第19話 翳る月
明依と日音が神社に到着したのは、既に火が鎮火された後だった。
真っ暗な闇夜のど真ん中で、閑寂と佇む灰色。
「……………はる…………」
痛みを堪えながらも、その白い背中へ、明依は懸命に語りかけた。
「………ねぇ、はる? もう帰ろ? きっと皆んなが、あなたの凱旋を待ってるわ……」
————。
返答は無い。
「……………。ほら、皆んなで撮った写真、帰ったら一緒に観ましょ? アルバムの為の写真を撮ろうって言ったのは晴葵じゃない……」
優しく、甘い声が、虚空の闇を彷徨う。
けれど——。
「……ねぇ……はる……返事をしてよ……」
いつかはこうなると。
けれど、考えないようにしてきた。
目を、背け続けてきた。
今でさえ、解りきった現実から目を背け、目前の張子へと言葉を
だけど、日音はもう、それが無意味であると受け入れていた。
瞳からこぼれ落ちる
やがて明依も、消えゆく声の寂しさに、瞳を潤ませていった。
「……いつか皆んなで、海中観光するんでしょ……」
溜まれる硝子の粒は、その脆さゆえに、早くして滴り落ちる。
もう、受け入れざるを得なかった。
漆黒に聳える張子の人体を置き去りにして、地面へと落っこちる右腕。握られた刃物の重みに耐えきれず、それは引き千切れるようにして、爛れた血肉を断裂した。
腐った骨格は溶解し、原型を忘れる。
胸の内を、架空の圧力が捻り回す。
呼吸すら苦しくなるほどに、視えない傷が全身を
他の何よりも大切な——一番の宝物との、唐突すぎる終わり。
まだ幼き少女が背負うには、その背中はあまりにも小さ過ぎた。
——分厚い曇天が聳える薄暗い日の午後。
彼女の葬儀が行われたのは、あれから二日とすぐだった。
神奈川県民ホールを利用した寛大な御葬儀は、御三家に対する国からの敬意を感じる。
けれど、おそらく此処に居る誰もがそうという訳ではない。
それは、のちに解る——。
「この度は、勇敢なる神子、朝陽晴葵様への追悼の意を捧げます——」
彼女の亡骸は、そのあまりの傷ましさに、拝謁は叶わなかった。
無理もないだろう。
顔の半分が焼け爛れ、頭蓋が露出していた様を思い出すと、口の中が苦くなる。
最中において、明依と日音は終始口を閉ざしていた。
禍津神の真実を踏まえて、今回の晴葵の死に思うところがあったからだ。
式を終えた時、棺の前で、日音はついに、堪え切れなくなった不満を打ち明けた。
「——はるちゃんは、人に呪われたんだよ」
「かのん——っ‼︎」
まだ人が残る中、否定し切ることの出来ない事実を口にした日音。
咄嗟にその口を塞ごうとした恐喝した明依だが、彼女は人が変わったように言葉を綴る。
「はるちゃんだけじゃない。今いる神子全員が、そう言う立場にあるんだよ。人が禍いを生むなら、それを祓うために願われる私達って、きっとただの奴隷だよ。それで傷ついて、命を落としちゃうんだとしたら、それってもう——」
「かのん——‼︎」
小さな腕を掴み、明依は必死にその口を閉ざす。
「ダメ……。今はそれ以上……言っちゃダメ」
だけど、今の日音は、
「人の想う矛盾が、日音達を呪ったんだ——」
やはりどうしても、否定出来なかった明依。
自然と、掴み取ったはずの手が、彼女を放してしまう。——離されてしまう。
充満する苦味を噛み締め、遠ざかっていく日音の背中から、明依は目を伏せた。
口内を満たす苦虫は、日音の中でも憂い喚く。
夏の暑さを空白に感じようとも、何かしらのまやかしが欲しかった。
会館のフロントで腰掛け、ペットボトルにくべられた水を飲む。
射し込む明かりがないと、何もかもが生温い。
湿度だけが大気を満たし、透明な泥の中へと彼女達を誘う。
そんな泥中を、穢れた
「——ったく、何が英雄の国葬だ。被害を
「数多くの歴史的文化遺産が焼滅。御三家の神子が聞いて呆れるな」
「奉献の為とか言って、ただでさえ多額の税金を請求されていたのに、これじゃあ何一つ還元がないどころか、むしろマイナスじゃねぇーか」
「そもそも、あんなクソ餓鬼どもに願いを託していた俺達が阿保だったんだ」
「朝陽家には遺産の賠償を支払わせなきゃ割に合わんっ‼︎」
「神子の力が同じ禍いになると知ってしまった以上、もう神子主義国家なんざ御免だね」
「モノの価値も解らず、感情のままに猛るサマを神とか片腹痛いよな。所詮ガキはガキ。神子なんて持ち上げられて、このまま
「…………………」
その結末は、彼らが願った物ではないか。
理不尽から目を伏せ、兎は静かに、奈落の底へと堕ちていく。
「………………。クズめ……」
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