知らない香り_2

 イザドルは自宅の近場にある酒場で飲んだ後の帰り道、袋小路を抜けて川に面した一本道に出る際、川を眺める癖があった。そのまま気がわずかに川に逸れたままその一本道を通るほんの一瞬、開けた空間からの安心と酔いから隙が生じているのを彼女は見逃さなかった。

イザドルが隙を見せる川に面した一本道は日中でも人気はほとんどなく、夜になればスープ売りが週三日通る程度で人を見るのは稀であった。だからこそ、彼は自然と気を抜いて川を見てしまうのだろう。人気もなく、暗殺の場にはうってつけであった。

さらに、イザドルが酒場に行くのは助手の女が他所に出かけ夕暮れ時になっても帰ってこない時だということもメイは掴んでいた。

 そこで、その助手が友人と食事する所で聞き耳を立ててみれば、次にイザドルの助手が遠出するのは三日後であることを知り得た。どうやら用事をかねて故郷に戻るようで、二三日は帰ってこないとのことだ。

三日後を調べてみたところその日は特に周辺では行事はなく、唯一規則的にその道を通るスープ売りの持ち場もその日は別の場所であった。

 これで、暗殺決行は三日後に決定した。

 だが、これだけの条件が整っているというのに、どうもメイは気が乗らなかった。

 善人を何人も殺してきたメイだが、その時は無意識に相手のことを偽善者だと思うようにしたり、悪い点を見出して殺すことを正当化してきた。そうでもしなければ、上位の魔物の血を引いているとはいえ、幼い精神が壊れかねないからだ。

だが、観察して感じたイザドルという人物像は自分の興味のないことには適当な性格をしていて、仕事以外のこととなるといい点をあげることが難しい。けれど、良くも悪くも魔物に対しても人に対しても誰であろうと平等であり、なんというか善人とも悪人ともメイにはとれないでいた。

暗殺の目処がついたことと気乗りしないこともあり、気分転換をかねてメイは炊き出しではなくなにか美味い物を食べることとした。

 この時、彼女がいつもと変わらずガビ地区に帰り配給を受けていたなら、物語は大きく変わっていたことだろう。

 イザドルを監視している間、ふと耳にした美味い兎を食わせるという店にメイは足を向けた。なんでもこの町にはジャガイモから酒を作り栄養として腹に蓄えるコーキという虫型の魔物がいて、その虫を食べた兎は臭みが消え絶品だそうな。

 店に断られないよう体の匂いを落すため、少ない身銭を叩き風呂に入り、服は浴場の誰かから拝借した。店で食べる分だけを残し、せめてもの償いにとあとの金は服の持ち主の荷の中に入れておいた。

 その後すぐに例の店に入り自慢の兎肉の煮込みを待っていると、どんどんと店が混み始めてきた。初めは店の入りが少なく本当に美味しいのかと身構えていたメイだが、これを見て安心した。

これから食す未知の味に期待を膨らませていると、相席の申し出があった。特に気にするわけでもなく頷くが、ふと相手の顔を見ればなんと、相手はイザドルであった。

 驚愕の瞬間だが、そこは表情に出すメイではなかった。何事もないように目線を他に這わせ、なんの関心もない体で料理を待った。

 こちらは相手を知っているが、相手は知らない。気取られるようなヘマは踏んでいないと、メイは自分の行動に自信を持っていた。

 暗殺時は相手が気づく間もなく闇に乗じて一瞬で終わらせるため、顔を見られても構わない。怪しまれる行為はせず、ただこのまま食事を済ませ出ていけばいいとメイは特に気には留めなかった。

 すぐに目の前に暗殺の対象がいることを意識から外し、食事に集中した。噂の味は期待に沿ったようで、メイは運ばれてきた兎の煮込みに舌鼓をうつ。

「美味しそうに食べるねえ。僕にも一口くれないか」

 返答をする前にフォークが伸び、肉の一切れがイザドルの舌に滑り込んでいく。

咄嗟にその行為を阻止しようと腕が動くのを押さえつけたメイの顔を見て、イザドルは仰々しく謝った。どうやら、つまみ食いされたことをひどく怒っているととられたのだろう。

自分の料理がくると、イザドルはしきりに自分にも一口食べるように勧めてくる。自分の反応速度がただの子供でないことを不審がられないためにしたのだが、かえって裏目に出てしまったようだ。

出来るだけ殺す相手とは干渉したくはなかったが、このまま無視していると何か勘繰られる可能性もあるため、仕方なく相手の料理を一口もらうことにした。だが、イザドルが注文していたのは兎肉を使ったラザニアであり、どうにも一口だけ食べづらいものでどう手を出していいのか悩んでいると、イザドルが店員に皿を持ってきてもらい勝手に取り分けはじめた。

明らかに一口よりも多い量を取り分けられるが、ここで文句を言うわけにもいかない。黙ってそれをさっさと平らげると、「本当に美味しそうに食べるねえ」とイザドルは顔をほころばせ、もっと多く取り分けてきた。

正直迷惑な思いをしていることを顔に出したが、メイのそれを何と見たのか、自分はお酒があれば大丈夫だからと食べ終わる毎に取り分けてきた。

 それ以外に特に何が起きるわけでもなく、黙々と食事が続く。メイの予想通りイザドルは何も知らないようで、メイが自分のラザニアをほとんど平らげるのを見届けると後から来たにも関わらず、満足顔でさっさと店を出て行った。

 残されたメイはといえば、複雑な気持ちだった。暗殺の対象者とこんなに関わることはおろか、まともに人と食卓を囲むなどということは初めての経験だったからだ。

 すぐに動きたくないほどお腹いっぱい食べたメイだが、相手が先に出て行ったことで監視する時の癖が出たように、自分も後を追って会計を済ませようとする。すると、すでに代金は支払われていると言うではないか。

「あれ、姪御さんじゃないんですか?」

 店員の話によれば、イザドルはメイのことを姪だと言い彼女の分も勘定を支払っていったそうだ。それだけでなく、メイにデザートも頼んでいったらしい。

デザートがまだだという店員の制止も聞かず、メイは急いで店を飛び出した。すると、まだ肉眼で見える距離にイザドルはいた。その足取りは平時と変わらないもので、こちらに勘付き、なにかを意識した行動を取った後だとはメイには思えなかった。

(なんで……?)

メイはわけがわからなかった。見知らぬ相手を姪だといい奢る理由はなんだろうか、メイの疑問はそれだった。

このまま帰る気にもなれずしばらくつけてみるが、特におかしな行動もせずイザドルは自宅へと帰宅する。暗殺に気がつき、警戒する様子もない。それが余計に、イザドルへの疑念を湧かせた。

これまで裏の世界で生きてきたメイにとって、イザドルの振る舞いは謎でしかなかった。

元々乗り気ではなかった暗殺であるし、もう少し期間を設け相手のことをよく知るべきだろうか。メイはそんな考えをしたままイザドル宅裏の草むらに隠れ、身じろぎもせずにいた。

気がつけば陽は落ち、夜になっている。家の灯りも消え、辺りから音も絶える。

ひとまずこの日は寝床へ戻ろうと腰を上げかけたメイの目に、一つの影が映った。

 ローブをまとった男が一人、家の裏手でうろうろしている。少しすると、メイのように草むらに隠れ、動かなくなった。この者も、イザドルを監視しているのだ。

 繋ぎ人をしていれば、魔物や彼らと悪事に手を染める人からの恨みは絶えない。怨まれることの多い人物の暗殺ではブッキングはよくあることなのだが、メイはなぜか内心穏やかではなかった。

 彼が失敗しようともメイには被害はなく、むしろその逆である。暗殺が起きれば、それに対し警戒心が湧くものだ。しかしメイの行う暗殺の場合、相手の無意識の隙を狙う。そのため他で警戒して意識を回してくれる分、無意識の隙は大きくなりずっと仕事がしやすくなるのだ。それは相手が手練れであればあるほど顕著であることを、メイはよく知っていた。

 万が一彼らが討ち果たせたのならば、イザドルが死んだという事実が残り自分はそのまま帰り報酬を受け取ることができる。どちらに転ぼうとメイにとって、めっけものといったところなのだ。

 だが、メイの気分はすぐれない。別段楽しくもなく、どちらかといえば苦痛だった先ほどの食事のことばかりを思い出してしまう。そのことを思いだす度に、なぜかイザドルが殺されてしまったらと考えると、胸になにかしこりが出来ているかのような奇妙な違和感を覚えた。

そんな複雑な心境に陥っている内に、イザドルを監視していたはずがいつの間にか彼女はもう一人の暗殺者であろう男を監視していた。

 しばらくしてこの場を後にする男をメイはつけ、住処を見届けた。そこは宿屋で、この町に住む者でないことがわかる。十中八九、自分と同じく他所から派遣された殺し屋なのだとメイは理解した。

相手の寝床を特定しただけでは留まらず、なけなしの金を叩きメイは同じ宿に部屋をとった。手持ちは飯代としてとっておいたわずかなものであったが、年端もいかない子が飯も湯もいらず、一晩寝るところを貸してほしいと願ったところ、宿の主が快く了承してくれた。

都合よく、男の隣の部屋が取れた彼女は、聞き耳を立てて様子をうかがう。

自分でもなぜこんなことをしているのかわからなかったが、メイは自分を止めることができないでいた。

会話の内容までは掴みとれないが、少なくとも三人で会話をしていることがわかる。メイは危険を承知で窓から外に出ると壁に爪をくいこませ、隣の部屋まで移動すると窓越しに様子を窺った。

すると、その部屋には人はいなく、人狼が二人いた。体のほとんどが狼と化しているが、宿に泊まれているということは人に扮することができる力を持っているということになる。恐らく、人狼の中でも上位の存在であることを悟る。

「そうか、ほとんど家には一人でいるのか」

かすかにだが、そうメイの耳には声が届く。姿を確認しようと窓辺に移動したことが功を奏したようで、人よりも鋭い聴覚を持ったメイの耳にはなんとか彼らの会話を耳に届かせることができていた。

「なら、助手がいない時を狙うとしよう。万が一のことがあるからな」

「やるのは夜がいいだろう。寝こみを襲えばどうとでもなる」

「捕まえられた子分たちの恨みは、俺たちで晴らしてやろう」

「ああ、たかがガビ地区での計画の一つを潰された所でどうとでもなるが、身内の恨みは晴らさねばならん」

 話から推測するに、雇われた殺し屋ではなく私怨で動いているようだった。おそらく、念密な計画もなく、相手の隙を突くような暗殺を行うことはできないだろう。

だが、イザドルも只者ではないが、上位の人狼二人に奇襲されたら人の力ではまずひとたまりもないだろう。そのことを考えると、メイの胸は何故か苦しくなった。

 自分の感情がわからず、メイは部屋に戻るともだえ苦しんだ。

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