第2話 木漏れ日

 ––––神聖一五一年。 


一番最初に目を覚ますのは、いつだって明依からだった。

 早朝の五時には目を覚まし、朝食の支度をする。

 腰まで伸びた長い髪を一つに束ね、エプロンを巻く。

 今朝はシンプルな朝ご飯にしよう。

 献立が決まると、明依は冷蔵庫の中から長ネギを取り出し刻み始める。

 包丁が俎板まないたを打つたび、気持ちの良い打突音が旋律を刻む。その音に誘われたのか否か、もう一人の少女が目を覚ました。

「………明依ちゃん?」

 名を呼ばれて振り返ると、一輪の花が茎の根を伸ばして起き上がっていた。

 今にも萎んでしまいそうな可憐なつぼみ

 せっかくの透き通るような鮮やかな白弁はくべんが無造作に跳ねてしまい台無しだ。

「おはよう日音ちゃん。髪……凄いことになってるわよ?」

 何処どこぞの戦闘民族のような様相に、明依は思わず笑ってしまった。

「……うん」

 まだ若干夢見心地と言った様子で、日音は洗面所へと向かう。

 よろよろと平衡感覚の乏しい足取りには、少々心配になった。

 明依は、視界に垂れ下がった髪を耳の後ろにかき分け、再び料理へと戻る。すると——。

「……うわ、ヤサイ人だ」

 鏡に映る自分への言葉だろう。

 密室に篭る日音の独白。、しかし、静寂に包まれた朝の空気を透き通るようでもあった。

「ふふっ!」

 再び、明依の頬が緩んだ。

 ネギを刻み、お湯の張った鍋に昆布を入れて出汁を取る。

 生魚をホイルで包んで火に掛けたちょうどその時。次の工程へ移ろうとした明依の元へ、日音が戻って来た。——それも、半ば涙ぐんだ瞳を潤ませて。

「……明依ちゃんどうしよう……寝癖治んない……」

 治っていないどころか、むしろ酷くなっていた。

 静電気にでもかけられたのかと疑うくらい、刺々しい有り様になってしまっている。

「どうしたらそんな事になるのよ……」

 呆れるように肩をすくめると、明依は火を止めて日音に歩み寄った。

「ブラシある? ヘアアイロンは使った?」

 そう言いながら、洗面所の戸棚を漁ると、使用した形跡のないブラシとヘアアイロンを取り出す。

「……冷たい。使ってないの?」

「……水で濡らせば治るかなって……」

「男の子じゃないんだから……もっと身だしなみには気を使いなさいよまったく……」

 困り果てたようにため息を吐く明依。しかし、その相貌は子を愛でる母のようだ。

「しょうがないな〜もう……」

 日音の滑らかな髪を、優しくいたわるようにブラシで撫でる。

「せっかく綺麗な髪を持ってるんだから、大切にしなきゃダメよ?」

 鮮やかな髪を褒めるも、もう何度も聴いたその言葉に、日音が返答することはなかった。

 そうして、逆立った寝癖が治ると、今度はヘアアイロンで毛先に緩くウェーブ巻く。

 ふわふわと軽い印象を造り出し、それはまるで、質量を持たないな綿のよう。

「日音ちゃん、リボンある?」

 尋ねる明依に、日音は無言で差し出す。

 水色の大きなシースルーリボン。半透明の生地が清潔な印象を持たせるいい色だ。

 脇の髪を持ち上げて、頭の後ろで結んだ。

 いつものハーフアップだ。

「はい、出来たよ。それじゃあ、私は朝食の準備に戻るから、日音ちゃんはハルちゃんを起こしてあげて」

「ありがとう……」

 明依は台所へ戻り、調理を再開する。

 鮭のホイル焼きが完成し、味噌汁も出来上がって来たころ。

 最後に玉子焼きを作ろうと鶏卵を取り出したその時、何やら落ち着かない様子の日音が、再び何かを訴えかけに来た。

「……あの、はるちゃんが起きない……」

「またぁー⁈」

 心底呆れたように、ため息と共に溢れた焦燥。

 取り出した卵を置いて、明依は晴葵が寝ている寝室へと向かう。

 扉の先には、大層気持ちよさそうに眠る赤き美貌が——。

 乱れきった風貌で、穏やかにうたう寝息。

 そんな中、明依はおもむろにトランペットを取り出した。

 次の瞬間、なんとも晴々とした音色が家内全体を駆け抜ける。

 自衛隊で使わられる起床ラッパ——かなりうるさい。

「——なんだ⁈ 禍津の襲撃か⁈」

 半ば飛び跳ねる勢いで、力強く起床する晴葵。慌てふためく彼女を前に、明依は雄渾とした佇まいで敬礼をして見せた。

「朝陽晴葵! 三十分の寝坊につき、罰としてランニング十キロ始め‼︎」

 明依の甘い声音に、吊り上がっていた肩の力が、拍子抜けするように落ちて行く。

「………。明依……その起床ラッパいい加減やめてくれないか? 心臓に悪い……」

「晴葵の寝起きが悪いのが行けないのよ。さ、早く支度して? もうご飯出来るわよ」

 さすがにランニングは冗談である。

 へいへい、と嘆息し、晴葵も洗面所へと向かった。

 寝癖を治し、真っ赤な髪には、いつも通りの一重咲きした朱いストックの飾りを付け、アップヘアにまとめる。

 その間に、明依は玉子焼きを完成させ、炊き上がった白米と共に料理を盛り付けた。

 お茶碗にお米。味噌汁。そして、鮭のバターホイル焼きが乗った皿に、作り立ての玉子焼きを乗せて完成。リビングのテーブルへと運ぶ。

 ちょうど同じタイミングで、洗顔を終えた晴葵が食卓についた。

 しかし、彼女はテーブルに並ぶ料理を見るなり、顔を深くしかめる。

「今日も米か⁈ それに魚まで……。オレが魚嫌いなの知ってるよな? あと、たまには朝食はパンにしてくれ。米には角砂糖十個分もの糖分が含まれてるんだぞ?」

 ひたすらに文句を垂れる晴葵に、明依は腰に手を当てて嘆息。やや前屈みになりながら、晴葵の文句に力強い持論を重ねる。

「文句ばっか言わないの‼︎ パンだってブドウ糖の塊じゃない。ただ晴葵がお米嫌なだけとしか思えないわ。それに朝はパンよりお米の方が、一日の脳内活動を良くすると言う研究結果が、すでに東北の大学で出ているのよ? そして何より、お米は日本人の主食! 縄文時代末期に中国から渡来したと言われている水稲農業の技術は弥生時代に入ってから本格化し、現代に至るまで私達の食生活を支えてきた。それにかつてはこのお米のために戦争までしていたほどなのよ?」

「分かった分かった! 分かったから早口で力説するのはやめてくれ」

 呆れたように明依の口を強引に閉ざす晴葵。諦め気味に席へとついた。

「コイツホントに小学生かよ……」

 ボソりと小声で呟き振り返ると、バターの乗っかった鮭の切り身を見下ろす。

「…………………」

 再び顔を顰める晴葵。

 すると突然、湿った声が後ろから彼女の耳をさすった。

「——魚嫌い治しなさいっていつも言ってるわよね?」

「のわァッ——⁈」

 背後から忍び寄った吹雪に、思わず肩を跳ね上げる晴葵。傾く椅子に渾身の体重を込め、半ば強引に元へと戻す。

 目を瞠る彼女に、明依は箸で摘んだ魚の肉をそっと差し出した。

「はい」

 こぼさないように箸先の下に手を添えて、晴葵の口元へと寄せていく。

「……………」

 視線を逸らして、ただひたすらに口をつぐむ晴葵。意地でも食べないつもりらしい。

 そんな彼女に嫌気を示したのか、明依は箸を置ききびすを返した。

「じゃあいいわよ」

 去り際、びんの影に隠れたその美貌を、どこかわびしげに飾った。

「せっかく、今夜は晴葵の好きなチーズハンバーグを作ろうと思ってたのに……」

「マジ⁈」

 明依の発言に、晴葵の様子が豹変。煌びやかな目で、明依の長い髪を見つめる。

 神子と言ってもやはり子供。輝かせた瞳は、突然の贈り物に高揚する児童のそれだった。

 影に欠けた美貌はわらう。

 明依はシメたと言わんばかりに口の端を吊り上げ、再び晴葵へと箸を向けた。

「これ全部食べなきゃ、夜のハンバーグはお預けよ?」

「ぐぬッ………」

 心底嫌そうな相貌を惜しむ事なく携え、しかし、引き下がるわけにも行かず、悔しげに唇を結ぶ晴葵。

 やがて観念したのか、晴葵は目を瞑り、必死に息を殺して、差し出された魚へと挑んだ。

 そんなに夜のハンバーグが食べたいのだろうか——。

 毅然とした立ち振る舞いをしていても、やはり中身は子供なのだと安心してしまう。

 大人っぽく在りたいと思い振る舞う晴葵。それでも、子供としての素直な感情がこぼれてしまうこの〝矛盾〟が少しおかしく、明依には笑えてしまった。

 穏やかに微笑む明依。苦行に根性を見せる晴葵。

 まるで母と子のようなやりとりだ。

 二人を微笑ましく思いながら、日音も朝食を食べ終わる。

 このとき、晴葵は気づいていないようだったが、鮭がホイル焼きにされている理由を、日音は何となく悟っていた。

 ホイルで包み、中の熱を閉じる事による蒸し処方。肉はホカホカに仕上がり、骨は麺のように柔らかくなる。

 晴葵が魚を毛嫌いする理由は骨だ。所々に入っている小骨が鬱陶しくて仕方ない。

 一々取ろうにも、晴葵はそう言った地道な作業を何より嫌う性格だ。

 それを理解した上で魚を食べやすくする明依の工夫は、晴葵への気遣いか、あるいは——。


 ——結局、日音にその真意は分からなかった。


 今はまだ——。


 月岡家当主、共に神威大将軍の暴論から五年——。

 明依、晴葵、日音の三人は徐々に徐々に、その関係を深めていた。それは友人を遥かに超えるであろうほどに。

 ——当然だ。

 三人はもう五年も同じ屋根の下で、同じ窯の飯を食べている。

 本来であれば他人との関わりなど一日の三分の一程度がいいところだ。

 それを、文字通り四六時中一緒に居るとなれば、お互いの理解を深めるには十分過ぎた。


 ——しかし、まだ神格化には至っていないのが現状である。


 ただ一人を除いて——。



「晴葵〜? まだ支度終わらないの? 置いて行くわよ?」

「待ってくれ! ……んっ、これ……着るの難しすぎるんだよな……。てかなんでズボンじゃないんだよ……スカートとか動きづらいだけってのに!」

 半ば苛立ちげに制服の着用に手間取る晴葵。

 明依と日音は既に支度を終え、玄関先にて待機していた。

 前割り型のセーラー服に身を包み、凛とした佇まいを誇る。

 きっちりとボタンの止められた灰色のトップス。二本の白線が引かれた紺色のえり。胸元には黒いリボンを飾り付け、膝丈の黒色スカートが端麗な脚を覆っていた。

 対して晴葵はリボンの結び方に手間取っていた。

「はぁ〜………」

 呆れたように深い溜め息を吐き捨てる明依。

 靴を脱いで晴葵の元へと向かった。

「私がやるから、ジッとしてて」

 中腰になり、晴葵の胸元と視線を合わせる。

 手際良く、明依は慣れた手つきで数秒と経たずに仕上げる。。

「じゃあ行くわよ。今日私日直なのよ」

「なら、色々やってもらった代わりに手伝うぜ!」

 背を向ける明依に、飛び跳ねながらついて行く晴葵。

 黒いスカートが縦横無尽になびく。

 膝に掛かるほどの長さなので、アクロバットでもしない限り大丈夫だとは思われるが、それでも、日音には少々集団的羞恥だったようだ。

「はるちゃん……あんまり動くと見えちゃうよ」

 赤面しながら慌てふためく日音。

 しかし、それがどうしたと言わんばかりに、晴葵は自身の手でスカートをめくり上げて見せた。

「別に観られて恥ずかしいモンなんかないぜ?」

 何よりも驚愕だったのは、スパッツも履いていない状態で、そんな事をのたまったのだ。

 ここではえて〝中〟の様子については触れないでおく。

 羞恥に耐えきれず、真っ赤になった顔を両手で覆い隠す日音。

 晴葵のそのあまりにガサツな態度は、文字通り目に余るものがあった。

 さすがの明依も、手刀を振り下ろす。

「あだッ!」

「晴葵……そういったガサツな真似はやめなさい。晴葵も女の子なんだから」

「……はぁ、息苦しいな……女ってのは」

 わりと本気で叱る明依から視線を逸らし、晴葵は不服そうに嘆息した。

 家を出ると、晴れやかな陽光と長閑のどかな町並みが、澄んだ空気を贈ってくれる。

 マンションなどの高層ビルは比較的少ない——いや、無いに等しい。

 一戸建てが町の八割を占めており、四、五階建てのアパートが所々に見える程度。

 人の声も、工事の音もなく、通勤時間にも関わらず町は静かだった。

 風が吹けば、花や草木の揺れる音が鮮烈に聴こえる。

「——それじゃあ行きましょう」

 明依を真ん中に、その右を晴葵が。左手を日音が歩く——いつも通りの通学路。

 この道のりで、日音が最も気に入っている場所がある。

 両側の二車線道路の間に、挟み込むように位置する大きな公園だ。視界の先まで延々と続く長蛇で、東屋あずまやなどがあるため途中休憩も可能だ。

 周りには緑が生い茂り、浅瀬まである。透明感のある清涼な水に日光が乱反射する様は、さながら、夜空を埋める星屑のよう。

 木の下を歩くと、視界に降り注ぐ木漏れ日がノスタルジックな気分へと誘ってくれる。そこに川の音が合わさると、五感を支配され、ついつい周りが見えなくなってしまうのだ。

「——のん。かのん!」

 どれくらい呼ばれていただろうか、晴葵の声に日音の意識が覚醒する。

「……あ! えっと、ごめんね…ボーっとしちゃってて……。どう…したの?」

「いや、なんか魂抜けてるみたいに上の空って感じだったから、幽体離脱でもしてんじゃないかと思ってな」

 足を止めて明るく微笑む晴葵。

「日音ちゃん。ここを通る時、毎回意識が不安定になるわよね……」

 明依も心配そうに眉根を寄せた。

 横から日音の顔を覗き込む。

 そんな中、晴葵がゲラゲラと笑いながら口走る。

「心霊現象だったりしてな!」

 直後、ドスっと晴葵の腰に明依のひじがクリーンヒット。

「怖がらせるようなこと言わないの! ——でも日音ちゃん……ホントに大丈夫?」

 晴葵はともかく、明依は本気で日音を案じている。

 どうやら、余計な心配をさせてしまったようだ。

 日音は微笑み、穏やかに吹き抜けていく風に、その長い髪をそよがせる。

「——日音ね、ここの空気が好きなんだあ。甘い花の香りに、透き通った水のせせらぎ……。澄んだ空気と和やかな町並みが、凄く幸せだなって……。へん……かな?」

 揺らめく髪の方へゆっくりと振り返る日音。どこか照れ臭そうな笑みで二人を見つめた。

 純白の髪が風に乗って浮き立つ姿は、まるで柳の木の葉が左右にひるがえるようだった。

 周囲の緑とあまりに自然に溶け込む彼女の姿は、その容姿も相まって少々運命的だった。

 明依はさながら花を愛でるように微笑むと、一歩を踏み出した。

「変じゃないわ。平和を好むことは素敵なことよ。でも、ちょっと乙女チック過ぎるわね……」

 淑やかにはにかむ明依の後を、どこか釈然としない様子で歩く晴葵。賢しらに、対極の意を唱える。

「……平和かぁ……。オレはむしろ、退屈すぎると思うけどな。だからこそ心配になる。この日常が人を弱くして行くんじゃないかってな……」

「人を……弱く?」

 明依の首が傾く。

 意見の相違を気まずく思ったのか、晴葵は振り向く明依から視線を外し、公園の片隅にひっそりと咲く花へと目を向けた。

「毎日が穏やかだと、人はそれに慣れるだろ? でもそんな中、災害とか、突然の悲劇に見舞われた時、おそらく人はこれに適応出来ない。——適応出来ないから、……解決する手立てもなく、やがて絶望してしまう。それも、わりと早い段階で……」

 彼女に釣られて、明依と日音も隅の花へと目を奪われる。

 日の当たらない場所に群れを成す鮮やかな華々。地面から延びる茎は約四十センチから五十センチほど。根本の葉は雑草のように束になっているが、先端に近づくにつれ、葉の数は減少している。

「——でも、世界ってのは常に変化してるから、いつ何が起きてもいいように対応出来る力を持ってなきゃ行けないんだよ。災害にも、戦争にも——。じゃなきゃ、人類は自然に殺される……」

 花自体は茎の先端に単独で咲いており、内、開花しているのは三輪——。

 淡い紫色の舌状花ぜつじょうかを美しく可憐に咲かせて、黄色い筒状花を軸として四方八方を円形に展開している。

 けれどその傍らで、不運にも日向に出てしまっていた花が一輪——枯れてしまっていた。

 それこそ、晴葵の言葉を体現したように、自然の脅威に焼かれ、ただれてしまった花弁。盛り立つ力を失い、冠は地面へと真っ逆さまに垂れ下がっている。

 まだ多くの蕾が開花時期を控えている中、早くも役目を終えてしまった一輪の小花に、明依も日音も、自然と気分が落ち込んでしまう。

 柄にもなく花を眺める晴葵は、一体どんな顔をしているのだろうか。

 哀れな花から目を背けるように、明依は晴葵を見つめた。

 しかし、枝垂れるびんに視線を阻まれ、その相貌をうかがうことは出来なかった。

 二人はただ、晴葵の首筋に焦点を当てて話を傍聴した。

「現に今だって、人々は禍津から逃れる為、オレら神子へ祈りを捧げる。それってつまり、何も出来ない事への裏返しなんだよ。別にそれが悪いわけじゃない。誰だってあんな化け物を見れば恐れ慄くさ。——けどじゃあ、オレたち神子が居なくなったとき、人々はどうするのかって、時折り不安になるんだよ。オレたち神子は民の期待に応えて戦う。だから皆んなも、心は強く居てほしい。たとえ、どんな事になっても、強く生きてほしいんだ」

 神子は、人から願われるべく存在。同時に、その願いと人とを繋ぎ止める存在。

 けれど、晴葵は神子でありながら人々へ、一つの切望を懐いていた。それはあまりにも簡単で、——けれど限りなく困難な願い。

 誰だって理解はしているはずだ。

 心が強くなければ、人は生存出来ない。

 普遍的で——しかし空想的な偶像。

 強靭な精神を保てる人間は未だ稀薄きはくの中。

 少なくとも、人が人によって生かされている内は——。

「——ようは、お願いだから皆んな死なないで、ってことよね? まったく、晴葵ってば不器用なんだから。いくらなんでも、退屈だなんて表現は不謹慎よ」

 晴葵の前に躍り出る明依。爽やかに微笑むも、しかしすぐに眉を落とした。

「——でもそうね。平和は正しい幸せだけれど、突然の災害に鈍くなってしまうことは、確かに良くないわよね」

 考えてもどうしようもない事なのに、どうしても深く思い悩んでしまう難題。

 俯く二人。

 そんな彼女達の虚をつくように、爽涼とした声音が吹きつける。

 柔らかく、甘い綿菓子のような優しい声——その正体は意外にも、日音だった。

「大丈夫‼︎ ……だと…思う。神子は、居なくならない……から。人が願ってくれる限り……。それに、ハルちゃんの言い方は……なんか、怖くてヤダよ……」

 日音の目は、どうしても枯れた花を想ってしまう。

 凛々しく咲く二輪の隣で、運悪く日に焼かれてしまった——あわれな花。

 哀訴あいそする友人の見慣れない様子に、彼女もようやく自身の卑屈さを自覚したようで——。

「アッハハハハ! 悪い! ちょっと暗い話をしたな! 忘れてくれ! ——そうだよな! 日音の言う通りだ! オレ達は居なくならない!」

 いつも通り。太陽のように笑って、晴葵は明依や日音と共に通学路を歩いて行った。

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