私の正義_1

平均住宅の十倍はあろうかという敷地を誇る屋敷が一軒。門には名家の一つ、フィラデルフィアの文字が刻まれている。広々としたテーブルを前に一人席につき、給仕を受ける女が一人。彼女の名をクリエラ・フィラデルフィア。世間の噂を体で表した繋ぎ人である。

今年三十を迎える彼女の繋ぎ人としての功績はそれは素晴らしいものであり、繋ぎ人としての実力は折り紙付きだ。

だが、彼女は世間の繋ぎ人に対する悪い噂通りの行いをしており、功績をあげればあげるほど一方の見解では評価が下がって行っていた。

捕らえた魔物は容赦なく残虐な処罰を与えたり、奴隷として他国へ売り払ったり、自由を奪った上で家畜として扱ったりしている。また、害を及ぼす魔物、それに関与する罪人を捕まえるためには、証拠をでっち上げるのもいとわないでいた。魔物と人間を繋ぐ仕事につきながら、クリエラは魔物を嫌悪、差別しているのだ。

それは、彼女の強い正義心から出るものだった。クリエラは正しいことから逸脱したことを許せないたちであり、その正しい定義は彼女の中で決まっている。その定義には曖昧なものはない。黒と白しか存在しなく、グレーゾーンなるものは存在しないのだ。

そんな彼女の定義において魔物は悪であり、そんな悪に対してクリエラは容赦しないのだ。

金色の総髪をメイドに後ろで纏められながら、クリエラはポーチドエッグをナイフで切り、いい具合の黄身をパテと共に一口大のパンに乗せ、それを艶やかな唇の中へと入れる。    切り長の目を閉じてゆっくりと咀嚼し、ナプキンで口を拭う。

背後のメイドを指で招くとメイドは目を伏せつつ、耳を近づける。

「あと二秒、卵をあげるのを早めるように今日の当番に後で言っておきなさい。次正しくない茹で方をしたら、わかっているわね? ともね」

メイドの殊勝な返事は気にせず、クリエラはフィラデルフィア家の家花とされる百合模様をあしらった純銀のグラスを傾け、ワインを味わった。

老執事が姿を現し、席の脇に設けられた小テーブルへ書類を置く。

「いくら?」

書類に見向きもせずにクリエラはそう口にすると、ハムにくるまれたイチジクを食べ、頷く。どうやらこれは、彼女の舌にあったようである。

「金二枚です」

こちらに目を向けずに食事を続ける主人に対し、老執事は申し訳なさそうに値段を口にした。クリエラはその言葉が冗談とばかりに、眉を釣り上げる。

「安すぎる。爺や、私がどの額で仕事をするか知り得ているのかしら?」

「はい、最低金十枚からです」

現在この国で一番信用のある貨幣は紙幣を差し置いて金であり、大きな取引はそれで行われる。金十枚と言えば、一般家庭ならば二年は暮らしてもお釣りが来る額である。それを仕事の最低額というのだから、彼女がいかに優秀な繋ぎ人であるかわかるだろう。

「わかっているのなら、金一枚なんていう仕事を私に知らせなくて結構よ。そんなもの、そこらの三流繋ぎ人にやらせておきなさい」

「は……」

クリエラは書類をテーブルからチリを払うように落とすと、食事を続けた。クリエラが魔物問題へと取り組むのは、一つの例外を除いて金が関わった時だけである。

「金が関わらねば仕事はしない、偽善者にはなるな」

それは代々繋ぎ人を務めるフィラデルフィア家の家訓であった。

いつもならばすぐに立ち去るはずの老執事がまだその場にいることに、クリエラは眉を潜める。言いたいことがあるなら言えと目で意を送ると、老執事は額をハンカチで拭い、恐る恐る口を開いた。

「差し出がましいようですが、その案件の土地を見てからでも遅くはないのではないでしょうか……?」

「どこなの? いいなさい。私が食事を中断して書類に目を通すのと、爺やがその意味を話すのとどちらが正しいか、わかるわね?」

 老執事はクリエラの髪の手入れをするメイドを一瞥するが、彼女は小首を傾げる。老執事は息を吐くと、答えを口にした。

「ルーベリエンスです」

 その名を聞いた途端、髪の手入れが途中なことを意識していようともクリエラは勢いよく立ち上がった。椅子は勢いに身を任せ後ろに倒れ、メイドの膝を痛めた。これを危惧していた老執事は、自分の目線の意図が通じなかったメイドにため息をつく。

「私の二日分の着替え、道具の準備。宿と馬車の手配もしておきなさい。五分で出来なければ全員クビよ」

 クリエラは細い目を見開かせて、そう怒気ともとれる声をあげると、自室へと足を早める。老執事の指示をうけ、メイドは主人の後ろについて移動しながら髪の毛の準備を続けた。

 クリエラはルーベリエンスという町を知っていた。都市部から離れたながらも栄え、活気づいた町であるそこには、とある繋ぎ人が住居を構えている。

 それこそが彼女が仕事を受ける際の例外。その繋ぎ人が関わる仕事において、クリエラは無償であろうとも首を突っ込むことに決めていた。

「イザドル・アランデル。覚悟なさい……!」

 ブローチに収まる冴えない笑顔を覗かせる男の写真を睨みつけ、闘志を露わにした。


 半日後、ルーベリエンスの貧民街の一つであるガビ地区の区長館にて、クリエラの姿を見受けることができる。

 足を組み、紅茶を啜る。屋敷の時と違いドレスではなく、装飾品もないシンプルな上着にパンツという動きやすい姿であるが、それでも名家の風格が漂っている。

現にその圧にやられて、痘痕だらけの区長の頬から汗がどんどんと落ちて行っていた。まさか、至る所に飛ばした仕事の情報が名家にまで及んでおり、この低価の仕事に乗り出してくれるとは思っていなかったからである。

「それで、区長殿。いつになれば仕事の仔細を教えてくださるのかしら。もう、三分と……そう、二十七秒も経っているわ」

 殿とつけてはいるものの、敬意どころか侮蔑の念が声には含まれている。クリエラにしたら、こんな貧民街での区長など下の下の存在なのである。

「申し訳ございません。私は詳しい事情はしらないのです。担当者がもうすぐ戻ってくると思いますので、もう少々お待ちください」

 止まらぬ汗をハンカチでぬぐう区長を見て、クリエラは鼻を鳴らした。

(狸親父が)

 区長が本当は事情を知っているであろうことを、クリエラは見抜いていた。魔物の事件が大問題となった時、区長は自分の責任とならぬよう、事件には関わっていないこととするつもりなのだ。貧民街では魔物絡みの事件が他の町の役六倍と言われているだけに、そういった処世術にも慣れているのだろう。

 とはいえ、この程度の小汚い処世術しか持たない地方の一区長の口を割らせる術を持たぬクリエラではないが、彼女はあえてなにもせずに待つことにした。それは彼女の目的が今回の仕事を片付けることではなく、イザドル・アランデルにあったからだ。

 一口飲んだきり手を付けないでおいた紅茶が冷めきると、二人の男が部屋へ訪れた。一人はクリエラの見知らぬ壮年の男、おそらく事情を知る区長の手の者あろう。そしてもう一人、無精ひげを生やした学者風の男を、クリエラはよく知っていた。学生時代から煮え湯を飲まされ続けたこの男を。

「おお、やっと戻って来たか。フィラデルフィア家の方が来てくださったのだ。さあ、はやくこの方にも事件の説明を」

 そう言って席を外す区長を尻目に壮年の男はクリエラに歩み寄り握手を求めるが、それには目もくれず、クリエラの目はもう一人の方に食らいついていた。

「いやあ、申し訳ない。もう一方今回の仕事に携わる人がいるとは知らず、勝手に先に下見に行ってしまいました。いやいや、こんな美しい女性を待たせてしまっていたとは、申し訳……」

 早口でまくしたてたへらへらとした学者風の男だが、クリエラの目線に気づき、言葉を切った。そして、顔色を明らかに悪くする。

「これはこれは、お久しぶりね、イザドル・アランデル」

「お久しぶりです……クリエラ・フィラデルフィア」

 様々な想いを努めて瞳の奥にしまい込んで目を向けるクリエラに対し、学者風の男――イザドルはひきつった笑みを浮かべた。

 クリエラは表情を変えずに手を伸ばすと、イザドルは嫌な気持ちを微塵も隠さずに受ける。穏やかではない空気を漂わせる二人を目にし、壮年の男は伸ばした手を引込め、音をたてないように距離をとった。

「相変わらず、荒れた手ね。爪も黄ばんでるし、伸びすぎよ。もう少しは紳士としての装いを学んだ方がいいんじゃなくって? あら、失礼」

「いやあ、なにぶん僕みたいな田舎の繋ぎ人は、小さな案件も立て込んでしまいまして、そういうことに気をかける時間がなくてですね……ははは」

「私も国からの要請が絶えないのだけれども。それでも合間を縫って行うからこそ紳士淑女というものではなくって? 繋ぎ人の底を落されてばかりだと困ってしまうわ。あら、私ったらまた。失礼」

 二人は顔に異なった笑みを塗った握手を終えると、ここでようやく依頼について区長の手の者であろう壮年の男から語られた。

 依頼内容は、行方不明となっている子供の保護。一月前より、ガビ地区の十から十五ほどの子供の行方不明者が続出し、その数は計十二名。その同時期より、ル=ガールといった下級人狼の魔物の目撃証言が複数あげられていた。そのため、子供の行方不明にル=ガールが関与しているのではないかと、区長は依頼を四方に送ったのだという。また、ル=ガールの居住と思しき場所は区長側ですでにいくつか目星がつけてあり、そこに先ほどイザドルを下見に連れて行ったのだという。

 話を聞き終えたクリエラは、鼻を鳴らした。うっすら浮かぶ笑みには明らかに、嘲笑のようなものが含まれている。この程度の件で自分にまで知らせが届いたこと、またこの程度の事で多数の繋ぎ人に依頼を飛ばしていることを滑稽にとっているのだ。

 実際、彼女は国を揺るがすような案件に携わることも少なくないのだ。そんなエリート中のエリートにとって、こんな一地区にとっては一大事にとれることなど、彼女にしたら事件と呼ぶこともおこがましいほどの些細な出来事にすぎないのだ。

「あなたから見て、この件をどう考えるかしら?」

「そうですね、事件に関与しているかはともかく、実際にこちらの方々の言うとおり、ル=ガールはこの地区に住みついていることは確かだと思います。住処と思しき住居の柱には、彼らの縄張りを示す人狼のマーキングも小さくありましたので」

 鼻から息を出しながら声を投げるクリエラの態度とは対照的に、イザドルはいたって真面目な面持ちで意見を述べる。それを受け、クリエラはくすりと声をだした。

「なるほどね。わかったわ」

 席を立つと茶の礼を述べ、クリエラは部屋を辞そうとする。

「ま、待ってください! この依頼を、お受けくださるのですか……!?」

 壮年の男の質問を受けて足を止めたクリエラは質問主ではある彼ではなく、イザドルに目をやる。目線が絡むのを確認してから、クリエラは艶のある唇を動かして答えを吐いた。

「ええ、もちろん。魔物がいるというのなら、放ってはおけません。一流の仕事を、お見せしてさしあげましょう」

 声をあげて喜ぶ区長を見て、イザドルは苦笑をもらした。クリエラが現れる前、自分が仕事を受けるといった時の反応とはえらい違いだからだ。

 先ほどイザドルに行ったように、ル=ガールの住処と思しき場への案内をしようと申し出る壮年の男の言葉に対し、

「私のように、一流の者にはそんな情報は必要ないの。誰かと違ってね」

 そう含みのある言葉を残すと、区長館を後にした。

 区長館を出ると待機させておいた部下に耳打ちした後、用意させておいた馬車にてブランデーを入れた紅茶を啜る。イザドルが区長館を出るのを上質な車体の窓から確認すると、口の端をわずかに吊り上げ、目を閉じた。

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