私の正義_3
家屋ではなにが起きたかもわからず、慌てふためく人狼の姿が三つあった。討ち入りがあったというのに闇に乗じてすぐに逃げ出すどころか、明かりさえ消さずにいる姿を目にし、相手が素人であることをクリエラは察した。
「私はフィラデルフィア家次期当主、クリエラ・フィラデルフィア! ガビ地区の秩序を乱す貴様らを、繋ぎ人として罰する!」
厳めしく大声で呼わ張り人狼の混乱を煽るクリエラに、彼女の思惑通り火薬が爆ぜたように人狼たちは襲いかかった。
鋭利な爪が柔らかな頬を裂いた、そう思った時にはクリエラのわずかな動きで人狼の一匹は顔を潰され地面に接吻をしていた。
ル=ガールは上半身のみ狼の姿となっている下級の人狼といえど、人を超越した腕力を誇っている。だが、まるでクリエラには紙を扱うようにあしらわれていた
鉄があてがわれた肘や膝により急所をうたれ、少し力を込めれば折れてしまいそうな女相手に人狼三匹がかりというのに、ものの数秒で彼らは動けなくなっていた。
騒ぎを聞きつけ別室より新たに現れた人狼四匹を目にしてもいささかも動じず、クリエラはベルトの薬湯二つを混ぜ合わせると、沸騰したかのように泡立つ液体の瓶に蓋をし、それを相手に投げつけた。
人狼達の足元で瓶は割れると、蒸気が爆ぜるように煙幕上に広がった。それを吸い込んだ人狼達は途端にむせだし、胸を掻きむしり始めた。
その後の結果は言うまでもないだろう。足元で血を流す人狼達などにわき目も振らず、数人の部下を家屋に招き入れると彼女は一人別室へと歩を進めた。
裏手でも戦闘が始まり、住居は激しい音に包まれた。
さらに人狼を二匹ほど倒した時だろうか。嫌な匂いがクリエラの鼻孔に流れた。
(火か……!)
そう、追い詰められた人狼達は、家に火を放ったのだ。おそらく狙いは混乱に乗じた逃亡、そして証拠の隠滅であろう。繋ぎ人が相手ならば行方不明の子供の保護を優先すると考え、その隙に逃げようというのだ。
だがクリエラが選ぶ道は一つしかなかった。
ここで取り逃がしては、第二、第三の被害者が出る。それを防ぐためには、多少の犠牲には目をつむらなくてはならない。それが、クリエラにとっての正しい選択であった。
結果として、人狼は一匹残らず捕えることに成功した。だが、子供の姿は影も形もなく、どこに隠されているのか短時間で吐かせることはできなかった。
幸か不幸か、住宅街から離れていたため火災が広がることはなかったが、同時に十分な水もなく火を消すことはできなかった。
火が治まると地下への隠し戸の探索を部下に命じるが、もし地下に幽閉されていたとしてもこの火災では子供が熱で耐えられるはずもないと、この行いは形式上のものと割り切っていた。
だが、部下の報告にクリエラは青筋を立てた。なんと、子供たちは生きていたのだ。
生き残った理由は一つ。地下には子供たちと共に繋ぎ人のイザドルがいたからだ。
実はこの住居、区長側が目星をつけていたル=ガールの住居の一つだったのだ。
クリエラ達と別れてからイザドルはもう一度下見をした住居の中から怪しい場所へ赴き周辺の調査をしていると、職人の出入りが激しかった時期があることを掴んだ。職人たちに酒をおごり何気なく最近の仕事のことを聞けば、気分をよくした一人がぽろりと、金払いのいい連中から地下部屋の普請を頼まれたことをこぼし、すかさずそこにイザドルがあの出入りの多かった住居の話を振れば、胸を張って職人は首を縦に振った。
このことから対象を絞って住居を監視していたところクリエラの討ち入りがあり、遠巻きより監視していたイザドルには家屋で戦闘を繰り広げる彼女たちよりも速く火の手が上がったことを確認し、急いで地下扉の探索を開始していたのだ。
火の手が広がりきるまで間一髪のところで職人の情報もあり地下扉を発見し、薬湯で熱を中和して子供を保護していたのだ。とはいえ急のことであり用意してあった薬湯では量が足りなかったようで、イザドルはともかく子供たちは衰弱しきっていた。
クリエラはすかさず部下に命じ子供の安否の確保に走らせたが、その時の表情は筆舌しがたいものとなっていた。
「あら、奇遇ね」
後日、多少食欲不振になっていたイザドルの体力も回復しきったようで、コリンが呆れるほど朝食を口にしていたところ、そこにまたクリエラが顔を覗かせた。
わかりやすいほどに顔を渋くするイザドルの足を、コリンは慌てて見えないように蹴った。
何も言わず、音を立てて席に着くクリエラに、コリンは縮こまった。前は喜怒哀楽がよく読み取れなかったが、今回は明らかに機嫌が悪いことが読み取れた。
注文を聞きに来た店員をぞんざいに追い返すと、クリエラはイザドルを睨み据えた。
「お嬢ちゃんに全部聞いたわ。あそこ、事前に下見してた場所なんですってね」
恨めしげな先生の目から、コリンは気まずそうに目線をそらした。
「まさか、こんな貧民街の区長程度が的確な目星をつけてるなんて思わなかったわ。ふふふ」
「いやあ、まあ、驚きですよねえ」
まだ口にする前から苦い顔をして、イザドルは音を立ててコーヒーを啜る。
「時間をかけた立地の予備知識があれば、地下の隠し戸なんて人狼程度捕えながらも見つけられたわ。それが出来なかったってことは、怠慢としか言いようがないわ」
返す言葉が見つからなくイザドルとコリンがテーブルの下で小突きあっていると、クリエラは大きくため息をつく。すると、顔の剣幕がため息とともに吹き飛んだように、表情は柔らかなものへと変わった。
カバンから取り出した資料をクリエラは差し出す。それを受け取ったイザドルは書類に目を通すとすぐ、驚いた顔を彼女へ向けた。
「あなたに今回の件の処遇はゆだねるわ。魔物についても、まだ何にも取り調べしてないわ。子供が関わってるし、あなた流、があるでしょうしね」
「クリエラさん……感謝します」
このやり取りの意図がわからず、コリンは二人の顔を見合わせた。
魔物に誘拐されていたということは、そこにはなにか魔物にとっての企みがあったのだろう。魔物犯罪と関わった者は、結果によっては偏見などでその後の人生を大きく左右される場合もある。もしも子供たちの人生を左右するような事実が判明した場合、その結果をクリエラは国からの要請を受ける立場からしても、彼女の正義感からも偽らず報告しなくてはならない。だからこそ、イザドルに譲るのだ。
席を立つクリエラに対し、イザドルは深々とお辞儀をする。それに倣い、急いでコリンも頭を下げる。
「完敗よ。けど、今回はね」
そうえくぼをつくって言い残すと、わき目も振らずにクリエラはその場を後にした。力強く、そして優雅なその歩みに、コリンは初めて彼女に憧れのようなものを抱いた。
用意させておいた馬車に乗ると、悔しげに唇に歯を当てる。そのまま感情に耐えるように目をしばらく閉じていると、窓が小さく叩かれた。外に目をやればコリンの姿があり、何事かと窓をさげれば、イザドルからの伝言を持ってきたのだという。
「今回のお礼というわけじゃないそうですが、よければお食事でもいかがでしょうかと、先生からの言伝です」
そう言って差し出した招待状には、確かに見慣れたサインがあった。
自分を前にすると決まって苦い顔をするイザドルの顔を思い出す。
「お嬢ちゃん、そういえばあいつへの憎しみは話したけど、愛おしさは話してないわよね」
先ほど思い浮かべた顔から、子供たちを守りぬいた後のイザドルの顔へと変わる。煤にまみれた顔には色濃い疲れが浮かんでおり、それでも子供が無事だとわかった時の顔は、喜色にあふれていた。
「良くも悪くも、私の予想を裏切る所が、たまらなく愛おしいのよ」
馬車は走る。速く、そして穏やかに。
わずかに開けた窓から流れる風が、艶やかなクリエラの髪を撫でた。
いつもよりも多めにブランデーを入れた紅茶を啜り、招待状に目を落す。
招待状には、昨日の日付が書かれてあった。
クリエラはちり紙になった招待状を、青筋をたてて窓から捨てた。
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