私の正義_2

「あら、ごきげんよう」

 雑多な音が辺りに飛び交う中、グラスが倒れる音がする。

クリエラの目線の先には、顔をひきつらせたイザドルの姿があった。

「もー、先生ったらなにしてるんですか」

 イザドルと同席している少女は息を吐くと、彼がこぼしたワインの後処理を手際よく始める。

「あら、可愛い子ね。あなたの彼女かしら?」

「か、彼女なんかじゃありません! 私は先生の助手です!」

「そう。ずいぶん可愛い助手さんね。お名前は?」

 可愛いという言葉には、女性らしい可愛さ、といった意味は含まれていない。そのことに気づいている少女は、この失礼な人は誰なのかと、わずかに眉を寄せてイザドルに目をやる。

「あー、この子はコリンといって、正確には助手見習いです。そしてこの方は、フィラデルフィア家の次期当主のクリエラさんだよ。ほら、挨拶なさい」

 少女――コリンの耳にもフィラデルフィア家の噂は届いていたようで、目を丸くして二人の間で目線を往復させる。その顔には、もちろん尊敬の念よりも、むしろその逆のものが浮かんでいる。

「フィラデルフィア家といえば、あの名家の……!?」

「そう、あの……」

「悪名高きフィラデルフィア家よ。よろしくね、お嬢ちゃん」

 相手の胸中を読みとり自ら皮肉を述べるクリエラに、コリンは気まずそうに顔を伏せた。

「同席してもいいかしら?」

「いや、あなたみたいな方がこういった場所で食事してもお口に合わないかもしれませんよ?」

「大丈夫よ。その場のレベルのものしか求めないから。ちゃんと我慢するわ」

 イザドルがわざと嫌な声を出していても、そんなことは全く気にせずクリエラは席に着き、優雅に持参したナプキンをつける。一目で質の良さがわかるそのナプキンは、明らかにこの場から浮いていた。

 イザドルとコリンはしかめた顔を合わせる。イザドルはコリンに助けを、コリンはイザドルに彼女を追い返すように眼差しを向けていた。

「さて、なにを食べようかしら。お嬢ちゃん、あなたおすすめとかある?」

「おすすめですか……? えっと、そうですね」

 助手に話題がふられたことで、とある考えを得てイザドルは心の中で笑みを浮かべた。

「そうだ、コリン。明日に備えて僕は帰って資料を纏めなくてはならないんだった。いーやいや、気にしなくていい。一人で出来る仕事だからね。君はゆっくり、大先輩のクリエラさんのお話を聞いておきなさい。わかったね? それでは、僕はこれで」

 二人がなにか言う間もなく、イザドルは金を置くと素早く酒場を飛び出して行った。

 コリンの認識では無自覚を装った皮肉屋であるイザドルがこのように慌てる姿を見るのは初めてであり、彼が苦手とする相手と食事をしなくてはならないことに、まだサラダしか口にしていないというのに胃がきりきりと痛んだ。

「別にいいのよ、気を使わずに帰っても」

 また胸中を見透かしたのか、クリエラの言葉にコリンは慌てた。

「い、いえ、そんなことありません! よろしければ、色々お話をお聞かせください!」

 クリエラはくすりと笑う。その年相応の女性らしい顔に、イザドルと会うまでの繋ぎ人への印象を思い出し、彼女に対する先入観がわずかに揺らいだ。

 だが、身分の差から生じるのか、彼女の根っこのものなのか、店員を呼びつけチップには多すぎる金を握らせると、横柄な態度で調理方法を細かく指定して注文している姿を目の当たりにし、あまり仲良くはなれそうにないと感じたコリンであった。

 その感情は読み取れなかったのか、クリエラは店員を急かして運ばせたこの店で一番高いワインを口に運びつつ、コリンに微笑みかけている。複雑な気分で、ちぎったパンをコリンは口に運んだ。

「えっと、フィラデルフィアさんは、先生とは深いお知り合いなんですか?」

「クリエラでいいわよ。ええ、深いわよ。すっごく深い」

「もしかして、昔、お付き合いしてたとか?」

 間を置き、クリエラは声を出して笑った。それにつられてコリンも笑う。上手く会話を行えているかと思えば、クリエラは途端に目を険しくしてコリンを見据えた。

「もしそれが冗談じゃなかったら、それは正しくない質問ね」

 別人のような声音と剣幕に、咄嗟に上手い言葉が見つからずコリンは無言で頭を下げた。

 丁度いいころあいに、店員が料理の一つを運んできたため、クリエラの注意はそちらへと向いてくれた。クリエラはさっそくそれを口にすると、首を傾げるが妥協の頷きをしている。

 やはりこの人とは仲良くはなれないと、コリンは青い顔で肩をすぼめた。

「私があいつに抱いている感情はね、愛憎なのよ」

 食事を口に運ぶ動作を続けたまま、クリエラはそう口にする。

「私はね、いつだろうと成績トップだったわ。今は廃れてるけど、繋ぎ人の養成所でもそれは同じだった。たった、一つの項目を除いてね」

 鼻から息を出すと、マッシュポテトを口にする。先ほどのこともあり、不用意に言葉を口に出来ないコリンが言葉を選んでいる内にクリエラは咀嚼を終え、口を開いた。

「演習よ。ご想像通り、あなたの先生がトップだったからね。いつもへらへらしてて成績も中の上。実技だろうと私の方が遥かに上だったわ。けど、私はいつも煮え湯を飲まされてた」

「えっと、失礼かもしれませんが、どうしてなんですか? 普通に考えたら、先生が勝てる要素なんてないじゃないですか」

 おどおどと質問するコリンにワインを注いでやる。自分も飲み干し、コリンから酌を受ける。

「あいつはいざ行動となると、別人みたいになるのよ。試験じゃ測れないような、複合力というのかしら? そんなのがあいつは比べ物にならないくらい高いのよ」

 自分の村での出来事を思い返し、コリンはなんとなくうなずけるような気がした。

「そのせいで私は、実績が全てのフィラデルフィア家で落ちこぼれの烙印を押されて、功績をあげるまでは他家の者のような扱いを受けて来たわ」

 クリエラはワインを飲み干すと、なんともいえない眼の色でコリンを見る。

「じゃあ、なんであいつに対して愛があるのかって聞きたいんでしょ? それはね……」

 言葉を切るように、上等だが簡素な服に身を包んだ男が現れ、クリエラに耳打ちをする。話を聞き終えると手で払い、食事を続ける。

「お嬢ちゃん、あなた達、この案件に何日かける予定?」

「よくわかりません。先生からは、明日から調査を手伝うようにとだけ言われてますので」

「それじゃあ、荷物は広げないほうがいいわ。今日中にこの件、終わるから」

 相手の言葉に、コリンは思わず驚きの声を漏らす。クリエラはにっこりと笑った。


 取りとめのない会話で食事を終えた頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。コリンと別れたクリエラは部下に誘われてとある民家へと向かった。そこにはクリエラの多数の部下に囲まれ、柱にくくりつけられた男が一人いた。

 男はすでに痛めつけられ、衰弱しきっていた。彼は市民権を与えられない凶悪な魔物へ不法に住処を提供している、橋渡し者と呼ばれる者だ。

「何件目で見つかった?」

「十四件目でございます」

 この件数とは、クリエラの指示で彼らが訪問した酒場の数だ。クリエラは部下に繋ぎ人としての書状を持たせ、わざわざ魔物たちに繋ぎ人の存在を知らせるように歩き回らせたのだ。それは事件関係者をあぶり出すための強引な策であり、結果、酒場から逃げ出した男をつけ、自宅に逃げ帰ったところを捕えると、上手い具合に家には人狼のマーキングがつけてあったというわけだ。

 当然、このようなことをしては、手掛かりは得られても相手方の警戒は強くなるといえよう。橋渡し者を一つの魔物グループで最低三人は用意していると言われている。裏の仕事を扱っているだけにその間の情報の連携は非常に強固なものとされており、連絡が少し途絶えただけで魔物たちと住居を引き払うなんてことも珍しくはないでいた。

だが、そんなことはクリエラには関係がなかった。情報は全て、捕えた男から吐かせればいい。一人さえ関係者を捕まえれば、チェックメイトしたも同然だとクリエラは考えている。

クリエラの指示で男は外へ連れ出され、用意させておいた杭に鎖で男を固定させる。油を染み込ませた布を頭に被らせると、何も言わずにクリエラは火をつけた。

 夜の帳を裂くような男の絶叫が辺りに響く。

 数秒後、部下に砂と水をかけさせ、ボロになった布を剥いでやると、中からは無残に膨れた顔が現れた。

「吐きなさい」

 男は何も答えず、言葉にならない悲鳴と共に痛みから堪えるように暴れている。

 部下に命じ、また油の染みた布をかぶせ、火をつける。

 見慣れているとはいえ、部下でさえも数人は顔をしかめるというのに、クリエラはというと先ほどコリンに見せていた柔和な笑顔が嘘のような、悲鳴に心を躍らせている笑みを浮かべていた。

数秒後、消火されボロを剥がれた男の目には、能面のような顔で笑う女が映った。

「欲しい情報を全て吐くまで、殺してもあげない。死なない程度に何度も炙ってあげる。眼球の水分が蒸発して視力が無くなるくらい。頭を掴んだだけで皮膚が剥がれるくらい。痛みとかゆみで顔の感覚が支配されるくらい。熱いのを吸い込んで、肺がウェルダンに焼けるくらい」

 怒りも冷たさも優しさも感じない声に、男はえも言われぬ恐怖を覚えた。

 男が口を割るまで、さほど時間はかからなかった。

 男の話によれば、子供の誘拐者はル=ガールだという。目的は知らないと言っていたが、これに嘘はないだろう。

 ル=ガールたちの本拠地だが、そこは日ごとに変えているらしく、その担当の橋渡し者二人だけが把握することになっており、今日は男の当番ではないらしい。

他の橋渡し者は三人。情報共有はいつも、二時間おきにとることになっているという。もしも情報が途絶えた場合は、どんな時だろうと散り散りにこの土地を離れることになっているという。蜘蛛の子を散らす如く逃げられたとあっては、全てを捕えることは不可能となる。それは、クリエラにとってはもちろん正しいことではなかった。

 男を捕えたのが十九時弱。猶予は二時間を切っていた。

拷問が始まったのが二十時よりわずか前。拷問のせいで口がおぼつかなく、男から全ての情報を聞き出したのが、その半刻後となったが、ここからが速かった。

 総勢八名の部下を二人ずつに分け、それぞれ橋渡し者の住居へ配置。残る二人は酒場を回らせ屈強そうなごろつきに金を掴ませ、それぞれの宿に応援として送らせた。

 二十一時までに全ての橋渡し者の宿に打ち込み同じ方法で情報を吐かせ、ル=ガールの住居、そしてそこに子供たちも捕えられている情報を掴んだ。

二十一時を超え、連絡がなく住居が騒がしくなったころには、すでに一階建ての古い作りだが横広の住居はクリエラの手の者で取り囲まれていた。この大胆かつ迅速な手法こそ、クリエラの定法であった。

音による畏怖で動揺に拍車をかけるため、わざわざ火薬を用いて表戸と裏戸を同時に破らせると、人員の大半を裏手へ回す。

薬湯の入った瓶がいくつか付属されたベルト、鉄の肘、ひざ当てを受け取ると、それを手早く装着し、クリエラは表戸より単身住居へと乗り込んだ。

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