第16話 廻りて高く
「——明依達が活路を切り開いたか。ならオレも少し、本気になるか」
嬉々とした表情を似通わせて、柄を握り直す晴葵。
それでも、決して相手を見誤ることはせず、真っ直ぐに黒い巨躯を見据える。
こちらの方が格上だと知ったのか——禍津の武士が積極的に攻めて来ることはない。
構えられているのは弓矢。
距離を取りながらの持久戦を謀っている。それも、晴葵が短期決戦型だということを、見抜いてか否か——。
放たれる火箭。
突風を巻き、黒い弾丸が一直線に駆け抜ける。
愚直過ぎる真っ向からの攻撃——。所詮は獣の浅知恵か——。
鎬でこれを弾き、次の矢が装填されるその僅かな一瞬——。
暁が地平を跳ね、土壌を巻き上げた。
約四十メートルという距離が、僅か一秒で収縮する。
一息の真空を焼き斬り
紅焔の
衝突する烈火の浚急。
螺旋を巻くように——。絶え間ない袈裟斬りが交互に肉薄する。
燃焼する火の弧が、幾重にも連なり舞を舞う。
蒸発する黒い煤。
刻一刻と祓われる穢れ。
仰け反りざまに後退し、再び距離を置く禍津だが、その身体は先刻と違って復元しない。
咆哮——。
大気を引き裂くその爆音は、瀬戸際の断末魔に近い。
さしずめ、窮地に瀕した森の狼だ。
刹那、
瞬きの一瞬すら与えぬ音速。
刀を持ち上げたのは本能だった。
雄弁たる真紅は、いつの間にか真っ黒な大太刀を捕らえ、火花を散らしていた。
覚醒した意識——だが今回は相手の力が既に
遥か上空へと、小さな体が薙ぎ払われる。
遠ざかり、瞬く間に縮小していく大地。
最中、彼方の座標から
絶え間なく、こちらの思考が細断される。
けれど、もはやそんな人間らしい過程は必要ない。
この上空でなら、彼女は本能のままに輝ける。
ただひたすら衝動的に——。
だからこそか、不思議と口の端が吊り上がる。
俯瞰する先は、己が宿命に逆らって、星の
鋭く。天球に逆立つ漆黒の大太刀。
だがその
炎は踊り、丹色の
急降下する黒い巨体。
追走する業火の
天蓋を跳ね、炎上する翼を雄々しく振りかざす。
隕石にも等しい赤鳥の滑空落下が、疾風さえ貫き渦を巻く。
奴に反撃の様子はない。おそらくは、落下の重圧で太刀を振り上げる余力さえ残ってはいないのだろう。
晴葵はその千載一遇を逃さなかった。
回転する——炎の輪郭。
落下する穢れなど
光が煌めけば、漆黒など容易く忘却される。
夏至の最中に彫刻した日輪は、それほどまでに鮮やかな大輪を残した。
鼓膜をつんざく、耳障りな噪音が、甲高く鳴き喚く。
鳴き声と言っても、これはもはや
幾多の肉薄を重ねる
爪を立て、牙を剥き、噛みつき合う——。
目まぐるしく
だが、それは白龍とて同じこと。
隔てられる爪甲に、自慢の角が塞がる。
豹の大振りをあえて受け、龍は一度距離を置いた。
龍の皮は
夏の暑さを冷却させる白雪の髪——。
分厚い母衣の中から花びらのように穂を開く。
対する豹は、その花弁を忌々しげに睨みつけ、黒い
片手で構えられる大太刀。
「——倒せるかどうかは分からないわ! でも時間は稼げるから、早くここを離れなさい!」
背後に密集する有象無象へ、白龍は奮迅に猛る。
途端、彼方の光が鋒を呑み込む事を待たずして、武士の姿を眩ませた。
龍の瞳孔が縮む。
凍りついた薄氷に、しかしその姿は鮮烈に投影する。
真っ向からの刺突。
水平を斬る黒刀を、龍の穂先が捕食する。
嵐の奔流にでも晒されているかのような凄まじい衝撃が、両腕に喰らいつく。
散乱する緋の粉雪。
無論、
華奢な肉体は、地の表面を滑空する。
刹那の滞空——。
一呼吸の間もなく、龍の
黒豹の背後を捉える。
旋風を巻き、その懐へ鋼の牙が閃光した。
青白い黄燐が、雪のように——そして花のように息吹き、標的の急所を抉る。
さながら、天空を戯れる龍の如き。
絶え間ない連撃を、しかし豹は容易く捌き切る。
地肉を貪る白燐は、今やもはや茜に散るひとひら。
龍は旋回し、振り下ろされた太刀の軌道から身を逸らす。
豹の鉤爪は虚空へと沈み、巨大な
天の頂から、けたたましく咆哮する龍牙。
漆黒を否定する、白き運河。
しかし、豹の身は鮮やかな弧を描き、これを俯瞰する。
見上げる先に聳えた黒き
薙刀の尾が、黒い鱗へ刺突を叩く。
無論、刃のないそれが致命的でないことなど百も承知。
それでも、隙を作るぐらいは——。
渾身の力を余すことなく吐き出し、
粉塵を撒く大地の皮膜。
地表の遊泳は瞬き一度で終わった。
地を踏み、斜陽に
時空を戦慄させる
直後の黒い迅雷は、己が発した叫声すらも
常闇の突風に、白き花雪は
凪いだ風雷の最中を捉えるも、雪は風に戦いでしまう。
流転し、重なり合う両儀。
だがこれは
戦の主導権を豹に握らせてしまった時点で、龍は既に死んでいる。
風を生むのが龍ならば、それはもはや風に舞う薄氷だ。
真っ向からの打ち合いで、儚き白雪に勝ち目はない。
次第に熱を帯びる緋色に、雪は淡く溶け出す。
透明な
旋回し、回転し、黄昏に逆らう。——茜を超越する紅蓮。
雪中を一閃した真紅の大輪に、雪の純白は
天地につんざく悲嘆の喚声。
しかし、その雪女は二つに別れた白き穂を、決して手放しはしなかった。
尾は陰り、されど消え掛けた龍の
暗闇に惑い、宛てもなく戦禍を走った豹の
互いに骨を、貪り喰うために——。
咲き誇った日輪がようやくしてその光を鎮めた頃。彼女は現場に辿り着いた。
「な——っ⁈」
しかし、到着早々、その惨状に言葉を失う。
「……あいつ、明依の班の……⁈」
そこには、遠星明依の班員。——大崎舞雪の姿が、墓標のように佇んでいた。
漆黒を纏う大太刀に
その足元には、おそらく大崎のものと思われる血痕が、地面の緑を朱に染めていた。
やがて黒い禍津は
「おい——っ‼︎」
晴葵が咄嗟に駆け寄り、倒れ込むその肉体を抱える。
「息はある……。日音の月詠神歌なら、治癒の能力があったはず……っ!」
神子服が弾け、大崎の風貌が元の姿へと戻る。
何の変哲もない、平凡な少女を背に、晴葵は日音の居る海岸へと向かった。
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