第2話

 結局、俺は通報しなかった。


 俺は今、床にこべりついた泥をタオルで必死に拭いている。それに対し泥の元凶である西上はでかい声で俺の知らない曲を歌いながら楽しそうにシャワーを浴びている。大変不愉快な状況だ。


 なんでこんな深夜に泥を拭く羽目に…


 泥はかなり広範囲に分布しており、床が最初の状態に戻るにはまだ時間がかかりそうだ。

 

「おーい! パジャマはあるかー? そろそろ出る!」


 風呂場から図々しくてでかい声が聞こえてきた。


 パジャマか…うち女性用のやつないんだよなぁ。うーん仕方ないから俺のを貸すか。

 

「洗面台のとこに置いてあるかごの中に俺のパジャマがあるはずだからそれ使え。」

「わかった!」


 というか待てよパジャマってことはもしやこいつこのままうちでぐっすり眠る気か…!?


「に、西上! まさか今日はうちに泊まるのか…?」

「そうだな! もうかなり眠いし。」


 俺は顔をしかめた。


 うっそだろおい……


 ほどなく西上がパジャマ姿でリビングに戻ってきた。同じタイミングで丁度泥も拭き終わった。


「いやぁ~心地よかった! 素晴らしいな人として生きるというのは!」


 クッソ俺が苦労してたというのにこいつは…


「部屋に連れてけ! 眠くて仕方ない!」

「……」

「どうした不満そうな顔して。文句あるのか?」


 西上が仏頂面で俺の顔を覗き込む。


 こいつみたいな危険人物が家に居座るとめんどうなことになりそうで嫌だ。だけどこいつみたいな危険人物に逆らうともっとやばいことになるかもしれない。あーもう仕方ねぇか……


「階段を上ったとこに空いてる部屋があるから今日はそこで寝ろ! ベッドもある。」

「わかった! ありがとな!」


 西上が満足そうな顔になった。


 空いてる部屋とは父さんの部屋のことである。こんな奴に父さんの部屋を使わせるのは嫌だが今日は我慢するしかない。


「じゃあおやすみ!」


 そう言うと西上はリビングから出ていった。西上が居無くなったとたん、気が抜けて急に疲れと睡魔が襲い掛かってきた。


 俺もそろそろ寝るか。


 テレビの電源とリビングの電気を消した後、俺は自分の部屋に向かった。より一層、雨の音が強くなってきている。


 雨の音はやっぱ落ち着くな。


 自分のゴミが散らかった部屋に入り、そのまま俺はベッドに飛び込んだ。とても気持ちがよくて顔の緊張がほぐれる感覚がした。

 

「はぁ……」


 今夜は本当に疲れた。これもすべて、うるさく傲慢なあいつのせいだ。


 急に押しかけてきて俺を脅し飯を食い、そのまま泊まるとか常識外れにも程がある。だが、今夜は魚の骨がつっかえたような気分で過ごすいつもの夜よりかは少しマシだった気がした。


 俺、これからどうなるんだろ……


 少しずつ、意識が夢の中に吸い込まれていく。そしてそのまま俺は眠りについた。


––翌日


「おい虎太郎!」

「うわぁああ誰だお前!」


 騒々しい声で俺は目を覚まして飛び起きた。


「あ、お前か……」


 ベッドの横を見ると西上が居た。耳元に直で大声を出されたせで耳の奥がキーンとする。


 やっぱりまだいるのかこいつ…朝から耳元にダイレクトアタックしやがって。


「腹が減った! 飯はあるか!」

「えーと、パンとジャムあるからそれ食え。」

「わかった! にしてもここはきったねぇ部屋だな。ここだけスラム街をそのまま切り取って貼り付けたみたいだぞ!」


 西上が自分の目をこすりながらそう言った。多分西上も寝起きなのだろう。


 とりあえず俺は時間を知るためにポケットからスマホを取り出し電源を付けた。画面に『12:00』という表示が浮かび上がってくる。


 少し寝すぎたな。


 再度俺は電源ボタンを押し、スマホをポケットの中にしまった。今日も雨の音がする。だが昨日とは違って今日はかなり穏やかだ。


 俺も飯食うか。


 俺は西上と一緒にリビングに向かった。


 リビングの電気をつけ、ダイニングテーブルの上に放り投げてある食パンの袋を開けてパンを二枚取り出した。一方、西上は座卓の前にあるソファーの上で寝転がりながらテレビを見ている。見ている番組の内容は芸能人が国内を電車で旅するというものだ。


「私もいつか日本を旅したいな。」


 西上がぽつりとそう呟いた。


 俺はパン皿を二個引き出しの中から取り出し、その上にパンを一枚ずつのせた。そして、冷蔵庫の中からいちご味のジャムを取り出し、パン皿とともにダイニングテーブルの上まで抱え込むようにして持って行った。最後に俺はジャム用のスプーンをキッチンの箸立てから取り出してテーブルまでもっていった。


「朝飯だぞ。もう昼だけどな。」

「そうか。今行く!」


 俺はダイニングテーブルの前にある椅子に座った。西上は一旦テレビを見るのを中断し、俺の向かい側の席に座った。


「腹減った!! さっさと食うぞ!」


 西上がそう言いながらジャムの蓋を開け、そのままスプーンを使わずにパンの上にたっぷりとジャムをぶちまける。俺はそれを見てしかめ面になった。


「うわなにやってんだ西上!」

「だってこっちのほうがたくさんジャム付けれてうまいだろ?」


 西上がジャムでひたひたになったパンにかぶりつく。


「……甘すぎて不味い。」


 西上が苦々しい顔になった。


 アホなのかこいつ…そうだ昨日の鎌のことちょっと質問してみるか。


「なあ、昨日俺の首にかけた鎌って結局なんなんだ?」

「え、あああれか。魔法ってやつだ。」

「マジで…?」

「実はこの世界には魔法があってな! ワクワクするだろ!」


 西上のセリフに思わず俺の目が輝く。


 マジか。魔法存在するのか。なかなかロマンあるな…!!


「魔法はホントなんでもできてな! 質量保存の法則とかもガン無視だ! 試しにちょっと魔法を使って見せてやろう。」


 次の瞬間、西上の体が椅子からゆっくりとほんの少しだけ浮き始めた。始めての体験で思わず俺は息をのんだ。


「す、すげぇ……!」

「そうだろそうだろ!」


 西上の体が浮遊するのをやめストンと椅子の上に落ちた。西上はなかなかのドヤ顔をしている。


「そもそも魔法というのは人の感情を想像力でエネルギーに変換して起こすものでな! 感情が激しい奴ほど使える魔法も強い! つまり、魔法使いはイカれたやつが多いってことだ!」

「へーなるほどな。」


 魔法使いはイカれたやつが多いか…西上が言うと説得力あるな。


「え、というかこんなすごいものが世界に広まってないんだよ。」

「それは世界各国の組織が全力で魔法が広まるのを阻止してるからだな! 魔法はさっきも言った通りなんでもできる。人を殺すこともな。そんなものが世に出回ったらやばいだろ。お前そんなこともわからないのかぁ~?」


 西上がニヤニヤしながらそう言った。


 腹立つなァこいつ…にしても俺の中二病心が刺激されて段々ワクワクしてきた。もっと色々と詳しく聞くことにするか。


「さっき組織って言ってたが例えばどんな組織があるんだ?」

「えーと日本にあるでかめの組織は世界魔法連合日本支部や警視庁公安部怪事課とかだな。普段この二つの組織は協力して魔法規制を行っているが魔法連合のやつらが危険な魔法の研究とかもしてるせいでたまにぶつかったりもしている。」

「魔法の世界にも色々あるんだな。ってか魔法規制されてんのにお前魔法使いまくってるけど大丈夫なの?」

「バリバリアウトだな!」

「おいダメじゃねぇか。」

「だが今のところ見つかってないからセーフ!」

「なんで見つかってないってわかんだよ…」

「それは私の勘だ!!」


 めっちゃ不安なんだけど。


 俺はスプーンを取り、ジャムを掬ってパンに塗りそのままパンを口に運び入れた。西上のせいでジャムの瓶の中身はかなり寂しくなってしまっている。


「あ、もし政府にお前が魔法使ってんのバレたらどうなるんだ?」

「きっと生かしてはくれないだろうな。」

「え? 殺されんの…?」


 パンを口に運ぶ俺の手が止まった。


「普通は魔法に関する記憶が消されるだけだが、私の場合はちょっと特殊でな。私は魂に関する魔法が使えるんだ。」

「魂に関する魔法?」

「魂に関する魔法っていうのは…えーと例えば人の魂を体から引っこ抜いたり入れ替えたり出来る。」

「なんだそれチート能力じゃねぇか。」

「ふふっ!! 凄いだろ! この魔法が使えるせいで私は政府に危険視されているというわけだ!」


 なんでそんなラスボス級の奴が俺みたいなニートの家にいるんだよ…知れば知るほど意味不明な点が増えていく。


「そういえばお前俺の家にいつまでいるつもりなんだ?」

「それがだなぁ~。居心地いいし私行くとこないからもうここに住むことにした!これからよろしくな!!」


 西上がジャムだらけの口をにっこりさせた。衝撃で俺の世界が一瞬白黒になる。


「…はぁ!? え? 何言ってんの!?」


 俺は驚きで声を荒げ席から立ち上がった。


「だ、か、ら、ここに住むと言っているだろ?」


 こんな危険人物と住む? 冗談じゃねぇ!! 絶対いつか死ぬ!


「お前…家族とかはいないのかよ。家族がいるならそっちに面倒見てもらったほうがいいだろ!」

「家族はいない。私は先日事故にあってな。私の家族と呼べるものはみんな死んだ。だから昨日はあんなボロボロだったわけだ。」

「……」

「お前自分で聞いておいて何気まずそうにしてんだ。」


 西上が眉を顰めてそう言った。


 家族はみんな死んだ……?


 衝撃的すぎて自分の顔は気付かないうちに引き攣っていた。


「まあ正確に言うと……って空気が重くなってしまったな。前言撤回! やっぱ今のなしで!」

「流石に無理あるだろ! 気持ち的に大丈夫なのかよお前……」

「うーん食パンが不味いせいでどちらかというと嫌な気分だな。」


 西上の表情には悲しみが欠片も感じられない。


 家族が死んだんだぞ…普通もっと落ち込むもんじゃねぇの…?


「で、結局住んでいいのか? ダメなのか?」


 こいつに裏があるのは間違いない。でも身寄りがない奴を放っておくのは流石に後味悪いんだよな。それに断ったらまた首に鎌かけらるかもだし……


「はぁ。わかった。」

「よし!! これからよろしくな!」


 西上はほくほくした表情になった。


「にしてもさっきから雰囲気暗いな。んじゃあ明るい話でもするか。」

「明るい話?」

「虎太郎、お前今日平日なのに仕事行ってないってことはなんだ、もしかしてお前ニートか?」

「ヴっ……」


 俺の表情が青ざめていくのを感じた。


「なんだお前。私の家族の話の時よりもキツそうな顔してるな…まさか図星か。」

「……」


 俺は俯いた。雨の音が耳に入ってくる。


「あちゃー。それはまずいな。私を養うための金がないじゃないか……」

「安心しろ。たんまり金ならある。それに丁度そろそろ就職もする予定だ。」

「安心した!! ってたんまり金? ニートなのに?」


 西上が怪訝な表情を浮かべる。


「もしかして…腎臓を片方売ったのか……?」

「売ってねぇよ。親の遺産だ。最近親が事故で死んで俺のもとに入って来たんだ。」

「あーそういうこと!」


 元気な声で西上がそう言った。


 にしても就職か……今は日本経済不況なせいでそもそも就職しにくいんだよなぁ。それに前のトラウマが…


 俺の脳裏にパワハラをしてきた髪型がザビエルな元上司が思い起こされた。会社を退職してから一年以上が過ぎた今でもたまに思い出してしまう。


「さっきから全然パン減ってないじゃないか。食わないなら私がもらうぞ!」

「えっ…!?」


 俺が止める暇もなく、西上は皿の上に置いてある俺の食べかけのパンをかっさらっていった。


 西上のほうを見るとジャムでひたひたになったパンは食いかけのまま残されている。西上は愉悦に浸った表情で手に入れた食パンを口の中に運んでいった。


 あーこの先不安しかねぇ……


 俺は頭を抱えた。

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