第8話 明確なる大義

 レイジング・トルネード乗車口——。

「は〜い。それではレバーを下ろしますね〜。バッグなどの持ち物は足元で挟むなどして置いてください。アトラクションの遠心力で落ちる事はないのでご安心を」

 乗車した明依達に爽やかな笑みで説明してくれるキャスト。

 しかし——。

「え、遠心力で荷物が落ちないって……いったいどれだけの負荷が掛かるって言うの⁈」

 明依の胸には不安しかなかった。

「それでは出発致します!」

「ちょっ⁈」

 無意識的に、晴葵と繋いでいた手の力を強める。

 動き出した列車はレールに引かれてゆっくりと上昇して行く。

 やがて訪れるであろう恐怖が、刻一刻と近づいているかと思うと、多大な緊張感と共に、明依の恐怖心を更に煽っていく。

「……こ、この感覚……まるで鹿威しかおどしね」

「あ〜、水が溜まるとカコンて音がするあれ? 確かに似てるかもなあ〜。いつ来るのか待ち遠しい感じが特に!」

 晴葵はあっけらかんと笑うが、明依の顔は依然として青い。

 一列二人乗りの為、日音は後部だが、彼女もきっとこういったのは苦手だろう。

 しかし、今の明依に他を案ずる余裕などあるはずもなく、視線の先のレールがついに——。

「————っ⁈」

 途絶えた。

 途端、真っ逆さまに落下する車体。

 まるで引力から解放されたかのように人体が浮遊する。急降下する車体に身体の重みが追い付いていないのだ。

 足先から逆流する血液と共に、稲妻のような衝撃が全身を駆け抜ける。

「うひゃああああああああああああああああああああああああッッッ————‼︎」

 縦横無尽に旋回するたび、体が上下左右に引っ張られ、一回転した時など、もはや何が起こったかまるで分からなかった。

 そうして、長旅を終えた明依の魂は天に昇り、園内のベンチで死体となって転がった。

「まったく、神子ともあろう者が情けねぇなぁ〜」

 明依のみっともない姿に落胆する晴葵。軽蔑の視線を真っ向から送りつける。

 だが、当の本人は未だ冥土の中を彷徨い続け、向けられた蔑視は虚空へとかえっていく。

「——けど、日音が平気なのは意外だったよ」

 明依の半壊ポンコツぷりは、長年共に暮らしてきた彼女達にとっては、もはやとうに知れたこと。

 しかし、日音に関しては甚だ予想外だった。

 縦横無尽に流離う列車の上でも、彼女は微動だにしていなかった。——むしろ、珍しいものにでも触れているかのように嬉々的だった。

 まさか、彼女がこれほどまでに絶叫に強いとは——。

「うん! そんなにイヤじゃ……なかったよ!」

 どこか高揚したように微笑む日音。相当楽しかったのだろう。常にどこか弱気な彼女が、今日は表情の和らぎ方が普段とは格別的だ。心から笑っているのが見てとれる。

「なんだか空を飛んでるみたいで……楽しかった」

 アトラクションの余韻が、彼女の心身に残留する。

 しかし、起き上がった明依は、無神経にもこれを断固否定した。

「それは違うわ日音ちゃん! 私達の思い通り動くことのない——ただ軌道に沿って走るだけの乗用車に、飛行なんて自由気ままな単語は似つかわしくないわ!」

「そのレールに沿って走るだけの乗り物に翻弄されて死にかけてる神子が何か言ってるし」

 嫌味な発言をしたのは晴葵だ。

 今の明依の醜態を嘲るように頬を持ち上げた。

 けれど明依は、そんな皮肉を意にも介さず、毅然きぜんとした佇まいで突如立ち上がる。

「そもそも、此処へは絶叫する為ではなく楽しむ為に来たのよ! そうよ!」

 まるで、閃いた物を掴んで離さんと拳を握る明依。その後も、ぐちぐちと御託をたれる。

「——恐怖なんて何も齎さないわ! 絶望を祓い、希望を叶える事こそが、私たち神子の御役目のはず! ここからの私たちは目一杯楽しむことが指名のはず! でしょっ⁈」

 張り切る明依。

 その傍らで、晴葵は何やら悪戯いたずらな笑みを浮かべて地図を見せてきた。

「じゃあさ、次はこれ乗ろうぜ!」

「ん? これは?」

「アンダー・オブ・ザ・アース! 何でも、地球の地下深くを探検して、まだ観ぬ世界を体験しよう! ——ってことらしくてさ、幻想的な風景がいっぱい広がってるんだと!」

「へぇ〜、面白そうね! 歩いて見て回る感じかしら?」

「いや、トロッコに乗ってゆっくり進んでいくんだってよ! ほら、SNSに上がってる写真を見る限り、かなり綺麗なんだぜ!」

 差し出された液晶端末。そこには色とりどりの鉱山や鉱石、未知の生物など、神秘的な世界が広がっていた。

「きれい……」

 ハイファンタジーな情景に、日音も期待に胸を高鳴らせる。

「決まりだな! ファストパスが時間そろそろだから、もう向かおうぜ!」

「ええ! 行きましょ!」

 しかし、明依は知らなかった。

 晴葵が説明したアトラクションの内容が、言葉足らずであったことを——



 アトラクションへの入り口は洞窟のような外観を誇っており、内部はかなり涼しかった。

 ゲストの行列は洞窟の外から数百メートルと続いていたが、ファストパス持ちの者達にとってはその悉くが有象無象に過ぎない。

「ず、随分雰囲気のある場所ね……。アトラクションはまだかしら……」

 ファストパス持ち専用の通路が一般ゲストのすぐ隣にあり、それら二つの道はロープで区切られている。

 一般ゲストとは対照的に、円滑な進行を見せる。

 しかしそれでも、目的地へは中々辿り着けずにいた。

「ま、まさか地下まで徒歩で降りるなんて事はないわよね?」

「いや……途中でエレベーターがあるって聞いたけど……」

 あらかじめ情報を得ていた晴葵でさえ不安になってくる始末。

 それだけ、洞窟の道が果てしなく長かった。

 ——いや、長いというよりかは、蛇のように無駄に道が造られているせいで長いように感じる。実際はもっと短調な造りになっているはずだ、

 直線で結べばいい箇所でも、湾曲させたりなどして、何列にも道を重ねている。

 ——どれだけ歩いただろうか。ようやくして、三人はエレベーターへと辿り着く。

「……や、やっと着いた……。なんでこんな長いんだよまったく……」

「行列対策じゃないかな。このアトラクション、これだけの道があるのに、お外の方にも沢山の人達が列を作ってたから。長い道を作らないと、すぐにパンクしちゃうんだと思う」

 気怠げな様子を見せる晴葵に、仮説を立てる日音。小学生にしては妙に現実的だ。

「そうね。でも絶叫系ならまだしも、写真でも充分なくらい綺麗だった此処を、それだけ直接拝もうとするなんて……よほど凄いのかしら!」

 不可解なほどの人混みに、もはや明依の期待値は高くなる一方だった。

 真実を知る晴葵は失笑するしかないが——。

「あ、ああ……そうだな……」

 どこか会話が噛み合わない三人のもとに、ようやくキャストの方が案内を始めた。

「それではエレベーターにご乗車していただきます。是非ご自身の目で未知の世界を体感ください。どうかご武運を——」

「————?」

 ご武運?

 いくら未知とは言え、その表現は大袈裟なのでは?

 そういう設定?

 釈然としない様子でエレベーターへ乗り込もうとした時、耳を疑う案内放送が流れた。

『このアトラクションは、急降下、急旋回、急加速をする新感覚・探検型絶叫マシンです。お年寄りや、お体の弱い方のご乗車はご遠慮ください』

「————? ん? 聞き間違いかな? 新感覚・〝探検型マシン〟よね?」

 顎に人差し指を立てて、無知な様子で半兵衛はんべえを決め込む明依。

 現実から目を背けるように明後日の方角を向いた。

 だが、日音はこれをすんなり受け入れる。

「……新感覚・探検型〝絶叫〟マシンだよ…明依ちゃん」

 しばらくは明依の脳も馬鹿を決めていたが、日音の訂正もあり、意識が覚醒する。

 晴葵と繋がった手に、悍ましいとさえ言える力を深々と込め始めた。

「はるき……贖罪しょくざいは腕一本か指全詰めか、どちらがお好みかしら?」

 禍々しい空気が、降下するエレベーターと共に込み上げる。

「ちょっ、それヤクザの所業だろ! 御三家のお嬢様ともあろうお方が何言ってんだよ!」

 うしている内に、エレベーターは最下層へと到着し扉を開いた。

 出迎えてくれたのは当然ながらキャストの方だ。

 にこやかな笑みで案内をしてくれる。

「ようこそ地下探検団へ。これからあなた方にはトロッコへ乗っていただき、神秘的かつ貴重な体験をしていただきます! さぁ、こちらへお並びください!」

 前線のゲストが後部から順に乗車する中、明依達の番が訪れた時には、既に最前列しか残っていなかった。

「おぉ‼︎ やったな明依‼︎ オレら一番前だぜ‼︎」

 最前列の景色に期待を膨らませ、大はしゃぎする晴葵。

 しかし、先刻の放送を聴いた後では、いまいち乗り気になれないのが明依の心境である。

「…………………」

 顰めっ面を浮かべ渋っていると、キャストに背中を押される。

「は〜い! それでは行ってらっしゃいませ!」

 動き出す車体。

 上下へ小刻みに揺れるのがまた生々しいが、それはそれで少々不安になる。

 だが、その懸念も数分後には希薄となり——。

「へぇ〜、何よ思っていたよりゆっくり進むのね」

 ジェットコースターのような上昇は見受けられず、緩慢な動きで前進している。

 洞窟内は色彩豊かな鉱石で満たされており、放射される光が四方を照らしていた。

「綺麗!」

 思わず身を乗り出す日音。

 目前に広がる幻想郷に、子供の無垢な心が奪われるのはあまりに容易たやすかった。

 楽しそうな日音に、明依の不安はすっかり落ち着く。

 彼女も、この神秘を楽しむ事にした。

 鉱石の影から、ウサギのような生物が顔を出す。

 ——けれど、それはどこかいびつで、一般的なソレとは大きく異なった異種族だった。

 他にも、小型の四足獣や昆虫など、様々な生き物達が地下深くに生息している。

 ——無論、アトラクションの一部に過ぎないそれは、ただの人形だろう。

 それでも、崇高な創造物であった。

「何処となく禍津に面影があるわね」

「縁起でもないこと言うなよ……」

 今此処で禍津の奇襲を受けるのは勘弁だ。

 せっかくの休みが台無しになる。

 だけど——。

 明依は背後を振り返り、同じく神秘に目を奪われるゲストを眺めた。

「ママー‼︎ 見て〜ウサギさん!」

「あそこには猫がいるぞ?」

「あの鉱石の光、何で再現してんだ?」

「おそらく炎色反応だろう」

「この時代にそんな古臭い方法使うわけねぇ〜だろ。LEDだよLED」

 彼らの浮かべる笑顔は、神子である明依にとっては、あまりに可憐で、私服的なまでに尊かった。

 神子が人々を守っても、これほど純粋な笑顔は生み出せない。

 精々恐怖から解き放たれた安堵だけ。

 神子でも叶わぬ事をやってのける人間の力こそ、神子の神秘を超える魔法だ。

 だからこそ、その奇跡は——裏方が護らなければならない。

 此処に来て良かった。

 漠然と掲げていた正義が、明確な形として成長した。

 その瞬間、明依は悟った。

「(——そうか。鐘貞さんはこれを見せたくて——。護るべき大切な物を気づかせたくて、私達を此処に——)」

 彼の真意と向き合うかのように、明依は真っ直ぐに前を見据える。

「(やっぱり、私が思っていたよりも、遥かに偉大な御方なんだわ。三人で一緒に住めと言われた時は、その突然の横暴に、彼の人間性を疑ってしまったけれど、結果的に私達は信頼し合える関係になれた。そして今回も——。鐘貞さんはきっと、私が想像もし得ない未来をお考えなさっている——)」

 刹那、脳裏を過ぎる鐘貞の浅薄な笑い声と軽薄極まりない空っぽの笑顔。

『ヘラヘラヘラヘラヘラ——』

「(……っ……ッ……、少なくとも、そう信じたい——っ!)」

 浮かび上がる彼の態度や言動は、やはり微かに不安になる明依であった。

 次の瞬間、突如として車体が激しく揺れ動いた。

「————⁈」

 共鳴するように流れ始める警報と警告。

『緊急事態発生‼︎ 緊急事態発生‼︎ 洞窟内に危険生物を確認‼︎ 直ちに撤退します‼︎』

「は?」

 言葉通り、急加速を始める車体。

「ちょっ‼︎ 急になにッ‼︎」

 最中、洞窟のあちこちで咆哮を上げる巨大怪獣達。

 無論、機会的な動きである事は言うまでもないが、けたたましく鳴り響く轟音の数々が、こちらの恐怖心を一々煽ってくる。

 彼らから遠ざかるように、列車は右へ左へと目まぐるしく旋回し流離さすらう。

 乱遊する世界の中、明依と日音は目前のレバーへ懸命にしがみつき、これをしのぐ。

 対して、お隣の脳天気と来たら——。

「アッハハハハハハハハッッ‼︎」

 大層ご満悦に絶笑する始末。

「笑ってる場合じゃないわよオオォォ‼︎」

 そして列車は急上昇を始め、覚えのある焦燥感をゲスト全員に与えた。

「ちょ、これって……まさか——ッ‼︎」

 洞窟の出口が見え、眩い光が差し込むと同時に、レールが視界の先から消失する。

「ヒイィ——ッ‼︎」

 直後、真っ逆さまに落下。

 胃袋や心臓などの臓器が瞬く間に持ち上げられ、全身が痺れるように戦慄する。

「ギャアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァ————ッッ‼︎」

 のちに轟いた絶叫は、園内全域にまで響いたという。

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