第22話 玉屑
目を瞑るたび、
——我が身を焼いて禍いに立ち向かった親友。その努力を蔑んだ猿達。
——理想と異なる異端者を一方的に
そして——。
見知らぬ地へと漂流してしまった子兎。
水浸しの小さな体で浜辺を歩き、場所の特定を試みる。
目先に見える高台なら、見渡しもいいだろう。
だがその果てに、彼女はまた一つの惨状を目の当たりにしてしまう。
険しい岩肌と山々に囲まれた巨大な岬。その断崖の端に、自分よりも幼い二人の少女が縄に繋がれ今にも落とされんとしていた。
足には鉄球が繋がれ、水面に上がれぬよう細工されている。
「——何を……しているの⁈」
信じられない光景に目を疑いながらも、いざそれが現実であると明示されてしまうことへの恐怖が、ただでさえ冷たい声をさらに冷却する。
しかし、その恐怖は彼らへ向けられたモノではなく、自身に向けたものである。
少女の問いに、縄の尾を引く男達はまず最初に怯えた様子を見せた。
「な、なんだキミ……‼︎ こがいな時間に……いったいどがんとっから……ッ‼︎」
しかし、投げかけた問いに答えを見せないその不敬へ、少女は続けて真っ白な息を吐く。
「聴こえなかったの? 何をしているのかって、聞いているんだよ……」
まだ十月半——それなのにも関わらず、凍え死にそうな寒気が、この鶴御崎灯台一帯を囲った。原因など考えるまでもなく、いま目前に佇む少女が現れてからに他ならない。
繻子のように精緻な白い衣を
「い、いや……コイツらがおると、村に禍いば齎らすけん……こうするしかなか……」
しかし、見る限り、今の状況に怯え、震え、全身を痣と傷で埋め尽くした目前の幼女が彼らの言うような存在とは到底思えない。
互いの痛みを少しでも抑え込まんと、見るも痛ましく抱き合う二人。
雪女は、男達の間をゆっくりと通り過ぎ、今もなお震え続ける幼女達に歩み寄った。
「お、おい……キミ!」
危険を促すように、その白い背中へ呼びかける男。
しかし少女は、子供達の頬を優しく手で拭った。
「——私には、とてもそうは思えない。ここから見渡せる景色一帯に禍いが起きた形跡は見られないし、それどころか〝ええやないか〟なんて言うふざけた歌まで聴こえる……」
先程から微かに耳を打つ陽気な歌声。何重にも重なった声が合唱され、お祭り状態だ。こんな離島まで響いてくる辺り、まず間違いないだろう。そして、今この時期に、人々が腕に世を掛けて
「あ、あぁ……こいは奉献が返上されたけん、到来した人ん時代ば皆んなで祝っとるんよ。そいで、もう神子は厄災ば呼ぶだけやけん、今ん内に排さないかんとよ」
「そんな必要ないよ。この子達が疫病神なんて根拠はどこにもないじゃない」
「ばってんそいでも——うごッ⁈」
その薄汚れた口を鷲掴み、その細い指先から、真っ白な息吹が深々と溢れ出る。
「ちょっと、うるさいよ——?」
氷菓のようにひんやり甘い声音。その絶対零度の闇に、刻一刻と
「んぐ——ぬぐヴヴ——ッ‼︎」
凍結は一瞬だった。顔面に亀裂が走り、男の顔が、まるでガラス細工のように崩壊する。
虐げる者が消え、意図せず震えが止まる二人の幼女。射し込んだ光を確かめるように、夜空を見上げると、そこには甚だ美しい月光が凛々しく咲いていた。
「ねぇ、ちょっと聴きたいんだけど……此処で一番強い人ってだれ?」
泰禮元年 十月十六日——。
「ほ、ホントに……やっちゃうの?」
「大丈夫。お姉ちゃんに任せて♪」
その日は、僅かに雲隠れした月が少々薄気味悪く
——
男は女に化け、女は男に転じ、奇抜な仮装をした人々が大勢集まり騒いだ。その中心となっていたのは、元攘神一派の薩摩島津家——。
祭りの中心となる特設会場には、丸に十字の家紋が示されていた。紛れもなく島津家の家紋。
人の世を祝福する仮面舞踏会——そこに月の化身が現れたのは、盛り上がりも絶好調に達していた最中だった。
雲が霞む春の空のような、薄く淡い青白磁色の髪を編み込みハーフアップに束ねた少女。
月明かりのような黄金色の瞳を淑やかに煌めかせ、マイクを手に取る。
「あぁ〜、お楽しみ中の皆さん! 突然の来訪失礼します♪」
甚だしいまでに整った目鼻立ちと、冷淡と思えるほどに落ち着いた佇まいが人目を惹く。
「私の名前は——」
聴き慣れない標準語に、大衆が唖然とするのも無理はなく、それでも女は、冷酷に——、残酷に——、そしてより無慈悲に、その名を口にした。
「——月岡日音と、申します」
一瞬にして、衆人へと天雷を浴びせる玉兎。無論比喩である。
信じがたい強襲に、大勢が喉元を開いて硬直した。
恐怖と、不安と、悲嘆が、叢雲陰る月の下で、虚ろに光る。
でも彼女にとって見れば、そんな事には毛先ほどの感傷も湧きはしなくて——。
神として、真っ当に、託された願いを叶えるだけに過ぎなかった。
——乃木希義に言われた言葉を、彼女は沈みゆく海の中でずっと考えていた。
『——神であろうと、人間であろうと——この社会は、他人の
毛利の言うように、人と神が言わば〝御恩と奉公〟で成り立っているのなら、こちらに利益が無くては成立しない。
ならどんな願いを叶えるか——その選択権は神子にあっていいはずだ。
「——突然ですが、これより薩摩島津藩は日音のモノです!」
「はぁ⁈ あまらんやなかばいッ‼︎」
「厄病神ん分際で、どん面下げて来おった‼︎」
「んん〜、まだ立場を理解していないんだね。それなら、島津さん? 島津重睦さん? 前に出て来てくれますか? ——はい! 是非とも私とお話し、しましょ?」
どちらを叶えるかは——。
「日音自身、是非とも一度貴方とお会いしたかったんですっ!
手を触れた瞬間、瞬く間にして島津の体が氷結——壊死してしまった。
『『 キャアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァ——ッ‼︎ 』』
恐慌する民衆。
断末魔が猛り荒ぶ中、島津家は決してこの場に屈したりはしなかった。
「島津さアアアアアァァァァン——ッ‼︎」
主君の仇を討たんと立ち向かうその勇姿は、甚だ目を瞠るモノがあるが——。
「——〝勇気〟と〝無謀〟を履き違えてるようじゃ、ヒト以下だよ……」
その全てが、一切の区別なく、絶対零度の寒波によって焼き祓われていく。
「——この魔女がアアアアァァァァァァッッ‼︎」
放たれる弾幕——その全てを分厚い氷壁が阻み塵に変える。——直後に大地を覆う水彩。駆け抜けるようにして吹雪いた青白い炎は瞬く間に大地を氷結させ、至大な氷河の
『『 ぐあァ——ッ‼︎ 』』
溢れ返る鮮血の雨。十を超える軍勢が、文字通り手も足も出せずに殲滅された。
鮮やかに灯る光は明滅し、輝かしかった祭りの気配が刹那にして凍結。
束の間の催事が崩壊し、真っ赤に染まって煉獄にも思える氷河の中、兎はより冷酷に、頬に滲んだ朱を拭う。
「それじゃあ、改めて–––– 」
禍いの成就——それが、私の選んだ
「〝私〟を敬え––––。」
大神奉還から六日後。月岡日音は南下を開始。——僅か一夜で九州全土を統一した。
「——状況は以上です」
降り頻る雨の中、見放したはずの少女へ、律儀にも懇切丁寧な報告をしてきた理由など、知れた事だった。それを確信へと変える為に、敢えて明依は質疑を打つ。
「それで、私にどうしろと
「その通りだよ。だから内閣府・岸部史彦氏は〈
軽薄な乃木の態度を、明依は忌々しげに睨みつける。
けれど、そんな彼女の心境など、彼も充分に理解していたようで、明依の口が開くより先に、乃木は提示できる全ての条件と約束の下、明依に協力を要請した。
「これが、私達から贈る、貴方への最後の願いです。手段——共に生死は一切問いません。貴女が彼女を止めて下さるのであれば、相応の
叶えたい願いは、ある。
それはきっと、日音が最終的に叶えようとしているモノと同じだ。
けれど正直、もうこの世界で生きる意味なんてない。
身勝手な願いを押し付けられて、身勝手な願いによって呪われて——。
期待するだけして、すぐに失望する。
努力も過程も考えてはくれなくて、結果が全ての理不尽な世の中。
成就しないことは罪であり、悪となる。
それはきっと、生まれ変わっても変わらない——人が持つべき宿業だ。
「……こんな世界で、どうやって幸せになれって言うのよ……」
小さく吐かれる嘆息。
でも、死ねるほどの度胸なんてなくて——。
生き続ける勇気もない。
——酷い矛盾だ。
勇気はないけど、これから先、残された子と少しでも安らかであれるのなら——。
明依は、たった一つの条件を提示した。
「——もし、私が日音ちゃんを生きて還すことが出来たなら、彼女の願いも叶えて上げてください。そしてもう二度と、私達の前に顔を出さないで」
「——————⁈」
静かに驚嘆する乃木。
どこか呆れたように微笑み、彼らはこれを容易く受理した。
「構わないさ。まぁもっとも、あの雪将軍を、正常に戻すことが出来るとは思えないがね。——しかしまぁ、こちらとしては彼女の嵐を鎮めてくれれば、正直何でもいい」
「
明依は携帯端末の録音画面を見せつけ、契約を成立させた。
しかしながら、日音との連絡は途絶えている。
きっと彼女は、自分の犯した罪を、明依が許すはずないと思っているのだろう。
けれど、今の明依にとっては、もはや有象無象の状態など知ったことではない。
ただ今は〝あの子〟の願いを叶えたい。
家族として。——何より神子として。
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