恋の一杯_1

 アーロン・リヨンズは、恋に落ちた。どこにでもあるような作りは小さく古い、小洒落た料理店。そこの女シェフに、心を奪われたのだ。

 中肉中背、肌も白すぎることはなく髪はこの国では大半を占める茶色、顔も特筆すべきところのないような女性なのだが、彼女を見た瞬間に不思議とアーロンの心の隙間に寸分くるわずはまった感じを覚えた。まさに一目ぼれとしか言うしかない。自分はこの女性を愛するために男になったのだとさえ彼は感じていた。

 大柄な図体といかつい顔に似合わず自炊が好きであり、自分の作ったもので三度の飯より好きな酒を飲むことが人生の楽しみである彼が料理店に寄ることなど滅多にないが、驟雨に合いたまたま入った店でこんな出会いが待っていようとは思ってもみなかった。それがなおさら、これは運命の出会いなのだと彼に感じさせていた。

 高ぶる気持ちで味もよくわからなくなるというのに、気が付けばその店に足が向かっているようになっていた。

 最初は席の一角から厨房を覗き彼女の姿を見るだけで幸せだったのだが、ウェイトレスと二人で切り盛りしている小さい店ということもありすぐ顔を覚えられ、込み合っている時でなければ二言三言会話を交えるように。それが彼をさらに恋へと駆り立て、わざわざ人の少ない時間を狙って通うようになっていった。

 詩的表現などの表現を苦手とする彼だが、この時ばかりは相手に対する想いを何枚だろうと綴れそうな気がした。

 だが、これが禁断の恋であることを、アーロンは誰よりもよくわかっていた。

「へえ、君が恋ねえ。酒にしか興味がないのかと思ってたよ」

 アーロンの商売相手であり友人の繋ぎ人、イザドル・アランデルは自宅で受ける友人の恋の相談に頬をいやらしく弛ませていた。

 おどける相手に書類を手渡すと、アーロンは不満そうにコーヒーを口にする。

 繋ぎ人に書類を渡す、そんな彼の仕事はなんなのか。

相談というのは、まさにそれが関係していた。

 アーロンは情報屋であり、明るみには決して映らないような世間の裏の顔に通じている。繋ぎ人と取引しているのだからもちろんそれは魔物関連にも及んでおり、彼はその情報を必要に応じて金で売り渡して生計を立てているのだ。

 そのような仕事は実入りはいいが人や魔物の恨みを買う危険と常に隣り合わせであり、情報屋としての年月に比例して恨みがネズミ算のように膨れ上がってゆく。それは彼だけでなく、その周りのどこまで及ぶのか計り知れたものではないのだ。

 魔物関連にまで手を伸ばす情報屋で身を固めるなどという話は、現役はもちろんのこと引退後だろうとアーロンもイザドルも聞いたことがない。それだけ、恋はご法度の世界なのだ。

 だが、それでもこの想いは抑えることは出来ず、それどころか禁忌の行いをしているという感覚がスパイスとなり、もう自分ではこの気持ちをどうしたらいいのかわからないでいるアーロンなのだ。

 クマのような図体の友人が髪のない頭を机にくっつけているのではないかというほど極端に項垂れている様を見て、イザドルは眉根を寄せて笑った。

「まあまあ、君の想いが本物なのはその情けない顔を見てればわかるけど、もう少し冷静になってみるのはどうかな? 愛する人のことを一番に考えるなら、ね」

 アーロンは渋い顔をするが、相手の言い分が最もであることがわかっているため素直に頷く。

イザドルは笑って肩を叩いた。

「それじゃ、たまには気分を変えて今の気持ちを落ち着かせるためにも、久々に飲みにでも行こうか。コリンのせいでまともに飲める機会も限られてきててね、お使いで出張させてる今がチャンスなんだ」

「あ、いや、外食のしすぎで金が少なくてな。悪いが遠慮しとくよ」

「なんだ、付き合い悪いね。あっ、そうだ。じゃあここで飲まないかい? 丁度さっきいい氷が手に入ったんだよ」

 楽しげな足取りでイザドルが部屋を出てしばらく、冷却用の氷ではなく、蜜柑ほどの大きさである朱色の珠状の氷が入った袋とウィスキーの入った瓶を持って戻ってきた。

「これをこう、砕いてさ、この前行ったアルソンのこのウィスキーをオンザロックで一杯やったらそれはもう、最高だよ。目も鼻も舌も楽しめる。飲んでくでしょ?」

「へえ、綺麗だな。なんの氷だそれ」

 アーロンが珍しい氷を袋越しに指でつついていると、イザドルがとろけた目をしてみせた。

これは、彼が好きなものを語る時にたびたびする表情である。そのことに助手見習いのコリンでさえ最近気づくようになっているため、付き合いの長いアーロンはもちろんそれになれており、まぶたを目に半分重ねると気持ちわずかに耳を傾けている。

「これはね、火鳥の珍しい贈り物だよ。燃えるような羽の色をした美しい鳥。知り合いが飼っていたらしくてね、この鳥は一生に三度だけ、特殊な排卵期を迎えると言われるんだ。その時期に排泄したものが、これさ」

 頬に紅をさして息を荒げるイザドルの言葉を話半分に聞いていたが、アーロンは一度最後の言葉を反復させると、顔を強張らせた。

「それって、じゃあ、これウンコか?」

「まあ、平たく言えばそうなるね」

 アーロンは飛び跳ねるようにつついていた指を引込め、グラスを用意しようとしているイザドルを制止した。イザドルは異端者でも見るかのごとく、眉根を寄せた。

「何だその顔は! 俺はお前みたいな変人じゃないんだよ! ウンコで酒なんか飲めるか」

 吐くように腹の奥から息を吐くと、氷をアイスピックで器用にグラスに入るサイズに削り上げているイザドルを他所に、アーロンはそそくさと荷物を纏めて席を立った。

「おーい、わかってるよね?」

「なるべくその店に行く数を控えて、他の店にも行くようにすること、だろ? わかってるよ」

 ぶっきらぼうに手をあげると、床を軋ませてアーロンはその場を後にした。

 イザドルは仕上げに氷に引っ掻くようにいくつかの彫りを加えると、それをグラスに入れ、なみなみとウィスキーを注いだ。氷につけた傷から淡い光が漏れ出すように、琥珀色の酒に朱の光沢が混じって輝いている。

 それを一口すすり、イザドルは喉から声を出して何とも言えぬ顔をした。

「飲まず嫌いとは、もったいないねえ」

 たまらず続けざまにそれを煽ると、イザドルは幸せそうに頬をゆるめた。

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