第20話 大神奉還

 蒸し暑い日が続き、蝉の音が一層賑やかに騒ぐ頃——。ちまたの学生達は待ちに待った夏季休暇を満喫していた。

「 ——破壊者のくせに街を歩くな‼︎ 」

「 ——取り立てた税金返せよ禍津神ッ‼︎ 」

「 ——よくも恩を仇で返しやがったな‼︎ このクソ偽善者がァッ‼︎ 」

 滞留した不満を、呪詛としてぶつけながら、烈々と——。


 ——嘘だ。これは悪夢だ。

 だって——、だってあんなに必死に、一生懸命戦ったのに——。


「 死ね——ッ‼︎ 」

 投げつけられる、一石のつぶて

 衝撃にひたいを抑えると、手のひらには真っ赤な染みが滲んでいた。


 ——痛い。


 夏至も末。緑色だった葉っぱが、僅かに汚れ始めた頃——。酷く長い夏季休暇を終えて新学期が始まろうと言うのに、大社は慌ただしかった。

「——明依‼︎ 大変なの‼︎ 大崎さんが‼︎」

 豹変させた血色で訴えてくる母に連れられ、大社本宮へ向かった。

日音かのん!」

 一足早く到着していた彼女は、硬く凍り付いてしまった亡骸を、空虚な眼差しで娶っていた。

「……………。……かのん?」

 何があったのか——事情を問うまでもなく、明依は事情を察した。なにせ明依も、この一ヶ月、同じ目に遭って来たのだから。——いや、これからもきっと遭い続けるだろう。

 掛けられた布をめくると、遺体には幾つものあざ火傷やけどが確認できた。

 ——むごい。

 あまりに痛ましく、明依の相貌は空想の苦痛に歪んだ。

 悔しさ。憤り。哀しみ。恐怖。混濁する感情を、明依は静かに呑み殺す。

 けれど、満たされたさかずきへ、更に水を配る者も居て——。

 やがて器は崩壊を迎えてしまう。

「〝攘神派じょうしんは〟って知っているでしょ? 神子を排さんとする思想を持った人達。彼らから沢山の嫌がらせを受けていたらしくて。昨日、自宅で首を吊っている状態で発見されたよ」

 小さく、消え入りそうなほど矮小な声で語るのは、鐘貞だった。

 遅れてやって来た彼は、事の経緯を丁寧に説明した。

 だけどそんなモノ、今は聴きたくなかった。

 聴いてしまえば、自分を見失いそうになってしまうから——。

「——嫌がらせって、もうこれ迫害——いや、殺人じゃないですか‼︎」

「けれど、内閣は彼らを黙認している。当然、私たち大社も、彼らへ危害を加える訳には行かない。これからも禍いを迎え撃つには、彼らの願いが必要だ。これ以上、失望されるような真似は出来ない……」

「——けど、その禍いを願ったのが、他でもないアイツらでしょ?」

「……か、のん?」

 ようやく口を開いたと思えば、それ以上の事は何も語らなかった。

 依然として、彼女の白い美貌はかげり続けたままだ。





 神子——共に大社の威厳は失墜。

 増加の一途を辿る国民の疑念と不信感に、失望された神子の神威は一部を除き激減した。

 秩序は乱れ、今や国家そのものが攘神派閥によって無法化を始めた頃、この鎮圧に際し、内閣府主将の岸部史彦きしべふみひこ国務大臣は、大社を訪ねて来た。

 攘神派による運動を懸念し、大社内にて匿われていた私——遠星明依が二人の話を耳にすることは至極当然だった。

「——事態は深刻です、月岡さん。国民が神子に不信感を抱き、囁かれていた混乱が今や動乱へと転移しつつあります。望みを失った神子が、これ以上神子として国に君臨し続けることは不可能でしょう。——月岡さん。あなたが神威大将軍として本当に神子の安寧を願うのなら、今何をすべきか、君自身が一番よく解っているのではありませんか? もう、神の世を続けることは困難に近いと存じます」

 淀みのない真っ直ぐな姿勢が過度な現実を告げる岸部史彦。

 彼の発言に、鐘貞は、これまでの事を脳裏で反復しながら、ゆっくりと目を閉じた——。

 願いは絶え、望みを失い、ほまれは消えた。そうして剥き出しになったものは——。



 ——思えば溢れ出す、少女達のアルバム。

 笑って——。

 泣いて——。

 迷って——。

 凹んで——。

 それでも勇敢に現実と戦い続けた強い少女たち。

 ——けれど、そこに人としての——女の子としての健やかな営みがあっただろうか。

 ずっと過酷な使命を背負わせ続けてきただけではないのか——。


『——蔭位の制みたいね』


 いや、きっと彼女達を呪っていたのは他の誰でもない——。


「結局、父親らしいこと……何一つしてあげられなかったなぁ——」



「——もう解放してあげてください、月岡さん。これ以上は、彼女達が苦しいだけです。あなたは一番近くで彼女達を祀っていながら、一番近くで、彼女達を呪っていたのです。酷い矛盾ですが、それこそがあなた様の大罪に他ならない。——いや、そのあなた様も、先代の意思に囚われていただけなのでしょう……」

 なぜか人道的に哀れんでくる岸部。

 いやむしろ、真っ当な世へと正そうとする彼の方がよっぽど——。

 けれど——。

「——少し違うよ、岸部さん。私たちは昔から、彼らが築いて来たモノに従えられながら、その積み重ねに、確かに支えられている。呪いと捉えるか恩恵と捉えるか、それはきっと時代の流れによるものだと、私は思う。——事実、君たちは今まで、いま君たちが禍いと蔑み疎んでいる神子達に、確かに助けられて来ただろう? けれど時代は変わり、いまやそれが外夷となってしまった。雨が恵みであり災害であるように、私たちはきっと、この幾つもの矛盾に向き合って行かなきゃいけないんだよ。——だからこれは、私が向き合う最初で最後の贖罪しょくざい。——あの子に人としての業を願いながら、神子としての運命をまじなってしまった私の、初めてのい——」




 ——われ大神おおかみみかどよりたまわりし奉献の許し、今を以って返上致す。


             彼女達が、どうか人として健やかに命を育めますように——。





 ——神聖一五二年 十月十日 暮方。——大社・無血開城。


 三代目神威大将軍・月岡鐘貞の〈大神奉還たいしんほうかん〉によって、一五〇年続いた神聖の時代は、ついに終わりを迎えた。



 ——以降、東京都・内閣府では〈仁政復古の大号令〉が発令。

 岸部史彦を内閣総理大臣とし、政権は、月岡鐘貞率いる大社へ〈辞官納地〉を求めた。

 月岡鐘貞は〈大神奉還〉を経て、神威大将軍の座を降りていたが、天皇陛下から賜った官位だけは残っている状態だった。内閣府はそれと、大社が所有する領地・神社、ないし神域全ての返納を命じた。

 当然、これには月岡神社や遠星神社、——そして、朝陽神社も含まれる。

 神子という過ちを根絶するため、新政府は強行に及んだ。

 これに痺れを切らしたのは、鐘貞さんや私でもなく——、

「ゔぁああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああぁぁぁッッ‼︎」

 ——日音ちゃんだった。

「このクソ偽善者がアアアアアァァァァァ————ッッ‼︎」

 人が変わったように、物に当たっては憤慨の限りを見せつけた。

「今まで何度も何度も利用してきたくせに……ッ‼︎ たった一度の不利益だけで一極端に悪だと蔑んで遠ざけて——ッ‼︎ はるちゃんの生きた証さえ奪うのか——ッ‼︎」

 なんとか穏便に解決出来ないかと考え、私は鐘貞さんと共に東京へと訪問。辞官納地の縮小と、朝日晴葵の名誉回復に勤しんだ。

 彼女は悪ではない。

 禍いでもない。

 あれだけの脅威をうちはらうためには、あーするほか無かったのだと、必死に訴えかけた。

 けれど、国民は酷く無慈悲で、私たちの慟哭に耳を傾けてくれる人は居なかった。

 あまつさえ——。

——それで敵を斃せていたならまだしもね。

——取り逃したんじゃ、鎌倉市民は無駄死にさね。

——相打ちになっていたなら、毛先ほどの賞讃はあったんじゃない?

 はるちゃんを、まるで人ではないかのように扱う彼らの物言いは、私も酷くかんさわった。

 鎌倉市民の死は悼んでも、はるちゃんの死はさも当然かのように物を言う彼らに、私は酷く憤った。

 彼女は神子である前に、一人の女の子であったことを、わかって欲しかった——。

 絶対的な期待。圧倒的希望というのは、こうも人を人ではなくしてしまうものなのか——。



 ずっと——。ずっと自分に言い聞かせて来た。


 神子は、人と願いを繋ぎ止める存在。


 如何なる願いでさえ、神子はそれを叶える受け皿と成らなければならない。



 希望——、奇跡——、神秘——、空想——、幻想——、夢想——。


 それを叶えること、選択したのは私自身。


 でも——、でも、ほんの少しでいいから、


 皆んなが持っている当たり前の幸せを、


 私達にも願って欲しかった。


 わかってる。身勝手だよ。


 神子として卓越する事へ愉悦を感じていたくせに、人として見てなんて——。


 なんて矛盾——。


 けれど、それは皆んな等しく同じだよ。


 平和を正義としながら、陰謀いんぼうを期待したあなた達と、何も変わらない。


 でもそれでも、私はそんな皆んなをとがめたこと、一度だってなかった、


 だから私の醜悪さも、皆んなには否定して欲しくなかった。


 それを否定された時、私はきっと——あなた達を許せなくなるから。


 そして、独りきりになってしまった日音ちゃんの、一斉虐殺が始まる。

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