恋の一杯_3
翌日、イザドル宅へアーロンはやつれた顔を覗かせていた。
友人の様子にイザドルはコーヒーではなく酒を出したが、アーロンは手をつけずにドリンクを染みさせた糸くずを差し出す。
「これを、調べてくれないか」
受け取ったそれを鼻先につけ、思いっきり息を吸い込む。糸くずを指先で遊ぶと、イザドルはため息をついた。
「また厄介事か。毎度毎度、困ったもんだねえ」
「俺が、お前に迷惑をかけたことがあったか」
「ないっていうのかな」
「まだ、指で数えられるだろ」
「足も使えばね」
二人は声を出さずに笑う。だが、アーロンの顔色は芳しくない。
礼を述べると五日後にまた会う約束を取り付け、アーロンは家を出た。イザドルは弱弱しく映る彼の背中を見て何を思っていたのか。何も言葉をかけず、ただ彼の残した酒のグラスを指でなぞっていた。
再びイザドル宅を訪問するまでの四日間、アーロンは情報屋としての裏の情報網を最大限に活用し、ブラッドラッグのドリンクへの調査に暗躍した。
ブラッドラッグのドリンクの出所、製造方法、及ぼす効果、関連することは片っ端から調べ上げた。芋づる式に被害が及ぶことを危惧し、普段はしないような情報屋同士の繋がりまでも利用した。
全ては、愛するマーテルのため。彼女が良心につけこまれ騙されていると信じ、彼は寝る間も惜しんで行動していた。
彼がたどり着いた情報の先には、あの男がいた。マーテルの店にいちゃもんをつけていた、ここより二つ離れた町の商家の主である。
魔物関連商売にまで手を出していたことは知っていたが、まさかあの店にブラッドラッグを流していた張本人だとは思いもしなかった。
ここで、アーロンの調査は終了となる。なぜなら、男が流していたのはブラッドラッグであり、ブラッドラッグのドリンクではないのだ。
このことが意味することに、アーロンは気づかないフリをしていた。
五日後、憔悴しきったアーロンにイザドルは決定打となる情報を告げた。
「成分からは複数のブラッドラッグが検出されたよ。ゾンビにエルフにラーミア。あとはただの数種類の果物。果汁との混合度合いから図ると、混ぜてから間もないね」
「……そうか」
我知らず、アーロンの頬を涙が伝った。
イザドルは無言で酒を振舞うが、喉を鳴らすだけでそれに手を触れようとはしなかった。
代わりにそれを飲み干すと、イザドルは優しい顔をしてみせた。
「この件、仕事よりも大事なことが関わっているんだろ。酒好きの君が飲まないってことはさ」
「……」
「相談なら聞くよ。これで、足を使っても指じゃ数えられなくなる大台に突入だ」
空になったグラスをアーロンにしっかり握らせると、酒瓶を手にする。
肩を震わせて酌を受けると、全てをイザドルに打ち明けた。
アーロンは見慣れたマーテルの店先ではなく裏手にて、来たる時を待ち佇んでいた。
辺りが閑散となる深夜、日はすでに跨いでいた。凍てつき始めの夜風を、アーロンはただただ浴びていた。
荷車を運ぶ小男が店に入ったのを確認してから十数分。時は間もなくであった。
闇夜の中を小石が転がって来たのを確認し、アーロンは息を吐いた。
店内より話し声がする。声や物音で店内が少し慌ただしくなったかと思えば、裏戸から一つの影が飛び出して来た。ここの女シェフである、マーテルだ。彼女の手には、包丁が握られていた。
「あなたは!?」
「……マーテル」
「あなた、やっぱり繋ぎ人の犬畜生だったのね……」
「……」
「どいてよ」
「……すまない」
「どけえ!」
言葉を発するや否や、マーテルはぶつかるように包丁を突き付けてきた。アーロンは相手の腕を抑えたが、女とは思えない力で暴れるマーテルともみ合うようにして倒れた。
包丁を離させ両手を抑えるが、それでもマーテルは抵抗を止めず、腕にかじりついてきた。アーロンは肉に歯が食い込み血が出ているというのに、悲しげにマーテルの瞳を見つめていた。
肉に食い込む力が、徐々に弱くなっていく。一分も経たない内に、マーテルの意識は落ちた。
首筋に小指ほどの長さの針が刺さっているのが目にとまる。おそらく、睡眠を促す薬品の類が塗ってあったのだろう。
イザドルが裏戸より、姿を見せる。だが、マーテルを抱きかかえたままでいるアーロンを見て、イザドルはそっと踵を返した。
この晩、二人の人物が逮捕された。ブラッドラッグの運び屋と、飲食店を経営する女シェフであるマーテルだ。
マーテルはブラッドラッグを薄めて出すことで、効果を薄めてわずかな高揚感が出るように調節。その高揚感を疲れが取れたのだと錯覚させようと企てていた。少し割高なドリンクとして出せば、安価で買いたたかれているブラッドラッグ一つを二杯で元が取れるため、ブラッドラッグを百倍に薄めれば単純計算で五十倍の利益を生み出すこととなる。
この商売を、マーテルはブラッドラッグの危険性を熟知して使用していた。ブラッドラッグに詳しくならなければ、どこまで薄めても高揚感の効果を損なわないのか測れず、利益を最大限に引き出せないからである。
彼女の罪はそれだけで留まらなかった。アーロンに出したドリンクからは、致死量に極めて近いブラッドラッグの量が検出されていた。
自分の店に入りびたるアーロンを繋ぎ人、またはその関係者だという彼女の懸念はブラッドラッグの取引相手に脅しを利かせたことで確信へと変わり、消そうとしたのだと自白した。
だが、アーロンへの罪について、二人は警察に引き渡す際に口にすることはなかった。
だが、それでもまず、彼女が二度と日の目を拝むことはないだろう。
これよりマーテルと運び屋に与えられる厳しい詰問により十分背後関係は割れることだろうと、アーロンたちの事件への関与はこれまでとなった。
全てが終わったころには、すでに空は白んでいた。
二人は地べたに座り、警察官が気を利かせてくれた淹れ立てのコーヒーを鼻を赤くして飲む。
「俺が逃がしてもいいように配慮してくれて、ありがとよ」
アーロンは棒のような指を集めて針に見立て、首に突き立てる。イザドルは袖裏に仕込んだ針を取り出し、口角をわずかにあげた。
「これで、よかったのかい?」
猫舌のイザドルはコーヒーに白い息を吹きかけながら、アーロンを見た。口元に持っていきかけたコーヒーを下げると、首を縦に動かす。
「俺が惚れたのは、あんな瞳をした女じゃないからな」
遠くを見つめるアーロンの目頭が、わずかに熱くなる。
と、その時、雪が降ってきた。初雪である。
コーヒーに落ちた雪は、わずかな波紋を残して消えてゆく。
アーロンはコーヒーを一気に煽り、胃に流しこんだ。冷たくなった体に一気に与えられる熱に驚き、意志とは関係なく目には涙がわずかににじんだ。いや、にじませた。
「さて、じゃあ飲みに行くか。禁酒はもう終わりだ」
「お、ようやくか。君も頑固だよね。結局あの時もついであげたのに飲まなかったし」
「どんな時でも、ポリシーは貫くものだろ。で、何を飲むか」
「そうだねえ。それじゃあ、せっかくの飲酒解禁だから、アルソンのウィスキーを……」
「ウンコでは飲まん」
ぽつりぽつりと、いつ途絶えてもおかしくないように雪は落ちてゆく。
今年も、冬がやって来た。
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