一緒に帰ろう

増田朋美

一緒に帰ろう

今日も冬らしく寒くて、足のしもやけが痒くなるほどであった。ちなみに着物を着ていると、意外なことに、足のつま先よりかかとが痒くなる。これは、靴を履いている人にはわかりにくいが、意外に着物はしもやけになりやすい。

そんなわけだから、全部の物事を、同じ視点から見るだけでは、解決できないこともある。

小森柚子は、高校三年生である。平凡な普通の市立高校へ行っていて、成績も平凡である。だからこれといって、何何が得意とか、何何がうまいとかいうものはない。そう言うわけで、何か自分の特技を生かした仕事には、向かないのかなあと思っていた。普通に生きたいなら、まあそれで良いと思う。仕事を覚えられて、お金が手に入れば、十分すぎるくらいこの世界では、幸せなことである。逆に自分の得意を活かすとか、そういう生き方は、もう古いというか、過去のものになっているなと柚子は考えていた。

しかし、彼女には、重大な悩みがあった。それは、友達がいないことだ。学校で、友達ができない。友達がなく、一緒に帰ろうとか、一緒に食事しようとか、言われることがない。聞いた話によると、一緒に誰々のコンサートに行こうとか、言われることもあるようであるが、柚子にはそのような、提案は一度も来たことがなく、柚子はいつも一人だった。高校に入学したころは、学校にはいれたから、あとは勉強するだけだと思っていたけど、三年生になって周りの人たちが、次々と進路を決めていく中、柚子も友達がほしいと思うようになった。でも、どうしても、柚子は、友達が得られないのだった。

今日も、柚子は、一人で学校にいって、一人で学生食堂で食事をして、一人で自習をして、一人で家に帰った。周りの人たちは、みんな友だちと複数で家に帰っていくが、柚子には、そうしてくれる人がいない。寂しいな。柚子は、そう思った。

柚子は、学校から、徒歩で通学している。本当は、自転車やバスのほうが、よほど良いと思う。そうすれば、バスの中で、友だちと話せることができるかもしれない。みんな、自転車をこいで楽しそうに帰るのに、自分だけ一人でトボトボと歩いて帰るのは、やっぱり苦痛だった。

その日も、学校の正門をくぐって、一番目の交差点を渡ろうとしたときのことである。いきなり柚子は、肩を叩かれて、こう声をかけられたのだった。

「一緒に帰ろう。」

振り向くと、同じ学校の制服を着た、女子生徒が、立っている。ああ、そういえば、隣のクラスに転校生が来たという話を、担任教師から聞かされたことがあった。と言ってもたしか、隣のクラスは、国際科だったから、英語のできる人ばかりで、自分が声をかけられることは無いと思っていたのに。

「ど、どうして私を?」

柚子は思わず言ってしまう。

「一番話しやすそうに見えたから。それに、歩いて学校来る人、あなただけでしょ。だから、声をかけてみた。」

と、にこやかにその女性はいった。

「私、清塚希よ。あなたのお名前は?」

「私は、小森柚子。」

彼女に聞かれて、名前を名乗ると、

「ヨロシクね。ゆずちゃん。」

と、久保田希さんは、にこやかに笑った。柚子も笑い返した。

「どこに住んでいるの?学校のちかく?」

「ええ、上和田よ。」 

「そうなんだ。私は和田町だから意外と近いわね。よかった。これでやっと私も話せる友達ができたわ。この学校って、一応国際科があるけど、全然、そんな感じしないわね。私からみたらただ、大学進学のために、圧力かけているだけのようにみえる。最も、ユズちゃんは、そんなこと感じないかもしれないけどね。」

希さんは、そんなことをいいはじめた。

「でも、私はやっぱり国際科にはいったわけだから、国際科らしく、英語関係を勉強したいかな。なんか、最近は何のために国際科にはいったのか、よくわからない事を言う教師が多いけどさ、私は、国際科らしいことをしないのはおかしいと思うわけ。だから、今度の進路説明会だって、私は欠番するつもり。だって、国際科なのに、国公立大学ばかり叩き込まれるのは、おかしいわよねえ。ゆずちゃんは、もう行きたい大学とか決まってる?」

「いえ、私はまだ。正直に言えばどこの大学へ行っていいのかもわからない。先生が言っているように、国公立大学に行くのが最善の方法だったら、そのとおりにするのかもしれない。」

柚子は、そう答えたのであった。

「まあ、柚ちゃんもそういう事言うんだ。みんな同じこと言うからつまらないな。私はね、もう行きたい大学決めてるのよ。国際基督教大学とか、上智大学とか、そう言うところに行ってみたい。」

「でも、国際基督教も、上智も、みんな私立でしょ。先生が、許してくれると思う?」

明るい感じで言う希さんに、柚子は思わずそう言ってしまった。この間の進路説明会と言っても、先生の立会演説会みたいなものなのであるが、そこで私立大学に行ったら、就職するとき不利になってしまって、極端な話では、人生も台無しにしてしまうと、教師が湯気を立てて怒っていたっけ。そんなふうに言われてしまったら、誰でも国公立大学に行かなければならないと思ってしまうだろう。まるでヒットラーが演説するみたいに、教師は怒鳴っていたから。

「もちろん、許してくれないでしょうね。でも、私は、私だから。それに、生徒が自分の進路を決めないのはおかしいでしょ。それなのに、なんで教師のいう通りにしなければならないの?そんなのおかしいじゃない。」

という、希さんに、柚子は、少々戸惑った。

「国公立大学のほうが、みんな喜んでくれて、これから行きていくのに有利になるのなら、私は、そのほうがいいわ。何よりも、生きていくのに一番大事なのは、安全だって、先生が言ってたわ。」

柚子は、先生が言っていた通りのことを言った。

「まあ、それはそうかも知れないわね。でも、残念ながら、私が勉強したいことは、国公立では学べないのよ。それに私の人生でしょ。先生の人生じゃないのよ。なんでも先生の言うとおりにしようなんて、そんなバカバカしい事あるわけないじゃない。だから、私は、自分の決めた大学へ行く。明日の進路説明会は、先生の独断と偏見の演説会でしょうから、そんなことを今更聞きたくないし、私は、欠番させてもらうわね。仮病でも使っていればそれでいいのよ。どうせ、学校の先生なんて、大した職業じゃないのよ。それはうちの家族が言ってたわ。」

「そうなのね。希さんは、恵まれていていいな。あたしは、何でも先生の言う通りにして生きろってしか言われたことがない。」

柚子は思わず、自分の家族のことを話した。

「それはご家族も、高校生を持った経験が無いから。もしかして柚子さんは一人っ子なのかな?そりゃね、親は先生の言うことを聞けと言うかもしれないけど、先生の言うことなんてね。ろくなことはないわ。私は、親戚が多いから、他の人が大学受験するのを見てるけど、親戚一同、こんなに国公立へ行けと、教師がうるさく言う学校は、なかなか見たこと無いって笑ってた。」

「そうなんだ。清塚さんは、恵まれているのね。そうやって、ちゃんと話を聞いてくれる人がいてくれるなんて。それに、先生が間違っているってちゃんと教えてくれる人が居るんだから。本当に羨ましいわ。うちは、平穏な生活がすべての家系だから、人生は冒険旅行みたいな事は絶対許してくれないし。」

希さんに言われて、柚子はちょっとムカッとしていった。

「じゃあこれからは私が、柚ちゃんの夢を沢山聞いてあげる。誰でも、夢を持つ権利はあるし、人生は、楽しんだものがちよ。柚ちゃんだって、そのうち分かるときがくるわ。私は、やらないで後悔するより、やって後悔したほうがいい。誰でも偉い人のそばに着いて、はいはいそうですかと頷いているだけの人生なんてつまらない。だって私の人生だもの。それは、私の人生だから、私が決めるわ。」

「そんな事、しなくていい。なにかするより、平凡に、毎日こなしていくことができればいいって、家の家族は言ってるわ。毎日、ご飯が食べられて、生活ができるような仕事について、普通に暮せばそれでいいのよ。」

なぜ、希さんにこんなことを言われてしまうのか、面食らいながら柚子は言った。

「でも、人生を楽しむことを考えてよ。やっぱり、自分の人生だもの、自分が主役じゃなければしょうがないでしょ。それは、誰かが決めてくれるものじゃないわ。大事なのは、自分の生活は自分でプロデュースすることじゃないかしら。」

「清塚さんって、なんか、他の人と違うわね。」

柚子は、思わずそう言ってしまう。

「残念だけど、私は、清塚さんとは、お話が合わないと思う。私は、そういう人生観より、ちゃんと生活ができる方が大事だと思うわ。もうすぐ家だから私、変えるわね。それでは、他の人と一緒に帰って。失礼するわ。」

柚子は、希さんの顔も振り向かずに、希さんと分かれて別の道を帰った。その後で、希さんがどんな顔をしていたのか、見ることはなかった。翌日に学校へ言ったけれど、希さんの姿を見かけなかった。まあ、昨日の宣言通り、先生の立会演説会に参加したくないのだろう。それに、もう希さんの話を聞かされるのは嫌だから、もう一緒に帰りたくもなかった。だから、柚子は希さんの事はすぐに忘れてしまった。それに、希さんから声をかけられることはもうなかった。

それから、本格的な受験シーズンになり、柚子は、担任教師が言った通り、地元の大学の法学部を受験して、合格した。大学生活は、高校と大して変わらないものだった。まあ、定期試験でいい点を取ることができれば、自動的に優等生になってしまうのが、日本の学校である。ひねくれた論文などを書く人より、教科書通りの答えを書く人のほうが、良い成績を修めることができるのだ。柚子は、そうやって4年間を過ごし、御殿場にあった、小久保法律事務所というところに、アシスタントとして就職することになった。司法試験を受けるという話もあったが、これ以上試験を受けるのは嫌だなと思っていたので、アシスタントというか、事務員として働ければそれでいいかなと思っていた。ただ、不思議なのは、その小久保法律事務所が、看板に、「こくぼほうりつじむしょ」と、ひらがなで書いてあるのかというところだった。弁護士の小久保哲哉さんの話によれば、文字を読めない人がいるかも知れないので、看板はひらがなにしているという話だったが、果たしてそんな配慮、今の日本で必要なのだろうか?

柚子が小久保法律事務所に勤め始めて一ヶ月ほどたった頃。いきなり事務所のドアを乱暴に叩く音がして、柚子はびっくりする。すると、弁護士の小久保さんが、

「ああ、杉ちゃん来ましたか。どうぞお入りください。」

と言った。

「じゃあ、はいらしてもらう。」

と、中年男性のでかい声がして、ガチャンとドアが開いた。はいってきたのは、杉ちゃんこと影山杉三なのだが、柚子は、見たこともない。着物を着ているから、どこかのヤクザの親分でも来たのかなと思ったけれど、車椅子に乗っているので、そのような事はなさそうだ。

「ほら、いいよ。入れ。今日は、小久保さんにぜひ、弁護をお願いしたいという人を連れてきたんだよ。」

つまるところ、依頼人を連れてきたらしい。入れと言われて、一人の若い男性と、中年の女性がやってきた。ふたりとも、疲労困憊しているようで、助けなどどこからも得られないようなかおをしている。

「えーと、名前は、清塚友梨奈さんと、清塚新さんだったよな。なんでも、ポン中で捕まった、清塚希さんという女性の弁護をお願いしたいらしいぜ。」

杉ちゃんに言われて、二人の男女は、よろしくおねがいしますといった。小久保さんはとりあえず二人を中に入らせて、応接室のテーブルに座らせた。

「初めまして。清塚希の母の、清塚友梨奈です。こちらは、希の兄の清塚新です。」

と、中年の女性に言われて、若い男性が頭を下げた。

「どうか先生の力をおかしください。希が、少しでも刑を軽くて済むように、よろしくおねがいします。」

「はあ、そうですか。もうすでに他の弁護士の方が着いていらっしゃるかなと思っていたんですが、そうでもなかったんですか?」

と、小久保さんが言うと、

「はい。何人かこちらで弁護士を用意しましたし、よくやっていただいた先生もいましたが、希は覚醒剤のせいで、こちらの話が通じないようで、音をあげてやめてしまわれました。そうしたら、こちらの杉三さんが、こちらの先生でしたら、大丈夫だと仰ってくれたものですから。」

と、お兄さんの新さんが言った。

「そうですか。じゃあ、希さんと話をすることは、難しいのですか?」

と、小久保さんが言うと、

「はい。時々、幻聴と幻覚があるようで、拘置所にいても、大声で騒ぐこともあるようです。なんで私がもっと早く、希のことを見つけてあげられなかったのでしょうか。どうしてもそればかり考えてしまって。」

お母さんは泣きじゃくっている。

「失礼ですが、希さんが、覚醒剤を所持していたのは、いつくらいからなんでしょうか?」

と、小久保さんがそう言うと、

「はい。本人の話によりますと、今は、23歳ですが、高校生の頃から、やっていたということです。大学には、はいったんですけど、もうその頃は、おかしなことを口にするなど、言動がおかしくなっていました。はじめは統合失調症でも発症したのかと思っていましたが、腕に注射のあとがあって、覚醒剤を売っていたことがわかりました。」

と、新さんが言った。

「そうですか。確かに女性は、風俗などで体を売れば、お金が手に入るから、それで発見が遅れてしまうケースもありますな。わかりました。希さんの弁護を引き受けましょう。じゃあ、希さんに会わせていただきましょうか。今はどちらの拘置所に居るのですか?」

小久保さんがそう言うと、二人は、何度もありがとうございますと、頭を下げていた。その後は、清塚希さんがいる拘置所への行き方などが提示されていたが、柚子は、あまりにもショックが大きすぎて、それ以上の事は聞くことができなかった。

ガチャン!不意に何かが落ちる音。それを無視して、

「今から、清塚希さんに接見に行きますので、車を出して貰えないですかね?」

という小久保さんの声が聞こえてきた。気がついてみたら、もう清塚希さんの家族の姿はなかった。

「どうされたんですか。清塚さんたちにお茶も出さないで、何をしているのかと思いましたよ。」

「ご、ごめんなさい。清塚希さんは、私の友達です。」

柚子は正直に言った。

「これはまた偶然ですな。同級生だったとか、そういうことですかね?」

小久保さんに言われて、柚子は正直に、

「いえ、クラスも学科も違うんですけど、本当にいい人でした。自分の意思で、自分の人生をちゃんと考えていました。それなのになんで彼女が覚醒剤に手を出していたんでしょう?」

と言ってしまった。小久保さんは、柚子が割った湯呑のかけらを拾いながら、

「そうなんですね。なんでも何かを話せる友達がおらず、寂しかったからだそうです。お兄さんのお話ではそうなっています。」

と、言った。

「寂しかった、、、。あんなに強そうな顔をしていた彼女がなぜでしょう?」

柚子が思わず聞くと、

「強いんですかねえ。確かに意思は強かったのかもしれないけど、それが折れたときの衝撃も大きかったんでしょうね。担任の先生に国公立大学を志望しなかった事で叱られてから、ずっと、覚醒剤をやっていたそうですよ。それでは、すぐに行きましょう。早くしないと接見できなくなってしまうので。」

と、小久保さんは言った。柚子は急いで、車の鍵を取って、小久保さんと一緒に拘置所に車を走らせたのであった。

拘置所に着くと、ちょうど担当の刑事が待っていた。先程も、怖いものが見えると言って、大きな声を出していましたが、今はだいぶ落ち着いたようですよ、と、清塚希さんの話をしてくれた。二人は接見室に通されると、アクリル板を一枚隔てて、清塚希さんが、担当刑事と一緒にやってきた。確かにそこに居るのは希さんなのだけど、髪は短く切っていて、更に重度のメスマウスになってしまっており、高校生のときのような明るさはどこにもなかった。

「柚ちゃん。」

清塚希さんは、小さい声で柚子に言った。

「覚えていてくれたんだ。」

柚子もそう言ってしまう。

「どうして希さんがこんな事。」

「ごめんなさい。そんなに怖い薬だなんて知らなかったんです。」

希さんは、涙をこぼしていった。

「えーと、清塚希さんですね。弁護士の小久保と申します。これから、あなたの弁護をさせていただくことになりました。よろしくおねがいします。」

と、小久保さんがそう言うと、

「宜しくおねがいします。柚ちゃん、そんなに偉くなっちゃんだんだ。」

希さんは、涙をこぼしながら言った。柚子は、もうこうなったら、あのときのことをキチンと謝るべきだったのではないかと思って、思わずこう言ってしまった。

「あのときは、本当にごめんなさい。最後まで話しを聞かないで帰ってしまって。こんなことになるのなら、ちゃんと話を聞いたほうが良かった。あなたも、一人ぼっちで寂しかったのでしょう?」

「そうよ。一人ぼっちで、寂しかった。海外では、自分のことを話すのは何もおかしなことじゃないのに、日本では嫌われるわ。だからずっと一人ぼっちだった。誰かと、楽しそうに話をしたいって、心からそう思ってた。」

そういう希さんの言うことに嘘はないと柚子は思った。希さんは、本当に寂しかったのだろう。それなら、私が受け入れてあげるべきだったんだ。それなのに、私ときたらなんてことを。

「あのとき、清塚さんは、私に一緒に帰ろうと言ってくれた。だから、今度は私の番。ちゃんと罪を償って、一緒に帰りましょう。」

「ありがとう。」

アクリル板を隔てて、希さんは、メスマウスで汚れた歯を見せて笑顔を見せてくれた。このあとは、小久保さんが、希さんの弁護をするに当たって、必要な質問を始めた。覚醒剤をどこで入手したのか、あるいは、誰から入手したのか。希さんは、涙をこぼしながらちゃんと答えている。二人のやり取りを眺めながら、柚子はなんとなく、こういう仕事がしたいと思った。はじめて彼女の意思でやりたいことが芽生えた瞬間だった。


 

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一緒に帰ろう 増田朋美 @masubuchi4996

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