれるだろう。

 明依は信憑しんぴょうたしかな背中を見送り、再び目の前の巨躯へと振り返る。

 目前に姿を現した異形禍津はとにかく巨大だ。今まで出会ったどれを挙げても比にならない。

「……大きいわね」

 思わず口に出してしまうほど。

 体長五十メートルはあるだろうか。園内のどのアトラクションよりも高く、見上げれば首がはち切れそうだ。

 縦長の形状を誇り、脚は二本あれど、その役割は果たしていないようだった。

 何せ浮いているのだから——。なぜあの形をしているのか疑問に思う。

「ったく、毎度毎度、どうしてこう人の多い所に現れるかねぇー、お前たちは……」

 光を纏い、瞬く間に変身する晴葵。

 真紅の装束が彼女の身を包み、黒い外套が悠然とはためく。

 腰には安心感さえ懐くほどの見慣れた刀。

 続いて明依も変身。紫紺の衣装が最低限に肌を包む。

 両手には鎖が下ろされた二振りの杭。

 改めて見る彼女の姿に、晴葵は卑猥ひわいにも目を細めた。

 目の前の美貌を撫でまわすかのように、その端麗な輪郭をなぞる。

「前から思ってたけど、明依の神子服って……なんかエロいよな」

「なっ——‼︎」

「ドレスみたいな仕様だけど、スカートは極端に短いし、肩とか鎖骨とか……、谷間まで見えてるし……。何食ったらそんな育つんだよ……。ホントに小学生か?」

 晴葵の目が更なる深淵を覗き始める。

「ちょ、ちょっと、変な目向けないでよ!」

 赤くなった相貌で晴葵を睨みつける明依。

 短いスカートの裾を、既に塞がった手で必死に抑える。

 晴葵との目が明依の瞳とかち合った瞬間、彼女は嘲笑した。

「————。痴女」

 向けられた鋭利な眼に、晴葵は揶揄うような瞳孔を立てる。

 瞬間、明依の顔が、まるで苦虫でも嚙み潰したかのように歪んだ

「~~~~~~~~~っっ‼︎」

 熟成した果実は、その様子を伝えるかのように赤みを増していく。

「晴葵——ッ‼︎」

「はいは~い。あまり悠長にはしてられないぞ~」

 あっけらかんと向き直る晴葵。

 彼女を問い詰めようとした明依が一歩を踏み出した時だった。

 蛇腹の形をした尻尾がさながらむちのように、大気を切り裂き疾風を舞った。

 突然の奇襲に後退し、回避を執ろうとした明依だったが、次の一瞬でそれは不要となる。

 視線の先で飛び散る火花。

 瞬き半ばにも満たないほどの神速の抜刀が、迫りくる蛇喰じゃばみを弾き返した。

 真紅の刃先から白煙が立ち昇る。

 あろうことかその剣士は、巨獣を前にしてなお対話をはかる。

「穏やかじゃねぇなぁー。まずはこんにちはだろ? 四国から遥々やって来たってのに、お前の相手たぁ、まったくついてねぇよ」

 余裕の笑みを見せる彼女。

 だが、返答を待たずして、きっさきを後方に構えた。

 この構えには明依も覚えがある。

 初めて彼女が覚醒した時、最初に見せた技がこれだった。

 日の始まりにして、開戦の狼煙。

 傍観者の期待に応えるかのように、彼女は地面を踏み込む。

 投げ出された体は熱を帯び、両手に握った赤き刃がしたたかに唸る。


『 日出暁天 』


 技を放とうと刀を振りかぶった刹那。二本、三本と蛇のかしらが牙を剥き出し先駆してきた。

「————ッッ⁈」

 放ちかけた技を不発させ、間一髪でこれを弾く。

 続く二撃——。

 刀を羽のように扱い、虚空を自在に立ち回る。

 真横を駆け抜ける蛇頭——。

 三本目の蛇腹を踏み台に、天高く——禍津の巨躯よりも遥か上空へと跳躍する。

 引力という枷から解き放たれた蝶のように、今や黄金こがね色に輝く星と軽やかに戯れる。

 まるで舞を舞うかのような身のこなし。——けれど、歓喜も愉悦も必要ない。

 なぜならそれは、太陽の権化ごんげにして化身けしん。または、鳳凰ほうおう仮象かしょう

 ——天を踏む彼女の舞踏は、その天体に許された当然の権利なのだから。

 ガラスの翼は光を乱射し、やがてしなやかに翻る——。


『 日向暁天 夕日せきじつの輪・残陽——‼︎ 』


 夕暮れの陽光と同化した紅炎が、異星目掛けて真っ直ぐに射し掛かる。

 確実に急所を捉えた——。

 はずだった——。

「————ッッ‼︎」

 突如、標的の背面から伸びる大蛇。

 巨口を開いて、晴葵の刀もろとも、その華奢な身体にかぶり付く。

「ぐアァ——ッ‼︎」

 星の鎖も、慣性のことわりもまるで意に介さず、上下に激しく蛇行する。

 うねり、捻り、押し潰すような凄まじい圧力が全身に伸し掛かり、翻弄される。

 刀を振ってもがくことも叶わない。

 音速の蛇行を果たす大蛇。

 やがて、口に入った異物を吐き出すように、赤き写身うつしみを放り投げる。

「ハルちゃん——ッ‼︎」

 宙を舞う可憐。

 先の悠然とした遊戯とはまるで対象的。

 ただただ引力に引かれて落下する哀れな物体に過ぎない。

 放物線を描く幼き星へ、彼女は一目散に大地を跳ねた。

 だが助走もない兎の跳躍など高が知れている。

 明依もそれは重々承知の上だ。

 考えなしに動くほど、彼女も杜撰ずさんではない。

 二十メートル近くで、彼女の体は上昇をやめた。

 しかし、晴葵の体はまだ遥か上空。

 明依は、残された距離を手持ちの武器に託した。

 鎖に繋がれた杭を晴葵目掛けて放ち、その細い腰に優しく巻き付ける。

 見事な捕縛。

 自身の小さな手の中へと一息に引き寄せ、まるで花を慈しむように丁重に抱えた。

「ハルちゃんしっかりして——ッ!」

「……ッくそアイツ……無作法にも吐き出しやがって——ッ‼︎ オレはそんなに口に合わなかったのか……ッ⁈」

「言ってる場合か‼︎」

 無事に着地し、一度距離をとる。

「怪我はしてない?」

「……あぁ、運良くな……。神子服が頑丈で助かった」

 目立った外傷は確認出来ない。心配は杞憂に終わった。

 胸を撫で下ろし、安堵の息を漏らす。

 しかし、それも束の間。

 けたたましい騒音が突如として大地を震撼させ、明依と晴葵の身は覚醒を果たしたかのように翻った。

「なに……?」

 視界の先——。

 禍津の巨体からその足元へ、何か白い影が落下し、群れを成してうごめいている。

 眼球により強い力を込めて凝視すると、その情景に絶句した。

「——ウソでしょッ⁈ あれ全部……禍津⁈」

 首がない。

 胴体と四肢を持った、二足歩行の白い騎兵。

 蛇腹状の双腕を備え、その先端に携えられた鋭い爪が真っ直ぐに伸展する。

 上下に激しくうねり、蛇行しながら進撃するその延長線上には——。

「アイツら、オレ達じゃなく一般人を——ッ⁈」

 焦燥に暮れた晴葵の刀が赤く唸るが、到底間に合うとは思えない。

 だが、スピードならばこちらに分がある。

 焦りも、迷いも、——恐れすら明依にはなかった。

 重心を下ろし、強く、深く、——そして重く地面を踏み込む。

 いま持ちうる全霊の全てを注ぎ込み、明依の右脚が粉塵を巻き上げた。

 一呼吸分にも満たないほどの刹那の滑走——。

 疾風をも凌駕し、遅れて轟く破裂音が鼓膜を貫く。

 群青の霹靂はやがて、——しかし瞬き半ばの瞬間に、純白の尾を両断。

 束なる残像が閃光し、明依の本体はその直後にうつつへと臨場した。

「明依ちゃん!」

「日音ちゃん! 早急かつ迅速に皆んなの避難を——」

 最中、騎兵軍からの一斉掃射。

 蛇腹状に戦乱する大蛇の模造品。

「この——ッ‼︎」

 明依は再び跳躍し、これを斬り刻む。

 四方八方に跳ね回る白亜の一頭。

 我が身に敷かれる大地のいかりを巻き上げ、蔓延はびこる幾分の悉くを咀嚼そしゃくする。

 時空に刻印する、乱舞の綾。

 しかし、またその幾許いくばくもの颶風ぐふうを、歪曲わいきょくする蛇身は反芻はんすうする。

 無尽蔵に増殖する白き蛇蝎だかつ

 余すところなく噛み付く明依の更にその悉くが、無量によって牽制される。

「——————」

 体力の消耗——。それによる速度の低下。

 そして、終わりの見えない攻撃に、次第に焦燥していく。

「ダメ——抑えきれない——ッ‼︎」

 いつからか晴葵も加わっているが、彼女は接近戦の中でも短期戦に特化した高威力型。はっきり言って、彼女一人が加わったところで状況はまるで変わらない。

 だが、それでも粘り強く——。

 日音が避難を完了させるまで、明依は意地を見せる。

 背後からの奇襲——。

 直前の感知に対応が乱れ、明依の杭が弾かれる。

「————ッ⁈」

 あろうことか、擦り抜けた刃が後方の避難民へと迫った。

 明依の失態で、死人が出る——。

 否、それは幻想である。

 直前で何者かが防いだ。

 軽やかな躍動を見せた人影。

 二振りの尻尾に、愛らしい猫耳が特徴の姿。その可笑しな様相を忘れるはずもない。

「ネコ娘⁈」

「遅くなってゴメンなのにゃ~!」

「今まで持ち堪えてくれたこと、深く感謝します……御三家の方々」

「いやぁ、にしても強いんだねぇ君たち。アタシ達よりも速い動きする神子は初めてだよ! 流石は御三家って感じだねぇ〜」

 三匹だ。

 ネコ娘が三匹、陣形を組んで躍り出た。

 しかし、まさかキャストの一部が神子だったとは——。確かにそれならば、あの俊敏な動きにも説明がつく。

「……ったく、ヒーローは遅れてやってくるってか? 人騒がせな連中だぞまったく……」

「コラはる! まずはありがとうでしょ? 彼女達が居なかったら、今頃私達は虫の息よ?」

「……でも、あまり悠長にはしてられないぞ! 敵兵は依然増殖中。その上、アイツらの一体一体が雑魚じゃないんだ」

 深刻に表情を沈めこむ晴葵。呼応するように、次の瞬間、状況が一変する。

 それも、より最悪な方向へと——。

 浮遊する本体が、二体の大蛇を延展。避難経路に連なる建造物を破壊した。

 断絶される退路。

 高さにして約十メートル弱の瓦礫が、険しい山脈を積み立てた。

「…………え……うそ…………」

「…………俺たち、閉じ込められたのか………?」

 絶望する避難民。

 状況は瞬く間に地獄と化した。

「——退け! オレの技でこれくらいどうとでも——!」

 力づくで瓦礫を吹き飛ばそうとでも考えたのか、先陣を切って刀を構える晴葵。

 しかしその右腕を、明依が傍らから強く掴み取る。

「ダメよ! この先にはまだ禍津の出現を知らない街の人たちが沢山居るのよ⁈ 無暗矢鱈に技を出せば、被害が拡大するだけよ!」

「じゃあどうするんだ‼︎ これだけの人数抱えた状態で戦えってか⁈ いくら何でも無謀すぎるぞ‼︎ 現にさっきだって、護ることで精一杯だったじゃねぇか‼︎」

 互いに血走る形相。

 ネコ娘達にも、真面な策は思いつかず——。

 状況は刻一刻と悪化していくばかり。

 思考を巡らせる神子たちへ、再び向けられる幾千万もの刃。

「クソ——ッ‼︎」

 真紅の刀、紺青の杭、純白のひづめが、迫りくる物全てを迎え撃つ。

 だが、五人でこれら全てを凌ぐことは不可能に近い。

 捌き切れなかった剣尖が、流れ弾となって辺りに散らばる。

 攻めることはおろか、防ぐことさえままならないこの状況に、場の空気は次第に戦慄する。

「クソ——ッ‼︎ 本体を叩かない限り、より熾烈になるだけだぞ‼︎」

「分かってるわよ! けど、この人達を護らないと——‼︎」

 切羽詰まっていく状況下に焦燥し、半ば憤然とした声音で掛け合う晴葵と明依。

 やがて限界に達したか——晴葵のまなこが紅くくすぶる。

「攻めるしかない——ッ‼︎」

 覚悟に染まった決意の真紅。

 飛び火を巻く傍らの星に、鋼の獅子は強く吠える。

「え——ッ⁈ 攻めるって、守備はどうするのよ!」

「捨てるしかないだろ‼︎ どの道このままじゃ、オレ達がやられて被害が拡大するだけだ‼︎ けど、コイツらの犠牲で他の大勢が助かるのなら——ッ‼︎」

「でもそれじゃあ——ッ‼︎」

「欲張るな‼︎ 合理的に考えろ‼︎ 戦が上手いやつは、常に何かを天秤に懸けて動いてる‼︎ それは、お前が一番よく知ってるはずだろ‼︎」

「——————」

 晴葵の強い言葉に、口をつぐむ明依。

 神子とは言え、その実態は、まだ年端も行かぬ子供達。その小さすぎる手で守れるもの、助けられるものは限られている。——だからこそ、神子なであるのならば、その不可能を叶えたい。

 けれど、そんな理想家な明依と違い、晴葵は現実家だった。——否、彼女のはきっと、ただの諦念だ。

 拮抗きっこうしたいがみ合い——その決着は早かった。

 紛うことなき正論に、明依は言葉を失った。

「オレ達は……ヒーローじゃないんだよ……」

 どこか悲しく、切ない声を吐く晴葵。

 対立してしまったがゆえだろうか——。彼女は明依へ振り返ることはせず、疾風を舞った。

 炎の螺旋が一直線上に駆け抜け、敵の本体へと奇襲する。——最中、彼女の言葉を深く思いつめたのは明依ではなく、——日音の方だった。

「………………」

 凍える表情で光を見失った日音。彼女の後ろから、晴葵の独断専行に憤った者達の声が絶えずして上がる。

「なんなんだあの子! 俺達を見捨てる気か⁈」

「酷い‼︎」

 無理もない。

 人の願いを叶えるべく生まれた存在がこの有り様では——。

 それでも、明依達は依然として、懸命な守護を続ける。

 上空で上がる火花に気を散らされながらも、必死に——。

「この野郎オオォォ——ッ‼︎」

 晴葵の振りかぶった刃が本体に直撃することはない。

 周囲に蔓延る蛇に妨害されるばかりだ。

 降り降ろした悉くを弾かれ、吹き飛ばされる。

「——ッまだまだアアァァ‼︎」

 幾度となく地表を弾んでも、粘り強く立ち上がり、炎を滾らせる——その繰り返し。

 熱風と金属音が絶えずして天地を駆け抜ける。

 地上で戦う者たちにとっては、正直不快な贈り物だ。

 製鉄所のような熱気と音響が大気に充満していく。

 熱く、暑く、騒々しい。

 体力も集中力も、次第に虚無と化す。

 けれどその渦中でただ一人、延々と不可視の虚像を追いかけている者が居た。

 ——日音の意識が空白を刻む。

 ただひたすら、脳裏によぎっていたのは『幸せを積む蒼い花』。

 そして、この遊園地。

 楽しむため——幸せを感じるため、様々な工夫が施された此処は、もはや一つの楽園だ。

 それら全てが、人が造り上げたという事実。

 悟る——。

「——同じなんだ……私達神子も……」

 無意識の内にこぼれた言葉。

 先刻の晴葵の言葉から、日音の中では何かが引っ掛かっていた。


『——オレ達は、ヒーローじゃないんだよ』


 それは——。

「それは、違うよ……ハルちゃん」

 掘り起こされる、ゲスト達の笑顔——。

 あの幻想的な地底洞窟の中で見た光景は、決してまやかしなんかじゃない。

 偶然でも、奇跡でもない。

 あれは、人の力が成した技だ。

「人を護るのも、助けるのも——、人を、幸せにするのも……全部、築き上げるのは私達自身だよ!」

「……かのん…ちゃん?」

 突然の威勢に、明依の視線が傾く。

 ——否、この場に居る全ての者達の〝意識〟が彼女に向いた。

「切り捨てる必要なんかない。護れる手段がないからって諦めたら……ダメなんだよ! 護るべき手段も、すべも、日音たちが創って、生み出す‼︎」

 やがて、彼女を包み込むように、何処からともなく集束を始めた光の束。

 渦巻き、沸騰し、旋風を舞う。

「人と願いを繋ぎ止めるのが神子なんでしょ? だったら……どんな願い不可能も、日音たちが叶えてあげる‼︎」

 刹那、日音の姿が変貌を遂げる。

 花柄に彩られた鮮やかな着物が、肩を露出させて彼女の胴体を包み込む。

 フィッシュテールスカートのようなはかまが下半身を覆い、後部の丈は膝下にまで行き届く。

 腰回りと袴の裾には、それぞれ金色の光沢を見せる紙垂しだが下げられ、袴の全周を神鏡が浮遊する。

 両脇から頭上にかけてを半透明の羽衣が揺蕩たゆたい、両手には二振りの扇子が握られる。

「日音ちゃん!」

 予期せぬ覚醒に歓喜する明依。

 周囲の人々も、その果敢なる神格化に、多大な讃美さんびを贈った。

 それは拍手だったり、声援だったり、はたまた願いだったり——形は様々だ。

 日音は彼らの中から悠然と躍動し、優麗なる神聖を惜しみなく振るって見せる。

「——日音たちはヒーローじゃない。——神様なんだよ! ならどんな願いも、祈りも、期待にだって成就こたえて魅せる‼︎」

 剛毅ごうきな意思と共に、扇子が振られる。

 優雅かつ華麗な舞踊。

 大らかに地表を踏み、軽やかに天へと謳う。


『——元つ月 さても沸きたる 赤き恋 黒き衣に 雪積もれども 』


 穏やかな歌声が立ち込めていた熱気を凪ぎ、——同調が開始される。

 地面から深々と浮かび上がる、影の騎兵。

 漆黒の鎧に身を包み、同色の剣を構えて、一体、また一体と姿を現す。

 少々禍々しい光景に大衆の息が詰まるも、それは確かに神の所業。

 闇夜に灯る——僅かな光を求めた落武者達の降霊。


『 ——月詠神歌つくよみしんか一番 泰月御忌たいげつぎょき未恋みれん山伏やまぶし‼︎ 』


 敵兵と同等——いや、それ以上の数が隊列を組み、日音の合図と共に行進する。

 さしずめそれは、百鬼夜行と表すに相応しい光景。

 闇を創造する、まゆずみの寒波。

 散々と翻弄されたあの白兵が、塵芥ちりあくたのように薙ぎ祓われていく。

 白亜を塗り潰す、漆黒の荒波。

 その様子は、下人は疎か、同朋でさえ感嘆させるには甚だ充分だった。

「……す、すごい……。あの大群を、たった一人で?」

 正確には幾千もの兵力だが、それを召喚したのは、紛れもなく一人の手によるもの。

「地上の敵は……日音に任せて? 明依ちゃん達は、ハルちゃんの援護を!」

 見上げれば、黄昏に散りゆく石火せっか

 馬鹿正直な様は見ていて滑稽というか、哀れというか——。その悉くが霧散しているのだから尚更だ。

 本体の禍津から伸びている蛇は八尾。その中で晴葵を相手しているのはたったの二匹だ。

 他にも備えている可能性は否めない。

 はっきり言って——。

「正直、無謀だと思うわ。私達が束になっても、きっとあの守備は崩せない。一度晴葵を呼び戻して作戦を考えるべきよ。その間、アイツの気は——」

 杭の尾から延びる鎖が颯爽と波打ち、絶海の瞳が強固に光る。

「私が引くからっ!」

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